はてなキーワード: ゲームソフトとは
とりあえず画像OFFでの閲覧を推奨しますけれども。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anchor18.blog77.fc2.com/blog-entry-195.html はてブの反応がマジコンの話題と全然違う。鳥山明さんのイラストを1円も払わずに見て喜んでる人たちと、マジコンに怒っている人たちは重なっていないのでしょうが、マジコンに怒った人は、こっちにも怒るのが道理。
結局、何なのかというと、自分も(時々)やってることは、規制されたくないんだな。自分が絶対にやらないことなら、ガンガン規制しろ、っていう。身勝手なんだよ。Googleストリートビューのオプトアウト方式に文句をいっている人は、「事前に著作者の許可を取れ」と、ここでもいうべきなんじゃないの。
鳥山明さんの画集はいま、品切れになっています。新刊で買いたくても買えないのかもしれない。でも、画集が再販されたらアップロードをやめるとは、とても思えない。
ともかく、そりゃもちろん、何でもかんでも言及する暇は誰にもないが、ブクマが100ついたら4人や5人くらいは怒っていいんじゃないのか。現状は、私の感覚では、あまりにもアンバランス。
まあ、イラストとかだと、まだマシなんだけど(稀に怒る人がいる)、風景や女性の写真はホントひどい。数百人もブクマして、誰一人、著作権とかいわないの。一体どこの誰がボランティアで世界中を飛び回って素晴らしい写真を撮影してくれるのでしょうか。(もしボランティアでも著作者名くらい表示すべき)
Tumblr でリブログする人々への反発を読んだときも、同じようなことを考えていました。今般のマジコンの話題を見るに、はてブ民は「仲間」だけでなく、ゲームソフト開発会社の権利にも敏感な様子。
でもカメラマンの著作権や、モデルや芸能人の肖像権には相変らず無頓着なんですね。2chまとめブログなどの画像まとめ記事に多くのブクマが集まっていたりするけれども、隠し撮りっぽい画像に対する「盗撮許せない」の声はあっても、カメラマンの著作権やモデルの肖像権を問題視する意見は全く見かけない。
一体どこの誰がスタジオや衣装を用意して、メイクして、照明を当てて、写真を撮影していると思っているのか。カメラマンもモデルも、無料で勝手にばら撒かれたくて写真を製作したわけがない。
AV女優に人権はないとか嘯いたという犯人たちには怒りの声が上がったのに、金目当てで脱いだ女優の画像なんか無料で流しても心は痛まない、みたいな発言にはロクに反論がなされない。空気読め、みたいなね。程度の差はあれ、後者だって十分ひどいのに。まあ、かくいう私も初めて書いたわけだけど。
単に優先順位の問題なのだと信じたいところですが、しかし優先順位というならね、世間の9割方の人間がダメといってるマジコンより、過半数の人間が著作権を想起すらしない風景写真系の画像まとめスレ(+デスクトップの背景用画像まとめスレ)とかの方が、よっぽど危機的なんじゃないかと私は思う。
「インターネットで無料エロ画像が放流されてるのを探したことがある」とか、何の後ろめたさも感じさせずに話す連中が世の中には多すぎると思いません? 本当にみんな胸を張ってマジコンユーザーを嘲笑できるのか。ジャンルが違うだけで、実態は同等の犯罪者なんじゃないの。
権利者が削除を要請しないからいけない、権利に胡坐をかく権利者は権利を剥奪されるのだ……あー、はいはい。それはそうかもしれませんが、実際に削除要請をしたら大勢が堂々と反発してみせたというのがニコニコ動画で起きたこと。許せない、とか、もうDVD買わない、みたいな脅迫とか。
権利者は、単にもう絶望してるんだと思う。だったら市場から退出しろ、っていうなら、マジコンユーザーを客と認識していないスクエニは許せない、みたいな意見と何が違うのか。
そも、ゲームソフトの違法コピーの歴史は長い。それは80年代から既に存在し、その当時から既に違法化されていたにも関わらず、「私的複製」が許可されていることを盾に「バックアップ」という名前でアングラの世界で細々と生き延びてきた。
しかしこの国では、ゲーマーの著作権に対する意識が成熟し、またゲームソフトが大容量化するに伴い、その行為は更にマイナー化し、じきに絶えるように見えた・・・のだが、どっこい、韓国、中国と言った未だ著作権と言うモノを「理解」していない国の人間がゲームソフトと、その周辺技術を手に入れて流れがおかしくなってしまった。
折も折、現在の主流ゲームコンソールは他のマシンに比べれば小容量のNintendoDSである。大容量化/低価格化したフラッシュドライブがあれば確保できない容量ではない。マジコンの誕生である。
日本人ゲーマーのモラルが向上したことで、ほぼ壊滅状態であった違法コピーという行為が、未だそれを卒業できていない世界から逆流してきてしまったのだ。
そんなモノをアングラ好きな学生が放っておくハズがない。ある程度のリテラシーを持つ層から順に手を出していく流れができていく。
その流れをアングラ出版社が見逃すハズはなかった。書店の店頭には次々とマジコンについての書籍が並び、あたかもマジコンが一般的であるかのような風潮を作りだしてしまった((この辺り、出版社のモラルも問うべきなのだろうが、私的複製云々を持ち出されると文句の付けようがない))
運の悪いことには、任天堂は丁度DSで、非ゲーマー層を発掘しようとしていた。その狙いは正しい。だが、そこに一つ読み違いがあった。「非ゲーマー層」はかつてゲーマー層が経験してきた「ゲームは著作物である」という認識を得る過程を経ていない。
つまり彼らに取ってゲームとは、ダビングし放題のCD((これ実際のトコ法的にはどうなの?))などと同様の存在に過ぎなかったのだ。そこに先のマジコン本である。となれば違法コピーは普通の行為としか受け取れない。こうして「窃盗行為の日常化」((私にもモラルがありますので、大衆化なんて言葉は使いません))というおぞましい現状が完成する。
・・・と、まあここまでが背景。私の視点からなので、ちょっと事実と異なる所はあるかも知れないけど、大体の所は外してないと思う。
で、じゃあ今回の判決でどうなるの、という話ですが、
と言った、基本的には良いことしか思いつきません。
ちなみにDSの同人ゲーム云々の話は、ロイヤリティを払ってライセンスを得て、初めてゲームを出せるのがゲームコンソールという機械なので、そもそもの存在が間違っています。
そういうお客さんには違法だという旨を言いますよ。
ですが、お客さんによっては
「得になって、便利なものがどうして違法なの?」
と聞き返してくる人もいます。
不思議ですね。
マジコンを求めるお客さんは総じて注意を
受け止めてくれません。
親と同じ感じです。
人がいます。
対策を色々行っていますが、いたちごっこです。
このマジコンの問題を「酷い」と感じたのは
お店で仕事をしている時に、お客さんが
「こういうもの(マジコンの説明)を探している」
言ってきた時です。話し振りを見ていると
ゲームについても知識が浅そうな感じでした。
遊ぶという人はいましたが、それは極々限られた
人達だったように思われます。ですが、今は
マジコンに触れているようで、更にそれを
使うことに問題意識が無いことに危機感を
感じます。
早急に、マジコン対策を強化しなければ
ゲームソフトを作る人はいなくなって
しまうと思いました。
お米を作ってくれる人がいなければ、ご飯は
食べられない。作ってくれる人がいなければ、
それはなくなってしまうものだというのは
当たり前のことだと思うのですが…。
日本は恵まれすぎてるんだよ。
ぶっちゃけ、24年前に発売されたスーパーマリオブラザーズだって、普通にクリアしたりBボタン押しっぱなしでクリアしたりキノコ禁止でクリアしたりと、プレーヤーの創意工夫でいくつもの楽しみ方が出来る。その辺はニコニコ動画あたりで「○○縛りプレイ(エッチな意味じゃないぞ)」なんてのを見れば明白。
「マリオ」みたいな古くてシンプルな動作のゲームですら工夫の余地があるんだから、その気になれば最新のゲームなんてどんな風にでも楽しむ事は出来るはず。それをあれが出来ないとかこれ余分だとか難癖付けるというのは、日本のゲームソフトの傾向のみならず、当人の「ゲームを楽しむ能力」の低下によるところも大きいと思う。
何もかもメーカーに用意して貰わないと楽しめないというのは、プレーヤーにとってもメーカーにとっても不幸でしかない。今の日本のゲームファンに必要なのは「このゲームを徹底的に楽しんでやるぜ!」という熱気のように思う。
周囲の大人どもの対応が酷すぎてあきれてしまった。
小学一年生が死に立ち会うに幼すぎるなんてことがないのは、ブコメやレスで言われてるとおり。
子供はそんなに弱くないよ。
でも自分だけで死を受け止められるほども強くない。
だから周りの大人がサポートしてやらなきゃならない。
これから何が始まるのかもよく分かっていないであろう我が娘に
って時点で明らかに説明不足。
別に親じゃなくても、適当な大人が「これから何をするのか」「どういう意味があるのか」説明してやるべきだった。
周りの大人たちもそれなりに緊迫してるであろう空気の中で、いきなり骨を目の前に持ってこられればパニックにもなるだろう。
パニックになったあとの収め方なんてどうでもいいけど、一人でゲームをやらせるなんてのはちょっとどうかなぁ。
やっぱり大人が付いていて「驚いたの?」とか「あれは怖いものじゃないよ」とか話しかけて安心させてやる方がいいと思う。
初めて向き合った死を受け入れて理解するのを、子どもだけの力に任せるのはあんまりってものじゃないか?
その後もどうも(増田の書きぶりからすると)「そっとしておいてやろう」的な扱いをされてるように読める。
傷が付いたところに包帯も巻かずにそっとしておいたら、そりゃあ悪化するだけだろう。
子どもは手当ての方法も知らないし、自己治癒力に頼るのだって限界ってものがある。
増田と周囲の大人が今すべきことは
こりゃPTSDになったかもなあ
その子どもが何をどう感じているかを聞いてやって、
その子が死と葬式というものを理解して受け止める手助けをしてやることじゃないのか?
もうしてるなら余計なお世話かもしれないが。
多くのゲームでは映画のように、ゲームクリア後にそのゲームソフトを開発したスタッフの名前が順次表示されるのが恒例になっている。最初はプロデューサーとかディレクターとか、音声入りであればその声を当てた人などに始まり、徐々にポジションの低い人達に移っていく。
そういった方式の多くが、最後のカテゴリとして「SPECIAL THANKS」を登場させ、実のところ何をしたのか分からない人達(個人名の場合は肩書きが無い場合が多い)がずらーっと並び、そして最後に「AND YOU」で終わったりする。これは、最後までプレイしてくれたプレーヤーに対する、開発スタッフからの感謝の意を示す物であることは想像にたやすい。
この終わり方の元祖って何だろう?スタッフロールそのものの源流である映画にそういった文言があったのだろうか?
それともゲームに輸入された時に新たに追加された文化なのか?
彼と出会ったのは中学生の時。共通の友人の紹介だった。
バスケットボールという共通の趣味もあり彼とはすんなり打ち解けた。
どちらもあんまり上手ではなかったけど、ただただ楽しかった。
特に示し合わせはしなかったけど同じ高校に入った。
願書提出する時にたまたま居合わせて「あれ、おまえも?」みたいな感じだった。
うれしかった。
彼は3年間通い通し、ぼくは3ヶ月で辞めた。
運動神経がなくてついていけなかったからだ。後は先輩とかとなんか打ち解けられなかった。
今思えば、今後の展開の元が此処にあった。
クラスは3年通して隣のクラス。特に示し合わせがなく同じ理系の道を進んだ。
共通の友人もいたが、お互い別々のコミュニティに入り、少し疎遠になった。
でも通学とかは一緒だったので特に寂しくなかった。
でも、過程は違う。
彼は元からその大学を選び、私は推薦で別の大学に落ち、失意の中担任に言われるがままに選んだ。
同じ年、同じ大学に入学した。
学科が違うので授業とかでも殆ど一緒になれなかった。
でも、通学は一緒だった。
高校の頃より疎遠になったけど、それでも一緒にいることは多かった。
バスケもたまに一緒にやった。
一時期一緒のアルバイトをした。彼はそこの創業メンバーで私は途中から参加した。
ちょっと違ったのは彼はマネージャーっぽい感じでぼくはヒラだったこと。
そして、彼は精力的にそこで仕事をし、ぼくは空いた時間にそこで仕事をしていたこと。
これはスタイルの違い。仕方ない。
特に不満はなかったけど1年くらいでぼくはそこを辞め別の場所でアルバイトした。
他意はなかった…と思いたいけど今となってはわからない。
此処でぼくは非コミュをこじらせ鬱に近い状態になる。
2年の頃からだんだん大学に行かなくなった。行っても図書館に閉じこもる日々。
成績はどんどん落ち、挙げ句の果てに留年した。
彼は入った会社で持ち前の勤勉さと努力でどんどん信頼を得ていった。
大学で学んだ分野が少し特殊な上、求人も殆どなかったのでそこで仕事をできたのは幸運だった。
しかし、半年して会社に行けなくなった。正確には通勤途中のバスから降りられなくなった。
理由はわからない。降りるバス停付近で頭が真っ白になってパニック状態になり降りられなくなったのだ。
彼は二度目のボーナスを受け取っていた。
彼が勤続数年目を数えていた時、ぼくは両手で数えるくらいの会社をクビになった。
理由は同じ。あるときを境に会社に行けなくなってしまう。
2つめの病院で「適応障害」という診断を貰った。適応に関する障害。社会に適応できない…よく言ったものだ。
大学の頃からあったっぽいけど彼には恋愛経験があった。彼女がいた。出会いはアルバイトだったらしい。
去年、彼が彼女を紹介してきた。何でかよくわからなかったけど、ある日いきなり「そっち行く」電話かかってきて、車でやってきたと思ったら助手席に彼女がいて訳もわからないまま車に乗せられてそのまま3人でチャーハンを食べた。
二人はつきあって数年していたのに何で今更…という疑問はあった。でもすぐにそれは解消する。
自分のことのように嬉しく、おめでとう、と素直に言った。
ぼくは年その秋、派遣会社をクビになり人生に絶望して自殺を図った。未遂だった。
自殺方法がちょっとアレだったので記憶が全くなく連絡したかどうかも記憶にないのだけど、そのとき一人暮らしだったぼくの元へ彼は車で飛んできて色々大変な思いをさせたらしい。
本当に迷惑をかけた…と今でも罪悪感を感じる。
そして今年。
彼は同じ会社で働き続け、上司の信頼厚く先輩同僚にも恵まれている。
ぼくは今年4回仕事を変えた。通算何十社目だろう。覚えていない。履歴書にも全部書いていないし。
そろそろ職歴や年齢の問題で就職も厳しきなってきた。何十社も落とされてやっとアルバイトで、なんて事もあった。でもそこは一日で行けなくなってしまった。
社会に適応できない病は自殺未遂後酷くなった。昔は通勤はできたのに今は外に出ることすらできなくなり、部屋に閉じこもってうずくまるだけ。
周囲からは休養も薦められたけど、金銭的な事もありすぐに働かざるえない状況だった。
今年は本当に金銭的に苦しかった。ゲームソフトやゲーム機から自殺する時一緒に連れて行こうとすら思った車も手放した。
車が使えない兄ちゃんに引き取られていくのを見て血の涙が出るほどに悔しく思った。
この冬、私は30社近い企業からお祈りの言葉を貰った後、運良く派遣会社に引っかかり就職した。ただし、業種は望んだものではなく「誰にでもできる」「簡単」なもの。
色々と思うことはあるけどこのご時世、仕事に就けただけでもありがたく思う。
とは言え、就業後一週間でまだ一日しか行っていない。風邪を引いたのもあるけど、適応できない病が発動し家から出られないのもあった。
穿った見方をすれば風邪を隠れ蓑に仕事に行けないでいる、と言うのだろうか。
派遣元、派遣先ともに風邪である欠勤ということで理解は得ており、今度の週明けからの復帰で良いと言われている。
社会に適応できない病のことはどちらにも言っていない。言えるわけがない。言ったところでいつぞやの派遣会社の若い支店長のように「精神障害者は使えないんだよ!」と言われるのがオチだ。
唯一真実を知る友人からは「そんな事言うのはそのバカだけだ」とお説教を受けているけど、会社の人事とかそういうの人はどこの誰も同じことを言うと思っている。わざわざリスクを背負った人間を雇用するわけがないし、援護するわけがない。
精神障害者はゴミのように捨てられる。多分それがこの時代、この国の真実。
そんなのは大学を卒業したり、スキルのある優秀な人間にだけ。私のような大学中退でスキルも中途半端な人間には出るわけがない。
精神病んでいてもそれを隠して働かないといけない。そうしないとぼくは二度目の死を選ばなくちゃいけないから。
話は彼のことに戻る。
数日前、彼から衝撃的な話を受けた。
なんと「彼二世」ができたらしい。
そりゃ驚いたし、喜んだ。大切な友人に子供ができたのだから。
だけど…
ここからがこの文章書き殴って言いたかったこと。
私にとって彼は遠くの存在になってしまったと感じて仕方ない。比べてしまう。コンプレックスを感じる。
スタートラインは同じだった。同じ中学、同じ高校、同じ大学。路は微妙に違うけど、共に進んだ。
だけど!
いま!
こんなに状況は違う!
方や大学卒業、新卒で入社し順風満帆の仕事生活。プライベートでも恋人がいてそのまま結婚し子供ができた。
一方ぼくは精神病んで大学を中退し、職を転々とし、今も仕事は安定してできない。
どうしてこうなってしまったのだろう。
どうしてこんなに差ができてしまったのだろう。
彼は努力家であり、ぼくは怠け者だった。多分それが答えなんだろう。
世間もそう云うと思う。そして彼を称え、ぼくを笑い罵るだろう。
実家の玄関にバスケットボールが転がっている。ドンキで買ったちょっと良いモルテンのボール。
いつもぼくの車に入っていたボール。最後に使ったのは数年前、6月にしてはとんでもなく暑い日に彼とクーラーが壊れたこの車で「暑い、暑い」と笑いながら隣街のコートに行って小一時間1on1やったきりだと思う。
また、彼と、バスケがしたい。
20年以上アキバを愛好している人間から言わせて貰うと、「悪い」と断言できるものって数年前、中央通りの店舗でも平気でエロゲー系のポスターやPOPが歩道に出てたときくらいじゃないかと思う。
裏に入ればそういうのがあっても仕方ない。だって売れるんだもの。あとその手の人たちは見てて楽しいんだよ。
売れなくなったから仕方ないんじゃない?
だって、売れないものをお店に出してるだけじゃ仕事にならないでしょ。
そういう風景に戻したければ、まずネットでゲームを買うシステムを失くしてDELLやAcerも含めてショップブランドのPCの値段を全て15万円以上にする必要がある。
そこまでやれば、それなりにまた自作というか組み立てPCの時代はくるだろうしネットでゲームが買えなければ少しは客足が増えるかもしれない。
時代は変わる。
個人的に秋葉原は好きだし、今でも無意味に秋葉原に通い続けてるよ。
もちろん言いたいことはわかるし下手なパフォーマーがいるよりは、スケボーやバスケしててその近くでインディーズが歌ってる風景のほうが好きだ。
でも俺が本当に好きだった秋葉原、というのはガンダムWやエヴァンゲリオンが出てきた時代より前。
エヴァンゲリオンの大型ポスターやらPOPやらが歩道に出てきたとき、卒倒ものだったね。
何て恥ずかしくてかっこ悪い街になってしまったんだと思ったよ。エヴァンゲリオンだよ? あんなの中央通りで堂々とたくさん張り出されるなんて秋葉原も狂ったかと思った。
そんなものが出てくる前の秋葉原はさ、書院やコードレス電話のポスターやらがよく目について、ゲーム機やゲームソフトは言うまでもなくバーコードバトラーとかおもちゃ系もよく見かけた。
ああいう街が一番好きだったんだ。
そして今増田が思っているようなことは10年以上前に考えて、これも時代かと悟ったわけだ。
好きなものが変わっていくのは受け入れがたいときもあるけど、ここ15年くらいは特に変化が激しかったわけだし今更そんなこと思っても楽しくないだろうから新しい秋葉原を楽しむように心がけるのが一番だよ。
もちろん、今、日本で広く売れているライト系知育系ゲーム、あるいはポケモン等を評価する人は、日本にも外国にもたくさんいるでしょう。
私が、日本のゲームの現状に、幼稚な風景を見出したりするのが、わからない人、そんなことを言い出すこと自体に不快を覚える人もたくさんいるであろう。
実際、そういう人のほうが多いかもしれない。
だが、この本は、そのような人に向かって、私と同じようにものを見て下さいと訴えかける本ではない。
ゲームも芸術であり、芸術のよしあしほど、人を納得させるのに困難なことはない。
この本は、この先の日本のゲーム開発者・ゲーマーそしてビデオゲームの運命を、孤独の中でひっそりと憂える人に向けて書かれている。
そして、究極的には、今、どんなゲームソフトが売れているかなどはどうでもよい、少なくとも「縦画面のブラウン管に遅延も残像もなく映像が出力され、良質なマイクロスイッチが使われたコントローラを備えたもの」が「ゲームの王道」という名に値したころのゲームさえもっと遊ばれていたらと、絶望と諦念が錯綜するなかで、ため息まじりに思っている人たちに向けて書かれているのである。
ゲームでもnifty-serveでも国産ケータイでも親指シフトとかメカニカルスイッチのキーボードでもなんでもあてはまりそう。
ようするに。
こういった引用された部分だけ読んでる分には、
日本語が亡びるから悲しいみたいな話は正直同感なんだけど
それをとりたてて騒ぐなんてのは水村氏がこれまで好きだったものが、たまたま
これまでずっと亡びずにやってこれた日本文学だったというだけのことなんじゃないのかと思うのだ。
俺なんかが好きになったものはそれを作り上げるプラットフォームごとどんどん亡びていったものばかりなので、
いま
「もうすぐ日本語が亡びちゃいますよ。それをベースに作られていた文学なんかもなくなっちゃう」
と言われても、
「あーまたですか次は日本語ですかしょうがないよねこれまでいっぱい亡くなってきたからね」
と思っちゃたりするわけです。
530スレの内230スレがMHPスレ。どうでもいい内容だったり重複してたりで、しかもパート化して2桁とかいってるし。他にも携帯ゲームソフトなんて山ほどあるだろうに・・・
「スマブラにストーリーを!」とか要望してみたり、スマブラ小説とか書いてる人に対する皮肉。
多分何かのテーマ性があるんだろうな、とは思ってたけど、たぶんこうだと個人的には思う。
もうちょっと詳しく掘り下げて書きたいけど、そこまで文章力がない。残念。
エインシャント卿はゲームソフト(スマブラX?)の開発リーダー、ロボットは開発者たち。
タブーの命令によって亜空間爆弾で、ゲームのおいしい所を切り取っていく。
最後にエインシャント島が消えたままになってしまったのは
ハードの性能の向上や続編という不文律に対して、膨大化した開発者の構想やプレイヤーの要望の結果、
それらが満足に実現できないまま取り返しがつかなくなってしまったから。
ゲームとしては『亜空の使者』、「なにこれつまんねえ」って最初は思ってたんだけど
スマブラX本編に慣れた?後にやってみたらこれがなかなか上手く動かせて面白い。噛めば噛むほどなのかな。なんでだろうね。
http://www.makonako.com/mt/archives/2008/10/post_735.html
はてブで見つけた上の記事を読んで、いろいろと思ったので、長々と書くー。
自分の立場は以前、ゲームとか本とかいろいろ扱っているお店でバイトしてた、今はただのゲームライトユーザー。
お店は新品・中古両方を扱ってたー。
んで、引用とかメンドーなので省略して、よーするに、
『中古はメーカーにお金が入らないから、中古を買うユーザーは客じゃない!』
というようなことが書いてある。他にもいろいろ書いてあるけど、よーは、
ここで言いたいのだが、誰に儲けさせたいのか、ということ。中古を買うと、儲かるのはショップだ。あなたはショップのじじいに儲けさせたいだけなのか、と。作っているメーカーに対する感謝の意を形としてまったく表することなく、ショップのじじいやばばあを儲けさせたいのか、と。
ということが言いたいのだと思うのですよ、はい(引用してしまった)。
中古の売買は合法的だけど、ショップの野郎どもを儲けさせるのは、けしからん!
新品を売っても利益出るんだろ、新品だけ売れよ、この豚ども、とも聞こえてくる(空耳)。
たぶん、中古の買取価格と販売価格の差があまりにで、「ぼったくりじゃね?」と思ってるんだろう。
(たまーに、ほんとにヒドイのはある……バイトしてびっくりしたのある)。
だけども、バイトしていた経験からだと新品だけ売っていたらショップはツブれると思うわけです。
そもそもゲームの卸値って8掛けくらいでしょ。ハードだともっと。
すると大胆な値引きができないのですよ。amazonとかアホかと、ホント……。
ハードなんて偉い人が決めた店頭価格で売ってるのに、クレジットカードで購入されると
「店長! (手数料考えると)なぜか原価割ってます! 赤字ですよ、どーなってるんですか?」
とバイトの人間が心配するほどですよ、ええ。なんですか、この店は……いや原価がおかしい?
この問題ってどっちが先なのか新参の自分では分からんのですよ、
どなたか知っているエライ人がいたら教えて欲しいのですよ。
だから上記サイトで言われている新品価格の上乗せってのが、よく分からない。
とくにハードの性能が上がっている今時は開発費の高騰が問題なんでしょ。違うの?
それにそもそもメーカーってショップや問屋の発注を受けて、それで儲けているわけでしょ。
ユーザーが直接メーカーにお金を落としているとは違うわけでしょ(語弊ありまくり)。
本みたいに返本できないから、売れ残るとショップは困るわけでしょ。
地方弱小ショップは1本売れ残ると、2年、3年って在庫に残っちゃうわけでしょ。
薄利多売だからって強気で仕入れて失敗したり、次の仕入れに影響するからって、
無理して仕入れて不良在庫の山を築いてみたりと、ショップはしているわけでしょ。
なにしろゲームソフトって初動が勝負で長くて2週間がリミットなわけでしょ。
任天堂系ソフトみたいにファミ通のトップ10に長々と居座るソフトなんて、
ほーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんとないわけでしょーーーー。
ギャンブルみたいな新品もちゃんと売ってるんだし、中古で儲けたっていいでしょーー。
と、ショップが言いたくなるのも分からないでもないでしょ、ねぇ……。
以上、上記サイトを読んで思ったことを長々と書いた。
あと、ついでだから日ごろ思ってたことをちょっと書く。
ホント、チラシの裏ですだよ。
いったん中古市場ってのが出来上がったんだし、もう無くせないでしょ。
これはもうメーカーだってそう思ってるから対策をいろいろしてるし。
(中古問題があるから、という理由だけじゃないだろうけど)
いわゆる廉価版の売り出し、予約・購入特典の充実、ダウンロード販売など。
それぞれ中古市場への影響について簡単に思ったことを以下に書くー。
それより安い廉価版が出ると、その価格に合わせるしかないから。
ショップとしては発注がかけられるから良い面も多いけど。
(というか発注しないと販促がカットされたりの危険が……ブルブル)
でも、わずかな可能性としては中古価格の値下がりが早まるかな。
特典目当てでゲームはすぐに売ってしまう場合とか。
何しろこれはファンに向けての意味合いが強いから。
単純なゲーム好きには訴求力がない気がする。
そもそもクロスメディア化の波が激しすぎてファンもショップも溺れている気がす…。
ダウンロード販売は新品・中古市場に大きな影響を与えると思う。
すでにパソコンゲーム(エロゲー)ではダウンロード販売が増えている。
そこでどんな影響が出ているのか、バイト先は取り扱いがなかったので、よく知らない。
で、コンシューマーの方でも、はじまりつつある(wiiウェアとかね)。
しかも旧作の再販といった感じではなくて、新作ソフトの発売も。
たとえば、PS3のソフト『サイレン』がダウンロードで先行販売されたし、
PSPのソフト『勇者のくせになまいきだor2』もパッケージ版と同時発売された。
それで注目したいのが価格設定。
『勇者のくせになまいきだor2』は2800円(パッケージ3980円)。
(店頭での価格はもっと下がるから『サイレン』はダウンロード版と価格は違わないと思う)
商品としてのゲームから、サービスとしてのゲームへ、というのが個人的な感覚。
すでにオンラインゲームとかあるから、するっと見過ごしそうになるけど、
コンシューマーゲームでの意味合いは「今のところ」見過ごせないほど大きいと思う。
5500円出してダウンロードしても、飽きたから『売る』ことはできない。
これって意外と大きな違いだと思うので、気になるところですだよ。
sofmapで調べたら『サイレン』は2600円(20日現在)で買取している。
あきて売ってしまおうという人は今なら2900円ぐらいで『サイレン』が遊べたことになる。
じゃぁ、売って違うソフト(新品・中古は問わず)を買う足しにして、飽きたら……
とエンドレスに続く可能性はある。
でも、ダウンロード版はこれができないでしょ。(ソフトのデータって売買……していいのか?)
『実験的』な販売にとどまっているけど、
このバランスが崩れるときに、ユーザーが気になる価格設定にすごーく影響が出るのだと思うわけです。
コンテンツそのものの価値とか、あーだ、こーだ、といわれたりするのかも……ないか。
(つーか、なぜ、sonyはこんな観測気球的な販売方法を打ち上げるんだろう。
もっとさきに過去の資産をダウンロード販売してくれよ。てかPS2が存命でできないだけか?
互換性があるのもないのもsonyの足を引っ張っている気がする……)
ほんと無駄に長くなってる。
簡単にまとめると、メーカーもショップもユーザーも自分たちが満足できるようあれこれ考えてます。
ショップが中古でぼろ儲けしてるというのは、ほかに儲けようがないからで、努力の結果の一つです。
ユーザーは「ぼったくるなよ」と怒らないで以前買おうと思って買わなかったソフトを中古で買ってみてください。
メーカーはかさばる無駄な特典をつけるよりも発売日にソフトを発売してください、できれば延期はやめてください。
ショップはとにかくたくさんの新品商品を仕入れて、とにかくたくさん売ってください。
そうすれば、地域にたくさんのゲームソフトが流れて、いずれ「これ買い取ってください」とお客さんが来店します。
(「お売りください」と標語のように言うのははばかられる……)
知人がネット通販のAmazon.co.jpで
ゲームソフトとゲーム機本体がセットになっている商品を予約した。
人気タイトルらしく、以前アマゾンのサイト上に予約を開始したらメールで連絡をくれると表示されていて、そこにメールアドレスを入れていたという。
あれ、でもなんかおかしい。注文完了をメールを見る。
てっきり当人はアマゾンで予約したつもりでいたのだが、じつはアマゾンに出店してる業者からの購入だった。
販売価格は定価だと思っていたら、定価の2倍近くする価格をつけていたという。
あわてて取り消しを依頼したところ、「一切、キャンセルを受け付けていない」との返事が。
出品者のページを見るとたしかにキャンセルは一切受け付けませんと書かれている。
アマゾンのカスタマーサービスに連絡したら、それは当事者間で解決してくださいという。
まあ、本人がメールの文面やサイトの価格表記をよく確かめていないという問題もあるとは思うのだか、
PSP版が発表されてますますヒートアップしている、バンダイナムコゲームスのゲーム「アイドルマスター」なわけだが、
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1417195379
多分、このページが原因と思われる推測があたかも事実であるかのように各所で語られているのが気になるのでちょっと言及しておく。
GoogleやYAHOO等で検索する限り、それを示す資料は見つからない。
Wikipediaの項目によると稼動時期は2005年7月とされているが、ロケーションテストは同年1月には行われていたらしい。また、筐体に採用されている基盤はPS2互換のものらしい。
発売日は2007年1月25日。ネット上で話題になっているのはもっぱらこっち。アーケード版はPS2互換基盤だったが、移植の際にアーケード版のデータ流用は一切ないそうだ。開発期間は約1年。開発に使用したミドルウェアはCRIWARE(CRIウェブサイトの「採用タイトル」から確認可能)。
【CEDEC2007】『アイドルマスター』『エースコンバット6』『鉄拳6』……開発者が3Dアニメーション技術を明かす
http://www.inside-games.jp/news/239/23982.html
本作の作業期間は約1年で、メインスタッフはダンスパート3名とコミュニケーションパート3名だったそうです。アーケードゲームからの移植作ですが、アーケード版のデータは一切使用していないとのことです。
さて、一般的なゲームソフトのマスターアップは発売日の1、2ヶ月前というのが通例と言われているので、そこから逆算すると、Xbox360版の開発開始はおおよそ2005年末と推測されるスタッフのインタビュー記事より、Xbox360版は2005年5月頃から開発開始している。引用記事の「作業期間」が実質的な開発期間を指すのであれば、移植先のハードウェアを選定した時期はもう少しさかのぼる必要があるだろう。
そして、移植プロジェクトが立ち上がったと推測される2005年下半期という時期について調べてみると、そのものずばりな記事が出てくる。
SCEI、プレイステーション 3向けツールおよびミドルウェアライセンス提供を開始
http://plusd.itmedia.co.jp/games/articles/0509/27/news060.html
ソニー・コンピュータエンタテインメントは、プレイステーション 3用ツール・ミドルウェア開発企業向けのライセンス提供を、10月1日より開始すると発表した。
つまり、2005年9月以前はPS3向けのライセンス提供が始まっていなかったという事になる。よほどの大型プロジェクトでもない限り、これよりも前倒しで開発開始できるような状態ではなかったはずだ。となれば、アイドルマスターのコンシューマ移植プロジェクト立ち上げ時点では、PS3タイトルのプログラマーはナムコ内にいなかったか、いたとしても他のプロジェクトにかかりっきりだったと考えるのが自然だろう。バンダイナムコといえばPS3発売日に「リッジレーサー7」と「機動戦士ガンダム ターゲット イン サイト」を発売しており、しかも後者はXbox360版アイマスと同じCRIWAREで開発している。よって人的リソース配分の関係でPS3での開発は敷居が高かったのではないかと推測する次第だ。
…というのが、「SCEI(ソニーコンピュータエンターテインメント)に断られたから」などという話よりもよほど説得力があるんじゃなかろうかと思うんだが、どうだろうか?
世間一般に言われる『俺の嫁』について、実際のところどれくらいの経費がかかるものなのか。
一夫多妻制であること、それに伴いかけ算が効いてくる部分や圧縮できる部分が出てくること(例えば同じ作品に複数の嫁がいる場合は食費を圧縮できる)などがポイントか。
あれ、意外と少ないな。まだあるはずだ。てか単にこれキャラビジネスの収益分類を焼き直しただけじゃねーかということに気づいたので途中まで書いて投げ出すことにする。
マジコン訴訟で任天堂すげー!みないな声がネットでちらほらあるんだけど
ネットでよくある意見でいうとさ、アニメや音楽の既存のビジネスモデルは
ネット時代に対応できず新しいビジネスモデルを考えるときにきている。という感じだったよね?
ニコ動やらYoutubeでアニメとかを消す著作権者を痛烈に批判していたじゃない。
それは、ゲームでも同じことがいえるんじゃないの?
ネットが発達してゲームソフトをネットで共有する時代になったんだよ。
時代遅れになり崩壊し始めてる自分たちのビジネスモデルを必死に守ってるだけ。
それってジャスラックとかとやってることは同じじゃないの。
2本以上のゲームソフトが手元にあり、両者とも一定以上の遊ぶモチベーションがある場合、人によってはかなり危険な状況に陥ることがあると、身をもって知った。
まずはソフトAをプレイ開始。しかしいずれはモチベーションは尽きてしまう。そして気分転換にソフトBを開始。しかしいずれはモチベーションは尽きてしまう。そして気分転換にソフトA(もしくはC)を開始。しかしいずれは(以下繰り返し)。
自分がまんまとこのループに陥り、先週金曜の夜に開始したはずなのに、気がついたら三連休の最終日早朝だったという。まる二日間、椅子とトイレを往復するだけだった自分の姿を想像して絶句。そして自覚した瞬間に肉体の限界が訪れ、空腹と目の疲れと睡魔で爆睡。次に気がついたのがおよそ24時間後(目覚ましが鳴る1時間前)だった…。こんな生活を週末ごとに繰り返してたら寿命が2割引になってしまうと恐怖した俺は、とりあえず手元のソフトを一本だけ残し、残りは弟や友人に無理矢理貸しましたとさ。
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20376901,00.htm
のブクマより。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20376901,00.htm
2008年07月11日 nicht-sein apple, game "「ここまで整ったプラットフォームは世界初」"プラットフォーム、の前に「携帯電話では」が抜けとる。
あとは開発環境がVSに比べちゃうとどうしてもねぇ(苦笑)
(「VS」はVisual Studioでしょうか。)