2019-09-16

キモい」女の存在意義はあるのか

こんな事を書くと誰かから怒られそうだが、世の中から見た女性一般的イメージというものは「可愛い・綺麗・いい匂い・オシャレ・キラキラふわふわ癒し」というようなキーワードが当てはまるのではないだろうか。

上に挙げたものは些か極端すぎるかもしれないが全く当てはまらないという事もないと思う。

最近街中で見かける女性は実際みんな可愛くて綺麗だ。顔の造形やスタイル関係なく、みんな自分磨きに余念がない。キラキラしている。

一方、私は世間イメージと完全に真逆を行く「キモい女」である

具体的なエピソードは省くが、小中高と隣の席になった男子にはめちゃくちゃに席替えのやり直しを求められ、廊下ですれ違うと悲鳴をあげられ、実の父親にすら「こいつと俺の下着一緒に洗うのやめてくれ」と言われたほどだ。

思春期の娘は父親下着と一緒に洗濯されるのを嫌がる」という知識はあった。が、実際多感な思春期時代、まったく逆の立場になるとは思っておらず中々にショックを受けた。

社会に出てから一般的な枠からはせめてはみ出さないようにと、スキンケア・身だしなみ・清潔感に気を付けているもののもちろん彼氏いない歴=年齢だ。

現在25歳、本来若さをハンデに多少は異性との接触があるものだとは思うが、これまでの半生男にキモがられた記憶しかない。

そしてその原因は「内側から滲み出るキモさ」なのだろうなと最近悟った。

自分で言うのもなんだが、外見的には決して美人ではないものの、10人中10人が振り返るブスでもないと思っている。

おそらく「表情・佇まい・言動すべてから滲み出るキモさ」があるのだろう。

これまでの経験から常に人の顔色を気にし、機嫌を伺い、本心を出さずおどおどと生きているのでそういう人間としてのつまらなさもあるのかもしれない。

そして、そんな卑屈の考え方をしているので他の「自称モテない女性」への目線も歪んでしまっている。

本人がどれだけ彼氏いない、モテない、と言っていても「でも、異性の同級生や同僚と飲みに行ったりしてるし、キモがられてないじゃん」「父親や男兄弟大事にされてるし、キモがられてないじゃん」「オシャレや自分磨き頑張ってるし、全然キモくないじゃん」と内心反論してしまう。自分非モテラインキモいか、キモくないかだ

SNSのオシャレアカウントにも過敏に反応してしまう。「女の子価値自分で決める!自分に自信がある子が一番可愛い自分磨きしよう!」と言われても、こちとらダイヤの原石でもなんでもない。うんこはどれだけ磨いてもうんこなのである

どちらにせよ、25年間拗らせすぎて異性は勿論、キモくない女性への羨望と妬みまで感じてきている。こういうところがキモいんだろうなぁ、と改めて考えてみたりもする。

実は、10代の頃援助交際のようなものに手を出したことがある。ネット掲示板で知らないおじさんと待ち合わせをして、金銭のやり取りはせず何度かそういう行為をした。

世間一般に「キモい」と言われているおじさんにすら「キモい」と思われているのではないか、という確認をしたかたからだ。

おじさんと別れる時、必ず「私、キモくなかったですか?」と確認をする。おじさんはそんなことない、と否定してとても優しく接してくれる。

最低の動機で最低な事をしているのに、その瞬間だけはとても救われた気分になった。でも、少し経つとそんな自分への嫌悪感で必ず自分の中の自分に対する「キモランク」は上がってしまうのだ。

テレビを見ると、街頭インタビューを受ける男性が「誰でもいいか彼女ほしい」と答えている。

美容番組で人気の美人インストラクターが「女性努力すれば誰でも輝ける」と言っている。

女好きで有名な男性タレントが「女性はみんな美しい」と言っている。

私はそのどれもに含まれていないと思う。何故なら私はキモい女だからだ。

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