はてなキーワード: 五行説とは
私はこれを祖母から教わった。祖母はその母から。曽祖母は、その母から。
私の母は、祖母から教わらなかった。これは二人の関係性の問題だ。
だから私は、母の前では増田に投稿しなかった。あるいは、わざとブクマを稼げるような投稿から程遠い内容を書き込んだ。
そのままブクマ0、トラバ0で流れていくのを母に暗に示したこともあった。
天保のころに文書が燃えて、古い記録は一切失われたのだそうだ。祖母が言っていた。祖母は曽祖母から聴いたと言う。
私は、それがもしあっても、いつから増田に投稿しているかはわからなかったのでは、と思っている。
あやふやな由来記しか書かれてなかったのではないか。失われたからこそ、色々と想像の余地が生まれる。
文の構成要素や、それを用いる順番(流れの様なもの)、投稿する時間帯や、呼応する(であろう)ファーストからサードブクマ家。
古い教えなので、五行説に基づいた緻密な理論がある。もちろん、五行説は譬えで使われているにすぎないのだが、昔の人はわかりやすい仕組みを考えたものだ、と感じる。
祖母が亡くなって19年経つ。亡くなるまで母とは不仲だったし、時を経るごとに離れて行ったように思う。
祖母の書く増田は、先祖からの言い伝えを鮮やかかつ優美に再現し文を編む。で、祖母はそこにちょっとだけ「乱れ」を含ませるという。
あえて五行を「乱す」のだ。五行はあくまで譬えなので、揃えることがかならずしもブクマ稼ぎに直結しないのだと言う。
祖母はそういうのをあまり気にしなかった。母は、祖母のこうした気質が気に入らなかったのかもしれない。
「五行」に基礎づき、しかしそれを「乱す」ような出来事があった場合、祖母は増田に書き込み、そしてたくさんのブクマを稼いだ。
祖母は実体験を増田に編むのに長けていた。実体験の中でも話が「乱れ」る話が得意だった。その方が読み手にリアリティや想像性を伝えられる、とのことだった。
私は15歳の娘が増田に書いているのを見た。
最近、木星に人類がはじめて到達したことに関して、地球の通っている学校でどのような話をしたか(莫大な公費がつぎ込まれている)。
そうした内容で投稿された増田。「五行」は完璧だ。だが、伸びない。189ブクマ。平凡な結果だ。「五行」を満たしたのに。
直接アドバイスすると彼女の気分を害するので、祖母との昔話の体で、「五行」を満たすだけでは嘘くさて、古い言葉で嘘松とか言われてしまう(たとえそれが実際にあった出来事でも)という話をした。
祖母そっくりになった私の母は、うらめしそうな顔でこのやり取りを見ている。遂に増田に書かなかった母。
母からすれば、増田に永遠に書き続ける家の習わしを奇妙で「乱れた」ものと感じ、生を送ってきた。二つの要素は等距離で「乱れ」ている。
「レイキ」についてちょっと検索してみて、「怪しい宗教のようなものではない」と言っていたけど、僕の印象はこれは宗教的なものだと思う。とくに、やたらと「由緒の正しさ」みたいなものを重視してる辺りが。
あと、「レイキはこんなに素晴らしい」という記述は多いけど、実践法についての解説がほとんど見つからない。これだと「レイキ」の部分を「波動」とか「宇宙エネルギー」とか「光の力」とか、任意の言葉に入れ換えても同じような論理展開ができてしまうよ。
具体論について言えば、確かに、漢方や中医学には「気」という概念がある。僕も、身体や心の変調を、色んな性質(陰とか陽とか五行説とか)を持った「気」が体の中を流れているという考え方でとらえるのはそれなりの合理性があると思ってる。
でもこれは、あくまで体の中で起きていることの理解で、「気を送る」みたいに、体の外側とのやり取りについては何も言ってないんですよ。実際、漢方や中医学でも、上で述べた「体の中を流れる気のコントロール」(内気功と呼ばれる)は認めているけど、「気を体の外とやり取りすること」(外気功という)は明確に否定してる。
僕はお母さんがセミナーで実際に体験したことまでは否定するつもりはないよ。それは確かにお母さんにとって実際に起きたことで、どんな理屈を述べても否定することはできない。
でもね、人間の心と身体の関係って面白くって、「科学で説明できない何か」を使わなくても、色んなやり方で、身体のコントロールができたりするんですよ。自己催眠とかやったことがあればわかるかも知れないけど、催眠状態で暗示を受けることで、体温が上がったように感じたり、眠くなったり、外から力をかけられているように感じたりするっていうことは普通に起きる。他にも、手のひらの温度をサーモグラフィで見ながら訓練することで、自分の意思で手のひらの温度を数度とかのレベルでコントロールできるようになったりする(ニューロ(神経)フィードバックって呼ばれてる)。
だから逆に、そういうすべに長けたひとの指導を受けたり、心が強い影響を受けやすい環境におかれたり(暗い部屋でお香を炊いたりとか、集団でお経を唱えたりとか、ね)すると、不思議な体験って結構簡単にできちゃったりするんですよ。
勿論、それをどう解釈するかは本人次第だし、自分の心持ちをコントロールしていい状態に持っていくために積極的に利用するのはアリだと思うよ。でも、仏教やキリスト教みたいに広く人口に膾炙して、色んな歴史を経てきた宗教とかと違って、「レイキ」みたいな新しい考え方っていうのはアンバランスな部分が十分に削ぎ落とされてないから、ハマったときに危険なことになりやすい。
伝統的な宗教(特に仏教とかね)が即物的な利益を否定していることが多いのは、そういう方向に流れると結局破綻することにつながりやすいから。
特に、自分の身心が不安定になったとき(家族が大きな病気にかかったり、身近な人の不幸に遭遇したり)っていうのは、上で書いた「心が強い影響を受けやすい」状態になっているから、なおのことそういう不思議体験に引っかかるリスクが高くなってる。(だから本当は、普段からより「安全な」宗教を実践して、心のトレーニングを積んでおくことが重要なの)
色々不安になることが多くて、心の拠り所が欲しくなるっていうのは誰にでもあることだし、それは全然悪いことじゃないよ。でもだからこそ、そういう心のスキマには色んなモノが入り込んできやすいから、気を付けないといけない。
これは最近読んだ本の受け売りだけど、例えば毎日仏壇の前で手を合わせるときに、自分の心について内省してみて、何が自分にとって大事なことなのか、何が自分の身近な人達にとって大事なことなのか、どうして自分は不安なのか、どういう巡り合わせで今の自分は存在するのか、そういことに考えを巡らしてみるってのもいいと思うよ。
長くなったけどとりあえずこんなところで。あまり協力する方向にいけなくてごめんなさい。