ただのチラシ裏。
6年前、親が体調崩して地元に帰らないといけなくなり、前の会社を辞めた。
今の会社を選んだ理由は単純で休みの自由が効くこと。これは親のことがあり絶対の条件だった。
小さな会社でこれからその事業に力を入れて行く。その事業の責任者としての雇用と言う話であり、ある程度の決定権限は与えられると自分は認識して入社した。
入社した当初、最初は1人だった採用の予定を2人採り、その当時は本当に社長としては事業として力を入れていくつもりだったんだろう。
だがその思惑は早速崩れることになる。もう1人の採用者は二週間足らずで辞めてしまったのだ。
自分は1人になったが別に悲観はしてなかった。仕事は1人で捌ける量だったし、もう一度人も採ると言う話だった。もっともそんな話はいつの間にか消えていたが。
売上は採算ラインには達していなかったがそれでも順調に伸びていた。当時は競合業者も少なく大した企業努力をしなくても売上は伸びたのだった。
最初に社長との齟齬を感じたのは売上が頭打ちになり、新しい施策が必要だと感じた時だ。
自分なりに考えた施策を上げて一旦は承認され、一月目はその通り実行された。
だが次の月に突然その施策にストップがかかる。明確な理由の説明はなかったし、問う猶予すら与えられなかった。
そうこうしているうちに親の体調は悪くなり、そちらの方に気を取られて仕事の方はおざなりになる。
とりあえず今の売上を維持するだけなら放っておいてもできる時期だったのは運が良かったし、それを黙認してくれた点については社長には感謝している。
やがて親は亡くなり、時間的にも精神的にも多少余裕ができてきた。
これからは仕事に専念して、売上を上げていくことに専念しよう。そう決意を新たにする。
この時点で3年が過ぎようとしていた。
だが現実はそうは上手く行かなかった。競合業者の乱立とそれに伴う価格崩壊、問屋の権利を持たない小売店である弊社は価格面ではどうやっても勝てず、サービス面でも基本はメーカー丸投げの為、差別化のはかりようがない。
売上はジリジリと下がり始める。
今思えばこの時点が最高の辞め時だった。
だが自分は残る道を選んだ。そんなにコロコロ職を変えるものでないと考えていたし、まだやりようによっては価格以外の面で勝負していけるのではないかと言う甘い考えがあったからだ。
そうは言っても劇的な改善策があった訳でもなかった。
その時点までで、社長はとにかくこの事業に関しては、リスクもコストも掛けない方針であることは分かっていた。
この事業に関しては、と断るのは本業に関してはかなりリスキーなことを平気でやるし、驚くような価格の投資をする人間だからだ。
社長としては正しいと思う。屋台骨である事業には十分な金を使って挑戦的な事業展開をし、そうでない事業には極力金も手間もかけない。辞めることを決めた今でも経営者としての社長の判断は間違ってないと思う。
だが本業に数千万円単位の投資をする一方、こちらは数千円広告費用が予定より膨れただけで怒鳴られるとなればやはりやる気も削がれる。
自分は社長の意向を組むつもりで極力コストをかけない方法で事業を改善しようとしたが、とにかく何かしようとしたらすぐに金がかかる。だがその金は出ない。
じきに手は尽き、売上の下降を目にしながら何の対策も打てなくなる。
その頃から体調が優れない日が続くようになる。休みの日になると起き上がれなくなるし、気分がずっと落ち込み、今まで楽しいと思えていたことに興味がなくなった。自覚できる程に性欲は減退しオナニーすらしなくなった。
案の定、うつだった。4年目の夏だった。
そこからは何もかも悪循環だった。落ち続ける売上を眺めながら、うつに苦しんだ。
それが2年間続いた。その間に薬は増えたし、一度は自殺未遂を起こす程まで追い込まれた。
今年の初めに上げた施策はコストは掛かるしリスクもあるが、少ないながらでも手堅く利益は出る可能性はあるだろうと言うものだった。
これがラストチャンスだと思った。この時点で売上はほぼゼロだったし、精神的にも限界だった。年齢的にもそろそろ転職が厳しい年齢になる。
長く待たされたが、結果、ゴーサインが出た。
そこからは薬漬けで準備をした。このチャンスを逃がすまいと、必死になって準備をした。
そして半年後、ようやくスタートしたその月にストップがかかった。
理由はそんなにコストとリスクを掛けられるかと言うものだった。
散々、コストもリスクもあるが手堅く稼げる可能性があると説明してきたが、結局何も伝わってはいなかった。
A4用紙にして3枚程にコストとリスクの面を中心にまとめた企画書は全く読まれていなかった。
その程度の時間を掛ける価値すらないと言うのが、自分が会社でやっている事業に対する社長の評価なのだと悟ったと同時に決定的に心が折れた。
拾ってくれる会社が早めに見つかったことは運が良かった。契約社員スタートは若干きついが年齢を考えればやむを得ない。
ギリギリ辞める一ヶ月前に直上の上司に報告した。就業規則では三ヶ月前に申し出ることになっているらしいがそんなものを見せられた記憶はない。法律上は一ヶ月前に口頭でもセーフらしい。
苦言は呈された。せめて転職を考えていることを事前に相談できなかったのかと。だが自分の置かれている立場を考えれば、転職を考えていることを口に出せばすぐにでも解雇される可能性すらあると考えていたしそうも伝えた。
会社はそんなことはしないとは上司の言葉だが、そんな言葉を言われても信用出来ない程、自分は会社の中では最低の評価しか与えられていないと考えている。
自分が今までクビにならなかったのは、ただ社長にとって「クビにするかどうかを検討する時間をかける価値すらない」からだったに過ぎないと思っている。
毎月千万円単位の仕事を動かす人間にとっては、仕事もできず本業にも関わっても来ない人間の扱い等、その下の人間が決めれば良いと言うスタンスだったのだろう。
そんなゴミの処遇ぐらい直上の上司が決めて上げてこい。そう言うことだったのだと思う。
直上の上司の無関心のお陰でクビがつながって来たと言えるが、逆にそれが為にここまで時間を浪費してしまったとも言える。どっちが良かったのは分からない。
終始白けた気分だった。取り繕う気すら起きなかった。何人かからは顔色の悪さを指摘された。辞めることを決め、心が完全に離れた会社の忘年会にいて顔色が優れる訳がなかった。
労働時間で言えば間違いなくブラック企業ではあるし、社長によるパワハラまがいの怒声も飛び交う職場だが、比較的低い離職率を維持しているのは一重に社長のカリスマ性にあるのだと思う。
自ら営業をこなし、実務もこなし、少なくとも本業では積極的に攻め続ける、その姿勢は素晴らしいものだと思う。
既に自分の心は完全に会社から離れてはいるが、本業の分野で会社に関わることができていたのであれば違うものもまた見えていたのかもしれない。
全てはもう終わったことだが。
なんかダラダラ書いてたらえらく長くなった。