検索エンジンとしてGoogleでは、いかに「Google以外のネットに移動してもらうか」が重要だった。
いかに早く検索結果を出し、有益なサイトに飛んでもらうのが良い検索サイトだったわけだ。
だがいつの間にか、いかに「Googleの中にとどまらせるか」に変わった。
検索エンジン以外に幅広く手掛けるようになって、どれかのサービスを切り替えながら居続けてもらう方がGoogleにとって良くなった。
アドレスバーをなくしてURL確認できないようになれば、人々は知らないサイトは危険だから「Googleなら安心か」ということでGoogleの中にとどまる。
自社で持っているサービスを上位に表示させ、類似サービスを下位に表示するのも出来る。
ネット情報で解決しないようになり、どこかで書籍に戻るとなったらGoogle Playブックスで購入してもらったらいい。
そして並大抵の事では次の検索エンジンは現れない。
膨大なサーバーを持たないといけないので天才が数人現れた所で太刀打ち出来ない。
Googleを打倒するような天才が現れようとするのも、教育現場から拾ってきたデータでつかめ、Google社員がハイアリングのために声をかけると
多くは了承してGoogleに入るだろう。
GoogleからしてもGoogle社内内部の方が確かな情報があるのであり、Googleの外のネットがどうなっていようと構わないという状況になりつつある。
姑(俺の親)が無神経で人格に問題あるのはわかってる
だが今更直るもんでもないし、正直受け流すしかないと思ってる
同居してるわけでもないし、年始のあいさつくらいの付き合いは我慢してほしい
一切孫も会わせないとなると実家と全面対決になって板挟みが苦しい
娘に会えなくなるから離婚はしたくない
助けて
山田キシリトールでいいじゃん
ほう、具体的には、どんな増田?
薬をどうして飲んでくれないんだろう?って医者がいって
そんなこと、医者に知られたいわけないだろ
どうして、僕は医者なのに信じてもらえないんだろう
医者だから信じてもらえて当然である
となれば、これは深刻な問題
信じてもらう、信頼関係を築くということが
どれだけ大変なことだとおもっているか
というのと
信じてもらって当然で、相手が不信感を持っていることが異常であるとするなら、そりゃ深刻な問題
自分を信じてくれないなんて、あいては異常よ
志村けんさんが亡くなったときにやたらめったら悲しむ声を増幅させて
日本中が悲しみに包まれているみたいな雰囲気を無理矢理に作っていたし
少なくとも私にとっては親族が亡くなったこととは何もかもが決定的に違う出来事であったし
どちらかと言うとアフガンで人が死ぬこと、シリアで人が死ぬこと同種のものであった
もちろん彼を大切に想う人がたくさんいるのは分かるしその人達の想いは尊重すべきものだと想う
ただ、そのニュースは会ったこともない人間が一人死ぬこと以上の意味が私にはなかった
そしてあの出来事を殊更に重大に扱うのは他の命に対して少し配慮に欠けると思う
命が一つ消えた、ただそれだけのことだ
どっちに?
姑をぼこればいいのか、なかよくしたいのか、離婚したいのか
助けてというのは、どういう方向になれば助かったのか?
一般論としては仲良くしたいだが、そんなことすれば、我慢の連続で、胃が荒れてもとどおり
だから、たすけて、とは何のことを言っているのか?
それが言えるようになれば、助かるよ
ヒント:姑が消えれば問題はなくなる
お前は外に出る努力をしような
テレビでは朝からコメンテーターたちが、店で飲めない、路上で飲むのもダメ、じゃあどこでどうやって酒を飲んだらいいんだろうか、という話をしていた
シン・ママトラマン