(以下あまりまとまっていない文章です、、、、、あと宗教嫌いの人は読まないほうがよいです。)
表題URLの内田先生の記事「格差社会って何だろう」が、どこか心に突き刺さるのは半面の真理を述べているからだろう。
私は刻下の「格差社会」なるものの不幸のかなりは「金の全能性」に対する人々の過大な信憑がもたらしていると思う。
金は確かに全能ではないから、必ずしも人を幸福にするものではない。
聖書には以下の記述がある。
■ルカ 18:25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。
金があることはむしろ害悪であると。
内田先生はそこまで強いことは言っていないが、方向性は似ている。
■ルカ 18:22 これを聞いて、イエスは言われた。「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
■ルカ 18:23 しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変な金持ちだったからである。
このフレーズでは
が示唆されている。
人間には不可能なくらい困難な要求だが、そうしなければ神の国へ入れないと。
正直自分が持ち物をすべて売り払って施せといわれてもとてもじゃないがそれはできない。人生でそういう境地に達することはあるんだろうか。
しかしそういう不完全な自分でも、ここでは気になるのは、「社会がそういう施しを自動的にする仕組みをつくれ」と言っているのではなく、「(金持ちである/←これいらないな)あなたがそうしなさい」と個人に向かって言われている点だったりもする。
キリストの示唆は、今の格差社会では忘れられているポイントがいくつもこめられているように感じる。
※文中の(金持ちである/←これいらないな)内は公開後修正削除した部分です。