はてなキーワード: 蓮根とは
いろんな人が発禁なんて独裁だのなんだの言ってるが発禁で良かったと正直思っている。
しかも発禁なんて独裁だのなんだの言ってる人の多くはトランスジェンダーの事に詳しくない人が多数を占める
これはどういうことかと言うともし発売された場合
トランスジェンダーに詳しくない人は知識が無いためどこが間違ってるか精査できない(中には調べたがる人もいるだろうけどごく少数だと思う)
トランスヘイターはこの書籍を免罪符や大義名分として界隈や個人を殴ってくる
トランスジェンダーに詳しい医師や当事者やアライは数が少ないために内容を訂正しようにも追いつかない状態になる
他の増田とか見聞きした話だと昔買ってはいけない系書籍が出版された際の対抗策が『買ってはいけない系を読むな』というタイトルの書籍を発行するだったそう
現在ならインターネットで反論することも可能だと思うが反ワクチンや陰謀論者やトランスヘイターが消えてない以上は難しいかと思う
最悪のケースとして荒れに荒れてそれを見て病んだ当事者が自殺してしまった場合
この書籍が出版されたのが原因だ!と断定するのはかなり難しいと思うし
大義名分として個人ではなく界隈を殴ってきた場合だと有象無象にいるから個人を特定することは不可能で泣き寝入りにしかならない可能性のほうが高い(この場合に事の発端の出版社を相手取って裁判できるかどうかは法律に詳しくないので誰か教えてくれ)
昔からし蓮根やかいわれ大根で食中毒があった際に関係ない企業まで風評被害にあってかいわれ大根なんか食中毒とは無関係だったのに倒産はたまた自殺者まで出してしまったので
シャワー中、ふと「正岡子規の解像度って低いよね」と思った。彼について、大半の日本国民は、左を向いている氏の顔写真かあるいはホトトギスのイメージを漠然と抱く程度の知識しか持たないだろう、まあ私も知らないんだけど、と考えた所で、私は正岡子規の「解像度」ではなく正岡子規の「理解」と言うべきだったなと自らの過ちに気が付いた。解像度が低いという表現はけだし今風である。ここから転じて、「今風に言えば*」というワードで検索することにより私の知らないシノニム存在に出会えるのではないかという仮説が生まれた。
子規は写実(写生)にこだわったらしい。見たものをありのまま誇張せず書くことが正義なのであーる、などと標榜して支持を集めたが、一方で、かの漱石には「二十世紀の今日こんな立場のみに籠城して得意になって他を軽蔑するのは誤っている」と批判を受けた。私は、ありのままを良しとする子規の思想には少しばかり同意する部分があり、例えば直近で言うならXに流れてきた毒々しい色彩の写真を添えて「まるで絵画だった」と書いた意味不明のポストが目に入ってうげーと思った。というか前にも同じ趣向のネタを見たので、またか、とも思った。モネの池だったか、アメリカのシリアルくらいカラフルな鯉や葉が写っていて辟易した。
そんなことを考えながら包丁をスポンジで洗っていたら小指が当たって、痛っ、となったが、幸いなことに血は出なかった。痛っ、となった瞬間、指をじっと見つめて、さあ、血が、傷口から血が出るのか出ないのか、どっちなんだい、(パワー)、と確認する時のあのドキドキ感は格別である。
夕食、スーパーで買った「蓮根のつくね挟み焼き」のパックを眺めながら、この食べ物のネーミングの正しさについて考えていた。「挟み焼き」で検索すれば出てくるが、中には「蓮根とえびの挟み焼き」、「ひき肉のれんこん挟み焼き」といった考え足らずなネーミングも見られる。この場合は、蓮根の[挟まれるもの]焼きとするのが正しいと私は思う。