はてなキーワード: obとは
志望する分野…というのはある程度決まってる。
(どうしてもこの分野じゃなきゃだめだ、というレベルではなく、)
とはいえ、まだ説明会とか行くことができていない。
M1で研究も忙しく、後輩の卒論も見なきゃいけないのでOB訪問とかもしてない…。
(しかも、後輩の研究が進んでなくてやばい状況なので、余計に面倒見なきゃいけない…)
けれど、修士になって研究テーマをがらっと変えてからは全く進まなくなった。
また1からのスタートになるから、関連論文のサーベイとか含めて最初からやり直し。
同じ時期に国際会議に出た同期は、卒論からの上積みで研究を進めているので
国際会議が終わった後からも全国大会や国際会議に論文出してる。
研究の面では、どう考えても俺は取り残されている。
果たしてこんなことで、修了できるのだろうか…。
話を就職活動に戻すが
アピールできる点は無い。
部活は、部長をやってきたが、俺が部長の時にはとある全国大会に出る際、書類審査で落ちた。
落ち込む部員を励ましつつ他の大会に出場することにして、チームとしては良い結果を出したが
そのとき俺はサポート役に徹していたので、リーダーは別の人間だった。
バイトでは、正社員の人からは「5年間続けているのに未だに最初の頃のひた向きさを忘れていない」とか
「いつも助かっている」とか言われているが
お金貰って仕事している以上、ひた向きに仕事をするのは当然の話。
けれど、未だに細かいミスをする。(問題になるようなミスではないが)
ミスしないように色々対策を練ってきたはずなのに、それでも少しでもミスをするのはバカ以外の何物でもない。
こんな状況で、どうやって就職活動を進めればいいんだろう。
内定なんて獲れる気がしない。
こんなことを考えている時点でもう負けているということは分かっているけれど…
どう考えても能力がなさすぎる。
彼氏とは付き合って半年近くになる。彼氏はわたしのこと「お姉ちゃん」って呼んでる。
というのも彼はわたしより五歳年下で、サークルのOBとして大学に遊びに行ったときに知り合って
たまたま苗字が一緒で気が合うから「姉弟?」って間違えられたことある。
それから彼がわたしのことを「お姉ちゃん」って呼ぶようになってわたしも弟みたいに思ってた。
恋愛関係になるなんて思わなかったからその呼び方を受け入れたんだけど
なーんか近親相姦チックな危ないことしてるんじゃないかーって気になってくる。それに周りから見ても変だと思う。
ちなみにわたしは下の名前にちゃん付けかくん付けで呼んでいる。
でも呼びかたって変えようと思って変えられるものじゃないと思う。どうしようか・・・。「おねえ」に改名すればいいのかな。
用意するもの
半年分の給与明細 預金通帳 印鑑 ICプレーヤー 申請書です。申請書って何?どこでもらえばいいの?という人が大半だと思いますが自分で作らなければいけません。生活保護課にいっても担当者が「この人には生活保護が必要だ!」と認めた人しかもらえません。もともと生活保護の申請書なんて存在せず、それぞれの生活保護課の人間が勝手に作っているだけです。あと売って金になるものは売らなければいけません。それだけは覚悟しましょう。(家とかクルマとか)毎月の給与が10万以下なら申請できると考えてください。貯金は20万以上あると申請できません。
2、日付
4、生活保護を申請する理由 「病気だとか会社クビになったとかetc」
これだけ書いとけば何とかなります。
きちんと申請書に「生活保護を申請する!」と最後に書いておくことは忘れずに。
1、弁護士のところに行き「今から生活保護の申請をするのでついて来てくれと言う」
お金が結構かかるし、しかも弁護士によっては断られる可能性もあります。そういうときは手当たりしだい弁護士をあたりましょう。
2、役所の生活保護課に行き、生活保護を申請したい。といえば別室に案内されます。このときからICプレーヤーで音声を録音するのをわすれずに。ここで一人で来るよるよう言われますが、一人でいっては生活保護申請は不可能です。
弁護士に同席してもらいたい。といいましょう。
役所の人間は「生活保護を申請するときは一人で担当者と話し合うことになっている」といわれますが、引き下がってはいけません。
「私はこの人(弁護士)がいないと精神不安定になって会話ができない。」といいましょう。ここでたぶん「けんか」というか口論というかいろいろおきますが、
なんどもいいますが弁護士がいないと申請は不可能です。粘りましょう。
3、ここで担当者に自分がいかに生活に困っているか訴えましょう、担当者はきっとこういいます。「○○課にいってくれ、○○課にいくことになっている」「生活保護ではなくホームレス支援センターに入ってくれ、いやホームレス自立センターに入ることになっている」。20歳から55歳ぐらいまでなら「キミはまだ働ける!なまけるな!ハロワークにいって就職活動を十分してからこい」こういわれます。「給料がでるまでの1ヶ月が耐えられない、もちこせない」といいましょう。というかもうここは屁理屈対決です。がんばれしかいえません。
あと「借金があると生活保護受給できない」といわれますが、これもうそです「借金の返済に生活保護費を当てる可能性があるので生活保護をしないのが望ましい。」というだけです。借金の返済に生活保護費を使っちゃいけないことは法律で決まっています、「借金の返済にはつかわない!自己破産を生活保護受給後にする!」といいましょう。
あとこの「なになにすることになっている。なになにしなければいかん」とかは「なになにしたほうがいい。なになにするのが望ましい」ということです。別に法律で決まっているわけではありません。だまされないように気を強くもちましょう。あと暴言は絶対はかれます。女性なら風俗で働け、男性ならその年にもなって恥ずかしくないの?とか言われます。怒ってはいけません。担当者の調査に2時間は協力しましょう。
4、2時間たったら生活保護申請書をたたきつけましょう。担当者は「受け取らない」「うちの書類じゃないから無効」とかいってきますが、無効ではありません、書類の体裁をなしていればそれは申請書です。たたきつけたらICプレーヤーで会話を録音していることを伝え、さっさと部屋から退出しましょう。ここでは絶対に口論が起きます。書類をだしたらさっさと部屋から逃げましょう。なんども言いますが無効ではありません。有効です。
5、ここから担当者は家族親族に電話を昼夜問わず電話をかけ、なんとか援助できないのか、毎月3000円でもいいから援助できないかと、ヤクザみたいな対応をとることがあります。ここで家族親戚が一言でも1000円でも援助できるといってしまえば、生活保護申請が不可能になります、きちんと「自分は生活保護をうける。援助は絶対しないでくれ!」といっておきましょう。
6、1ヶ月前後で「受給できない」と書類が家にとどきます。たぶん理由のところに「まだ働ける年齢のため」とかいてあると思います。まだ働ける年齢のためであっても保護はうけれます。これから都道府県長あてに「不服請求」をださなければいけません。弁護士に相談して書き方を教えてもらってください。ここで弁護士も「ムリなんじゃない」とか言ってきますが、無理ではありません、とりあえずさっさと不服請求しましょう。
7、不服請求をしたらもう一度生活保護課にいき、「不服請求」をしたと伝え、もういちど申請書をだしましょう。
9、ときどき警察OBや○暴対策の職員が家にきて辞退の書類を書けといってきます。怖いですが絶対に辞退書をかかないようにしましょう。これは下記につながります。
北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52)が自宅で亡くなり、死後約1カ月たったとみられる状態で10日に見つかった。男性は昨年末から一時、生活保護を受けていたが、4月に「受給廃止」となっていた。市によると、福祉事務所の勧めで男性が「働きます」と受給の辞退届を出した。だが、男性が残していた日記には、そうした対応への不満がつづられ、6月上旬の日付で「おにぎり食べたい」などと空腹や窮状を訴える言葉も残されていたという。
これが一番大切なことなんですけど、弁護士費用は高いです、あと申請にも時間がかかります。「お金がなくて生活保護申請するのにお金がないと生活保護申請はできない」これは覚えていて欲しいです。
矛盾していますがしかたありません
第1集 新月お茶の会の幕開け
第2集 大量会員の完成
第3集 それははてなから始まった
第4集 有村悠の野望
第6集 例会の旗の下に
第9集 新月お茶の会の衝撃
第10集 内輪もめの悲劇果てしなく
第11集 SHINGETU
http://anond.hatelabo.jp/20081225231436
そんな事より有村悠よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、新月お茶の会例会、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、集団でいつまでもで普段来てない喫茶店に来てんじゃねーよ、ボケが。
10人だよ、10人。
よーしOB演説しちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、学校いってその席空けろと。
Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。新月お茶の会は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、僕コーヒーブラックで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
得意げな顔して何が、ブラックで、だ。
お前は本当にブラックを飲みたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
喫茶店通の俺から言わせてもらえば今、喫茶店通の間での最新流行はやっぱり、
レモンてのは汁が多めに入ってる。そん代わり甘みが少なめ。これ。
この前も工学部のやつに「文学部のやつと同じ大学だと思われたくない」なんてありがたい言葉をいただきました。
『文学部唯野教授』などでも「男で文学部に行くやつは人生を半分降りたバカだ」と言われてますが、まさにその通りであります。
文学部の鉄板といえば、文学・哲学・歴史です。理論立った勉強については、思考方法などの点で役に立つのですが、
如何せん、勉強の内容が社会に出てサラリーマンになろうとするには不向きなものばっかりです。
つまり、「労働」という言葉がどれも似合わない。むしろあくせく働くことを否定するような分野ばっかりです。(実際に文学部の学生が金持ちばかりならこれでも良いのですが、実際はワーキングプアみたいなやつばっかりです。)
そんなんで社会に出られるわけがありません。出てもすぐやめちゃいます。
そしてさらに悪いことに、どの専攻も就活において志望アピールにするのが難しいです。
法学・経済なら「会社法をやりました」「財政学をやりました」などという感じで志望動機につなげることも可能な気がするのですが、
文学部の勉強ではそんなことをしても笑われるだけです。(ただ社会学・心理学などはやりやすい傾向があるみたいです。彼らは比較的就職もマシです)
上述したものと関連するのですが、そもそも就職意欲が低いのです。4年生になっても就活してない、なんてやつもザラです。(もっとも、公務員や教員志望が多いこともあるのですが)
そして法学・経済の人たちと違ってOB訪問や説明会などの情報が学部内で飛び交うことも少なく、就職希望者は情報収集に大変な思いをします。
アカポスを目指したい!という方もいるかもしれませんが、今のご時世人文系アカポスはお先真っ暗ですので、ちょっとでも研究が不向きだと感じた方、あるいは実家が超絶金持ちじゃない方はやめておくことをおすすめします。博士号を取得した後はめでたくホームレスになれます。
フェミの方には申し訳ありませんが、文学部は女性が多いので、就職も悪いと考えられます。
私の周りにも、フリーターになる人、男のカネで食っていこうと考えている人が何人かいます。
しかしながら、文学部では女性の方がまともな人が多く(一方男性は非コミュな人が多いです。)、一流企業の内定を取るのも女性が多いです。本当に不思議ですね。
これだけマイナス要素があっても、「自分のやりたいことをするべき!」という悪しき教育のせいで、文学部を志望してしまう人が後を絶ちません。かくいう僕もそうでした。そんな人々が無事社会に出て生き残る為にできることを考えたいと思います。
公務員は筆記が難しいこともあって、比較的出身学部を差別しません。筆記試験に自信があるなら、勉強してみるのも良いと思います。ただ試験科目が法律・経済ばっかりでゼロからの勉強になるので、ここでも文学部に来たことを後悔すると思います。(一部の市役所や国立大学は、教養試験だけで入れます)
周りの文学部のやつを見ていて、ガタイのいい体育会系の人たちは比較的就職活動で成功しているみたいです。一方チビガリの非コミュな人は、就活に苦労しているみたいです。(こういう人こそ公務員・教員を目指すべきです。)労働市場においては見た目で明らかに差別されます。スポーツマンな人はそれだけでお得です。
某ナビに登録して説明会にいくだけが就職活動ではありません。大学時代に積極的に動いて人脈を作り、そこで仕事を得るのも一つの方法です。文学部の人が志望しがちな出版業界などは、大学生アルバイトの中で見込みのあるやつを社員として雇ったりするところも少なくないと思います。(あまり詳しくないですが。)まあそんな行動力のあるやつは文学部に来ませんよね・・・
世間体などをすべて捨てて、フリーターとして生きていくのも一つの選択肢です。現にそうなって好きなことをし続けている人がいて、それなりに楽しそうです。ただ40を越えた後に生きていける保証はなく、女性に食わせてもらえるイケメンか、物乞いに身を落とす覚悟のある人以外にはおすすめできません。
就活中は文学部に来たことを本当に呪いましたが、文学部には良くも悪くも変なやつが多く、そういうやつらに出会えて良かったと今では思います。
やっぱり「話せば分かる」「問答無用」的なやりとりはあったのかなーと例の事件を報じる記事を眺めていたら元次官の人が思い思いの表現で呼ばれていることに気付いた。
最後の2つは英語にするとカッコいいだろう!的発想を感じないでもない
もしくはプロと呼ぶに値するのはこの人くらいしかいなかったという遠回しな官僚disだろうか
「神殺し」って言ってみたら脳の中二病野がすごく活性化しました
本当に仏になっちゃったー!ってマギー審司がやってるところを連想させられてイラッ
次にどんなのがくるか考えてみる
各社の記事に一覧性を与えて面白い二つ名の存在に気づかせてくれたぐぐるニュース先生こそ黒幕
11/20 木 11:28 加筆修正
現状でそのままなら、俺ほどいい環境はまず無理だろうけどある。多分月20はもらえる。
「初心者でずぶの素人ですが何卒教育してやってください」という先行投資的なIT土方がある。
たとえば俺が数ヶ月前、前の会社を辞めた時には社内に
「メモ帳ひらいてください」って言っても理解できない新人(26歳)がいた。
彼は家にパソコンがなくて仕事以外でパソコンをさわったことがなく、
しかもうちの会社にくる以前は業務用(COBOL)とかしかやったことがなかったので
Windowsをまともに触ったことすらなかった。
その時点でお前のほうが圧倒的に勝ってるだろ?
それがいやなら自分なりに勉強してみろ。
それは建前的にも不合格にされていたひとたちに処置をしないと人権回復の点でまずいだろ。
政治家が就職させるという口利きで変わりに票の取りまとめを・・・とか、
コネと何がちがうんだって?
違うよ!違うよ!全然違うよ!
この子はうちのおいっ子だからよろしく頼むよっていうのは、
例えばその推薦人が保証人として機能しているわけさ。
会社の人材採用がOBやOGのコネをつかってリクルーティングするのと、
まったく関係ない人から金をもらうみかえりに採用に便宜を図るのでは全然違う。
不適格なひともいるだろう。
法律とか技術がどんどんかわっていくのに免許が終身性というのはおかしい。
あきらかにバカが紛れ込んでいる。
「部落」解放同盟様による素晴らしいご意見をご紹介致します。。。
「当会でできることは特定したら糾弾でしょうかね(笑い)あとは精神のケアをいたしましょう。
えっ?同和?こわぃ??!!!っていうんじゃなくて、いっしょに戦ってあげますよ!ということなんです。当会にはシステムエンジニア、調査などの専門家や警察のOBも顧問としていますから。」
『ネットで中傷・被害にあわれた方、企業の広報の方へ・・・ネットイナゴを糾弾します。』
(部落解放同盟関東連合会人権擁護推進協議会神奈川本部 ブログ)
http://kaidoukanagawa.blog50.fc2.com/blog-entry-3.html
http://s02.megalodon.jp/2008-0613-2231-47/kaidoukanagawa.blog50.fc2.com/blog-entry-3.html
↑これって、いわゆる街宣似非○翼(在日)と同じやり方じゃ。。。
↓「部落」解放同盟様は「民族派団体」の方々ともお付き合いがあるそうです。
『憂国の若き志士【笑い】二階堂こと小山紀彦という御仁について』
http://kaidoukanagawa.blog50.fc2.com/blog-entry-4.html
http://s04.megalodon.jp/2008-0613-2237-26/kaidoukanagawa.blog50.fc2.com/blog-entry-4.html
まあ、常識ですけどね。。。
↓参考↓
客「今リッターいくらですか?」
俺「税込み154円ですね」
客「えっ!? 他の店だと147円だったんですが……」
俺「(Yさんのところかな) すみません。当店では154円での御提供となっております」
客「うーん……。じゃあ、いいです」
俺「申し訳ございません。ご来店ありがとうございました」
なやり取りがあったもので、ちょっと思うところを書いてみたい。今の全国平均はリッターあたり約155円。ちょうどうちの単価と同じくらい。じゃあどういう店が安売りできるかというと、いくつかの要因が挙げられる。
1つ目は『セルフスタンド』。これは単純に人件費がかかってないぶん安い。下手したらフルとは10円以上の差が出る。ただ「軽自動車に軽油を入れちゃった」とかの話を聞く限り、あまり車に詳しくない人に勧めるのは若干の抵抗がある。特にこれからの季節は静電気に要注意。あとくわえたばこは周囲から自殺志願者だと間違われるからこれも厳禁。
2つ目は『オリジナルブランド(OB)店』。これはマークに捉われず安い物を買うということで平均して安い傾向にある……らしい。実はあまり自信がない。なぜならうちがOB店だから。安いといっても10円20円は、うちではちょっと考えられない。
3つ目は『直販店』。これはOB店とは真逆だけど、農作物と同じで産地直送のほうが単純に安いという考え。実際に安いし、価格競争では最も有利なポジション。けどY店は直販店じゃない。
4つ目は『油外だけで収益を出せる店』。赤字覚悟でガソリンを売っても収益を確保できるような店は、単純に安い。下手したら卸値より安く売ってる店もある。実はY店はこのタイプの店だったりする。けど、ある店が油外で収益を出せるかどうかなんて一般客はわからないから、結局のところ看板を見ながらの地道なリサーチということになっちゃうんだけどね。
じゃあここで計算を1つ。リサーチの結果他の店より7円安く買えたとすると1ヶ月あたり何円の差が出てくるか。だいたい毎月70リッターくらい使ってるとすると、7円×70リッター=490円……実はワンコイン未満の差だったりする。安いと思う人も高いと思う人もいるとおもうけど、その程度なんだよね。
ということで1円でも安くガソリンを買いたい人には、あえて値段に現れないサービスに注目して店を選んでもらいたいと伝えておく。
例えば一定量給油すると洗車の無料券がもらえるとかポイント貯めるといろんな景品が貰えるとか、そんな感じの値段には現れてこないサービスね。それで十分ワンコイン程度の元は取れるから。といってもこんな感じのサービスは色んな店がやってるから、じゃあどこにすれば良いかというと『窓拭きを丁寧に行ってくれる店』を自分は勧める。っていうかうちの店だけど。俺宣伝乙。
たとえワンコイン高くても、それ以上の誠意をもってお客様のお車を大切にいたします、というサービスステーションでバイトしてる増田からのメッセージでした。
ちなみにこの話は全てフィクションです。お粗末さまでした。
人事の人は必ずいう。「うちは学歴不問。人物本位です」と。 だからないと信じたいのだけど、やっぱりあるんです。 「学歴差別」と「コネ採用」
・「会社説明会、満員で予約できませんでした」
→「えっ?僕は普通に予約できましたよ?予約画面見たらまだ空いてました」 【先着順】のはずなのに・・・
→リクナビ 上位校の学生が予約画面に入ると場合と、下位校の学生が入る場合とで、空席情報を変えて表示
→同じ時間に予約画面に入っても特定大学以上の学生には空席が多く、そうでない学生には満席の情報を
・「セミナー定員は2500名、応募してくる学生1万2千・・・
先着順で予約受け付けたら優秀な学生を取りこぼす危険がある」【医療メーカー】
・「ネット応募が当たり前になったことで応募が爆発的に増加、
選考の効率化のためには大学名によるスクリーニングをかけざるをえないのではないか」【経済同友会政策調査部】
・「目的意識を持ち、自分を高めてきた学生を取りたいのはどこも同じ、しかしそういう学生は上位校に集中しており、
東大や早慶だけ重点的に見ていた方が優秀な人材がとれると考えるのは無理もないこと」【大手金融機関採用担当者】
トヨタ・・・・・・・採用実績などから選別した大学の学生だけを対象にした説明会を実施
大手都銀・・・リクルーター制度を継続 表向きはオープンエントリーとしているが実態は上位校学生の一本釣り
そもそもスイートスポットがどこにあるか分からないっての悪意を感じる喩えですよね。 素直に言うならば、スイートスポットが大きい、のでどこに当たっても良く飛んでいく、じゃないのー?
最初はそうも考えたんですが、こと「好き」に関して言えば、「何でも好き」と「誰のことも特別好きではない」とがイコールになるという現象があるので、「スイートスポットが広い」と「スイートスポットが無い」がイコールになるような表現にしないとマズいよな、と思ったわけです。
別に悪意を持って書いた訳じゃなくて、より実態に即した喩えにしようと思っただけ。
まあ、スイートスポットで捉えた球が飛びすぎてOBすることだってあるし、芯をはずれたあたりが上手く木に跳ねてフェアウェイ絶好ってこともあるんだから、そこはあんまり気にせずに。
http://anond.hatelabo.jp/20070824100902
むしろ元増田が友人に箔つけるための嘘ついてくれているほうがうれしい。
医学系ならK大学、工学ならK大学やK大Y大D大などに負けがちな最近の灯台。
がんばってはいるが予算と行革による教員の質の低下(能のある人なら逃げたくもなる)、
彼にとって見たくなかったものを今たくさん見せられているのではないかと心配。
行革によるバッシングの嵐のなかでプラス思考でいられたら確かに本物だけど・・・
勇気とかプラス思考をもらうだけじゃなくて、
その友人の立場や気持ちもたまには思いやって欲しいというのはわがままだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20070131154754
の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。
とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。
長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。
まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。
あとリアルで学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。
にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。
http://anond.hatelabo.jp/20070131162229
http://anond.hatelabo.jp/20070131170249
まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学は上智大学の神学部神学科です。試験は英語、世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文と面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格にキリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)
偏差値の方ですが各予備校のボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。
あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。
大学での講義の内容については、大学のシラバス、担当教官のホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生のホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。
予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。
大学に入学後にはキリスト教倫理学、日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。
とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。
これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20070131174254
お言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接で試験官にできる限りのことを伝えようと思います。
というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。
お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。
まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。
上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親がセールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科の電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みのドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校の合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。
春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学と英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当の外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。
そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学の先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートのコピーに一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生のテストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。
色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校の勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語と数学、中学三年生ごろから数学は高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校のクラブの顧問が最悪のことに私の数学の担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベルの高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手。
心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血、リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学と英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期でおしまい。担任と父親と校長と面談して高校に進学することになった。夏休みの英語と数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。
高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験で卒業式で二次試験で不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。
で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。
今でももっているのだけど私の志望は国際政治を勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。
影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャーの自伝を読んだのがある意味国際政治を勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャーの生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校の勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。
中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。
当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋のバックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府に安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。
父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋の北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)
あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本が国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁の国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁は防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。
そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターのボーダーマイナス40点だったと思う。
で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学で勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義の担当教官、国際関係学と国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学の面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。
そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。
まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センターの英語でいまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。
で、正直地元の国立の試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。
神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。
もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。
なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。
でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。
長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。