それは逆。
江戸幕府の言論統制下では石田は徹底的な奸物で無能者という評価しかされなかった。
しかし、規制の対象外だった盟友の直江兼続やら大谷吉継やらが
高評価でそいつらとつるんでるんだから
石田も本当はなかなかのやつだったんだろうなと江戸時代の歴ヲタは想像して勃起した。
え?出しちゃったの?
って何だろうなあ…
医学部みたいに不正に落とされているというならまだしも、個人の選択の結果として少ない事自体は別にいいんじゃないの
こういうふうに「女子は本当は理系が得意なのに苦手だと思い込まされている、本当は理系に進みたいのに周囲の圧力で阻まれている」
みたいなのも、文系のように女性が得意とされる事、好むとされている事よりも
形を変えた女性差別の表れに思える
命が平等なわけないだろアホか
入ってるし出てる
弱者男性が増えまくったのはオッケーなの?
ラ・ラ・ランドは映画館で2回見た。20代から30代の時期にキャリアの上昇に賭けるか恋人との時間を選ぶかというのが映画のテーマの一つだと理解している。この映画のことを思い出すと自分の過去と重ね合わせて泣けてくる。
私は当時大学院生で、彼女は国家試験を受験する就職浪人だった。私たちには目の前の荒波を乗り越えるためには2人の時間を確保することができないことを嘆き、また仮に学位や資格を取った後でも、自身らのキャリアのためには一緒になれないだろうことを絶望していた。そして別れた。そんな自分の映画と思えるのだ。ハリウッドの映画人であっても、若い時期に同じような経験をするので、この映画がウケたのだとどこかで読んだことがある。たぶんそうなのだと思う。
映画を一度通しで観た後の二回目で、有名なオープニングシーンを見るとまた泣けてくる。高速道路の渋滞にはまってクラクションを鳴らす無数のドライバーは私たちで私はその中の1人なのだと思う。途中で、トラックの荷台が開き、中から着飾った太った女性が現れて太鼓に合わせて扇を振りながら踊るシーンになる。私にはこれが、人生の中の束の間の喜びを意味するように思われて泣けてしまうのである。
えっもう入ってるの?
病床が足りなくて命の取捨選択されてるのと同様に、特殊技能がある人間が一般市民より優遇されるべき、選択されるべき、となってることがなんでわかってないやつらいるんだろう
しょうがないじゃない
命は平等じゃないんだよ
トロッコ問題なんだよこれは
はてなのチカラ、信じている民?
儲けようとして(誰の儲けか知らないけどな)ニコニコ顔で参入して
お、オーサカ万博ぅ...
もう入っとるわ
お前何県に住んでるの?田舎?
日本死ねは動かせたけど