http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120331-00000531-san-pol
で?
何があるのか具体的に挙げろ、こいつは。
警察にせよ消防にせよ、震災のような大規模災害に遭うと組織単体では殆ど機能しないが、自衛隊の場合は被災地の救助活動を自前で一通り行える。
瓦礫を移動させたりする特殊な重機を使える、医者もいるし医療設備もある、予備の食料や水も備蓄している、航空機で上空から被災地の状況を確認できる、現地のインフラに依存しない通信手段も持ってる、もちろん被災者救助のための装備や乗り物も警察や消防とはレベルの違うものを持っている。
それらが一体となってフル稼働してるのを目の当たりにすれば、そりゃ好感度くらい上がるわな。
最近、お見舞いに行く機会が多いので考えてみた。
人生に本当に必要なものは、入院するときに持っていけるものだけなのかもしれない。
それ以上に持っていると便利だったり、周りから賞賛されたりするものがあるかもしれないけど、入院するときに持っていけるものこそが本当に生きるために必要なものとして、ロートを通して濾しとられたものなのではないだろうか。
それ以外のものは、なくても生きていける。
もしも必要なのであれば、大切な何かを失う代わりに、心のすきまを穴埋めしているものだ。
やたらとものが多い人は、何か生きていくことが自体が本心に対してうそをついて生きているのではないだろうか。
電化製品、乗り物は持ち主がいなくなるとあっという間に劣化が始まる。
使わないと自然と動かなくなる。ガソリンは分離するし、エンジンは固まる。バッテリーは使えなくなる。
まだ鬼籍に入るような年齢ではない親類が亡くなったときに思ったことは、こだわりのコレクションや日常品も死んじゃったら膨大なごみになるかもしれないことだ。残された遺族がそれに価値を見出すことができるかどうかはわからないし、お金に換えようにも二束三文かもしれない。
そう思うと部屋を埋め尽くしているいろんなものは一時的に自分の近くにあるだけであり、時間が経てば、朽ちるかほかの人の手に渡るもので、刹那なものだと思えるようになる。
そう思うとアレもコレもと何か使えるかもしれないと保管しておいたことがバカらしくなってくる。
もしかすると、あなたが友達だと思っているだれかが、「いいね!」といってくれたり、「@」マーク付きで返事をしてくれたりしたことが、その不要なものに価値を与えてくれているのかもしれない。そんな評価は吹き飛ばしてしまうと、人生の視界が良くなってくるとような気がした。
思い出とか思い入れを断ち切って、今を生きる。
ああそれ無理だから。
アメリカでは色々負け始めてるしね。
トーシロが適当なことを口走るんじゃねーよ。
すぐ新しい税法も出来るよ。
俺も悩んだよ。
けど誰にも負けないとか絶対無いぜ。
ボクサーだっていつかは負けるじゃん。勝ちつづけて引退しても老人になれば勝てねえと思うよ。
老ける前に死ねばそんなことないのか...負けないために死ぬなんてあほらしいわ。
同じようなことを言われても
気にならない人は気にならないんだな。
気になってしまうのは
ちなみに
あまのじゃくタイプの人は
勝ち負けとか強い弱いにこだわるらしいな。
もしそうなら、しょうがないw
自衛官はずっと日陰者扱いされてきたゆえ、
いま特に脚光を浴びている時期なのでしょう。
重要なんだけど
一般人には理解されにくい(=アピールできない)活動を
彼らはやってきているからね。
放射線が多いと電子部品が壊れて原発の容器にロボットが近づけないっていうけど
鉛で覆って放射線を遮ってしまえば10sVくらいまでなら大丈夫だと思うよ
なんでやろうとしないのか理解不能
やる気ないと思われても仕方ないよね
市役所とかも評価されてると思うよ。貴方はどう思ってるがしらないけど
税源へって社会福祉の質は落ちるのを防ぐためといっても
し゛ぶんのひつよ うせいと た
にんのひつようせ いを こ゛っ
ちゃにできるほど し゛ふ゛んを
ゆるしておけない のさ
ひつようのないそ んさ゛いは
し゛ふ゛んた゛け て゛いい