名前を隠して楽しく日記。
80年代には一世を風靡した一冊であり、本書は衒学的な表現に溢れ、一見難解そうに感じるかもしれない。
フーコーやデリダに触発されて書かれた本書は脱構築や反権威主義化に向かうアカデニズムの潮流を明確に示したに過ぎない。
何故なら本書で指摘するのは共同体の解体並びに神話の終焉でもあり、資本主義の加速化によって新たな価値観の創出と新たな神話の出現を預言しているからだ。
平たく言えば、資本主義の加速は貨幣の価値を高める。それも神話レベルにまで。
見せてるんで✋
外国で働いていた知人のお子さんが大病を患って帰国することになった。
そりゃ国民健康保険のある日本で治したいよな。親のサポートもあるし。
お子さんは、小中学校は日本の税金で無料で通い、高校も補助金が出て(これもそのうち無償化するだろうが)、大学は留学し、現地で就職した。
今の親は子供に積極的に外国語を学ばせているし、実際子供の語学力も高い。
だからこのお子さんだけじゃない。
日本の税金で学校に行き、働いて金使うのも納税するのも外国、病気になれば治療は日本、そんな若者が増えてるんじゃないか?
日本みたいな未来のない国、出られるなら出たいだろ、若者ならなおさら。
子供が日本国籍のままなら、親が税金の免除や各種申請・支払いをしておけば、帰国した時ある程度日本人と同じサービスを受けられそうだ。
それがあるべき姿
門川市加草のホテル営業に現実的に派遣される可能性が存在するというだけで、 古典的で論理的な見地からは、善良な社会通念に照らしてそのような技術は存在しない。理由は次のとおり
(1) 東京駅から門川市までは、新幹線+にちりんシーガイアによって行けるが、費用は、26110円程度となり、往復で、52000円となる。著しく不合理で選択される余地がない。
(2) Jetstarの格安でいって帰ってくればいいという見解。 仮に6000円の日を選択して、 ただの糞論理からは可能であるが、やらない。
理由 : 真面目過ぎるためである。 結局、 延岡に帰省しているときしか行っていない。
増田で3行以上書くのが悪い
呉智英師が「(血液型診断とかの)占いの類は差別の代償行為」と喝破しているよ。
身分社会の差別はただの区別であり差別ではない。というか差別だと認識されない。
平等だからこそ横並びに飽き足らず差別したくなる。でも差別はそもそもいけないこと。だから疑似科学のスキンをまとわせる。
君は「自他区別の解像度の低さ」ということに着目してるが、合ってると思うよ。
3行以上は読めないのが増田の基本
エッチなお前が悪い
楽しんできてなー