名前を隠して楽しく日記。
つまり、生きるべき存在の寿命を吸って俺は生きてるということだということ
いろんな人の生きたかった明日を俺が奪い、毎日を謳歌してるということ
なんてこったぁ!俺が生きてるだけでこの世の人間全てに嫌がらせができるじゃないか!
長生きしよっと
「女の敵は気に食わないもの全て」です
私が気に食わないものすべてに適当な理由つけて叩いたり、憎悪してるんですよ
以前、鳥取県の美術館が、アンディ・ウォーホールの有名作品「ブリロの箱」5個を3億円で購入したというニュースが話題になっていた。
このブリロの箱、ウォーホールが個展で発表したのが1964年。ギャラリーの中に同様の箱が山積みされ、まるで倉庫の中にいるような展示だったという。
ウォーホールはこの箱を一山まるごとまとめて購入することをおすすめしていたらしいが、その当時はほとんど売れなかったらしい。
https://twitter.com/rights_artists/status/1785628086119371126/quotes
画像が学習に利用されること と 画像が転載されること と 画像をAIで加工されること
を全て同じラインで考えるのだろうか
どう考えても公共の場でエロチキンレースやりまくったオタクが悪いっしょ。
小学校近くで小学生も通る場所に「もっと!孕ませ!炎のおっぱい超エロ♡アプリ学園!」の大看板出して、すぐに撤去になったらオタク議員が表現の自由弾圧だと抗議に行ったり。
見ないで捨てられる
一文を長くするな、頭痛が痛いみたいな表現を使うなと頷くところもあった。
その一方、「命令を出す→命令をする」というように、「〜する」で表せる表現は全部そうしろという奇妙なものもあった。
こういう指導を見るとイライラしてしまう。実際それやってない奴が100%落ちたのか、ABテストでどっちが印象良いか確かめたのか、といったように、エビデンスを要求したくなる。
唐突だが、子どもの頃、ポケモンで連打すると捕まえやすくなるとかいうエセテクニックが流行ったことがあっただろう。今思えば馬鹿馬鹿しい。
しかし、そんなエセテクニックで話しあえるくらい余裕があったとも言えるのではないか。
なんか今は、著名ストリーマーの正確な分析情報を元にゲームをプレイしてて、身内で曖昧なテクニックを開発する経験が無くなってた。
昔は、正確なもの:経験談レベル:根拠不明の情報がそれぞれ丁度いい割合で入っていて、後者2つにもある程度乗っかってあげることによって緩い空間が成り立っていた気がする。
こうして考えると、あの講師は「俺だけが知ってる(と思いこんでいる)情報」を使ってコミュニケーションを取りたかっただけなのかもしれない。
講師はちょっとおじいちゃんみたいな人で、今のコンプラに反した発言もあった。
直感だが、あの人は時代に淘汰され、コミュニケーション不足に陥る可能性がそこそこある気がする。
せめて、かつて私たちがポケモンの連打でコミュニケーションをしていたように、その人に文章を添削してもらう時くらいはそれに乗ってあげるのも悪くない気がしてきた。