確かに俺は恋愛経験に乏しいし、まともに付き合った女性もいない。けれどもそれがこの社会において何の価値があるのか真剣に分からない。
顔の骨格や目鼻立ちなどで元から圧倒的に格差のある要素が重要視される恋愛において、はなから勝ち目のない俺のようなキモオタクがイケメン君に勝てる訳がない。そんなことは小学生の頃から理解しているのだ。
当時、クラスのアイドルみたいな子を好きだった俺は、どこから噂が漏れたのか、放課後の校舎裏にアイドルから呼び出されて告白する前に拒絶された。遠くからいつもの取り巻きがこちらを眺めていた。嘘みたいな話だが本当の話だ。「なんていうかちょっと無理」だったらしい。
小学生にして「自分って、なんていうかちょっと無理なのか」と理解した俺は、それからの青春をなんていうかちょっと無理なりに過ごしてきた。
少なくとも自分から告白するのは控えた。その結果、中高の六年間で恋愛イベントの類いが発生することなく、フラグも立たず、男友達とだらだら絡んで青春を終えた。ギャルゲーならバッドエンドだ。バッドエンドの世界に俺は生きている。今もなお。
幸いにも勉強はできたから良かったものの、大学に入っても俺のバッドエンドは続いた。
終わりを迎えたはずなのにスタッフクレジットが流れてこない。ずっと真っ暗な画面が続く、そんな感じ。
高校の時の友人とはとっくの昔に疎遠になっていたし、大学でできた友人たちも、彼女ができると一気に距離ができた。
なんというか、身に纏った空気が違うのだ。B1の頃は彼女ほしいよなあとYoutubeを見ながらゲラゲラ笑って一緒に鍋を囲んでいたはずなのに、いつしか俺はその集まりに呼ばれなくなった。普通にショックだった。なんで呼ばれないんだろうと散々悩んだ。その答えに気が付いたのはそこそこの研究をこなして、そこそこの企業に就職してからだ。
俺は初めて、自分から声を掛けないと何も生まれないことに気が付いた。
もしかすると、俺は10年近く前にクラスのアイドルから言われたことをずっと引きずっていたのかもしれない。
風呂場の鏡に写るだらしない自分の身体には、「なんていうかちょっと無理」というラベルがべったりと貼られている気がする。このままではいけないと思い、数ヶ月前から週に2日ジムに通うようになった。おかげさまで少しは身体も引き締まってきたが、それでも出勤の前に鏡を眺めていると、自分のほっぺたに「なんていうか」のポストイットが貼られている気がする。それはまるで御札のようで、電車に乗っているだけで自分の周囲から女性がいなくなる効力があるのではないかとすら思う。
どこにも出会いがない。
職場の女性に話しかけようにも、殆どの人間には交際相手がいる。
こうなったら出会い系アプリを使った方がいいのかなと思い始めたところで、ようやく俺は自分のような男が「弱者男性」だと呼ばれていることを知る。
なんだよそれ。
俺のいったい「何が弱い」んだよ。
今でこそ少しは落ち着いたが、未だにふざけた呼び名を考えた「強者男性」と「強者女性」に怒りが収まらない。
勝手に人に強弱を付けやがって。扇風機じゃねえんだぞ。クソが。こっちは昔、一方的に貼られた「なんていうかちょっと無理」を剥がそうと懸命に努力しているのに、お前達はその上から笑いながらベタベタと「弱者」のラベルを貼り付けてくる。
ふざけやがって。
貼る方は気持ちよくて堪らないのだろう。どうせ俺みたいな弱者を怒らせたところで何も抵抗されないもんな。お前らは馬鹿のひとつ覚えみたいに、「恋愛だって弱肉強食だし」とヘラヘラしながら言うのだろう。それで自分達の加害性は全部肯定されると思っている。いかにもお前らが考えそうなことだ。
でもそれ、間違っているから。
お前らは「勝ちたい」がために無理やり「弱者」を生み出しているだけ。弱者がいないと自分が勝者である自信を持てないからだ。
ここまで書いたところで、どうせお前らは「そうだよw今日も俺らのために弱者してくれてごくろーさんw」くらいにしか思わないのだろう。それを書くのがまた堪らなく気持ちいいのだろう。でも、一時の快楽のために他人を傷つけるのは本当に良くないことだ。自分がどのような加害性を持っているのか、一度真剣に考えて欲しい。いつから恋愛を始めてもいいし、そもそも恋愛にどれだけ重きを置くのかも今の時代自由になりつつある。
だからこそ、「今はまだ」恋愛から遠いだけの人を弱者と呼ばないでほしい。
俺はいま、お前達に近づいている途中の男だ。
強くも弱くもない。そう思っている。
クンニ✋(👁️👅👁️)🤚✋(👁👅👁)🤚 ✋(👁️👅👁️)🤚せい