2009-04-05

口の中のザリガニ

3ヶ月ぶりのソープ。ただのソープじゃない。手取り15万から生活費差し引いて残った2万5000円を毎月こつこつと貯めて120分7万円の高級ソープ。その3ヶ月ぶりの高級ソープでひいきにしている嬢との事後の話。

「ねえ、ザリガニとか飼ってる?」

ザリガニ?いや飼ってないけど、なんで?」

「あ、そう。ならいいんだ」

「なんだよ言えよ」

「ううん。本当何でもないんだって」

「いいから言えって。俺そういう思わせぶりな態度が一番嫌いなんだよ」

「本当、気のせいだと思うし、あたしの勘違いだと思うんだけど」自分の頑固さを知っているせいか諦めたように嬢は言った。「キスした時にちょっとザリガニの臭いがしたから」

それを聞いた自分の胸に去来していたのは怒りや驚き、戸惑いなどではなく小学校5年生の時の教室の風景だった。学期のはじめ。生き物係だった高畑くんが持ってきたザリガニを教室で飼うことになった。最初はみんな楽しそうだった。男子も女子も目新しいザリガニに、大きくてカッコいいザリガニに夢中になった。だけど飽きっぽい小学生のこと。一週間も過ぎた頃には誰も見向きもしなくなった。いつもならそれで終わりだった。飽きられ忘れられた生き物はいつの間にかいなくなる。死んだり生き物係の子がこっそり逃がしたりして。でもザリガニの場合だけは違ってた。

飼い始めて2週間目に入った頃、なんかくさくない?教室ではそんな言葉がちらほら聞こえるようになった。「なんか」と言ってもみんな「なにが」くさいのかはわかっていた。狭い教室だ。子供とはいえすぐにわかる。だから答えを知りたいための疑問文ではなく、自分が臭いと思っていることを婉曲に表現するための疑問文だった。そんな気遣いができるくらいにはみんな大人だった。だから露骨に高畑くんの前で、なんかくさくない?という子はおらず、自分の中でザリガニの臭いが許容できる悪臭の限度を超えた時に、誰かと共感することで少しでもそれを緩和させようという、仕方のない発露だった。

でも3週間目も半分を過ぎたある日。事件が起こった。ザリガニが入ってた水槽は窓側の一番前にある棚に置かれていた。最初の頃は先生も生徒達に問題を解かせてる間、暇つぶしに窓際に行ってザリガニを眺めていたりもしたのだけど、2週間目に入った頃から見ることはなくなり、3週間目に入ってからは教卓から窓際に動くことすらなくなっていた。ザリガニ水槽はそれくらい臭かった。だから窓側の列で一番前の席に座ってた立花さんがそれまで黙って耐えることができたのが奇跡のようなものだった。その日の5時間目。算数の時間。立花さんは盛大に吐いた。湯気がゆらめく吐瀉物の中には豆腐ワカメと半分になったうずらの玉子が見えた。給食中華丼とけんちん汁だった。ただでさえゲロっぽいから立花さんの胃でどのくらい消化されたのかもわからなかった。周りの子もおなかいっぱいに食べた中華丼と、立花さんのゲロのすっぱい臭いと、教室の隅々にまで染みこんでいる嗅ぎ慣れたザリガニの臭いのせいで、盛大に吐いた。次々にみんなが吐いていく様子を、廊下側の一番後ろの席で見ていた自分は、ドミノ倒しみたいだなっと思いながら吐いた。6時間目になっても掃除は終わらなかった。

その日以来、高畑くんに対するみんなの態度が変わった。婉曲的な疑問文は直接的な罵倒に。直接的な罵倒は直接的な攻撃に。そして直接的な攻撃は最後に透明な存在へと変わっていった。誰も高畑くんが見えなくなっていた。自分もその後の高畑くんの記憶がない。みんながシカトして、シカトしてることも忘れるくらいの、完全なシカトだった。唯一不完全だったのは、教室で誰かと話している時に、窓側の一番前にあるからっぽの水槽存在だった。それを見たとき誰もが一瞬止まった。何かがひっかかるのだ。でも脳はそれを抑圧し何事もなかったかのように話を続けた。不完全なのは本当にそれくらいだった。

ザリガニの臭いがする。そう言われるまで本当に高畑くんのことを忘れていた。帰り道はそのことばかり考えていた。あれから高畑くんはどうなったんだろう。ザリガニはいつからいなくなったんだろう。どうして自分は今まで忘れていたんだろう。家に着くと洗面場へ向かった。大きく口を開いて鏡を覗く。そこに映る大きく暗い穴の中には小さな赤いザリガニ高畑くんが暮らしていた。

  • 内容はベタだが「」をそれなりに抑制してるところは評価。特に回想での「」の抑制は語りの地点と回想された場面との距離の表すのに最適です。よくできました。

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