2016-05-09

俺に感動を返してくれ

26歳?頃からからウキウキクワクしたことがない

何というか我を忘れてという状態になったことがない

何もかも忘れて何かに没頭したためしがない

どこかに冷めた自分がいてそいつが冷静に冷めたことを考える

ここまで書いて痛々しい中二病だなと思ったけど

そういう気恥ずかしさや自嘲気味な感情すら沸いてこない

「終わったな自分

そういう状態がずっと続いている

 

「終わった自分」が誕生したのはいからだろうか、その原因もハッキリとは覚えてないと思う。

その終わった自分になる前は、高校1年生には既に「どんな人間もいずれ死ぬのになぜ必死になって頑張らなければいけないのか?」

という疑問を持つようになった。

今もそれに対して明確な答えは持ち合わせていないし必死に頑張ることによる成果の意味というのは無いと思っている。

過程にこそ意味があれ、成果は結果として名実ともにただの結果であり意味はないと考えている。

単に命という過程の通過点にすぎず、真の結果とは個人の死だと考えているからだ。

 

話が脱線したが、要はなぜ無感動になったかという話だ。

先ほど死は約束されていてすべての結果は個人としての死に繋がると言った。

そしてそれが少なからず無感動なもうひとりの自分を生成してしまった一因であると考える。

考えをまとめるまでは自分体験する事やこれから歩む人生オリジナルものだと思っていた。

誰もが見たことの無い体験をしていくのだと。

しかし歳を重ね勉強を重ねるにつれて、自分がこうやって成長していくのに対して、

社会歴史、世の中の歴史を振り返ると成熟していくどころか定期的に逆行でもしているかのような

退行を周期的に繰り返していることに気付いた。

なぜ、過去から学べる過ちを何度も人の世は繰り返しているのかに疑問を持つようになる。

それは集団としてもそうだし人生の教訓が生まれるだけ同じ過ちを個人レベルで繰り返してきたことの根本的な疑問でもある。

 

考えた結果

それは人間が「死ぬからであるという答えにたどり着いた。

 

人間は膨大な情報を吸収してもそれを子孫に正確にフィードバックしていくことができない。

パソコンのように簡単に引き継がせることはできないのだ。

学問のような人間主体ではなく徹底的な数値化や平均化をされた分野であるのならば逆戻りすることはないだろう。

しか「人生」についてはどうだ?

人生は個人によって幸せ基準も違うし可能選択肢もそれぞれ全く異なってくる。

幸せという結果を導き出すための方法は個々で違うのであるし、あるとしてもそれを知る余地はない。

そのため、振り返りでしか反省や教訓を残すことができないのだ。

しかもこの反省にしても人によりけりという強烈な主張の前には霧散しがちだ。

適応することが可能でも逃げ口上に使われて、この言葉の持つ力の強さに払いのけられる場合もある。

ともかく、人間は例え人生において経験値を積み重ねたとしても生物としての終局を迎えることで

その経験永遠にロストし、なおかつそれを正確に後世に伝えることができていない、

そのために同じ過ちを人の世は何度も繰り返してきたという結論に至った。

 

自分もその大きな渦の中で溺れるように巻き込まれた者の一人であり、

最終的に死ぬ前に悟ったような顔で人生を極めたとしても、

ろくに正確に引き継ぐこともできずに経験と一緒に闇に帰るだろう。

例え、学問においては足跡を残したとしても、それは自分でなくても良かったことであり、ただの早いもの勝ちに過ぎない。

そしてそれが正解だと歴史証明するのにもまた自分の死後いくらか経ってからでなければ正確には判断できない。

学問が本当に貢献できたかどうかを疑う余地のないくらい信じることができる瞬間は恐らく生きている内には訪れないだろう。

もし1つの発明研究が認められただけで心から喜ぶものがいたとしたら

手品をやってお客を喜ばせたほうがまだ幸せ人生を送れるはずだ。

 

そして生物的な幸福として子供を産み育てるという欲求が用意されているが、

これこそまさに自分の死が約束されているからこそ必然として設定された欲求だろう。

子どもは生まれる前はこの世にいないし産んでくれと頼みもしない。

まれ子どもたちはすべからく親の寂しさや侘しさや欲望を受け止めるため、

親に利用されるためにこの世に生まれてきている。

の子でさえいずれは老いて死ぬというのに、それを遺伝子命令されて続ける奴隷として命がある。

それのどこが尊いと言うのだろうか?

ペットを欲しがるということ、自分の子どもを欲しがるということ。

そこに何の違いがあるというのだろう?

 

人は死ぬということ。

人の世は成長しないということ。

学問自分存在理由証明にはならないこと。

子を成す欲求は本能から来ているということ。

 

他にも理由はあるかもしれないが、

ただただ虚しくなった。

いつか死ぬ、どれだけ積み重ねても死ぬ

なのに人の世は成長しない。

完全な平和永久に訪れることはない。

虚しくなった。

自分を慰めるために子を成すことさえ希望にはならない。

俺がこの先歩く道が誰かが歩いた道で

俺が歩いた道はこの先誰かが歩く道で

同じことの繰り返し

同じことのくりかえし

 

人が本当に人として自立できるようになるためには、不死が必要だと考える。

同じことを繰り返さずに進化し続けるためには不死が前提であると考える。

過去偉人の誰も達成できなかった偉業は不死によって物語は完結されるだろう。

永久に生きる人、間違えることの無い人、完璧な人。

超人が生まれた瞬間にこそすべての人類が生まれ、死んで来た意味があると考える。

 

俺の感動は俺の虚無感から来ている。

俺の虚無感は人類の欠陥から来ている。

人類の欠陥は超人により克服される。

 

俺は夢をみて眠りにつく。

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