もう何年か前の話になるけど,とりあえず書き出してみる.
ある程度脚色があるけど,どうせ増田だし皆さんの信じたいところまでお読み下さい.
新卒で就職して1年位たったある日,学生時代の同期たちと飲み会があった.
そこに,世間一般にいうところの意識高い系の学生生活を送った文系の女の子がいた.
その子は,国内の自動車メーカーで,国内の協力会社を相手とする調達職をしていた.
「今年は去年よりも値下げ率上げられたの?」と聞いてみると
「下げられた.下請けに買わないよって言うと下げてくれる」と.
発注の停止を提示して値下げ要求することは,買い叩きとして下請法で禁じられている.
「以前から継続して発注してる部材を一方的に買い叩くのは違法じゃなかったっけ?」
「えーそんなことないよー,だってあの人達ウチらいるからやってけてるんじゃないの?」
自分は車に対しては下位サプライヤーとなる,基幹部品寄りの企業に勤めている.
『そういう立場にある発注元が,値下げを強要するのが違法だ』という言葉を飲み込み,
その日の会は和やかにお開きとなった.
「自動車メーカーは調達にちゃんとした教育をしないのかよ」といった思いよりも,
彼女がとても生き生きと,下請けの値下げの話をしていた事が気になった.
与えられたから,あんなに生き生きしていたのではないだろうか.
努力教の人間は,「努力をしてこなかった人たち」に対しては,いくらでも残酷になれる.
彼らにとって,海外の貧しい人たちは,めぐり合わせの悪かった「施すべき人たち」だが,
国内にいる下位カーストの人間は「努力をしてこなかった人たち」だ.
もちろん,努力教の自己意識が有ることと,自分が実際に努力してきたことは別問題である.
恵まれた環境によって,満たされた地位にある大学生は,学生活動()等を通じて,
互いに努力しあっている(切磋琢磨している!)集団を演出し,自分以外の学生や,
彼女は,海外留学経験もあり,国際理解が深く,それなりに教養もある.
それは,現在の日本では,恵まれた環境に生まれ育たなければ,与えられないものではあるのだが,
彼女は現状を「自分の努力で獲得した」と思いたかったのではないか.
そして彼女は,下請けに対して「努力をしてこなかった人間を自分らが施している」と認識したのではないか?
零細のサプライヤは,努力をして来なかったから現状があると思っているのではないか?
そして自動車メーカーは,彼女の自意識を見抜いて,現状を肯定してやり調達職として利用したのではないか?
そんな疑問が,年月のたった現在でも,湧き上がってくる.
意識の高い若者が,得られなかった優越感,選民意識を,下請けと言う名の「下位カースト」を与えてやる事で満たしてやる,
圧倒的トヨタ感。でも下請法知らないとは思えんなー。ちょくちょく処分?されてるみたいだから。