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はてなキーワード: 帰り道とは

2009-04-14

スーパーレジ女の子のことがとても好きだ。

彼女のひときわ元気のよい声が好きだ。

変な茶髪が好きだ。

スーパーレジとしては非常にレベルが高いと思う。

いいところに気がつく。

背が低いところが好きだ。

一生懸命な感じが好きだ。

そばかすが好きだ。

自分が変に緊張してしまうので、いつもは彼女レジは避けて通るんだけど、

今日たまたまそこが一番少なかった。

わざわざ少ないレジを避けるのも不自然かと思い、

彼女レジを通ってみた。

化粧が変だった。

なんというか…目の周りを白くしすぎ。

化粧の練習なのか?

本人はまったく意に介していないようだが。

そういう不器用さがかわいくて、

帰り道ずっとニヤニヤしていた。

自分は普段は他人のあら捜しばかりをしているような人間なので、

他人の弱点を発見してなごむことが珍しい。

彼女についてはどんなことも可愛く思える。

2009-04-09

また春だなあ

死にそうに忙しくて

残業は出来なくて(不景気だから、でもサービス残業は禁止)

新しく引き継いだ仕事はどれも酷い有様で

よくある話、予告されてた状況とは全然違う

まったく、いつから春はこうなったんだろう

また春だなあなんて呟きながら

川沿いの道をぶらぶらと歩く帰り道

へらへらと薄ら笑いを浮かべて夜桜を見上げたら

花弁が濡れた頬に張り付いた

この桜の下には

いくつ死体が埋まってるのかななんて

羊を数えるのとは違うだろ

眠くならないな

2009-04-05

口の中のザリガニ

3ヶ月ぶりのソープ。ただのソープじゃない。手取り15万から生活費差し引いて残った2万5000円を毎月こつこつと貯めて120分7万円の高級ソープ。その3ヶ月ぶりの高級ソープでひいきにしている嬢との事後の話。

「ねえ、ザリガニとか飼ってる?」

ザリガニ?いや飼ってないけど、なんで?」

「あ、そう。ならいいんだ」

「なんだよ言えよ」

「ううん。本当何でもないんだって」

「いいから言えって。俺そういう思わせぶりな態度が一番嫌いなんだよ」

「本当、気のせいだと思うし、あたしの勘違いだと思うんだけど」自分の頑固さを知っているせいか諦めたように嬢は言った。「キスした時にちょっとザリガニの臭いがしたから」

それを聞いた自分の胸に去来していたのは怒りや驚き、戸惑いなどではなく小学校5年生の時の教室の風景だった。学期のはじめ。生き物係だった高畑くんが持ってきたザリガニを教室で飼うことになった。最初はみんな楽しそうだった。男子も女子も目新しいザリガニに、大きくてカッコいいザリガニに夢中になった。だけど飽きっぽい小学生のこと。一週間も過ぎた頃には誰も見向きもしなくなった。いつもならそれで終わりだった。飽きられ忘れられた生き物はいつの間にかいなくなる。死んだり生き物係の子がこっそり逃がしたりして。でもザリガニの場合だけは違ってた。

飼い始めて2週間目に入った頃、なんかくさくない?教室ではそんな言葉がちらほら聞こえるようになった。「なんか」と言ってもみんな「なにが」くさいのかはわかっていた。狭い教室だ。子供とはいえすぐにわかる。だから答えを知りたいための疑問文ではなく、自分が臭いと思っていることを婉曲に表現するための疑問文だった。そんな気遣いができるくらいにはみんな大人だった。だから露骨に高畑くんの前で、なんかくさくない?という子はおらず、自分の中でザリガニの臭いが許容できる悪臭の限度を超えた時に、誰かと共感することで少しでもそれを緩和させようという、仕方のない発露だった。

でも3週間目も半分を過ぎたある日。事件が起こった。ザリガニが入ってた水槽は窓側の一番前にある棚に置かれていた。最初の頃は先生も生徒達に問題を解かせてる間、暇つぶしに窓際に行ってザリガニを眺めていたりもしたのだけど、2週間目に入った頃から見ることはなくなり、3週間目に入ってからは教卓から窓際に動くことすらなくなっていた。ザリガニ水槽はそれくらい臭かった。だから窓側の列で一番前の席に座ってた立花さんがそれまで黙って耐えることができたのが奇跡のようなものだった。その日の5時間目。算数の時間。立花さんは盛大に吐いた。湯気がゆらめく吐瀉物の中には豆腐ワカメと半分になったうずらの玉子が見えた。給食中華丼とけんちん汁だった。ただでさえゲロっぽいから立花さんの胃でどのくらい消化されたのかもわからなかった。周りの子もおなかいっぱいに食べた中華丼と、立花さんのゲロのすっぱい臭いと、教室の隅々にまで染みこんでいる嗅ぎ慣れたザリガニの臭いのせいで、盛大に吐いた。次々にみんなが吐いていく様子を、廊下側の一番後ろの席で見ていた自分は、ドミノ倒しみたいだなっと思いながら吐いた。6時間目になっても掃除は終わらなかった。

その日以来、高畑くんに対するみんなの態度が変わった。婉曲的な疑問文は直接的な罵倒に。直接的な罵倒は直接的な攻撃に。そして直接的な攻撃は最後に透明な存在へと変わっていった。誰も高畑くんが見えなくなっていた。自分もその後の高畑くんの記憶がない。みんながシカトして、シカトしてることも忘れるくらいの、完全なシカトだった。唯一不完全だったのは、教室で誰かと話している時に、窓側の一番前にあるからっぽの水槽存在だった。それを見たとき誰もが一瞬止まった。何かがひっかかるのだ。でも脳はそれを抑圧し何事もなかったかのように話を続けた。不完全なのは本当にそれくらいだった。

ザリガニの臭いがする。そう言われるまで本当に高畑くんのことを忘れていた。帰り道はそのことばかり考えていた。あれから高畑くんはどうなったんだろう。ザリガニはいつからいなくなったんだろう。どうして自分は今まで忘れていたんだろう。家に着くと洗面場へ向かった。大きく口を開いて鏡を覗く。そこに映る大きく暗い穴の中には小さな赤いザリガニ高畑くんが暮らしていた。

2009-04-03

知らなかったな

危なかった

今日帰り道玉川上水に呼ばれかけてた

人生を舐めてはいけない

今まで、泥酔している奴を、心のどこかでせせら笑って軽蔑していたんだな

そういうことじゃなかったんだなと

人は人に優しくあるために、ああやって酒呑んでたんだなと、今更ながら気付いたよ

2009-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20090329205849#tb

>ってか逆に80年代築とかだとリフォームし始めるころなので、実はきれいになってたりするのにもったいねーな。

そこは、実際に物件を下見して、無理だな、って判断で結局90年代の今のやつが残ったって話だから、いいんだけど。

リフォームしてるなら、それだけ実際に値段あがってたしね。

ただの1Kのくせにウォシュレットバストイレ別のやつより高いじゃん、みたいな。

57000はそうそう、なかったね。ウォシュレットバストイレ別で63000はもっとなかったけど。

コンビニは近くにあるとうれしいっちゃうれしいんだが、結局帰り道とは違う方向だとよらなかったりするのでそんなに重要パラメータではないと思うよ。帰り道コンビニはいくつある?

ジャスコしかない63000のほうでも、もちろん駅付近にはコンビニがある。

ちなみにコンビニスーパーが近くのやつは、ほんとうに近くにあるので、

一度荷物おいてからスキップで行ってもいいぐらい。それらも帰宅時の途中にある。

63000、ウォシュレットバストイレ別の近くに、スーパーはなくてもせめてコンビニがあれば決められたんだけどなぁ。

なんでコンビニすらないねん。。。

値段が上がって、悪い所あるとやっぱり迷うわぁ・・・・。

2009-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20090329201340

おお、90年代築以降をさがしてるならそんなもんか。だったら古いといってもたいして古くないんじゃまいか。てっきり築50年を超えてるような物件かと。ってか逆に80年代築とかだとリフォームし始めるころなので、実はきれいになってたりするのにもったいねーな。

あとはバスかねー。都バス(もしくはコミュニティバス)が結構走ってて自分の行きそうな所に直通してるとかだと、だいぶ便利かも。コンビニは近くにあるとうれしいっちゃうれしいんだが、結局帰り道とは違う方向だとよらなかったりするのでそんなに重要パラメータではないと思うよ。帰り道コンビニはいくつある?

自分なら絶対周囲の治安が良くてかつバストイレ別の物件にするのだが、ま、気になるところは人それぞれだしねー。

2009-03-26

彼女と知り合ったときから今年の春くらいまでの思い出

2008-12-30

置き場所が無かったので、ここに置いておきます。

何の参考にもならないし、読んでもらいたいということではありません。

こんなこと別に書かなくても良いんだろうけど、

去年の夏、恋してました。====

記憶をもとに書いているので、多少違うところもあるかもしれません。

脚色している部分もあるかもしれません。

自分は、今年の3月まで通信制大学学生してたんだけど、

通信ってやっぱ、大人の大学生ばっかじゃん。

平均年齢30歳くらい。

だから、同い年の人なんていないと思ってて、いたとしても、

会わないだろうと思ってました。

その大学は、スクーリング以外はインターネットでやるのよ。

で、大学サイトにも学生間の交流スペースはあったけど、

何となく監視されているというか、窮屈に感じて、自分で非公式の交流サイト作ったのよ。

まあ、掲示板とかがあるだけのようなものだったけど。

それが結構ヒットと言うか、学生が集まってきて、まあ自分から見れば、

おばちゃん・おじちゃんだけでワイワイ楽しくやってました。

そしたらあるとき、僕と同い年という女の子の書き込みがあったわけ。

同い年の人がくるなんて予想してなかったから、すごくうれしかった。

女の子ということより、同い年ということの方がうれしかった。

それから掲示板で交流することはもちろんのこと、何がきっかけか個人的なやりとりもし始めました。

チャットが多かったです。

大学バーチャルキャンパスってのがあって、そこでとか、

Yahoo!メッセンジャーチャットとか、その頃の癖で未だに、

パソコン起動すると、ヤフーメッセを立ち上げてたりします。もう長いこと誰ともチャットしてないけど。。。

ほんと、チャットではめちゃくちゃ話がはずみました。

今思えば、あの、はずみようは何だったんだろう。と思うこともあります。

次第に、直接会いたいね。みたいな感じになっていました。

向こうは関西で、こちらは東海で少し距離があって、なかなか会う機会がなかったのですが、

学校イベントスクーリングだったかな)で、来ることになっていました。

当日は、学校で介助というかサポートしてくれるようなことにもなっていたのですが、

当日、体調が悪くなって来れなくなったと携帯電話(この日のために一応、番号を教え合っていた)がありました。

この日、初めて彼女の声を聞いたのですが、

第一印象は、「おばちゃんみたいな声だな」という印象でした。

今思えば、ひどいですが。。。風邪とかかもしれないし。

結局、自分と送り迎えしてくれた知人と一緒に行きました。

その日のことは、話が外れるので詳細には書きませんが、あまり面白くはありませんでした。

帰ってきたら、親父の同乗する車が子どもを引いたとかで親父が切れてたし。(幸い子どもは、ケガをしたかしていないかのレベルでしたが)

それからというもの、若干、彼女との連絡も疎遠になっていました。

あとから聞くと、仕事を始めたから。ということでした。

実家から引っ越しもして、ネット回線を引くまで時間がかかったようです。

主にチャットだったので、時間が合わなくなったというのも一因です。

メールもしたかしてないかくらいでした。

以前、その時の自分が送ったメールとか読んでみたのですが、

やけにテンションが高かったので、自分自分のこと引きました。

それで、ついにはプッツリと縁が切れました。

まあいいや。と自分でも思っていました。

1年半くらいたった頃でしょうか。

彼女からメールが来ました。

「また前みたいに連絡を取り合いたい」と。

ぶっちゃけた話、うれしかったです。

(以下、第2部のようなもの)

それから、やっぱ直接会いたいみたいなことになって、

海の近くの某所で会いました。

そこは、障害を持つ子が楽しく遊べるように知人がボランティアで始めた場所です。

一目、彼女を見た時は、「あ、この容姿なら大丈夫恋愛的に好きにはならない」という失礼な思いでした。ブサイクとかではないです。

自分は少し、人の顔を芸能人レベルで見てしまう癖があるようです。

そこで子どもたちが遊ぶ中で、二人で楽しくお話ししました。

学校のこととかです。

しばらく経って、部屋の中に入って、お茶を飲みながら二人っきりでお話ししました。

不思議と緊張しなかったです。

彼女は、先に大学卒業していました。

そして今でもどうしてか思い出せないのですが、

このときの話の中で僕の言ったことに対して、彼女は爆笑していました。

肩も軽く叩かれました。

僕はそんなに笑うとは予想外だったので、何で笑ったのか今でも思い出せません。

笑いのツボが明らかに違います。

その後、何の話をしたのかも忘れましたが、場の空気がちょっと悪くなってきました。

ようするに、ネタが尽きてきたわけです。

沈黙を破るため、「散歩に行こうか」と提案してみました。

そしたら彼女は、「うん」とニコッと笑って言ってくれました。

そのとき、ちょっとかわいいかも。と思いました。

海の方へと二人で歩きました。

僕は、電動車イス使用しているのですが、室内用と言うか、

外をバリバリ走るタイプのものではないので、速度も外だと遅いし、手が疲れてきたら彼女に頼んで押してもらおうと思っていました。

小川の橋を渡って、海まであと少しというところで疲れてきました。

頼もうとしたとき、

車イス、押そうか」と彼女から言ってくれました。

何、この絶妙なタイミング。とドキッとしました。優しくされることに弱いのです。

彼女は別に、福祉関係の人とかいうわけでもなく、ボランティアとかもしたことないし、車イスとかもあんまり押したことないと言っていました。

そんな人が、「車イス、押そうか」と自分から言ってくれたことに、ものすごい好感を覚えました。

今思えば、これが好きになったきっかけかもしれません。

車イスを押してくれて、海に向かう途中、

僕がちょっとした自虐的な冗談を言ったのですが、彼女は反応しませんでした。

少し笑うはずのところなのですが……

海に着いて、二人で並んでお話をしました。海に浮かぶ空港があるので行ったことあるかとか、こんないいところ1日中本とか読んで過ごしたい。みたいなちょっとした話です。

そして、彼女はあることを言いました。

はてな匿名くんは、将来の夢とかってあるの?」

突然のことだったので、返答に困りました。その時の僕は、将来への不安は抱いていたものの、人に話せるような明確な目標は持っていなかったのです。

「うーん。無いな。」と正直に言いました。

大学卒業したら、何か仕事しなきゃいけないとは思ってるけど、いろんな人に相談してもなかなかね……説教されてばっかり(苦笑)」と言いました。

説教?」と彼女不思議そうに言ってました。

彼女の海を見る横顔は、少し残念そうでした。

今思えば、ここで海を見ながら熱く夢を語る男というのは好感度上がるんだろうな。と思いました。

逆に聞いてみました。

彼女さんは、夢とかあるの?」

「うん。先生になりたい。あ、普通学校先生とかじゃなくて、今、寮母として働いているところの。」

彼女は、私立の少し変わった教育方針学校で働いていました。

別に宗教的とか怪しいとかいうのではないです。

生徒同士が協力してログハウスを建てる。とかそういった感じのです。

僕は、先生と聞いて何となく言葉が見つかりませんでした。

職業的に学校先生というのはあまり好きではなかったからです。

適当に相づちを打って、海から離れることにしました。

古い民家が立ち並ぶところを歩きました。会社保養所とか古い別荘のようなものもあります。

彼女車イスを押す中で、分かれ道がありました。

僕は、そろそろ帰ればいいかなと思い、帰り道を選択しました。

でも彼女は、逆の別の道を言っていました。

僕は、これ以上、遠くに行くのは危険かなと思ったので帰り道を言いました。

理由は言いませんでした。

ちょっとした押し問答みたいになりましたが、彼女景色を見て、

「うん。こっちでもいいや。」と折れてくれました。

今思えば、彼女の方の道を選択していれば、もっといろんな話ができたのかな。とは思います。

元の場所に帰ってきました。いたのは知人のスタッフの人(おばちゃん)だけで、あとはもうみんな子どもたちも帰っていました。

そこへもう一人のスタッフの人(おじちゃん)が帰ってきました。

その人は、そこを住居にして暮らしているのです。

おばちゃんに、ここの場所の説明をしてもらうとして、いろいろと中の見学となりました。

僕は、おじちゃんと部屋(管理人室)の中に入って、疲れたので横に寝かせてもらいました。

ほどなくして、彼女とおばちゃんが入ってきました。

横になった僕を見て、彼女は「大丈夫?」と言っていました。

おばちゃん、おじちゃん、彼女でいろいろと話していました。

彼女職場の話もしていました。おばちゃん・おじちゃんは共感していたようです。

今度、七夕祭りで、某有名交響楽団コンサートがあるから来て下さい。というような話になっていて、

本当におばちゃんとおじちゃんが行ったのにはびっくりしました。

僕は、行きたくても遠くて行けませんでした。

僕の体力も回復してきたので、起きました。

それから、部屋にあるパソコンを立ち上げて、僕が運営しているその場所のサイトを見たり、彼女が働いている職場サイトを見たりしながら、

みんなでお話しました。

その中で、僕があるつまらない冗談を言ったのですが、

彼女の顔が真顔。能面みたいで、あれ?と思ったのが印象的でした。

笑いどころが明らかに違うのです。

夕方になり、晩飯をどうするかみたいな話になって、

4人で近くに食べに行くことにしました。

海鮮料理が食べられるところです。僕は、昔に一度家族で行ったことがありました。

僕は、おじちゃんとおばちゃんのと彼女が話すのを聞いていました。

複数人で話すのはどうも苦手なのです。

その中で、

「お父さんとは、別々で暮らしている」というのが印象的でした。

家族の話をしても、父親の話とかは出てこなくて、mixiバトンとかにも、

父親  いない

とか書いてあったので、何となく複雑なんだと思ってはいましたが。

食べ終わったら、おじちゃんが俺が払うよ。と言って、おごってもらいました。

店を出るとき、彼女が、のれんをさりげなく、手でどけてくれました。

僕の言う冗談に対しては無視(?)しているのに、ちゃんと気遣ってくれていることに好感を覚えました。

外は、もう真っ暗でした。元の場所に戻って、解散することにしました。

別れ際、ちょっと二人っきりになったところで僕は、

「今度は、僕の家で会おうよ」と、とっさに言っていました。(別に、やましい意味ではないです。)

彼女は、「うん。いいよ」と言っていました。

それから彼女に対して、笑いどころが違うというもどかしい思いと、さりげない優しさへの好感という複雑な気持ちを持ちました。

笑いどころが違うというか、僕が言う冗談に対して無反応という人に初めて会いました。

別に自分に笑いのセンスがあるとは思っていませんが、笑わせようとしている空気を読み取って、愛想で笑うこともできるはずです。

そういうのはありませんでした。

でも、しばらくして彼女に何となく手紙を書きたくなりました。

ラブレターとかではないですが、近況と、いつ自分の家で会うかの提案です。

それと手紙を書くということで、予想外の僕への好感を持ってもらいたかったからです。(たぶん、下心です。阿呆です。)

彼女から返事はありませんでした。


しかし、こんなこと自分でもよく覚えているなと思う。

ストーカー的気質があるのか、女の子と二人っきりで長時間話すことなんて無かったので印象的な出来事として脳が記録しているのか。

続き。

返事はありませんでした。別件でメールを送ってみることにしました。

この前はありがとうみたいなことと、七夕祭りに、おじちゃんとおばちゃんが行ったんだって。的なことです。

すぐに返事が来ました。

その中で、

手紙ありがとう。読んだよ。私も手紙書くの結構好きなんだ。はてな匿名くんもよく書くの?とメールにありました。

僕は、たまーーに書いたりします。なので、手紙を書くことが特別なことではありません。

しかし、手紙書くの好きなのにメールで返されたのは少し残念な出来事ではありました。

そこで夏に会う件について、触れられていました。

OKということでした。嫌々という印象は受けませんでした。

そのまま、日程を決めて自宅で会うことになりました。

その日程の月は、嫌なことがありました。

そのことがずっと頭にあったのがいけなかったのかもしれません。

正直、彼女と何を話したのか覚えていません。

ただ言えることは、彼女に良い印象は与えていないということ。

ここで僕のイメージは下がったかもしれません。

・途中、アクビをしていた。

・やっぱり、笑いどころが違う。

場の空気を変えるため、パソコンとかもやってみたのですが、

あまり効果は無さそうでした。

正直、頭の中が真っ白のまま終わりました。

人と話すことでこんなにストレスを覚えたのは初めてでした。

このときのことは、思い出すたびに、ため息が出ます。

ただ、初めて会ったときより、かわいいな。と思いました。

そういうことを知人に話したのですが、恋しただけだろ。みたいなことを言われました。

客観的に見るため、初めて会ったときに一緒に撮った写真を見たのですが、

やっぱり顔は変わっていました。痩せたのかな。と感じました。

そして後日、彼女から、うちの母と話せて良かったとメールがありました……

それっきりメールの交流は続きませんでした。送信しても彼女から返事が無いのです。

神様のいたずらか(あまり好きではない言葉だけど)、のちに途中で止まっていることに気がつきました。(携帯

年が明けて3月。卒業式

彼女は、受付をしているとのことでした。

会って話せると意気込んでいたものの、受付がめっちゃ混んでて、

あっ、どうも。と目くばせをしたくらいでした。

あとで、「話せなくて、ごめん」とメールが来ました。

ただ、メガネをかけていたせいか顔が全然違った感じがしました。

いまいちというか。ちょっと太ったような。

会うたびに、顔の印象が変わっているという人も珍しいなと思ってて、

実は彼女は複数いるんじゃないか。と思ったりもしています。(ミステリー?)

そして卒業式後のメールで、来月に会うことにしました。

しかし、僕が風邪を引いて体調を崩しました。

会うのは中止になり、

自分の中で、もう会っちゃいけないんだという変な納得感が生まれました。

それっきり、会っていません。

来月、彼女から年賀状は来るのでしょうか。僕は年賀状自体、止めることにしたので送りません。

来た人へは返す予定でいますが。

今、会いたいか?って言われれば、会いたくないことはないですが、

学校卒業して関係性が変わったことを考えると、自分から求めてはいけないような気がします。

マイミクは解消されてなくて、彼女日記更新されると必ず読んでますが、

彼女からの足跡はありません。

でもやっぱ、会いたい・・・・・・・・。orz

このまま何もなければ、時間が経って思い出になるだろうけど。たぶん。

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映画好きの彼女が面白いと言っていた映画

だけど、笑いどころが違うためか僕は全然面白くなかった。こんなに笑えない映画と言うのも初めて観た。

シュールというか。

でも、アマゾンでの評価は高い。。。

映画好きに受けるのかな。

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これも彼女につられて観たドラマ

これは面白かった。

彼女は、ここに出てくる地方に興味があって観てて、

笑いについてはいまいちだと日記に書いていた。orz

てか、好きな人の好きな作品を観てるのって、

いかがなものか。ですよね。

2009-03-21

近所の民家の二階のベランダに、頭蓋骨っぽいものを発見したんだ

地元の町BBSに書こうかと思ったんだけど、身バレしたら怖いんで、増田に書いてみる。

うちの近所-近所と言っても数百メートルくらい離れているんだが-の民家の二階のベランダ頭蓋骨らしきものを発見した。

発見したのは偶然で、その道は散歩帰り道に迷い込んだ初めて通る道だったんだけど、正確な位置は今でもはっきり覚えてはいる。


古びた民家の二階のベランダに、頭蓋骨とおぼわしき丸い物体が何十という数で積み上げられていた。

ぱっと見た目は頭蓋骨だったんだけど、数が尋常じゃないのと、皮膚や毛髪等の残存が無く物凄く綺麗なアイボリーだった事や積まれている割には下のほうの頭蓋骨も割れていないだとか、形状が妙に均質な感じがしたことや、何よりそんなブツが積まれているのを近所の人が知らないとも思えないというのもあってオブジェか人体模型を野ざらしにしているのかな、と思った。てかそうであって欲しい。


個人的には写真撮影して「ちょwwww頭蓋骨の山発見www」とか書いてブログに書いてしまおうかとも思ったんだけど、万が一にも事件性があったらヤだし、ブログに掲載した事で自分の身が危険に晒されるのはもっとヤだよね、とかいろいろ考えてしまったという


こういうちょっとしたセンセーショナルっぽい話題を写真を交えて掲載するのもいろいろ考えると躊躇するけど増田なら安心して書けるよね、という事が書きたかっただけなので「写真も掲載しないでエントリとな」とか「他人の家の写真を撮影してネタにするだなんてプライバシー侵害です、ぷんすか」とかいうコメは出来れば勘弁してくだしあ

2009-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20090318034143

わたしはまだ あの言葉を後悔しています。

この言葉を投げつけたら もう戻ることは出来ないと分かっていたのに

それでもあなたの中に まだ私が居ると行ってくれるのならば

私はあの公園で待っています

あなたは「近くていいね」と言い

わたしは「近すぎるわ」と言った

最後のあの日に もしかしたら二人で行ったかもしれない場所

あなたがいつも送ってくれた あの帰り道

そろそろ桜で彩られるでしょうか

桜並木を眺めながら ゆっくりと待ちます

2009-03-16

19年ぶりに再開した彼女のこと (1)

自分ブログに書いても誰もたどり着かないので、ここにも書く。


その日のことは今も鮮明に覚えている。

その日は朝から「ちょっとおかしなこと」が立て続けに起こった。まず、3月上旬とはとても思えない暖かさだった。湿気があったので、生ぬるかったと言うほうが正確かもしれない。その生ぬるい気候を伝えようと、サンデージャポンが「靖国神社で桜が開花したこと」をトップでとりあげた。サンデージャポンのような(良い意味で)ふざけた番組が真面目なノリで桜の開花を伝えるなんて、それもなかなか奇妙に思えた。

それからジョギングおじさんがジョギングをしなかった。毎週日曜日の11時に僕のマンションの前をジョギングするおじさんがいて、そのおじさんがジョギングを休んだのを僕はそれまで見たことがなかった。僕はそのおじさんを「ジョギングおじさん」と呼んでいた。そのジョギングおじさんを見ると、僕はとてもほのぼのとした気持ちになれた。日曜の朝は、当時の僕にとって1週間で最ものんびりした時間だった。ジョギングおじさんは、その日曜日の朝の象徴だった。

しかし、その日はジョギングおじさんは来なかった。表へ出て、ジョギングおじさんを見ながらタバコに火をつけるのが当時の習慣になっていたんだけれど、その日は待てど暮らせどおじさんがこなかった。これは本当に驚きだった。このことを何人かの友人に話しても、僕の驚きの1%も驚いてもらえなくて、そのうち友人に話すのはやめてしまった。でもとにかく僕は驚いた。おじさん無しで火をつけたタバコを吸いながら、なんか調子が狂うな、と考えていた。

その後も、遅い朝食を食べようといつもの定食屋に行ったのに臨時休業だったり、花粉の季節なのに間違えて洗濯物を外に干してしまったり、なんだかいつまでたっても落ち着かない変な日だった。

そして、その日の夜、僕は彼女と19年ぶりの再会をした。

彼女はいちおう幼なじみで、僕の実家から200メートルくらい離れたところに住んでいた。なぜ「いちおう」かと言うと、それまで僕と彼女はほとんど口を聞いたことがなかったのだ。なにかの具合で僕と彼女の家のあいだに学区の境目があって、違う小学校に通っていた。親同士の仲が良いということも特になかった。そんなわけで、通りでたまたますれ違っても、ろくに挨拶もしなかった。大人になれば、「軽い会釈」という便利なものを覚えるが、当時の僕らはそんな便利なものは知らなくて、何も言わず、視線も交わさずにすれ違った。

そして、気づいたら彼女の家の表札は違う名字になっていて、僕は彼女引っ越したんだと知った。

今さっき書いたばかりで申し訳ないが、その日、つまりはジョギングおじさんが来なかった日に19年ぶりの再会をしたというのは、ちょっと正確ではない。実は、その日からさかのぼること2週間前、僕は彼女が「サンマルクカフェ」で働いているのをたまたま目にし、思わず声をかけたのだ。レジでお客さんの対応をしているときには全く気づかなかったのだが、ホールに出て、テーブルを黙々とふく顔を見てすぐに彼女だとわかった。

驚くべきことに彼女も僕を覚えていてくれた。僕が、「すいません」「あのー」「○○さんですよね」「以前、近所に住んでいた・・・」などと喋っているときには不思議そうに首をかしげていたのだが、僕が名刺を取り出そうとして黙った瞬間、「あ!」と素っ頓狂な声を上げて、名刺を出すまでもなく僕の名前を呼んでくれた。そしてお互いが笑顔で通り一遍の挨拶をし、改めて僕は会社メールアドレスが書かれた名刺を渡した。

正確にはそれが19年ぶりの再会だったというわけだ。まあ、特に意味もないことを数分間話しただけだけど。

サンマルクカフェ帰り道、当時と違って通り一遍の挨拶ができるようになったということと、当時から1ミリも変わっていない彼女の姿形を交互に考えたり思い浮かべたりして、「なんだかなあ」という気持ちになった。そう。彼女は1ミリも変わっていなかったのだ。信じてもらえないと思うが、僕にはそう感じられたのだ。

3日後に彼女からメールがきた。とても礼儀正しい、感じの良いメールだった。何度かメールやりとりしたあと自由が丘イタリア料理を食べる約束をした。

僕は10分早く自由が丘駅に着いて、交番の前にある喫煙所タバコを吸いながら彼女を待った。もう6時過ぎで、徐々に薄暗くなってきていた。まわりの人たちは過ぎ行く日曜日を慈しむようにとても穏やかに会話していた。でも、彼らはよその星の住人のように、どこかよそよそしく見えた。小学校のときに通っていた教会牧師さんに見せてもらった天国の絵(それはそれは平和な絵だった)と、メトロポリタン美術館で見たダリの絵を足して2で割ったような不思議光景だった。

彼女は5分後にやってきた。着いたらメール電話をしてくるだろうなと思って携帯を握りしめていたが、彼女はスタスタと歩いて僕のところまでやってきて、「お待たせしました」と軽く会釈をした。僕も「いえいえ」と言って、会釈を返した。

お店に直行するには少し早い時間だったので、僕と彼女は少し遠回りをして店に向かった。最初少しぎこちなかった会話も、ABCマートを右に曲がるころにはそのぎこちない感じはどこかに行ってしまっていた。予約していたお店に入り、通された席に座ることにはむしろとてもくつろいでいた。彼女とはとても話しが合ったのだ。僕と彼女性格も、それまでの人生も全然共通点が無かったが、彼女の話すことはとても面白くかんじたし、僕の話すことも彼女はとても面白がってくれた。

でも、朝からの奇妙感覚依然として続いていた。そして、彼女との会話がはずめばはずむほど、奇妙感覚はより強くなった。なぜだ?僕は彼女と話しながら一瞬考えてみた。でも、よくわからなかったし、彼女と話すことはとても楽しいことだったので、難しいことを考えるのはやめた。

(2)に続く

【作者より】

すいません、力尽きました。続きを書いたら、この記事にリンクを貼ります。。。このくらいだと長さもちょうどよいかなと。。。(言い訳

分割して投稿するの、良くないですかね?あんまり長いのを投稿するより、分割したほうがいいかなと。

まずいときは叱ってください。もうしません。

2009-03-07

時間を計りながら喋る癖

凄く凄く好きでたまらなくてこの人が私をどう思ってようが私はこの人を超好き!な人は別として、

大抵の人と話してるといつも頭の中で他のことを考えている。他のことっていうのは例えば経過時間とか。

人に旅行写真を見せられても、「あ、この風景素敵だね、撮り方が綺麗!」って適当に気に入った写真を示して「うーんこの中じゃ一番これがすきだなー」ってまた適当写真を示して、「あ、でもこれも気に入ったかも」って最後の写真を示してそれで終わりでいーだろ、って頭の中で考えてる。それで一枚一枚に関するエピソード聞き出してつっこんで、つっこんででてきた事柄にさらにつっこんで○○分持たせよーって考えながら話をしている。

一行目の該当者に関しては、話せるだけで嬉しかったりするので、そんなこと考えてる余裕がない。相手の話を一生懸命聞いて、自分のこともたくさん話して、時間を図ったりする余裕なんかない。

だけど大抵の人に関しては、手持ちの写真で30分、近況で一時間仕事恋愛で一時間、って

計算しながら話している。こういえば喜んでくれるし、こういえば食いついてくるだろうって。

相手は「話を聞いてくれて有難う!」って喜んでくれてたりもするので、私は話せる壁みたいなもんかねと

思ったりもする。聞いてる時は表情豊かにオーバーに聞いてるけど、帰り道は「はい今日情報交換、終わり」って冷静に帰ってる。なんか誠実さに欠けるけど、皆こんなもんかね。

2009-02-28

変人の憂鬱

僕は自他共に認める「変な人」です。

まあ「君変わってるね」と言われるのは、変人にとって言わばほめ言葉なので

ぜんぜん問題ない(むしろ嬉しい)のですが、この前モヤっとすることがあったので書きます。

そんなにたいした問題ではないのですが・・・。

この前、職場人間と飲みに言ったときのこと。

そのときは自分以外、全員女性というメンバーでした。

そのときも「増田君って変わってるよねー」という辺りの話から盛り上がってたのですが

そこで「でも、Aさんの前じゃ結構、増田君って普通じゃない?」と言われました。

Aさんというのは、自分たちの共通の上役の女性で、周りはそんなことなかったみたいですが

自分とはどうしてもウマが合わず、言ってしまえばちょっと苦手なタイプの人物でした。

そこで「いや、さすがにAさんの前で変なことはできないよ」という内容を話したところ、

なぜかその場にいたメンバー全員から非難の嵐が。

「じゃあ、いつも増田君はキャラ作ってるってことなの?」

いやいや、そんなことはないですよ。ただTPOをわきまえているというだけで。

という内容の弁明をしたのですが、受け入れられてもらえず。

その後も「それもやっぱりキャラなんじゃないの?」などと言われる始末でした。

あ、こうやって文章に書くといかにも険悪に見えますが、実際はそんなことないですよ。

酒の席と言うこともありますし、ある程度の悪口?は言い合える仲とお考えください。

でも帰り道「どうしてあんなに嫌悪感を示したんだろう」と考えたところ

「変であることを『変だ』と自覚しつつ、それでも変に振舞おうとするのが理解できないんだろうな」

という結論に行き着くことに。

はてなという「変な会社」のサービスをわざわざ利用してる方なら理解していただけると思いますが、

変人というのは、その多くが「世間から常識価値観がずれている」人ではありません。

自分が周りと比べて変であることを「自覚」しつつ、それでも「変であること」を志向します。

なぜならば、普通に振舞うより変であった方が楽だったり、あるいは楽しいからです。

でも彼女たちは、きっとそれが理解できない。

常にグループを組み、空気を読んで行動することが当たり前になっている「いまどきの人間」にとっては

「わざわざ変であることを分かって行動する」と言う発想が、そもそも思考回路存在しないのだと思います。

あるいは僕に「イノセンスであること」を、無意識押し付けていたのかもしれない。

おそらく彼女たちは空気読みの達人でありながら、気づかないうちに肥大する「空気の圧力」というものに、人一倍疲れている。

そんな中で「空気が読めない変な人」をある程度は蔑視しつつも、心のどこかでは憧れている、とでも言うのか。

(お前それは自意識過剰ってやつだよ!と言われれば確かにそうですが・・・)

でもその実「空気が読めない」ではなく、「空気を読まない」であったことが分かってしまった。

その結果、今まで僕に抱いていたキャラクター像が崩れてしまった→「キャラ作ってたの?」、ということなのかなと。

でもそれってさー。今まで僕のことを「キャラ込みで」接していた、ということになるじゃない?

別に承認ゾンビになりたいとは思いませんが、こう思い当たってしまうと、さすがにモヤっとするものがありますよ。

というわけで、このまま家に帰っても気分悪いので、家の近い友達を二人呼び出して、また飲み直しましたとさ。

もちろんそいつらも「変な奴ら」です。

いやあ、気の置けない友人と飲み合うのはやっぱり楽しいね。

2009-02-24

席を譲らない

会社帰り道風邪を引いて39度の熱が出て、割れるような頭痛と関節痛でかなり辛かった。どうしても座って帰りたくて、電車を一本見送り、10分後に来た当駅始発の電車に乗って座った。


やがて、発車直前になって老女2人(60代くらいと70代くらい)が乗ってきて、僕の目の前に立った。嫌な予感がした。

座りたいなら、僕のように一本見送って次の電車を待てば確実に座れるのに。もしくは、優先席の近くに行ってくれればいいのに。最寄りの優先席は、若い女性に占領されていた。今譲らなければいけないのは、本来ならばあいつらなのに。


案の定、60代のほうが、僕に話しかける。

彼女(70代のほうを指して)に席を譲ってくれない?」

譲れる体調だったらとっくに譲ってる。だが今は、座っているだけでも辛い。できれば横になりたいくらいなのだ。「すいません、今熱があるもので」と断った。


60代は眉をひそめて、70代のほうに向かって「まあ、最近若者は、思いやりがないのよねえ」と大声を張り上げた。

すると、僕の隣に座っていたおじいさんが、席を立ち上がり、「こちらにどうぞ」と70代に譲った。これで、2人が優先席のほうに行ってくれる可能性はなくなった。四面楚歌である。

相変わらず60代のほうは、「おじいさんが譲ってくれるのに、若者が譲らないなんてねぇ」と、嫌みったらしく声を張り上げる。

だから、譲れる体調だったらとっくに譲ってるっつーの。

そのまま30分、車内で嫌みに耐えた。


翌朝病院に行ったら、インフルエンザ陽性だった。しかも、タミフル効かないタイプ

あの60代の女性にも感染していることを心の底から願います。

2009-02-20

帰り道、カップルとすれ違った。

そのカップルは仲良さそうに手をつないでいる。

ラブホに行った帰りなのだろうか。

すごくうらやましい。

でも、相手がいない・・・。

ずっとこのまま一人ぼっちだと思うとさみしくなる。

彼氏がほしい。

2009-02-10

不死の国

風の噂に聞いたことがある。東方にあるという人が死ぬ国。人が死ぬ。なんて素晴らしいんだろう。生気の欠片も見受けられない、倦み疲れた先人達を眺めながら、そんな夢みたいなことを考えていた。

議会には王、貴族官僚が参加する。だが、建国当時から生きている老いぼれがほとんどだから、こいつらだけじゃ政策どころかまともな会話すら覚束ない。泡を吹いてる奴なんて可愛いもので、言葉を忘れ獣に帰っているような奴までいる。

だからそいつらの子孫が、子孫と言っても子や孫も耄碌して使いものにならないので十何代目の子孫が、横に付き添い、泡を吹いてる口元に耳を傾け、意見を伝えるという形式になっている。が、意見なんて高尚なものを考えることができる奴なんて一握りも残っていないので、実際は子孫達が自分意見を述べるに過ぎない。もっとも、口の泡を拭いたり、獣に帰った爺に餌を与えて黙らせたり、それなりに忙しいとも言えるが。

書記は新人新人と言っても何十年やっているかわからないが。書記官自分新人仕事ぶりを見ているだけ。あの耄碌爺たちと一緒だ。もっともあの世代の書記官は流石に三百年ほど前に辞めてしまい、自分はその後の世代だからあそこまで耄碌はしていないが、それも時間の問題だろう。

仕事帰り道。街にいる人々も当たり前のように生気がない。思考停止した労働者がのろのろと動いてる他は歩く人すらまばら。若者は濁りの中にも苛立ちを泡立たせた目をして座り込んで無為に時間を潰している。建国当時の人間が生きているのだ。議会のように現役であるのは例外だとしても、年寄りは腐るほどいる。そいつらは呆けて泡を吹くまで権力の座を明け渡さないし、明け渡したとしても次の世代は、腐った発酵物が更に腐って液状化してしまうくらいに、腐っても足りないくらいにいる。若者の順番が来る日なんて彼らにとってみれば永遠にも思えるだろう。席が空くのをただひたすら待っている。

家へ着くと妻だった生き物が糞尿にまみれて呻いていた。服を脱がせタライに汲んだ水で体を洗ってやる。あーうーあーと呻く妻を洗いながら早く反応がなくならないかと何十万回と願ったことをいつものように思う。

反応がなくなると監査官に連絡することができる。そこで3人の監察官に3日に渡り本当に反応がないか検査される。といっても、収容所に大量に寝かせた人間に、1日2回、刺激を与え反応がないか見るだけの簡単なものだ。そこで反応なしと認定されると晴れて殺すことが許可される。不死と言っても殺せば死ぬ。もっとも専門の処理場で念入りに細切れにした後、焼却しなければならないが。

王や貴族など、子孫によって生きて傀儡になってもらわなければならない他は、反応がなくなると喜んで処理場へと持って行く。それも当然だ。かつて愛した美しい人とはいえ、いや、だからこそ、動けなくなるまでに老いた体は退化し小さく丸まり、言語どころか日常生活も送れない程に理性をなくした、別人のように変わってしまった伴侶を、数十年、数百年と面倒を見続ける辛さにあっては。作業が辛いのではない。かつて熱烈に愛した人を、忌み嫌っていくことを、そして死を願うことをやめられない、己の心が辛いのだ。

いつもの作業を終え妻を部屋へと寝かしつけ、その際に受けた傷の治療をして、ようやく一息をつく。一日で唯一、心を落ち着かせられる時だ。いつもはただただ何も考えることなく、倦み疲れる仕事のこと、そして死を願ってしまう妻のことから離れて、自由な時間を堪能し心を休める。だが今日は日中に考えていた人が死ぬ国のことを考えていた。権力者も死ぬことで若者が活躍することのできる国。かつて愛した人を憎まずにいられる国。そして何よりそれらのことで苦しまなくてもいい国。そんな夢みたいな国を夢見ながらいつしか眠りについていた。夢は見なかった。もう千年ばかり見ていなかった。

2009-02-02

妄想上の彼女

たとえば帰り道自転車をこぎながら、こんな寒い日には頬がバシバシ言うほど痛くて、帰ったら牛乳チンして飲むかなんて思う。まあそれはそれでいい。で、そういう時に、自分チンするんじゃなくて、誰かがチンしてくれたら嬉しいなと思う。それで妄想が始まる。

アパートの薄いドアを開けると、彼女こたつから立ち上がる。僕はさみーうあーとか意味のあるようなないような呟きを漏らしてコートを脱ぐ。こたつの上には彼女の飲みかけのカップから湯気が立っていて、彼女は僕のためにチンしようとしてくれてるんだけど、そのせいでカップの中身が冷めちゃったら悪いな、と思ったり。テレビからはバラエティ番組らしき笑い声が漏れていて、僕は流れがよく分からないから笑ってないけど、彼女はそれに合わせてくすくすと笑いながらおかえりなさいと言ってくれる。ただいま、と僕は答えて、それで——。

家につく。薄いドアを開けて、電気を点ける。部屋は静かに凍っている。急いでこたつ電気を点けて牛乳電子レンジに放り込むけど、部屋もカップもなかなかあたたまってくれない。テレビはつける気にならない。僕は目を閉じて、さっきの想像のあたたかさを逃がすまいと集中するけど、電子レンジの音と、ついさっきまでバシバシ言うほど痛かった頬のせいで、もはや続きを想像することができない。

2009-01-30

炊事

男だが、「男の料理」という言い回しが嫌いだ。炊事に女も男もあるものか。それだけのことである。あと舌の狂ったキッチンドランカーがめちゃめちゃな味付けを行ったり、食後の後片付けを誰かに押し付けたり、これを正当化する際のキーワードとしても用いられる。あと、世の男性料理長たちは、男以外の何かなのか、という話でもある。

共働きならば、先に帰宅した方が台所に立つのが正しい。家事分担にこだわって、無駄に空腹の時間を過ごすのはアホの典型であるが、あるいは、そもそも分担がうまく機能してない証拠である。もっともこのことは、あらゆる家事に通用する。課題は見つけた方がやっつける。ただ、食後の皿洗いのようにスタートラインが同じ場合は、どちらが行なうか交渉できる。積極的に交渉を持ちかけることができる関係もまた良し。

また独り身でも、経済栄養学的スキルアップ的に、炊事が有意義であることは言うまでもない。昨今金欠なのは一部を除けばどこも同じと推察するので、安い食材でもってうまいことやるのが、妥当な選択というものだろう。料理愛情ではない。技術だ。

話はずれたがそろそろメシ時である。今日は何を作るか、などと考えながらレシピサイトを眺め、近所のスーパーに売ってないような食材を選択することは、アホである。もとより冷蔵庫の中身は、おおまかにでも常に把握しておくべきだし、把握を容易にするため、無駄に買い溜めしないことも重要である。それでまず最初に、冷蔵庫には何か残っていたかと、帰り際に考える。

次に帰り道の途中にあるスーパーに入る。このスーパーは、時々どうやって食うのかよくわからないものを仕入れてたり、予告もなしに特定食材の一斉放出をはじめる。少々ネジの外れた店である。よくわからないものを売ってた場合は、新しい調理法を知るチャンスとなり、かつ普通のおばちゃんたちは、よくわからないものは買わないので、自ずと安く出ている。先日は加熱用の牡蠣を大量放出していた。よくわからないものではないが、我が家として珍しいものであることは確かである。馬鹿に安いのが気になるが、ワケあり品を出して人死にでも出ては店が大変なので(ちなみに身内に牡蠣アナフィラキシーがいる)産地を見た上、その可能性を排除した。単に大量に仕入れたということなのだろう。恐らくこの日は、この町内のあらゆる家庭が牡蠣を食した。

またこの時、牡蠣にはトマトだろう、という怪電波を受信。自分記憶のどこを探してもこの組み合わせを食べた話も作った話もなかったが、恐らく深層に眠っているのだろう、ということで、その場で携帯から「カキ トマト レシピ」などとぐぐる。数多の事例が見つかったので、この組み合わせはアリということだが、この段階では何を作るか留保したまま、とりあえず激安牡蠣と激安トマト缶を買って帰る。ところで、食材の組み合わせにアイディアが欲しいとか、疑問がある場合はここなど参考になるかも知れない。どう料理するかはさておき、理論上の可能な組み合わせが列挙されている。牡蠣トマトは言うまでもないらしく、言及なし。

帰宅後、再度レシピぐぐるが、実は帰宅するまでにトマトシチューにするということで肚が決まってしまっていた。残念ながらそのものズバリレシピは見つからない、というか時間もないし、そのものを作る気も一切なかったので、いくつかのサイトを流して、牡蠣の洗い方やら鍋に投入するタイミング使用する調味料ハーブなどに関する大まかな傾向を把握する。ハーブはそのものが手持ちにないことも多々あるので、暇なときにwikipediaで共通成分を見たりしておくと代用が効く。

あとは実行しながらその都度工程を考える。鍋に火を入れ、加熱すべきと思われる順に野菜を切って投入すると、少々焦げが出てきたので、少しの酒を入れて焦げ付きを回避、かつ焦げ味を回し、進展が見られなくなったところで牡蠣トマト缶をぶち込み、味が濃くなりすぎないようあれこれを少しずつ足し、タイマーを数分かけ、その隙に他の事を行い、タイマーが鳴ったら再び様子を見て、さらに手を下したり下さなかったりして、よきところで火を止め、あとはメシ時までフタして放置した。実技は適当なもんであるが、断じて「男の料理」とは言わない。

食べる時は、自分で作ったから自ずとそうなるが、単に美味いか不味いか、というよりは、個々の食材の味がどのように按分されたかを分析してみたりする。例えばこの時は、牡蠣を入れるタイミングがちょっと早かったかもしれない、などと思ったので、これを記憶しておくと、あとで使えるかもしれない。また同じような分析を、外食の際に行うことにも意味がある。料理の種類によってはかなり難しいが、タイ料理なんかでこれをやってみると、かなり色々なことがわかって面白いと思った。

(http://guideline.livedoor.biz/archives/51162009.html)

2009-01-24

飲み会で楽しく飲んだ後の帰り道が激しく憂鬱で寂しくて死にたい気分になるのは自分だけ?

2009-01-22

毎日が憂鬱

ここ最近体調がおかしくなってきた

ストレスの溜まり過ぎなのかもしれないけど

食欲無いし

今まで楽しかったこと(趣味)も全然楽しく思えないし

人と喋るのが一段と苦手になった

どうしたらいいのかわかんなくて

帰り道自転車乗りながら泣いてる

2009-01-17

渋谷に挑むにはレベルが足りません

職場がかわり、JR東横線東京メトロと乗り継ぐことになった。定期が二枚でくやしい!ビクビ(ry

なんとか渋谷から地下鉄への経路も覚えたがどうも帰り道がいけない。

緊張感もなく疲れた頭でぼんやりと人の流れについていくせいで、毎回改札口を出ると現在地がどこなのかさっぱり。

ふと気付くと「人はどこからきてどこに行くのだろうか…」と考えながら、デパートお菓子コーナーで涎をたらしそうになっている。うまそう。めっちゃうまそう。さすがトーキョーは違うな!惣菜もおいしそうだ。でも高い。

そしてふと我に返りぶらぶらと移動→東横線に乗る

毎日ほぼこの繰り返し。

渋谷に挑むには(食欲を堪える)レベルがまったく足りてないようだ…。

2009-01-16

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

の続き。

知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。

小学校同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。

なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミング学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。

これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。

いいな、と思った。

わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。

子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。

声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。

そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。

実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。

例の、本当の意味クラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。

そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。

幼馴染コンプレックスうずく

いいな。いいな。

そしてほらまた。

スキーも一緒だったんだって。

彼女は、お父さんが開業医だった。

絵に描いたような優等生だった。

なんでもできる子だった。

わたしが彼女に勝っていたものといえば、英会話ぐらいだ。

わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。

海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。

彼女と唯一張り合えるであろう技能はそのぐらいのものだった。

なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。

ということで、スキーツアーに参加することになった。

かなり緊張していた。

彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。

知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。

当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。

総勢7人。男性4人、女性3人。

意外と集まるものなんだ、とびっくりした。

なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。

なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コンあいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。

久しぶりだから、一応

「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」

「今どこに住んでるのー!?」

みたいな盛り上がりはあった。よかった。

やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。

顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。

それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名女の子です)と隣どうしで座ることになった。

仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。

さとしは医学部に進学したそうだ。

浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。

彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。

「さとし、きれいになったね」

と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。

本当にそうだった。

もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。

薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。

さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。

感じのいい笑顔だった。

さとしについてはいろいろな記憶がある。

5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。

先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。

別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。

6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめ自然となくなった。

週一回の英会話教室の帰り道は、さとしと帰っていた。

野良子猫を見つけて、近くのスーパー惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。

さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。

そこで見るさとしは、本当に普通女の子だった。

何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。

卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。

当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。

ちょうど体育館への移動時間が迫っていて、誰もが

「ごめん、知らない」

としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。

結局見つからなかったのだけど、わたしが

ありがとう、もう大丈夫だよ」

と捜索打ち切りを宣言しても

「いや、あそこにあるかもしれない

とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。

今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。

すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。

いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。

むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。

さておきスキー場に着き、まずは滑ることに。

一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。

いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。

かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。

相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。

ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。

「今まで何回ぐらい集まったの?」

「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」

「そうなんだ」

「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」

「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」

「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」

「それにしてもみんな、変わったね」

「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」

同窓会も出たことなかったし」

「そうだな。いなかったな」

「でも、いいものだね」

と言うと、こっちを見てにやっとした。

「そう?」

「うん」

するとどこかあさっての方向を向いて

「それならよかった。」

と低くつぶやくように言った。

自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。

それから、同行している元クラスメイトたちの話をしていた。

夫婦で来ている彼らは婿養子なのだと聞いた。

なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。

2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。

それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。

「すごいよね。

 婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」

「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。

 それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、

 プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」

「お店、今日休みじゃないんだよね?」

連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。

「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って

 送り出してくれたんだって。」

わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りケーキのことを

思い出した。

高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。

行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。

カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。

彼は、この金物屋の若夫婦とも

商工会の集まりでときどき会う」

と言っていた。

自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。

その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。

つながってるなあ。

同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。

わたしには、わからない世界だと思った。

幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。

わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。

妻夫木仮名・そいつのこと)はさ」

「うん」

幸せ者だね」

「何、突然w」

「同じ土地で生まれ育つのって、幸せなことだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」

「え?」

「なんか、そういう話の流れじゃない?」

「ああ、いやそうじゃないけどw

 でもうらやましいよ、何となく」

「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」

「そうだっけ?」

「覚えてないのかよw」

「あんまり」

「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。

 それがいきなり号泣だからな。

 小栗っち(仮名・担任の先生)も反応に困ってたよw」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」

「わははw」

「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。

 なんでだろう。」

「あー。実は俺も。」

「薄情者w」

「お前もだろw」

軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。

距離が一気に縮まった気がした。

わたしも、一応まだ仲間なんだよね?

そうだよ。だから心配すんな。

みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。

「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」

「元気にしてるんだろうか?」

「相変わらず熱血なのかな」

「ハゲてそうだよな」

「それ当時から言ってたよねw」

「言うとムキになるから面白くてw」

「剛毛はハゲやすいらしいよ」

「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」

小栗っちは若い男の先生で、かなりの熱血教師だった。

当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。

クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。

もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。

「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」

というようなことを言われた。

子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。

今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。

芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。

過去記憶はいつだって甘美で優しい。

なんだか、せつなくなる。

ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。

長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。

にこっと笑ったときの口元も似ている。

このところ、妻夫木聡テレビで見ると「どきっ」とするようになった。

「あー寒いマジでやばい!」

とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。

平野仮名男の子)と大田(仮名男の子)だった。

当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。

今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。

妻夫木ここにいたんだ」

「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」

「覚えてる、久しぶりだね」

「やーミッチョンきれいになったなー」

「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」

「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」

「うるせぇよ平野メタボ平野

「まだメタボじゃねぇw」

笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。

もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。

茶髪日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。

実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。

子どものころは大田も平野運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。

あの

「誰か好きな人いる?」

に、よく出て来ていた二人だった。

でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。

彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。

その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。

平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。

その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。

しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。

なんという芋づる。

「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」

妻夫木が言い、立ち上がりながら

「ミッチョンも行く?」

とわたしに声をかけてくれた。

「あ、うん」

と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

「またね!」

すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。

妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。

背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。

大田は知らないが、平野は当時、妻夫木とかなり仲が良かった。

妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。

このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。

「ああ、平野こういうの好きそうだね」

とわたしが言うと

「半分は女目的らしいけどw」

と笑いながら言っていた。

「さっきもナンパしてたね」

「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」

「仕掛けるってw」

「あいつそういうの得意だもんw」

と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。

わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。

だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。

加えて、隣が妻夫木だ。

楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。

よほど返事が上の空だったのだろう、

「どうした?」

と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。

「なんでもないよ」

笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。

「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」

「ちがうってw大丈夫大丈夫

「いや、本当にどうした…あっ!」

妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。

「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」

「いや、あの…はい…」

「わははははw」

「ちょっと笑わないで!揺れる!」

「ほーらほーら」

「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」

「わはははは…」

もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。

すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに

「もしかして、本気でいやだった?」

と聞いてきた。

「怖いです…やめてください…」

と言うと、妻夫木はしょんぼりした。

「ごめん」

「ううん、わたしもごめんね」

「いや、ほんとにごめん」

気まずい。

でもやっぱりリフトは怖い。

なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。

「…なんで上向いてるの」

「下見ると怖いもん」

「…ククッ」

「笑わないで!」

「いや、だってお前の格好、おかしいってw」

「おかしくない!」

「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」

「あんたに言われたくないよ!」


あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。




夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。

女子部屋からの移動中に

りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」

とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。

「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」

するとさとしが

「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」

と話に入ってきた。

「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」

「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元デパート)で売ってほしい」

「何言ってんのw無理でしょw」

さとしがわたしのほうを見て

「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」

と言った。

「ありがとう」

とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。

ケーキりょうちゃんのお母さんのお手製なんだよ」

「ああ、やっぱり!」

「なんでわかるの?ミッチョン」

「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」

「ああ」

りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。

何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。

りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。

「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。

ちょっと違うのだ。

積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。

まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。

男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが

「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」

と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。

あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。

部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンストーブでぽかぽかと暖かかった。

「いやー美人揃いだなあwおふたりともまだ独身ですか?」

と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。

「はいはい始まったw」

と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。

さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。

「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」

「ああ!あの医学部の!」

「よろしくお願いしますw」

「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」

「ひろし、うるさいよ」

旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。

「で、こちらは…」

「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」

「ああ、あの英語が上手だったっていう」

「いえwよろしくお願いします」

「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」

「ひろしには負けるけどね」

りょうちゃんwとりあえず乾杯しようよw」

「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」

「もういいからw」

というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。

さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると

「楽しんでますか?」

と、妻夫木が横に座ってきた。

「うん、りょうちゃん夫婦おもしろいねw」

「ひろしさんがムードメーカーだから」

「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」

「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」

「そうなんだ」

平野がね」

と、妻夫木はちらりと、平野とさとしのほうを見やった。

「さとしと会いたがってて」

「どうして?」

「さあ…。いろいろあるんじゃない?」

「男同士でそういう話したりしないの?」

「しない」

「そういうもんかなあ」

「うん」

大田が乱入してきた。

「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」

「大田お前大丈夫?w」

大丈夫大丈夫!はいミッチョン!」

と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。

「あ、ちょっと!大田!」

妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。

わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて

ありがとう。いただきまーす」

と明るく宣言して口をつけてみた。

あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。

そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。

妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。

それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。

「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」

本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

「ミッチョンって、お酒強いの?」

と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。

「まあ、それなりにw」

と答えると、ふたりは顔を見合わせて

「それなりに、どころじゃないよなあ…」

「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」

と大田が半笑いでつぶやいた。

どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。

一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。

「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」

「え?なんで?」

「大田、引いてたし」

「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」

「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」

「ああ、俺?」

「うん」

「いや、俺は…」

「何?やっぱりよくない!?」

「いやいや、そうじゃなくてw」

「何?」

やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。

「いや、だからね」

「なんだよー」

「いや、うれしいな、って」



あっ、と思った。

このお酒妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。

「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。

 やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」

さっき飲んだのは、妻夫木のおうちが作ったお酒だったんだ。

そして

「あー。失敗した…」

とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。

妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。

それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。

「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。

 でもそんなの、おもしろくないじゃない。

 黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」

そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。

でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。

妻夫木はうれしかったのだ。

事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。

わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。

妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。

妻夫木は、すごい。

妻夫木、かっこいいよ」

と、背中をばしばしと叩いた。

「は?」

妻夫木は、本当に立派な社会人だね」

「なにそれw」

「うん、かっこいいよ」

「わけわかんねぇw」

「こんなにおいしいお酒を作ってる妻夫木は、すごいやつだよ。

 自慢の友達だよ。

 もうたまんないよ。すごいよ」

と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。

妻夫木は目を細めて

「おう。サンキュ」

と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。

それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。

妻夫木はすごいやつだ、と思った。

そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。

妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。

我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。

さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?

さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。

こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。

さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。

そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。

妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。

次はいつ会えるのかな。

休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。

自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。

2008-12-31

2008年月別VOCALOID一押し曲紹介(前編)

(長くなったので2つに分けることにした。後編:http://anond.hatelabo.jp/20081231181018)

今年はVOCALOID曲一色だった。

そんなミク厨の私が、月別のおすすめVOCALOID曲を紹介してみる。

ちなみに筆者は http://anond.hatelabo.jp/20081019000059 と同一人物である。

紹介曲一覧

(以下は後編で紹介)

1月:雨宿りの二人

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1984143

ヤスオPの曲といえば「えれくとりっく・えんじぇぅ」が有名だが、

私はこちらの曲の方が好き。

ある夏の日、夕立ちが降ったときのこと。

駄菓子屋の下に駆け込み、雨宿りする二人。

何かしゃべるわけでもなく、空を見つめたりする二人。

ただ、このまま雨が止まないで、時が止まってほしいとだけ願う、そんな歌詞。

しっとりとした旋律が、夏の夕立ち特有の蒸し暑さと涼しさが交じり合った

雰囲気と、甘酸っぱい青春の日々を想起させる。

2月:RAINBOWロード

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2338068

「ハト」を初めとした独特な曲で有名な秦野Pだが、この曲も

いい感じに秦野節がきいている。

1月に続き雨に関係する曲となったのは偶然だが、この曲の歌詞を

くどくどと解説するのは野暮であろう。

無論、旋律についても同じことである。

「雰囲気を味わう曲」とでも表現すればいいのだろうか。

環境音楽的なものを聴くことに抵抗がなければ聴きやすいかもしれない。

もっとも環境音楽ともまた一線を画しているので、一概にそうともいえないが。

秦野ワールド」としか説明しようのないこの曲、是非聴いてみてほしい。

3月:にちよう

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2743770

林檎氏は殿堂入り曲もなく、VOCALOID作家に詳しくない人は

あまり知らないかもしれないが、のんびりとしたいい曲を作っている。

この「にちよう」はそんな林檎氏の曲の中で私がもっとも好きな曲だ。

軽快でテンポのいい曲に合わせて、満開の桜の中ピクニックにでかける

日曜日を描いている。

春の公園暖かい陽射しが目に浮かび、のんびりした気分になれる。

この「休日」をテーマにした曲に癒しを感じるのは、もしかしたら

私が働いているからかもしれない。学生の頃であれば、これほど

印象に残らなかったのかもしれない。

なお、VOCALOID漫画を描いたり曲のイメージイラストを描いたりして

有名ななぎみそ氏が、この曲を使ってミニドラマを作っている。

「にちよう」ののんびりした曲に合わせて、VOCALOIDメンバーが送る

ほのぼのとした日常生活を描いた小作品。

VOCALOIDの面々のほほえましい姿が見られるので興味のある人は是非

視聴してほしい。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2947782

4月:carol

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3111123

baker 氏といえば「celluloid」という人も多いだろうが、この曲を聴けば

きっとそのイメージは少し変わると思う。

この曲は、「ヤンデレソング」の一言に尽きる。

内容は本当にシンプルで、ヤンデレ女の子の想いを描いているだけの歌詞である。

一見かわいいが内容は怖いという歌詞と、軽めでかわいい曲がうまくマッチしている。

この曲は他の VOCALOID 作家アレンジも素晴らしい。

iroha 版:http://www.nicovideo.jp/watch/sm4196033

OSTER Project版:http://www.nicovideo.jp/watch/sm3628335

特に iroha 版は、個人的に原曲よりも気に入っている。

その理由は聴いてもらえればわかると思う。

ちなみに原曲の作成に kz 氏がかかわっていたりと、実は何気に豪華な曲である。

5月:ワールドイズマイン

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3504435

今更説明不要かもしれない、ryo 氏の名曲。

少しでも VOCALOIDオリジナル曲に興味がある人で、この曲を知らないという人はいないと思う。

実はこの曲を聴くまでは ryo 氏の曲はそこまで名曲だとは思っていなかった。

もちろん「メルト」はいい曲だし、「恋は戦争」もかなり好きな曲ではあったが、

それでも先に紹介した曲や、「ファインダー」「夢みることり

ミラクルペイント」といった曲と肩を並べるほどではなかった。

だから、この曲を初めて聴いたときは本当に衝撃を受けた。

この曲で描かれている女の子像は現実世界のそれとすごく近い。

少なくとも私の乏しい恋愛経験からは、恋する女の子は多かれ少なかれ

「相手に好かれたい」という欲望から二つに分かれた

「もっと好かれるように努力したい」という気持ちと

自分に尽くさせたい(=自分を好きであるということを行動で示させたい)」

という気持ちを全て持っているように思う。

そういった恋する女の子の共通部分を凝縮したのがこの「ワールドイズマイン」ではないだろうか。

曲自体も素晴らしいが、この歌詞を聴いたとき、私の中で ryo 氏の評価は最高となった。

6月:カサブ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3567597

ジンジャーP の名を知っている人は多くないだろう。

再生数という観点からだけ見れば、先に紹介した曲の作曲家達とは

比べ物にならないぐらい少ない。

しかし、それは VOCALOID に限った話である。

MIDIアニメ動画を見たことある人はいると思う。

このジンジャーPこそ、MIDIアニメ動画の先駆者である。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1415681

6月の一押し曲は、そんなジンジャーPが「歌う」ジャズ調の失恋ソングだ。

この曲、実はミクとジンジャーPのデュエットである。

帰り道に突然の雨、傘がなく雨宿りの場所を探すという

「雨宿りの二人」と同じような冒頭だが、こちらは一人。

そして雨宿りの先は、かつて恋人と通ったカフェ

失恋による心の傷を、治りかけてもすぐにひっかいてしまうカサブタと表現する。

失恋してから大分時間が経っているけど未だに引きずっている様を

描いているが、一人称男性女性かは歌詞の中では明らかにならない。

よく男性の方が失恋を引きずりやすく、女性はあっさりと次に乗り換える

などと言われるが、そういう意味でも女性感想を聴いてみたい曲である。

この曲、なんとプロイラストレーターの岸田メル氏がPVを手がけている。

女性視点で描かれている素晴らしいPVだ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3649831

(後編に続く)

2008-12-22

俺より悲惨なクリスマスを迎える人っている?

29才の男。

相手は21才。美人というほどじゃないけど、白いもち肌の子。服装は地味で性格は控え目。

11月上旬、講演会みたいなミーティングで隣りあわせたのをきっかけにメアド交換。

11月中旬、ミーティングの内容なんかのメールで盛り上がる。毎日メールして仲良くなる。

11月下旬、何度か電話する。週末に会う約束が決まる。

12月上旬、初デート上野を散策。仕事の話や趣味の話。帰り道に手をつなぐ。

12月中旬、食事。お酒飲みながら恋愛論や昔つきあってた人の話を聞く。

       クリスマスの予定をそれとなく探る。

12月下旬、いま。メールが来た。

       「相談なんだけど、○万でどう?」

は?

なんで俺に援助交際を求めてくる?意味がわからない。

デートしたり毎日メールやりとりしたよね?あれって恋人になるためのステップだと思ってたんだけど?

俺は援交する人間だと思われたんだろうか?くやしい。

明日会うことになった。なにか事情があるらしいけど電話では教えてくれなかった。

問題は俺の部屋に直接やってくるということ。私は相談してもらう立場なんだから家で待っててほしいと言っている。

危険なんだろうか?

ベッドをソファー代わりに使ってるし、くやしいけど俺も男だから押し売りされたら断り切る自信はない。

何を考えてるのか意味がわからない。

もし万が一、断り切れなかったらあとで激しく後悔しそう。

断り切ったところでシングルクリスマスは確定。悶々としながら一人部屋にこもると思う。

いまは、冗談かいたずらであってほしいとひたすら願ってる。

よし、シングルクリスマスの苦しみは俺が引き受けた!おまえらは今のうちに逃げろ!

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

12月24日夜八時に追記

意味がわからないし全然笑えない結末になったけど書いた方が良いのかな?

増田に書くか自分ブログに書くか考えてる。

もう、自分でもわけがわからなくて、

気持ち切り替えるつもりで明石サンタ電話しようと調べたら、もう締切になってたw

よし、苦しみますは俺が引き受けたから、おまえらだけでも逃げ切ってくれ!

2008-12-17

今年は大学生になって彼女はできなかったけど4人とエッチした。

大学入ったらなんかサークル関係かなんかで簡単に彼女ができるかと思ったらできず。

でも、その代わり(?)童貞喪失はちゃんとできて今年で4人もエッチした。

(1)大学の先輩

知り合って二週間目ぐらいの五月。先輩に誘われるままついてくと部室で「私、この子とセックスしたいんだけど誰か車貸して」って言って車の鍵借りて昼休みカーセックスする。跨ぐ形で生でズコズコやって当然中だしになる。心配してるとニコッと笑って「大丈夫、私妊娠しない体質だから」って言うので安心する。

(2)バイトの人

100均バイトで27にもなって未だにフリーターなノーフューチャーな人。バイト入って二日目で休憩室でフェラしてもらう。次のシフトが重なったときに終わって帰り道の途中の公園でする。以下バイトやめるまでシフト重なるたびにそんな感じ。

(3)通りがかりのギャル

酔っ払って深夜徘徊しているときに同じく徘徊してたギャルナンパする。そのまま漫喫に行って合体。でも、ギャルの声が大きくて店員にバレて注意される。ギャルが「男女ペアで入ったらやるの当然じゃね?」ってキレてた。漫喫を出てすぐの駐車場で知らん人の車のボンネットを利用して立ちバックでする。

(4)大学の同級生

同級生っていっても社会人入試かなんか)で入ってきた主婦。友達作らずに黙々と勉強してるとこを声かけたら孤独だったみたいですぐ食いついてきた。まずはホテルで一回やったところで(もちろん相手の金)次は相手の家に行く。一ヶ月かけて寝室で一発、居間で一発、風呂で一発、相手の個人部屋で一発、夫の個人部屋で一発、使わなくなった娘の部屋で一発と全部屋コンプリート。今は何とかして夫を出し抜いてクリスマスに一発できないか調整してるところ。もちろん新年一発も狙ってる。

2008-12-15

Beautiful Star's

http://anond.hatelabo.jp/20081214225542

原曲:嵐Beautiful day's

Beautiful Star's

星が輝くよ きらり

星がじわり 増えていくよ

嬉しいほど きれいだね

話しを聞いて ほしいこと

あれもこれもあるけれど

百文字に 収めたら ネガコメのまま

星に願うと いつか叶うと言うけれど

星の中でしか僕ら 永遠にもう会えない

星が輝くよ きらり

星がじわり 増えてゆくよ

帰り道 スターが止まらない 星がずっと

星にネガコメが ポロリ

星がほろり こぼれてくよ

悲しいほど disりだね

ネガコメをわけあって スターの数減らすより

喜びを 分かち合えない方がつらいね

はてなの奥に映る こぼれるスターが

今でも 勇気くれるよ

もう一度 押したい

星に向って クリっク

そうクリック 星の限り

不思議だね ひとつじゃないんだ 星はずっと

星に向かい 手を振るよ

この手振るよ 力こめて

それがhatenerの サイン

楽しくても 苦しくても

もう星には会えない どんなに願ってても

星が輝くよ きらり

星がじわり 増えてゆくよ

帰り道 スターが止まらない 星がずっと

星にネガコメが ポロリ

星がほろり こぼれてくよ

悲しいほど disりだね

星に向って クリっク

そうクリック 星の限り

不思議だね ひとつじゃないんだ 星はずっと

いつまでも忘れないよ 忘れないよ

きみといつか 星に描いた未来

http://jp.youtube.com/watch?v=mVdvRpNBpqo&feature=related

どうやらおれには才能がないみたいだ、誰か改編、夜露死苦

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