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はてなキーワード: ピーチとは

2009-02-21

僕の村上春樹勝手オナニーしないでよ

URYYYYはDIOなら、やれやれは承太郎だろが

ウヨクとかケーザイガクシャとかなんなの?

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/26ca7359e6d2d15ba74bcdf9989bee56

イスラエル人の前でこのようなスピーチを行うことは、受賞を拒否するよりはるかに困難な決断だ。彼の小説デビュー作が『群像』に載ったときからすべて読んでいるが、このスピーチは彼の最高傑作だ。よくやったよ、君は日本人の誇りだ。

もう少しです

本当に読んだの?

ピーチも含めて

いや、スピーチだけでもいいから

ケーザイガクじゃなく日本語コミュニケーション勉強しましょう

村上ファン、ハルキストかなんなの?

「ボクたちの村上春樹政治利用するな!!」

いやいやいや、その言葉↑が政治利用になってますから

"政治利用するな"って言う政治利用をしてるの、君たちは

本当に小説読めるの?日本語できてるの?

本当にやれやれだよ

はてサとかサヨクはなんなの?

まるで、童貞中学生クラスの女子でオナニーしていることに悩んでいるみたいにウジウジしやがって

春樹でオナニーしたんでしょ?

だったら、とびっきりの笑顔で「ありがとう」って言って、握手を求めればいいんだよ

もちろん右手でさ(サヨだから左手利き手でやっとけ)

春樹は単なるクラスの女子であって、アイドルじゃないの

わかった?

おれはみんなのオナニーはもう見たくないの

みんなが、春樹でオナニーした話はもういいの

春樹のオナニーも見たくないの

イスラエルセックスする方法を教えてよ

オデバカダカダヨクワカンナイの

自分の無能をエクスキューズに使って悪いと思わないよ、もう

どうやったら、パレスチナセックスできるんだよ

誰か教えてくれよ

もう見たくないの、こういうのは

http://d.hatena.ne.jp/tmsigmund/20090214

小説文学なんて、政治思想に勝てないし、

政治思想は、銃弾や軍隊に勝てないことなんて初めから知っていたろうが

負け戦なのは初めから知っている(た)のに何で、今になって感想戦なんかしてんだよ

ばっかじゃないの

いや、あったまよすぎじゃないの

やれやれ

2009-02-19

にわか村上春樹読みが多過ぎる

村上春樹に興味はまったくなかったが(ノルウェイの森だけ読んで、つまんないと思ってそれ以外読んでなかった)、この度のスピーチさわぎで少しだけ興味を持って、ネットで調べ、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読もうと決めた。

ところが、職場最寄り駅の本屋に行ったら、結構大きな本屋なのに、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の下巻だけ3巻並んでいて、上巻がない。

仕方なく別の本屋に言ったら、平積みで「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が並んでいたが、上巻は残り1冊だけ。一方、下巻は5冊くらい積まれていた。

そりゃ、上下巻を読む時上巻だけ買って様子見するのはよくあることだけど、「にわか村上春樹読み」が多いんだなあ、と思った瞬間だった。

私もだけど。

2009-02-18

村上さん失敗しちゃったのかも

村上さん、スピーチ言葉の選択間違ってしまったのではないかなあ。

Wallって、日本語で言うところの「壁」って意味で使ったのかもしれないけど、イスラエルからすると、Wallは単純にイスラエル側が建築している「壁」としか理解されていないんじゃないか?

ここでは、壁をシステムとか障害とか立ち向かうものとして表現していると思うんだけど、イスラエルからは、敵の侵入を妨げる壁システムとしてしか理解されていないような。

英語でスピーチしたんだろうけど、内容は日本人にしか理解できないのでは。

善悪を裏表のように単純にしか理解できないシロンボどもには難解すぎたのかも。

シロンボどもは、わけわかんない日本語は滅びろとか言うんだろうけどね。シロンボ被れ連中もね。

http://anond.hatelabo.jp/20090218122627

村上春樹: 常に卵の側に

アレツに発表されたエルサレム賞での村上春樹ピーチ原稿なのか書き起こしかは不明)です。

彼の署名記事です。

原文は http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html


常に卵の側に

村上春樹



今日私はエルサレム小説家、つまりプロの嘘つき(spinner of lies)としてやってきました。

もちろん、小説家だけが嘘をつく訳ではありません。すでに周知のように政治家も嘘をつきます。外交官軍人は時と場合によって独自の嘘を口にします。車のセールスマン肉屋建築屋さんもそうですね。小説家とその他の人たちとの違いですけど、小説家は嘘をついても不道徳だと咎められることはありません。実際、大きい嘘ほど良いものとされます。巧みな嘘は皆さんや評論家たちに賞賛されるというわけです。

どうしてこんな事がまかり通っているかって?

答えを述べさせていただきます。すなわちこういうことです。創作によって為される上手な嘘は、ほんとうのように見えます。小説家はほんとうの事に新しい地位を与え、新たな光をあてるのです。ほんとうの事はその元の状態のままで把握するのは殆ど不可能ですし、正確に描写する事も困難です。ですので、私たち小説家はほんとうの事を隠れ家からおびき出して尻尾をとらえようとするのです。ほんとうの事を創作の場所まで運び、創作のかたちへと置き換えるのです。で、とりかかるためにまずは、私たちの中にあるほんとうの事がどこにあるのか明らかにする必要があります。これが上手に嘘をつくための重要な条件です。

しかし今日は、嘘をつくつもりはありません。なるだけ正直でいようと思います。1年のうちに嘘をつかないのは数日しかありませんが、今日がその1日なのです。

そういうわけで、ほんとうの事を話していいでしょう。結構な数の人々がエルサレム賞受賞のためにここに来るのを止めるようアドバイスをくれました。もし行くなら、著作の不買運動を起こすと警告する人までいました。

もちろんこれには理由があります。ガザを怒りでみたした激しい戦いです。国連によると1000人以上の方たちが封鎖されたガザで命を落としました。その多くは非武装の市民であり子供でありお年寄りであります。

受賞の報せから何回自問した事でしょうか。こんな時にイスラエルを訪問し、文学賞を受け取る事が適切なのかと、紛争当事者の一方につく印象を与えるのではないかと、圧倒的な軍事力を解き放つ事を選んだ国の政策を是認する事になるのではと。もちろんそんな印象は与えたくありません。私はどんな戦争にも賛成しませんし、どんな国も支援しません。もちろん自分の本がボイコットされるのも見たくはないですが。

でも慎重に考えて、とうとう来る事にしました。あまりにも多くの人々から行かないようアドバイスされたのが理由のひとつです。たぶん他の小説家多数と同じように、私は言われたのときっちり反対の事をやる癖があります。「そこに行くな」「それをするな」などと誰かに言われたら、ましてや警告されたなら、「そこに行って」「それをする」のが私の癖です。そういうのが小説家としての根っこにあるのかもしれません。小説家は特殊な種族です。その目で見てない物、その手で触れていない物を純粋に信じる事ができないのです。

そういうわけでここにいます。ここに近寄らないよりは、来る事にしました。自分で見ないよりは見る事にしました。何も言わないよりは何か話す事にしました。

政治メッセージを届けるためにここにいるわけではありません。正しい事、誤っている事の判断はもちろん、小説家の一番大切な任務のひとつです。

しかしながら、こうした判断をどのように他の人に届けるかを決めるのはそれぞれの書き手にまかされています。私自身は、超現実的なものになりがちですが、物語の形に移し替えるのを好みます。今日みなさんに直接的な政治メッセージをお届けするつもりがないのはこうした事情があるからです。

にもかかわらず、非常に個人的なメッセージをお届けするのをお許し下さい。これは私が創作にかかる時にいつも胸に留めている事です。メモ書きして壁に貼るようなことはしたことがありません。どちらかといえば、それは私の心の壁にくっきりと刻み込まれているのです。



「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」



ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょうが、決めるのは時間歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?

この暗喩の意味とは?ある場合には、まったく単純で明快すぎます。爆撃機(bomber)と戦車ロケット弾白リン弾は高い壁です。卵とは、押しつぶされ焼かれ撃たれる非武装の市民です。これが暗喩の意味するところのひとつです。

しかしながら、常にそうではありません。より深い意味をもたらします。こう考えて下さい。私たちはそれぞれ、多かれ少なかれ、卵です。私たちそれぞれが壊れやすい殻に包まれた唯一無二のかけがえのない存在(soul)です。私にとってほんとうの事であり、あなたにとってもほんとうの事です。そして私たちそれぞれが、多少の違いはあれど、高く固い壁に直面しています。壁には名前があります。それはシステム(The System)です。システムはもともと、私たちを護るべきものですが、ときにはそれ自身がいのちを帯びて、私たちを殺したり殺し合うようしむけます。冷たく、効率的に、システマティックに。

私が小説を書く理由はひとつだけです。個人的存在尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です。物語目的とは、私たちの存在システムの網に絡みとられ貶められるのを防ぐために、警報を鳴らしながらシステムに向けられた光を保ち続ける事です。私は完全に信じています。つまり個人それぞれの存在である唯一無二なるものを明らかにし続ける事が小説家仕事だとかたく信じています。それは物語を書く事、生と死の物語であったり愛の物語であったり悲しみや恐怖や大笑いをもたらす物語を書く事によってなされます。生と死の物語や愛の物語、人々が声を上げて泣き、恐怖に身震いし、体全体で笑うような物語を書く事によってなされます。だから日々私たち小説家は、徹頭徹尾真剣に、創作をでっちあげ続けるのです。

昨年私の父は90才でなくなりました。彼は元教師でたまにお坊さんとして働いていました。彼は大学院にいた時、徴兵され中国に送られました。戦後生まれの子供として、父が朝食前に長く深い祈りを仏壇の前で捧げていたのを目にしましたものです。ある時、私がどうしてお祈りをするのかたずねたところ戦争で死んだ人々のために祈っていると答えてくれました。

味方と敵、両方の死んだ人たちすべてに祈りを捧げていると父はいいました。仏壇の前で正座する彼の背中をながめると、父にまとわりつく死の影が感じられるような気がしました。

父は亡くなり彼の記憶も共に消え、それを私が知る事はありません。しかし父に潜んでいた死の存在感は今も私の記憶に残っています。それは父から引き出せた数少ない事のひとつであり、もっとも大切な事のひとつであります。

今日みなさんにお知らせしたかった事はただひとつだけです。私たちは誰もが人間であり、国籍人種宗教を超えた個人です。私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁の前にいる壊れやすい卵です。どうみても勝算はなさそうです。壁は高く、強く、あまりにも冷たい。もし勝ち目があるのなら、自分自身と他者の生が唯一無二であり、かけがえのないものであることを信じ、存在をつなぎ合わせる事によって得られた暖かみによってもたらされなければなりません。

ちょっと考えてみて下さい。私たちはそれぞれ、実体ある生きる存在です。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを食い物にするのを許してはいけません。システムがひとり歩きするのを許してはいけません。システムが私たちを作ったのではないです。私たちがシステムを作ったのです。

私が言いたいのは以上です。

エルサレム賞をいただき、感謝しています。世界の多くの地域で私の本が読まれた事にも感謝しています。今日みなさんにお話できる機会を頂いて、うれしく思います。

追記:

いろいろ助言頂いたので、独立してノート( http://anond.hatelabo.jp/20090218122627 )を作りました。訂正や履歴についてはそちらに記述します。

アレツのコメントも別途のせてます( http://anond.hatelabo.jp/20090218205723

2009-02-17

壁と卵

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/26ca7359e6d2d15ba74bcdf9989bee56

村上春樹イスラエル賞の受賞スピーチ池田信夫ブログに上がっていて、日本語訳も作った人がいるんだけど、どれもしっくりこなかったので訳してみた。

〔以下訳〕

だから僕はエルサレムにやってきた。小説家、あるいは嘘つき機として。

小説家だけが嘘をつくわけではない。政治家も嘘をつく(大統領閣下、ごめんなさい)。そして、外交官も。しかし、小説家は他の人たちとは違っている。僕たちは嘘をついたからって咎められたりしない。むしろ賞賛される。そして嘘が大きいほど賞賛も大きくなる。

僕たちのつく嘘と彼らのつく嘘の違いは、僕たちの嘘は真実を表に出す手助けをすることだ。真実のすべてを掴み取ることはとても難しい。だから、僕たちはそれを架空世界へと映し出す。しかし、僕たちは手始めに、自分の中のどこに真実があるのかをはっきりさせておかなければならない。

きょうは、僕は真実を語る。僕が嘘をつくことに努めない日は一年に数えるほどしかないんだけど、今日はそのうちの一日だ。

この賞を受け取るかと聞かれたときに、ガザ地区での戦闘があるから、ここへ来るのは危険だと警告された。僕は自分に問いかけた「イスラエルに行くのは正しいことだろか?そうすることで、どちらかの味方をすることになるんじゃないか?」

少し考えて、僕は来ることにした。多くの小説家と同じように、言われた事の正反対のことをやるのが好きなんだ。これは、小説家としての僕の性質の一部だ。小説家は、目で見て手で触れたことしか信じることができない。だから見ることを選んだ。何も言わないよりは、ここで語ることを選んだ。そして、以下が私がここにやってきて語るものだ。

すごく頑丈で高い壁があって、それにぶつけられて壊れてしまう卵があったとして、そして、その壁がどんなに正しくて卵がどれほど間違っているとしても、僕は卵の味方をする。

なぜ?それは、僕たちはみんな卵だからだ。壊れやすい殻の中に入った個性を持った魂だからだ。みんな、それぞれ高い壁につきあたっている。高い壁というのは、僕たちが個人としては、「自分には合わないよな」と思うようなことを強制するシステムのことだ。

僕が小説を書く目的はひとつしかない。それは、それぞれの人に独特の崇高さを描き出すことだ。独特なものを満足させ、そして、システムが僕たちを搦め手にとっていくことを防ぐ。だから、僕は人生の、愛の物語を書く。人を笑わせたり泣かせたりするために。

僕たちはみんな人間で、個人で、壊れやすい卵だ。壁に対しては希望を持っていない。高くて、暗くて、冷たすぎる。壁と戦うためには、暖かさ、強さのために、魂を団結させないといけない。システムコントロールさせたり、システムに僕たちを創造させたりしちゃいけない。システム創造したのが僕たちだからだ。

僕はイスラエルのみなさんが本を読んでくれたことに感謝している。なにか意味のあるものを共有できることを願っている。みなさんこそが、僕がここにいる一番の理由だから。

村上春樹をたぶん誤解してた

ろくに彼の小説を読んでないくせに、村上春樹政治的な関与が嫌だいやだと小説の中でいっているのだと、思い込んでいて、

読者に、何かことがあるたびに、「あいつら、せーじてきな発言や行動しててヤーネ、」と思わせようとしているのだと思っていた。

さらにいえば、今、なにかことがあるたびに、「お前、せーじてき、せーじてき」といって批判する風潮は彼の作り出した巨大な思想的流れの帰結だと思っていた。

しかし、今回のエルサレム賞受賞とそこでのスピーチをみて、なにか彼に対して根本的な誤解をしていたのではないか、と考えた。

ちょっと村上春樹の本を買いに行ってくる。

村上春樹エルサレム賞ピーチまとめ

追記: id:le-matin さん( http://d.hatena.ne.jp/le-matin/20090217/p1 )より抜粋である事を明記した方がいいと助言を頂きました。ありがとうございます。

これを受けて、明らかな間違いの修正及び説明の追加、変更を加えさせて頂きました(2月17日 20:00)

共同通信エルサレムポストが一番網羅的ですが、どの記事も講演すべてを収めていないものと思われます。ご留意下さい。



共同通信

特記すべき点として、戦車ロケット弾白リン弾といった具体的な「得物」にふれています。他のニュースソースではまだ確認できていません。

http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2009021601000180_Detail.html/

http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090216041.html/

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090216/acd0902161022003-n1.htm/



テレビは聞き取れた部分だけです***

日テレ

http://www1.ntv.co.jp/news/wmtram/dw/ng.html?m_url=090216039&n_url=129212/

i chose to come here rather than stay away. rather i chose speak rather than nothing....

フジ

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00149487.html/

i chose to see for myself rather than not to see. ... like novelist opposite....

TBS:

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4063622.html/

whether this to create impression i supported one side in the conflict and that i endorsed the policy of a nation that chose to unleash its overwhelming military power...

(はたしてこれが紛争当事者の一方に付く印象を与えるのか、圧倒的な軍事力で苦しめる選択をした国家の政策を裏打ちするものになるのか・・・)

NHK:

http://www3.nhk.or.jp/news/t10014185071000.html/

I asked myself whether travelling to israel at a time like this and accepting a literary prize is a proper thing to do, they can not genuinly trust anything that they haven't seen on their own eyes or touched with their own hands...

Japan Today:

http://www.japantoday.com/category/features/view/haruki-murakami-wins-jerusalem-prize/

村上氏の発言のみ抜粋)

"sometimes takes on a life of its own and it begins to kill us and cause us to kill others coldly, efficiently and systematically."

"We are all fragile eggs faced with a solid wall called the system....To all appearances, we have no hope...the wall is too high and too strong...If we have any hope of victory at all, it will have to come from our utter uniqueness"

"Each of us possesses a tangible living soul. The system has no such thing. We must not allow the system to exploit us"

「時にはそれ自体が自らの生命を受け、私たちを殺し始め、私たちが他者を殺すよう冷酷に、効率的に、システマティックにけしかけます」

「私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁を前にする壊れやすい卵です・・・・壁は高く、強すぎます・・・それでも望みを抱くのなら、勝利は私たちがそれぞれ唯一無二である事からやってこなければなりません」

「私たちそれぞれが形ある生きる存在です。システムにはそんな物はありません。システムが私たちを食い物にするのを許すわけにはいかないのです」

Gurdian(イギリス

賞金が1万ドルであること、親パレスチナグループより受賞を辞退するよう働きかけがあった点についてふれています。

http://www.guardian.co.uk/books/2009/feb/16/haruki-murakami-jerusalem-prize/

Ha'aretz(イスラエルヘブライ語新聞メイン英語と併売)

受賞理由と村上作品について。スピーチ内容については言及なし。

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064160.html/

エルサレムポストイスラエル、英字紙)

http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1233304788868&pagename=JPost%2FJPArticle%2FShowFull/

(以下記者自身の記述を含め、だいたい訳しています。"the lucid wisdoms in his novels tend to come from acquaintances of the protagonist"の訳については全く自信がありません)

イスラエルは卵じゃない」

わかりにくい? 日本ベストセラー作家である村上春樹から聞く事になる説明としてはこれが唯一のものだろう。まさしく村上スタイルであり、さらにどことなく曖昧である。

時差ボケ政治的論議、マスコミの群れに逆らって日曜に彼は受賞のためやってきた。

シモンペレス大統領エルサレム市長であるニル・バルカトを脇に従え、落ち着いた態度で彼は賞を受け取った。壇上で一人、フラッシュを浴びる事もなく彼は本題にかかった。

「ついにエルサレムに来ました。小説家として、嘘の紡ぎ手としてここにいます」

小説家だけが嘘つきなわけではないです。政治家も(大統領、失礼)外交官も嘘をつきます。しかし小説家とその他の人々を分け隔てるものがあります。私たち小説家は嘘つきの嫌疑で訴えられる事はありません。賞賛を受けるのです。嘘が大きければ、またより高い賞賛を受けることになります」

「私たちのつく嘘とその他の嘘の違いとはすなわち、私たちの嘘が真実をもたらすという点です。総体をもって、真実を把握するのは難しい事です。だから私たちは真実創作の領域に落とし込みます。しかしなによりも、私たちの中に潜む真実がどこにあるのか明らかにしなくてはなりません」

「私は今日真実を語ります。1年のうちに真実を語るのは数日しかありません。今日がその1日です」

彼の小説は超現実的かつ想像力にあふれたもので、しばしば突拍子もないところまで話が進む。彼の本を読むのはピカソの絵画を見るようなものだ。普通の状態から離れる事を必要とされ、村上世界では事物や出来事は彼固有のロジックに落ち着きどころを見いだす。

しかし彼の小説根底にはロジカルなカオスとはまったく対称的な個人がいる。非常に人間的で、自己に目覚めた慎ましやかな個人だ。すなわちその個人の内的格闘は我々のものと同じなのだ。

村上を受賞者に選んだ選考は速やかに満場一致のうちに終わった。普遍ヒューマニズムと現存する回答困難な問題との取り組みが(受賞理由として)引き合いに出された。しかし審査をめぐる論議はほとんど起こらなかったが、村上自身は受賞について複雑な心境だった。

「受賞の意志を打診されましたが、ガザでの戦闘の件があり、訪問を取りやめるよう警告がありました。私は自問しました。はたしてイスラエルを訪問するのが適切な事なのかと?一方の側を支援する事にならないか?」

「ちょっと考えを巡らしました。で、来ようと決めたわけです。大抵の小説家のように、言われたのとはきっちり反対の事をするのが好きです。それが小説家として、私の根底にあります。自分の目で見ず、自分の手で触れないものを小説家は信用しません。だから私は見る事にしました。なにも言わないよりはここでしゃべることにしました」

「ここに私が来て、言いたかった事があります」

すると村上は主要人物の仮面を脱ぎ捨て、端役へと回った(彼の小説では明確な啓示はしばしば主人公の奪還から立ち現れる)。発言は明快で、再考の余地はなかった。曖昧さのための時間はなかった。

「固く高い壁があり、卵が壁に打ち壊されるなら、壁がどんなに正しく卵がどんなに誤っていても私は卵の側に立ちます」

「どうしてなのか?私たちそれぞれは卵であり、壊れやすい卵にくるまれた唯一無二の存在だからです。私たちそれぞれは高い壁を前にしています。高い壁とはシステムです。それは通常では個人として受け入れがたいものを私たちに強います」

「私が小説を書く理由はただ一つです」続く彼の声音は控えめで、誠実な響きがある。

「すなわち個人が持つ唯一無二の神聖さを描く事です。唯一無二なるものを満足させる事です。システムが私たちをめちゃくちゃにするのを防ぐ事です。だから私は生と愛について物語を書きます。人々を笑わせ、泣かせます」

「私たちは皆人間であり、個人であり、壊れやすい卵です。壁を前にして、望みは失われます。高く、暗く、冷たすぎるのです。暖かみと力のために、私たちの存在を一つにして壁と戦わなくてはなりません。システムが私たちをコントロールするのを許してはいけません。私たちが何者であるか、決めさせてはいけません。システムを作り上げたのはは私たちですから」

村上は読者への感謝言葉で締めくくった。受賞のために人前に出る習慣のない人物としては、本当に特別な事だ。

イスラエルの皆さん、私の本を読んでくれて感謝します。意義ある何かを共有できればと願う次第です。あなたが私がここにいる最大の理由なのです」

2009-01-29

iPod Touch ミュージックビデオ再生中に歌詞を表示させる方法

1. 歌詞を表示させたいファイルメディアの種類をミュージックビデオにする。

2. 歌詞を登録。

3. iPod Touch再生するときは、ビデオアイコンではなくミュージックアイコンからファイルを選択して再生

4. 再生中は、縦のまま(横にして全画面表示にしない)で、歌詞表示のために画面をタップ

5. 一瞬歌詞が表示されるが消えてしまう。が、画面右上の拡大縮小のボタン(黒い矢印のボタン)をタップ

6. すると、歌詞が表示。後ろでビデオが透けて見える。

これなら、perfumePVも歌詞付きで見れるし、流行オバマ大統領のスピーチ日本語訳を確認しながら見られます。

2009-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20090113205704

可愛い女の子の一生

幼稚園→近所の人から「可愛い子ね」と、他の子よりチヤホヤされる。

小学校→同級生の男子にちょっとカラかわれちゃううけど、クラスの人気者。

中学校部活の先輩や同級生の不良っぽい男と付き合う。 初体験は中3の夏休み

高校高校は中の下。高1の夏までは地元ヤンキーと遊んでる。

 だが高1の文化祭から大学生ナンパされ、金のある年上の男と遊びだす。

 女子高生の内がハナと、大学生を食いまくり

短大→1年:大学生、2年:社会人食いまくり堕胎経験する

社会人(20代前半)→最初は同期の男と付き合う。大学時代彼氏二股中。

 だが半年以内に2人とも切る。ちょっとカッコいい中年のおじ様とベッドイン。

 不倫経験して、大人の女になる。「これで私も苦労を知ったイイ女!」

 25までは男の方から無制限に寄って来て、自腹で物を買う機会が少なくなる。

だが25過ぎてから、男性の集まりに陰りが・・・。

20代後半→1度目の転職。若い娘がチヤホヤされるのが気に入らない。

 「あんな子、大した事ないのに。ホント男って馬鹿ね」と男性批判に走る。

 自分よりブスが先に決まっていくたびに「私はあんな妥協はしない」と自分に言い聞かせる。

 年下男に手出したり、クラブに通ったり、資金力をバックに色々活動してみる。

30歳→ここが運命の分かれ道。ここで男をGET出来ないと、2ch男女板の常連に・・・。

 何とか男をGET。相手は理系旧帝大のマジメ君。女性経験無し。

 貯金も500万くらいはある。 披露宴最後のスピーチ新郎、涙のスピーチ

 「僕はこれから、彼女幸せな生活を築いて行きます。」

こうして高学歴理系男は、地元ヤンキー文系男の食い散らしを

ありがたく一生の伴侶とするのであった。  完

出典:2ch

リンク:2ch

2009-01-16

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

の続き。

知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。

小学校同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。

なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミング学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。

これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。

いいな、と思った。

わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。

子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。

声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。

そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。

実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。

例の、本当の意味クラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。

そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。

幼馴染コンプレックスうずく

いいな。いいな。

そしてほらまた。

スキーも一緒だったんだって。

彼女は、お父さんが開業医だった。

絵に描いたような優等生だった。

なんでもできる子だった。

わたしが彼女に勝っていたものといえば、英会話ぐらいだ。

わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。

海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。

彼女と唯一張り合えるであろう技能はそのぐらいのものだった。

なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。

ということで、スキーツアーに参加することになった。

かなり緊張していた。

彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。

知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。

当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。

総勢7人。男性4人、女性3人。

意外と集まるものなんだ、とびっくりした。

なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。

なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コンあいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。

久しぶりだから、一応

「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」

「今どこに住んでるのー!?」

みたいな盛り上がりはあった。よかった。

やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。

顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。

それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名女の子です)と隣どうしで座ることになった。

仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。

さとしは医学部に進学したそうだ。

浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。

彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。

「さとし、きれいになったね」

と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。

本当にそうだった。

もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。

薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。

さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。

感じのいい笑顔だった。

さとしについてはいろいろな記憶がある。

5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。

先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。

別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。

6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめ自然となくなった。

週一回の英会話教室の帰り道は、さとしと帰っていた。

野良子猫を見つけて、近くのスーパー惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。

さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。

そこで見るさとしは、本当に普通女の子だった。

何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。

卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。

当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。

ちょうど体育館への移動時間が迫っていて、誰もが

「ごめん、知らない」

としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。

結局見つからなかったのだけど、わたしが

ありがとう、もう大丈夫だよ」

と捜索打ち切りを宣言しても

「いや、あそこにあるかもしれない

とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。

今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。

すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。

いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。

むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。

さておきスキー場に着き、まずは滑ることに。

一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。

いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。

かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。

相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。

ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。

「今まで何回ぐらい集まったの?」

「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」

「そうなんだ」

「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」

「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」

「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」

「それにしてもみんな、変わったね」

「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」

同窓会も出たことなかったし」

「そうだな。いなかったな」

「でも、いいものだね」

と言うと、こっちを見てにやっとした。

「そう?」

「うん」

するとどこかあさっての方向を向いて

「それならよかった。」

と低くつぶやくように言った。

自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。

それから、同行している元クラスメイトたちの話をしていた。

夫婦で来ている彼らは婿養子なのだと聞いた。

なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。

2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。

それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。

「すごいよね。

 婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」

「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。

 それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、

 プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」

「お店、今日休みじゃないんだよね?」

連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。

「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って

 送り出してくれたんだって。」

わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りケーキのことを

思い出した。

高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。

行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。

カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。

彼は、この金物屋の若夫婦とも

商工会の集まりでときどき会う」

と言っていた。

自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。

その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。

つながってるなあ。

同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。

わたしには、わからない世界だと思った。

幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。

わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。

妻夫木仮名・そいつのこと)はさ」

「うん」

幸せ者だね」

「何、突然w」

「同じ土地で生まれ育つのって、幸せなことだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」

「え?」

「なんか、そういう話の流れじゃない?」

「ああ、いやそうじゃないけどw

 でもうらやましいよ、何となく」

「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」

「そうだっけ?」

「覚えてないのかよw」

「あんまり」

「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。

 それがいきなり号泣だからな。

 小栗っち(仮名・担任の先生)も反応に困ってたよw」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」

「わははw」

「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。

 なんでだろう。」

「あー。実は俺も。」

「薄情者w」

「お前もだろw」

軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。

距離が一気に縮まった気がした。

わたしも、一応まだ仲間なんだよね?

そうだよ。だから心配すんな。

みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。

「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」

「元気にしてるんだろうか?」

「相変わらず熱血なのかな」

「ハゲてそうだよな」

「それ当時から言ってたよねw」

「言うとムキになるから面白くてw」

「剛毛はハゲやすいらしいよ」

「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」

小栗っちは若い男の先生で、かなりの熱血教師だった。

当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。

クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。

もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。

「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」

というようなことを言われた。

子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。

今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。

芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。

過去記憶はいつだって甘美で優しい。

なんだか、せつなくなる。

ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。

長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。

にこっと笑ったときの口元も似ている。

このところ、妻夫木聡テレビで見ると「どきっ」とするようになった。

「あー寒いマジでやばい!」

とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。

平野仮名男の子)と大田(仮名男の子)だった。

当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。

今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。

妻夫木ここにいたんだ」

「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」

「覚えてる、久しぶりだね」

「やーミッチョンきれいになったなー」

「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」

「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」

「うるせぇよ平野メタボ平野

「まだメタボじゃねぇw」

笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。

もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。

茶髪日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。

実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。

子どものころは大田も平野運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。

あの

「誰か好きな人いる?」

に、よく出て来ていた二人だった。

でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。

彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。

その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。

平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。

その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。

しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。

なんという芋づる。

「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」

妻夫木が言い、立ち上がりながら

「ミッチョンも行く?」

とわたしに声をかけてくれた。

「あ、うん」

と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

「またね!」

すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。

妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。

背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。

大田は知らないが、平野は当時、妻夫木とかなり仲が良かった。

妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。

このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。

「ああ、平野こういうの好きそうだね」

とわたしが言うと

「半分は女目的らしいけどw」

と笑いながら言っていた。

「さっきもナンパしてたね」

「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」

「仕掛けるってw」

「あいつそういうの得意だもんw」

と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。

わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。

だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。

加えて、隣が妻夫木だ。

楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。

よほど返事が上の空だったのだろう、

「どうした?」

と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。

「なんでもないよ」

笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。

「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」

「ちがうってw大丈夫大丈夫

「いや、本当にどうした…あっ!」

妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。

「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」

「いや、あの…はい…」

「わははははw」

「ちょっと笑わないで!揺れる!」

「ほーらほーら」

「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」

「わはははは…」

もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。

すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに

「もしかして、本気でいやだった?」

と聞いてきた。

「怖いです…やめてください…」

と言うと、妻夫木はしょんぼりした。

「ごめん」

「ううん、わたしもごめんね」

「いや、ほんとにごめん」

気まずい。

でもやっぱりリフトは怖い。

なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。

「…なんで上向いてるの」

「下見ると怖いもん」

「…ククッ」

「笑わないで!」

「いや、だってお前の格好、おかしいってw」

「おかしくない!」

「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」

「あんたに言われたくないよ!」


あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。




夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。

女子部屋からの移動中に

りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」

とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。

「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」

するとさとしが

「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」

と話に入ってきた。

「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」

「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元デパート)で売ってほしい」

「何言ってんのw無理でしょw」

さとしがわたしのほうを見て

「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」

と言った。

「ありがとう」

とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。

ケーキりょうちゃんのお母さんのお手製なんだよ」

「ああ、やっぱり!」

「なんでわかるの?ミッチョン」

「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」

「ああ」

りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。

何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。

りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。

「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。

ちょっと違うのだ。

積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。

まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。

男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが

「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」

と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。

あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。

部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンストーブでぽかぽかと暖かかった。

「いやー美人揃いだなあwおふたりともまだ独身ですか?」

と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。

「はいはい始まったw」

と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。

さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。

「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」

「ああ!あの医学部の!」

「よろしくお願いしますw」

「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」

「ひろし、うるさいよ」

旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。

「で、こちらは…」

「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」

「ああ、あの英語が上手だったっていう」

「いえwよろしくお願いします」

「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」

「ひろしには負けるけどね」

りょうちゃんwとりあえず乾杯しようよw」

「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」

「もういいからw」

というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。

さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると

「楽しんでますか?」

と、妻夫木が横に座ってきた。

「うん、りょうちゃん夫婦おもしろいねw」

「ひろしさんがムードメーカーだから」

「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」

「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」

「そうなんだ」

平野がね」

と、妻夫木はちらりと、平野とさとしのほうを見やった。

「さとしと会いたがってて」

「どうして?」

「さあ…。いろいろあるんじゃない?」

「男同士でそういう話したりしないの?」

「しない」

「そういうもんかなあ」

「うん」

大田が乱入してきた。

「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」

「大田お前大丈夫?w」

大丈夫大丈夫!はいミッチョン!」

と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。

「あ、ちょっと!大田!」

妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。

わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて

ありがとう。いただきまーす」

と明るく宣言して口をつけてみた。

あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。

そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。

妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。

それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。

「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」

本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

「ミッチョンって、お酒強いの?」

と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。

「まあ、それなりにw」

と答えると、ふたりは顔を見合わせて

「それなりに、どころじゃないよなあ…」

「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」

と大田が半笑いでつぶやいた。

どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。

一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。

「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」

「え?なんで?」

「大田、引いてたし」

「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」

「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」

「ああ、俺?」

「うん」

「いや、俺は…」

「何?やっぱりよくない!?」

「いやいや、そうじゃなくてw」

「何?」

やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。

「いや、だからね」

「なんだよー」

「いや、うれしいな、って」



あっ、と思った。

このお酒妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。

「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。

 やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」

さっき飲んだのは、妻夫木のおうちが作ったお酒だったんだ。

そして

「あー。失敗した…」

とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。

妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。

それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。

「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。

 でもそんなの、おもしろくないじゃない。

 黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」

そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。

でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。

妻夫木はうれしかったのだ。

事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。

わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。

妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。

妻夫木は、すごい。

妻夫木、かっこいいよ」

と、背中をばしばしと叩いた。

「は?」

妻夫木は、本当に立派な社会人だね」

「なにそれw」

「うん、かっこいいよ」

「わけわかんねぇw」

「こんなにおいしいお酒を作ってる妻夫木は、すごいやつだよ。

 自慢の友達だよ。

 もうたまんないよ。すごいよ」

と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。

妻夫木は目を細めて

「おう。サンキュ」

と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。

それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。

妻夫木はすごいやつだ、と思った。

そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。

妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。

我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。

さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?

さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。

こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。

さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。

そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。

妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。

次はいつ会えるのかな。

休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。

自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。

2009-01-11

はてな自己責任論が嫌いな人はどうして自分からホームレス助けに行かないの?

意見だけはすごい立派

ケンの人たちを助けるんだ!ってすばらしい考えだと思うよ

おれも、最初はそれって良い事だなと思って食品とかかって寄付しにいったりしたんだけど

最近妙な空気を感じてるんだよね

ここで糞正論書いてる奴らは何してるんだ?って

ぶっちゃけパソコンの前でピーチクパーチク喚いてばかりだよね

ネトウヨもそうだけどさ、こういう腐った奴らが左右にわかれて茶番劇やってるんだなって思った。

両方に言えるけど、ネットでしかだめなの?

なんでもかんでも他人任せだよね

2008-12-24

朝日新聞GLOBE(12/22) 金融危機中央銀行 [その4]

その1 http://anond.hatelabo.jp/20081223235800

その2 http://anond.hatelabo.jp/20081224002406

その3 http://anond.hatelabo.jp/20081224004222

(G-3面左下)

「決済システム」にこだわり

11月下旬の3連休、白川は自宅にこもり、講演に使う原稿や資料に熱心に手を入れていた。

26日に予定されている東大での講演には、自分の年来の主張を存分に入れようと思っていたからだ。

流動性と決済システム」と題したこの講演で、白川は「学界でもマスコミでも金融政策に対する関心が非常に高いが、それが金融市場や決済システムへの無関心の裏返しなら不幸なことだ」と力を込めた。

白川がこれまで、最もやりがいを覚えた仕事は、金利の上げ下げといった華やかな金融政策ではない。「決済システム進化」という、地味な分野である。

世界では、毎日何百兆円という資金が動き、ある金融機関倒産すれば、資金繰りに困った金融機関が次々に破綻する危険もある。

企業銀行の間で日々行われている資金のやりとりは、日本銀行にある民間銀行当座預金で最終的に決済される。この決済にかかる時間を「即時化」すれば、銀行が思わぬ損失を被ったり、連鎖倒産リスクを減らしたりすることができる。

白川は、そうした決済システム改善する仕事に、「モノづくり」にも似た達成感を覚えるという。

シカゴ大学留学時代、市場主義の権威ともいえるミルトン・フリードマンらの影響を受けた。今でも、「市場の機能は大切だと思う」と記者会見などで繰り返す。

ただ、決済システム仕事を通じて、経済は「自由放任」だけではうまくいかず、「制度設計」は重要だという思いを強めた。

今回の世界金融危機でも、「決済」や「制度設計」の重要性が浮かび上がった。リーマン・ショックの後、各国の金融市場でドル資金が枯渇し、金融機関がドルを入手できなくなる事態が起きた。FRBは、日本など各国の中央銀行とお互いの通貨を交換する協定を結び、各国の金融機関にドルを供給する仕組みをつくった。日銀は、FRBの打診を受ける前から、協定について独自に検討を進めていた。

白川は総裁就任に先立って、日銀法を改めて読み返した。その第1条には、決済や金融システムの安定を意味する「信用秩序の維持」が記されている。

そもそも、世界中央銀行の多くは、金融システム危機管理目的として誕生した。「金融システムの安定は、日銀の最も大切な業務」と白川は職員たちに説いている。■

グリーンスパン反面教師

世界中央銀行のトップで近年、圧倒的な存在感を示したのが、米FRBグリーンスパンである。

レーガン政権1987年から現ブッシュ政権2006年までFRB議長を18年半も務め、「カリスマ」「巨匠」などと呼ばれた。今でこそバブルをあおった戦犯のように批判を浴びているが、グリーンスパンの巧みな市場操縦術はつい最近まで、セントラルバンカーのお手本だとされていた。

グリーンスパン礼賛の世評があふれるなかで、早くから懐疑的な目を向けてきたのは、ソロモン・ブラザーズ出身のエコノミストヘンリー・カウフマンだ。グリーンスパン金融政策は、「緩和的すぎる」とカウフマンは見ていた。白川は、親しい知人らには、カウフマンへの賛意を漏らしていた。

白川の友人に、元FRB調査統計局長のマイケル・プレルがいる。まだ現役の局長だった1999年、スピーチでこう述べている。

企業経営者消費者投資家は、FRBを過大に信認し、経済金融市場のどんな衝撃でも吸収できると思っているため、本来ならとらないようなリスクまでをとっているのだろうか。だとすれば、金融システムは現時点で容易にわかる以上に不安定になる可能性がある」。FRB内部から「グリーンスパン神話」の危うさを指摘したものだったが、プレルは少数派だった。

グリーンスパンの強みは、その組織掌握力や政治力にもあった。異論が噴き出しそうな会議の前にはしっかり根回しをし、政治家にもこまめに接触してFRBへの支持を広げた。厳しい追及を受けそうな記者会見は行わず、有力紙の特定の記者とは懇談し、情報を流す手法を取った。

こうした老獪さで「グリーンスパン神話」と「資産バブル」は加速した。が、その反動もまた大きかった。

就任してまもない白川をグリーンスパンと単純には比較できない。

ただ、戦後初の賛否同数というきわどい決定で利下げが決まった10月31日会議の後、市場関係者からは「総裁としてのリーダーシップが乏しいのでは」と不安視する声が出た。

今月19日の追加利下げも、政治家市場の催促を受ける形で「追い込まれた印象」がぬぐえない。市場関係者からは日銀の対応が遅れ気味との指摘が多い。「早めに大胆な企業金融の支援策を効果的に打ち出しておけば、追加の利下げには追い込まれなかったかもしれない」との見方もある。■

2008-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20081204124816

通夜やるまでの業者や親戚との取り決めは?

終った後も仕事一杯あるよ…

ピーチなんてごく一部だが、スピーチする人間が大概そうした事もやらされてるんだよ

ちなみにうちの話で言うなら

贈り物:選定〓配るのまで共同。かーちゃんは伝票の住所書くくらい。

礼状・賀状関係:男(かーちゃんはパソコン触りたがらん)

近所&親戚内も大体こんなんだけど。

ってマジレスせずに女性は大変だね、ってまとめた方が良かったかな

2008-11-07

http://anond.hatelabo.jp/20081107083453

オレが思うオバマの凄さってのは、大統領でありながら自分が無力であることを認めてるってこと。

ピーチでも「みんなの力が必要だ、アメリカを変えるのは私じゃなくあなただ」というのを散々言ってる。

大統領になったんだろ?あとは任せる、頑張れよ」って言われたら「おいおいおい、オレのスピーチ聞いてた?」って思うんじゃないかな。

演説のこの部分ってケネディ再生産なんじゃないの

anond:20081107083453

ってそういえばオバマさんの勝利後のスピーチってあるの?

勝利後は言葉ではなく実績を残すもんだ、って思ってるんで

まったく興味無かった。

選挙活動時に聴きあきたからね。

オバマに過剰に期待するのはやめとけ

これは批判とかではなく、精神防衛策として。

なんかな、小泉と同じような流れになる気がしてならん。

オバマ当選する前までは暗いニュースばっかだった。

当選してからもその内容は変わらないけど、コメントとかが少しばかり前向きになってる気がすんだよね。

オバマ当選した。アメリカが変わった。世界が変わる。」みたいな

オバマ当選したことに関しては個人的には嬉しかった。

ピーチとかも見たけど、カリスマ性は半端ねぇと思う。

アメリカ歴史リーダーとして期待してしまう気持ちがわからなくもない。

でもさ、オバマってオレの親より若いんだぜ?

47だぜ、47。

世界を背負う覚悟で立候補したんだとは思うけど、47歳に世界を任すってどうなんよって思う。

オレが思うオバマの凄さってのは、大統領でありながら自分が無力であることを認めてるってこと。

ピーチでも「みんなの力が必要だ、アメリカを変えるのは私じゃなくあなただ」というのを散々言ってる。

大統領になったんだろ?あとは任せる、頑張れよ」って言われたら「おいおいおい、オレのスピーチ聞いてた?」って思うんじゃないかな。

まぁだから何が言いたいかっていうとだね。

オバマがどんなに頑張ろうがアメリカは変わんねぇってことだよ。

変えるのはオバマじゃなくてアメリカ国民なんだからさ。

オバマは道を示すだけだから、あとは世論がそれをどう捉えるか。

例えばオバマが二つの道を示したとして、世論が「いや、それは違う。3番だろ」とか言い出したら全てが終わる気がする。

2008-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20081101004652

社長出版記念パーティでスピーチしてるし。確信犯じゃねーか。ふざけんな。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/080609/edc0806091809000-n1.htm

これ読んだけど、

日本独自の「核抑止」論議に真っ正面から切り込み、憲法改正歴史認識の問題、的外れ反日的な報道をくり返すメディアへの批判について“遠慮会釈のない直言”

田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長は、「私は危険人物らしいが…」と笑いを誘った上で、「戦後、自分の国を守る言論は抑制されたが、反日的、日本の悪口をいう言論は自由だった。安全保障の根幹の問題が解消されない限り、この国を立派に守っていく態勢はできない」と“正論”をズバリ

憂国の士”がこれだけいるのならば、もっともっと日本はよくなっていく、と信じたい

毎日・朝日も大概だと思ってるけど、産経もこんだけ始まってるとは思わなかったのでビックラこいた。

http://anond.hatelabo.jp/20081101000010

文藝春秋あたりに出てる、政治家ウンコみたいな駄文も一応「論文」だそうだから、

まぁ、いいんじゃないの?

それより、ああいう立場のひとが、ああいう論旨の文章を公にして、

しかもああいう会社から300万円せしめたらどうなるか、わからんはずないんだが、

いったい何を考えてたのか。たるんでるとしかいいようがない。

【追記】

社長出版記念パーティでスピーチしてるし。確信犯じゃねーか。ふざけんな。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/080609/edc0806091809000-n1.htm

2008-10-20

僕と彼女ウサギファッション

「そもそもファッションなんてものは同じコードを共有していなければ土台理解なんてできないものだからね。」

深呼吸して気を取り直した僕は彼女に喋りかけた。

「たとえばダメージジーンズなんてものが流行ったことがあるけど、あれもその時代のファッション誌を読んで同じコードを共有していた若い人達からすれば全然問題ないし、それどころかオシャレの最先端ですらあるわけだよね。でも、それを共有していない大人からすればそれは単なるみすぼらしい破けたジーパンでしかないわけだ。だって大人はそれをオシャレだとするコードを共有してないからね。さすがにワンレンボディコンファッションがオシャレの最先端で止まってるってこともないだろうけど、何がオシャレで何がオシャレじゃないかって決められたコードを元に判断しているわけだから、コード更新せずに昔のまま止まっている人と、最近ファッション誌を読んでる人じゃ、オシャレの基準が違うわけだね。だから、娘のファッションを理解できない親御さんってのは、いつの時代にもいるわけだ。」

喋り続けることで落ち着きを取り戻しつつあった僕は更に続けた。

「そう、だから時代によってオシャレは変わるし、それは必然とも言える。何十年か前のファッションが再評価されることもあるけれど、あれは当時のファッションを評価するコードが新しく現代のものとして流通するからであって、普遍的なオシャレってのがあるわけじゃない。当時の服をオシャレとする基準を身につけたからそう思えるだけの話。だから、いつの時代でも変わらぬオシャレな輝きを有するファッションってのは存在しないんだ。あくまで何をオシャレとするかという基準があるだけでね。でも、そんな中、唯一の真理に近いものがあるとしたら、僕はブランメル言葉だと思うんだ。ジョージブライアンブランメル。19世紀のイギリスの人なんだけど、オシャレなことで有名なんだ。オシャレっていってもド派手なファッションじゃなくて、むしろ地味ともいえるようなファッションを好んだんだけど、その人がこんな言葉を残してる。『街を歩いていて、人からあまりじろじろと見られているときは、君の服装は凝りすぎているのだ』僕はね、これを金言だと思うんだ。金言至言まさに名言。確かにいつの世にも変わらぬオシャレなんてないよ。でも、こういった心がけが、いつの時代もオシャレを作る、必要不可欠なものなんじゃないかなって思うんだよね、僕は。ねえ、どう思う?」

「さあ?」

僕の3分にも及ぶスピーチをたった二文字で返しやがりましたよ、このアマは。大体なんで僕がこんな長ったらしいスピーチをぶらなければならない理由をとんとわかってないと見える。今日は僕と彼女との初デート身長が167cmある彼女は手足もすらっとスタイルが良い。学校制服なんてとてもよく似合っている。まあ着こなしを見る限りファッションに興味がないんじゃないかなって気はしていたけど、それを補って余りあるスタイルの良さだから、お母さんが買ってきたシマムラファッションだったとしても、彼女が着ればすらっと素敵なファッション美人。そう。そうなると思って、僕はウキウキワクワクデートに来たわけだ。

場所は駅前にある変な銅像。うちの市出身の芸術家の人が作ったらしい、よくわかんない猿の像。なんだか漢字が多い長ったらしい題名がついてはいるのだけど、誰もそんなの覚えてなくて、みんな「おさるの所」なんて呼んでいる。13時におさるの所。ウキウキワクワク5分前集合。ごめん、待った?いいや、今来たところさ、なんて言いたいからね。5分前に着いた僕は周りを見渡した。日曜日ってこともあって、人が多い。カップルカップル男女男男女ウサギ女カップル。ん?なんか変なのがいた気がする。もう一度。カップルカップル男女男男女ウサギ――。ウサギ!?うわー、何あれ。前に渋谷動物パジャマみたいなのがギャルっぽい人の間で流行ったことがあるけど、よく見てみるとそれとも違う。パジャマみたいな薄手でぺらぺらな素材ではなく、ピンクのもこもこした厚手の起毛で、動物着ぐるみとかで使うような、結構しっかりした作り。手足は共に七分丈で、袖は膨らみを持たせたちょうちん袖のような仕上げ。僕とは逆っ側を向いてるから頭を包み込んでる頭部の作りはよくわからないけど、それでもわかるぴょこぴょこと揺れるウサギの耳。

嫌だね、全く。僕はああいった、ファッション自己表現ですからとかいう輩が一等嫌いなんだよね。10年もしたら普通の服装に戻って、あの時は若かったから、なんて言っちゃうんだぜ、あいつらは。嫌だ嫌だ。なんて思っていると、ピンクがとことこ寄ってくる。うわ、もしかしたら露骨に嫌なのが顔に出ちゃったかな。なんか言われるのかな。なんか文句あんのー?自己表現なんですけど、なんて。うわあ、どうしよう、携帯掛かってきた振りして逃げ出しちゃおうかな。それよりも彼女早く来てくれないかな。ていうか遅いよ全く。普段からちょっとズレてるキャラだなだとは思っていたけど、初めてのデートくらい5分前くらいに来ておいてよ。そうすれば僕もこんなウサギに――と、空転しまくる思考はそこで遮られた。

「やっほー」

ウサギの鳴き声が聞き慣れた彼女の声だったから。

そう。そういったわけで、テンパる頭を押さえつつ、連続深呼吸を5回ばかりキメた僕は、彼女に延々とファッションのなんたるかを、控えめというオシャレイズムの尊さを、説いたわけなんだけど、彼女は一言、さあ?と返した。このアマが。さあ?って何だよさあ?ってさあ!どう思う?さあ?って何だよその会話。くそ!どうしたものか。更に平易な言葉を用いて説明を試みるべきか。それとも有無を言わせず服屋に連れ込んで適当なものを見繕うか。はたまた用事があるとブッチしちまうか。いずれにしろこんなウサギデートなんてできるわけがない。こうしてる今も周りの目が痛くてたまらない。やめて見ないで違うんです彼女はちょっとズレてるだけなんです僕は普通なんですオーディナリーボーイなんです、と沸騰しそうな頭で考えてる僕の思考はまたもや彼女の一声で終わりを告げた。

「かわいく……ない?」

傾げる小首にウサ耳揺れて、僕の価値観が砕け散った。可愛い。可愛い!可愛い!!それだけでいいじゃないか。充分すぎる程に最高だ。いつの世も変わらぬものはない?10分前の俺に見せてやりたい。200年前の侍を連れてきても、1000年前の貴族を連れてきても、3000年前の縄文人を連れてきても、銀色スーツ来た未来人を連れてきても、宇宙の果てからグレイを連れてきても、やつらは全員同じ言葉を言うだろう。可愛い。そう。人類2008年にして辿り着いた。究極のファッションに。至高のオシャレに。ブランメルを呼べっ!説教してやる!お前は守りの姿勢だから辿り着けなかったんだ。究極のファッションは人を振り向せる運命にある。いつの世のいかなる人をもだ。彼女を可愛くないだなんていうやつがいたら連れてこい。三日三晩に渡って説教してやる!72時間聞き取れますかだ。ああ、そうだ。こんなことを考えてる場合じゃない。今も不安げな顔で僕に問いかけてる彼女に伝えなければ。

「可愛いよ!最高に可愛いよ!」

「本当……?」

「本当さ!縄文人宇宙人も可愛いって言うさ!」

「ふふ。ありがと。」

嬉しそうに頬を染めて照れる彼女。可愛さ量が等比数級的に増大し続けて駅前やばい。可愛さのブラックホールが生まれそう。彼女に吸い込まれそうになる体を必死に地面を踏ん張ることで耐えていると、もじもじしていた彼女が僕に何かを差し出した。ん?何だいハニー?っと見てみると、ネズミーランドでつけるような、カチューシャ型のウサギの耳。僕は固まる。え?いや、それは、ちょっと、あの、その、本当、え?なんで?なんて逡巡しているとまたもや彼女の桃色破壊光線

「……だめ?」

その後、駅前の繁華街で、デートを楽しむ一組のウサギカップルが目撃された。周囲の冷ややかな視線とは裏腹に本人達は至って幸せそうだった。

2008-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20081011222359

> ドラゴンピーチの初期時代を知らないから言えるのでは…。

どらごんすぴーち・・・?

まぁ知らないけど、テキスト > 音声は簡単だよ。

して私は自然に話せるようにするのは難しい、とも記述した。

> 圧倒的に簡単とか言い切れるのは、健常者だからじゃないのかね。

・・・?

まぁ、テキストを音声にするプログラムを組むのが健常者でなければ難しいのは確かかも知れんな。( 部位にもよるけど

でも前段とは関係ないぜ。

別にそういう人がいることを忘れているわけではなく、例外中の例外は除いて考えるのが当たり前なわけ。

例外をターゲットしてるときはもちろん違うぜ?

http://anond.hatelabo.jp/20081011220011

それと、逆方向は圧倒的に簡単。

自然に話せるようにするのは難しいけど、やろうと思えば自分でも作れるレベル

それはドラゴンピーチの初期時代を知らないから言えるのでは…。

知ってて、たいしたことないと言えるならすごいな…。

まーあと、圧倒的に簡単とか言い切れるのは、健常者だからじゃないのかね。

たまにはネットにもしゃべれないとか、耳が聞こえない人が普通の顔で混ざってること忘れないでください。

2008-10-03

老師ッッ、なぜ私に・・・・・・ッッ なぜ私に機会( ジーフィー)を

あー

会社とかである朝会とかのスピーチ

あれ、もしかして、人前で喋る練習のためとか、コミュニケーションを図るためのものだけとかって思ってます?

いや、まぁ好きな映画の話とか、豆知識とか好きに喋っていいんですけど…

なぜ、それをチャンスや機会と考えないかなぁ?

偉い連中や、全員の前で意見を具申できる機会って、そうそう無いんだけどなぁ・・・

その、飲み会二次会で誰も聞いていないところでクダまいてないで考えてくれ。

2008-09-12

小さい頃からかわいいと呼ばれていた私の一生

幼稚園→近所の人から「かわいい子ね」と、他の子よりチヤホヤされる。

小学校→同級生の男子にちょっとカラかわれつつ、いつでもクラスの人気者。

中学校部活の先輩や同級生の不良っぽい男と付き合う。初体験は中2の夏休み

高校高校は中の中。高1の夏までは地元ヤンキーと遊んだ。

 高1の文化祭大学生ナンパされ、金のある年上の男と遊びだす。

 女子高生の内がハナと、大学生とヤリまくり

 クラス童貞男子がかわいそうになり、教室で3Pしたことも。

短大1年→合コンで知り合った大学生と1度だけSEX

 1回だけなのに妊娠してしまった→堕ろす。

短大2年→今度は節度をわきまえた社会人を食いまくり

 周りの大学生には連れて行ってもらえないところにたくさん連れて行ってもらう。

社会人(20代前半)→最初は同期の男と付き合う。大学時代彼氏二股中。

 だが半年以内に2人とも切る。ちょっとカッコいい中年のおじ様とベッドイン。

 不倫も経験して、大人の女になる。「これで私も苦労を知ったイイ女!」

 25までは男の方から無制限に寄って来て、自腹で物を買う機会が少なくなる。

 だが25過ぎてから、男性の集まりに陰りが見え始める・・・。

20代後半→1度目の転職。若い娘がチヤホヤされるのが気に入らない。

 「あんな子、大した事ないのに。ホント男って馬鹿ね」と男性批判に走る。

 自分よりブスが先に決まっていくたびに「私はあんな妥協はしない」と自分に言い聞かせる。

 年下男に手出したり、クラブに通ったり、資金力をバックに色々活動してみる。

30歳→ここが運命の分かれ道だった。

 ここで男をGET出来なかったせいで、2ch男女板の常連に・・・。

 何とか男をGET。相手は理系旧帝大のマジメ君。女性経験無し。

 SEXが下手すぎる。

 貯金も500万くらいあった。趣味ガンダム集め。

 披露宴最後のスピーチ新郎、涙のスピーチ

 「僕はこれから、彼女幸せな生活を築いて行きます。」

結婚後→旦那ともすぐセックスレスとなり、近所のイケメン不倫関係に。

 ばれずにうまく続けていたが、不倫相手から性病をうつされる。

 旦那にもうつってしまい、ばれる。

 旦那はバカなのか優しいのか、離婚を切り出すことはなかった。

 あぁ、そうか。ヤンキーと違って、理系男は理系男でバカなのね。

 と思いつつ、その後も何人もの男と関係を持ちながら、うまく家庭は築いていってた。

これが私の一生。

私も私なら、理系の旦那も旦那で、うまくやっていけたと思う。

2008-08-25

僕と創価学会

僕にとっての学会とは。

物心ついたときから入っていたもの。

自分と親しい人達そのもの。

地区の座談会や、学生部のほのぼのした

会合のように、明日も頑張ろうと信仰

深めるために正しく機能している姿。

危険成果主義を掲げ、福運のために

人と人との信頼関係をぶち壊したり、

ガタガタな組織非常識な会員によって

不幸になる人達が多くいるという姿。

一生懸命折伏して、部員さんを持つように

なったけど激しい組織活動や大学の活動で

疲れ切り、自分の未来犠牲にしている友達。

しかもそれに本人が気付いていない姿。

学会に用意されている結論を鵜呑みにして

自分で考えることをやめてしまった人達

一般社会とどこかずれた感性

信仰と学会を深く、きちんと理解して、

人との信頼、つながりを大切にしながら

自分のやりたいことを貫いていく友達もいました。

人として、本当の意味で魅力的な友達に会えたことは

とても嬉しかった。一歩一歩前に進んでいく姿は

自分にとって刺激にもなった。

僕の中で創価学会は、正しく、暖かい部分と、

明らかに間違っていて、危険な部分が混沌とした

組織になっています。

目的が正しいんだから組織は変えていこうよ

という話がありますが、

学会目的自体がどうかというと、ここは

グレーとしか言いようがありません。

先生からは何度か直接スピーチを聞きましたが

すごく学生のことを思っているんだなぁという時と

ベンチャー社長みたいにワンマンな強引さで

たくさん自慢をしたり、とても愚痴っぽい発言を

繰り返したりすることもあります。

その辺りは次の日の新聞ではカットされてますが。。

本当の組織意図や、先生という人間は読めないです。

そんなこんなで、やっぱりあの組織文化の中に

友達や知り合いを引っ張り込んだり、選挙をお願いする

ということは、どんなに目的が崇高で正しいものであったとしても、

僕にはできません。

だから今は組織とも距離をおいてます。

ただ、やめたりとかはしないと思います。

僕は創価の中で生まれて、その庭で20年育ってきたから。

大切な人達組織の中にたくさんいるわけで

その人達との繋がりを無理に断ち切ろうとも思ってないです。

だから、これからも学会員

だけど活動には協力しない。

そして、一生懸命生きていく。

人を信頼して、友達を大切にしながら生きていって

みんなで幸せになれれば、それが一番いいと思う。

2008-08-15

右翼運動会

まさか東京の街中でこんな大音量のスピーチを聞けるとは思ってもいなかった。

地元にいたときは運動会シーズンになると、

近隣の学校からこんなどでかいわめき声を聞いてたなーなんて。。。

聞いてるうちに応援団の声援に聞こえてきて、なんかテンション上がってきた。

騎馬戦がんばるぞ!

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