2007-06-08

お金のたまらない人が今ひとつ理解できない

私は普通に生活できていながら特に理由もなくお金のたまらない人が今ひとつ理解できません。

あったらあっただけ使ってしまう人たちがいるそうなのです。そして、そのあげく高利の借金をして何もかも失ってしまう人たちがいるそうなのです。

でもでも、いつ怪我や病気をして働けなくなるかわからないではないですか。その時のために、手に入れたお金を少し残しておかなくちゃ駄目だと思います。

それにそれに、いつ欲しいものが出現するかわからないではないですか。その時のために、手に入れたお金を少し残しておかなくちゃ駄目だと思います。

私の両親はいつもお金に困っていました。借金も多少はありました。でも稼いだお金の中から、借金を返しつつ、利率を考えて手元にマージンを残し、高利の借金をしないで済むように懸命にやりくりしていました。そのやりくりに困っていました。当時は衣食住に使うお金をとても制限され、遊ぶお金もなくてけちな親だと思っていましたが、今考えると素晴らしい両親だと思います。

お金をやりくりできないのは、罪悪です。

本人が借金で壊れるだけではありません。その周りの人、保証人、勤務先、友人、恋人、親兄弟、親戚、全ての人間関係に迷惑がかかるのです。本人が窃盗警察に捕まるよりも、合法な分だけより性質が悪いとおもいます。

大事なのは、身の丈です。

収入が少ないなら、遊ぶお金に使えるのは本当にちょっとだけです。ちょっとだけに抑えるべきです。

遊びたいなら、まず収入を増やす必要があります。

よい車に乗りたいなら、まずよい車と安い車の差額を鼻歌交じりで稼ぎだせるようにならなければなりません。

ブランド物で身を着飾りたいなら、まずそのブランド物の金額が安くてお得でしょうがなく見えるようになるまで稼がなければなりません。

格差社会がどうこうという話が喧伝されています。

でも、格差社会はこの50年間一度もなくなったことはありません。

下流に生まれ、下流を見て、中流につかえ、上流につかえてきた両親を私は見てきました。

下流なのか中流なのか上流なのかという差は、使う金額にはありません。利用できるリソースに対する消費の配分と、その使用目的にあります。

下流は、ただ遊ぶために金を使います。少ない収入で限界まで遊びます。

中流は、潤沢な収入を潤沢に使います。内訳は、上流に上るための手段としての消費と、楽しみの消費。

上流は、全ての娯楽消費が人間関係を操作するための布石になっています。

上流の収入が中流より多いかというと、実はそうでもありません。しかし、金を使う一つ一つが全て目的のある消費になっているのです。

究極的には、その目的とはより収入を上げることだといっても良いでしょう。かれらはお金を増やすためにお金を使うのであって、お金を使うためにお金を使うことはありません。

低収入なのに豪華な車に乗っている人。低収入なのに豪華な服やバッグを持っている人。低収入なのに豪遊する人。それらの贅沢は、次の仕事、次の収入につながっていますか。

そうでないなら、貴方たちは迷惑です。いつか破綻し、収入の中で支出をきちんと抑えマージンを生み出しながらまともに暮らしている私に友達面をして借金を申し込むのです。

増やすためなら、リスクに応じてお金は貸しましょう。使うためなら、決してお金は貸しません。なぜなら貴方たちは私を理解しないし、私も貴方たちを理解したくないからです。私は貴方に告げるでしょう。愚者は死ねと心の中で言いながら。

「なんでお金なんかに困っているんですか?」

  • 典型的日本人の考え方ではあるから、同意する人はたくさんいるんじゃね? まーでも国が違えば常識も異なりまさあ、アメリカ人なんてマジで先の事考えないっすよ 寧ろ「将来病気にな...

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