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はてなキーワード: トップダウンとは

2008-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20080224192010

増田ボトムアップ派か。

俺はトップダウン派…じゃなくて筋のいい取っ掛かりから薦める派だ。そもそもコンピュータの構造も勉強する必要があるのなら、それはコンピュータの構造を勉強すべきであって、C言語勉強すればそれがわかるなんてのは勘違いC言語勉強すれば理解が深まるなんてこともない。

プログラミング言語の取っ掛かりなんて、アルゴリズムデータ構造の勉強に取り掛かるための踏み石でしかない。ある程度抽象度が高くて(高すぎるのもどうかと思うが)、きれいに設計された言語ではじめるのがいい。

2007-11-29

せっかくだから、俺はこの赤の構造的アプローチをとるぜ

タイトル意味はない。

この機会に「涼宮ハルヒの憂鬱」の感想を。完全ネタバレ注意。

現在シリーズ化されているが、それは一作目の「憂鬱」が当たったから。したがって、「憂鬱」はきちんと完結しており、これ一冊でハルヒというライトノベルの構造を語ることができる。

視点はキョン。流れはこんな感じ.

見事に起承転結があるだけでなく、3人の脇役のエピソードが構造化されて配置されている。トップダウンに書いたのではないかと考えるくらい。この流れの中でキョンはグイグイと脇役の意見を納得させられ、最後は行動を起こす。読みはじめる前には分からなかった「涼宮ハルヒの憂鬱」というタイトル意味が、読後にははっきり分かる。

結局、膨大なオタク知識にごまかされそうになるが、この小説のおもしろさは基本構造の確かさの上に構築されているということ。アクロバティックな話を支えるためには基本が大事、というのはラノベでも同じかもしれないぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20071129130351

2007-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20070429020121

近隣住民が頑張ればもっと人が助かったのかもしれない。自衛隊ももうちょっと機敏に動けばもっと人が助かったのかもしれない。勿論両方頑張ってたらもっともっと多くの人が助かったかもしれない。それだけの話だろ。両者は択一の問題じゃない。両立できるし、するべきだ。

自衛隊が出動する事で救われる命がある。それなのに糞下らん政治的主張でそれを否定するのは、助かる命を切り捨てる事と同じで、人殺しも同然だ。

http://anond.hatelabo.jp/20070429020539

で書いたことの補足なんですが。

まず択一問題を立てている論者は誰なのか、というのが一点。

両立できないと考えている人はいませんよね。ここには。そこは少し冷静になっていただいて。

要は、トップダウンボトムアップは両立する。別にそこに議論があるわけではないように思います。

最初の増田さんのご意見

http://anond.hatelabo.jp/20070429013850

被災者として多少感情的になった一面はあるにせよ、大方正論といっていいと思います。

国家防災計画にあたって、自衛隊消防隊の初動すなわち公助をいかにシステマティックに組み立てるかがきわめて重要であることはいうまでもありません。

しかし、いかに人命を救助しえたかを議論する場合、死亡との因果関係の分析を欠かすことはできません。

被災者の死因の分析から救助手段として防災計画を考えると、やはりキーになるのは、瓦礫の下にいるかもしれない人たちの発見、救出をどうするのかという問題です。

あなたがおっしゃるライフライン復旧の問題、それは確かに重要ですが、死因とのかかわりからいうと、優先順位としてはどうでしょうか。

さらにいえば、消防庁自衛隊災害派遣部隊の初動を迅速に進めるべきであるということに全く異議はありませんが、しかし、どうしてもスポット的にならざるを得ません。

都市震災というのは航空機墜落などの人災や土砂災害などと違って、面的なハザードです。

広大な被災エリアに闇雲に点を投入する形にならざるを得ないわけです。

つまり、これが神戸の知事さんたちが問題にしている、公助には限界がある、という論点です。

彼らの主張は、自衛隊がもっと早く投入されていれば2000人助かったという分析は楽観的すぎるのではないか、ということですよね。自衛隊の役割の中心はおそらくそこではなく、ボトムアップ努力を前提としたうえでのインフラの復旧や食料住環境の提供を主体としたバックアップ体制なんじゃないでしょうか。

地域住民がここに社会弱者がいるよと救助エキスパートに伝達できる体制、その連携といいますか。

そこで地域住民の防災意識とかいう話になってくる。

ただ、余談ですが、ボトムアップ重要だという教訓は、その阪神大震災以降、いろいろな防災関連の法整備のなかで多少ゆがんだ形でも現れてきたように私は感じていまして、例えば、先のリンクで紹介した毎日新聞の記事のなかで次のような結語があります。

人命救助は「自助」「共助」「公助」の順に進むものである。

これ自体は、近代法の原則からいって論理的に全くそのとおり、といいたいところなのですが、しかし、公助には限界がある→自助(自己責任)でお願いね、と強調されると困ったことになるのも事実。例えば、これまでハード面で提供してきた公助をやめようという話があるわけですよ。もう防災公共事業は沢山だ、と。これ以上日本の山河を鉄とコンクリートで固めてもしょうがない。リスクに関する情報を的確に住民に提供するからあとは自己責任でやってくれ、と。土砂災害防止法が典型なのですが、これは実務に関わっていて、疑問に感じるところがないわけではないですね。

2007-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20070208045122

雑貨に関してはトップダウンの仕入れだけじゃなく店長が独断で決められるみたいだし。

そうなんだ。それはちょっと意外。いくつかの店を見て「どこも同じだなあ。マニュアル化すげぇな」と思ったことあったので。

ヴィレヴァンの魅力ってなによ?

俺もヴィレッジヴァンガードが増えてきてるのでちょっと考えていたんだけど、

雑貨と本をセットに考える必要はきっとないんだよ。

本だけじゃ経常利益率悪すぎてやってけないというのもある。

書店業界で10%超えてるのってヴィレッジだけみたい。↓ソースね。

http://www.1book.co.jp/000622.html

いまさらって本もあるかもしれないけどあの浅く広い本の選択の仕方は

なかなかできるもんじゃないよ。

そういう点で本とか読まない人にとっては魅力的なんじゃない。

ヴィレッジに置いてある本を全部読んだって訳でもないでしょ。

ちょっと否定的すぎじゃないかしら。

魅力感じないなら無理して行かなければいいわけだしね。

雑貨に関してはトップダウンの仕入れだけじゃなく店長が独断で決められるみたいだし。

シンパシーが合うかどうかでしょ。

2007-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20070202022704

迷信自然信仰は民衆の中から自然に受け継がれていったもの。ボトムアップ。陰陽なんてまさにそう。

信ずるにもリスクがある。それでも信じる。

一方頭の中で組み立てたようなのはトップダウンリスクが無いかリスクよりリターンが大きいかリスクを回避している。

あくまでも個人的なイメージなのでそこまで突き詰めて考えないでほしい。

2007-01-13

トップダウンボトムアップ

トップダウンピラミッド型:社長が一番エラい)の組織 

と、 

ボトムアップ(逆ピラミッド型:現場が一番エラい)の組織

どっちの組織の方が働きやすいだろう。

個人的には逆ピラミッド型の方がいいなぁ。

2007-01-04

電波床屋談義:文系政治限界

■「安倍さんには芸がない。日本人は時々狂ったように抽象的なことを言い出す」(塩野七生日経インタビュー)‥‥女史この他にも名言を大連発!

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20070104113125/index.html

美しい国」というスローガンは,抽象的で困るな。なんとでも好きなように解釈できる言葉だ。安倍首相のホントの狙いは「美しい日本を守るために既得権者を守りましょう」ということではないか。もしくは「美しい日本を守るために現状をいじらず何もしないで寝ている総理がいい総理なのです」ということか。


 単に重箱の隅をつついているような内容はどうでも良いのだけれども、「『美しい国』というスローガンは失敗」というのは同感。要するに、「美しい国だから国を愛して欲しい(愛国心を持って欲しい)」とか、そういう意味も含んでるんでしょう、よく分からないけど。でもさ、「恋愛精神病の一種(by涼宮ハルヒ)」な訳ですよ。打倒恋愛至上主義(by本田透)な訳ですよ。それならば、『親しみの国、日本』を目指した方が良くね?夫婦愛も、「恋愛」から「親しみ」に変わるのが科学常識になっている訳じゃないですか。愛にロマンを感じるのは自由ですが、情緒性より、実効性圧力(by草薙素子)を重視して欲しい訳です、一般庶民としては。安倍さんには、実直的理念が向いていると思うし、『美しい国』なんていうどれくらいの人間が共感するのか分からない高邁な理念よりも、私としては、もっと日本という国に「親しみ」を持ちたいし、みんなにも持ってもらいたい。日本に親しみを持って欲しいことに対して、反対する人はまずいないんじゃないですかね?

もう一つ。

日本経団連ビジョン「希望の国、日本

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_3032.html

御手洗ビジョンというわけですが、なんだか美しい作文が並んでいて、精神論が多くて、いまいちよく見えない感じがします。


 どのくらいの人がちゃんと読んでいるのか分かりませんけど、私も5分くらい流し読みしました。が、まあ、そこそこ妥当な机上の空論が書いてあるんでしょうね、といった感じ。でも、スローガンの『希望の国、日本』は失敗だと思います。まあ、経団連年寄りのセンスなんて期待するな、ということなんでしょうが。『希望の国』という言語センスは情緒性に富む文学な表現としてすばらしいのかも知れません。でも、実態は、「さっぱり分からねえ(by孫悟空)」な訳です。

具体的に言うと、13ページから。

希望の国」の国柄は以下に説明する3点に要約できる。

1.精神面を含めより豊かな生活

2.開かれた社会、公正な競争に支えられた社会

3.世界から親しみをもたれる社会


2は、「公平だからみんなにチャンスがある」みたいなニュアンスにおいて、『希望の国』となんとなく関係ありそうな気はするんですが、1と3は『希望の国』とどういうつながりがあるのよ?無理矢理結びつけてんじゃないの?みたいな感じ。本当に『希望の国』を要約したのかよ?みたいな。

というか、情緒性とか文学性とか邪魔なんですよ。

私だったら、もう少し分かりやすく、『可能性の国、日本』とでもしますよ。まあ、ニュアンス的にはほとんど一緒ような感じですが、日本希望を感じない理由というのは、日本の可能性のなさに閉塞感を感じ、絶望しているからでしょう?winny裁判のように、テクノロジーの可能性を否定されたり、怪しげなネット財閥が潰されたりするから、「既得権益には勝てない、働いたら負けだ」という絶望を生むんでしょう?労働者の鼻面に「希望」という幻想ニンジンをぶら下げて、死ぬまでこき使い、労働者の流動性は認めても、社会階層を事実上固定させようと経団連が考えていると誰もが邪推するとか私は思いますが。実力主義をうたいながら、下克上を認めないシステムな訳ですね。で、日本では暴力革命は起こらないと踏んでいる。

違うというなら、「あなた達には、こういう可能性がある。今のところ、大体、成功率は50%くらいだ。しかし、その可能性を上げるための法案が提出される予定がある。また、そのことを説明する文書をサイトに載せた。そこには、経団連ポータルサイトリンクから行ける」みたいな現実的な提案や客観的な話を聞きたい訳ですよ。政治的な都合で、無理矢理整合性を合わせたような話はどうでも良いんですよ。

つまり、「我々にはどういう可能性がどれくらいあるのか。どこにベット(賭ける)すべきなのか。その可能性を広げるためにどういうことをやるべきなのか」が知りたい訳ですよ。リストラされて浮浪者になったオジサンにしても、30過ぎて焦っている女性にしても、同級生の少ない子供達にしても。大体、「希望」って、主観的なものですが、必要なのは、客観的な数値でしょう。『可能性の国、日本』というキーワードからトップダウン式に考えていけば、優秀な人ばかりでしょうから、日本にはどのくらい可能性があるのか、ある程度、客観性のある数字を出して、国民の目から見てもそれなりに説得力のあり、それなりに希望の持てるビジョンを具体的に示していけると思うんですが、甘いでしょうか。


・・・いずれにしても、偉い人が年寄り文系しかいないから、情緒的で美麗美句のゴニョゴニョした、中身があるのかないのか分からない政治的に調整されたような文章になるとしか思えないんですが。権威なんてどうでもいいから、私のような馬鹿にでも分かる(納得できる)スローガンを分かりやすく提示して欲しいですよ(もちろん、「分かりやすさの罠」もあるし、その辺はある程度割り切る必要があると思いますが)。小泉さんは、私のような馬鹿でも分かることしか言わなかったから、人気が出た訳でしょうし。中二病じゃあるまいし、背伸びする必要はないと思います。もちろん、政治はそれほど単純なものではないんでしょうが、訳の分からないものを出されても、訳が分からないとしか答えようがありません。

以上、電波床屋談義終わり。

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