はてなキーワード: フィルターとは
生まれてこのかた一度も「モテ」というのを経験した事もなく、告られたことも告ったこともなく、顔と性格を客観的に吟味していった結果、そういういわゆる「女としての幸せ」は無理と高校生の頃思い定めて大学に行って技術職の資格を取った。
そこそこ忙しく働いて収入も人並みに得て、両親や弟との関係も良好、ワンコもかわいいし実家近くでの一人暮らしも満喫、女友達と遊びも楽しく、割と充実して生活していたつもりだったが、40歳を目の前にしてなぜか寂寥感を覚えた。その間、年齢=彼氏いない暦、典型的な喪女であった。
大台寸前にして一度そういう活動をやってみるぞと周囲に宣言した半年後ぐらいに「婚活」という言葉がブレイク。
自分のやっていることに名称がついた事で、人にぐっと言いやすくなったし、何より自分の立ち位置がはっきりわかった。
そもそも宣言はしてみたものの、本気でうまくいくとかほとんど思ってなかった。年齢ヤバいし。顔も…まあな。売りは収入だけ(しかも自分ががしがし働いて)だし。人生の一時期、そんな事にチャレンジしてみた時期もあったな、あの頃はまだ若かった…。みたいな、いわゆる思い出作りぐらいのつもりだったんだ。
結婚相談所とかは利用しなかったけど、知り合いの紹介とか見合いとかを経て、ネット婚活で最終的には今の人とめぐりあった。
その間約1年ちょい。長かったんだか短かったんだかよくわからん。もともと婚活は一年でやめようと思っていた。これが最後と思って会った人だ。
一目惚れとかしたことないし、初対面の人の印象が後で変わる事なんてしょっちゅうある事だから初対面で運命を感じるとかはなかった。そもそも一度や二度会ったぐらいで人の顔を覚えられる人間ではない。
ただ初対面の時「とてもいい人だ」と思った。ニコニコしながら一生懸命話しをし、不器用だけど場を盛り上げようと頑張ってくれているのがものすごく伝わってきた。そして私が帰るときは、捨てられた子犬のような目で見送ってくれた。あれは若干反則だと思った。
私はいい人が割を食うような映画や小説やドラマが大嫌いだ。真面目に仕事をし、普通に善良に生きている人が好きだ。だから、おつきあいである程度時間を重ねればいずれは好意を持てるだろうと思った。
しかし小学生時代にイジメにあった後遺症か、微妙に人間不信と軽い人見知りがある私が、まだ相手への好意がほとんど発生しない状況においてデートを重ねるとかいう状況は正直しんどかった。休日の昼から夕方まで相手と行動をともにするだけで、神経使いすぎて家に帰ってきてぐったり疲労困憊なんて状況が1-2ヶ月続いた。
頑張れたのは、相手が喜んでくれたから。私がまだ自分に対して警戒心を持ってるのをわかっていながら、積極的にデートに誘い、メールをくれ、お土産を持って現れ、とにかくありとあらゆる好意を積極的に示してくれた。私はそれに必死に応えようと頑張った…出来る範囲で。相手はそれをわかってくれた。あなたは頑張ってくれています。それが嬉しいですと言ってくれた。
いい人が割を食うのを見るのが本当に嫌いなんだ。いい人には幸せに笑っていてほしいんだ。
下手すりゃ自分の中に相手への好意が生まれるまで年単位で時間がかかるのではないかと恐れていたが、ちょっと先走り気味な相手にちょっと待ってくれ、もうちょっと時間をくれと何度も言い、相手はわかってます、まちます、ゆっくりでいいんです大丈夫ですと言いつつも会うたびに毎回プロポーズをされ、結局手も握らせないまま半年過ぎた頃、自分が相手に好意を持っている事に気づいた。予想より早くてほっとした。
そして今…。
結婚前にして脳みそがピンクに染まるとかいう、生まれて初めての驚異的な経験に我ながらびっくりしている。
世間の恋人同士っつーのはこういう心理状況に陥る訳か。ちょっとした(脳内)麻薬トリップ体験じゃないか。そりゃ恋愛物が廃れないわけだわ。
彼氏がかっこ良く見える。いや、カッコいい。初対面の時は「年下なのに老けてるなー」という印象しか残らなかったのに。すごいぞ恋愛脳内フィルター。
相手もそうなんだろうか。そうなんだろうな。私見て「かわいい」とか言うぐらいだから。この顔見てそんな事が言えるなんて、絶対なんか妙な脳内麻薬が出てるとしか思えない。
私は自意識過剰なので、どうしてもツンデレ風味になってしまうのだけど(長年作り上げた自虐キャラクターがね…)最近じゃお酒の勢いを借りて相手に甘えるという技を覚えた。
…お酒強いから少々の量じゃ駄目なんだけどね。
私「わーい、くすぐっちゃうぞー」彼「やめてー、お願い助けてー」とか、誰がどう見ても私が長年敬遠していたバカップルそのものです。本当に(ry
今年の11月に式を挙げる。この人と結婚すると決めてからは恐ろしいぐらいトントン拍子に話が進んだ。去年の今頃、自分が結婚するとか妄想としか思えなかった。去年の今頃の私に「来年あなたは結婚するんだよ」と言っても絶対に信じなかっただろう。
すげえ。人生すげえ。こういう事もあるんだな…本当に。
主義主張を文章にまとめている途中で、その文面に表れている内容と私とが乖離していくような感覚を、最近何度も経験している。
何これ。よく分からん。
要は、書きたかった主義主張が適切な形になるまでまとまっていなかったわけなんだろうけれど、それにしても困ったもんだと思う。なんたって時間の無駄遣いになっているから。『おおっ、このもやもやした考えを発言しよう』と意気込んで三十分。『なんか違う』と全てを削除してしまう。馬鹿なの? 死ぬの? 先走るから悪いのだけれど、何度経験しつつも学習しない自分に腹が立ってきた。しかもこれって論理的じゃないってことなんじゃないのかな。理論的じゃないってことなのかな。【論理的】と【理論的】はどこがどう違うのかな。
話が逸れた。集中力がないのだろうか。今までにも度々あったような気がするし、今もそうだ。考えていることが次から次へと飛躍していってしまう。だから書きたいと思っていたひとつのことが書き切れない。中途半端。尻切れ蜻蛉にもならずに全削除されてしまう。しかしながら、この飛躍する考え方は変な風に帰着することもある。例えば【論理的】だか【理論的】だか分からない考え方が A→A´→a→a´→A というように、大筋が見て取れる関連性のあるものだとするのならば、私の考え方は A→Y→n→p→A のように脈絡がないのだ。これって、かなり大問題のような気がする。少なくとも、会話をするとき、相手に不必要なストレスを与えるのではないのだろうか。
困ったな。もちろん誰それ構わずにこの方法を取るわけではないのだけれど、フランクに話している内によくこうなってしまう。会話と主義主張とはまた領域が違うから一緒くたにできないか。でも、それでも面倒だよなあ。それとも、諦めずに書いてみればいいのだろうか。
で、こんなことを書いて、私は何がしたいんだろうか。分からん。無意味に思えてきたぞ。うん、そうだった。この無意味に思えてくるというのも大敵だった。私が全削除を実行する二大要因のひとつだ。いやいや、そのほうがいいのかもしれん。なんか文末まで変わってきたぞ。そんなに変わってはいないか。なんだろう、こういう文章って、人の内面を表すのだなあって今更ながらに思った。だから多分、私にはこういう文章は合わないんだろう。苦手なんだ。どうしても駄目なんだな。段々私じゃなくて、他の誰かが書いているような気になってくる。ネット上の架空人格とでも言えばいいのか。おそらく違うけれど、その人格と私が乖離していく。そうじゃないと書けない。でもそうすると私の意見じゃなくなってしまう。表層に上ってきた架空の人格が騙ってしまう。短い文ならこういうこともないのだけれどなあ。
そしていきなり人格がどうのこうのって言うもの見当違いな気がしてきた。早いな。こういうことは書く必要がないんじゃないだろうか。無駄だろうに。消せよ。削除だよ。また全削除だよバーカ。反応が欲しいわけじゃないんだよなあ。表現したいんだ。けれど、それはものすごく恥ずかしいんだ。そしてそうすることの意味を考えてしまうと虚しくなるんだ。
何この文。きもちわるい。オナニーはティッシュに包んで捨てろよ。本当に死ねばいいのに。何が言いたいのかさっぱど分からん。馬鹿じゃないの? もうやだ。
というか、増田でも何でも推敲ってするもんなの?2ちゃんでも必要なんだろうか。私はしてしまうのだけど。読まれるものだからね。だから、素早く長文が書ける人が羨ましくもある。それでも、やっぱり、表に出すにあたって、何かしらのフィルターを通して出しか意見って出せないのかな。偏った思考を垣間見せる書き方とか、一定のキャラクターとか。そうじゃないと書けないような気がする。会話にしても、場の空気っていうフィルターが存在するんじゃないかな。ディスカッションも立場ってのがあって、だからしっかりと立脚するんだろうな。
で、私にはそれがないと。うーん、そのとおりだ。どこにも属せていない。属したくない。いろんな主義主張、立場を理解したい気がするから。そうじゃないと、問題は総見できないんじゃないの? するとだけれども、私が意見を発するためには私というバックグラウンドを確立しなければならないわけだ。面倒くさいなあ……。だって、一人でグループと対峙するわけでしょう? 馬鹿馬鹿しいね。そして、そんな奴の意見なんて聴かれないだろうし、効力がないよ。
冒頭に帰依するかと思って続けたけど、どんどんどツボに嵌っていったよ。どっぴんしゃんだよ。抜けたらどんどこしょ。俵の鼠はどうしてチューなんて鳴いたんだろう。誰がお茶碗割ったんだ。
もう止めよう。意味が分からん。
http://www.fujisue.net/archives/2009/09/post_3280.html
オープン化というけど、完全オープン、つまり、電凸みたいな感覚で、明日、ニートな有象無象や、それこそ過激な政治結社の誰やらが、
いきなり思い立って行ける、というふうにするわけにはいかないのだから、結局、基準はいる。
だから、問題は、基準をどうするか、という議論であるべきで、その基準が、記者クラブ所属でなくすにしても、
じゃあ、どういうフィルターをかけるか、ということが問題なのだから、そこを客観的な基準で明確化して欲しい。
あとは大臣かわるごとに方針変わるんじゃ困るので、規則なりガイドラインなりで統一して欲しい。
実質、単に記者クラブが拡大するみたいな形にならないためには、客観基準を決めて、その基準を満たせば誰でも、というのが望ましい。
主要メディアに定期的に寄稿しているフリージャーナリスト、というのも、できれば数値基準があったほうがいいんじゃないか。
まあ、完全オープン枠をある程度作って、その枠は傍聴と同じでフィルターなし(純粋に警備上のフィルターは多分いるが)で、人数が多ければ抽選、でもいいけど。
多くの学生が大学4年の4~6月に就活を終える。そして数ヶ月後の10月、それも10月1日に大体どこの会社でも内定式なるイベントを行う。
もう決まったように一斉に10月1日で、おそらく土日にあたるとずれるのだろうけど、平日ならほぼ10月1日にやる。もはやバカの一つ覚え状態。
思う事は企業の大学軽視が甚だしいなと。30秒でも考えれば10月1日はどの大学だって夏休み終わってる事に気づくはずだ。
それなのにガン無視でやるというのは、大学の勉強は役に立たないと決め込んでて、内定者がその日に授業があるとかそんなのどうでもいいってことだ。
この傾向は就職活動全般に及んでいて、4月から始まる日系企業の面接等は「大学の授業を休むこと前提」でスケジュールを組んでいる。
こんな感じで大学の勉強は役に立たないと決め込んでる癖に、学歴フィルターがあったりするダブルスタンダードもなかなかやるよね。
なんか社会というところの汚さを教えてくれてる。
この大学の授業軽視、何とかならんのかね。自分は文系だからいいけど、理系の院生とか可哀相だったよ。
時間つくれねーのにインターンに来ざるを得なかったりさ。あと何度も東京に来なきゃいけない地方の子とかも可哀相だったわ。
メリケンじゃ一日5回くらい面接して最後に夕飯食って内定貰ったりするんだろ?日本でもこういう形にできんのかね?
これだと学生側にとってすげー楽なんだわ。たぶん企業側にとっても楽なんじゃないの?
今の就活の制度、つまり夏、冬、初春とだらだら説明会だのイベントこなしたりして、4月も2週間以上かけて面接するってどうなのよ。
江副の作った会社に踊らされてるようにしか見えないよ。
さる会社の人事が「結局第一印象が覆ることはない」とか言ってたけど、これってだらだら長く学生見たって意味ないって言ってるようなもんじゃん。
ババッと終わらせちゃってよ。
Twitterは、UNIXシステムにおけるwallコマンドを無制限解放しているような物で、全ての発言を垂れ流し、受け取る側がその発言を表示するかどうかを判断するフィルターをかますサービスと私は解析している。
大量の発言をブロードキャスティングする都合から、発言の文字数に制限を加え、たとえばURLのような比較的多く使われる文字列を短縮表記できるbit.lyのようなサービスを使っている。
サクラを使って企業サイトの宣伝を流すと、最初は、企業サイトを見に来てくれるかもしれない。しかし、それがサクラであることがバレた時点で、その発言者はフィルターリストに入れられ、発言を見てくれる人を失うことになる。アカウントをでっち上げて別人として始めたとしても、リンク先の短縮表記が同じならば、そのリンクが発言の中にあったからという理由でサクラであるという判断が下されて、非表示となる。つまり、newcomerだけしかサイトに引き込めないという点、さらに、サクラを使って宣伝している会社というネガティブイメージを持たれてしまうというデメリットが発生する。
これは、企業の宣伝目的のBlogをでっち上げて、有名サイトにトラックバックを入れまくって、それらのサイトの閲覧者を引っ張り込もうとするのと同じようなモノで、最初の一回は効果があるが、効果よりも悪名の方がとどろく事になる。
つまり、利用者を装って宣伝をしようという考え方は、間違いなのである。
多くのサイトからリンクを張られると検索順位が上がるという構造に対し、リンクを捏造して検索順位を上げるSEOが発生したが、Twitte以降は、サーチエンジン経由の来訪者よりも、bit.lyの短縮表記URL経由の来訪者の方が多くなってきている。既に、サーチエンジンの来訪者誘導力は、Twitterに負けているのである。
ブログや掲示板で話題にするよりも、Twitterで話題にされ、それを見た人がリンクを辿ってくるという構造があるならば、Twitter自体に広告を押し込むか、リンクの先のサイトに広告を入れる事を考えた方が効率的といえるし、twitter.会社名.comという中継サーバーを提供して、そのサーバーを利用するユーザーのログイン時とログアウト時に表示するメッセージを自由にする権利を入手するという手もある。中継サーバー同士の通信は言語や地域によって分割可能であり、総流量を押さえられる。Twitter社にしても、リンク先の情報源にしても、霞を食べて生きているわけではないのだから、ねじ込む隙はあるであろう。
なお、私はTwitterを使っていないので、この予測は間違っている可能性がある。さらに、Twitterを使わない理由であるが、IRCが複数サーバーを使い、さらに、世界を言語や国境に従って分割して運用しているという現実を見ているからである。Twitter社の挑戦は面白いが、IRCとして長年運営されてきた安定性や抗堪性に追いつくまでの投資は難しいし、非合理的であると判断しているが、Twitterがサーチエンジンの鼻をへし折ってくれるならば、それはそれで良い事なので放置するというスタンスである。
Blogによるリンクやトラックバックの増加は、サーチエンジンを慌てさせたが、サーチエンジンそのものの利用に依存するという点で、構造の変換にはならなかった。しかし、Twitterは、リンク先サイトの推薦者と直接話が出来るという、リンク先の価値を生身の人間が保障する構造になっており、リンク数による重み付けやサーチエンジン側の基準でのレーティングといった不透明な評価とは別の評価基準を持ち込んだ事になる。このサーチエンジンに依存しないインターネットカルチャーがどこに行き着くかは、もうしばらく様子を見なければわからないのだが、興味深い変化である。
まだ買ってから2週間くらいしかたっていませんが、アスファルトの地面に落として目立つ傷をつけてしまいました。
携帯電話にカバーを付けている人は、今まで見たことがありません。
そして、iPhoneにカバーを付けていない人は、私以外見たことがありません。
iPhone程では無いですが、カバーを付けることが当たり前のようになっていると思います。
iPod以外のポータブルオーディオ機器にカバーを付けている人は、今まで見たことがありません。
私には、それが不思議でなりません。
iPhoneはあなたが思っているよりずっと丈夫です。
私は、iPod touchを二年近くカバーをつけずにケースにも入れず、毎朝使用していますが、目立った傷は付いていません。
iPhoneとiPod touchでは違うのかもしれませんが、現にiPhoneを落としても、問題なく使用できています。
耐久性があるのに、カバーをつけることで冷却性能が低下し、画面に保護フィルターを張ることで操作性をほんのちょっと犠牲にする。
いつまでも綺麗なiPhoneを使いたい気持ちは分かりますが、カバーを付けてフィルターを張ったことによる微妙な変化は、あなたが思っているよりも大きいです。
冷却性能の低下により、電池寿命がほんのちょっと短くなり、操作性の低下により、ほんのちょっとだけストレスが溜まります。
この、「ほんのちょっと」は体感してみなければ分かりません。
あなたのiPhoneからカバーを外し、フィルターを外し、新しいiPhoneを味わってみませんか?
そこには、知らなかった世界が広がっていますよ。
正直、iPhoneに傷が付いたことはとてもとてもとてもとてもショックです。
でも、カバーを付けなかった事に対して悔いはありません。
二兆ドル超の外貨準備の威力。中国は250億ドルをAPECへばらまき
いまは世界十傑から転落して十三位の地位に甘んじる。中国の港が年率40%増となって、高雄も確かに年率4%で増加してきたが、かの大陸の勢いには適わなかった。
台湾は2001年にWTOに加盟したが、国家としてではなく、「関税地域」としての加盟であり、これは五輪方式に似る。国連保険機構(WHO)加盟も、『地域』としての加盟扱いであり、しかも毎年毎年申請する必要がある。
これほど差別される台湾が、しかし経済的に生き延びる道は中国と貿易、通商の拡大しかない。
台湾を代表するパソコンメーカーのエーサー(ACER)は、世界が非難したフィルター付きパソコンを大陸仕様分として量産している。
中国は「中国ASEAN経済インフラ協力資金」として100億ドルを拠出し、くわえて別途150億ドルをASEAN諸国へ信用枠として貸し出す。対象から台湾は外されている
議題は米国債の安全性?
対中外交腰砕けのアメリカは人民元の切り上げを要求する意欲さえなく、議題から人民元をはずすという。
▲しかし、この回復は本物なのか?
新車販売が世界一、各地は建設ブームに沸きあがる中国だが、これはV字型回復ではなく、W字型回復の左側。もう一回失墜があるだろう。
カンフル注射としての57兆円注入と銀行貸し出しの100兆円が、表面上の活気を産んでいるけれども、上海など火の消えた静けさ。
中国は巨大なディレンマを抱える
第一は保有外貨の70%以上が米ドル建て金融商品である以上、ドルの暴落防止には、アメリカと同様に気配りする必要がある。
これまで外交の武器と考えられてきた外貨が、守りの姿勢を堅持する方針に転換している。
第二に外貨を有効に投資するために海外企業、海外鉱区、資源輸入先払いのほかにアフリカ、ASEANにソフトローンを組んで貸し付ける。皮肉にも、これらはドル建てである。
そして人民元の高騰を抑えるために為替に介入せざるを得ず、これは日本がそうであったように(03年から四年間、日本は為替介入に43兆円を投じた)、巨大なバランスシートの決壊を招きやすい。
第三は流入し続けるホットマネーを放置すれば猛烈なインフレを将来するため、不動産投機、株式投機(年初来68%高騰)への冷却政策を元に戻さなければならない。独自の通貨政策をとる余裕が薄れており、要するにドル相場への介入に限界がみえてきた。
すなわち人民元を劇的に切り上げる必要性がある。
米中対話は深刻な問題を先送りして当面はドルの安定、米国債権の安定を求めざるを得ず、長期的に中国の国益になるかどうか、やっぱり日本と同様に『ドルの罠』に落ちたのか?
やっぱり面白いなぁ。
で、誰かがアイコラ作るよな?
そしたら、キミの中で、それは「妄想」ではなく「現実」になるんだな。
アイドルがコスプレでメイド服着たら、キミの中で、それは「妄想を形にした商品」ではなく「現実そのもの」になるんだ。
メイドの服を着たアイドル【妄想の商品化】ではなく、xxちゃんはボクのメイド!になるわけだ。【現実】
(勿論ここで言っているのは肖像権だの、風評被害だのって話ではない)
そういう人間が「いない」とは言わない。
だが、そういうのがまさしく「おかしい」という自覚は持ったほうがいい。
ましてや相手は二次元だぜ…
それにしても本気で「おかしい」自覚はないんだろうなぁ。
キミみたいな高レベルな妄想人間は、うらやましい人間が沢山いるだろうな。
けれど、重ねて言うが、キミみたいな重症者は、そういないんだ。
趣味や嗜好は数あれど、何を好むか、という事と、現実と妄想の区別が付かない、という事はまったく別。
君は、「二次幼女を嗜好する人間」の何倍も、「妄想を現実にしようとする犯罪者」に近い人、なんだ。
キミがどれだけの人生を歩んできたかは知らないが、自分というフィルターで世界を見たら、妄想と現実はそこまで曖昧なんだな。
規制に同意する気持ちもよく分かる。
熟読してないが一言だけ。
国一は優秀な社会科学系の学部生なら、在学中の片手間でも結構受かります。
ただ、そのあとが大変です。
省庁をまわって、採用されないといけません。
ぶっちゃけた話、「東大法以外」は全員その時点でディサドバンテージがあります。
ついでに言うと、新卒じゃないと大体は落ちます。
そこも地方公務員や国Ⅱとは違うところです。
すいません、要するに何が言いたいかっていうと、
多分その人じゃ100%無理です。
家族や本人も多分そのことを分かってないです。
一応、そこらへんに教えておいた方がいいと思うよ。友人だったら。
あと、入ったら入ったで学閥もあるので、
例外もいますけど、まぁ「民間の汚れ」程度でぐだぐだ言ってるような人じゃ、
這い上がるのは無理な世界です。いろいろドロドロです。
正直さ、友人ちょっと(ていうか、かなり)病んでるんじゃないかな。
その歳で現実が見えてないってのは、ちょっとマズいかも。
新法が実地に移される数時間前になって、中国政府は「グリーン・ダム」プロジェクトの延期を発表した。
つまりパソコンに7月1日から義務就ける予定だった「検閲ソフト」搭載が延期された。中国のユーザーやブログでは批判、非難が相次いでいた。
米国の保守メディアの雄「ワシントンタイムズ」は「稀な政策転換」として次のように論評した(7月1日付け、同紙)。
「中国は国内外の圧力に抗しきれず、PCへの検閲フィルターのインストール実施を延期した。米国が『貿易障害』にあたるとしてWTO提訴を示唆した所為もあるが、PCメーカーが7月1日実施には間に合わないこと、もっと深刻なのはそれまでにチャンとしたソフトが完成しない。中途半端なフィルター・ソフトしか搭載できないことも分かっていたからである」。
これは「中国シビル社会の勝利だ」と時期尚早に分析する中国人ブロガーもいるが、はたして、中国が情報の検閲を諦める訳がない。
ダサイ服着て、ヘニャヘニャとキレのかけらすらないダンスを踊る。
かわいいアタシを見てほしい?
なら何でマスクとかで顔を隠す?
「そんなんじゃなくてダンスを見てほしいだけなの!」
結局は男ウケ狙ってるとしか思えない。素直になれよ~。
いっそのこと「踊ってみた」って言い方もやめて、「チヤホヤしてください」って言ったらいい。
アタシはただ踊ることが楽しくて大好きなだけなのに、それを見た人たちがアタシをかわいいかわいいって言うんだもん♪
っていうスタンスっぽいのが気に食わない。
ついてるファンっつーかむしろ信者の男たちも気持ち悪い。
言論の自由のない国に、唯一拡がっていた情報の自由なやりとり。
中国のパソコン普及めざましく、インターネット利用者は世界一の2億9800万台。
四大メーカーはデル、HP(ヒューレット・パッカード)、エーサー(ACER。台湾系),そしてレノボ(中国系)
当局はパソコン通信が「ポルノ、法輪功など反体制や売春などよからぬサイトにも接続可能なので、自動フィルターのインストールを義務つけ、検閲を強化する」とした。
それも急激な措置で7月1日から実施される。欧米は反発をつよめ、北京に抗議してきたがなしのつぶて。
そうであるならば、同じ考えの男子がいてもそのポジションに入れずに、成果主義から逃れマッタリとしたサラリーマン生活を送るすべを持たないというのは逆差別なんじゃないかなと思う今日この頃。
そうなる理由は何となくわかる。
他の女の子がお気楽な雑用係にある事で、最前線に立ちたい女性社員が仕事面で信用を得辛くなったり「お前も出来て当然」と余分な雑用を押し付けられたりする事があるように
同じ考えの男子を雑用係に置く事で、恐らく最前線に立ちたいであろう増田を含めた男性社員がそれと同じような不利を被る可能性があるからなんじゃないかな?
良くも悪くも性役割が固定していたから仕事が有利に働いていて男一枚岩で動けていたのに、その境界が無くなってしまいました。
女子社員と同じように男性も「雑用係予備軍」のレッテルを貼られながら、自分を何とか雑用係と差別化しながら仕事をする必要が発生します。
そうなると同性社員同士でのギスギスも確実に多くなるでしょう。職場にホモソーシャルな居心地の良さを見出していた人はそれを失う羽目になります。
マッチョフィルターにも頼れないので男も女も勝間和代みたくならなければ出世できません。
「うわぁ…そんなの嫌だよね」と増田自身もなるのでは?
のっちショックからは回復したけど
いまだに、「有名人をフィルター越しに見る」癖が抜けない。抜けないというか……それ以外実際どうすればいいのか、分からん。
のっちに対しても、「トークになるとちょっと冴えなくなるけどカッコよくてあ~ちゃん好きなのっち」なんていう一部のファンの幻想みたいなものを、まあ、自分も持っていて、で、うすうす「でも違うんだろうなぁ、実際のとこはさ」なんて思っていて実際違ったわけだけど……
勿論そういう「勝手なイメージ」からはずれたからといって当人に怒るのは筋違いも筋違いだとは思う。
でもそれでショックを受けるのも許されないのだろか。というか許さない!といわれても、受けるときは受けてしまうので、どうしようもないのではあるが。
そもそもそういう「勝手なイメージ」を持つなって話なのだろうが、
でもそれも突き詰めていくと可能なのか。と思うのである。
イメージをもたずに、有名人を「見る」というのは、一体どういうことなのか。というかまぁ弁解がましいけど、正直芸能人の場合は、相手がわざわざそういうイメージを作って売ってるところも、あるわけで……本人というより、その周辺の人たち、ってパターンが多いんだろうけど。
それでも「確かにキャラ設定はありました。でもあんたら一部のファンが勝手に思ってるような設定は少なくとも出していませんよ」ってこともあるし、キャラと生身のあいだがそもそも、はっきり分離不可能なこともあるだろうし(いや、というより、多分、全ての場合において完全には分離不可能なんだと思うけど。濃さの違いがあるだけで)そのへんの細かい事も色々あるだろうけどそこはとりあえずおいておいて
芸能人はまだ自分からそう売り出しているからまだしも、スポーツ選手などの、素人と芸能人の間にいるようなタイプの有名人てのは、別に「そういうふうに」売り出しているわけじゃないのに、勝手にマスコミによって「美人〇〇」「イケメン〇〇」なんて呼ばれて文脈作られちゃったりするわけで。ハニカミ王子なんかも、完全に「好青年」的イメージがついちゃっている。たとえば普通の少年の喫煙には「フーン」でもハニカミ王子が喫煙、とか言われたら多くの人が「え、あの子が?!」みたいな感じで驚くんではなかろうか。そしてそれは、マスコミ(でもなんでもいいけどとりあえず)によって「好青年」イメージが、好青年キャラが、彼を見るときの前提としてはいってしまっているからじゃなかろうか。そしてそれはあんまり好ましくない事態に思える。まさに「勝手にキャラ化して驚いてる」んだから。よくないなと思うが自分でもそういう反応をしそうだと言う自覚がある……。
しかしだったらばどうすればいいのか。
別に喫煙がなくとも、新聞でハニカミ王子の特集がやってて、好きになったので、応援しはじめた、色々調べた……そしたら、なんかインタビューとかみたら、どうも最初のイメージと違う。ガーン。てな、こともありうるわけで。
怒りを対象に向けるのはアウトだが、そこでショックすらも「勝手にキャラを想定して、勝手に外れたなんておもっている。生身の人間を無視している」ということで、アウトだとすると、一体どう好きになればいいのか、分からない。
というのは、言葉で、表し辛いのだけど、例えば新聞なりテレビなりでその対象を知り、対象を好きになる時点で……キャラ化はしてしまっているのではないかと思うのだ。「彼・彼女のこんなところが好き」と思っている、漠然とでも、「彼彼女の空気が好き」であってもなんであれ好きの対象が決まったそのとき、既にキャラ化は多かれ少なかれ完了してしまっているのでは?今現在気になる、芸能人以外の、スポーツ選手なり、音楽家なりの芸能人と素人の中間の有名人が多々いるのだが、「好きになった。彼・彼女らの情報を追いかけよう」という気になれないのは、「多分、今自分は彼・彼女らを、勝手にキャラ化して好きになっている部分が大きいのだろう。ということは情報を追いかけていけばいずれ、「なんか違った」という壁にぶつかるだろな」→だからやめとこ……というチキンさゆえである。
そもそもキャラ化せずに好きになれというと、どういうことか、彼彼女のありのままをうけとめることか。でも「ありのまま」ってのはなんなのか、そもそも、どうすれば受け止められる。そもそもどうすれば彼彼女の他の事を知れるのか。perfumeでいえば、のっちをキャラ化して見たのがよくないといわれても、のっちの他の部分などどう知ればいいのか。のっちの本質的な部分などどう知ればいいのか。のっちのありのままなどそもそも誰が知っているのか。のっち自身も知らない可能性もある。
芸能人は意識的にキャラを売っている部分があり、そこまでいかずとも有名な人、という人の場合は周辺の人がキャラ化して売り出している部分がある。しからばいわゆるフツーの人はどうかといえば、結局、この場合もかわりないのではないか。
フツーの人だって常に「ありのまま」を出しているわけじゃないし、ある程度相手によって自分を作っているし、それを見るほうも、大体「あいつはこうで、こういうやつ」と、キャラ化とはいわずともおおざっぱにそのようなことはしているのではないか。話がちょっとズレそうだけど、普段大人しく真面目だという生徒が何か犯罪を行い、それで近くの住民が「そんな子じゃなかったので意外」みたいなことをいったりするが、これも結局はキャラ化してるってことじゃないんだろうか。
インドア派で、外に出るのは嫌だと言ってる友達が、実はサーフィン大好きなんていわれたら「お前が?」と思うわけで……
そういうとき「ソレもありうると思ってたよ。お前は生身の人間だからね」となにがきても動じないのが正しい態度なのか。
あるいは、驚くまでは許すとしても、「驚いたけど、でも分かった。それもお前だよね」と順次認めていくのが正しい態度なのか。
それでも、いったいそれはどこまで続ければいいのか。「まさかあいつが」な事を、相手がどれだけやっても、相手を一度好きだといったならば、認めていかなくてはならないのか。というよりその覚悟がないなら、相手を好きだなんていってはいけない、ファンになっても、友達になってもいけないのだ、ということなのか。ソレは結局極限までいけば、「あいつの肉体」がしていれば、何をしようと自分は認める。ということにならないだろうか……「生身の人間だもん、いろいろあるよ」を認めていくと、結局肉体という殻の中身がどんな色になろうと、認めざるを得なくなる、それは結局、皮肉にも相手の人格を認めてないのではないか…?
またまた大袈裟な。どこかで適当に線引きをすればいいんだ。……というかもしれない。でも「適当に」ってどこにさ?その人にとっては適当な線引きでも結局ソレが他者にとって適当でないと感じれば「勝手にキャラ化し、理想を見、相手が生身の人間だということを忘れた愚行」ってことにならないか。でも「相手がどんなんでも、認めるよ」というのは極限までいけば、「お前がお前の肉体であれば認める」ということになる。実際、家族レベル(特に母と子)だと、そこまでいくような場合もあるだろうけど(なにせ、もともと肉体、血でつながれているから)、逆に言えば、家族以外にそんなマネをいちいちできやしない。
そもそもそれに加えて肉体まで微妙に変化してしまった場合、どうする。体の一部分がなくなってしまったら?そして尚且つ精神も違ってしまったら?そもそも常に爪だ髪だなんだとなくなったりはえたりしている、それどころか体の細胞は日々更新されているわけで、どれを「相手だ」と認識するのか?一部分なくなっただけならいいよ、なんていってもじゃあどこで線引きする?
我々は相手を、多かれ少なかれキャラ化しないと、相手そのものすら認識できないのでは?
こういうことを考えてしまって、三次元の人間とはついつい関わる距離を置いてしまう。「勝手に、理想化してしまうかもしれない。そして、『なんだ、思ってるのと違った』と、思うかもしれない」という自分への疑念が頭から消えないからだ。といって、理想化からは根本的には、とうてい逃れられないのでは、とも感じていて、結局どうすればいいのかわからず、もとからキャラだけで出来た二次元へ飛んでしまう。どう三次元の人間とつきあっていけばいいのか、わからない。
カリフォルニア企業とミシガン大学が「ソフトを盗まれた可能性」に言及
中国はインターネットの情報を統括するために、逐一の検閲を、それぞれの機械にフィルターのインストールを義務つけた。全てのネット上の情報と会話を監視するシステムである。
ところが、このフィルターのソフトはカリフォルニア企業の「ソリッド・オーク社」(Solid oak)が発明したソフトウエアの盗難、もしくは模倣ソフトらしい。
またミシガン大学の研究グループが開発した「サイバー・シッター」(Cyber sitter)と呼ばれるソフトウエアが盗まれた可能性があると『ウォールストリート・ジャーナル』(6月14日)が報じた。
perfumeツアーが無事当選し、のっち!かしゆか!あ~ちゃん!と口ずさみながらロッピーで入金をしてきた直後の出来事だった……
よりによって金を払った直後にこれて、2chで踊り乱れる「アミューズと講談社が口裏合わせてこの日までスクープを遅らせたんだ!入金が全て済んだ後に発表されるようにしたんだッ!!」というデマに「ハハ、まさかwwwww」と笑いながらも「ないよな…」とふっと素の顔に戻りつつ、「ていうか、だとしてだから何よ?のっちにカレシがいました、はいはい、で、なんですか?全然取り乱してないけど?ていうか当然でしょwww」と思うように頑張りつつ、それでも自分の気持ちを誤魔化せずやけ酒ならぬやけ緑茶をしまくった結果、カフェインのおかげで眠れなくなった。
ていうかのっちに限らずかしゆかにもあ~ちゃんにもみんなみんなお相手なんているだろうことは我々ファンとしても薄々勘付いていたことであり、プラス、「もしそういうことがあったとしても、perfumeは普通のアイドルとは違うんだ!もはやアーティストと呼んでもいい、脱アイドルした新しいアイドルであり云々……だからそのうちね、ウン、フライデーとか?されるだろうね、だいたいわかってるよ?でもされても全然我々はうろたえないからね、ウン。だってperfumeはそんじょそこらのアイドルとは違うんだYO!そそんなことで崩れないんだYO!」とか、なんかカッコつけてたところがあった……勝手に我々にしてしまったけど、まあ、私だけだったかもしれない、なんにせよ、私はそう思ってたのだった……perfumeはカレシがいた、ショックー!とかそんなところを超越したところにいるからwwwwとか、まだ起きていない事柄に対して余裕ぶっていたのであった……
しかし実際ことが起きてみれば、「え?」という、「え?」としかいい様がなかった、まずスレで一報を聞く、「のっちフライデーされた」、そこまではまだ「へーはいはい、いつものデマっしょwww釣りっしょwww」と余裕で鼻くそをほじっていた、しかしフライデーの写真までうpされるようになり、事態は一変、そのうち目ざとい誰かが見つけてきた「二人のペアリング画像」まで貼られだし、事態は深刻化……フライデーをフラゲした人による書き込みもぼちぼち増え、「ハイハイいつもの釣りwwwあ~ちゃんにもそんなこと言われてましたよねwww慣れてるおww」とかPCの前で踏ん反りかえっていた姿勢は「お……おいおい……嘘だろ?」とまたたくまに猫背になっていき、「いや、まだ確定じゃないっしょwww」と強がりのレスをこれまでにないスピードでタイピングする始末、そして最終的にヤフーのトップにのっちの記事が載った。ペアリング画像もどうやらガチのようだと判定され始めた。一夜にして突然訪れさっていった嵐に私はポカンと立ち尽くすほかなかった、あんなに余裕ぶってたのに「え?アレ?アレ?」と呟くしかできなかった……のっち……のっちが……
ショックなのか?といわれればよく分からないのである、とりあえずこれでファンやめる!かんなぎよろしくCD割る!などということはありえないにしても、これでのっちヒドイ!となることはありえないとしても、しかし平然ではないことは確かなのである、これは一体どういうことなのだろうか……
「薄々分かってた」までは認められてもそれを突きつけられると「あああううううう」となってしまうということなのか
というかその事自体を、自分でも薄々気付いていたからこそ、「薄々分かってるよ」とか言っていたのではないかと今になっては思う。
変な話これが「のっち」であり相手が「三十路バンドマン」というのが、また「あ……アレ?」の一因となっているのも否めない。多分前者が「かしゆか」だったら寧ろ萌えてすらいた気がするのである。これはかしゆかなら別にどうでもいいとかではなくキャラ的な問題でということを強く断っておく……別に私はのっちが特別三人の中で好きというわけではないのだ。
相手がジャニで、あ~ちゃんだったら、それはそれでクリアできていた気がする(実際そういう噂が、たまに流れては消えるよなぁ…)
問題は「のっち」であり、相手がいかにもなバンドマンということである。
のっちはもともとバンギャ気質があるなどと言っているのでバンドマンが好きなのは納得なのだが、なんというか、そういう「好きなタイプ」と、実際付き合うタイプは得てして別であることが多いと個人的には思っており、だからのっちも実際には付き合わないだろう、憧れてるだけなんだろう、となぜか勝手に思っていたのである。
それとやはり三人の中で一番のっちはそれっ気が、男ッ気がない感じで、寧ろあ~ちゃんの方が興味あるんじゃねー?とかちょっとからかっちゃったりしちゃったりちゃったりな所にいたわけで、そして「歌ってるときはあんなにカッコイイのにバラエティとかになると何故か微妙にさえなくなるのっち」にキュンとしていたわけで、そしてそれでも薄々「でも客観的に、のっちが一番美人だよな」「でもありゃテレビ上でのキャラなだけで、リアルに考えてのっちが一番モテるしリア充なんじゃね?」とか思ってはいた……
多分その辺のバランスがとれなくなったのだ。
有名人を好きになるときいっつもこの辺のバランスがとれなくて苦労する。
もともと好きになるといえば二次元ばかりが対象だったせいか「こういうキャラクターだから」と認識してそこを愛す、みたいな所があった、しかし、三次元の人間はそうカンタンにはいかないのだ、キャラをカンタンに認定できない、したとしても変わるし、キャラ先にありきじゃなく存在が先にありきなのだ、人間は実存が本質に先立つのであり、本質が先立ってる二次元のキャラとは違うのだ……
なんでもない普通の一般人ならばまだしも、有名人というのはその辺が曖昧になってるところがある。芸能人は本来は実存が先立っている存在なはずなのに、テレビ上では本質を先立たせている。こういうキャラですよといって売っている。それでも二次元のキャラほどそこを徹底できないから、そこをどんどん深追いしていくといつかは微妙なラインまで突入する。それをどこまで深追いすればいいのか。スポーツ選手でも、物語とキャラ設定がメディアによって作られてしまうけど、キャラなんか本当はないわけで、それでもメディアが見せてくれた物語とキャラ設定、そして何よりそれを裏付ける本人があまりに魅力的に調和してしまうとハマってしまう、深追いしてしまうのである、でも深追いし続ければ、おそらく、いつか「なんだ」「思ってたのと違う」となることうけあいなのだ、きっと。それが分かっているから深追いしたくないし、でもやっぱり好きだから深追いしたい、という、その間でいつも苦しむ。(何があろうが本人ならばそれでよいという境地には至れる自信がない。所詮キャラどまりの好きしかできないのだ)
浅田真央でその件について大変苦しみ「やっぱ演技だけにしよう。演技だけを見つめよう。浅田真央17歳とか買ったり、イベントに参加とかはやめとこう」ということで決着がついたのであるが、perfumeもそうすればよかった……と今後悔気味だ。
すなわちダンスだけ見ていればよかった、完全にパフォーマンスを行うお人形さんということで見つめていればよかった……と、いやもともとそうだったんだけど何をどうまちがったか……
やっぱそういうところのバランス取りが下手な私みたいな人間は、深入りしちゃだめなんだな……純粋にパフォーマンスのみ追っていこう……
のっちは何も悪くないんだ当然だ……自分が悪いんだ、三次元の人間にもすぐ幻想・妄想フィルターで見る、二次元キャラのような目でみてしまう、それがいけないんだ。ていうか三次元を好きになるのはまだ早いのかもしれないな。ツアー楽しみにしてます……
(追記)ブコメいっぱいついてて驚いたんだけど、私を男だと勘違いしている人がちらほらいる気がする。私はヘテロ且つ女なので、のっちを性的な意味では何も思っていません。まあだからこそ自分でも「なんで混乱?」な感じなんだけども。
いやね、このところのネットでは「マスク?プギャー!!」「マスクなんてしても意味ないのに!」「海外では誰も(ry」「これだから日本人は(ry」って感じですけれど、マスクの目的と限界をちゃんと把握して適切に使えば、それなりに意味があると思うんですよ。
ということで、思うところを書き散らしてみようかと。
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マスクの一番の役割は「他人に感染さないため(口から出る唾液飛沫を止める)」が大前提ですが、ちょっとそれは置いておいて、予防効果についてを考えてみたり。なんせまだ食らってないので。
インフルエンザウイルス(以下ウイルス)の感染経路としては、主に
がありそうで、要は空気に触れるどこぞの粘膜に一定数以上付着したら負けかなと思っています。
◆
Aで吸い込みそうなウイルスですが、
水気が飛んでウイルスだけになると0.1μm前後になるようです。
水気がある大きなほうを「飛沫」、水気がない小さな方を「飛沫核」と言うそうです。
水気のある「飛沫」は重たいので、飛距離は数メートルで、それくらいで落ちてしまうようです。
旅客機で、感染者の周囲○席も隔離してるのは、この距離を元にしているのでしょう。たぶん。
国際空港で隔離されたのは、「飛沫」で感染した人を分離するためということになります。
水気がない方の「飛沫核」のサイズの0.1μmを止められるマスクは、「ウイルス対応」とされているものやN95(DS2)クラスの規格を満たした製品に限られ、花粉用では通してしまうと言われますが、水気を含んだ「飛沫」の方であれば粒子が大きいので、止められるマスクはもう少し多くなりそうです。
ただ、花粉用マスクは30μmだそうなので、5μmの飛沫ウイルスに対してもダメですね。
「医療用」とされているタイプはだいたい3μmを止められるようです。
ということで、医療用とされているものであれば、空気中のウイルスのうち「飛沫」のほうの幾分かをブロックしてくれることを期待できると思うんですよ。
あと、マスクと顔の隙間から空気が抜けてしまって、すべての空気が濾過されない、という問題ですが、全然サイズが合ってないのを何も考えずに着けるならともかく、それなりに気にしてフィットするように工夫すれば、大部分の空気はマスクを通るので、ウイルスを減らすのにはよいかと。
◆
Bの目に入って感染に関しては、ゴーグルでも着けるしかないので、これは諦めます。
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Cの食べて感染ですが、
ウイルス入り飛沫がかかった食品を食べたりすることは病人と同じ部屋でメシを食うくらいしかなさそうなので、考えたくないです。
ありそうなのは、ウイルスが付着した手で口の周りや食器を触ってしまい、それが口に入ったりするパターンでしょう。
手洗いが推奨されるのはこれを防ぐためといえます。
逆に、インフルエンザ予防に手洗いが推奨されるということは、感染経路として手から口というのがそれなりにある、ということでしょう。
昨日、仕事で薬屋さんに行ったところ、1個だけサージカルマスクをもらえたので、せっかくなので一日着けて過ごしまたが、口のあたりを触れようとしてマスクが邪魔で触れなかった、というのを何度もやらかしてしまいました。
自分で思っている以上に、無意識のうちに口の周りを触れているようなのです。
あと、この季節、汗かきますから、袖口で顔をぬぐうとか(あまりお行儀が良くないですが)
マスクを着けることによって、空気フィルターとしてではなく、防護具としての効果が期待できるのではないか、と思いました。
◆
空気感染を防ぐ道具としては残念ながら頼りになりませんが、トータルで見ると多少の効果はありそうな気がするんですよね。
イメージとしては、2~3割くらいは感染の可能性を減らせそうな気がするんです。トータルで。
「絶対に感染しない」ということを目指す場合、マスクどころか何をやってもダメ、ということになるわけですが、
オールオアナッシングで考えず、トータルで「少しでも可能性を減らす」のを目指すのであれば、しないよりマシ以上の効果はあるのではないか、と。
自営業の私としては、病気で休んでも補償でませんので、「罹る可能性は少しでも減らしておきたい」という気持ちはよくわかります。
◆
その他、マスクの一番の役割は「他人に感染さないため」ですけれど、
では、感染していない人にはその役割は関係がない、とも言えますが、インフルエンザに限らず病気ってのは潜伏期間があるので、「今症状がないから感染していない」とも言い切れないわけで、「症状が出ていないうちに撒き散らしていた」ということがないよう、感染拡大防止とエチケットの両面で着けて悪いことはないと思うんですよね。
…が、しかし、
どこにも売ってない…( ´д`)