2019-06-30

田舎者との人間関係形成の仕方の違いを感じた話







増田ってなんでみんなと仲良くできないの?」

地方出身同級生に言われた時、うまく言葉が返せなかった。




『みんなと仲良くしましょう!』

しかしたら小学生の時に言われていたのかもしれないが、久しぶりに聞いたフレーズを頭の中で繰り返していた。

大学生にもなって、みんなと、か.....。」

心の中でそう呟いた。


ここ最近、「みんなと」仲良くしようと思ったことが一度もない。

無理してみんなと仲良くしなくても、自分が一緒にいて心地いい関係以外は自然と淘汰されていった。

大学に入った頃から、友人というのは「どちらかが連絡を取ろうとしなければすぐ疎遠になる関係」になっていた。

こうなると、おのずと友人関係限定されてくる。

中高時代の友人も、よく会う人とはラインでもこまめにやり取りをするし、会わない人とは何年も連絡を取らないという形になった。

無理やり会って対して楽しくもない相手と会ったりしないのはみんな同じだと思う。

同じような考えや、同じようなところに楽しさを見出す人、同じ趣味の人。

仲良くしたい相手は限られてくるし、忙しい毎日の中で、使える時間は有限だ。

そして私の中で、今までの経験

他人に何を言っても他人を変えることなどできない」

という考えが自然形成されていた。

大人を改心させるのは難しい。

から何か改心しなければならないという出来事があって初めて改心できる人がほとんどだ。

ましてや友人の言った言葉で改心できる人など本当に限られている。

ずっとそう思って生きていた。



思えば発端は大学で出来た女友達とモメたことだった。3人グループが1:2になるありがちなパターンで、見事に1になった私は、地方出身であった2人から呼び出されてお説教を受けた。

「こういうところ直して欲しいと思ってるの。」

人間関係でいう事実上死刑宣告だと思った。

今までの人生で、友人を呼び出して注意をしたことなど一度もない。

そんなことをするより、黙って疎遠になった方がお互いのためである

相手に何を言っても相手が変わることなどないのだから」、私も相手不愉快な思いをしなくて済むからだ。

仮に、注意されたところを私が直してまた仲良くしたとしよう。

でもまたいつ注意されるかわからない恐怖に私が怯えたまま、向こうは向こうで私がきちんと直せているのかなんとなく気にしたまま、ずっとずっと残りの大学生活が続くわけがない。

私は3人グループからの脱退を宣言し、1人になった。その後なぜか向こうの2人組が決裂し、また私は片割れと仲良くし始めるのだが、もう1人とは完全に疎遠になった。








増田ってなんでみんなと仲良くできないの?」

その事件からかなりの時が過ぎ、冒頭の同級生と喋っていた時だった。

突然その言葉が私に降りかかってきたのだ。

面食らっていたので、なんと返したかよく覚えていない。そう?とかそんな感じだったと思う。

「ほら、○○とかさ。あれから喋ってないんだろ?いい加減仲直りしたら?」

本当に驚いた。

あの時の女友達名前が出てきたのだ。

なぜまた仲直りする必要があるのか。

お互いに別のコミュニティ形成し、なんの滞りもなくやっている。大学生活において、同級生誰か1人と特にさない程度で誰にも迷惑をかけることはない。

まあ確かに医学部から、他の学部よりは多少学年みんなでこなす授業は多いけど、私が記憶する限り困ったことはなかったはずだった。

その場は適当ごまかし、後日仲のいい友人に聞いてみた。

「みんなと仲良くすることって、本当に必要だと思う?」

その友人も地方出身であったが、私の予想するはるか斜め上の答えが返ってきた。

「うーん....でも、増田も含めて、東京出身のやつって人間関係すぐ切る人多いよ。」

「.....どういうこと?」

「難しいんだけど......俺らみたいな地方出身のやつって、小学校からずっと基本的コミュニティが一緒なの。小学校中学校は同じで、高校で多少偏差値別になるけど、どこに住んでるとか大体わかるし、大学は、まあ地方医学部ってのもあるけど、高校で成績が上位だったやつはみんな一緒だから大学行ってないやつもたくさんいるけど、東京出たやつも、戻ってきた時はみんなで遊ぶし。だから基本的に仲良くするしかないんだよ。東京と違うからさ。」

彼がいうには、地方出身者は、合わない人間とも同じコミュニティで頑張っていかなければならないから、合わない人間には注意するし、注意したあとは何もなかったように仲良くするのだと。

東京出身人間は、合わなければそれで終わりにしてしまう。疎遠にして、お互い歩み寄ることはしない。でもそれは、人間が常にたくさんいて、出たり入ったりしており、新しいコミュニティいくらでも形成することができるからこそなのだと。

更に続けて彼は言った。

東京出身のやつはさ、言語化能力高いと思うよ。自分気持ちとか、常に自分言葉で伝えられる。地方出身のやつは無理だね。俺も無理。聞かれたら答えるけど、わざわざ自分から伝えなくても、人が少ないか意見はいつも聞いてもらえるし、目立ちたくないもん。東京と違って、埋没することもないし、アピールする必要がない。」

そうかもね、と返しながら、いつもはあまりさないのに、私よりずっと言語化能力の高い友人の分析に、目が覚めたような思いでいたのを覚えている。


地方出身が全員そんなわけないだろうと言われるだろう。もちろんそんなのは当たり前だ。

ただ、その上で私が言いたいのは、そういう考え方もあるということ、そしてそう考えている人も少なからずいるということなである

一応私は私なりに、女友達との事件の時、いろんなことに傷ついた。人間関係飲み会のついでに小言のようなことを言われたこともあった。

当時はそれについて何日も悩んだが、ここに1つの答えが存在したことを、どうしてもどこかに書いておきたいと思ったのだ。




いつぞやのように炎上するかもしれない。

あの時のように「本を読まなかったからだ」「想像力の欠如だ」と言われるのだろうが、私にとっては本で得る活字上の知識と、実際の体験とは全く異なるが、まあそれは良いとする。

他にも実は前回いろんなことを言われているのだが、そのほとんどに目を通した上で、それでも私は書きたいのだ。

自分自分の周りに話すだけで、この気持ちを終わらせたくないと思ったりしている自分がいるのだ。

これを読んでくれたあなたはどう思うだろう。

もし何か思うことがあれば、何でもいいから教えて欲しいと思っている。

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