はてなキーワード: 独善とは
その後、スティグリッツやクルーグマンが新自由主義批判を行いますが、ここからは日本に焦点を絞って考えようと思います。
日本人は元々「ワーカーホリック」と呼ばれるほど異常に働いてきましたが、
なぜかと言うと日本は経済成長のおかげで、ほぼ非自発的失業がない完全雇用に近い状況にあり、
「働きすぎによって他者の雇用機会を奪う」社会への悪影響があまり認知されてこなかったことが大きな要因のように思います。
しかしその中でも若い人たちの間で、特にバブル期頃から
「自分らしさ」とか「がんばれば夢はかなう」といったような主張をan・anやHanako系の雑誌が行い
フロムAが「フリーター」なる造語をつくり「アルバイトでも正社員でもない第三の働き方」とポジティブに扱うなど、
「脱・社蓄的働き方」志向は芽生えてきていたように思います。(香山リカ調べ)
しかし残念なことに「社蓄」の皆様は自分たちの働き方を否定するような彼らの生き方を
「いつまでも夢見てるんじゃない」、「早く大人になれ」などと非難し、
彼らの生活が困窮したときにも我らが日本人が大好きな「自己責任」論を浴びせました。
しかしバブル崩壊の大波が彼ら正社員たちにも大きなダメージを与えました。
企業は正社員をコスト削減の名の下に非正規労働者へと変えていき、労働者の平均賃金は上昇しなくなりました。
ここでケインズの主張に立ち戻ってみると
「むしろ賃金の引き下げが総有効需要の構成要素であるところの消費と投資を減少させ、雇用状況をかえって悪化させる」
という負のスパイラルが日本の不況をさらに悪化させた側面は否めないと思います。
ケインズは賃金引下げが総需要を引き上げる効果を持つためには資本の限界効率が上昇する必要がある、としていたため、
フリードマンらにが将来にわたる所得が消費を決定付けるという仮説の下では総需要は増加する、と反駁されていました。
しかしながら、フリードマンらの「恒常的に得られる所得」というのはすなわち身分の安定がもたらすものです。
したがって所得が不安定化したばあい、消費が収縮し、貯蓄傾向が増し、投資が減少するのはありうべき事象でしょう。
こうなると負のスパイラルから、一度正社員の身分から脱落した人間、または正社員になれなかった人間は
なかなか正社員の身分に戻ることができません。
本来は供給過剰に陥った社会の需要を喚起して、失業者を正規労働者へと回収していかなければならないのに、
経済が成長していかない状況になると、企業は新たな投資(人材含む)を行うことに躊躇し、
利益を出すためにコストをカットし、ますます投資と消費を減衰させました。
企業はバブルの教訓から、労働者雇用の硬直性が不況時に大きなダメージをもたらすことを警戒し、
オリックスの宮内氏に代表されるような企業側の圧力から、政府は1999年、2004年に構造改革の名の下に
労働者派遣法を改正し、対象業種を拡大し、製造業においても派遣が認められるようになりました。
2008年の金融危機以降、本来労働者の味方であるべき労働組合は
正社員の雇用を守るので精一杯、と派遣切りに対して何の行動もしてきませんでした。
これははっきり言って組合と使用者の「共同犯罪」だと思います。
2008年の10月以降の失業者のうち、
正規雇用者は僅かに6000人、非正規雇用者は12万人以上といわれています。
労働組合がこのような事態を甘受していたのは明らかです。
このようにバブル崩壊以降、日本の労働組合は自らの権利を守るために、
他者を犠牲にする、という戦略の上に使用者側と交渉をしてきました。
この状態こそが、ブラックに勤める正規雇用者を我慢させる要因だと思うのです。
正規雇用者(労働組合を構成)は自分たちが誰かの犠牲の上に守られていることを自覚しているため、
自分がその犠牲者側に回ることを極度に恐れているのではないでしょうか?
しかし正規雇用者がそのように思うのはあまりに当然で、非正規労働者は実際にその労働に対して十分に報われていません。
ここで注意したいのは非正規雇用者にとっての正規雇用者も、正規雇用者にとっての非正規雇用者も
憎むべき敵ではなく共に働く仲間である
という当たり前の事実です。
これを憎んでしまうと、非正規雇用者は正規雇用者の権利を奪おうとするし、
正規雇用者はますます非正規雇用者との関係をとろうとはしなくなるでしょう。
非正規労働者が「不当な扱いを使用者から受けている」わけです。
そのことによる労働ダンピングによって正規雇用者もまた苦しんでいます。
非常に当たり前のことですが、労働組合の力とは組織率、数の力です。
非正規雇用者と正規雇用者は対立するのではなく、共闘すべき存在なはずです。
ここまでを整理しますと
①日本は戦後ずっと右肩上がりで成長してきたために、失業問題に大きく悩まされる時期があまりなかった
②それがゆえに社蓄の害が単に個人の人生観に回収され、社会的問題とならなかった
③バブル後の増加した非正規雇用者の悲惨な状況を見て(または未必に協力して創出し)失業への強い恐怖を抱くようになった
④失業への強い恐怖から、不当労働行為を甘んじて受ける(法律上は勝てても経済体力的に持たないという理屈もあるだろう)
という流れかと思います。
提言編に続きます
素人です。
ですのでこの項に登場する経済学者の言説は大いに誤った解釈をしている可能性が高いです。
でも気にせず逝きます。
*クソ長くなったので先に結論部分をまとめます
②ケインズの理論に欠点があったために、労働市場の積極的改善というその利点もろとも葬られてしまった。
④その為労働力ダンピングや失業率の高止まりが防がれにくい素地が築かれた。
後編:日本においてブラックがのさばっている理由についての考察
①日本は戦後ずっと右肩上がりで成長してきたために、失業問題に大きく悩まされる時期があまりなかった
②それがゆえに社蓄の害が単に個人の人生観に回収され、社会的問題とならなかった
③バブル後の増加した非正規雇用者の悲惨な状況を見て(または未必に協力して創出し)失業への強い恐怖を抱くようになった
④失業への強い恐怖から、不当労働行為を甘んじて受ける(法律上は勝てても経済体力的に持たないという理屈もあるだろう)
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まずブラック企業がのさばりやすい理由、つまり労働力のダンピングがおきやすい理由を最初に考えた(としてください)のはアダムスミスみたいです。
「使用者達は、暗黙のうちに、しかし恒常的かつ一様の団結を結んで、労働の賃金を実際の額以上に上昇させまいとしている。
我々がこのような団結をめったに耳にしないのは、誰もが耳にしないほどそれが通常の、ものごとの自然の状態といっていいものだからである。」
また労働争議の段に際しては
「それまでの蓄えから、使用者は1年から2年耐えられるのが普通なのに対し、
労働者は仕事がないと1週間で困窮するのがほとんどで1ヶ月耐えられる労働者は稀で1年持つ人はまずいない。
長期的にみれば、雇い主にとっても労働者が必要だとしても、その必要性は切迫したものではない」
あらかじめ使用者側にハンディを負わせないと(つまり自由を制限して)労働力のダンピングが起きてしまう、
アダムスミスは良く知られているように自由放任を是とした学者ですが、
こと労働市場に関しては、積極的に自由競争市場を作り出す必要性を主張していました。
しかしアダムスミスの後、デヴィッドリカードらから連綿と受け継がれてきた
自由放任主義にはこの視点が欠けていました。
「労働市場も自由競争させれば、労働の需要と供給は長期的には均衡する」と考えていました。
20世紀に登場したケインズはこのような自由放任主義に対し「貨幣改革論」の中で
「現在の状況に対して長期的な視点と言うのは見当違いである。長期的には我々はみな死んでいる」と強く批判しました
(ひょっとしたらアダムスミス的な意味で需要と供給の均衡を労働者が待つことができないといいたかったのかもと私は思いますが、如何せん切り貼りなので文脈がわかりません)
ケインズはリカード以降の古典派が、経済システムの調整不良の原因を貨幣賃金の硬直性に求め、
賃金体系を引き下げれば、生産物の価格低下をもたらし、それが新たな需要をつくり、
「ある個別産業について賃金を引き下げれば、それは総有効需要にも影響を及ぼす。
古典派の主張はある産業における賃金引下げが総有効需要に影響を与えない場合にのみ有効であるが、
賃金引下げが総有効需要を引き下げないという保証はどこにもない」
とし、
「むしろ賃金の引き下げが総有効需要の構成要素であるところの消費と投資を減少させ、雇用状況をかえって悪化させる」
可能性すらあることを示しました。(つまり賃金引下げがもたらす総需要減と生産価格の現象がもたらす需要増の比較で、いつも需要増が大きいわけはないと言っている)
(一般理論)
ケインズの登場後、しばらくは国家が経済に積極的に関与する必要が問われ、
世界恐慌を乗り切るために世界中で(戦争を含んだ)公共事業が行われました。
時代は流れて、1970年代に入るとミルトンフリードマンらの影響を受けた新自由主義が台頭してきました。
彼らはケインズが主張していた現在の所得が消費行動を決定するという主張を限界資本効率がケインズの予想に反して逓増していたことを示し、
その乗数効果に疑問符を投げかけ、金融政策による事態の解決が最も適切な行動だと主張しました。
政治的にも英国のマーガレットサッチャー、米国のロナルドレーガンという人物を得て、
マネタリズムはその全盛を迎えます。
英国、米国ともに結果的にインフレの抑制に成功しますが、失業率が高止まりし、社会情勢は不安定化していきました。
彼らは労働市場ももちろん完全な自由競争にあるべきだと考えていました。
しかし現実には給与格差が大きく広がり、賃金に収縮性が生まれたにも関わらず
日本でも中曽根⇒橋本⇒小泉と連綿と新自由主義的「構造改革」は受け継がれてきました。
ここまでを整理すると、
②ケインズの理論に欠点があったために、労働市場の積極的改善というその利点もろとも葬られてしまった。
④その為労働力ダンピングや失業率の高止まりが防がれにくい素地が築かれた。
という感じかと思います。
後編に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20090703/p1
ホント、バカは黙ってたほうがいいよなw
論点ずらしによる逃げばっか。
要するに石蹴りが不誠実だったとか、事実とは反対の悪口が言いたいだけに
何をぐだぐだ詭弁抜かしてるんだって話だよなw
mojimojiとかもそうだけど、とにかくはてサって不誠実で独善的だよな。
なんで実務家がつきあう必要があるってんだよw
まあ石蹴りはラディカルではあったが、自分がラディカルであることを自覚したうえ
で、具体的事実に基づいて、相手を丁寧に説得しようとしていたよな。はてサみたい
に「お前、答えろ」なんて書き方はしなかった。
http://s03.megalodon.jp/2009-0704-2144-01/d.hatena.ne.jp/barcarola/?of=0
だからはてサと違ってデムパ扱いはされてなかったと思う。
君の考える「当たり前」とか「べき」は1円にもならないことに気付くべき。
自由参加なら喫煙者と嫌煙者は対等。離れて座るもよし、どちらかに合わせるもよし。
仕事の場合はどうなんだい?変な建前論は抜きにして考えてみろ。
あと、喘息とか話を飛躍させないように。そんなこと何処にも書いてない。
叱られても『「公共の場でタバコを吸うのが非常識だとおもいます」と言い分を変えな』かったんだろ。単なる独善的な正義の押し付けじゃないか。
そういう所は早めに木っ端微塵にしてあげないと、そいつのためにならない。
ついでに、この話とは別に、一般論として。
仮にそういう病気を持っている場合は、先に上司へ報告しておかなくちゃ。
プライバシーに関わる事だから誰にでも言う必要はないけど。
それで、クライアントに対してある程度面識が有り人間関係ができている上司から角が立たないよう事前に伝えてもらうのが最もスマート。
まーねぇ。
ごく単純化して言ってしまえば、甘やかされた子どもが、独善的な正義の味方ごっこ
をして悦に入ってるようなもんだからね。子どもならまだ可愛いんだけどさ。
いい年した大人が、幼稚で肥大しきったエゴと自意識でぱんぱんに膨れ上がって、自らを
無条件に「正義の側」にしてくれるアイテム(いわく、左翼思想、反戦思想、フェミニズム、
その他諸々)を独りよがりに振りまわすことに必死な図、そしてその歪な論理で「正義の側」
に立って他人を罵倒することを思う存分楽しむ図、というのは、ぶっちゃけ滑稽なだけ
なんだけれども、当の本人だけはそのことに気がつけないんだろうねぇ。
そんなんだから、自分にもなにか非があってそれを指摘されたり批判されると過剰反応して
逆切れすんだろね。ま、切れる体裁はなにか適当な理屈をこじつけるだろうけど、根っこに
あるのは「この私が問答無用で正義なんだから私の言動はすべて正当化される。おまえら逆らうな」
「こちとら「正義」の言説を一席ぶっていい気分(ここ重要)なんだから水さすんじゃねーよ」ぐらいが
いいとこだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20090408010237
痴漢の対処法!!回答No.8(http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1567558.html?ans_count_asc=0)によれば、警察では痴漢にあいやすいタイプとして
という特徴をあげてるらしい
「露出度が高い」なんてどこにも出てこないよ。むしろ地味で真面目なタイプがターゲットとされてることがよく分かる。制服なんか危険因子なのにそれを着て通学しなきゃいけないという状況があるわけで。
でも実際に出会った極悪人は俺が単純に考えるような発想とは全然別の、もっと独善的で独りよがりな考え方(チャラチャラしてる奴は襲ってもいい)で自らを無理やり正当化していた。
世の中の悪人がそんなぶっ飛んだ善悪で行動しているとしたら、犯罪の標的にならないためにまじめな服装をするのは意味があるだろう。
の方が一般的だったらまったく逆効果のことをしているわけだけど。
そう、まさに逆効果のことがされている。
性犯罪をするのは「弱きを助け強きを挫く」タイプの(男気のある?)極悪人じゃなくて、単純に「抵抗できそうにない相手をいたぶることに快感を覚える」卑劣なタイプが多いからじゃない?
そもそも性犯罪を行う理由って性欲の発露というよりは支配欲を満たしたいからだと思えるし。
そういう卑劣なやつだからこそ自分が犯行を行う理由を被害者の女のせいにできることを強みに犯罪を行ってるんだと思うよ。正義感が強いから「女が悪くなければ襲わない」んじゃなくて小心者だから「女のせいにできないなら自分に圧倒的に不利だから襲わない」だけ。
追記:
このエントリーよりもっとちゃんとしたソースがあるのでそちらへのリンクも貼っておきます。
http://anond.hatelabo.jp/20090407233946
あと、このツリーの大元になっているエントリー(レイプは警察への通報率が4%しかないというデータ)
http://anond.hatelabo.jp/20090407112150
ここから派生して、通報率が低いのはなぜか→被害者の落ち度がことさら責めたてられるからではないか→「露出度の高い服装が被害者の落ち度と決め付けられることの理不尽さ」という話になっています。
個人的には露出度が高いというのは実際には狙われる理由にはなっていないからその決め付けは理不尽、というのと共に、露出度が高いことと強姦していいことは当たり前ですがイコールでは結ばれないので(性行動の自己決定権の問題)、その意味でも「露出度が高ければレイプされてもやむなし」という言説には問題があると思っています。
一般的に性犯罪者が狙うのは露出が高い相手ではなく単におとなしくて抵抗できそうにない相手。通報されるリスクを考えてやるなら当たり前の話だわな。
その「一般的」が何を根拠にしているかわからない。
俺だってもし犯罪者だったらって考えたら単純に通報されるリスクの低いおとなしそうな人を狙う方がいいって考えると思う。
でも実際に出会った極悪人は俺が単純に考えるような発想とは全然別の、もっと独善的で独りよがりな考え方(チャラチャラしてる奴は襲ってもいい)で自らを無理やり正当化していた。
世の中の悪人がそんなぶっ飛んだ善悪で行動しているとしたら、犯罪の標的にならないためにまじめな服装をするのは意味があるだろう。
の方が一般的だったらまったく逆効果のことをしているわけだけど。
私の出身地では,公立図書館は主婦と退職者のたまり場になっている。
購入リクエストも流行の大衆小説とか料理本とかそんなのばっかりだ。ひどい話だが大作や血液型占いまで入ってる。
「利用者のニーズ」を優先して蔵書を構築していくととんでもないことになる。が,それを無視して教養主義に走ったところで独善的の謗りは免れないし,利用指標が落ち込んで予算削減,下手をすれば廃止検討対象になるのは目に見えている。困るよなあこういうの。
公立図書館の使命は知る権利の保障だと思う。「真理はわれらを自由にする」だ。報道・学術・基礎資料だけあればいい。娯楽本は市場の流通にまかせる。書店や貸本屋でいいじゃない。と理想論をはきたくなるがそれじゃ絶対に現実は回らないんだよなあ。むむ。
最近、ブログやtwitterとかの発言で、すごくはてブのコメント、特にネガコメに神経質な人いるよね。
特に100件以上のブクマがつくと、もういちいち反応しちゃうのやめとけといいたいんだよね。
はてブを「ブログのコメント」とか「掲示板のレス」とかと同じに考えてしまってるんだよね、そういうひとたちって。
確かに、僕だってmixiのコメントが100件来たら「おれ、注目されてる?人気者?」って勘違いしそうになる。
でも、実はブックマークしてる側ってのは、全然ブログ主とかついったったーなんてあんまり興味ない。
あるのは「コメントした発言・記事」に関してのみ。
記事が相手だから、新聞読んだ爺さんみたいに独善脳内垂れ流せるわけ。
記事の向こうに人間が居るって、新聞やワイドショーみてあんまりおもわないでしょ。それと同じ。
ネットってのはカンタンに双方の感情がもろにでやすいメディアだから、一見自分自身を否定されたように思えてしまう。
でも、実はそんなに思ったより他人は自分に興味ないんだよね。
みんな一週間たったら大抵忘れ去られてしまう、そんなものなんだ。
だから、あえていいたい。
あえていえば、増田以上小町以下、これくらい距離をおいて読んでみると頭が軽くなると思うよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090218005155
村上春樹:「常に卵の側に」( http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html )でハアレツに寄せられたコメントの一部です。
http://www.haaretz.com/hasen/objects/pages/ResponseDetails.jhtml?resNo=4542207&itemno=1064909&cont=2
Title: To Mr. Murakami: a few words of reply from an egg
Name: A Philosopher
City: State:
First, let me welcome you to the region. Second, I would like to disagree with you about your description of literature as a skilful lie. A lie must, by definition, involve malice, deception, whereas literature is about imagination: there is no malice about that. Unfortunately, much of what you hear lately on international TV about Israel are indeed lies, not even fiction. You say that Israel is the wall and the Palestinians are the eggs, just because we have Tanks. You tend to forget that the Palestinians are part of more than one billion Muslims in the world, many of whom would like to get rid of Israel if they just could. You also forget that if the situation were reversed and the Palestinians were instead in possession of tanks, there wouldn`t be any eggs left in the middle-east. The wall we build is exactly to protect us, as eggs, from the wolf lurking outside. And If the terrorists didn`t use their own eggs as shield, they wouldn`t break either. All the best to you.
題:村上さんに卵からいくつかの回答
まずは、中東までご苦労さまでした。で、技巧に富んだ嘘として文学を称された件については賛成できません。嘘とはその定義によれば、悪意やごまかしを含んでいるのに対し、文学は想像力に関するものであり、悪意はありません。不幸にもイスラエルに関してあなたが国際報道で目にしたことはまったくの嘘であり、創作でさえありません。イスラエルは壁でパレスチナは卵だとおっしゃられますが、たまたま戦車が私たちにあっただけです。お忘れのようですがパレスチナは10億以上の人口を抱えるイスラム世界の一部です。その多くがもし可能ならイスラエルを消滅させたいと願っています。逆の立場で考えればパレスチナ人が戦車を持ったら中東から卵は消え去る事も思い出して下さい。外をうろつく狼から身を守るためだけに私たちは壁を作ったのです。テロリストが自分のところの卵を人間の盾に仕立てなければ、割れることもなかったでしょう。
http://www.haaretz.com/hasen/objects/pages/ResponseDetails.jhtml?itemno=1064909&resNo=4543094
Title: Like Quixote tilting at windmills
City: Barcelona State:
I don`t doubt that this fellow`s books may be addictive, but I do doubt the value of getting hooked on stories that are all, apparently, based on a false ontology of the world being clearly divided into "walls" and "eggs." As talkback #1 points out, even tank-drivers have their fragility, and to deny their humanity by summarily labeling them "walls," and considering them to be part of some chimerical menace called "the system," is to paint a thin veneer of chivalry over a rotten base of moral recklessness.
What`s been going on in Sderot over the last several years? Have Gazans, driven to desperation by the evil system-monster, been left with no option but to toss their eggs against the walls that surround them? Is it evil for people on the receiving end to retreat unto bomb-shelters (aka "walls") against which these eggs can`t help but break?
Mr. Murakami, walls don`t break eggs unless there is someone throwing those eggs.
題:まるでドンキホーテ
彼の本がやみつきになるのは私も否定しないが、与太話、明らかに間違った本体論、つまり「壁」と「卵」とに世界を分類するというのは何の意味もない。1番目のコメントが指摘するように戦車の兵士だって(卵のように)壊れやすい。あっさり彼らを「壁」とひとくくりして、「システム」という名のでっちあげた脅威にしたてるなんて、わけわからん理由で廃屋に挑む騎士のようなもんだ。スデロット(Sderot)でここ何年もなにが起きている?ガザの連中は悪のシステムモンスターのせいでやけっぱちのやけくそで自分とこの卵をぐるりと囲む壁に投げつけたというのだろうか?シェルターに追いつめられた(これも「壁」だよね、卵は仕方なしに投げつけられて壊れる)人々が邪悪だって?村上さん、誰かが卵を投げなければ壁は卵を壊さないんだよ。
http://www.haaretz.com/hasen/objects/pages/ResponseDetails.jhtml?itemno=1064909&resNo=4543134
City: Amsterdam State:
bit folish to say that the only option is that the hurt civilians are the eggs and the israeli tank and bombs are the wall. Never thought that the israel people are the eggs in a small basket called eretz jisrael which is surrounded by a rather large muslim wall?
No fiction here mr , just hard facts.
Kind regards from the Netherlands
題:壁と卵
負傷した人々が卵でイスラエルの戦車や爆弾が壁だとしか言えないなんてちょっとまぬけだね。もっと大きいムスリムの壁に包囲されたイスラエルの地(eretz jisrael)という小さなかごにいる人たちが卵だって考えなかったのかね?フィクションじゃないよ、ちゃんとした事実だ。
http://www.haaretz.com/hasen/objects/pages/ResponseDetails.jhtml?itemno=1064909&resNo=4543210
Title: re #5
Name: B
I get where you`re coming from because I`m tired of utopian solutions from dreamers in Europe.
But I believe Murakami is a guy who also understands the tank driver and our kids in Sderot. I know we`re not used to having media acknowledge our citizens as people, so we get defensive, but I give Mr. Murakami the benefit of the doubt.
From his speech I feel he`s criticizing the entire system that has our neighbors trying to destroy us in the first place and the world legitimizing it and the common acceptance of boycotting Israel because it`s the in thing to do. This guy is acknowledging our fight to overcome this as individuals and as societies.
This guy is deeper than our critics from Europe, and this guy is a novelist, not a critic.
In Norwegian Wood he painted a really accurate picture of some self-righteous university organizations, quite similar to many of our critics. All I`m saying is before dismissing him or arguing, see that he`s not picking fights or sides.. besides us eggs
ヨーロッパの連中が言うユートピア的解決にはもう飽き飽きしちゃうよね。
村上は戦車の兵士やスデロットの子供たちも理解していると思う。メディアはぼくらを人間あつかいしないから、防戦一方だけど。でも村上さんに対して性急な判断は控えたい。ぼくらのご近所さんがイスラエルを破壊しようとしている事、世界がそれを正当化しようとしている事、イスラエルボイコットの考えが一般化する事を強制するシステム全体を非難しているようにぼくには思えた。こいつは僕らの戦いが個人として、社会として克服されるって事を知ってる。
ヨーロッパの評論家よりずっとわかってるし、彼は小説家であって評論家じゃない。
ノルウェイの森に出てくる独善的な学生運動家は評論家連中みたいで、きっちり描かれている。彼のことをくさす前に、論争を挑んだり一方の側につくつもりがないのを理解しないと。
ごめん、実は一番肝心なこと書き忘れてた。
とりあえず明日実家に帰るので、妹や親にいろいろ確認してから今後のことを考える。
いろいろ聞けないのは電話やメールでのやりとりだったから。まだ心の準備もできてなかったし。
やっぱこういう話は面と向かっての方が話しやすい。幸い実家もそう遠くない。
妹の状況もだし、福祉行政についてもまったくわからない状況なので、これからいろいろ勉強しなきゃいけない。
もちろん、妹がどうしたいかは重視するし、何から何まで俺がするつもりはない(というかそんな余裕はない)。
なんか他の増田やブクマでも勘違いされてるみたいなので明記しておくけど、
別に俺は妹を俺の思うがままにしたいわけじゃない。
状況もろくすっぽわからないのに、30年後の心配をむやみにしてるのにツッコミいれたくなるのはわかるw
先走りすぎもいいところだw
俺が元のエントリを書いたのは、最悪の時の覚悟と、その対策を練っておきたいからなんだ。
変な話だが、今回の件が発覚する以前にも、「もし自分が障害者になったら」と考えたことがある。
手が使えなくなっても本くらいは読めるだろう、腐るほど読みたい本はあるから困らないと、
まあ障害を負ってもどう趣味を満喫して楽しく生きるかっていう妄想なんだけど、
まさか自分の妹が障害を持つとは思わなかった。
歩けないのは妹だ、OK。そして俺は障害者の家族になっちまったんだ。
そんなこと、まったく考えたことがない。
親が認知症になったんならまだわかる。でも妹がどうかなるなんて想像だにしなかった。
俺が言いたいのは、障害者の家族として「俺には何ができるのか」ってことなんだ。
だから独善的だし、先走ってる部分があって、それが一部の増田に不快感を与えたんだと思う。
「障害者になる」ってのも、もちろん大変だ。
まだ実感がないし、何をしたってわけじゃないからわからないんだけど。
なんか「当事者」ではない「関係者」っていうスタンスが気持ちが悪くて、混乱してる。
明日、実家に帰って話聞いていろいろ調査しないと、今後どうなるのかわからない。
何にしろ、元ニートが障害者になったって、国からもらえる金は普通の社会人がもらえる分より少ないはずだ。
でもかかる金は同じだ。
何より、親が死んだ後も、妹も食ってかなきゃいけない。
もし妹が望むなら、俺にできることは法人化して、彼女を雇ってあげることだ。
そのためには、今の仕事の効率をもっと上げなきゃいけないし、金もそれなりに必要だ。
まあその程度の苦労なら、妹がこれから合う苦労には比べモンにならないんだけど。
あと妹の場合は、障害と結婚は別問題ね。
障害があってもなくても、結婚する意志は元々ない。
恋愛観は人それぞれ、というエクスキューズありきでだらだらと書きますが、
つまり執着心をあらわにすること=想いの強さということでしょうか?
よりよい関係には適度な執着心は必要かな、とは思うのですよ。
数年前に離婚してカップルがいて、
互いに「相手を尊重して」没交渉気味だったというか、
亭主が休日も嫁さんほったらかして遊びに行くとかそんな感じだったのね
まぁ嫁さんは嫁さんでそれに対して何も言わなかったらしいけど
で、他に女ができたのかどうかは知らないが、「もっと自由にいろいろ遊びたいから」って三行半奥さんにつきつけたんですよ
どうしようもない状況になって、それこそ離婚するしかなかったのだけど。
まぁその話を聞いた時に感じたのは、旦那しょーもねーなーっては思ったけど、
「どうして普段から相手に自分の存在を叩き込まなかったのか?」ってことなんだよね
ぷらぷら遊びに行く旦那を変えれるのは奥さんしかいない訳だし、
ぶつかるのを恐れて、より最悪な状況を生んでしまうのじゃちょっと意味なくない?って
むしろ、命惜しさにより戻すなら相手の価値どうこういうよりは自分が一番可愛いのでは?って読み取れるのですが・・・
だから結局「そこまでする価値はない」って認めていることなんだよね。
個人的には、独善があって、次に他謝があって、最終的には責任をともなった独善にたどり着くと思うのですよ
「誰かの為の行為」ってのは逃げ道を作っているだけだし、そういうのって覚悟が不足しているから簡単にダメになるし、
「自分の為にやる」ってのと比べると真剣度が足りないしね
「相手の為を思って別れを受け入れた」ってのも、
まあ一つの考えではあるけど、
「自分がこうしたいと思うからこそ、言いたいことも言うし、行為に対しても責任を持つ」という強い思いこそが大事なんじゃないか、と
そうしないとなかなか突っ込んだ深い関係にはならないし、折角付き合っているのに勿体ないよねぇ、とは思う
ケンカしなくても擦り合わせられるものかな
多少の衝突がなければ、納得できるレベルでの価値観の擦り合わせってできない気がするのだよね
そうでなければ実は相手にあまり興味がないことの証拠というか
あと、冷却期間を置いて客観的に見つめなおすってことだけど、
大ゲンカして感情的になったのをクールダウンするって意味ではいいんだけど、
疎遠になればなるほど愛情は冷めていくってのが現実なんじゃないかな
愛情って継続したコミュニケーションがあって、その過程の中で維持されていくものであり、
時間を経れば経るほど、新しい環境にどんどん慣れていき、相手を必要としなくなるんじゃないですかね。
恋愛って本質的には生きていく上で不必要なことだしね。別にその相手じゃないからって死ぬわけじゃないし。
元増田です。
えっと、仰っていることのポイントをつかめなかったのですが、
つまり執着心をあらわにすること=想いの強さということでしょうか?
いやはや、恋愛観の多様さには驚かされます。
これからもっとその多様性を勉強していかないとですね。
「あなた彼とヨリ戻さなかったら一年以内に死ぬよ」と言われれば、みんな必死になってヨリ戻そうとするとは思うんですよ
むしろ、命惜しさにより戻すなら相手の価値どうこういうよりは自分が一番可愛いのでは?って読み取れるのですが・・・
ストーカー扱いされてまで相手に付きまといたくないというのは、
私の場合、
むしろ大切な人・価値のある人に「ストーカー」「しつこいヤツ」と思われるほうが、
自身のアイデンティティ崩壊に繋がってしまう危険性がありますね。
相手の意思を尊重するというのはそれはそれで傲慢な側面はあるのではないかな
我を通すよりも、相手を尊重することに喜びを感じるのも確かに独善的ですね。逆説的でおもしろいです。
いやー、ここはきっと恋愛観の違いの最たる所ですね。
確かに付き合っている間は、お互いの変わるべきところを指摘して、すり合わせてという作業が必要になってくるでしょうね。
(それは冒頭の「ケンカ」という形ではなくても達成できること)
でも、別れるにあたって相手がどう思っているのか、それは修正不可能なのかということを充分に聞いた上で、
「私といても、彼は幸福ではないんだ」とわかってしまったので、そのバイタリティはわかなかったですね。
おそらく、相手とこのような恋愛観のスレ違いがあったら、私は変えられたくないと思いますし、別れるのも仕方ないかなと思ってしまうでしょう。
うぅ・・・恋愛って難しい・・・
http://anond.hatelabo.jp/20081109145401のコメントに対して
元増田です。(こう名乗ればいいのでしょうか・・・?)
未練タラタラだと自分が気づいた場合、会いに行く人とそのまま自分の中で処理しようとする人がいる
確かにいますね。
おそらく恋愛観の違いだと思うのですが・・・。
ただ、厳密に言うと私は「今回は」後者です。
年齢とかその時の状況とかそれまでの経験とかで変わってくるのではないでしょうか?
で、投げかけられた
自分の中で処理しようというメンタリティとその差は一体どこに生まれるのかな
という言葉。
一般化して語るには経験不足、かつどの程度まで掘り下げて語ればいいのかわからないので、
私個人の所感を。
おそらく、プライドと変な達観はあると思います。
「素直じゃない」といわれれば、それまでですが、経験上「恋愛とはこういうものだ」という恋愛観があると思います。
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私がどんなにすがり付こうと、泣き叫ぼうと、言い残した言葉を伝えようと、
(今回の場合は)恋愛はもう終わっているのです。
「やってみなければわからないじゃない!」という考えとは、根本的に違って、
「恋愛って言うのは別れを切り出した瞬間にはもう終わっていて、片方が納得しようとしまいとその恋自体は終わっているのだ。」という考え方です。
ただの倦怠期で、お互いの努力次第で何とかなるのならまだしも、
片方の努力不足の場合(もしくは努力する意志がない場合)、もしくは片方がその恋を「終わったもの」として扱っている場合ですね。
判別は難しいですが。
私の未練というのも「次はもっとこうするのに」とか「言い残した言葉がある」というよりは
「あぁ、やっぱり彼のことが好きなんだなぁ。でも付き合えないんだなぁ」というモノだと思います。
おそらく、私の場合はお互い特に努力の余地がないのが一番の理由だと思います。
大きなケンカもせず、お互いの嫌なところをあげつらうこともせず、彼の心だけが離れていった。
「ここが嫌いだから別れる」なら、直す余地もありそうなものですが、
彼がもうこの恋は終わりだと思っている。
それだけのことだったのです。
私が何をしようとしても、何もしなかったとしてもおそらく変わらないんだと思います。
「納得がいくまで」というのは、どういった状態のことを指すのでしょうか?
もう一度付き合えたら?
じゃあ付き合えなかったら?
気持ちがすっきりしたら?
それは言い残した言葉を受け止めてもらえたらということ?
別の増田さん(こういう言い方しますかね?)が仰っている「オナニー」は、
「独りよがり」もしくは「エゴ」という言葉で置き換えていいでしょうか?
おそらくそれだと思います。
結局のところ、未練を解消するためだけに片方の意志を無視して行動してしまうと、
ストーカーとなんら変わりのない独善的な行動になってしまうのかなって思います。
ちょっと不公平な気もしますが、
ふられた側ってそういうものなのでしょうね。
だから、「別れる」という相手の意思を尊重して、自身で処理するのだと思います。
おそらく結局「彼が好きなんだなぁ」という気持ちが消えるのは、
まったく別の要因な気がします。(時間とかストレスのはけ口とか)
一度終わったもの、終わらせられたもの。
自分は見限られたものに対して、何の変化もないまますがりつくことには意味がないのだと思います。
元増田記事に書いたように、弱さと向き合って、何かを変えないと、また同じ帰結になってしまうのではないかと思うのです。
もし、倦怠期のケンカの延長で別れてしまったのならお互い忍耐強さを学ばなければならないし、
恋愛感情の変化で別れてしまったのなら、本当に大切な存在だったのか客観的に見る機会が必要なんでしょうね。
自分で立ち直ってから、彼とまた恋愛を始めようと努力するか、別の恋愛をはじめるかは、結局その人次第ですが。
未練は一度終わった恋を見直してからじゃないと、ものすごい凶器になるのではないかと思っています。