どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。
でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。
我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、
誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。
親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。
いつの頃からか登校拒否をするようになった。
何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、
毎日の様にいびられる様になったらしい。
教師からのいじめだな。
そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、
家の責任でもあるので恨み言は書かない。
(まぁ今時の教師にどれだけ覚悟があるか分からないが、教師ってのは人の人生を変えるぐらいの影響力があるって、
どんだけど命かけて教壇に立っているのか、それぐらいは認識して欲しいと思うが。)
その後はお約束のように「不良」というレッテルが貼られお約束の展開になって行った。
俺が中学に行った時にはもう、あいつの弟、って事だけで教師からも
その手のグループからも目を付けられて、そりゃもう肩身の狭い思いをした。
高校中退後の兄貴は、勿論仕事にも就かず、暴走族からその日暮らしのバイト、
金がなくなれば無心、そしてシンナー、と、そんな生活を繰り返していた。
高校を出て東京の大学に入学した俺は、そんな積み木崩しな生活から少し離れられた気がして、
家の状況の事をあまり考えなくなっていた。
大学の間に、兄貴は更正したのか?親父の会社を手伝い始めていた。
それでもまぁ、暴走族時代のまんま、70年代のアメ車を買って来ては改造して乗り回していたらしく、
いわゆるDQN成分は変わっていない感じだったが。。。
俺が帰省すると、「就職なんてしないで一緒に親父の会社手伝えばいいやん」と口癖の様に言っていた。
俺はそんな気は全然なかったんだが。。。
俺はバブル崩壊直後の東京と言う凄まじい環境の中で就職活動をしていた。
携帯だネットだと情報が氾濫している今より氷河期度合いは凄かったと思う。
とにかく思う様に就職が決まらず、焦っていた。
当時発売されたばかりのスーファミのストII大会を夜通し学校でやってそのまま飲み会。
阿呆の様な気晴らし方で毎日をして過ごしていた。
そんで徹夜明けの始発でアパートに帰っていたその日、実家から留守電が入っていた。
「電話して」
母親はいきなり、ごめんね、ごめんねと言い出した。
俺は兄貴が死んだ事を告げられた。
?
意味が分からなかった。
死んだって?
調子に乗って乗り回していた70年代のアメ車。それが老朽化していて、排気ガスが漏れ、
一酸化炭素中毒で死んでしまった。。。そんなバカみたいな死に方だった。
夏休みですぐに飛行機も手配出来ず、翌々日、家に帰り着いたのは通夜の最中だった。
客間が、なんか真っ白な布で張り巡らされていて、見た事ない人たちが走り回っていて、
その部屋の奥の方に祭壇があり、兄貴が眠っていた。
その日はそのまま明け方までそこにいた。
途中、ウトウトした時に、兄貴に呼ばれた。そんな気がして目が覚めた時もあった。
そっから葬式までほとんど覚えていない。
嫌なくらいに暑かった事と、直前に控えていた第一志望の就職先の試験の事だけを考えて、
ここで崩れてたまるかと、唇を血が出る位に噛み締めていた記憶だけはある。
長男は何時までも号泣していた。俺も泣きたかったが、負けてたまるかと、そんな事ばかり考えていた。
ここで見事就職決まれば美談だが、そうはいかない。物語の主人公の様にはいかなかった。
結局、その年の就職には失敗し、就職留年をした俺は1年遅れで地元の小さな会社にようやく就職し働き始めた。
長男はフリーターだった。当時はそんな呼び方もなかったが、バブル景気の
その真っ只中にいながら就職出来ず、フラフラした生活を余儀なくされていた。
実は長男はてんかんを患っていた。クスリで抑えながら、発症しないように、そんな生活を送っていた。
何年間か、発作が起きなければ完治。もし起きてしまえば治療のやり直し。
高校受験大学受験に失敗した長男からすると、高校、大学と順調に進学し、
留年しながらも就職した俺に対してコンプレックスがあったようだ。
実のところ、あまり仲は良くなかった。
というか、俺もどこか毛嫌いしている節があった。
そんな長男が、てんかんの症状も出なくなって、働ける様な体調になった、
遅ればせながら就職をし、「社会人」となり、次男の死以降、それまで落ち着かなかった
俺の家も、なんとなく落ち着き始めていた。
だけど、次男の事故から3年後。
また7月。
ひきこもり状態になっていた長男に対し、情けない奴、とぐらいにしか思っていなかった俺。
親は心配していた。手首に、今でいうリスカのあとがあったらしい。
あいつにそんな度胸はないっしょ、程度に考えていた俺。
ある日の夕方、俺を呼ぶ叫び声の様な親父と母親の声。
慌てて駆け付けた俺が見たのは、首を吊って自殺を図った兄貴の姿だった。
救急車を呼び、意識不明の兄貴と一緒に乗り込み、親より先に病院へ向かう俺。
訳も分からず、スローモーションの様に救急車のカーテンの隙間から見える流れる外の景色を見ていた。
親が来るまで、どれぐらいだったんだろうか、何時間にも感じた。
どうすればよいか分からず、入院の準備の為に看護婦が質問する事にも、
1人だけ取り残された待ち時間の間に一度だけICUに通された。
その時はまだ、長男の顔は人間の顔をしていた。なにか寂しそうに、
半分開いた目が宙を見ていた。
その顔に、何とかなるんじゃないかと、と言うか死ぬとかなんだとか、
そんな事は考えてもいなかった俺。
こんな時は泣けばいいのかなぁとか、漠然と考えていた。
何時間か経った明け方、親父母親揃って、俺達はICUの中に呼ばれた。
その中で見た長男の顔は、さっき1人で見た時の、まだ人間の顔をしていた長男の顔ではなかった。
どす黒く変色して、もう人間の顔ではなかった。
それを見た瞬間に、俺は悟った。
あ、もうダメなんだ。。。
医者からこれ以上の延命をしても回復する見込みがない事を告げられた。
その顔の変貌振りに、悟ってしまった俺は両親に告げた。
もういいよ、もういいよね?
何がいいだろう?何がよかったのだろう?この自分で発した言葉は、
今でも俺を苦しめるときがある。
そこからはテレビドラマを見ている様に、心音?が途切れ途切れになり…
そしてピーーーと言う音。
その瞬間、母親が泣き崩れた。
残されたこの子(俺の事)が可哀想すぎる!
泣き崩れても最初に出た言葉は他の誰でもない、俺に対する言葉だった。
今なら何となく分かる。俺は両親から愛されてると言うことが。
だけど、当時の俺は、もう自分の事だけで精一杯だった。
警察が来て、事情を聴かれ、遺書を探し。。。結局原因は分からなかった。
で、2人の兄貴の死を経験し、これで何か目覚めれば美談なんだが、
さっきも書いたけど俺はもう自分の事だけで精一杯だった。
もうそんな事に頭の中を占領されていた。
2人から取り残された思いがして、その不安に押しつぶされそうになり・・・
いわゆる鬱状態だった。
自分の事しか考えられない俺は、また、実家を離れて東京に戻って職を探そうかとも思った。
とにかく、ここから逃げ出したかった。その事を、ふと母親の前でつぶやくと、母親はその場で泣き出した。
親父からは、今はそんな事を言うなと怒られた。
それからもう、13年。次男の死からは20年近く。
立ち直れたかどうかは分からないが、いつの間にか、普段どおりの生活になり、
普通に生活し・・・そんな日々を過ごし、俺は結婚して3人の子供にも恵まれた。
また、夏が来る。7月が。この季節は、毎年なんか鬱になる。
どうして俺だけが生き残ったのか、そればかりを考えてしまう。
救急車の音、嫌なくらい暑い日に汗が出てスーツやシャツが肌にまとわりつく感覚。
とにかく一瞬意識が飛びそうになる。
もしも兄貴たちが生きていて、そして結婚し子供を作っていたのなら、その家族に語り継いで行ったであろう
俺達兄弟の話は、残念ながら、俺しか知らない話になてしまった。
だから俺は良く子供達に言う。
「真ん中のお兄ちゃんは喧嘩がものすごく強かったんだぞ!」
「一番上のお兄ちゃんは、ピアノとギターが得意だったんだぞ!」
俺たち兄弟の話は、親が死んで俺が死んだらもうそれで終わりだ。
だから、少しでもあいつらがどんな人間だったかを残したいんだ。
で、何にも教訓めいた事もなく悟りを開いた訳でもなく、
今もフラフラ右に左に迷い、突っかかり引っかかりながら俺は生きてる。
決して順風満帆でもなく清く正しくも生きていない。
だけど、やっぱり人間は生きている事が一番の幸せだとだけは思うようになった。
当たり前の様に明日を迎える事ができるのが、最高の幸せだと思う。
そして、自分を幸せにできるのは、やっぱり自分しかいないんだと思う。
どんなに人から施されようが愛されようが、自分を幸せに出来るのは、
自分が幸せだと思える、自分自身の気持ち以外にないと思うんだ。
お前らの中に、もし今の自分の置かれた環境に憤りを感じ、絶望を感じているヤツがいるなら、
死ぬ幸せを選んだ長男の顔は、俺には悲しい顔にしか見えなかったんだ。
誰の為でもなく、自分の為に。
これからおれがやることは、増田の仁義から外れることだ。
でも、おれはやっちゃうのだよね。だって増田なんだから。嫌ならみるな。
本題に入ろう。
最近、おセンチ派のはてブの人気を集めている「体験談」作者の増田がいる。
決して自身では名乗らないが、どうも同一人物らしい。
A:生まれて初めて父の死因を知った。
http://anond.hatelabo.jp/20100719153148
http://anond.hatelabo.jp/20100718044500
http://anond.hatelabo.jp/20100721024511
三点リーダ:AとCでは「…」Bでは「・・・」
技法:AとCでは特に結びが酷似(フレーズを繰り返してなんだかJPOP)。Bも若干その気がある。全体的に見てみると三者ともフリレーズやってる。
言葉遣い:Aでは「動きまわってた」「思ってた」などの「い」抜き言葉が目立つ。Cでも文章前半では「思ってた」が使用されていたが、後半部ではなぜか修正されている。
一文の長さ:いずれもAnonymous Diaryの規格にぴったり収まる程度。長くなる場合でも句読点を巧みに使い、改行している。おそらく増田はこれを目算で、無意識にやってのけているものと思われる。プロの犯行と呼ぶにふさわしい。
以上はテクニカルな特徴に過ぎない。
しかし、なにより「似ている」のは三者におけるテーマの共通性ではないだろうか。
どの増田も身近な「死」や「命」を扱っている。
Aは「昔亡くなった父親」
いずれでも重要になってくるのが増田の死者に対する距離感、ポジショニングだ。
Aでは「近くて遠い他人みたいな親」というアンビバレンツな距離に呼応して、オチもめちゃくちゃで不器用な心情の吐露で終わっているし、
Bでは「圧倒的に他人」である他者の命をポジティブながらもしかし、冷静な観察者の目線で捉えている。
Cでは「自分に直結する命」を序盤では現代のワカモノっぽく無感動にとらえつつも、最後には失われた命に対する懺悔と慟哭という弔辞にふさわしいものとなっている。
仮にこれら三つないし二つの増田(ポスト)が同一増田(人物)だとするならば、
単に愉快犯的な「力試し」だとはみなしがたい。
内容とは異なるにしろ、「体験談」には増田個人の苦悩が反映されているのだろう。
やってみた…けど凄まじく当たってなかった(笑)
店とかで店員さんに勧められる系統が「難しい・避けた方がいい」色だった
けど実際にはやっぱり店員さんが選んで、コーディネイトしてもらうと
自分で選んだ色よりちゃんと似合うんだよなぁ。
結局自己判断でテストやったって自分の思い込み同様に無駄、って結論なのかな。これ。
微妙だなー。
好きな色は?とかなら別だけど。
はてぶは他者評価じゃなくてあくまでも自分のブックマークだと思わないとダメだよ。
評価してるのはたまたま見た第三者以外のナニモノでもない。
いや。ごめん。反論するようで。
「なにかに負けていない人」のほうが「多様性」をさら〜っとうけながしているような気がするんだ。
あんまりにもさら〜っとしすぎていて、「いやっ、ちがうふうに過ごしているんだ」と、こっちから言わなければならないこともあるにはあるような気がするけれど。
> 相手の欄に書いてくれる人は居なかった。もう捕まらないんだろうなあ、と諦めている。
> 誰とも分からない、名前も知らない奴の子なんて憎い、死んでしまえ!とも思わなかった。
英語圏独特の言い回し(というかその国の文化)が判ってないと理解できない。
そして、発音は聞き取れないのが普通。
伊集院光のUp'sを日本語が母国語でない人に聞かせても理解してもらえない、笑えないというのは、主に話の背景知識が足りないせい。
「大盤振る舞いという単語にはブルマが含まれている事に気がついた天文部部長、逆噴射で寺へ」で笑えるイギリス人は想像できない。
そして、日本語でもはっきり発音したり、それを聞き取れていることはごくまれ。
でも「のっくさーん、はんこ圧縮しとくよ」と聞こえたとしても、魚屋が話しかけてきたら「おくさーん、あんこう安くしとくよ」だと変換して聞き取る。
魚屋は判子を圧縮しないし、若奥様はのっくさんじゃないからだ。
>財政破綻して国がなくなったら、国籍も意味なくなる気がするけど e.g.パレスチナ問題
それとも、アイヌ+大和民族を中心とした古来からの血統のこと?
>ここまで混血が進んで、海外にもたくさんの2世・3世がいる中でどうだろう? 逆に日本在住2世とか3世は日本人ではないのだろうか?
色と数に囚われてしまう。
赤くしよう、数を大きくしようと考えて、
つい狙った文章を書いてしまう。
他人を動かす力があるのだと思ってしまう。
はてなで文章を書くという行為に時間や活力の大半を注いでいる自分がいる。
そしてプライドが高くなり、上手くいかないと落ち込み、苛立ち、
自分は駄目だ・・・という無能感に悩まされて、もっとキーボードを叩けなくなる。
俺はこれをブックマーク病と呼んでいる。
意外と自己診断で冬の人が多いらしいですね。
プロの人に実際に見てもらうと違う事も多いようですが‥。
プロの人診断で私も冬でした。
黒が似合うと昔から言われますね。
そんなのわざわざ心配しなくても問題ねーよ。
100年たたずに日本の人口が半分になるっていったって、150年前の江戸時代まで、日本の人口なんて3000万人だったんだし。
日本人の血の存続を問題にするなら、ひたすら「移民反対」とかを唱えてればいいだけであって、経済的な懸念が中心の「少子化」に
口を出すのがお門違いだろ。
え?そういうのあるじゃん?
元増田がなんでお偉いさんの話を全く理解できないのか、そっちがわからない。
よほど女がいない職場か、
程度の高い職場にしか居なかったんだね今まで。
「そういうの」を具体的に説明すると
・くっだらない、どうでもいいことで人に好き嫌いを設定し
・しかもその好き嫌いを仕事にも露骨に出していく
ということ。
勿論女全員じゃない。
そんなんじゃない女も一杯居るし
更に無視とかまでするのは女の中でも少数かも。
でもこの傾向は、これもう明らかに性差で、女にすごく多い。
女が多い職場の奴に聞けば誰にでも通じる話だよ。
マウスだとポインティングデバイスとしては超優秀なんだけど、目まぐるし過ぎて酔う。
やっぱりゲームパッドで最高速度と中間速度の中央当たりの速度設定がやり易い。
立てこもってる見方に奇襲を仕掛けようと忍び足で近づいてる敵を後ろから奇襲するの楽しすぎるw
はてなダイアリー削除
http://d.hatena.ne.jp/tenkyoin/
twitterも削除
http://favotter.net/user/tenkyoin
すみません、どなたか.@jituzon氏にtenkyoinが連絡をとりたがっているとお伝えください。メールアドレスは、tenkyoin_twit@yahoo.co.jp。時差があるため返答が遅れるかもしれません、と。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20091122%23c1279294899
http://twitter.com/kiya2014/status/18926230464
tenkyoin氏が言論人としての死を迎えた。正直この結末は読めた。原因は“女”なんかと付き合ったことだと断言してよいだろう。非モテは思想的には決してミソジニーではないが、現実世界での行動においてはミソジニー的でなくてはならないのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/tenkyoin/20100717%23p1
楽しみにしておられる方がおりましたら申し訳ありませんが、最近、匿名の者によって、自分の個人情報がネット掲示板に書き込まれているようです。セキュリティ保持のため、近日中にこちらのウェブサイトをプライベートに以降したいと考えております。ご理解いただければ幸甚です。
ネット上のあちらこちらで、「若者の**離れ」がネタになっている。馬鹿馬鹿しいと思いながら、いろんなネタを見ると面白くもある。問題がありそうなものもあれば、なんの問題も無く、ただの淘汰というだけの事もある。まあネタの1つとして楽しんでいたんだけど、つい最近、業務上で問題になりつつある事があって、それが若者の**離れといった表現が適切のような気がしたので書きとめておく。
いちおう検索して、類似の記事が無いか探したけど無かった。けど5年前に「全国的に進む少年のシンナー離れ」という記事があったのでご紹介。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kadokura/rport20051226a.pdf
若者のシンナー離れの何が問題なのかというと、昔はシンナー目当てに、塗装業界に若者が集まっていた。大抵はシンナーにやられて去っていくんだけど、一定数は耐性が強いのかまともになったのかという感じで、まっとうな職人が育っていく。良いのか悪いのかはさておき、常に人は供給されていた。
ところが、若者のシンナー離れにより、業界に若者が入らなくなってしまったのだ。
塗装というのは一見、誰にでもできるような、簡単な作業に思われるのだけど、薬剤の調合、色あわせ、塗膜の調整などなどを、その時の温湿度、日照量に合わせて調整が必要であるし、作業のスピードも適切に行われなければ品質は保たれない。なかなかに難しい仕事である。
又、塗装を行う場所、下地、形状に合わせて適切な塗料を選定する設計も難しい。そもそも塗料というもの自体、実はちょっと難しいモノ、物性である(使わない時は固まってはいけない、使った時に固まらなければならない、物に付く側は物にしっかり付着する必要があるが、大気に晒される側は他の何物も付着しては困る、剥がれては困るけど、剥がしたいときには剥がれないといけない。それら全てを満たしつつ、施工性がよく、色も安定していなければならない。接着剤に似ているようで、要求されるコトはもっと多い)
とにかく、人が寄って来ない業界になってしまったようだ。塗料メーカーなどはちゃんとしたエンジニアが育っているんだろうが、実際に施工する人が激減している。シンナー離れを抜きにしても、有機溶剤が体を蝕むのは間違いないので、人が集まらない。非常に困った状態になっている。
同期の女からガン無視状態だったが、最近同じ部署になってから、挨拶されたり通勤や昼休みでも向こうから話しかけてくるようになった。
なんでヒモとして飼ってたの?セックスが上手だったからですか。
人間は優しい人でいた方がしあわせに生きれますよ。
なんかすんげー気持ち悪い感じがする。
元増田、入社してまだ3ケ月なんだろ?
Kさんがなんで良い印象を持ってないのか
分からなくても仕方がないだろうな。
大体腹を割って話すような立場にないだろ。
仲が良い派遣さんが辞めたのがちょっと気になるけど、
そんな事想像してたって仕方ない。
今のところ別に悪くはないと思うんだが、
そういう上司とべったりしてKさんを変な目で見るのは止めた方がいいんじゃないか?
たかだが入社三カ月の人間に、その先輩をそんな表現で口にする人間の器なんぞ知れてる
「結論から言うと、君は何も悪いことはしてない、確実に」
どんだけ器小さいんだよ、って思うと同時にKさんの原因ここじゃねぇの?って思うわ。>これまた想像だが
お茶のついでに増田が入社するまで(か入社してからか)の顛末のひとつも
話してくれるさ。
別にその上司とベタベタウフフな感じになってKさんをガン無視してもいいけどさ。
ちょっと追記。
これ、よくある「若くて可愛いアタクシ、女性の先輩にいじめられて困ってますゥ」パターンだ。
…ああ、だから気持ち悪いって思ったんだ。
女ならよくある話だが、元増田、男…だよな?