ぎゃーぎゃーと言語比較やってる奴等をじっと見ると、そいつのバックグラウンドが見えて面白い。
記述の自由度よりかっちりした形式を好む奴は、巨大プロジェクトで苦労した、あるいは苦労しそうな立場かもしれない。形式より自由度を好む奴は、書いたコードに責任を持たなくていいか、責任を持つほど重要な仕事をしているのかもしれない。
あと、省略形式を認める文法って、何のかんの言って面倒なシチュが増えるんだよな。それは勉強であったりメンテであったりするのだが。変数宣言時の初期値指定でも型を明示しなければならないことに文句を言う奴が多いが、左辺で型省略を認めると、初期値無しの場合との間でバリエーションの幅が大きくなりすぎる。一方で、右辺で型指定の省略を認めると、式評価時に型をトップダウンで決めることを許さなければならなくなる。後者は結構可読性に効いてくるし、コンパイラの書き方が激変する。速度も。
言語設計にはいろいろな側面がある。増田が言っているような流行廃りだけと言うわけではなく、どちらかと言うと時間に依存しないコミュニティの要望によると言っていいだろう。
ある言語の批判を目にしたとき、どちらかと言うと批判の内容より書いた奴のバックグラウンドを想像してニヤニヤするのが密かな楽しみ。
逆に自分が何か言うときには、立場を明らかにして言うことにしている。
あるプログラミング言語を取り上げて、ここが優れているとかここが劣っているとか言ってる人がいるが、ほんとにくだらない。というのは、時代時代の要望があって言語仕様やプログラ...
空気を読まずにコメントする。 ぎゃーぎゃーと言語比較やってる奴等をじっと見ると、そいつのバックグラウンドが見えて面白い。 記述の自由度よりかっちりした形式を好む奴は、巨大...