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2018-08-26

powerappで、多くの業務プログラマ廃業

金づちやカンナを駆使していた大工が、2×4工法に替わって現場ではホチキスでバチンバチンやれば建物が建つようになった。

建築なら、それでも現場ゼロ人はありえないが、業務システムクラウド内で規格化された部品フローを組み立てるだけで出来るようになって、ユーザー自分安全に組み立てられるようになった。

私のスキルひとつ代替されることになるが、コンピュータオーナーにとってやっとまともな道具になってきたというか、時代の流れだよな。

2013-03-02

沖縄青森平均寿命順位は、実は住宅構造も影響している」という仮説

先日、各県毎の平均寿命が公表され、

沖縄県女性寿命が首位から陥落したこと

長野県が男女とも寿命首位になったこと

青森県が男女とも最下位であること

が話題になっている。

この順位の理由としては、様々な要因があるが、主な要因として

食生活

運動の有無

健康啓発、検診啓発

医療体制の充実

が主要因である、と皆思っているだろう。

まり

沖縄が今まで長寿日本一だったのは、沖縄料理長寿に貢献したからだ(海藻が多い、豚肉摂取で適度に動物蛋白がある)

★だが、沖縄が首位陥落したのは、米軍進駐の影響でステーキハンバーガーなどのファーストフードジャンクフード

 影響を受け、中年成人病が増えたか

★また、那覇都市圏都市圏人口100万人)に暮らして、マイカー依存運動しない人が増えたため

長野長寿日本一は、減塩食啓発や、健康診断啓発などの地道な努力が結実したか

青森長寿最下位は、塩分過多な食生活で、高血圧系の成人病胃癌などに罹患やすいか

という説明がなされている。

自分も、上記説明で、各県の寿命差の7~8割は説明できる、とは思っているが、

それ以外の「隠れた副因」も無視できない、と思う。

その理由というのは「住環境の変化」、もっと言えば「冬季、住宅室内が寒いかどうか?」である

高齢者の死因の一つとして、脳卒中心筋梗塞等の循環器系の発作というのがあるが、

この発作の発生要因の一つがとして、

暖かい室内から、急に寒い廊下に行った」とか

寒い浴室から、急に暖かい湯船に浸かった」のような、急激な温度変化が

循環の異変、ショックを招く、と言われている。

ヒートショック、ともコールドショック、とも言われている)

従前の日本の伝統的家屋は、あまり断熱性能も高くなく、(マンションなどに比べると)

冬は暖房なしだと寒かった。

主な居室は暖房を入れても、廊下とか浴室なんかは暖房を入れないため、ヒートショックが起こりがちだった。

一方、沖縄場合は、冬でもそんなに寒くないから、ヒートショックはあまり発生しない、

まり本土と比べると循環器系の発作が起きにくい環境であった、と言える。

これが「沖縄が本土より寿命が長かった」要因の一つであった、と自分は推察している。

(勿論、沖縄料理等の要因が主因だとは思うが、副因としては無視できない。)

しかし、本土の方でも、浴室暖房とか、高断熱住宅とか、マンション居住とか、

ヒートショックが発生しにくい住環境が、徐々に普及しだした。

そうなると、本土のヒートショック回数が減り、寿命が伸びてくる、

逆に言えば「沖縄は追いつかれてしまう、アドバンテージがなくなってしまう」ことになる。

これが、「最近になって、沖縄寿命順位が下がった理由」の副因である

一方、青森県であるが、ここは冬寒い。だからヒートショック本州で最も起こりやすい。

から寿命が一番短い。以上オシマイ。

・・・でオシマイにすればいいのだが、青森より北には北海道という最寒の土地があり、

そっちのほうが寿命が短くなるべきなのに、そうなってない。何故なのか?

北海道青森住宅を眺めてみると、北海道の方が、より断熱性が高く、

全館空調的な造りになっていることに気がつく。

わかりやすい例が、玄関構造

北海道だと玄関が二重になっていて、断熱性能も二重になっている家屋が多いが、

青森では二重玄関は、そんなに普及していない。

また、断熱性能に優れた2×4工法は、シェア的には北海道青森の2倍以上普及している。

よく「北海道では、室内全体にガンガン暖房している、道産子東京に来ると、逆に室内の寒さに驚く」

というエピソードがあるが、これなんかも「北海道では室内全体を暖房している、ヒートショックが起こりにくい」

ことの傍証だろう。

道産子は室内でアイスクリームを食べる、それだけ北海道の室内は暖かい」とも。

また、北海道青森以上にマンションが普及している。

人口構成は札幌都市圏人口の半数近くが居住しているため、雪下ろしの手間が嫌がられているため)

マンションは全体的に断熱性能に優れており、それゆえヒートショックが起こりにくい。

よって、北海道寿命青森より幾分長いことは、これで納得がいく。

ただ、長野寿命が全国最長なのは住宅構造の面からは、なかなか説明がつかない。

やはり、長野については、検診の充実とか減塩食運動効果が大きいのだろう。

2011-10-05

塾講師の悲哀

 正直あまり良い話ではないのですが、貴重な経験であった事と、これを読む人にとっても、そういう事ってあるのだなという意味で、まあ他人の経験談って何かと考える時の材料になるので書こうと思いました。

 っていうよりも自分の一つの記憶として一度整理しておきたいなと思ったってのが本当かもしれません。

 あれは2008年の春の終わり頃だったのでもう3年も前ですが、ある個別指導の塾講師として採用され働きはじめた時の事でした。

 それまで個別指導というのは家庭教師と同じ事をただ塾という場所でやっているものだと思っていたのですが、どうやら個別指導というのは会場に教壇や黒板のような物がなく、一人一人の生徒が個別に課題に取り組み個々の生徒の申し出に応じて講師が席まで行って個別に教えるというものだという事をこの時知りました。もしかしたら塾によって色々と違いはあるかもしれません。

 だから同時に学年の違う生徒が同じ部屋で勉強できるので稼働率という意味では良いのかもしれません。それに講師の個々の技量もありますが、課題制作するのは本部なので、その課題の出来具合も生徒の伸びが左右される、そんな所でした。

 判ってはいたのですが、けっこうなハードワークで時には何十人もの小中学生マシンガンのように「先生!」と呼びつけられます。朝は昼過ぎから始動なのでのんびりしていますが午後は終電少し前くらいまでが普通でした。

 そんな中、接する事になった生徒や親、そしてそれに対する塾としての在り方として、どうしても嫌になってしまった事がありました。嫌な話をするのは嫌ですが、色々と考えさせられたという意味では良い話です

 一つ目は「え?」とビックリしてしまった親の話、まさかと思われるかもしれませんが親の中には「家に居て欲しくないから」という理由で塾に行かせている親がいるという事。本当にこれにはビックリしました。そんな発想はどこから出てくるのかと、ただ例え口でそう思っていると言わなくても態度や対応を見ていればそうとしか思えない。勿論断定するわけではありませんが「ああそうなんだな」と誰でも感じる事はあるでしょう。

 ああ、子供に帰って来てほしくないんだな・・・

 それが僕の頭の中に浮かんだ印象です

 しかし、だからと言って塾として預からないわけにもいきません。なんか悲しくなりますよね。なぜ?なぜそんな親の手助けみたいな事をしなければならないのか?勿論塾として経営状況が素晴らしく良ければ、その事が子供にとって良かろうと悪かろうと塾としては生徒本人の「学びたい」「塾に行きたい」という意思を尊重すべきだと思うので、そういった場合拒否する事も不可能ではないでしょう。

 そして、次これは小学5年生くらいの双子女の子の話です。ちょっと記憶あいまいなのですが、たしかその双子の親は娘達を受験の必要な私立に中学に行かせたかったみたいなのですが、片方の女の子は良かったのですがもう片方の女の子があまり勉強が好きではない様子。やりたくなくてやりたくなくて仕方がなくすぐにイタズラ書きなど始めてしまい。「同じ学校に行けなくなると」と言っても「別にいい」という様子、そして母親講師に対し「もっと厳しくお願いします」というもの

 だいたいにおいてそうですが「やりたい!」と思わせる事も大事ですが、色々とむずかしいものです

 最後に、いわゆる知恵の遅れた子供の話です。知能障害と言っても色々あるようにどう考えても今の制度では普通学校ではなく養護学校などに行くことになってしま場合もあれば「際どい」という場合もあります比較する事がそのまま良いとは思いませんが、同年齢の児童と比べても明らかな差があってもある程度は親の裁量普通学校に行く、もしくわ養護学校から断られる場合もあるでしょう。

 例えば6年生で10÷2を計算する時に一々

  2×1=2

  2×2=4

  2×3=6

  2×4=8

  2×5=10

 あっ答えは10だ!ってならないでしょ?

 この子は確か九九を覚えていなかったのか、知能の問題で九九を覚える事ができないのか不明ですが、一私塾でそこまで広範囲な性質を持った児童にまで対応しきれません。こんな状態であるのにも関わらずそこに、さらに親の「息子に遅れがある」という事を認めたくないというエゴが相まりその児童に対し塾として毎日時間もただ右から左数字を移動するだけのような拷問にも似た作業をさせ続けるという事をしなければなりませんでした。

 かなり主観としての表現なので、そんな事でも長い目で見ればその子の役に立つ勉強なのかもしれません。けれどその時の自分にはどうしてもそうは思えなかったのです

 もちろん、こんな嫌な話ばかりではなく、伸び伸びと成長していく子供達とかかわり、元気がだだ溢れる環境で働けるというのはとても素晴らしい事であるし、一定の生徒にとってはとても有効に活用できる場でもあると思います

 ただ自分にはやっていけないなという思いと、どうにもならないなという無力感に尽き。その仕事は辞める事にしました。

 今この瞬間も塾という場を利用して我が子を苦しめている親がいるかもしれないのかと思うととても悲しいですが、そういう事もあるのだなと知れた事が自分にとってはとても良い経験になりました。

 子供は親にとっての何なのだろう?

 もう子供のいるマイミクも沢山いると思います

 お手伝いしなさい! なんて命令はなんの為?

 もし本当に子供の為であるならば

 絶対にうちの子はあまり手伝いをしない等という

 不満に似た感情は絶対に頭に浮かばないはずです

 あなたは将来自分の子供にお手伝いをさせますか?

 例えば、食器洗いにしてみても

 いまだに「嫌だったのにさせられたなあ」と思いだします。

 皿洗いそのもの全然嫌じゃないのに

 そういう記憶だけはある

 だからなのか・・・

 友達自分の家で夕飯と食べた時とかに

 「いい いい 俺洗うから」とか

 誰かの家で御馳走になった時に

 「御馳走になったし、皿くらい洗わせてよ」

 などと言ってしま

 もしも「皿洗いが楽しい事!」という擦り込みがあったら・・・

 他人の楽しみを奪ってはいけない!と思ってしまから

 洗っていいよ!だとか言ってしまったり

 他人の家でそういった気遣いができなかったかもしれない・・

 お母さん!ありがとう

 でも、こういう作業は嫌がる人の方が多い世の中だから

 してあげると喜ぶよ!って教えてくれれば

 それで良かったのに

 

 
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