はてなキーワード: エヴァンジェリンとは
無理にでも何ででもハッピーエンドに持っていくんだという意志力が好きだ。
そんなこと言うて赤松健の漫画はラブひなとネギま!とUQしか読んでないのだけれど、まぁファンになってからそろそろ20年くらいになるんで雑に語ってもいいだろ。
嫌いなところがないわけじゃない。女の子が無意味に脱げるのは好きじゃない。いや、UQ後半になると男も無意味に脱がされるようになってたけど、そうじゃねぇだろうとは思う。
でも、登場人物を絶対に幸せにするんだという作者の意図を端々から感じるのは好きなのだ。
特にヤバいのが主要登場人物のエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの扱い。
ネギま!に登場する彼女はネギま!の物語の枠の中だとどうあがいてもビターエンドしか迎えられなかった。
主人公のネギの父親に惚れているという設定上、ネギが家族を取り戻すことになったときには彼女の居場所はなくなってしまう。その上不死身の吸血鬼。ネギま!の物語が終わったあと、彼女は孤独を抱えながらその後の生を過ごすというエンドしか用意できないわけですよ。ネギま!の物語の枠の中だと。
それどうするのかなー、と思いながらネギま!を読んでたら突然の最終回。
そしてあまり間を置かずにエヴァとネギの孫の刀太が主人公のネギま!のその後の物語UQ HOLDER!が始まって、この二人が不死者として生きていく話が展開されていく。
なんでネギま!をやめてUQを始めたのか、最初はわからなかった。そのうち、UQの世界はネギま!がハッピーエンドにならなかった世界線なのだと明かされていく。んで、UQの最終回。
そこにあったのは幸せそうに笑うエヴァンジェリンの姿だったんですな。そこまで読んで鈍い俺でもようやく気がついた。そうか、UQはエヴァを幸せにするために用意された物語だったのか、と。
もうね、ひとりのキャラを幸せにするためにネギま!の連載を終わらせUQの物語を全28巻も続けたのか、と。本当にもう脱帽。
赤松先生、議員をやめたらまた漫画描いて欲しい。他にもトロッコ問題をぶち壊すエピソードとか、ネギま!やUQで描かれたハッピーに終わるひとつひとつのエピソード、好きなんだよ、本当に。
主人公にデレッデレで恋愛至上主義のヒロインに魅力感じる読者っているのかね。
まあ、内心デレデレなのは別にいいんだが、あんたの人生それだけかよって、いつも思うんだよね。
「最も重要なもの(目的とか価値観とか)は別にあって、ついでに主人公も憎からず思ってる」
ぬーべーのゆきめとか、ぬーべーを殺そうとしてた時とか「さようなら鵺野先生」とか言ってた時の方が明らかにヒロイン力高いだろ。
(あ、ネタバレあるんで一応。)
GS美神の裏ヒロインというか、このキャラの存在が重すぎて作品が終了した感があるルシオラとかね。
ヤッたら死ぬけど、今夜一発ヤって死のう!ってくらい横島にホレてる割に、
終始一貫して横島と食い違ってて、最重要なのは自分の価値観であって横島じゃないんだよねあのキャラ。
「横島のためなら死んでもいい」じゃなくて「ホレた相手のためなら死んでもいい」なんだよね。
あんたヤッたら死ぬでしょーがそこまでして求めるほどの男かって妹に止められた時に、横島のここが良いとか何とか一切言わないんだよね。
自分の一生はどうせ短いからホレた相手と結ばれて終わるのも悪くないって言って妹はり倒すんだよね。
エヴァの赤と青もね、基本的に主人公の事とか二の次じゃん。あれがいいんだよ。あの位置づけがあったから、あんだけ人気が出たんだよ。
シンジも自分の事でいっぱいいっぱいで、二人の事とかどうでもいいじゃん。あれでいいんだよ。
二次創作とか読んでると、デレデレラブラブになった途端にスーッと冷めていくのが自分で分かるんだよね。
「あ、これ別キャラだわ」って感じになるんだよね。
内心デレるのは構わんけど、それを表に出すなって。
よく考えると「釣った魚にエサはやらない」ってだけの気もするが、
「他に重要な悩みはないです」って底の浅さをアピールしてるような感じで魅力度大幅ダウンなんだよね。
ネギまでエヴァンジェリンがトルストイを引用して「幸せな奴はみな似たり寄ったりだが、不幸な奴はそれぞれに違うとゆーことだな。」と幸せそうなやつはつまらんと文句言ってるが、要するにそれよ。