はてなキーワード: 嫌煙とは
ふと思ったんですけども、タバコ問題と原発問題って似てません?
「何のおかげで電気を使ってるの?」
「タバコを吸うヤツは高い税金払ってるんだからむしろ感謝するべき」
いやいやいや。
いやいやいやいや。
タバコの高い税金で経済を回してやってるって、別にタバコ以外でも経済は回ってますよね?
有害な副流煙やら放射性物質やらまき散らしておいて、どの口が仰るやら。
基本的に、嫌煙家と原発反対派は、垂れ流される副流煙や放射性物質を防ぐ方法が少ないです。
その場所に行かなければいいかもしれませんが、そうも言っていられません。
特にタバコの煙は、飲食店などで相手にタバコを吸われてしまうと、自分の口から美味しい食事と一緒に副流煙もゴックンしなくてはいけません。
なのに、
「嫌煙家のやつらはすぐ注意して来やがるウゼェ」
なんて言われても困ります。
繰り返しますが、タバコの煙も放射性物質も、勝手に垂れ流れて自然と体に取り込まれるんです。
怖いですね。
いやですね。
ごく普通な意見でも適当に揚げ足とって暴言侮辱をぶつけている。
反論が帰ってくるとまた揚げ足取ったり勝利宣言的なことをいって「ふー、やれやれこれだから低所得DQNは」とか言って相手を悔しがらせる。
氷河期以下の状況の学生に対してどうにもならない観念論振りかざしてお前はダメだとなじりつける。
ニュー速系もいい。
対立が生まれるような記事(たとえば愛煙嫌煙のような)があればどちらかの側に立ってあえて極端なことばかり書き連ねる。
対立を煽って煽ってマジレスしてくる連中に「こいつら馬鹿だな~www」って酒飲みながらげらげら笑ってる。
ニコ動も傑作だ
以前二人の実況プレイヤーが同じような縛りで、同じ時期に、同じゲームの実況プレイしている動画があった。(意味が通じただろうか?具体名を出さないと説明しづらい)
ニコ動のガキどもは見事に反応w
バカだねーw
それじゃあ今日もどこかを荒らそうかw
なーに、どうせ匿名だ
しかも法に触れるわけでもないwwww
会わなくなってから本当にダメになった。それまでもタバコは好きではなかったが、ダメと言うより憎らしくなった。
元増田と同じ感覚(可愛い彼女はいないがw)で、洋服や髪の毛に付く臭いがどうも嫌いだ。
カバンやその中身にまで付くあの臭いが許せない。
飲み会(仕事の付き合い)の席は仕方がないと思って諦めるけれど、
金持ちとはあまり関係ないのではないだろうか。
金持ちでも「嗜み」といって吸っている人もいるし、
値上がりした今では「値上がりにも動じない喫煙者の俺(私)カッコイイ」と思っている金持ち気取りもいる。
喫煙席のある店に行かないのが一番。バカっぽい人がいなさそうな店を選ぶ。
お金で判断するのではなく、敷居の高さで判断する方がいいかも。
自分は禁煙席のある飲み屋や完全禁煙のお店ばかり行くようになった。
禁煙席では店員に対して横柄な態度を取る人を見るのは少ない(気がする)。
この前喫煙者と会ったんだけど、タバコ臭+香水で、頭が痛くなった。
本人は臭いに気付いていないみたいだけど。あれは香害だ。
自分では吸わないんだけどヘビースモーカーの家族がいるから煙草の匂いは平気だった
外で誰かが至近距離でタバコ吸ってても別に平気
でも最近分煙が進んできてあんま煙草の煙吸わないでよくなったじゃん?
そんで今日さあ
物凄い強烈な煙草の匂いがするの
誰かが歩き煙草でエレベーターまで来てそのままエレベーターの中で吸ってたね
オエッとなった
あれは酷いわ
吸わされ慣れて麻痺してただけで、麻痺が解けたらやっぱりあれは毒だわ
撒き散らして他人に吸わせていいレベルじゃねーわ
我慢の許容限度越えてる
俺、30男。
以前は、「まぁ、依存症なんだし、仕方ないよな」と思ってた。
で、「体鍛えて、生活改善したら煙草我慢できるようになるだろう」とおもったら逆だった。
以前は咳き込まないですんだが、今は体が強烈に煙を排出しようとする。
いい匂いの体臭にまじったりすると、テリトリーを侵された、と思うらしく、
それより先に殺意が来る。
感情的になるなっつーが、彼女に他の男の匂いがついたら嫌だろ?
このままだと事件になるか、喧嘩ふっかけて刺されるか、煙草の煙でセキがとまらなくなるので、
2. 基本、外食はしない。食う時は前もって必ず調べる。
3. 公共の場所で運動しない。ジムに金払う。喫煙者はまさにユビキタスでオムニポテント。早朝の田舎だろうが、どこだろうが、必ず現れる。金がなくなったら俺もその程度の階級だと諦める。
4. 喫煙者との接触は避ける。特に、貧乏人の行くところにいかない。
5. 金を稼ぐ努力をする。現在の日本で、煙を避ける最も効率のいい方法が、金持ちになることだと思う。
歩み寄るのは無理なので、走り去る。これが、僕の出した結論です。
英語の授業でシャーロックホームズを読んだという読者も多いだろうが、日本の文部科学省に相当する英教育省は4日、シャーロック・ホームズについて「今後は教材として使用しないように」と国内の各学校に通達したと発表した。
シャーロック・ホームズは愛煙家としても知られ、作中にはしばしばホームズが喫煙しながら推理を巡らせる場面が出てくるが、これに対し反喫煙団体から「喫煙を肯定的に、格好良く描いており、判断力が未成熟な子ども達に『タバコはカッコイイ』との誤った認識を広めるおそれがあり、教材として相応しくない」 との意見が出されていた。
教育省内部の有識者会議では「国を代表する文学であるホームズを禁止するのはおかしい」等の意見も出されたが、保健省などからの要望もあり、禁止に踏み切った。
発表に対し、英国ミステリー文学愛好者協会会長のウェイン・テリー氏は
「行き過ぎた嫌煙運動だ。タバコという基準だけで過去の名作を否定するのはおかしい」
とコメントしている。
知り合いの関係で二人で飲むことになった。
相手が喫煙者だったような気がして
なぜか急にテンションが下がってきてしまった。
「吸ってもいい?」と了解を求められても、とても断りづらいので断ったことはない。
断られたことがある人の意見を聞いてみたい。
なにかいい断り文句があれば教えていただきたい。
喫煙者と疎遠になってきてしまい仲の良い友達はみんな非喫煙者ということがあり
非喫煙者というよりは嫌煙者になってきてしまっている気がしている。
喫煙者と外で食事もなるべくしたくないので、相当なことがない限り参加しない。
喫煙者と会うと思うと、
そこまでおしゃれをしていこうとは思えない。
せっかくの服が煙草の煙を多量に浴びて臭くなるが嫌だ。
喫煙というのは個人の自由なので、マナーを守ってくれれば吸うのは自由だと思っています。
ただ、自分が吸っている煙草について正しい知識をつけてほしいです。
タバコの煙が赤ちゃんや子供にどれだけ悪い影響があるかを正しく理解していてほしい。
子供の受動喫煙の悪影響については医学的根拠があるのでぜひとも読んでみてください。
受動喫煙で動脈硬化になりやすいという記事を読んだことがあります。
タバコを吸った後は呼気や服に含まれてるので、換気扇の下で一服した体で子供に会えばまったく無意味です。
呼吸器の病気を持つ自分は、タバコの煙を吸うと咳が止まらなくなって咳き込むたびに肺に刺されたような激痛が走ります。
なるべく避けるようにしていますが、煙って漂ってくるものなので、外で吸ってる人には困ってしまいます。
たまに、ぜんそくも肺気胸も自己責任の病気じゃないのに苦しまなければならないのかと哀しくなります。
マナーを守っている喫煙者がマナーを守らない喫煙者に迷惑をしているように、
嫌煙という言葉には違和感を覚えます。私にとっては好き嫌いの話ではないので。
うまく妥協点を見つけられるといいですよね。
俺も喫煙者だけど、嫌煙者との妥協点を探すのは無理かなと思う。
本気じゃないにしても(たぶん)
「喫煙者は殺せ」みたいな論調が出てくる時点でね諦めるべきかなと。
まぁ、喫い続けますけどね。
YAHOOのトップページに「恋人に騙されたこと」的なテーマがあったから、考えてみた。
■3位:付き合った人数
付き合った人数をわざと偽装する奴がいる。俺の感覚では5人前後の奴は2,3人と言い、10人前後(以上)の奴は1桁にしようとする。これは俺の経験の中だけだが、遊んでいる子・いない子問わず、ほぼ全ての女がそう言う。(逆におばさんレベルになると、多めに言うw)
■2位:男と会うこと
友達か先輩かよくわからんが、男と会う(男がいる)事を変に偽装する奴がいる。男女数人で遊ぶなら別にそう言えばいいのに、話は女の子の事ばかり。で、状況的に見たらその場に男がいないとおかしいと思う時があり、聞くと「ああ、バイトの男の子もいたね」とかいうの。わざとそこをぼかす意味がわからん。
■1位:喫煙
俺の中では一番嫌な嘘だ。普段喫煙しているそぶりがないのに、「実は喫煙者でした」っていうの。じゃ、最初から言えよと。俺が嫌煙者だとは言え、友人に喫煙者はいるし、マナーを持ってくれれば咎める事はないのに。(それでも最大級に嫌で不愉快だが)隠れて吸っているとか考えると、その感覚がもう嫌。変な薬とかも想像してしまう。
と言うわけで、俺的には恋愛よりも趣向が1位になってしまった。
自転車で走ってたらそこに彼女(=she)がいたから、努めて明るく「元気?」って話しかけた。そしたら彼女は一言「〇〇ちゃん」って俺の名前を呼んで、すごい悲しそうな顔した。彼女はそれ以上何も言わなかった。
おれは何言ったかよく分かんないけど、「カバン変わったんだね」って言ったのは覚えてる。あと一言だけなんか言った気がする。それで「じゃあね」って言って別れた。
久しぶりに見た彼女の悲しそうな顔が目に焼き付いてる。「努めて明るく」って上で書いたけど、おれよっぽど悲しそうな顔してたのかな?
別れた原因はハッキリ言って自分にあると思う。彼女はひとつ上の先輩で、今後の進路について真剣に考えないといけない段階に来ていた。そんな彼女の状況を僕は理解して尊重してあげることが必要だったのに、僕はそれを受け止めて彼女に合わせてあげられなかった。本当に後悔している。
彼女と付き合ってる時は本当に楽しかった。訳あって僕は彼女の家に転がり込んでほとんど半同棲状態だった。彼女には本当にお世話になった。とても感謝してる。僕らはいつも一緒にいた。
僕はこのままじゃいけないと思ってこの春から一人暮らしを始めた。そうした折、僕らは別れた。
いま人生に迷いに迷っている。フラれてから授業には殆ど行かなくなったし、もうすぐ試験なのに嫌々ダラダラ勉強してこのままじゃ単位ヤバい。今の学部の勉強に飽き飽きするので転学部(うちの大学にはこういう制度がある)しようかと本気で考えている。嫌煙ファシズムの昨今に今更タバコを吸い出した。
恋愛に関してもフラれてから合コン行ったり、ほかの女の子と遊んだり、新しいサークル入ったりして、気持ちを切り替えて新しい相手を見つけようと頑張ったけど、いまのところあまり上手くいっていない。ちなみに彼女にはすでに新しい相手がいるのでヨリを戻すという路線もない。
あー、もう嫌だ。
客観的に言えば、これまでの人類の歴史の中で自分と同じ境遇に陥った人なんて、それこそ何十億人もいるとおもう。世の中のありとあらゆるところにある、ありふれた出来事に過ぎないのは分かってるのだけど、いざ自分がそうなるともう訳が分からなくなる。女々しく彼女のことを引きずりまくってる自分にもイライラする。
なあああああああああああああ、
さああああああああああああみしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいーーー。
・一度振り返ってみるのも悪くないよね
NHKのマスメディア討論と同時刻に放送する企画はネットを嫌煙している人達でさえも何らかの形で小耳に挟んだことだろう。それだけこの企画はインパクトがあった。
公共放送と呼ばれるNHKが本格的にネットをどう利用していくのか討論するのだからネットを毛嫌いしている頑固者でも一度は興味を持つものだ。多くのメディア関係者もNHKと同時にUSTの放送を視聴していた。一般人であってもNHKの番組欄をみてネットはよくわからないが興味はあるという人が視聴していたことも事実だろう。
その中に私の家族も含まれていた。
NHKで既存メディアに関する放送があると聞いてお茶の間で見ていた。私はUSTの放送にも興味があったのでテレビの横に家族全員が見られるようパソコンを設置した。ネット界隈の著名人がツイッターの意見を取り入れてNHKで行われる淡い討論をどう料理するのか興味があったし、またネットを利用しない家族もネットを作ってきた人がどういう考えを持つのか興味があったそうだ。本来は一人で見るつもりだったが、機械音痴ながら少なからずネットに興味を持っている家族にも見せた。
途中から「○○○」という発言で母は唖然とし「○○」の連発で親父が切れて「パソコンを切れ!」と顔が真っ赤になり、ぶつくさ言いながら居間から出て行ってしまった。家族騒然。ネットを何も知らない者にとって煮え湯を飲まされる形になってしまった。
その言動こそが持ち味だといって笑う者もいたが、それこそネットの暗い面だろう。多面的であるネット放送、そもそも「ダダ漏れ」というコンセプトのもとで放送され、このメンツならば予想されるであろうことだから見せるなだとか、家族に見せること自体が根本的に間違いだという意見もあるだろうし、こういった予測不可能な事故が今後出る恐れもある。私自身反省することは多々あった。以後見せることは金輪際ないだろう。
司会の津田さんは何とか舵を取ろうとする意識が見えていただけに残念でならない。全員が何らかのトップを走っている人たちだ。手綱を握るのはさぞ難しかっただろう、彼の苦労をねぎらいたい。あの状況下ではグダグダは避けられなかったのかもしれない。ひとくくりにネット放送がグダグダだと言って目くじらを立てるつもりは毛頭ない。しっかりと構成に基づいて放送されている方もいるし、グダグダ感がよい味を出している放送も存在するからだ。
しかし今回の企画自体とてもおもしろくまた同時刻で同じ課題についての放送であることから、既存メディアとネットメディアの考え方の差を一般人に広く見てもらう機会もあっただけにこのグダグダはとても惜しい気がした。マスメディアがネットをどういう風に利用するのかと、一般層にとってもネットを認知する機会であればこそ、ネットでどういうやりとりをしているのかを見てもらう良い機会でもあったのだ。
以前にも東浩紀氏が司会の「ベーシックインカム」についてニコニコ動画で放送していたが、暴言を吐かないまでも、声の大きい者が延々としゃべり続けるような状況だった。もちろん内容はおもしろかったのだが、せっかく多くの専門家や著名人を迎えて行う放送なのだから色々な意見が聞きたかった。似たような状況で続けざまにグダグダになっているのはとても残念でならない。
自室に戻って第二部を視聴したが、とてもおもしろかった。また次回もやってほしい。その気持ちがあればこそ感想を書くに至った。
適度にやるという趣旨だったかもしれない今回のUST討論だが、厳格なNHKの放送枠にあわせるとどうしても全体のカラーをNHKにあわす人間もいたことだろう。同時刻に流していると厳格なNHKのイメージに対し、罵詈雑言、酒を飲みながらヤジを飛ばしているというイメージを視聴者に植え付けてしまった。
ネットが罵詈雑言のグダグダしただけの世界だと思われてしまうのが残念でならない。ネットは勝手にやっていくからレガシーメディアは勝手に滅んでくれていいということで投げるなら何も言えないが、一般大衆により深く浸透してもらうためにはいろいろな意見を聞き、討論させるがことが必要だ。進行がぐらついてしまうような大きな声が勝つ討論ではそもそも既存メディアにすら太刀打ちできない。
ネットは近所の公園でたむろしている不良のたまり場として見られることだろう。最近になってNHKラジオではツイッターの投稿を募集し始めている番組もあるのだが、たまにツイートを読むときにかったるい間延びした読み方をされることがある。ネットスターの投稿でも似たようなことがおきている。感情を込めて読み上げる必要があるのだろうが意外とネットからの投稿は間延びした読み方が目立つ。ネットから遠いと自堕落な人物像を想像してしまうのだろうか。これが既存メディア側から見たネットの人達(住人)に対するイメージといえるのかもしれない。ネットと既存メディアの対立構造として想像している者も少なからずいる。
厳格に枠を作ってしまってはネットの優位性はなくなるという懸念はあるかもしれないが、有意義になるはずの放送をグダグダにしてしまうのは勿体無い気がする。既存メディアの強みは良い意味で時間枠に手綱が握られている。時間や政治的な制約を出演者自身が意識していることも討論の進行を制御しやすい要因になっている。
ネットメディアは言いたいことがある程度自由に発言できる代わりにグダグダを毎度の事と許していないだろうか。今回の放送は対比する場として認識している人間もいた。NHKの議論の質が低い、根本的にズレているという声もあったと思うが、裏マスメディア前半部分の有様を見かねて退席した視聴者はどう見てもNHKに軍配を上げることだろう。
グダグダを前提にするならばこの時間帯は避けるべきだったのかもしれない。既存メディアが理解を示そうと討論をする放送なら今回USTの放送に興味がわくことは想像に難しくない。ハッシュタグを両方付加してツイートする者もいた。そこから興味を持ってUSTにアクセスした視聴者もいただろう。
切込隊長が放送する前にブログでこのことを心配されていた。(参照↓)
・ NHKが昔からtwitterを使っていたわけではなく、今回試験的なもんだろうと思います。
・ twitterは従来の放送のあり方に敵対するものではなく、共存していくための試行錯誤の時間を放送側に与えるべきです。
・ たぶん、USTでの裏番組の放送は、相当グダグダで汚い野次が飛び交う内容も含まれるでしょう… それが、twitterのレベルと思われるのはよろしくないかとも思います。
・ ネットの側からすれば、既存マスコミを敵視したい衝動は理解しますが、相手も人間であり、配慮すべき対象です。
・ twitterが革命的だと信じるのは自由ですが、ネット過激派の巣窟と判断されかねない方法は採るべきではないという考えです。
引用:http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/03/nhk-589c.html]
次回、新たに放送の企画を考えるのであれば、たまにはネットのイメージを多少でも向上するようなセッティングをすることも必要ではないか。勿論たまには、だ。それが出演者が「窮屈だ」と感じ、無視するようであればネットはいつまでも独特の世界に埋没してしまうのではないかと危惧の念を抱く。ネットを嫌悪している老害が時間とともに完全に死滅することを望んでいるのならば、やがて現在ネットに親しんでいる者達もいつか時代が変わったとき、逆の立場になる可能性があることも頭の隅に置いてほしい。年齢の事ではなく、考え方の世代間の齟齬を無闇に切り離して考えるのは乱暴といえる。
既存メディアがなかなかネットの見解を喋らせてくれないのは暴走や炎上といったリスクを恐れていることも一つの要因だろう。既存メディアはネットを蔑視から脅威の対象に変わりおそるおそる歩み寄りを見せようとしている。この時期をうまく利用し、ナイフに怯える少年達に安全な使い方を示唆するように、ネット上の楽しさや奥の深さを理解させることができれば、多少なり既存メディアの著名人達がネットに流れてくることもあるだろうし、ネットに関するテレビ放送の姿勢が変わってくる。新しい技術もスムーズに受け入れられることだろう。
視聴者の意見がダイレクトに流れてくることを認識してもらえれば、著名人も迂闊なことがいえないと判断し、勉強するようになる。法案の抗議文書をいくらEメールで送付したところで国民の声として認識されないのもネットが生活に根ざし始めていることを理解していない者が多いことを示している。ネットは生きた人間が使っていると理解させる。その流れが「開かれたメディア」の一歩と思う。
そういう状況になって初めて「開かれたメディアではごまかせない」と捨て台詞を吐き、既存メディアに逃げ帰っていく者達を安心して見送ることが出来るのではないだろうか。いま誰にでも門戸を開かれているようで、まだまだ人を選んでいるのが現状だ。空論だと言い切ってしまう前に一度やってみる価値はあると思うし、ネットのコミュニケーションが多様化してきたのだから既存メディアが理解できる様式が一つぐらいあってもいいだろう。まずネットが2ちゃんねるだけの文化という誤解を解くことが必要だ。
ネットは多様性があり、しかも誰でも放送を選ぶことが出来るのだから放っておけば見えざる手のごとく、いずれ淘汰・最適化されるだろうなど安易に他人任せにするのはよくない。アルファブロガーという言葉が流布されているとおり、匿名だけがネットではなく率先して引っ張っていく人間がいる以上、発言の影響力は大きい。こういったネットを先導してきた者たちが一度はネクタイを締めてキメ顔でやってみるのも別のアプローチとしておもしろい宣伝になる。たとえテレビでは多くを語れない制約があったとしても、ネット側から歩み寄りを示す方法はいくらでもあるのだ。
前を向き続ける姿勢は評価できるが、ネットに興味があるがなかなか理解出来ない人を放置するのはいかがなものか。せっかく相手は理解しようと動き始めている。敵視したままなし崩しに放っておけば、誤解の差は開き、また何かしらの思い込みによる報道を繰り返し、結果的に発展の阻害になってしまうことは想像に難しくない。理解を示し、説明することは大事なのだ。
ネット先駆者たちと大衆の思考が大きく乖離してしまっている。先駆者たちがわざわざ理解できるように道を示してくれるとは思えない。また既存メディアが既得権益で塗り固められたままネットを利用し理不尽な制約・規制を新たに生み出すかもしれない。これから重要になってくるのはネットと非ネット利用者の橋渡役ではないだろうか。
大衆を呼び込むためにも背広を着て営業する大切さも一度は考えてみるべきだろう。ドワンゴの川上氏がテレビCMを流すなど、NHKに出演することは世間に出るリスクがあるとはいえ、新しいメディアを理解してもらおうと努力している観点から見れば大いに評価できることだ。
iPadなど直感で触ることが出来るようになりこれまでネットを利用しなかった人たちも使う機会が増えてくることだろう。前へならえで既得権利に浸かって沈没していくレガシーメディアに理解できるような試みも必要なのだ。より社会に根ざしたネットインフラを構築するためにも、今後ネットを知らない者への理解が重要になってくる。
既存メディアがネットを考え始めたと同時に、ネットを利用している者も既存メディアに対してもう一度深く考える時期にさしかかっているのかもしれない。
参考1:“革命的Ustream放送”「激笑 裏マスメディア〜テレビ・新聞の過去〜」の裏側 (1/2) - ITmedia News
参考2:Togetter - まとめ「NHK激震マスメディア 向谷実氏(カシオペア)のTLで裏ustに非難轟々だった件」