はてなキーワード: トップダウンとは
あのさ、お前もそうだけど、中国が一体であるかのような言い方をしてるよな。
でも、実際はトップダウンで何でも動かせるような体制じゃないんだと思うよ。冷静に考えてみ。中国のトップは遥かに末端の役人が汚職をしたって嬉しくもなんともない。あるいは権力を握ってる地方の偉い奴が汚職をしたって嬉しくもなんともない。自分の収入になる訳でもないのに国民の反感が増して迷惑なだけだ。
だから、止められるなら止めたいんだと思うぜ。でも、あんな莫大な国土と人口の国で、それを自分達が隅々まで掌握できていない状況で、汚職してるような権力者連中を敵に回す勇気なんて、とてもないんじゃないのか。末期の江戸幕府だって各地の大名を押さえきれなくなってやられたように、将軍だとか国家主席だとかいうだけで従ってくれるなら苦労はない訳だし。
【インタビュー】署名サイトを運営した東京大学医科学研究所病院・湯地晃一郎氏
ttp://www.yakuji.co.jp/entry17692.html
――今回、事業仕分けに端を発した一連の漢方薬保険外し問題について、どのような感想を持っていますか。
湯地 電子署名に関して言えば、歴史的な革命的事象が起こったと思っている。患者さんにとどまらず、漢方薬を服用していない10~40歳代のインターネット利用者が,危機感を共有し、自分の住所、氏名という個人情報を、自発的に善意で第三者である漢方薬の署名サイトに提供し、意見表明したという行動が、厚生労働行政に対し大きな力となったことは、今までの日本の政治史上に見られなかった動きだ。
――電子署名の約9万5000通という数字については、どう見ていますか。
湯地 約10日間という短期間で,10万通近い電子署名が集まったことは、かつてなかった事象であり、画期的な数字だと思っている。
今回の特徴として、漢方薬を服用している患者さん・ご家族に加えて、漢方薬や医療と全く関係ないと想定される一般のインターネット利用者層から,多くの署名があったことが、署名数の爆発につながったと想定される。インターネットの巨大掲示板(2ちゃんねる、まとめサイトのハムスター速報)、SNSのmixi、ミニブログのtwitterなどのメディアが大きく寄与した。
医療や漢方薬に対する市民の関心の高さ、あるいはネット利用者への情報提供が、医療や漢方薬に対する関心を高めたことを反映していると考えられる。
――その中で、最大の牽引力となったメディアは何だったと見ていますか。
湯地 起爆剤となったのはtwitterである。11月27日金曜日早朝(木曜日深夜)、午前1~3時に署名数・署名サイトアクセス数が急増したという,極めて特異な現象が生じた。漢方薬の保険外しに危機感を持った患者さんのブログをきっかけに、一気にtwitterで話題が広がり、署名の起爆剤となった。twitterの高いリアルタイム性、伝播性が遺憾なく発揮されたと考えられる。その後、掲示板やSNS、ブログ、メーリングリストでの署名呼びかけなど、様々な電子媒体が大きな推進力となって、約9万5000通の署名につながった。
なお、漢方署名運動に先立ち、twitter内で勝間和代氏がデフレ脱却署名運動を11月4日に開始していた。これは、twitterのアカウント(@anti_deflation)に賛同者のフォロー(追従)を募るものである。12月17日現在、3000人強のフォロアー(賛同追従者)を数えているが、漢方署名運動は、9万5000人という圧倒的数、そしてネット利用者が、住所・実名という個人情報を提供したという点で、質量とも全く異なる。ネット世界が、現実世界に大きな影響を与えたのである。
湯地 11月28日に某有名ブログに、漢方薬の保険外しはデマとの記事が出た。この記事が,電子署名の撤回につながるのではないかと,事務局は危機感を持った。ところが、その後にすぐ良識を持ったブロガーが反論して,デマ説を一蹴するという揺り戻しも来た。ネット上では賛否両論に意見が寄せられたが、読んでおかしいと思った人が,逆に署名してくれたという要因もあり得る。それだけ,今回の漢方問題は大きな現象になった証である。
――今回のネット市民による電子署名の盛り上がりを通じて得た教訓については,どう考えていますか。
湯地 今回事業仕分けで様々な項目が,予算の削減、廃止対象になり、多方面で反対運動が行われた。この反対運動の方法は、大きく二つに分けられると分析している。
一つは、ノーベル賞受賞者、オリンピックのメダリストなどによる有名人を動員したトップダウン式の反対運動。これはメディアで報道され、大きな世論を盛り上げる影響力がある。仕分け関連団体が単に反対声明を出し陳情を行っても、全くメディアが取り上げないため,世論への影響力は乏しい。
もう一つは、われわれが取ったボトムアップ方式である。以前から財務省が漢方薬の保険外しを狙い、そのたびに署名を集めたという歴史的な経緯もあり、民意を総集する手法を取った。その結果、わずか10日間で約27万人、3週間で約92万人という署名数を集め、厚生労働大臣宛てに提出することができた。さすがに政権与党の民主党も、これは無視できないということで、役員会で漢方薬の保険継続を正式決定し、12月17日に与党3党の予算要望の3項目に盛り込まれた。
われわれはボトムアップの手法で民意を総集したため、最終的に政権与党を動かすことが可能となった。漢方薬を保険で継続使用したいという患者さん、ご家族、一般市民の総意が政権与党、政府に伝わったが、83万人弱の書式署名に加え、インターネットという媒体を通じた約9万5000通の電子署名活動も大きく寄与したと考えられる。
――今回、改めて漢方医療のあり方がクローズアップされたわけですが、一連の署名活動を通じて、漢方医療の進展にどう生かしていったらいいとお考えですか。
湯地 民主党はそもそも,マニフェストで統合医療、漢方を推進するとうたっており、財務省の意向で保険から外すという文言が入ったが、そこから強力な押し戻しが起こり、約92万通という多くの民意が集まった。逆にこの民意が、政府が国策として漢方医療を推進する後押しとなれば幸いである。<<
天下りって、一概に悪いように言われるけどさ、
もともとは頭のいい人たちなわけ。
官僚だからさ。
一部にはクソも混じってるだろうけど。
そんな人がさ、他団体の理事について、
「ああ、○○だけど、△△君(長官)いるかね」
って電話一本かけるだけで
業務が超スムーズに進んだりするわけ。
フツーなら書類用意したりなんだりかんだり
ボトムアップで一週間はかかるようなところを
天下りの人たちもすごい存在意義がある、
業務上有難い存在でもあるわけよ。
いわばホットライン。
で、せっかくクソみたいなじじいたちが死んでいって
ようやく若手つーか、戦後生まれの人たちが
クリーンにしつつあったのに・・・・・。
木っ端微塵ですよ、これで。
役に立たないじじいに何千万も払ってる、
官僚ら許すまじと
わっかりやすい構図を描いたやつは誰なんだ??
くたたんは「フルスクラッチ指向」で、任天堂は「枯れた技術の水平思考」だ。だから、任天堂が正義だ。妊娠大勝利!ということを言いたい訳ではないのだが。
とは言え、素人が妄想するに、もし、「成功から没落への流れ」があるならば、以下のような物ではないかと思った。
(1)先端業界ではなく、"周辺"業界において、何らかの商品企画が立ち上がる。もちろん、金がないので、技術的には、チープな既存技術の組み合わせである。日本の場合、開発者の現場感覚のアイディアの妙が問われる。「枯れた技術の水平思考」。米国の場合、壮大な未来的ビジョンの中の尖兵としての立ち位置である。前者の場合、会社の上層部は大して理解も期待もしていない。後者の場合、理解も期待もある程度している。ただ、両者とも、安い掛け金を賭ける分散投資の駒の一つでしかないし、"周辺"業界なので、一癖も二癖もある屈折した人材が集まっているのは変わらないかも。
(2)日本の場合:「たまたま当たる」。当たったので、ゴテゴテと付加機能をつけて、バージョンアップしながら商品の寿命を延命する。当たらなかったら、次の商品開発に向かう。米国の場合:地道に理想に向かってバージョンアップが続けられる。ある日、追加した付加機能がユーザーから素晴らしく評価され、いきなり「歯車がかみ合う」。それでも、当初の壮大な未来的ビジョンに向かってバージョンアップしていく。いくらバージョンアップしても、ユーザーに評価されず、兵站が尽きたら、次の商品開発に向かう。
(3)日米共通だが、徐々に部分部分をフルスクラッチ化していき、他者が追いつけないようにする。
(4)日本:付加機能をつけすぎて、ゴテゴテしてくる。一般的に、日本の場合、ボトムアップ型であり、ビジョンがそもそも明確でない場合が多い。右往左往しながら進んでいく。ウリに出来るような付加機能がなくなったら商品寿命はおしまいに近い。米国:米国の場合は、トップダウン型で、当初の計画のビジョンが達成されたならば、日本と同じようにゴテゴテと余計な機能をつけ、迷走する場合が多い。逆に言えば、任天堂は、「枯れた技術の水平思考」の本家だけあって、フルスクラッチのリスクの罠からうまく逃げているように見えるし、アップルは、そのたびに新しいビジョンを提示するという逃げ方をしているように見える。細かいバージョンアップの積み重ねと比較的リスクを抑えた許容範囲内の冒険/実験をするのが大切であり、トレンドになっているような気がする。良く悪口を言われているSCEでも、ファームウェアの細かいバージョンアップは評価されているし、MSのフリーの開発環境などもかなり評価されていると思う。
(5)その商品を打倒するような「イノベーションのジレンマ」が起こり、打倒される(可能性が高い)。
じーさんがたの会合に顔をださなきゃいけなくて行ってきたんだけど、若いのが一人混じって酒でも入ろうものなら戦時中の話になる。
おれも90も後半のじーさんから聞いているので、知ってはいるのだけどあちこちの話しを聞くと新しく知ることも多い。
とりあえず書いてみる。@東京とかのお話。地方で参戦されたかたも居た。
・勝てっこないのは当時の市民にもわかっていた、戦争やろうと思ったのはバカだ
・対空砲を警戒して米軍はチャフ(のことだと思う)を蒔いていたが、そもそも対空砲なんてなかった
・冗談じゃなく竹やりをもたされた
・焼夷弾を消す訓練をさせられていたが、降って来たのは数万発だった
・みんな死んだ
・戦後は毎月500円分だけ切手が配られてその切手を貼ったお金だけが有効だった
・銀行は封鎖された
・みんな貧乏になった
・それでも私腹を肥やしたヤツはいた
・土地の所有を証明する書類は役場ごと焼けた
・銀座とかは無法者が土地を占拠した。土地が欲しいか命が欲しいか。
・自決した(しようとした)陸軍の指導者とかは侍だ、立派だなんて言うがとんでもない
・玉音放送がなければ本当に竹やりで戦うはめになった
・玉音放送を聞いたときの感想は、悔しさでも嬉しさでもなく「死なずに済んだ」だ
・軍隊にいたときは、敵船上陸が迫った前日には腹に爆弾まいて死ぬ準備をしていた。
・特攻志願時は縦一列にぴっちり並ばされて、志願するやつは前に進めといわれるが、うしろからどんどん押されるのですすまざるをえない。結局みんな志願したことになる。
・そもそも無理やりにつれて行かれるのだから、個人の意思とか関係ない。
・われわれもあと20年もしたらみんな死ぬ
・戦争を体験をした人がいなくなると、また同じことが繰り返されるかもしれない。
・戦争はやだね
なんか、現代の動きが当時の陸軍をみているようで心配なんだそうだ。
トップダウンでものごとを決めようとしたり、アメリカとは対等だとか言い出すところが気になってるみたい。
あ、あと、それとは話がずれるんだけど、昔しは町会が変わるほんの2~3キロで言葉が通じなかったんだって。
単語が違ってなに言っているかわからなかったそうだよ。
方言すぎるだろ。
責任の所在を明確にするには内閣主導で形式的な責任者が実質的な責任者であるべきというのは正しいと思うが、トップダウンで決める弊害が気がかり。
小泉がぶち上げてそれを継続しようとした安倍内閣は潰されたし、アンチ自民がそのやり方を「実態のない人気に物を言わせた独裁だ」と散々に叩いてたからな。
http://anond.hatelabo.jp/20090920004141
官僚だけでなく族議員も目の敵にして議員立法すらさせないで党に拒否権はないとか言う人までいるわけだから、これを政治主導と称すること自体ミスリードと思う。昔の自民党が族議員が各業界各地域の要望をボトムアップで政策作ってて、大臣が名誉職的な位置づけでその分野の能力も必要とされてなかったから、大臣とか内閣からすれば、指導力を発揮しようとしても族議員の意向を受けて動いてる官僚に邪魔されて自分達の政策が骨抜きになってるのが官僚主導のように見えてただけの話で実際は議員主導といったほうが正しい。責任の所在を明確にするには内閣主導で形式的な責任者が実質的な責任者であるべきというのは正しいと思うが、トップダウンで決める弊害が気がかり。
人民が情報を持たず、情報を入手する手段をもたないような人民の政府というのは、喜劇への序章か悲劇への序章か、あるいはおそらくその双方への序章であるにすぎない。
知識を持つ者が無知な者を永久に支配する。そしてみずからの支配者であらんとする人民は、知識が与える権力でもってみずからを武装しなければならない。
ジェームズ・マディスン(※1)
昨日我が国では民主党による新政権が発足した。前与党の自民党による置き土産の中で最も重要なものに「公文書管理法案」(公文書等の管理に関する法律)というものがある。これは公文書問題をライフワークとしている福田康夫が官房長官時代から懇談会を開くなどして(※2)取り組んでいたもので、首相になってからは有識者会議、公文書管理担当相ポストを新設しトップダウンでこの法案策定を押し進めていたものだ。(※3)
日本における公文書問題とは、国の機関による文書の作成、管理・保存、廃棄が適正に行われず、民主主義国家の運営に支障を来しているという問題である。重要文書が隠されていた薬害エイズ問題、記録が失われた年金記録問題、存在が否定されている沖縄返還交渉における密約などはよく知られた代表的な例である。
民主主義の根幹は、国民が正確な情報に自由にアクセスし、それに基づき正確な判断を行い、主権を行使することにある。国の活動や歴史的事実の正確な記録である「公文書」は、この根幹を支える基本的インフラであり、過去・歴史から教訓を学ぶとともに、未来に生きる国民に対する説明責任を果たすために必要不可欠な国民の貴重な共有財産である。
(※4)
日本でも2001年より情報公開法が施行されているが、文書の作成、廃棄の権限が行政機関自身にあるためにちゃんと機能していないのが実態である。情報公開法施行直前の官庁による文書大量廃棄や公文書→トイレットペーパーという話題などはよく知られているところである。そこで「真実が国民の目に触れないのは民主主義にとって問題がある」とこの公文書管理の向上に乗り出したのが前述の福田康夫である。
地元から依頼されて探していた終戦直後の群馬の写真が、訪米した際にアメリカの国立公文書館で簡単に手に入り驚いたという経験が、福田が公文書問題に関心を持つきっかけとなっている。(※5)福田が驚いたというアメリカ国立公文書館のWebページにアクセスしてみると「民主主義はここから始まる」という言葉が掲げられている。
Democracy Starts Here.
日本の国立公文書館の職員42人に対し、アメリカ国立公文書館の職員は約2500人である。(韓国約130人、中国約560人、カナダ約 660人)(平成15年時)(※6)かけられているコストが桁違いなのである。
さてこのように民主主義を支えるための重要な手続きに関して大きなコストがかかるという話が出ると、決まってそれを嫌う下記のような意見が出てくる。
(しかし文書管理にコストをかけていないため、年金記録問題や質問主意書残業問題などで他の余計なコストがかかっている事、逆に、文書を適切に作成・管理する事で業務の効率が上がる面もあるという事も忘れてはならない。)
これらは全て、住民が行政に対して「もっと正確に」「もっと公平に」「もっと透明に」を求めた結果なのだ。確かに正確も公平も透明も大事だけど、これじゃ「正確な仕事」ではなく「正確“が”仕事」だ。「仕事」の部分はもはやサブである。
ひょっとすると、人件費を減らすためには、住民がガミガミ言うのをやめるのが一番の策なんじゃないだろうか。
この方は役所でバイトをし、さらには公務員を目指しているらしいが、すでに我が国の行政において正確さ、公平さ、透明さが十分に確保されているとお考えのようだ。
はてなブックマークでの反応の一例。
- activecute アカウンタビリティ(笑)とでも書いておこう。日本に限った話でもないから[日本的なるもの]タグや[もうすぐこの国は滅ぶ]タグはつけない。でも、これで、世界の生産性は無駄に落ちている。 2009/09/16
- FTTH # |ω・)…… 適当なことを云ってみると、金融・証券系、一部上場、等の会社はみんなそうだと思うよ。それがコンプライアンス(笑)って奴。 2009/09/16
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20090916185052
このような人たちだけではなくマスコミの認識も似たようなレベルである。民主党が政策策定過程などを全面文書化し情報をオープンにしていこうと提案した事に対して。
「閣僚の指示すべて文書化します」民主党方針 公文書管理法先取り
民主党が、平成23年施行の公文書管理法を先取りし、閣僚や副大臣らの政策判断や指示などを原則として全面文書化し、公開する方針を固めたことが1日、分かった。
(略)
各省庁は文書化や文書管理などにより事務作業が増大し、「行政のスリム化」と矛盾が生じる可能性もある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090802/plc0908020101000-n2.htm
やはりコストがかかる事を嫌うようだ。はてなブックマークでの反応の一例。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/policy/090802/plc0908020101000-n1.htm
日本の民主主義(この人たちにとっては民主主義(笑)なのかもしれないが)を最低限機能させるためには記者クラブだけではなく、情報公開にコストをかける事を極端に嫌うこのような人たちとも根気強く戦っていかなくてはならない。
※2.http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/index_k.html
※3.http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080229/plc0802291213003-n1.htm
※4.http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/hokoku.pdf
※5.http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080302/plc0803021842003-n1.htm
※6.http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/kenkyukai/tyousahoukoku/houkokusho0.pdf
いわゆるCSRを担当してそのなかで環境について考える部署で、社内で同じようにCO2削減目標出して
かといって上からは「そんな削減目標じゃだめだろ」って言われるのです。
まぁ、うちの場合はトップダウンの削減目標ってのもあって、割と環境大事にしような雰囲気はあるんだけど
それでも中には(特に年寄り、偉いポジションにいるひと)からは
あからさまに酷い扱いを受けたりします(利益生み出してないCSR部のくせに、って。まぁわかるけど)
で、25%削減(90年比)だけど、やっぱり厳しいと思います。
削減ポテンシャルの積み上げと、今後の技術革新を加味しても25%は届かないんじゃないかな?
出来たとしても経産省のひとが言ってたように36万円/家庭・年の負担になる、これは厳しすぎるよね。
他にも反対派の意見としては、
②日本の削減量は世界の削減目標からすると15%でも25%でも結局小さい
③日本の商品は排出量原単位が小さいから日本でどんどん生産した方が世界的に温暖化防止になる
が挙げられるでしょうか。
特に③だと鉄鋼メーカーさんが主張されてます。
これはまさにその通りで、品質的にも素晴らしいわけですから(高張力鋼は日本車の必須だし、軽量化→低燃費にも貢献している)
消極的だと批判されがちなのが辛いところでしょうね。多大な努力をされてるでしょうに。
(高炉ではなく電炉にすればいい、と簡単に言う人がうちの部署で多いのが、大学で鉄鋼を学んだ身としてはなんだかなぁ)
じゃあ、どうするか、って正直どうしようもないんですけど、
個人的に考えるのは、
・環境税
エネルギーコストは今後どう考えたって安くはならないだろうから、
遅かれ早かれ電気料金だとかの増大は避けられない。
なので、今からエネルギーに対して課税する(環境税・炭素税)。
特に家庭部門での削減にはこの手の策が最も効果的でしょう。ガソリン価格が上がった時、車に乗ることを控えたように、冷暖房の意識的な調整を促せる。
ただもちろん経済界からの国際競争力の低下懸念という反発はあります。
しかし、長期的に見て世界的にエネルギー価格が上昇した時に、低消費エネルギー体質になっておけば
・業務転換
こういう高い目標は業務転換のツールにする。
エコプロダクツへの資源集中はもちろんだけど、たとえば産業革命起こしたイギリスが金融国家になるような、
そんな業務変換をも考えなくてはいけないかも。コンテンツ産業なんてまさに。
とかだろうかな。
まぁ正直、日本のエコ商品売って世界中にたくさん売れれば理系卒としては最高なんだけど
十八番であった「エコ」でも国際的なライバルがこれから出てくるだろうし、
そこで敗者が生まれることになるけど、
これから世界の人口がどんどん増えれば、日本全体が敗者になる可能性も出てくる。
民主でも自民でも、「環境」を機に、特に「教育」に力を入れて人材輩出国、技術シーズ国になれたらいいんじゃないかって思います。
転職前は俺もそう思っていた。でも違った。日本こそ現場主義。それに比べて米国企業パネェ。ボスが絶対君主。内資だと、たとえば10M円未満の下請契約ならプロジェクトリーダ(SE部長)の決裁で締結できる、みたいな社内規則があって、ルール内での裁量は自由にきくんだが、今の会社だと全部エグゼクティブまで持っていかなきゃならない。転職後に読んだ外資転職マニュアル本にも同じことが書いてあったから、うちの会社だけじゃないと思う。人事も財布も全部ボスが握ってるから、スタッフは常にボスの顔色見ながら仕事する。現場に権限なんてない。柔軟な対応なんてできっこない。
すごく遅くなったけど元増田です。
別に山手線一周歩くのは嫌じゃない(つーかネタとして歩いてみたい)んだけど、
メンターと歩くのが嫌なんだよね…。。
メンターグループは男性の先輩社員2人に新人4人(男女各2名)なんだけど、
山手線企画の言いだしっぺメンターがデリカシーなさすぎてしんどいorz
初顔合わせの飲み会の時に「妻が妊娠してから浮気したい気持ちがわいてきた」とか
そーいうセクハラめいたことを何の悪意もなく言っちゃうひとなんだわ。
気の置けない仲間内同士ならまだしも、新入社員の前で言う事か?
女をバカにしすぎだろっていう。
山手線企画も完全トップダウン型企画決定&突然の予定変更でけっこう振り回されたしorz
もう何が何でも週末に動かせない先約を入れに入れまくって逃げようと思っている。
民主党の長妻がやたらと質問主意書を連発し、不興を買っている問題がある。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090529/stt0905291747005-n1.htm
質問主意書を出す事自体は法律で認められているから、私はそれについて文句は無い。突き詰めれば「民主主義はコストがかかるのでやめましょう」という事になってしまうしね。
また質問の内容についてもここで価値を問うことはしない。
しかし答弁書の作成が、担当職員の過酷な残業につながるなどの問題もあり、改善すべき問題である事は事実だ。
諸悪の根源は省庁に限らず日本のほとんどの役所が文書をまともに保存してない、そもそもまともな文書を作ってない、という事実にある。
我が国も遅ればせながら2001年に情報公開法が施行されたのだが、行政文書の作成・廃棄の権限が当の行政機関に委ねられているので、理想とはほど遠い状態にある。
覚えてる人もいるかと思うが、情報公開どころか捨ててしまえというのが実態だったである↓
http://web.archive.org/web/20041210024359/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041208it05.htm
そういった状況を打ち破り、日本に真の民主主義をもたらそうとした一人の男がいた。
首相就任前の内閣官房長官時代から「公文書等の適切な管理、保存及び利用に関する懇談会」を設立させて公文書管理の整備に取り組んでおり、首相就任後にはすぐに国立公文書館を視察し、「真実が国民の目に触れないのは民主主義にとって問題がある」と公文書管理の重要性を強調、いわば公文書管理の整備は福田の議員としてのライフワークとなっていたのである。
http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/index_k.html
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/071121.html
http://blog.dai2ntv.jp/diary/2008/02/
福田は過去に訪米した際、地元から依頼されて探していた終戦直後の群馬の写真が、米国立公文書館で簡単に手に入り驚いたという経験を持つ。その経験が福田首相の公文書管理整備に意欲的に取り組むきっかけとなっている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080302/plc0803021842003-n1.htm
福田が驚いたという米国立公文書館のWebページにアクセスしてみると
Democracy Starts Here.
「民主主義はここから始まる」と掲げられている。
日本の国立公文書館の職員42人に対し、アメリカ国立公文書館の職員は約2500人である。(韓国約130人、中国約560人、カナダ約 660人)(平成15年時)
http://www8.cao.go.jp/chosei/koubun/kenkyukai/tyousahoukoku/houkokusho0.pdf
福田は首相になると「公文書管理の在り方に関する有識者会議」を設置、公文書管理担当相というポストも新設し、いよいよ公文書管理の整備に向けての動きを活発化させた。
公文書問題に関心のある私のような人間は首相である福田がトップダウンで強くこの改革を押し進めていく事を期待していた。
が、皆さんご存知のとおり、彼は首相を辞任してしまった。
公文書管理法案は現内閣に引き継がれたが、恐れていたとおり当初の理想から大きく後退した内容が閣議決定されてしまった。
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2009-03-09
現在この内容について国会で修正協議が行われているが、予断を許さない状況である。
ちゃんとした公文書管理には膨大な人材と金(要するに金)が必要であり、そのコストを支払う事を拒否し続けてきた我々国民に対する罰の一部として、担当職員が答弁書作成に苦しめられているのだ。
と、言ってもこの公文書問題は地味と考えられているのか、あまりマスコミも理解してないようであり、きちんと取り上げられない事もあって、何が問題なのかピンと来ない方もおられるかと思います。
私が下手な説明をするより、上記「公文書管理の在り方に関する有識者会議」が作成した分かりやすい資料がありますので、興味を持った方はそれを読んでみて下さい。↓
「ネットで悪い評判が立っているから、インターフェースなおしましょう」とはなりません。
「お客様の電話の苦情が多いので、直して下さい」とは言えるのですが。
ちなみにコールセンターにかかってくる電話は全部録音されてて記録も残るので、
怒鳴ったり怒ったりしてクレーム扱いにならないように、穏やかに苦情を言えば
特に問題ないはずです。
今回の増田の記事を読む限り、「問題にしたい」という側面より「実際にインターフェースを直してほしい」という部分が強いと思うので、その目的であれば、できるだけ多くの人がコールセンターに電話して、改善要望を出した方が
(サービス自体がネットで問題になったりすると、そのサービス自体辞めるとかアクロバット的解決になってよけい使いにくいとかそういう方向に進む可能性がかなりあります。トップダウンの決断されちゃう可能性が高いので)
なんとなく駄文を書きつらねます。
コレ、いわゆるボヤキ駄文です。なのでテキストとしては面白くないです。
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WEBサービスの運営に携わっています。
この会社ですが、大本尊(=社長)の意向がとても強く(良い意味でも悪い意味でもトップダウン)
さまざまなことに日々振り回されてます…
で、本題に入りますが、ほんの2ヶ月くらい前までは、まったく微塵もなかった話ですが、
先月中旬に突然、人件費削減(=人員削減)しろと…もうそなってくると真っ先に出てくる案は
■全社的にあまり残業しない(or させない)
の2案が毎度のごとくでてくるわけです。
⇒人員不足や経験不足の面を常に派遣会社経由のスタッフの方々に支えて頂いてもらっているのが現状ですが…
今回はそれでも、ほぼ全派遣会社経由のスタッフの方を1,2ヶ月以内に契約解除という大本尊の意向の元の
流れになってしまったのです。
といいながら、当然会社としては、本年度の計画や目標を設定してて、そんな案件内容を今の人員で???
つまり人員不足=馬力不足のまま達成できるの?と目に見えて強く感じのです。
しかも当然ですが、その目標に満たない場合は、
生暖かく詰められる(=クビ)なわけで。。
サラリーマンはつらいなぁ。
このことについて、上の人達に相談しても、皆さん「しょうがない」or「とりあえず今は…」という、
まるで共通の回答テンプレートでも出回っているような回答の返事しかしないのですが。;S
⇒ググると、そういう回答例でもでてくるのか?
ってくらい皆同じことしか言わない(爆)
でも、サラリーマンはつらくても、派遣会社経由のスタッフの方々はもっとつらいだろうなと思うと
最後まで(現場の当人達よりの目線で)できるだけフォローとバックアップに努めなければと思い、
己を奮い立たせてるのです。
情けない話でもありますが、残念なことに自分にはコネや権力が殆どないので、当人達が気落ちしているのを
励ましたり、話し相手になったり、次に繋がる様に同業他社でも使える、ささやかですが、自己流で覚えた
ナリッジと小ワザを伝授してあげたり、(こっそりと)他社で正社募集しているところ募集要項のページURLの
テキストリンク集をかき集めてメールで送ってあげるくらいしかないのです。。
同じチームの28前後くらいの方達(就職氷河期の世代??というのでしょうか?)をみていると
なんだかホントにかわいそう…日頃のお仕事でのがんばりやお世話になっている恩を
正にアダで返してるとはこのことかなと感じて、たまに分けもわからず、ホロっと涙目になっている自分がいます。
大本尊の機嫌がいいときは、株価がいいのか買収が成功したのか、新聞でいいこと書かれたのか、
さっぱりわからないけど、とにかくタイミング的な時期が良いときは、バイトでも派遣会社経由の
スタッフでも契約社員でも正社員になれる門戸が開いてるのに…実際、何人も社員になってもらって
一緒に働いてがんばっている人達もいるのに、こんな肝心なときにこそ、チャンスを廻してあげれない
自分に、正直最近凹みがちです。
むぅ、どーしたものか。
と、ボヤキつつ、自分が腐るのはいつでもできること。と思いながら、
最後の最後までフォローとバックアップに努めようと再決心しまスたです。
・・・あ、もちろん仕事もしなきゃ♪(←新規案件の提案・立案のこと。
jabba
ぎゃーぎゃーと言語比較やってる奴等をじっと見ると、そいつのバックグラウンドが見えて面白い。
記述の自由度よりかっちりした形式を好む奴は、巨大プロジェクトで苦労した、あるいは苦労しそうな立場かもしれない。形式より自由度を好む奴は、書いたコードに責任を持たなくていいか、責任を持つほど重要な仕事をしているのかもしれない。
あと、省略形式を認める文法って、何のかんの言って面倒なシチュが増えるんだよな。それは勉強であったりメンテであったりするのだが。変数宣言時の初期値指定でも型を明示しなければならないことに文句を言う奴が多いが、左辺で型省略を認めると、初期値無しの場合との間でバリエーションの幅が大きくなりすぎる。一方で、右辺で型指定の省略を認めると、式評価時に型をトップダウンで決めることを許さなければならなくなる。後者は結構可読性に効いてくるし、コンパイラの書き方が激変する。速度も。
言語設計にはいろいろな側面がある。増田が言っているような流行廃りだけと言うわけではなく、どちらかと言うと時間に依存しないコミュニティの要望によると言っていいだろう。
ある言語の批判を目にしたとき、どちらかと言うと批判の内容より書いた奴のバックグラウンドを想像してニヤニヤするのが密かな楽しみ。
逆に自分が何か言うときには、立場を明らかにして言うことにしている。