「あんたは、なにちゃんだったっけか?」
まさか自分がこんな、ドラマのワンシーンのような状況に遭遇することになろうとは…
本当に色々な感情を抱いた時、人はどんな表情も作れないのだと、23にして初めて知った。
「けんちゃんだったかしら」
「・・・そうだよ」
引きつりながら笑って頷く。
これは一本食わされた。はっはっは。
最初のやり取りはそんな感じだった。
これが本当にネタだったなら、どんなに心穏やかに新年を迎えられたことだろう。
おばあちゃんがボケた。
これまでとは違い、決定的に。
名前を聞いてきたことが、冗談ではなく本気の確認作業だったのだと気付くのに時間はかからなかった。
本当にボケていたのだと最初に確信した時、今まで感じたどれとも違う絶望感が、舌の奥の方から全身に広がった気がした。
今までと同じ人が目の前にいるのに、自分の知っているその人は目の前にいないような違和感。
体裁はそのままに、じわじわと形骸化していく未来が見えてしまった残酷さ。
一気に失う絶望感と、どちらがより深いのだろうか。
祖母は今年84歳だ。
ダイアモンド婚。むしろ夫婦共々、ここまでよく元気でいてくれたと思う。
だが一般論とか数字で考えるのは他人なら簡単だが、当事者は辛い。
別におばあちゃん子だったわけじゃない。
初孫という点でも、従兄弟の方が可愛がられていたような気がする。
それでもそれなりの思い出も思い入れもあるんだ。家族なんだから。
「みんな見上げるくらい大きくなっちゃったから、わからなくなっちゃって」
まるでおばあちゃんは僕らが十年ぶりに来たかのようなことをいう。
僕らがおばあちゃんの身長を超えたのは、ここ2、3年の話じゃない。去年だって来てる。
どうやらボケると、新しい記憶から順に消えていっているようだった。
その上、更に新しい記憶は書き加えられない。メモリがショートした回路。
お話出来て、これ以上のことはない、本望だと思ったと。
あまりにも鮮明に話すものだから先週の出来事かと思った。20年も前の話だった。
その一方で、みんなが今朝起きて、そして挨拶をして帰っていったことを全く覚えていなかった。
「まだ上に誰かいるのかしら」
そう聞かれる度に、他の孫達がきちんと挨拶をして帰っていったことを何度も説明した。
ひどい時には、その孫達が来たことすら忘れてしまっているようだった。
もしかしたら、と思う。
僕が今日ここに来て、戸惑いながらも家事を手伝って、他愛のない話をして、
いつもと少し違う正月を、いつもと同じように楽しもうとしたこの一日も、
だとしたら、この人にとって僕らは今日ちゃんと一緒にいれているんだろうか。
ちゃんと一緒に、新年を迎えられたんだろうか。
「ごめんね、もてなすことも出来なくて…」
買い物を忘れたからと、夕食にインスタント麺とおせちの残りを用意していたおばあちゃんが言う。
家事を手伝う度、ボケでささいな迷惑かかる度に、何度も聞いた謝罪の言葉。
ほんとうに悲しそうな顔をするおばあちゃん。
きっとおせっかいなおばあちゃんは、自分が孫すらもてなすことの出来ない正月がみじめだったのだと思う。
「それでもよかったんだよ」 僕はそう伝えたかった。
でも何度言葉にしても、おばあちゃんは忘れてしまって、届かない。
自分の中で祖母の謝罪の言葉だけが、淋しげに今もこだましている。
寂しかったことがある
幼稚園に通っていた頃
駄々をこねた僕を自転車の後ろに乗せて、何件もはしごして、おまけ付きのお菓子を探してくれたこと。
もう一回お礼を言いたかったのだけれど、おばあちゃんは忘れてしまっていた。
嬉しかったことがある
そのことをおばあちゃんは、ちゃんと覚えてくれていた。
何度も何度も褒めてくれた。誇りだと言ってくれた。
なんでそんなこと覚えてくれてるんだよ…
久しぶりに、泣いた。
きっとどんな人だって、晩年は多くのモノは持っていないのだ。それは、思い出も含めて。
その時どんな物に、人に、思い出に、囲まれていたいだろうか。
そして何度話しても色あせることのない思い出話を、これからもっと作って生きたい。
折を見てまた祖父母に会いに来ようと思う。
脚色しすぎで臭いんだよ そういう自分に酔ったキモい文章は自分のブログでやれ あとラーメンじゃなく餅食えよ 喉に詰まるまで! 喉に詰まるまで!
普段お世話をしている人をねぎらってあげてください お願いします たまに遊びに来て感傷的になるのもいいですが お世話をする人にとってはこれが日常であることを頭の片隅にでも置...
家族が認知症になると、自分のことを忘れたりしてショックだとは思う。 でも、今、一番認知症と闘っているのはおばあちゃんなんだよ。 おばあちゃんの「あれ?」って思う行動は...
良い文章だ
Facebookでイイ話としていいねつけられまくってそうな美文だわ。
ようはお前よりももっと辛い人がいるんだからお前はもっと耐えて耐えて耐えて頑張って頑張ってがんばれよってことか。
その「辛い人」が「自分の愛した人」だったら話は違うでしょ・・・