2011-01-13

向こう見ずな正義

またパクリ騒動があったみたいだ。ニコ動ランキングに上がってたボカロ曲が削除されてた。

その動画に、たくさんのコメントが寄せられてた。トレス糾弾していたり騒動を見に来ただけの野次馬らしきコメントが書き込まれていた。

ゆのみPの時もラノベで大々的なパクリがバレた時も、炎上したサイトには似たようなコメントが飛び交っていた。カトゥーンの曲もPixivなんかでもおんなじだった。

似せているから責められる。意図であるしか思えないから追い詰められる。

過ちは正されるべきなんだろう。創作物とオリジナリティ冒涜するような行為は少なくなるに越したことはないのだと思う。

でも、はっきり言ってとんでもなく怖い。加熱し暴走しかけた正義とか糾弾とか、目を背けたくなるくらいに醜く見えてしまう。

しかに良くないことだとは思うけれど、それを是正するための機能として炎上フィードバックされるというのなら、その機能は行き過ぎてる。

炎上の元となる発信者が良くないのは分かるけれど、だからと言って際限なしに直接的に攻勢に出られてしまうというのは無法的にも程がある気がする。

追求してはならないなんて言いたいわけじゃない。悪いことにはそれなりの処罰がくだされるべきであるという考えには賛成する。

でも、その悪いことと処罰との間に格差が生じすぎていると思う。一言で言えばやり過ぎな気がする。

一連の出来事はそれほどまでに向こう見ずな正義が集中しなければならない事柄なんだろうかと疑問とともに可哀想にさえなってしまう、

もちろん、発覚した悪いことと処罰との適合性に関して判断の基準は人それぞれなんだと思う。僕が行き過ぎだと思うことさえ、誰かにとっては手ぬるいと感じることだってある。

からこそ、一定の基準を設けるべきなんだ。節度を持ってネットを利用するべきなんだ。

価値基準が混沌としているネット社会節度なんて不適合な概念なのかもしれないけれど、暴走する正義だけはどこかで抑えなきゃならない。

一つ一つのコメントはなんら力がなかったとしても、数は暴力となり得るのだ、自己防衛だけはなく誰かがクッションになる必要がある。

……

とか何とか書いてみたけど、現状無理だよなあ。自由であることがネットの特性であり、匿名の利点であるんだから

見ない自由も保証されている。どれだけでも見られるのだから

ただ、発言する自由は保証されるべきだと思うけれど、発言を押し付ける自由は制限されるべきなんじゃないかな。

直訴は悪ではないけれど、やっぱり数は恐ろしいわけで。

でも結局自分が心地良く利用したいだけなんだよなこれって。誰かの心地良さを犠牲にしてまで得るべきものでもない気がしてきたし。

まあ当事者になってないからこんな結論になるんだろうけど。

どんなことでもそうだな。現状に何か気になる改良点を見出すのに、それを変えることによる利害の判断がはっきりしなくて現状維持に落ち着いてしまう。

全部そうだ。考えることが苦手なんだろうな。思考放棄。そもそも考えてもないし。感じたことを列挙していって、それで行き詰ってハイおしまいなんだもんな。

駄目だこりゃ。

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