はてなキーワード: セールスマンとは
私の父は昔、原野商法でやってきたセールスマンが黙らせることに成功した人だ。声を荒げることもなく「なんで自分でやらないんですか?そんな儲け話人にしたらもったいないじゃないですか」と言っただけで、セールスマンたちはすごすごと帰って行ったらしい。そんな父の元に育った私は、聞こえのいい投資話にはまったく興味がない(もちろん、長期的な株式投資はありだとは思ってる)。今日も、そんな電話がかかってきた。向こうは名乗るやいなやこう言った。
まー、詳しく話を聞くと、エーシーイーインターナショナルという会社で、原油のオプション取引の勧誘らしい。詳しく話を聞いてみると、「リスクはもちろんある」「オプション取引についての本があるのできちんと渡して説明している」「リスクも納得の上でしか契約しない」「限度額があるのでそれ以上は損をしない」というのが向こうの主張。「なんで自分はやらないの?」と訊けば「社員はできない」「そんな金はない」、「会社を辞めたら?」と言えば「それは違う。私どもはオプション取引をするのが仕事だから関係ない」(この時点で会話が成立していない)、「お金だって借りられるでしょう?」と問えば「そんなに簡単に貸してくれるところはない」(じゃー、そんなに簡単にお金を出す人も少ないよね)、「わかった。こちらにきて説明してくれ」と頼めば「お客様がこちらに来ていただければ説明いたします」(おいおい客を呼び出すのかよ!)という感じ。いかに金を巻き上げることしか考えていないのかっていうのがよくわかる。調べてみたら5年前に行政処分を受けているし、顧客から訴訟も起こされているようだ。しかも、オプション取引の手引き書として鶴蒔靖夫の「日本の挑戦」を上げていたけど、この著者ってあんまり評判よくないみたいじゃないか。
すべてのことがわかるわけではないけれど、ネットでいろんな評判を知ることができる今、うかつなことを言わなきゃいいのになーって思う。もっとバカなのは、明らかに金出す気もないのに難癖ばっかりつけている私のような人間に30分近くつきあったことだ。なんていうか、バカっぽい。
「いいひと」キャラから脱却したいんだ!俺はこんなもんじゃないんだ!
↓
ある日、背の低くて風体の怪しいセールスマンと名乗る男と出会う。
↓
悩みを相談したらタダでなんだか良く分からないグッズを貰い約束を言い付けられる。
↓
あれ、なんか良い感じになってきたぞ。
↓
調子に乗ってきたある日、グッズを貰うときに言い付けられた約束を軽い気持ちで破るけど調子づいてるからそんなの気にしない。
↓
4月22日の深夜、酔っぱらって良い気分で家の近所の公園をふらついてたら、あのセールスマンが!
↓
「ドーーーン!」
↓
見事に「いいひと」キャラからの脱却を成し遂げたみたいですね。ぅおーっふぉっふぉっふぉっふぉっ…。
ハアレツに発表されたエルサレム賞での村上春樹スピーチ(原稿なのか書き起こしかは不明)です。
彼の署名記事です。
原文は http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html
常に卵の側に
今日私はエルサレムに小説家、つまりプロの嘘つき(spinner of lies)としてやってきました。
もちろん、小説家だけが嘘をつく訳ではありません。すでに周知のように政治家も嘘をつきます。外交官や軍人は時と場合によって独自の嘘を口にします。車のセールスマンや肉屋、建築屋さんもそうですね。小説家とその他の人たちとの違いですけど、小説家は嘘をついても不道徳だと咎められることはありません。実際、大きい嘘ほど良いものとされます。巧みな嘘は皆さんや評論家たちに賞賛されるというわけです。
どうしてこんな事がまかり通っているかって?
答えを述べさせていただきます。すなわちこういうことです。創作によって為される上手な嘘は、ほんとうのように見えます。小説家はほんとうの事に新しい地位を与え、新たな光をあてるのです。ほんとうの事はその元の状態のままで把握するのは殆ど不可能ですし、正確に描写する事も困難です。ですので、私たち小説家はほんとうの事を隠れ家からおびき出して尻尾をとらえようとするのです。ほんとうの事を創作の場所まで運び、創作のかたちへと置き換えるのです。で、とりかかるためにまずは、私たちの中にあるほんとうの事がどこにあるのか明らかにする必要があります。これが上手に嘘をつくための重要な条件です。
しかし今日は、嘘をつくつもりはありません。なるだけ正直でいようと思います。1年のうちに嘘をつかないのは数日しかありませんが、今日がその1日なのです。
そういうわけで、ほんとうの事を話していいでしょう。結構な数の人々がエルサレム賞受賞のためにここに来るのを止めるようアドバイスをくれました。もし行くなら、著作の不買運動を起こすと警告する人までいました。
もちろんこれには理由があります。ガザを怒りでみたした激しい戦いです。国連によると1000人以上の方たちが封鎖されたガザで命を落としました。その多くは非武装の市民であり子供でありお年寄りであります。
受賞の報せから何回自問した事でしょうか。こんな時にイスラエルを訪問し、文学賞を受け取る事が適切なのかと、紛争当事者の一方につく印象を与えるのではないかと、圧倒的な軍事力を解き放つ事を選んだ国の政策を是認する事になるのではと。もちろんそんな印象は与えたくありません。私はどんな戦争にも賛成しませんし、どんな国も支援しません。もちろん自分の本がボイコットされるのも見たくはないですが。
でも慎重に考えて、とうとう来る事にしました。あまりにも多くの人々から行かないようアドバイスされたのが理由のひとつです。たぶん他の小説家多数と同じように、私は言われたのときっちり反対の事をやる癖があります。「そこに行くな」「それをするな」などと誰かに言われたら、ましてや警告されたなら、「そこに行って」「それをする」のが私の癖です。そういうのが小説家としての根っこにあるのかもしれません。小説家は特殊な種族です。その目で見てない物、その手で触れていない物を純粋に信じる事ができないのです。
そういうわけでここにいます。ここに近寄らないよりは、来る事にしました。自分で見ないよりは見る事にしました。何も言わないよりは何か話す事にしました。
政治的メッセージを届けるためにここにいるわけではありません。正しい事、誤っている事の判断はもちろん、小説家の一番大切な任務のひとつです。
しかしながら、こうした判断をどのように他の人に届けるかを決めるのはそれぞれの書き手にまかされています。私自身は、超現実的なものになりがちですが、物語の形に移し替えるのを好みます。今日みなさんに直接的な政治メッセージをお届けするつもりがないのはこうした事情があるからです。
にもかかわらず、非常に個人的なメッセージをお届けするのをお許し下さい。これは私が創作にかかる時にいつも胸に留めている事です。メモ書きして壁に貼るようなことはしたことがありません。どちらかといえば、それは私の心の壁にくっきりと刻み込まれているのです。
「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」
ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょうが、決めるのは時間か歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?
この暗喩の意味とは?ある場合には、まったく単純で明快すぎます。爆撃機(bomber)と戦車とロケット弾と白リン弾は高い壁です。卵とは、押しつぶされ焼かれ撃たれる非武装の市民です。これが暗喩の意味するところのひとつです。
しかしながら、常にそうではありません。より深い意味をもたらします。こう考えて下さい。私たちはそれぞれ、多かれ少なかれ、卵です。私たちそれぞれが壊れやすい殻に包まれた唯一無二のかけがえのない存在(soul)です。私にとってほんとうの事であり、あなたにとってもほんとうの事です。そして私たちそれぞれが、多少の違いはあれど、高く固い壁に直面しています。壁には名前があります。それはシステム(The System)です。システムはもともと、私たちを護るべきものですが、ときにはそれ自身がいのちを帯びて、私たちを殺したり殺し合うようしむけます。冷たく、効率的に、システマティックに。
私が小説を書く理由はひとつだけです。個人的存在の尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です。物語の目的とは、私たちの存在がシステムの網に絡みとられ貶められるのを防ぐために、警報を鳴らしながらシステムに向けられた光を保ち続ける事です。私は完全に信じています。つまり個人それぞれの存在である唯一無二なるものを明らかにし続ける事が小説家の仕事だとかたく信じています。それは物語を書く事、生と死の物語であったり愛の物語であったり悲しみや恐怖や大笑いをもたらす物語を書く事によってなされます。生と死の物語や愛の物語、人々が声を上げて泣き、恐怖に身震いし、体全体で笑うような物語を書く事によってなされます。だから日々私たち小説家は、徹頭徹尾真剣に、創作をでっちあげ続けるのです。
昨年私の父は90才でなくなりました。彼は元教師でたまにお坊さんとして働いていました。彼は大学院にいた時、徴兵され中国に送られました。戦後生まれの子供として、父が朝食前に長く深い祈りを仏壇の前で捧げていたのを目にしましたものです。ある時、私がどうしてお祈りをするのかたずねたところ戦争で死んだ人々のために祈っていると答えてくれました。
味方と敵、両方の死んだ人たちすべてに祈りを捧げていると父はいいました。仏壇の前で正座する彼の背中をながめると、父にまとわりつく死の影が感じられるような気がしました。
父は亡くなり彼の記憶も共に消え、それを私が知る事はありません。しかし父に潜んでいた死の存在感は今も私の記憶に残っています。それは父から引き出せた数少ない事のひとつであり、もっとも大切な事のひとつであります。
今日みなさんにお知らせしたかった事はただひとつだけです。私たちは誰もが人間であり、国籍・人種・宗教を超えた個人です。私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁の前にいる壊れやすい卵です。どうみても勝算はなさそうです。壁は高く、強く、あまりにも冷たい。もし勝ち目があるのなら、自分自身と他者の生が唯一無二であり、かけがえのないものであることを信じ、存在をつなぎ合わせる事によって得られた暖かみによってもたらされなければなりません。
ちょっと考えてみて下さい。私たちはそれぞれ、実体ある生きる存在です。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを食い物にするのを許してはいけません。システムがひとり歩きするのを許してはいけません。システムが私たちを作ったのではないです。私たちがシステムを作ったのです。
私が言いたいのは以上です。
エルサレム賞をいただき、感謝しています。世界の多くの地域で私の本が読まれた事にも感謝しています。今日みなさんにお話できる機会を頂いて、うれしく思います。
追記:
いろいろ助言頂いたので、独立してノート( http://anond.hatelabo.jp/20090218122627 )を作りました。訂正や履歴についてはそちらに記述します。
ハアレツのコメントも別途のせてます( http://anond.hatelabo.jp/20090218205723 )
がんばって女性を口説かないとやらせてもらえないのは、あんまりモテてるとは言えないなあ。
うざいセールスマンみたいなもんで、気の弱い相手を選んで需要のない商品を売りつけてる感じ。
人格として必要とされてないから、そういうのは長続きしない。
男の方でヤリ捨ててるつもりになってるけど、実は女の側からも必要とされてない。
一発ヤッたくらいじゃ女の子は心を開いたとは言えない。
股を開いたんだから心も開いたんだろってのは男の思いこみなんだと思う。
男だって、どうでもいい女と一発ヤッたくらいじゃそいつに惚れないでしょ。
惚れてなくてもヤれるのは男も女も一緒。
いわゆる同和問題が利権絡みのヤクザや胡散臭い団体の飯の種になっている部分はある。
でも、同和地区と言うのは、今も確かに存在する。
前の仕事が売れないセールスマンだったので、仕事柄本当に色んな都市の色んな街を歩いた。
それで今まで普通の街で普通の家で育ってきた自分には、にわかに信じがたい地区が確かにあった。
「ああ、日本にこんな地域や家が本当に実在するんだ」って感じ。
凸←こういう形の建物の両端に入り口があって真ん中で仕切られている2戸住宅(所謂ニコイチ)が、
地域一面に数百戸ずらずらずらっと整然と、あるいは道なりにちょっとバラバラに並んでる地域。
「○×団地」と書かれた地区の中にコンクリートの四角い家が延々と縦横に続いていく海沿いの町。
あと長屋。今時こんな長屋ってあるのかよってくらい嬉しくない意味でレトロな長屋の群がある地域。
他にも人権標語の看板とかビックリするほど路地が狭いとか、ホントに色んな地区を見てきた。
個人的には同和問題ってどうなの?って考えても全然当事者じゃないから何ともいえないってのが本音だ。
でも、自分がもし子供時代あんな地域で育ってたら。
テレビや雑誌では華やかな世界が映し出されてるのを、21世紀にボッロボロの長屋で見ていたら。
インターネットで同和の野郎は・・・とか書いてあるのを、ニコイチの建物で夜中に見ていたら。
どう思って育ってただろうなぁ。とは思ってしまう。
五輪男子の完敗,女子の奮戦などで盛り上がるサッカー,ここらでちょっとオレオレフットボールコラム。サッカーが下手で最近のJリーグもほとんど知らない私が,どんな風に,どうしてサッカーが好きかを自分で再確認するために書くメモ。あるいは,素人戦術好きのメモです。
基本的に選手についても監督についても批判とかを書いたりするのは嫌いなので(やっぱ,がんばってる当事者達に文句を言うのって嫌ですから),今後の日本代表を監督人事や戦術を中心に思うところを書いておきます。
岡田さんの後の監督についても,いろいろとすでに話が出ているけど,やっぱり代表監督には目の前の結果と,将来への育成,この両方を期待してしまうし,でも日本に根本的に欠けているも「マスコミの良識」や,日本に存在する「広告代理店による商業サッカー」を思うと,人選はとても難しいと思います。サッカーの伝統や文化がない(マスコミと広告代理店のせいで育たない)日本は,戦略(主にサッカー協会が考えること)と戦術(主に監督が考えること)の両方で頑張らないと,W杯のような真剣勝負の舞台で世界から相手にしてもらえることは無理っぽいことがドイツW杯,北京五輪で改めて判明しました。サッカー協会はとてもがんばっていると思うけど,致命的に問題なのが日本のマスコミ(とその背後の広告代理店)で,ほぼ全く現代サッカー,特にその本場である欧州サッカーの動向なんかほとんど知らない,興味ない人たちが,代表戦の前後や,人事のゴタゴタだけを「視聴率が取れれば良い」,「ビジネスになればよい」というだけで騒いで終わるだけなので,日本でサッカーに対するまともな文化が育たない(と,偉そうに書いてみました)。W杯とか代表戦で盛り上がっていない普段は日本のサッカー情報は本当にマニアックで詳しい人も多いのだけど,ことW杯絡み,日本絡みとなるととたんに地道な報道や記事は吹っ飛んでしまうのですよね,恐ろしいことに。
現代サッカーは長期戦略(才能ある若手の発掘,育成,優秀な指導者の育成,獲得,有力選手の強化支援)をベースに,極めてシステマティックに構築された戦術と,選手の個人能力を融合であり,その実戦は主に欧州6大リーグで顕著に見ることができます。70年代に名将リヌス・ミケルスに率いられ,空飛ぶオランダ人,ヨハン・クライフによってオランダ代表及びアヤックスで完成されたトータルフットボール,それを内包して80年から90年代にかけて研究され完成したラインディフェンスによる高度にマニュアル化された戦術,これがしばらく世界のサッカーの基本戦術でした。すなわち,現代サッカー戦術において,重要な出来事は2回,ミケルスが率いクライフが体現し世界を驚愕させたオランダのトータルフットボール,そしてプロ経験のない靴のセールスマンだったサッキ監督が80年代後半から90年代初頭に完成させた革命的4バックラインディフェンスです。
この現代サッカーシステムはしばらく打ち破られないと考えられていましたが,2000年以降,皮肉にもこれらの現代サッカーの完成期に現役時代をおくった選手が監督としてピッチに戻ってきて,大きな変化が起きつつあります。W杯ドイツの監督であるクリンスマン,バルセロナを21世紀最初の黄金期へと導いたライカールト,PSVで結果を出したクーマン,批判もあるけれどやはり優れた戦術家であるモウリーニョ(この人はちょっと特殊な例,いろいろ言われてるけど僕は好きです),そしておそらく現在最も優れた天才若手監督であるデシャンなど,僕の世代ならば,小学生や中学生の時に選手としての全盛期のプレーを見ていた彼らは,リッピ,サッキ,クライフ,ベッケンヴァウワー達の下で自分たちがプレーしたラインディフェンスによるマニュアル化されたシステムの強さと限界を知り尽くしているので,その先のシステムが彼らから生まれてくるのも必然の帰結と言えるかもしれません。代表的なのはフランス,リーグ・アンの中堅だったモナコを一気に強豪まで育て上げたデシャンでしょう。彼の指揮するモナコの特徴は「世界初のシステム化されたラインディフェンス破り」と言われています。詳細は多くのサイトが取り上げているので割愛しますが,欧州トップレベルクラブでの戦術は,数秒単位,1m単位で極めて細かくマニュアル化されたシステムの攻防であり,フラットなラインによるDFでは,相手攻撃陣のボール所持位置,向きに応じて一瞬でラインのON/OFFを切り替える必要があり,この判断は基本的にチーム事のマニュアルで細かく決められています。しかしデシャンはこのマニュアルの唯一の弱点と言うべき,ON/OFFの判断ができかねる一瞬(通常これはバイタルエリア,あるいは最終DFラインとボランチの間が約5mから10mの距離の位置で,攻撃側の司令塔,トップ下,あるいはポスト役がボールを持った瞬間)を意図的に数多く作りだし,そしてそれをシステムとして突破する戦術(というか,この状況が形成された無条件で味方アタッカーの位置を考慮せずDFの裏へスルーパスを放り込むという暗黙の了解)を導入しました。極めて強固で洗練されたラインディフェンスによる華麗な守備を誇るスペインの強豪デラポルト・ラ・コルーニャを完膚無きまでに撃破した試合では,解説の人が「これを戦術でやっているならデシャンは天才です」と言っていたそうですが,メンバーの代わった試合でも同じようなことを続けているモナコの姿を見て,デシャンが天才だったことが証明されました。書くと簡単ですが,実戦するのは簡単ではないはずだし,実際欧州でこの戦術が実行された場面を見ると,攻撃陣の絶妙なパスと動き,そして恐ろしいまでの破壊力に驚きます。
このような戦術の話題は,欧州では瞬く間に話が広まり,各チームによって研究,実戦され,より洗練されていきます。日本でも普段からサッカーのニュースではこのような議論が喧々諤々続けられ,小学生から老人までが戦術について熱く語り合わなかればならないのです,たぶん。でも果たして日本のW杯や五輪サッカー関連のマスコミで,「デシャンのラインディフェンス破り」についてきっちり情報を入手して理解しているような記者はどれくらいいるのでしょうか。あまりにも戦術が軽視されているように思います。芸能人に得点予想を聞いたり,一つ覚えのように「3-5-2は守備的,4-4-2は攻撃的」と繰り返すよりも重要なことがたくさんあるように思えてなりません。実際デシャンは攻撃に人数を割くのが攻撃的なのではないと考えているそうで,4-5-1あるいは3-6-1でも攻撃的なシステムを研究し,実践しています。
オシムに決まった監督ですが,候補にジャケ・エメの名前が挙がっていました。同じフランス人ならばデシャンの方が,日本の4年後,そしてその先を考えるとふさわしい気がします。でも,デシャンほどの才能を,サッカーに理解のないマスコミがくだらないことばかり書き立てるアジアのサッカー後進国に迎えるのは世界のサッカーに対する犯罪のような思いもあります。長々書きましたが,とにかく言いたいのは,次期監督は日本に合った戦術をしっかり考えて,実戦できる人にしてくださいということです。
そして,今回の五輪で明らかになった,男子サッカーの衰退と女子の奮闘。特に,澤。この不世出の才能を日本サッカーが今後生かせるかが,日本サッカーが世界について行くことができるかの重要なキーになるかもしれません。澤に率いられた日本女子代表のプレー,皆さん見ましたよね。男子との違い(決定力や個々の位置取りから,システムの機能・実践まで)がここまでわかると,さすがにみんないろいろ考えると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20080720184208
■
http://anond.hatelabo.jp/20080721190509
「中の人」によるトラバ・レスですね。やはり社内調整が大変なんですね。一言で片付ければ大企業病であります。しかし、「縦割り官僚病」に患った官公庁と「大企業病」にかかった大企業によって、国家予算の多くが割かれているということは、もう一段上からの目線で、見直す必要があると思います。
■
http://anond.hatelabo.jp/20080721063221
ユーザ側がリスクに対する許容度をRFPに明記しないので、メーカー側は過剰品質で高価なシステムを納入せざるを得ないという主旨かと思われます。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/05bc2cfe0e759ee46e41bc14eaa2a322
の記事を参考に勉強したいと思います
「代表性 ヒューリスティック」によるリスクの過大評価の可能性についても配慮していきたいと考えています。
http://kyoumu.educ.kyoto-u.ac.jp/cogpsy/personal/Kusumi/heuristics.htm
■
http://anond.hatelabo.jp/20080721094315
>元増田は本来業者が準備すべき書面を自分が作らされているのがおかしいと感じている
>のかもしれないが、そもそもの発端は逆だったという可能性はないかな。
そのとおりかも知れません。些細なことに文書報告を求めるのが役所の悪弊だと思います。
しかし、本件のような億単位の案件に限って、小さな事案に比べ「政治力」が意思決定に大きく関わり、文書が残らないということも、あまりいいことではないと考えます。
あと、僕は国家??種です。
■
http://anond.hatelabo.jp/20080721104034
>サービスとその対価を良く考えてね。
「行政もコスト意識を持って」と省内で言われ、無駄なコピーとり削減とか、わかりやすいことは、みんな頑張っているのですが。高価なシステム購入のことになると、不思議とコストに関して思考停止になる関係者が多いのも事実です。
よく、スーパーの買い物とかは他のスーパーの値段を調査をして節約するけど、マイホーム購入となると、舞い上がってしまい、セールスマンの言われるがまま、大きな買い物をしてしまうということがあるじゃないですか。個人と組織は似たところがありますね。
■
http://anond.hatelabo.jp/20080721083720
これはIBMがプライス・ウォーターのコンサル部門を買収して、ソリューション力を強化しようという戦略をとったのを日立が後追いしているものだと思います。
NECもアビーム・コンサルティングを買収したし、富士通も富士通総研を戦略的コンサルティング会社として位置づけ強化する、そういった流れですね。今は。
提案(ソリューション)部分とハード、ソフト売りの部分を明確に分けて、価格を透明化するという試みなのかもしれません。
省庁がコンサルを使う場合は、意思決定の外部評価を得たいとき、つまり「お墨付き」をもらいたいときだと思います。予定調和型の玉虫色のコンサル報告書が○百万円といった金額で売れている。これでは、日本のコンサルティグ業界に健全な成長を求めるのは酷かもしれません。
::コンサル目指している学生さんがいたら、夢を潰してご免なさい。
■
http://anond.hatelabo.jp/20080721095826
>日立は各社内カンパニー、研究所とそれぞれ独立採算制を取っているのでシステム費用
中央研究所の件はすいませんでした。
しかしながら、少なくとも情報・通信グループの中では、事業所間(戸塚とか新川崎とか秦野とか小田原とか)の利益調整は行っているようですよ。
>下落合の迎賓館云々は日立の子会社が運営しているので、あくまで別会社。
「年金事業は厚生省ではなく、別庁の社会保険庁が運営しているので、本省には問題がない」と言った感じの意味でしょうか。すいません。なんか、つっかっていますね。
■
http://anond.hatelabo.jp/20080721103010
>金融は三菱東京UFJのメインフレームがIBMに取られてボロボロらしいし。
日立メインフレーム事業の長男坊「三和銀行」と次男坊「東海銀行」が合併して、新しい絵が書けるかと思ったところで、三菱東京との合併、IBMへのシステム片寄せ。日立には逆風でしたね。ゆうちょ銀行のシステムはNTTデータと日立が旧UFJのシステムを採用して開発中。中途半端に金融事業とメインフレーム事業が生き延びる理由ができてしまい、また経営判断を誤る要素ができました。
日立の金融ソリューションは「NEXTCAP」というものですが、売れてないそうです。熱心に旧日立ユーザであった興銀=みずほコーポレート銀行に売り込んだのですが、失敗したとか。いつまでも「NEXT」というこのネーミング・センス。日立ってちょっと面白い会社ですね。
■
http://anond.hatelabo.jp/20080721115630
僕は自費タクシーか、会社に泊まるか、新橋のカプセル・ホテルに泊まっています。おそらく日立もごく一部の人だけでしょうね。特権的に居酒屋タクシーなんかできる人は。
■
http://anond.hatelabo.jp/20080721125502
>所員だな。「落としどころ」という言葉を使う当たりが。
どきっ。。こわい。こわい。
「小説」など、大上段に構えてみたけれど、ドキュメンタリー・タッチなフィクション・エッセイを連載する。
俺の名は鈴木本太。すずきポンタ、もちろん仮名だ。これから出てくる人物、企業、団体、製品名等についても、架空のものであり、偶然、現実の名と重なっていても他意があるわけじゃない。米合衆国のオバマ氏と福井県小浜市とが関係ないのと同様だ。
俺は32歳。監査法人勤務だ。この業界ではイケてるほうじゃない。だって、システム監査を担当としているくらいだ。システム監査を低くみてるわけじゃない。俺の身長は・・、俺のことはどうでもいい。興味を持たないで欲しい。この話の主人公は国産メインフレーム・コンピュータとそれを構成する企業レガシー・システムなんだ。俺は、狂言回しに過ぎない。「北斗の拳」の真の主人公は「北斗神拳とそれを中心としたヴァイオレンス」であったと記憶する。いや、主人公はラオウだっけ。まぁ、ラオウが倒れた後の「北斗の拳」が面白くないのと同様、俺の人生はたいして面白いものではない。
今回の舞台はB銀行だ。俺たちのクライアント。TVドラマか何かの影響か、俺たち監査法人は、客先の不正を暴く行政官みたいな仕事振りをしていると誤解している友人もいる。あくまでクライアント=お客様から対価をいただいて、仕事をさせてもらっているサービス業なのだ。だから、ぜんぜん、上から目線ではなく、普通の客商売だよ。俺は提供するサービスを売るセールスマンも兼任しているんだ。営業担当者はいないからね。そりゃ、エンド・ユーザにマイ・カーや呉服を販売する営業とは、少し趣きも違うだろうけど、お客様あっての商売。
国税庁や検察庁とは立場が全然違う。銀行の人と話をすると、やはり、国税検査官の中には、高圧的な態度の人もいるらしい。背中にしょっているのが、徴税だから調査権があるからね。でも、やたら、高圧的な人は新米検査官に多くて自信の無さの裏返しだろうとのこと。むしろ、しょぼくれたおやじさんが、ひょいと指摘をする事項の方が怖いそうだ。
銀行をはじめとした金融機関には、金融庁の検査というものがあって、そこからも検査官がやってくる。金融庁は、金融機関に対して、業務改善命令から、免許の取り消しにいたるまで、大きな処分裁量をもっているから、銀行にとっては大きな存在だ。貸出債権が適正に管理されているかを検査する資産検査官、事務が適正な手順に則って行われているか、不正がないかを調べる検査官など、担当も分かれているようだ。システムについても専門の検査官がいる。最近は大手銀行の合併にともなうシステム統合で、おおきな障害が起きたことから、金融庁はシステム検査にも大きく目を尖らせている。
ITガバナンスの適正さ(システムを運営する組織、規定が整っており、正しい手順に基づいて運営がされているか)や、個人情報の管理が十分か、データの参照権限や手続きについて適正な扱いをおこなっているかなど。これらが、金融庁によるシステム検査の調査ポイントの一端である。監査法人によるシステム監査とも重なる部分は多い。ただし、見る立場が違うので切り口は違う。俺らは、処分や免許・許認可が目的ではない。クライアントのシステム運営が適正にされているか否かということを軸として、あくまでクライアントの経営の適正さ、透明性に関する評価・助言を行っている。だから、コンサルティング・マインドも必要だ。勿論、不正を隠匿したり、促したりする助言は駄目だ。
(つづく)↓第二回
横だけど、気になったので一言だけ。
いわゆる容姿が良い人は楽に指名がもらえるせいか、サービス面がイマイチの傾向がある。
いわゆる容姿がアレな人は、サービス面でカバーしようとする傾向がある。
もちろん容姿がよくてさらにサービスも優れてる人はまちがいなく店ナンバーワンだろうし(予約で埋まってるので写真すら隠されてる場合がある)、容姿もサービスも良くない人は店側ももてあますのか、あんまりシフトに入って無かったり、そもそも出勤率悪かったりで自然淘汰。
ひょっとしたら、やってることはクルマのセールスマンに近いのかもしれない。
「人は見た目が9割」じゃねえけど、第一印象と、実際の営業成績は一致しないだろうしな。
一言じゃなくなったねスマン。
時々、はてブで「ライフハック的に(?)効率よく英語を勉強する方法」のような記事が人気だったりする。
個人的には、どういう心理状態でブクマしているのかなあ、と思うときがある。
もちろん推測に過ぎないのだが、多分、ほとんどの人がブクマしておしまい、のような気がしている。
思い出すのは、ある本に書かれていたこんな感じの話だ。
「セールスの秘密のコツを講演で惜しみなく話すスーパーセールスマンにある人が聞いた。『秘密のコツを教えちゃっていいの?』 彼は答える。『私の話していることは簡単なことですが、実践する人はわずかです。まして続ける人は1%もいません』」
「向上心こそ、重要なのだ」という意見はそれはそれで正論だと思う。
ただ、違和感は感じる。一ヶ月で英語を覚える?来月、訪米する予定がおありなんですか?その魔法のメソッドならば誰でも英語がペラペラになる?そんな都合のいい話を信じるんですか?私はやれば出来る子なんです?いやー、お互い、未来の自分に対する期待はオタクのリュックのようにパンパンですよねー、などなど自戒を込めて思ってしまう。
いや、言いたいことはそういうことではないな・・・。
プログラマならおなじみの「必要なときに必要なところを勉強する」勉強方法。確かにこの方法は有効だと思う。ただし普通に考えれば分かるが、その有効性は、緊急性と必要性の高さにかなり比例する。それで、「ライフハック的に(?)効率よく英語を勉強する方法」のような記事のブクマ数の多さと、英語力が緊急に必要ある人の数はあまり関係ないような気がする、的なことが言いたかった。
そしてタイトルに戻るのだが、「趣味として英語」をやっていった方が、人生も豊かになるし、まるで失敗することが運命づけられているダイエットのように新しい方法を見つけてはチャレンジしては挫折し・・・を繰り返すよりも、効率が良くないか?と思うのだ。茂木健一郎も効率の良い勉強方法は「脳に適度な負荷をかけ(続け)ること」と言っていたはず。ならば、あまり苦痛にならない程度の勉強量を生活の一部にしてしまって、習慣化し、継続して勉強した方が力になるはずだ。
では勉強量は?という話になる訳だが。多分、「上達の法則―効率のよい努力を科学する (PHP新書)」
http://www.amazon.co.jp/dp/4569621988/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1211648437&sr=8-1
に(元々この著者は「最強の英語上達法(これもPHP新書)」で有名)、週二回(を各々30分くらい?)やるくらいが一番コストパフォーマンスが良い・・・と書いてあったような気がする。
ではどこから始めるか?好きなところから始めればいいと思うが(基本的に趣味なので)、そもそも、このエントリを書こうと思ったきっかけが下の動画がyoutubeのトップにあったことなので、ちょっと見てみることをお勧めします。(元動画も含めて)
Re: 英語を早く上達する秘密な技 How to Improve Your English FAST!
http://jp.youtube.com/watch?v=qgt-x0sJ7rs
それで英語の話はおしまいなのだが、思ったことが一つある。上のような動画のまとめ記事が欲しいなあと。いや、上のような動画のまとめ記事が欲しいので記事を書いて欲しいと依頼する→アフィ入りで誰かが記事を書く、みたいなシステムがあれば便利かなあと。必要な記事/読みたい記事を書いて欲しい人と人気記事を書きたい/アフィで稼ぎたい人のためのマッチングシステムみたいなもの。すでにあったらごめんなさい。そんなところです。
「ほーほっほっほっほっ。あなたは今、ばく大な借金に悩んでおられるようですね。それで今年のお年玉も50円しかもらえなかったことを嘆いている。」
「な、なぜそれを知ってるんだ!?」
「ほーほっほっほっほっ。私にはわかります。あなたのご先祖さまのせいで、一族は延々と借金を払い続けさせられている。どうです?あなたのご先祖様を私に売っていただければ、今のあなた方の借金を0にして差し上げますが。」
「う、売る!?どういうこと?」
「なあに、心配はいりませんよ。あなたのご先祖さまはいつもどおりの生活ができます。ただ、私どもが派遣するスタッフと一緒に暮らしていただくだけでいいのです。」
「え、ほんと?じゃあ、よろしくたのむよ。」
「はい、わかりました。では後日、つかいの者をおくりますので、あとはその者の指示にしたがってください。ほーほっほっほっほっ。」
そのセールスマンは笑いながら暗闇へと消えていった、、、というところで目が覚めた。
「おはよう、セワシくん。今日はおじいさんの所に行く日だよ。早く支度してよね。」
「ああ、分かってるよドラえもん。」
.....
ある日、のび太はドラえもんの押し入れでとある秘密道具を見つけた。それは自分の不幸を他人に移しかえる道具だった。のび太はそれを使って一儲けしようと考えるが、どうやっても自分に対しては不幸のやりとりができないことに気づく。不思議におもったのび太はそのことをドラえもんに言うと、ドラえもんの表情がふっと暗くなり、「故障だよ。」としか言わない。いつもと違うドラえもんの態度に疑問を抱いたのび太はタイムマシンでセワシくんとドラミちゃんのいる22世紀へと向かった。
.....
http://anond.hatelabo.jp/20070312004915
これを書いたのが自分なんだけど、書いといて思ったのが、自分が思っていた以上にこの格差の話ってのはみんな真剣に考えているんだなぁと言うこと。
自分はニュースはネットでしかみないから、そういった話題にあんまり敏感じゃなかった。
あと、うまい言い方が思いつかなかったから反感を買うことをを恐れずに言うと…なんて書いたらホントに反感を買ってしまったこと。自分の文章力はまだまだのようだ。
でも、なんか擁護、と言うか私の考えの一部に同調してくれる人がいたのは嬉しかった。
なんか親の庇護のもと、ぽーっとひかれたレールの上を通ってきた人みたいな事を思われてるっぽいから一応書いておくと、うちは普通だったっていうのは「普通に良かった」というのではなく、「普通にいいことも悪いこともあった」って事で、別に恵まれてると思ったことはない。まぁ隣の芝生は青いってやつなのかもしれんが。
小学校の高学年の時に親が独立した。で、中学2年ぐらいの時にはもう傾いてきててさ、中学三年の時には塾に払う月謝が払えないから申し訳ないけど塾を辞めてもらえないか、なんて親に頼まれて、その時は塾に行かなくてすんでラッキーなんて思ったけど、今から思い返すと親もホントはそんなこと言いたくなかったんじゃないかなぁと思う。
で、商売をしている家が傾いてくるとよくある話だと思うんだけど、夫婦仲が悪くなって、夜中は毎日ケンカですよ。そんなときにちょうど受験でさ、普通に落ちたわけ。で、その落ちたのは100%自分の責任だし、実際勉強も全然してなかったから当たり前なんだよ。
でも親はそうは思ってなくてさ、併願で受けたのは進学コースのある私立で、そこに入れば授業料も入学料も免除なんよ。だから親は俺が親に気を使ってわざと落ちたのかと思ったわけ。で謝られるの。ごめんね、って。この時はほんと申し訳なかったなぁ…でもそれがきっかけで両親の仲が直ったからよかったんだけどね。
でも倍率が1.1倍の高校で同じ中学から10人受けて1人だけ落ちたんじゃそう思われても当たり前か。
浪人したときは親が大人になったときのために、って親がコツコツ貯金してくれてたお金を、どうせあんたにあげる予定だったんだから好きに使いなさいって事で予備校に入れてくれた。それなのに俺は遊びほうけてばかりでバカ、ホントバカだと思う。
ただそういう経過があったからこそ、どこかの大学に、それなりに有名な大学に入らないと駄目だ!と思って勉強したときはホント必死に勉強したよ。
文系だって誤解されてるけど俺は理系で、しかも英語は致命的にできないから数学と物理で入るしかない!と思って勉強した。
細野真宏の数学の本を全種類買って1日に1冊終わらせた。全部終わらせたらまた最初からやり直した。
物理も誰かの参考書買ってそれだけやった。誰のだったかわすれちゃったけど。
でもこの時ほど理系の自分に感謝したことはなかった。数学とか物理は世界史とかに比べて覚えなきゃいけないことって少ないじゃん。
あと基本さえ覚えれば応用だって解けるってところもよかった。
MARCHなんて上の方じゃねーか、って感じの事を書かれてたけど、確かその時の偏差値は55ぐらいだった気がするから確かに普通よりはよかったのかも知れないけど、それほどいいわけでもなかった。
大学の授業料は奨学金と自分がバイトした金でなんとかした。親もある程度は出してくれたけど。留年したときは留年することになるってわかった時点で休学した。そうすると授業料が半分だったから。もちろんこの時の金も自分で払った。
大学生だってバイトで15万ぐらいは稼げたよ。時給850円だけど。大体10??15万だった。
理系で半導体系のゼミに入ってたんだけど、バイトで忙しいの(もしかしたら自分で授業料払ってるのも)教授も知ってたらしく、普通の実験とかではなくて、コンピュータを使ったシミュレーションにしなさい。って言ってくれた。だから就職が決まったあとの4年の頃は必須の授業の他は毎日バイトしてたし、終わってから夜10時ぐらいに学校に行って仕込んであったシミュレーションのデータの解析をして、そのまま学校で寝て、朝起きてそのままバイト。みたいなこともしてた。
この生活もやってた時はつらかったけどよかったと思う。就職して忙しくなったときにふんばりがきくようになってたから。
ここまで書いて読み直すとただの日記だな…ごめんなさい、でも自分にとっては重要なことなので残しておきます。
ここからが本題なんだけど、前の記事で
>だから毎日早くから遅くまで働いて、家には寝に帰ってるだけってくらい働いてるのに年収200万とかってありえないだろ!とか思ってしまう。
>ネタじゃないの?とすら思う。
って書いたと思うんだけど、これには前の記事で書いた理由ともう1つ理由があって、それが上で書いてた親父の話。
親父の会社は俺が中2ぐらいの時にすでに傾きだしてたって事は書いたと思うんだけど、高校1年ぐらいの時にはつぶれたわけよ。で、自己破産してた。
で、親父はどーしたかというと、働くことにして仕事を探したのよ。で、得た仕事がカプセルホテルの従業員。夜はその仕事をして、朝は弁当配達のバイトもしてた。
で、その仕事は1年ぐらい続いたのかな、でやめてその後は宅急便の配達でさ、40代後半でそんな仕事をしてたわけ。で、50になったくらいでそれもやめて、今は1戸立てのセールスマンをやってる。住宅展示場とかにいる人。あれ。
それがお前との格差だろとか言われそうだけど、親父はどの仕事をやってた時も手取りで月に30万以上は貰ってた。俺は働くようになって知ったけど、手取りで30万貰うためには額面で40万以上は必要だ。
親父はそれこそ朝早くから夜遅くまで働いてた55を過ぎた今でもそう。これは俺には出来ないから、親父の最も尊敬できるところだ。
月に40万以上は額面で貰ってるって事は年収で言えば500万はいくはず(ボーナスは貰ってたかどうかわからん)。
だからうちの親父より若いのに、ホントに朝から晩まで働いて年収200万ぐらいなの?って思った。年収200万ぐらいって俺が大学のときにバイトしてたのとあんまり変わらないよ。それって『やるべき事をやってないだけ』なんじゃないの?って思ってしまう。
この前に書いた記事のはてブのコメントにもあったけど、俺は努力すべき時に努力した人らしい、自分ではその時は必死で1つのことしか考えられなかっただけで、努力してた意識もないけど。親父もきっとそうだと思う。一家を路頭に迷わすわけにはいかないと思って毎日仕事をしてたんだと思う。
この前フラット化する社会ってのを読んで、その通りだと思った。世界はフラット化してる。それは間違いない。ネットでGoogleアドセンスでいくらぐらい稼いでいる人がいる。ってのを見て思ったのが、今の世は英語さえ使えればそれと同じだけ稼げるんだな、ってこと。
そう思ってたらその本にはそういう人もいるみたいってのが書いてあった。だからそれと同じ事をすれば日本でだってそれくらい稼ぐことができるみたいじゃん。
そういうものを読むとやっぱり今日本で言ってる格差社会ってのはホントなの?と思ってしまう。
ちょっと思ったのが、どっかのブログで読んだ(多分はてブのほってんとりからだと思う)んだけど、アメリカでは国際電話1つとっても何も知らないと、安く済ませる手段を知っている人の何十倍も払うことになるって話。
いわゆる日本の中で言われてる格差ってやつの低いほうにいるらしい人ってのはもしかしたらこういう、知っている人は知っている、みたいなものを知らない人たちなのかなぁ…