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2008-12-20

逃げまくってきた末に行き着いた俺の精神

http://anond.hatelabo.jp/20081219121223

上の増田の気持ちと精神構造はすごく共感できる。ってか君は俺か。

たしかに逃げ癖,負け癖の蓄積は精神破壊する。

何度も精神的に死にかけたし、何度も妄想で人を殴り殺した。

現実にならなかったのはほんのちょっとのタイミングの違いだ。

タイミングさえ違えば今頃塀の中で暮らしてたかもしれない。

増田と同じくちょっと俺のカスな逃げ話もカウントさせてください。

小学校4年の頃、近所の少年野球チームに入った。

ヘタクソのままレギュラーにもなれず1年で辞めた。(1回目)

小学校5年生のころ、学校サッカー部に入った。

これもヘタクソのままカス扱いのまま1年で辞めた。(2回目)

小学校6年生のころ、ラグビーチームに入った。

もちろんヘタクソ鈍足ガリガリチンカスは変わらず半年で辞めた(3回目)

もうこのへんくらいからスポーツは向いてないと悟ったので

中学生の頃は帰宅部になった。勉強やろうと思った。

高校はそこそこ中途半端進学校にはいることができた。

で、高校2年生のとき高校ごと辞めた。(4回目)

根性足らずで勉強について行けなくなった。そんでやる気もゼロになった。

そうしてるうちに朝起きても体が動かなくなった。

夜起きて昼間に寝るようになった。

テレビばかり見てメシ食って屁こいて寝るだけの生活になった。

そしてたくさんいた友達は全ていなくなった。

ヒキコモリを2年やった後、バイト生活を転々と計4年ほどやった。

最後のバイト先は1年半ほどやってバイト仲間ともすごく仲良くなったが

ある日突然そのときの気分で衝動的にバッくれた。(5回目)

トレインスポッティングエンディングみたいにバイト中に走って逃げた。

バッくれたその足で衝動的に地方から東京に出た。

たくさんできた友人知人もまたいなくなった。

東京にでてきてから自分の繰り返す不甲斐なさ情けなさに激しく落ち込んだ憤った死にたくなった。

ヒキコモリから精神的に立ち直っていたのに、この一件で再びおかしくなった。

具体的には自虐的かつ暴力的な思考が加速した。一人言の口癖は「殺したろか」だったと思う。

でもその意味わからん怒りをパワーに変えようとした。そして一応決心した。

バイト生活、非正規雇用不安定な生活から抜け出してやると。

社会階層を駆け上がるべく専門職に就くことを考えた。

選んだ道は大学法律を学ぶことだった(弁護士コースではないけれど)。

その後1年間のバイト受験勉強を両立してマーチレベルの私大に入った。早稲田には落ちた。

まあ中途半端レベルまでしか受験勉強できなかったってことだ。

大学に入ってからはサークルにも属さずひたすら授業と資格勉強をやった。

まあ通常より5年も遅れているから今更大学デビューとかいう気にもなれなかったし

何より精神的にはかなりすさんでいた(暴力的に)ので、あえて大学では勉強のみに集中した。

何ていうか肩が触れ合った、目が合った、足踏まれたとかで完全に殺すつもりで喧嘩になるの前提で

怒鳴り散らしてた。俺があまりにもキティGUYだったのか、怖がられたのかキモかったのか

不思議と一回も暴力沙汰にはならなかった。

冒頭に塀の中にいないのはタイミングの違いだけと言ったのはこのへんのこと。

大学1年の終わりには法律むいてないっていうか

どうしようもなくつまらなくなってやめた。(6回目)

勉強の動機が不純というか目的のための手段でしかなかったので

法律の内容自体に興味関心がなかったのが敗因だったかもしれない。

う、ここまで書いてたら改めて情けなくなってきた。orz...

大学2年のときなぜかプログラミング始めて色々ツールとか作ってるうちに

大学院に行こうとまたいつもの心変わりの決心をした。

周りに競争相手もいなかったので(文系学部の図書館でひたすらCとかJavaとか数学とかやってた)

スイスイ自分のペースで集中して勉強できた。

結果大学院(他大学理系)にも受かった。

大学院に入ったはいいが周りの出来の良さに驚愕した唖然とした自分の身の程を

客観的に知った死にたひタスケテ状態になった。

ゼミレジメきるだけでも頭の違いが良く出るのだけれどもそれはそれはもう

俺のやってきたことがフェイクだった事を200万回はわからせてくれるほど

レベルの違いは明らかに出た。微分方程式って何ですか?おれ馬鹿ですかありがとうございました。

それでも1年のときは何とか食らいついてギリギリこなしてたけど

2年になって就活つまづいたのをきっかけに完全に死にたい死に体となって

死んだも同然の幽霊学生となりかけたのだけれども逃げかけたのだけども

何とか踏ん張ったり落ちこんだりを繰り返して繰り返して

何とか仕切り直して極低レベルな内容だけど修論書いてる。(7回目免れかけている)← イマココ!

学会発表にももうすぐ出場する予定。

長くなってすいません。言いたいことはここからです。

逃げまくってきた俺がここで今逃げないのはなぜか言わせて下さい。

「逃げるなら死んだ方がマシ(精神衛生上)」と心底思うからです。

死んだ方がマシというのはやりきって玉砕したほうがマシという意味です。

マッチョ精神論ではないです。

賞味の話20代後半で7回目逃げるってもうその後の精神状態考えられない。

発狂する死ぬ。もう立ち直れない。もうここで逃げたらこの先メンタル完全に退廃。過去にがんじがらめになって

次の一歩を踏み出せなくなる自尊心のかけらもなくなる何をやるにしても実績がないので自信がないetc...。

過去の負け続けた経験にこのまま一生苦しむくらいなら今ここで死ぬまでやりきって完全燃焼して

結果ダメでも結果体壊して死んでも結果大恥かいて羞恥プレイの刑にあって自尊心を虐殺されてもやりきる方が

逃げた後の死ぬほど情けない気持ちを一生引きずるよりいいと思いませんか。

僕思いましたもう逃げたくないです現場で死にます。

冒頭の増田さんにもどうか問いかけたい。

あなたの気持ちは痛いほどわかる。つらかろう死にたかろう俺もたまにまだ死にたくなるよ自分が情けなさすぎて。

ただし!

死ぬなら現場玉砕する方向で行きませんか。やって死のう。完全燃焼して死のう。恥かいて笑われても疲れきってやりきって死のう。

何歳からでも何をやるにも遅くないと信じろ。It's never too late. この素晴らしき世界でこのクソザコ人生を歩んだ俺は

世間的に見たら小さな自分から見たら大きな夢に向かって死ぬまで歩き続けるつもりでいる。

人と比べんな、俺らみたいな人生は人と比べたら至極当然に死にたくなるので、自分の考えた自分の道を歩まなければいけない。

正しい目標一生懸命コミットするしか道はない、もう後ろに道はないよ、前しかない後ろは崖左右も絶壁。

進むしかないだろ、部屋の中でゴニョゴニョ悩むのはもう十分やってお腹いっぱいだろ、歩き続けろ、

毎日ケンカすると思って世の中にでろ、殺し合いと思って世の中にでろ、挽回しろ巻き返せやり返せ殺し返せ

増田にしかない道を作れ、増田みたいなドロップアップ人生歩んだ奴らが目標となるような人になれああ俺はなるよ

歩き続けるやり続ける殺し合いに脊髄反射で応じ続けていつでも死ぬ気で対峙するよ、で結果も何とか出すよ。

なんの実績も経歴もない俺が言うのも恐縮だけどもう書いちゃったからこのまま額面通り受け止めてほしい。

おれもがんばるから増田さんもがんばれ。色々考えながらこれ書いてたらもう1時間経ったよ力作だよ俺からの遺書と思って受け取ってください。

(そして老婆心ながら具体的にアドバイスもさせて下さい。むかついたらカス寝言と思ってスルーしてください。

非正規雇用労働時間遵守で働きつつ空き時間資格勉強再開しろ経理の事務とかいってないで税理士事務所の敏腕営業マンぐらいは目指せ

稼げるから。税理士事務所会計系の専門学校に行けば求人が結構ある税理士事務所の合同説明会的なものがあるから専門学生のふりして

潜って行って面接受けたら前職がスタバの店員や資格浪人5年のNEETでも雇ってもらえるから何とか受かって前に歩き続けて下さい。

結局何をするにしても勉強するか経験するかしか社会階層駆け上がる道はないと思います。)

で俺はといえば今度歩けなくなったら潔く死にます。

長々とお付き合いくださってありがとうございました。

生あずまん

生あずまん見てきたよ。

講義にもぐった理由

ネット☆スター見て興味を持ったから

・著作読んだら、えらく面白かったから

読んだ本

動物化するポストモダンオタクから見た日本社会

ゲーム的リアリズムの誕生動物化するポストモダン2』

リアルのゆくえ―おたくオタクはどう生きるか』

コンテンツ思想マンガアニメライトノベル

波状言論S改社会学メタゲーム・自由』(2章まで)

ホントは先週行こうと思ってたんだけど、腰が引けてた。

んで、行かないで家でぼやーっといつもどおりネットしてたら、はてなでなんかもめてた。

↓こんな感じで

東浩紀問題、または歴史修正主義問題について(開かれた学問・知識について:前編)

http://d.hatena.ne.jp/amamako/20081213/1229172460

ああ、こりゃ早めに行っとかないとモグリ禁止もありうるなということで今日行ってきた。

講義に出ていろいろと思ったこと・感じたこと

1.

教室が小さい


講義に出る前は、てっきり大教室でやってるもんだと思ってた。

テレビに出てるくらいだし、そこそこ名前が売れてる批評家なので。

ところがどっこい、かなり小さい(と言ってしまうと失礼に当たるのかもしれませんが)教室です。

ふいんき(ryも、講義する人と学生の間に「関係」があるのを感じさせるアットホームな感じです。

簡単に言ってしまえば、人数多めのゼミみたいな感じ。

なので

次は、トラメガを持って東工大に行きます。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20081213/p1


こんなこと書かれたら非常に迷惑だし、普通は怒るだろうなと。

確かに大学は開かれている「べき」だけど、mustではない。

時と場合によるし、あの「規模」だと開かれていなくてもしょうがないかなと。

歴史云々について


授業の前半30分くらい使って説明してた。

別に難しいことは言ってない。(以下はワタクシの解釈

自分が体験したわけではない「歴史」というものは、物語でしかない。

その物語の「強度」によって人は「真実」であるとか「捏造」であるとか判断する。

ようは、wikipedia歴史なんだよと。

常に更新可能であるし、閲覧した時点での記述が閲覧者にとっての「真実」となる。

また、「ソースwikipedia(笑)」って感覚は「ソース歴史学者(笑)」に通じるべきだ。

少なくともポストモダンな人は。


ってあずまんは考えてるんじゃないかな。

南京大虐殺

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA

南京大虐殺論争

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AB%96%E4%BA%89

id:toledって人は、wikipediaで言うところの「ノート」で議論して、

らちがあかないから「みんなで編集合戦しようぜwwww」って言った様なものなのかな。

だから「垢BAN」されてしまったと。なんとなくそう感じた。

以下は生あずまんを見た後の、著作その他にかんする感想

2.

東浩紀嫌韓流容認論

http://watashinim.exblog.jp/8879908/

大塚 その話を聞いてしまったら、ポストモダンっていうのは、何もかもから距離を取れて、すごく楽な思想だっていう話になっちゃうよね。

東 楽と言えば楽ですが、楽じゃないと言えば楽じゃない……(苦笑)。


あずまんはポストモダンの「判断の不可能性」についてわりと謙虚な立場。

それは『波状言論S改』にもよく現れている。

ただ、それは「批評家」としてはどうなのかなーってのは確かに思う。

まぁ、「ずるい」と言われてしまってもしょうがないかなと。

(ただ、「ずるい」と言ってしまえる人ばかりだとまずいので「逆張り」している可能性もある)

宮台氏とか大塚氏は「イエネェっつっても世の中良くするためには何か言わなきゃ」な人たち。

東氏は「なぜか」そこには触れたがらない人。

(『ゲーム的リアリズムの誕生動物化するポストモダン2』の序章で「生と実存の問題には触れていない」とはっきり書いてある。触れろよ!)

東 この議論は続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんはぼくの人格を批判しているので、

それはやめたほうがよろしいんじゃないかと……。


大塚「なんで自分人格(判断)を晒さないの?馬鹿なの?死ぬの?」

あずまん「それは人格攻撃じゃ・・・」

んー、たぶん、「政治学」が好きじゃない?から言わないのかなぁと。

3.

政治関連の語の定義がちょっと甘いような気がする


あずまんって、『リアルのゆくえ―おたくオタクはどう生きるか』で明言している通り、

政治学」に興味ないから(「僕は政治がわからない」発言より)あんまり「政治学上の定義」とかにこだわってない。

だからたまーに何言いたいのかわからなくなる。

政治」っつっても、ウェーバーの「政治」とアリストテレスの「政治」とぜんぜん違う。

ロバート・ダール

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AB

の『現代政治分析』(岩波書店, 1999年)第1章「政治とは何か」とか読んでみればいいのにーって思う。

あずまんが言うところの「共感」とか「正義」って、ダールの言うところの「規範」かな。

デモクラシーって経験主義的に「正義(善)」とされてるから、そこは政治学では脱構築?しなくていいんだよね。

そこさえ乗り越えちゃえば、宮台氏みたいな「行動」をすることができるんじゃないかなぁ。

ダールの「政治」の定義(『現代政治分析』p4)

コントロール(支配力)control,影響力influence,権力power,権威authorityをかなりな程度含む人間関係の持続的なパターン



4.

さいごに


あずまんは笑顔がかわいい人でした。

男に好かれるのは判る気がする。

2008-12-19

あなたの数倍逃げ癖のある人間より

http://anond.hatelabo.jp/20081218230426

俺の場合は逃げた回数が多すぎて感覚麻痺してる。

それに比べてあなたは根性があるし、

実行(逃走)するかしないかの瀬戸際にいる人間なら腐るほどいる。

まったくもって問題はないレベルだ。

ここからうざいこと承知で自分語りさせてもらう。

俺は現在20代半ばで無職

大学卒業バイト派遣含めて4つの職を転々とした。

高校までは逃げたことがなかった。

部活もそれなりに厳しかったが辞めなかった。

大学もそこそこいいとこに決まった。

大学に入り、貧乏家庭な俺は寮に入ったんだがそこは軍隊だった。

俺は数週間で退寮(逃げ:1回目)し、そこから悪しき逃げ癖が付いた。

習い事部活実家を出るまで続けていた俺にとって

「なにかをやめる」というのは初めての経験であり、

すっきりした気分を味わったのと同時にその味をしめた。

逃げたせいで、時々見かける寮の人間におびえてしまい、

サークルに入ったり授業で仲間を見つけたりといったことが

何故か出来なくなっていた。

その夏にレストランバイトを始めたが一週間でバックレた(2回目)。

延々と皿を拭くだけのバイトだった。

その後勤めたバイト先は卒業まで続けられた。

これをやっていなかったらもっとひどい非コミュになっていたところだ。

サークル無所属はまずいと2年時にとあるサークルに入った。

3年時に違うサークルもかけもちで始めたがそれは数ヶ月でやめてしまった(3回目)。

最初のサークルも4年時にやめてしまった(4回目)。

ゼミの個人的な共同作業(研究?)も俺が口だけで「そのうちやる」ばっかり言っていて

で途中まで順調だったものが未完成(5回目)のまま卒業となった。

このあたりから感覚麻痺しはじめる。

あとこの時点で他人から全く信用されない人間になっている。

会社は一部上場メーカーの事務職だったが

体育会系の厳しい上司とウマが合わずに半年で辞めた(6回目)。

その後すぐに単純機械作業的なバイトを始めたがあまりに単調で二日で辞めた(7回目)。

そして違うバイトをしながら公務員試験勉強をしていたが、

そこも人間関係に馴染めず半年で辞めた(8回目)。

なんとなく近所の派遣会社に行くとよさそうな募集があったので登録した。

工場機械操作。

これは仕事こそ典型的な泥臭い肉体労働だったが同僚に恵まれて毎日楽しかった。

公務員試験とかどうでもいいやと思えるくらい充実した仕事だったため、

試験勉強を中止した。

一定期間後正社員になれる者と派遣継続する者とに分かれて俺は後者だった。

なんだか自信を完全に喪失してしまい、辞めた(9回目)。

それから数ヶ月ほど経った。

仕事を辞めてすぐは心地よい気分で満たされる。

しかし突然狂ったような他者と自分の比較があらわれ、

自分は根性なしの非コミュ人間のクズで一生まともな職に就けず

彼女も出来ずある日突然首吊りをするのでは、といった精神異常に陥る。

仕事を辞めてほとんど他人と会話をしていない。

日に日に会話力が落ちているのを実感する。

最初の大手メーカーの同期は多額のボーナスをもらってるし、

後輩も俺以上の収入を得ている。

高校大学同窓生で俺より根性のない人生を歩んでいる人間はいないという強い確信がある。

次の仕事は辞められない。

辞めるごとに精神が破滅するし、その感覚に伴う苦痛をもう味わいたくないからだ。

自殺願望社会に出るまで抱いたことがなかったが、

このところは毎日だ。

ちなみに仕事を辞める直前ギリギリまで死のイメージが浮かんでは消えるのを繰り返す。

死ぬくらいなら逃げる、という覚悟なので仕事は続かない。

簡単に辞める。

そもそも自殺後の身内の悲しむ姿を思うと死ねないし、

働くしかない。

このような精神状態だとネット年収関連の話題を見ることが出来ない。

俺は年収100万円程度だ。

逃げ癖が続くと確実に精神がやられる。

ネガティブ思考に陥り、マッチョに対する嫌悪が増し、

自分よりも明らかに劣る人間を探して精神を安定させる作業が延々と続く。

現在資格勉強をしていたが落ちてしまい、金も尽きてきた。

落ちた資格日商簿記二級で、己の能力を過信して1週間漬けで失敗し、

計画性のないクズだと思っています。

高校生なら誰でもとれる資格を落とした大卒ゴミです。

落ちてから死ぬほど勉強してやっと過去問がスラスラ解けるレベルになったので、

現在並行して一級の勉強もしています。

どこでもいいので経理職に就きたいと考えています。

年収100万程度で生きていけることは分かりましたから。

ちなみに実家には帰れない。

近所は典型的農村ニートに対する蔑視がすさまじい。

逃げるごとに何かを失っているというか、

時間だけを浪費している感覚になる。

歳だけ食ったような。

たくさんの人間に追い抜かれ、俺はもう死ぬしかないし、

ここまで職を転々としたのでばれない範囲で履歴書捏造するしかない。

面接は得意だが保健記録等を調べられると俺の就職破綻する。

そしてヘタな会社に入るのも難しい。

そもそも肉体労働スキルしかない。

やはり死ぬしかないし、あなたは辞めない方がいい。

数分に一度自殺することを考えるようになるし、

他人を殺した際のニュース映像妄想するような日々を送ることになる。

これを書いている現在精神が安定していないし、

書くことによって安定させている。

外観は社交性があるらしく(中身はクソ非コミュ)、

真顔で嘘を付けるため面接でほとんど落とされないが、

それが毎回見かけ倒しな評価となったり自分自身の甘えとなっているようだ。

早く仕事を見つけないと俺は死ぬか他人を殺して刑務所人生の安定を図ろうとする存在になる。

早く仕事を見つけないと。

とこのように何も考えずに書いていると論理破綻したクズのような文章になることが分かりますし、

結局精神も安定しません。

死にたいですし、街はクリスマスですが

俺には彼女もいないし金もないし死にたいし今求人情報誌を読んでいるところです。

とりあえず次はバイトでも派遣でもいいので経理の職に就きたいのですが

なかなかありませんね。

それと最悪のタイミングで前職を辞めたため、

ニュースを出来るだけ見ないのが自殺を食い止めるコツです。

これを逃避と言いますがいつ死ぬか分からないのです。

元増田は気をつけないとこのような精神になります。

もう死ぬしかありません。

全て自業自得です。

逃げるとこうなります。

新卒の方は絶対に辞めてはいけません。

死にたくなります。

面接苦手でしたらなおさらです。

面接得意な俺ですらこのようになるのですから。

2008-12-17

チャンスをください。

http://anond.hatelabo.jp/20081217152150

まったく同様の理由で、さよならも聞かされずに行かれてしまった者としては、本当に勘弁してくださいの一言です。

残された人々は必ず行き場のない、やりようの無い心境に行き着くことを想像できないほど、追い詰められているのは分かるけども。

ただ、これまで同じ研究室ゼミ)の仲間としてやってきた奴が、突然いないくなるのは本当に応えるんだよ。自分の足りない頭でひねり出した論文を、メタくそに批判されることとぜんぜん比較にならないんだよ。人生が変わってしまうんだよ。相談に乗ってやれなかった自分を恨んでも恨みきれないんだよ。それ以上の悲しみに包まれる親御さんの泣き崩れる姿を葬儀で見るのが、耐えられないんだよ。

どうかお願いだから、大学だけに限らず、あなたの周りの人に「あなたの相談に応じる」チャンスをあげてくれませんか?

http://anond.hatelabo.jp/20081217152150

それなんて俺、俺なんてそれ。

卒論の自主ゼミ院生人格批判に近いことを言われたのだけど、少しトラウマをえぐられたのでさすがにへこんでMLで「私は書けないので大学辞めます」って送ったらいろいろ温かい言葉が来たよ。批判した当人は何やったか気づいてなかったみたいだけど。

で、自身の意欲を建て直すために、卒論とは直接関係ないけど好きな(趣味の)科学哲学とか社会学基礎論の本を読んでるんだけど、分析方法や今後の筋道がどんどん沸いてくる。また文章も書けるようになってきた。まあそんなものだ。

あと、人のことは言えないし、ほかの人も区別できてなかったりするんだけど、自分仕事(ここでは卒論)と自分自身を分けると楽になるかも。まあ、それも生きるのには楽だけど大成はしないだろうけどな。今研究会で前にいる先生も、研究人生そのものとして成功したようだし。

生きることが辛かったら、どうせ人生なんて辛いんだから辛い仕事に没頭するってのもあり。高校とかで辛いもの背負っちゃったら一度排除されてるんだから、その後の人生はある程度以上楽にはならないって。

2008-12-16

「私こう見えて実は・・・」 のレベルの高さ 〓就活から合コンまで

就活面接での話。

軽い自己紹介の後、

自己PRなんですが、『私こう見えて実は・・・』という文からはじめてください。」と要求された。

つまり、「あなたの意外性のあるところをアピールしてください。」と言うことだ。

表層の自分と深層の自分を把握し、齟齬を認識する。

そして数あるギャップのなかから、自己PRとなりうるようなものを選択し、

効率的に伝達しなければならないのだ。

これって、就職活動の質問の中ではものすごくレベルが高い方に位置するのではないだろうか。

1:自己・他者理解〓表層〓

自分が他人に与える印象を深く知っていなければならない。

言語・非言語双方でつくりだしたもの。

しかも、部屋に入り自己紹介をするまでの短い間に与えると言うとても限定的なもの。

グループ面接では、他の学生と相対的な評価をする必要があるかもしれない。

2:自己理解〓深層〓 ⇒齟齬の認識⇒選択

他人に与える印象と、自分の「自己像」の齟齬を素早く認識する。

その中からポジティブイメージをもたらすものを選択する。

もちろん自分内面をきちんと把握しておく必要があり、客観的にみても妥当性があると感じられるもの。

3:伝達

瞬時に、自分の表層・内面言語化し、会話を組み立てなければならない。

新たな印象を形成しなくてはならない。

「私、先ほどの自己紹介ではアツイだけの体育会系に見えたかもしれませんが、ゼミ論理的な議論が大好きなんです!」

と言うことを伝えたいのに、論理的に話すことができなければ、それは失敗である。

よく、合コンなどで「私こう見えて天然なんですぅ〓♪」という女性イタイ・・・という言説がある。

これのイタイ理由はいくつかに分けることができるのかもしれない。

1:自己理解・表層の部分=他人の意識の理解の失敗。

「“こう見えて”・・・て、どう見えてると思ってんだよ;;」

2:選択ミス・深層理解の失敗

「見たまんまだよ!or興味ねえよ!まったく意外じゃないし。orそれって良いことなの?言わない方がいいんじゃね?ORオメーのは間抜けって言うんだろ・・・」

3:伝達の失敗

「えっ?あいつ天然って言ってたよな?めっちゃテキパキ動いてんぞ?裏番長?」

はてなーの方も経験があると思いますが、

ポジティブな“意外性”というのは対人関係において、かなり強力な武器になるのでしょう。

ただし、意外性をアピールすることはかなり難度が高く、ハイリスクでもありますね。

http://anond.hatelabo.jp/20081216215751

落ち着いたのならよかった。

ゼミ教官がどういう人か知らないけど、超一流系の学者だと、イカレてる人がソコソコいるけど

そういう人でない限りは素直に心配してくれてる人が多いと思うよ。

まあ、一回エイヤって会ってしまえば後は気持ちがラクになっていくと思うから、とりあえず最初のいっぽ推奨。

大変かもしれないけど。

あと、まあ、ガチ高学歴モヒカン族…と言ってしまったのは悪かったけれども、

ガチインテリでも、怖くない人はいくらでもいるので、そういう人相手に礼儀正しく絡んでみ。

丁寧に絡めば、気を遣いながらリプライしてくれる人はけっこういるよ。

ケンカ腰系の絡みだと、単に無視されるか、モヒカン族がやってくると思うけど…。

それと、自己卑下が続くタイプなら、DQN釣って満足する系の記事はあんま書かないほうがいいよ。

ほんとにどいつもこいつも…っていう意識がぐるぐるまわるだけだろうから。

あるいは、単にネット徘徊してないで、本読むとかね。

ある程度あたまがいいんだったら、自分の興味関心で、本読んでったら、いいと思える著者にあえるでしょ。たぶん。

あと、ゼミの同級生が話あわないんだったら、

就職志望の人が多いゼミやめて、大学院/研究者コース志望の人が多いゼミに変えたほうがいいよ。

早慶か、旧帝大クラス以上のとこに行ってるんだったら、

そういうゼミに行けば、あなたと似た自意識をかかえちゃってる人も多いと思うから。

多少はまともに話のできる相手がいるはず。

それでもダメだった、ネット上の学問コミュニティにでも出入りしなさいな。

2008-12-12

全国的にアカハラの季節になりまして、

隣の席の奴が研究室に来なくなってから一ヶ月になる。その前からゼミにしか来なくなってきて研究も進んでなかったようだったから、先輩たちは予想していたようだけど、いざ来なくなると怖い。教授たちの次の標的は俺なんじゃないかという気がする。

そいつは就職がなかなか決まらなかった。それで就職活動に力を入れていたら、教授研究をちゃんとしろ的なことを言われた。そいつは陰で「お前も就活してみろよ」とぼやいていた。「昔とは違うんだよ」と。

教授ゼミで、そいつの研究が進んでいないことを確認すると、毎週タスクを一つずつ追加した。タスクが消化できるようなアドバイスをほとんどせずに、タスクを追加した。プレッシャーをかければやる気になるんだろ、と言わんばかりにそいつのタスクを増やしていった。

そいつは研究就活もどんどん中途半端になっていった。そして研究室に来なくなった。メールは届いているようだが返信は来ない。

中学高校先生就職や進学が決まると本人と一緒になって喜んでくれたが、なんで大学教授は教え子の就職を喜ばないんだ?

2008-12-01

yes we can!!!!!!!!!!!

死ぬ気はないんだけど、死にたいの4文字が頭を行ったり来たりする。

どうにか自分をなだめすかしながら修論の準備してる。

よくないことばかり頭をよぎる。おちつけー。

できる。やれる。大丈夫

死なない。死ねない。

本はゆっくり読め。落ち着いて。

修論のあらすじは夏の研究会発表と秋の中間発表でまとまってるんだから

あとはとにかくアウトプットして、それを成形してくだけだよ。

前みたいに先生のご機嫌伺いながらゼミ行かなくてもいいんだよ。

今の先生はすごく増田を応援してくれてるじゃまいか。

息苦しくて体が重いこともあるし、こないだは腕切ったけど

水曜にはカウンセリングも予約してあるしさ。

来週には調査で九州旅行に出れるじゃん。恋人も心配してくれてる。

ストレスで食べすぎっぽいから少し摂生したほうがいいけど

食欲はあるし、眠れてるよ。

生活時間帯は夜型だけど、まあ本人それで元気ならそれでもいいんだよ。

夜は静かで誰にも邪魔されないからいいよね。

大島弓子だって真夜中に起きて作業してる時があるんだから。

大丈夫。できる。

2008-11-23

パソコン子育て

見てみたら日記をつけてから今日で2000日目だった。ちょっと振り返ってみることにする。

ちなみにパソコンは全然詳しくない。

親がパソコン好きだったので、小さい頃からネット環境があっただけ。

Netscapeが好きで使ってたけど、Internet Explorerが出たときの衝撃は今でも覚えてる。

とにかく軽くて、スタイリッシュな感じ。今はもう太っちゃって当時の面影はないな。

確かOSはwin98だったかな。

そのあとMeのマシンを買ってもらって、それで随分遊んでた気がする。

Meも大事な友人の一人と言っていいくらいの時間を一緒に過ごした。

よく顔を真っ青にしたり、起きたと思ったら顔面真っ白で驚いた顔したりしてたっけな。

出来の悪い子だったと思うけど、いまでもMeって言葉を聞くと顔が自然とにやけてしまう。

Meは自分の成長を犠牲にしたかわりに、人を育てる能力に長けていたんじゃないかと思う。

侍魂見て爆笑したり、MXチャットで色んな奴と話したり、メッセで知り合った人とボード行ったりもした。

ダイヤルQ2に引っかかって10万も請求きたりして親にこっぴどく叱られたこともあったな。

この頃知り合った人は今でもたまに連絡取ったりして関係が続いてる。

なんかあったかい時代だったなと思う。

実家回線ADSLから光になって、ちょうどその頃実家を出た。

1年浪人して、大学入って研究漬けの毎日。

よくほっかほか亭で塩カルビ丼喰いながら夜通しくだらない話してたっけな。

塩カルビ丼が終売になったときはみんなで抗議しにいったっけ。

終売になってからも冗談で「おばちゃん塩カルビ」って言ったら本当に出てきたりして。

あのおばちゃんまだ働いてるのかな、元気でいてほしいなぁ。

あとはゼミさぼってみんなで雀荘行ったことが先生にばれて、バケツ持たされて立たされて。

「叱り方が昭和だよな」とか言いながら笑ってた。

院に行くのに必要なTOEIC受け忘れて、1年研究生として研究室勤務になったこともある。

バイトしながら学費稼いで、4年の研究の面倒見つつ麻雀して研究して。

学会もこの頃からお世話になるようになったんだな。

国際学会のときの原稿全部Excite翻訳にしてこっぴどく怒られて、

後輩に全部手直ししてもらって発表したのはいい思い出だ。

この頃になると昔ほどネットにいることは減ったけど、休みには必ずネットはしてたな。

ブラウザFirefoxにして。

拡張機能とかで色々とカスタマイズ出来て本当に便利な時代になったもんだと思う。

LDRize、Minibuffer、AutoPagerizeとか一回使うと離れられなくなるな。

あとTomblooっていうのが最近のお気に入り。

RejawTumblrDeliciousに飛ばしてるけど情報収集するのに最適だな。

ネットも変わるもんだ。

Rejawは昔から知ってる奴が結構いいよっていってたから使ってるんだけど、

検索機能も充実してていいね。

なんか顔なじみの奴が結構Rejawにいて驚いたけど、あんまりメジャなものではないのかな。

そいつは、はてなとかガキしかいないじゃんとか言ってたけど、ガキで何が悪いんだって話。

ガキ最高、ガキ上等。

まー、ちんたらとここまで振り返ってみたけど、とにかく懐かしいな。

就職して、結婚して、今は普通リーマン2年生。

休み普通に取れるし、給料普通

来週には俺もパパだ。

幸せ家族計画への第一歩ってやつだ。

今はとにかく嫁も子供も無事に産まれてくれればそれでいい。

パソコン使えるまでは俺と嫁と爺さん婆さんでしっかり育ててやる。

パソコンが使えるようになったらMeにバトンタッチだけどな。

http://anond.hatelabo.jp/20081115232636

理系分野の就職を増やそうという事とは別に、日本人全体の理系の素養を高めようという観点も追加されるべき

一部の人間(理系の職種)のレベルを上げるのも重要だけど、理系とは疎遠な人間にもあまねく理系の素養を

くその通りだけど、全体の素養を高めようという試みは既に行われている。

というのも、「高い山を支えるにはそれなりに裾野の広さが求められる」からだね。

また、「高校文系に進路を決める人の多くが、小学校の時分で既に算数嫌い」だということも解っているので

理系離れ対策において、より基本的で全体的な部分の対策が重要であるということはよく知られている。

少なくとも、俺が教育実習に行っていた5年前は、現場でも大学ゼミでも常識だった。

 

そして、横増田が言うように、この問題は「理系」を「学問全般」に置き換えられる。

学校勉強なんか!」と言う大人は、小学校の頃からそれが嫌いだ。

 

だから、教育界のトップは

「難しいことをたくさん教えるんじゃなくて、基本的な部分を丁寧に教えよう」

勉強嫌いな子が出ないように、みんなが100点をとれる教科作りを目指そう」

と考えたんだ。

 

結果が、悪名高い「ゆとり教育」だね。

出来杉彼女

大学ゼミの懇親会にOBとして参加したのだが、そこで後輩の女の子と再会した。

在学中からとても利発な女の子で、研究室内のあれやこれやの雑事を引き受け、

先生秘書的な役割を担い、飲み会でオヤジと化した教授達からのセクハラも受け流す

良くできた子で、人に向けるその笑顔は本当に屈託がなかった。

だから、俺の脳内ビジョンではとても美人アバターに設定されていた彼女だったのだが、

久しぶりに顔を見たら、あれ、そうでもないな、というのが第一印象だった。

まあ、同窓会ありがちな話なので、そういう事もあるよな、と納得しかけたが

相変わらず自分みたいな非モテをこじらせたような男の話でも、

しっかり目を見て話をしてくれたりして、好印象なのは相変わらずだった。

そして、彼女打ち上げでテキパキと自発的に行動を起こし、

「○○さんがホステス状態になってるから助けてあげて!」などと

他の女子に耳打ちしたりしてるのを見ると、ああ、やっぱり凄い子だなー、と

認識して、ありがちな表現なのだが彼女がとても眩しく見えてきた。

そんなこんなで彼女が男のどこを見るのか、という話になったとき

彼女が「いやー、あんまり私外見とかにお金かけないんで。年取ったらどうせ老いるじゃないですか」などと言うので、

「でも福山雅治とか40越えてもカッコいいじゃないですか。」と他の後輩が言うと、

「いや、外見で判断するとカッコいいってだけでフィルターがかかっちゃって、

本当にいい男かどうかわかんなくなるじゃないですか。だから、私は男は外見で判断しないことにしたんです。」

などと全国の非モテ男が目の前で言われたら死ねセリフNO1を、まったくの嫌味もなしにさらっと言い切るではないか。

現場でその台詞を聞いた限りでは何の計算高さも感じられない率直な言葉だったと思えた。

そしてたとえ嘘であっても、その純朴だが清楚なオーラに殉じてみたい、と思わせるくらいの崇高さが感じられた。

だが、目の前に理想的な女の子がいて、じゃあ、自分彼女に対して何かアクションを起こせるか、

と考えたらそれは無理だと思った。

男は顔じゃないなどというリアルはにわかに聞きがたい台詞を言われたとして

そして、それが真実言葉と信じられるとして、

それを発するような彼女に足る男なのだろうか俺は、などという自問自答があり、

彼女は俺にはもったいない女性だ、という何か勘違いした思考に陥り、

結局何もできずじまいに終ってしまう。

結局、相手が理想的どうこうという問題ではないのだ。

要は勇気がないんでしょ、というテンプレじみた回答なのだ。

そう思い至るにつれ、自分は布団の中で自分の自信のなさに非モテの殻を被せて、

そのままふて寝してしまうのだった。

2008-11-12

2年間のNEET生活を振り返って。

世の中の、NEETになりたいって人へ。

僕は2年間、NEETをしました。

とても大変な2年間だった。

2年前、母親がとある病気で倒れました。

身の回りの世話をする人間が必要になり、

僕は会社を辞めることになりました。

就職の意思もなく、勉学に励むわけでもないので、

世間一般の定義ではNEETってやつです。

よくインターネットで、

「俺NEETになりたい、一生寝て過ごしたい」とか

「一生NEETやりたい、パソコンで遊べればいい」とか

書いてあるんだけど、 こういう人たちって、正直、

NEETがどれだけ辛いかがわかってないのだろうと思う。

みなさんお酒、飲まれるでしょうか。

強い人も弱い人もいると思うんですけど、そのちょうど酔い始め、

ちょっと頭に霞がかかってきたかなーぐらいのところを想像してみてください。

お酒飲んだことない方は……そうだな、まだ寝足りないのに、

無理やり起こされたときの頭のボンヤリした感じを思い浮かべてもらえれば。

ずっと家の中で延々とNEET生活をしていると、日常思考回路が、

こんな感じのボンヤリボヤボヤに近づいていくんです。

恐ろしくないですかね?

頭の回転がどんどん止まっていくのが自分でわかるんです。

どっちかというと、軽くホラーの部類だと思います。

でも、NEET生活をするって、そういうことなんです。



僕には、母親が回復するまで全ての家事を一人でしなければならないという

明確な仕事があったので、最初のうちはまだ救われていました。

もしこれが本当に何もやることがなくて、

飯食ってパソコンの前に座って寝るだけの生活だったら、

多分気が狂ってたと思います。


それでも、家事に慣れてくると、

だんだんその頭に霞がかかったような状態が襲ってくるんです。

自分の脳細胞がどんどん壊れていくような感覚

その頃は家事に慣れて少しは自由な時間が取れるようになったので、

僕は試しに、それまで自重していた人付き合いをまた再開しました。

大学サークルで一緒だった友達。先輩。後輩。

ゼミの同期。

地元の友達。

女の子

また、ネットの知り合いを誘ってオフを計画したり。

なるべく自分から動いてみました。

すると、なんと頭の霞が嘘のようになくなっていきました。

頭の回転が違うだけでなく、体調面でも、全身のダルさがなくなりました。

一言で言えば、生き生きとしてきました。

しばらく経って、家事と、週二日ほどの人付き合いの繰り返しが

日常になってきた頃、 またあの霞が頭を覆い始めました。

なんだか日常が夢の中で起こっているような、

ボンヤリして頭が回らない、奇妙感覚

今度は、就職のための勉強を始めました。

勉強が大嫌いで、中学1年生以来全く勉強をしてこなかった僕が、

頭を働かせなければマズいと感じて勉強を始めたと言えば、

事の重大さが伝わるでしょうか。

週に数日だけの人付き合いだけでは不足で、

それ以上に頭を活動させなければ、

人間として必要な何かがぶっ壊れるという恐怖がありました。

家事、人付き合い、勉強

この3つを同時に出来るようになったとき、

ようやく自分の頭が人並みに活動していると思えるようになりました。

もし学校に通っているならば。もし会社に勤めているならば。

もしアルバイトをしているならば。もし自分の好きなことを見つけているならば。

僕の必死に働かせた頭と体の、

数倍の活動がいとも簡単に出来るんだろうと思います。

多分、今現在みなさんも、僕が必死こいて働かせた頭と体よりも、

ずっとずっと頭と体を使う生活をしているはずです。

間違いなく。

でも、NEET生活をしていたら、みんながしているだろう活動の

何分の一をすることが、とても大変なことになってしまうんです。



NEETって職業は、確かに自由です。

でも、それは「何かをするための自由」じゃないんです。

「何もしない自由」なんです。

何も生み出さず、何も目指せない、それがNEETなんです。

人間、何もしないのって、本当はすごく苦痛なんです。

頭はどんどん鈍くなって、体は動かなくなって、焦りばっかり募って。

だから、自由って、イコール何もしないことじゃないんです。

「○○って職業になりたい」でも、

「あの娘と付き合いたい」でも、

「株で大もうけしたい」でも、

「今週末に友達誘って映画見に行きたいなぁ」でも、

何でもいいから、夢や、自分のやりたいことが存在して、

そのために自分でいろいろ動ける環境があること、

つまり「何かをするための自由」が本当に贅沢な自由なんです。

だから、

自分の未来の可能性を広げるために学校に通えている人は、

停滞して動けなくなってるNEETに比べてずっと自由です。

何でも生み出せる「お金」を手に入れるために会社で働けている人も、

何も生み出さず何も得られないNEETに比べてずっと自由です。

それでも人間、辛くなると、全てを捨てたくなってしまうことがあります。

NEETになりたいと思うこともあります。

でも、何もできず何にもなれないNEETは、

ちっとも自由じゃないってことは覚えておいてください。

安易にNEETになると、その後辛くなるだけです。

NEETで2年間辛い思いをした俺からのアドバイスです。

でも、本当に辛いときは、休んでください。

新しい自分の目標を見つけるための休息時間は、

決して「何もしない自由」時間ではありません。

それは、大切な、「何かをするための自由」時間です。

2008-11-10

俺が生きた時間はどれぐらいだっただろう。

今22歳で大学生。そんな俺が考えてみた。

「俺が生きた時間はどれぐらいだっただろう。」

22年間??睡眠時間とかこんな式で今までの人生を考えてたんだ。

だけど昨日驚くべきことに気がついちゃった。

俺は金がある。友達がいる(あとで分かるけどこれはいるつもりでいた)。

在学中に彼女も出来た(今は別れた)。

無事単位もとり終わった。よさげな就職先もある。遊んだ。遊びまくった。

だけどむなしいぜ。なんだかわかんないけどむなしいぜ。

満足感のかけらも感じねえ。あるのはやりきった感じゃなくて、やりおえた感だ。やっと終わったか。

やれやれ、そんな感じだ。

俺は成功しているはずなのに!

「なんで!?」

悩んで悩んで悩みつくしてたどり着いた結論は、俺は生きていなかった。生命活動はしていたけどね。

生きていたのは俺ではなくて、「思考と打算」(以下、打算君と呼ぼう)だったんだ。

打算君の役割は打算的に考えることだ。

そして極力パワーを使わずに便益を得ることが打算君の目的なんだ。

打算君はよくこう発言をする。

「もっと効率よくしよう」「もっといい方法はないか」「もっと早く」

損得勘定計算させたら世界一!方法論考えさせたら宇宙一

目に見える積みあがっていくものを見ておれはこういった。「打算君、もっときみにまかせるよ。」

打算君はここで牙をむく。隙あり!と。

打算君はこう発言する。

「やり方を今まで打算的に考えてきたけど、今度は目的も打算的に考えてあげるよ。」と。

俺はこういった「悪いね。ありがとう。まかせるよ。」と。

(今考えればここが譲ってはいけないところだった。)

打算君に全権限を与えるとどうなるか。人の情を無視するんだ。利用利用利用利用。

世の中のありとあらゆるものを物とみなし、利用する。人=物の関係になる。(予断だけど物と者っておなじように「もの」って発言するのに日本語の奥深さを感じるね。)

打算君はこう発言する。

「友達?いいや人脈だ。恋人?いいや性欲処理係だ。仕事?金のためだよ。勉強単位のためだよ」

俺はこう発言する。

「打算君、人情というものを考えようぜ。」

打算君はこう発言する

「黙れくずが!てめえはひっこんでろ。世の中なんてのは利用するものとされるもので出来てんだよ。

負け組みになりたくなけりゃ俺の言うことを聞いていとけ。勝ち組にしてやるからよ。成功させてやるぜ」

(個人的には打算君の人格化と呼んでる)

これに言い返すことが出来ずに、そうですよねとうつむきながら、そして自分の未来に不純物の混じった期待しながら俺は打算君を肯定した。

それから俺の生活は続いていく。今までと違った生活が始まる。

人から責められることは減っていく。嘘をつくからね。自分を守るためならがんがん嘘をつくからね。

自分を大きく見せようとする。目指せカリスマ

金儲けのために株をやる。スイングだよね時代は。

人脈作りのために友達を作る。

自慢のためにかわいい彼女作りだ。

就職のためにゼミがんばちゃうぞ。

おばあちゃんがすわりたそう。だけど俺も疲れてるから無視で。

人と話すネタ作りに旅行

自分のために空気を読む。

そんな生活が何年か続いた後、ある疑問が浮かぶ。

やってるときはいいんだけど振り返ったときのこの虚しさはなんなんだろうね。なんか人生が空虚に感じるんだ。それになんだかとても不安でいろんな人に敵対心を抱いてる。警戒してる。

考えた末にある仮説が思い浮かぶ。俺はおずおずと聞いてみる。

「打算君聞きたいことがあるんだけど、君って偽りの感情を作り出せるんじゃないのか?怒りとか、不安とか優越感とか満足感もどきを」

打算君 ギクッ!

俺はこう聞いてみた

「誤魔化そうとしてないか。それで打算的な生き方が最高だって思わせようって。さすがに、何も感情が起こらなければ行動しにくくなるけどさ、そういう偽りの感情作り出せば行動しやすくなるよね。動機になるよね。やる気が出るよね。つまり、思考によって感情を作り出せるんでしょ?違うかな。ちょっと本当の感情で言ったらどれぐらい俺は感情を得ているわけ。どれが本当の感情なのさ。」

打算君はそっと差し出す。そ知らぬ顔で。

「え!!!!こんなもんなの?まじで?????米粒じゃん。嘘!じゃあ・・・えっといつから・・・・・

いつか君に目的を任せたときからか。なんだよこれ。うわーーー、やんなるわ。って俺の責任じゃん。そうか目的をきみにまかせるとこういう結果になるのか。周りに人がいてもいくらいろんなものを手に入れても満足した気になってみてもそれは偽りの感情で構成された偽りの満足感。それしか存在せず、自分の人生を振り返ってみて、初めてその空虚さに気がつく。何だこれ打算君、君は俺のためをまったく思ってないね。ひどいじゃないか。」

打算君はこういう

「だまされるほうが悪いんだ。俺にとっちゃお前も物なんだよ」

俺は叫んだ

「ふざけるな!」

打算君から目的を決める権利をはぎとり、ようやく俺が生きることができるようになった昨日。

何をすればいいのか分からない自分に気がついた。それもそうだ打算君が全てを決めていたのだから。

そしてこんな質問が浮かんだ。

「俺が生きた時間はどれぐらいだっただろう。」

打算君に目的まで決めてもらうようになったとき、打算で生き始めたあの時。あのころから俺は死んだ。

俺は独り言を言う

「きっかけはなんだったんだろう。先生に怒られるのが嫌だったあのとき。友達が苛められていたけど関わったらこっちも苛められると思ってあいつを無視したあのとき。金持ちの友人やホストの話を聞いたあのとき。自分の友達が少ないことを知ったあのとき。格差社会という言葉を知ったあのとき。大学の進学を考えたあのとき。人から裏切られたあのとき。からかわれ苛められたあのとき。悪口を言われて仕返しを考えたとき。宿題を提出するのは移したほうが楽だと知ったあのとき。打算君に依存したとき、俺は死んだ。」

高校生1年生とき、すごくつらくて楽なほうに流されたかったあののときから俺はずっと打算的に生きてきた。俺は6年間を無駄にすごしてきた。打算的に生きてきた今までの6年間ほとんど何もなかった。俺は今から生まれ変わろう。16歳からはじめよう。まずは人をしっかりと人としてみることからはじめてみよう。単純だけど俺はそんなこともできていなかった。いや・・・・・・これをするにはすごい根気が必要だ。決して楽な道ではない。人の気持ちを考えて人の立場を考えて人の過去や苦痛、幸福感まで考える。難しいことだれども、やろう。俺は今日から変わるんだ。」

そう思い始めた次の日つまり今日のエピソードを最後にひとつ。

今日電車に乗っていたんだ。おじいちゃんが前にきた。今までなら無視していたけど俺はこのとき自分のやりたいことが、素晴らしい目的が見えた。心が教えてくれた。

席を立ってぎこちなく「どうぞ、座ってください。」といってみた。

おじいちゃんは顔をくしゃくしゃにして

「ありがとう」といってくれた。

なんか、なんか知らないけど涙が出た。悟られないように寝たふりをして。胸の熱さに泣いた。

人の温かさに泣いた。

誰が信じるだろう。このおじいちゃんのたったひとつのありがとうが俺の高校1年生からの6年間で

一番うれしいことだなんて。

俺自身が物扱いされることもあるだろう。迫害されることもあるだろう。

だけどこれからの人生は輝く気がしたんだ。まずはみんなにあやまろう。

そして、こんな俺を見捨てないでくれた人々に感謝を送ろう。

そして、自分に芽生えた親切心という宝物を大事にしていこう。そんなふうにおもった。

注釈

これはフィクションです。

テーマ人生と打算ですかね。打算も大事だと思うんですよね。世の中面倒くさいこと多いし、純粋な気持ちだけじゃだまされるし。でも、意図的に自分見つめて親切心見たいのを多少は発揮したほうが良いかなっておもいました。それと自分の純粋な気持ちを尊重してあげたほうがいいと思います。自分も打算だけで生きてた時期ありますけど振り返ると乾いた砂漠ですよ。やってるときはそこそこいいように感じたんですけどね。あとおじいちゃんに席ゆずって、そのときのありがとう感動したのは本当です。

2008-11-09

文化祭実行委員VS・・・・? ナショナリズム帰属意識)との関係

http://anond.hatelabo.jp/20081109215449を読んで思ったこと。

私は文化祭大好き人間で、「みんなー!最後の文化祭はりきってこーぜ!!」というくらい暑苦しい人間でした。

文化祭なんて何年もまえに終わってしまったけれど、教育的効果は(自分に関して言えば)かなりあったと思う。

就活に使いやすいエピソードではあったとも思うな。

・一つのものを他人と協力して創り上げました!

タイムマネジメントを学びました!

・仲間同士の意見のすれ違いの背景を分析する力がつきました!

アイディアを実現するスキルが身につきました!

広告マーケティングに興味をもつようになりました!

・他人を感動させるにはどうしたら良いか考え自分なりに働きました!

確かに、「それ、別に祭りじゃなくても・・・」「誰もがそういう風な経験するわけじゃない」って思う人もいるだろうけれど、

学校がそういう機会を与えてそういう力のある子を喚起させるにはいいとおもうよ。

日本教育の根本は「機会均等」だからね。合わない子がいても仕方ないよ。(残念ながら)

それが肌に合わない子は部活学問、課外活動など別のフィールドで活躍すればいいんだけど・・・そこが整備されないのが問題なのかなぁ?

話は変わるけれど、大学ゼミナショナリズムについて話していたときに、

(文献はベネティクト・アンダーソンの『創造共同体』だったと思います)

文化祭って、小さなナショナリズムだよね』という意見が出てかなりショッキングだった経験があります。

(あと、「文化祭実行委員とか大っ嫌いだった!」と面と向かって言われましたw)

確かに「祭り」という行事の背景に「クラスの仲間」「学年」「母校」という共同体の姿を連想させやすくするし、

結果、結束や帰属意識を高めるには効果の高い装置ではあると思う。

でも、学校って社会にでる前のeasy stageではあるし、そういう経験も必要なのかなと感じています。

スポーツオリンピック報道のあり方とか、日本は『帰属意識』に対して無意識に求める傾向があるので・・・

失恋した時の思考法―悩んでいたいお年頃?―

二年付き合った彼氏から、

もうそれはあっさりと振られてしまってから二ヶ月。

自分の中では一番の大恋愛だっただけに、ショックは大きかった。

その喪失感からなんとか立ち直ろうと、がむしゃらに生きてきた。

ゼミ論文を書いたり、就活を始めたり、アルバイトに打ち込んだり。

一人で部屋でくさっていても仕方ないと、なるべく人に会うようにした。

今回のことをバネにして、何かを得ようとしていた。

夜に孤独を感じないように、ひたすらひたすら疲れて帰るようにした。

部屋に帰って、倒れるように眠る。

そうしたら時間が解決してくれる。

そう信じていた。

ラブソングに共感して涙したり、

写真を見返して「このころは楽しかったのに」と引きずったり、

友達に夜な夜な電話して慰めを求めたり、

スケジュール帖の来なかった記念日の印に心を痛めたり。

そうやって自分や相手を責めるような事は無意味だと思っていた。

そんなことをしても前に進めないと思っていた。

今までもそうだったし、これからもそうだと思っていた。

(この可愛げのなさも別れた原因だったのだろうと今では思う。)

また、うぶな高校生じゃあるまいし、

「あんなに好きって言ってたじゃない!」なんてすがりつくことはばかげたことだと思っていた。

―――恋愛感情が無常であることを知っていたはずだった。

結婚しよう」、「ずっと好きだよ」なんて言葉は甘く心地いいだけであって、

それを信じることはじわじわと自分を侵食し虫歯にさせるのだ、と。

しかし、私は自分が思った以上に繊細な人間だったようだ。

先週、就活でであった初対面の大人から指摘された。

「あなた、うーん・・・逃げてるでしょ?今。

なんていうか心の奥底になにか触れてはいけない弱点があって、それを隠そうとしているみたい。」

流行自己分析セミナーなんか行かなければよかった。

その指摘が根拠があろうとなかろうと、(誰でもいえるようなことではあるし)

私の心は過敏に反応したのは事実だ。

見栄をはって「笑顔でさよなら」「別れてもポジティブ関係でいましょうね」なんて

恋愛のHow To本にでも書いてあるような別れ方をしたからいけないのであろうか。

表面上はうまく流れる私生活

それでも、何か、ふとしたことで私は敏感に傷ついていく。

そう。

未練。

それから眠れぬ夜が続いている。

なにかにつけて涙が止まらない。

今までは「つばでもつけときゃ自然に治る」とほっといて治していた傷だったとしても、

今度はむりやり閉じてほうっておいたせいか、膿んできてしまったようだ。

空元気はあくまで空元気であって、本当に立ち直っているわけではないのだ。

罰当たりなことだが、

失恋したと聞いて優しくしてくれた男の子との、その新しい恋の予感に胸を躍らすよりも、

彼の付き合うときの言葉を思い出し、別れるときに言われた言葉を思い出し、そして泣くことの方が癒されると感じたのだ。

そう、私は本当は悲しんでいたかったのだ。

彼と付き合って、別れて、今あるのは自分の半身を失ったような喪失感。

それがどんなに辛く困難な事柄だったとしても、素直に悲しんでいたかったのだ。

何もせずに、何も話さずにいても満ち足りていた。

疲れて帰って、彼の腕で眠ったこと。

一緒に見た夕焼け

彼とのキスセックス。匂いや体温。

彼と過ごした時間。彼が私にくれたすべて。

愛し、愛された実感。

その恋におぼれた幸福感。

彼がいてくれただけで、私の二年間は無敵だったのだ。

世界で彼がいれば、孤独ではなかった。

彼は私の恋人ではあったが、父親であり、兄であり、友人であり、同志であった。

その温かさを思い出し、甘い幸福感を得て、

今ではそれがないことに絶望し泣き、

そして泣き疲れて眠る。

「ずっと好きだよ」って言ってくれた、

その言葉を信じたことを誇り、そして後悔する。

私はきっとそういうことがしたかったのだ。

同時に心配してくれる友達がいるという恵まれた環境にもかかわらず、

その手を私は素直にとることができなかったことを恥じた。

彼がいなくなったことで、私は無防備になった。

自分で自分を守らなくてはいけないと、私は私を何かから守ろうと必死になってしまった。

傷ついていることを認めたくなかったのだ。

確かに、きっと時間が解決してくれるのであろう。

でも再生のときは今ではないのだ。

時が来るまで、私は私の弱さと向き合わなければならない。

全てが壊れてしまったのだと認めなければならない。

自分の心の弱さの全てを破壊して、

それから再生への土台を創造しなければならないのだ。

二十歳を過ぎて、何かを知ったような気になっていたけれど、

私はきっとこれからも何度も失敗するのだろうと、

泣きつかれて思いの丈をPCにぶつけながら思った。

2008-10-31

大学って別に何か保障してくれるわけでもないんだよなー

最初の頃は何をすればいいのかわからなくて真面目に講義を受けていた。でも、途中からだんだんとわかってきた。

大学で学んだことなんて社会に出ると使えない」なんてことは良く聞くし、その通りだと思っている。でも、どうせなら学んだことを活かせるように努力してみればどうだろうか。そう考えると、大学で学んだ講義はきっかけに過ぎないし、後は自分で学べばいい。もし独学でも学びたいことが出てきたら、その分野の先生に聞きにいけばいい。その分野の先生がいなかったら独学の範囲で諦めるしかない。

何かね、「したいこと」があるわけでもないのに大学に入って、その大学に合わせて勉強していくのがあほらしくなった。この辺は、最初から悟って遊ぶ人や部活サークルに取り組む人、恋愛バイトをする人はすげーなーって思う。大学生として楽しみまくりじゃん。一部の人からは、蔑まされて見られるかもしれないけど、「学費払って卒業単位数が認められたら大学卒業資格がもらえる場」って考えたら、何をしようが自由じゃないか。それで途中でやめたとしても、金払って教育を受ける場は提供されていたんだから、その人の勝手でしょ? 周りに迷惑をかけるのは問題だけどさ。

大学勉強するところだ」っていっても、教授自分本位講義するだけでしょ。教科書の丸写しの講義や長々と思いついたことを述べる講義。厳しい・やさしい関係なく、学べる教授なんてほんの一握りしかいない。こいつ、自分の研究論文のことしか頭にねーなーってのがわかる教授だっているし。

ってことで、座席はいつも前から3番目ぐらいに座っていたけど、真ん中から後ろに座ることにした。後ろは携帯や私語、その他いろいろがあって邪魔だから真ん中ぐらいがベスト単位も優を目指さずに単位が認定されるぎりぎりぐらいでいいやと考えるようになった。

楽な努力で成果を出せたらそれでいいじゃん。無駄なことは極力時間を割かないようにして、自分の強みを活かせることに集中すればそれでいい。あーあ、ゼミとかサークルとか、いいところに入ればよかったんだけどなー。無知は嫌だなー。友達少ないから周りの真似も出来ない。行動力がなかったから目の前のことをこなしていくしかできなかった。

なーんにも保障はされないんだから、利用できることは利用する。無駄だと思うことは時間を費やさない。周りの言葉・行動に安心しない。面白いことには先入観関係なく(遊び、恋愛勉強など関係なく)没頭する。後で莫大な金を返さなくちゃいけないんだから、その辺考えないとダメだなー。

2008-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20081024105607

別に成績だけで就職なんて決まらないだろ(笑)

それこそ、高校からスポーツ続けましたとか、サークル代表ですとか、特技ありますって人間の方が受けがいいだろうし。

へばり付いてまで、優を取る必要はないよな。

好きで取れるのならいいけど、費用対効果で考えると他のことやった方が楽しくないか?

同じ勉強するんでも、自分の好きな研究分野やらゼミで突き詰めた方が理解も深まるし。

2008-10-09

非コミュ大学ソーシャルコミュニケーション学部

  <必修科目>

一般教養常識習得ゼミ(前期)

日本文化研究(後期)

テーブルマナー・調理実習(後期)

□観光リサーチ論(後期)

□対同性心理学(前期)

□対異性心理学(後期)

コミュニティトラブル回避研修(前期)

□被服感性研究(前期)

□歌唱力向上セミナー(夏季集中講義)

交際費経済論(後期)

ネットマナー講習(前期)

□表情筋トレーニング(前期)

□第一印象向上セミナー(冬季集中講義

□酒席コミュニケーション論(3年次以降対象)

□国際コミュニケーション(後期)

  

  <学内規則>

運動部(団体競技)または文化部への入部・週2日以上の参加

■その他サークル2つ以上の加入

文化祭体育祭イベント運営は各学科で分担、強制参加

■独食は原則禁止とし、月・水・金の昼食は全員学部教室でとるものとする。

■構内では誰に、何時、何度連続で遭遇しようと挨拶しなければならない。(トイレ内は会釈でよい)

2008-10-06

ぐえあ

最近大学サークルフットサル)の1回生間で陰謀渦巻くというかなんというか、政治闘争が始まってるんだよね。

俺は自主ゼミとかに没頭してたからいつの間にか中間層になってしまっていて、適当キャラなんだけど。

こういうのってほっといたらいいのかな?

2008-09-27

大学院生の話?

修士課程に進学してもロクに研究もしなけりゃ後輩と議論するわけでもなく、

のらりくらりとゼミは切り抜けて、バイトに明け暮れて、でも就職活動だけは全力出して、

就職決まってるから修了させてくださいとか言ってるM2とか見るとマジで腹が立つ。

そんなバカに内定出してる企業とかほんと人を見る目がないと思う。

2008-09-23

東大卒を騙るときに気をつけるべき5つのポイント

id:kokorosha 誰か「東大卒を騙るときに気をつけるべき5つのポイント」という記事を書けば、こういうミスが減るんじゃないかしら…

はてなブックマーク - 無題のドキュメント 東大卒無職だがなんか質問ある?

  1. 東大生は1年生、2年生時には必ず駒場キャンパスにいます。赤門があるのは本郷です。最近、柏キャンパスもできました。
  2. いわゆる「進振り」について学んでください。科類ごとに状況が違います。しっかりググってください。
  3. 卒論がない学科が少なくありません。ゼミが必修でない学科もあります。司法試験公認会計士等の試験があるためとか、理系の場合はほぼ確実に院進学するためと言われています。どのようになっているか学科レベルリサーチしてください。逆にいうと、「詳しく話すとばれる」という言い訳が使えます。
  4. 本郷駒場も敷地内には自由に入れるので、学科の掲示板を覗いたり、食堂の学生の会話を聞く等、足を使った調査をすると良いでしょう。
  5. 東大生同士といえども学科が違うとウワサ程度にしか他学科のことは知らないのが普通です。「他学科の話はあんまり良く知らない」とすることも保身のために重要です。

じゃあ、頑張って!

追記、というか、思い出

ブクマで突っ込まれてますが、なんか、後半は一般論になってしまいましたね。

あとはどれだけ具体的なエピソードが書けるかだと思うので、やっぱ足つかって取材してください(笑)

で、補足ついでに少々。

アルバイトについて

家庭教師塾講師系は確かに多いようですけど、知り合いにバーテンダーとか、ホテルフロントもいたし、バイト関連は結構個人差が大きいんじゃないでしょうかでしょうか?

高校派閥

開成みたいな東京進学校出身の学生だと、知り合いがかなり多かったりする。

ラ・サールみたいな地方進学校も、石を投げればぶつかるとは言わないけど、多い。男子校出身者多すぎ。

サークル部活動以外でもスタート時点で既に知り合い多いという学生は結構いるんじゃないかと思う。

そこらへんは東京六大学京大も一緒だろうけど、地方の公立出身者は、違和感あるんじゃないかな?

その点、東大より「芸」があって、芸大より「学」がある学芸大は、地方の公立出身者が多くて、高校時代の知り合いはなかなか見つけられないと聞く。

ついでだけど、

笑ってしまったのが筑駒出身で後期過程で教養に行って大学院も広域科学に行った人。

中学校から何年間駒場だよ!」だってさ。

食い物の話

id:y_arimさんが書いていたので、自分も少々。

駒場だと苗場チャーハン大盛り。あれはまだあるのだろうか?あれは好きだった。

本郷(内部的には本郷と呼ばれない某所)にいたころは、赤札堂時間セール餃子とか。

デジチッの常時3割引の石焼ビビンパもよかった。

2008-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20080913171056

同感

50インチ以上のプラズマテレビごろごろ転がっていて、そのうちの数台を週に1、2回のゼミで使うぐらい。

それ以外のときは学生WiiPS3で遊んでいる。

PCくださいと言えば「じゃぁ予算□■万ぐらいで適当見積もりだして持ってきて」ってなかんじ。

だいたいのPCQuad Coreは当たり前で、グラフィックボードも数十万するのが標準搭載。ディスプレイも最低24インチとかで、それをデュアルにすることもしばしば。

いまでこそこれらの製品はだいぶ安くなってきたが、これが2年ぐらい前から当り前のように転がっていたというのだがら驚きだ。

こんな設備創造情報だけじゃね?

2008-09-11

大学のセンセーの嫁です

旦那は大学先生。16歳年上。

確実に個人バレするので詳しくは書かないけど、

旦那はその分野ではかなり名が通っていて、隣接分野でも知ってる人はかなり多い。

ちなみに私は隣接分野の大学院生。あんまりぱっとしない。

大学先生はとても忙しいですよー。

平日の昼間は講義ゼミ読書会学生指導、講義会議、事務、自分の研究をやって、

帰宅してからは自分の研究大学でやり残した仕事ゼミ読書会の予習を片付ける。

寝るのは明け方になることも。

自分の研究以外に、翻訳や依頼原稿インタビューなんかもある。

常にいくつか締め切り間近、すでに少し締め切りを過ぎた状態の仕事を抱えている。

出張もかなり多い。学会シーズンはまず土日がないし(わたしもそうなのでまず休みが重ならない)、

大学での集中講義海外学会参加になったら1週間は家を空ける。ひと月に半分家にいないこともある。

で、いろいろ文句を言いたくなることもある。

だけど、好きで始めた仕事だしアカポスに就くことの大変さも私自身が身にしみてわかっているので、

思う存分仕事させてあげたい。

旦那が自分の夢だとか、旦那を支えるのが自分の仕事だとはまったく思わないし、

そんなことするつもりは一切ない。

ただ、この人は「私の旦那」という以上の責務があるのだとは強く感じる。

だから、私は旦那を一生「ひとりじめ」できない。

そこはもう諦めて自分の研究に打ち込むことにした。

これはどうでもいい愚痴なんだけど、

私だって努力しているのに自分の研究分野でも「この人の旦那さんは…」って話になるのもうんざりだし、

旦那の才能に嫉妬して、たぶん16年後に私はこんなふうになれないだろうなって勝手絶望したりするのもつらいよ。

旦那はこんなにぱっとしない私でもリスペクトしてくれている。

だから、あんまりお互い干渉しない。

と言うよりも「リスペクト」という言葉に甘えて、

言いたいことを我慢しているようなところもあるのではないかと思う。

リスペクトできないのも困るけど、

お互いリスペクトし合いすぎても、たぶん上手くいかないんだと思う。

研究者同士のカップルが上手く行かないとよく言われるのは、

研究を生活に持ち込んでどうこう…というのも原因かもしれないけど、

リベラルすぎてお互いを誤った方向へ「尊重」しているからじゃないかなあ、と思う今日この頃

格好つけて言いたいことも言えなくて、爆発した時にはもう手遅れ、みたいな。

うちは上手くいくのかな。

ちょっとすっきりしたし、勉強がんばろ。

http://anond.hatelabo.jp/20080911052940

いやー、すごく我の強い女性でさ。俺が折れなきゃ絶対に許してくれないのよ、両成敗のケンカでも。

だけど俺にそんな余裕つーか、彼女と話し合う気力は既になくて、卒研ゼミ以外はひたすら孤独の場所を求めてた始末だから。

大学4年で便所飯とか普通にしましたw 友人すら信用できなくなって、便座の上で泣いてたからねwww

んで、休学してる間に、彼女らは卒業しちまった。

ケータイに着信とメールがあったけど、中身みてないし連絡もとらず、学年がずれたのでそのままフェードアウト

大好きだったんだけどなぁ。

俺が休学して、そのことで彼女責任感じちゃってるんじゃないかと妄想したことあるけど、考えるだけ無駄だなと思った。

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