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2015-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20151001051722

満員電車で座れない対策思いついた

俺が椅子になればいい

JSJKリクスーOL専用椅子

基本空気椅子だけど疲れたら四つん這い

俺のhotなところに座ってくれて俺が嬉しいし、俺のトレーニングにもなるし、

babyたちは座れるし、babyたちの将来の座位系の体位トレーニングにもなるし、

ウィンウィン!

お望みなら、つり橋、獅子舞こたつがかり、理非知らず、乱れ牡丹、帆かけ茶臼、本駒駆け、御所車、首引き恋慕、しぼり芙蓉、手懸け、鳴門、抱き地蔵トレーニングにも付きあうZE★

って言ってるのと同じだってわかってる?

2015-05-08

長野が嫌い。

住んでしばらく経つようになったが、長野が嫌い。

全く愛着わかない。前住んでいたところだって同じくらい経てば愛着湧くようになってたのに全くわかないどころか嫌いすぎる。

考えてみると

・年に1回初夏に自治会でどぶさらいをさせられる。出欠がとられ、欠席した場合は2,000円も徴収される。意味が分からない。

隣組という名のおどろおどろしい自治組織回覧板回したりなど。

住民自治協議会というおどろおどろしい名の自治組織がある。

自治会単位花火だの獅子舞だのに協賛金を求められる。

自治会単位での運動会などがあってヨソモノのアウェー感半端ない

・白バラ会という名の選挙推進の女性自治会下部組織?がある。

移住者善光寺御開帳や北陸新幹線延伸、長野オリンピックなど外側のものにばかり固執、期待し新たに自分で生み出す気がない。

移住者してくる人がまた自然派気取りで気持ち悪い。

・車がないとまともに移動もできないのに駐車場のつくりがへったくそ

国道ですら右折入庫・出庫してきてもう激突してやりたい。

歩行者偽善的な優しさを見せ、後一台行き過ぎれば歩行者普通に渡れるくらいでも停車して歩行者を渡らせる。

県庁所在地にも関わらず県内の他の都市よりも文化芸術ビジネスに圧倒性がない。

・(長野県全体的に)おらが村にも式で小さい市町村にもホール施設分散し、スケールメリットという言葉を知らない。

ドヤ顔教育県とか言ってくる割に全国規模の大きな本屋もない。

北東北並みの気温のくせに二重サッシ、追い炊き等の住居が少ない。

・めしやがまずい。

仕事でお弁当を頼んでみても、まるで洗練されていないお重ではなく、平べったい持ちにくいやっすそうな弁当容器、パッとしないお弁当の中身。

ざっとでもこんな感じだった。もういいだろ脱出させてくれよ。そりゃ人口減少するわ。

2009-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20090605001622

日常的にじゃまじゃないなら、最中もそんなに邪魔にならなくない?

サイドを留めたり、後ろで結んだりまとめたりすれば、いつそうなっても大丈夫ですw

でも、髪をなでつけたりする姿がいい人もいるので、人それぞれだよなー。

獅子舞はなったことがないのでわからないけど、(どんだけ激しいんすかwww)

生乾きで突入すると、乾くときにごちゃごちゃになるので、先に乾かしましょう。

あと備え付けのシャンプーリンスだとあまりいいの使ってないことが多いので、要注意です。

まあそれはさておき、その前に髪を洗うと、大変じゃないですか?

自分も髪長くて、洗髪後、濡れたままにもできないしと思って乾かしていたら、

「いつまで待たせんの!(笑)」と怒られました。

教えてエロい人!

高校時代にバッサリ切って以来、30過ぎてから伸ばし始めるまでずーっとショートだった私に教えてエロい人!

セクースの時の長い髪の上手なあしらい方!

マジ邪魔、つーかうっかりすると獅子舞みたいにボッサボサになっちゃう(髪質にもよるのかしら)んだけどどうしたらいいのコレ!

2009-04-16

中国人日本人ハーフの俺も便乗したい

俺は元増田さんよりもう少し若い世代なのかな。

というか26です。

俺の母親純粋中国人で、父親は日本人というハーフ家系

ハーフと書くと聞こえはいいけど、アジア人同士のハーフなので

特に何か特徴があるわけでもなく、見た目はハーフだなんて分からないと思う。

まえおき

俺は先のエントリの方々と違って生まれたときから母親は既に帰化していたため、

本名日本名前、生まれも育ちも日本

住んでいたところも普通団地だったので友だちはみんな日本人だし、

自分母親中国人だったとは知らされていなかったので穏やかに少年期を過ごした。

ただ、今思い返すとお正月旧正月は一般的な日本とは少し違ったなあ、と思う。

ハーフを知ったとき

自分ハーフであると知ったのは、小学校5年生のとき。

保健体育の授業の一環で「母子手帳を持ってきてください」と言われたので

母親にそれを伝えたところ、母は頑なに拒んだ。

その理由を尋ねたところ母子手帳を持ってきて名前の部分(要するに帰化前の名前)を私に見せ、

「おかあさんは、これをみんなに見られてあれこれ言われてほしくないの!」と

泣きながら私に伝えたときだった。

そのとき、自分日本人中国人ハーフであることを知った。

結局私は母子手帳を「忘れた」ことにして授業をこなしたけれど、内心は複雑だったのを覚えている。

「なんでハーフであることを隠すのか」と。

ただ、母親が泣いてまで拒否した母子手帳の件があったので

ハーフであることを人に伝えることはなかった。

幼稚園の頃からの友だちが何十人かいるけれど、99%の人間は私がハーフであることを知らない。

言う必要もないと思ってる。

当時の私は小学生だったので、歴史認識も甘かったし、差別があることも知らなかった。

また、中国人の中に日本人をいまだに恨んでいる人がいるなんてことも知らなかった。

でも「戦争をして中国が負けてしまった」ということは授業で習ったので、

漠然とそのことが関係しているんだろうか、とは思った。

帰化差別について教えてもらった

そんなことがあってからだいぶ年月が過ぎ20歳を迎えたある日、

何かの拍子で母に帰化について、と母の幼少の頃、と在日特権、と差別について、を聞く機会があった。

その場には父も同席していた。

帰化について

昔は、帰化するのはものすごーく大変だったそうだ。

申請してから何ヶ月かに一度面接、自宅訪問、旦那がいるならば旦那の職歴、収入家族構成などなど。

端的にしか教えてもらえなかったけれど、まあそれはそれは大変だったらしい。

加えて、私を生んだ頃の両親はまだ若かったので(父27 母23)収入が厳しく、

一度は帰化却下されそうになったらしい。

周りの人の協力もあって何とか帰化が認められ、無事に日本国籍を取得することになった。

「なんで帰化したのか?」という問いには「そりゃ、日本が好きだからよ」と言っていた。

・幼少の頃について

母は中学までは中国教育を受けていた。

校内での会話は中国語日本語が入り混じり、かなりカオスだったそうな。

当然戦争教育も受けたけれど学校がよかったのか、はたまた時代の流れだったのか

日本は悪者だ」という教育はあまりされなかったらしい。

まあ、ある程度はされたみたいだけど、母は「いやいや私は日本好きだし」というスタンスだったので

全く興味なかったそうな。強いおかんです。

高校からは一般の高校に通い、そこで出来た日本人の友人とは今でも付き合いがあるようだし、

母自身も高校の友人を一番大切にしているのを知っている。

在日特権について

これは開口一番ズバッと。

母「んなもんあったらもっといい暮らししてただろうね。

  一部の人にはあるのかもしれないけど、かあさんみたいな普通の人には無いよ。

  親戚友人含めて、周りでそうした特権を受けてる人も知らない。」

とのこと。自分は幼い頃結構貧しい生活をしていたので、これはそうなんだろうと思う。

差別について

これは最後まであまり喋りたがらなかった。

つらい記憶を呼び覚ますのも悪いとは思ったけど、言える範囲で教えてもらった。

前述した特権については、それはもう色んなところで嫌味のように言われたらしい。

でも自分達はその特権がなんなのかも知らないし、

祖父母の意向で通名は使わなかった(持ってない)ので、特権について嫌味を言われてもただ困惑していたんだとか。

母は「悪いことしてないのに『お前は悪人だ!』って言われているのが一番悔しかった。」と言っていた。

後はありがちな名前をからかわれたりしたことをぽつぽつ話していたけれど、

何か隠している風があったので、もっとつらいこともあったのかもしれない。

そんなこんなで母の話は終わり、その後父との出会いについて根掘り葉掘り聞いてその日は終わった。

両親が合コンで知り合った仲だったと知ったのはこのときだった。

周りの在日中国人について

名前問題

母方の親戚は私が知る限り30人ほどいるんだけど、帰化している人は少ない。

確か5人ほどだったと思う。

それと、通名を名乗っている人はいない。

せっかく貰った名前を隠すような真似はしたくない、というのが主な理由みたいだけど

親戚の多くは中国人の多い地域神戸)に住んでいるので、無理に通名である必要もないのだろう。

まあ中国人通名はあんま意味ないしね。

日本についてどう思うか

これは、もうみんなめちゃくちゃ好きです。

特に男陣営はプロ野球大好き。

「この子は巨人入団して二年目だな。将来に期待が持てる(キリッ」とか言ってる。

まんま『レベルE』です。

女陣営はしょっちゅう男性俳優の話してる。

ま、普通のおばちゃんです。

関係ないけどうちのおかんは生ブラピを見たとき泣いてました。あほです。

戦争のことについては、もう起きてしまったことで仕方が無いことだという認識

というか戦争の話はもううんざりみたいで全然話題にあがらないし

聞いても有耶無耶にされちゃう。

最後に

エントリや他の方のエントリを読んで

自分環境人間もとても恵まれて育ったのを実感した。

何の差別もなく理解ある人たちに支えられて今まで生きてこれたことに感謝する。

私は日本で生まれ、日本で育ったので日本が大好きです。

納豆無いと生きていけないし、縁日やお祭は楽しい

正月初詣に行くし、

風情のある日本の文化が大好き。

中国の独特の文化も好き。

結婚式獅子舞とか、春節とか、歴史を大切にする中国は好き。

でも、パクリ文化はよくないよね!

ただ、ネットで嫌でも目にしてしまう中国人朝鮮人罵倒する書き込みは

読むと胸がズキッとする。

血統以外は日本製なのに、なんでなんだろうね。

遺伝子レベルでのことなんだろうか。

逆に中国朝鮮の人たちが日本を罵ってるのを見ると

やっぱり胸がズキッとする。

私は中国に知り合いがいなし中国語はからきしなので

まずは日本の方に伝えたい。

少なくとも、自分と、自分の周りにいる中国人日本日本人も好きです。

まあ50人ぐらいしか知らないけど、そういう人もそこそこいるんだってことは

知って頂けるとうれしいです。

文章がなんだかぐちゃぐちゃになってしまった。

乱文ですいません。

おまけ

中華料理お菓子を食べる機会があったら、

料理

大根

お菓子

・馬拉糕(マーライコー)

・魚雲酥(イーワンソー)

を是非食べてみてください。

安価でとても美味しいです。

2009-02-13

小学校時代

髪をストレートにする秘訣は熱いお湯に付けた後乾かさずに寝ることだ

と友人に教えた。

次の日獅子舞みたいな髪形の友人が登校して来た。

彼女は些細な嘘にもよくだまされてくれた。


中学時代

弁当のメニューではゆで卵が好きだという友人に

手軽にゆで卵を作る方法としてレンジチンをすすめた。

次の日に鬼のような顔で叱られた。

実にイジり甲斐のある性格だった。


高校時代

何度も古文の活用変化の同じ場所でつまづく俺をみかねた彼女

急に耳が悪くなった俺のために教室内で何度も大声で「あなる」を連呼した。

テストは俺のほうが点数がよかった。

自分のことのように喜ぶ彼女に今度は俺がアナルについて口頭で詳しく教授した。

しばらく口を利いてくれなくなったが。


今日

俺と住居、苗字を同じくすればいかに幸福になれるかについて彼女に熱弁を振るった。

彼女は今回も俺の口車に乗ってくれた。今、笑顔が直らない

2007-11-21

三千世界の烏を殺し、主と昼寝がしてみたい


25日 12:10

呪泥怨愚を名乗る犯人から最初の電話があった。

「呪泥怨愚だ。息子をあずまんが大王みのもんたを用意しろ」

電話をとったのは、家族の長であり、一家の大黒柱を自負する失職中の夫。夫は、犯人の声を聞き、息子が誘拐された事を即座に理解すると同時に自分の命よりも大切な息子を失う未来想像し恐怖に襲われながら、毅然とした態度で答えた。

みのもんたは無理だ。今おもいっきりテレビに出ている」

「じゃあ、息子は諦めラメロスペシャル

「待て。他の条件ならのもう。みのもんた以外の条件だ」

みのもんた以外の条件はのめない」

それから夫と犯人押し問答が繰り返されるが、犯人の要求は断固として変わらず、挙げ句には「みの」「みのも」「もんちゃん」「みもんた」などの呼び方を使い始め、夫は戸惑うばかりであった。そのやりとりおもいっきりテレビが終わるまで続いたが、犯人は「また明日連絡する」とだけ言い残し、電話を切った。

夫は緊張と疲労でその場に崩れ落ちた。

後に夫は語る。

「腸が煮えくり返るような犯人への怒りと、首筋に氷を押し当てられたかのような息子を失うことの不安を同時に感じていました。まさに冷静と情熱の間でした。いや、とにかく、恐ろしかったです」

26日 12:08

呪泥怨愚から二回目の電話電話をとったのは依然失職中の夫。今度は傍らに妻が、そして周囲には警察がいた。

「呪泥怨愚だ。息子は東幹久みのもんたを用意しろ」

「何度も言わせるな。みのもんたは無理だ。息子を返せ」

「それなら取引はお終いだ」

警察からの引き伸ばしてのジェスチャーがされる。事前に犯人との会話を出来るだけ引き伸ばすよう説明を受けていた夫だったが、極度の緊張と、息子を思い一睡もできなかった事による疲労の蓄積が、彼に冷静な判断をさせなかった。

夫は受話器に向かって叫んだ。

「お終いも獅子舞もあるか! 息子を返せ! さもなくば、さもなくば」

激昂する夫に、止めようとした警察も、泣いていた妻も注目し、その後の言葉を待ったが、別段考えがあったわけでもない夫は恥ずかしそうにもごもごと呟いた。それぞれは持ち場に戻った。

「さもなくば、息子は帰ってこない。みのさんを連れて来い」

そしてまた、犯人により電話は切られた。

とたん、警察が動き出す。ピザ屋に偽装した刑事は傍らのラーメン屋バイトに偽装した刑事と素早く情報を交換する。「逆探知は」「携帯電話から。近くです」「連絡!」「もうしてます」「よし」「発見しました」「早いな!」「しかし」

警察の大人数を導入した捜索により、電話開始より12分で犯人携帯電話発見した。

しかしそこに犯人の姿はなく。電柱にくくりつけられた携帯電話と、携帯電話セロテープでくっつけられた糸電話があるだけだった。糸電話の向こうに犯人がいるはずと糸を辿り走り出した若い刑事現在行方不明である。

27日 12:22

三日目。まだ電話はかからない。

電話機の前に、腕を組む夫、泣き続ける妻、声を潜めて何事かを話し合う警察の面々が揃う。

テレビにはみのもんたが映っている。わずかに眉間に皺を寄せ、悩み相談の声を聞いている。

夫は憎憎しげに吐き捨てた。

「悩んでいるのはこっちの方だ……」

そのときだった。

顔を伏せて泣いていた妻が、電話に飛びついた。電話機を抱え、いつの間にか手に持っていた耳かきで、止めようとした警察と夫を牽制する。

妻は血走った目でどこかにコールする。やがて、コール音が止むと、妻の目はまた潤み始めた。

みのさんですか?」

モニターの中で、みのもんたが、答える。

「何か、お悩みですか。奥さん」

妻は泣きながら、息子が誘拐されている事をみのもんたに話した。警察電話を止めさせようとするが、妻は既にみみかきを半分以上耳の中に入れていて、危なくて近づけない。夫は大人しかった妻の言動に驚くばかりであった。スタジオにいた芸能人達も、突然のハプニングに騒然とした雰囲気となるが、みのもんただけが表情を崩さず、冷静な声色で相槌をうっていた。

「それで」「うん。それは酷いね」「そう」「なるほど」「奥さん、偉いよ」「わかった」

妻が語り終えた後、泣き声が止むのを待って、みのもんたはやさしく声をかけた。

「それで奥さん。どこにいけばいい?」

妻が息を呑み顔を挙げ、テレビの中のみのもんたを見た。夫も警察モニター凝視して、ぽかんと口を開けている。モニターの中のみのもんたは、そのどこを見ているかわからない危うげな目線で、確かに妻を見ていた。そして、みのもんたスタジオをあとにする。テレビカメラがそれを追いかける。みのもんたは迷いなく日本テレビ階段を上っていく。みのもんたエレベータを使わない。一歩一歩踏みしめるのが好きなのだという。そうやって生きてきたのだ、恥ずかしそうにインタビューに答えた事がはるか昔に一度だけあった。

みのもんた日本テレビの屋上の扉を開け、吹き込んだ風に目を細める。そこには既にミノコプターが用意されている。

夫の携帯電話犯人から電話がかかる。

「呪泥怨愚だ。そのまま、真っ直ぐ東に飛べ」

28日 8:20

突如、ばりばりという音が響き渡り、驚いて夫と妻が家を飛び出すと、黒光りするミノコプターが目の前の道路に着地するところだった。強風に目を細めながら、夫婦は見た。ミノコプターの扉が開き、そこから最愛の息子が降り立つのを。

しかし、そこにみのもんたの姿はなかった。

28日 10:30

一人の刑事子供の戻った夫婦の元を訪れる。

笑顔の戻った妻が、刑事を迎え入れた。

「息子さんが戻って、本当に良かった」

ありがとうございます。あなた方のおかげです」

「いえ。今回警察は何もできなかった」

「そんなことは」

「そんなことはあります。奥さん。我々はあなたにしてやられてしまった」

妻のコーヒーのカップを持つ手が止まる。まだ夫は刑事言葉を理解できない。刑事は止まった空気を振り払うように手を振り、にこやかに笑う。

「いや、奥さん。そんなに睨まないでください。私は私の見解を述べているだけです」

妻は、刑事の動向を探りつつ、コーヒーを飲む。

「ですが、聞いてください。これは刑事の独り言。ある事件の顛末です。子供誘拐から始まったその事件の犯人母親だった。もちろん誘拐狂言。最初の電話母親パート先に記録が残っている。出たのは夫だ。意味不明言葉を混ぜる事で、夫にばれないように工夫しているつもりだった。夫は気付かず、事態は思った方向に進む。次からは母親電話にはでない。電話をしたのは誘拐された息子。母親は息子が誘拐された悲しみで精神変調をきたした役を演じる。そして、茶番テレビの中に飛び火する。全てはそのため、みのもんたを引きずり出すため。何故このような手順を踏んだのか。それはみのもんたを試す意味もあった。手の込んだ嫌がらせともとれます。でも真相はもっと捻じ曲がった所にあると思います。私がこの荒唐無稽ストーリィを思いついたのは、私がそのような荒唐無稽な思考を行う人間達を知っていたからです。その人間達は、タモリ同盟と呼ばれている」

「ふふ、ふふふふふふ」

突如笑い声を上げた妻に、夫と刑事はぎょっとする。

「失礼。あんまり面白い事を言われるから。でも、いいんです。好きですよ。そういうの」

「そうですか。一つだけ聞きたい。今みのもんたはどこに?」

「知りません。知る由もありません」

妻は窓の外を眺め、呟く。それは彼女の本当の主人が言った言葉

「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」

28日 11:55

霊峰富士。かつて天皇不老不死の妙薬を燃やした場所。

「こんな形で、お呼び出しして申し訳ありません」

「いやいや、驚きました。ですが、こんな形でしか、ありえないでしょう」

「では始めますか」

「では」

互いが互いにマイクを投げつける。

太陽は真上。容赦のない紫外線が二人の男に降り注ぐ。だが二人の男は不敵に笑う。

黒いサングラスは何のためだ。必要以上に黒い肌は何のためだ。

太陽を制するため』

男達は笑いを止める。

目の前の男は同じく覇道を歩むもの。だが王は独りでいい。

二人の昼の王は、互いに歩き出す。次第に歩みを早め、そのスピードが、空気との摩擦熱が炎となって二人のスーツを焦がす程になった瞬間、二つの影は交錯した。

20年続いた「午後は○○!思いっきりテレビ」が終了。これはその終わりに起こったことだ。

第二回ファック文芸部杯参加

http://throw.g.hatena.ne.jp/sasuke8/20071130/p1

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