昼食で長崎ちゃんぽんを食べた。その話をしようと思う。
正午まで後数分と迫りどのラーメン屋に行こうかと思いを巡らせてながら同僚と会話をしていると長崎ちゃんぽんの話題になった。
彼はそう言っていた。
長崎ちゃんぽんという名前は私も知っている。日本国内無数にある麺料理の1つで地方都市の郷土料理だと。
ラーメンではないというその一点で今まで食指が動く事はなかったが職場周辺のラーメン屋はあらかた巡り終えており
新しい刺激を求めていた私の足はラーメンの事で一杯の頭とは別方向へ向かい先の話に出た長崎ちゃんぽんの店で席についた。
まずはメニューを見てみる。皿うどんなどもあるがまずは長崎ちゃんぽんを食すべきだろう。
注文から10分ほどで目の前に器が置かれた。まずはスープから。
豚骨にも似た味で見た目に反してガツンとくるものではないのが残念だが深みは十分。
二郎系のような野菜は素晴らしいが魚介類が混ざっているのはマイナスポイント。
麺は中太ストレート麺。個人的には麺は縮れの細めの方が良かったがこれも長崎ちゃんぽんの特徴なのであれば我慢もできる。
食べ進めていくと味が単調な事もあり変化を求めたくなる。だがテーブルの調味料から胡椒を探すも見つからない。
仕方なくそのまま食べ進め完食した私の頭に一つの思いが浮かぶ。
これはちゃんぽんである。ラーメンではないのはわかっていたことだ。
なんか日常が出るなぁ
スーツが正装になっている以上、革靴もセットだからしょうがない。
と、言いたいところだが、オフィスでは革靴を脱いでサンダルの人も多いから気に入らない。
結局外面良くしたいだけなんかな。
重度のパチンコ依存症を患って5年ほど経つ。
最早数えていない。
借金を作って、返済しきれないために弁護士の世話になり、十年近くクレジットカードを作れない身となった。
それでもパチンコがやめられていないが、以前よりは遥かに大人しくなった、と思う。
ふと振り返ると、パチンコへの欲求が大きい時と小さい時がある。
公共料金を払い終えて一安心した後とか、なんとなく家に帰りたくない日とか、そんな時に欲求が大きくなる。
しかし、それ以上に欲が大きくなる時がある。
それは、通帳の残高に不安を感じた時だ。
では、通帳の残高に不安を感じていない時は、欲は大きくならないのかという話になる。
そう、その通り。大きくならないのだ。
「これだけあれば安心だろう。よしおいしいもん食べに行くか。」
と、余裕のある思考になる。
これが残高が少ない時は「ヤバい、この残高だと生き残れないかもしれない。よし、パチンコで稼ぐぞ」という思考が働く。
自分で書いていて全く理解できないが、どうも私は金がないと思考能力が低下するらしい。
帰っても楽しみはないけど、一刻も早くこの場から出たい解放されたい。だらだら歩くサラリーマンのペースを無視して駅まで走る。頭の中には星野源のひーとごみ、抜けた朝(夜だけど)胸の〜という曲が流れてる。タイトル忘れた。働けこの世のすべて背負え定時まで。
革靴はどうあがいても夏に蒸れるので、明らかに日本の風土に合っていないと思うのだが、いったいいつまで履き続けるつもりなんだろうか
経済のことなんか、ほぼ全くわからないけど、ニコニコがビリビリにああいう形になった事で負けたと言われるのはちょっとどうなの?
かわんごさんが昔言ってたけど、ビリビリみたいに合理的なことをするっていうのは全然ニコニコの戦略と違うじゃん。
敢えて言えば、ビリビリみたいな事をするのがグーグル的な価値観であって、ニコニコがそれをしたら本当に魂売ったって言って完全敗北を認めたって事だと思うんだよね。
こういう事を引き合いに出してニコニコを批判する人が多いって事だけで、なんかもう砂浜に打ち上がる鯨の群れを見てるような気がする。
別にニコニコとか川上量生さんが途轍もない前人未踏の快挙を成し遂げつつあるとか、そういう事が言いたいんじゃなくて、本当に正しいとされている事ばかりが正しいのか、と。
そういう風にだけ行動するのみが人間のあるべき姿なのか、と。
もし、ニコニコのようなわけわからない会社が一つも無くなるとしたら、それはもうゲームオーバー、というかプレイヤーなんてもういらない世界で、そんなのちょっとつまらない気がする。