はてなキーワード: 高校中退とは
小さな嘘をついてしまうのはその過去を自分が自分の中で消化しきれてないときだ。
今日もまた小さく嘘をついて、いろいろと話していることに矛盾が出てきて焦った。
嘘がばれるところだった。
要するに俺がどれだけクズかということをありのまま語ればよかったのだが
嘘が出てそして矛盾が出た。
焦った。
家に帰ったあともなんかモヤモヤが晴れない。
要するに俺はそのゴミクズとやらを自分の中で消化しきれてない。
そのことは今も何も考えたくない。
ただ今日があるのはあのときがあると言えるにはまだまだ時間と結果が足りない。
俺は今単なるサラリーマンだが
俺はあんなゴミクズの死にかけの過去から奇跡的にサラリーマンになった。
でもまだまだ結果が足りない。
おれはもっともっと上に上ったとき、初めてそのゴミクズと対峙できて
おれは正直におもしろおかしくネタ調に自分の過去が語れるだろう。
おれはまだまだ結果が足りない。
おれはまだまだ勉強が足りない。
子育てもしながらおれはもっともっと上にのぼらなくてはいけない。
ニート、ひきこもり、ヒモ、穀潰し、高校中退、Fラン大学中退、友達0、親戚付き合い0、
親への不義理、実の弟と15年しゃべってない、じいちゃん死んでも葬式出なかった、
奨学金で大学入り直したと言ったが本当は親の金、行った旧帝大学院は実はロンダ、大学はマーチ、
バイトをバッくれたこと2回、フリーターだったけど週3くらいであとは親の仕送りと彼女の財布。
だから俺は上に上に上りたい。
上に上って高見からゴミクズたちを見下ろせばネタにできると思っている。
そして帰り道に高層マンションを見上げてはいつかここに住みたいと思っている。
おれは30になったがまだまだあきらめていない。
これは語るべきものではなく
だからおれは今がんばれるわけで
これは人に見せて聞かせるものではなくて
このことはまだ話したくなくて
ここが原点となって死ぬほどがんばって
どうしても結果がほしい。
おれはどうしても上りたい。
そこから自分ので中で咀嚼して消化して最後はネタに昇華して自叙伝でも出すか。
最後ふざけてごめん、でもそんなところ。
わかる。すごくよくわかる。私は高校中退してるんで更に低学歴。
中卒としては、大卒の人は知性にあふれていて欲しいんだけどね。
こっちは高校も卒業してないから、基礎的な教養すら持っていないというコンプレックスはかなりある。
自分より高学歴の人間と話していて、悪い意味でボキャブラリーの違いを感じると、かなりがっかりするのよ。そっち大学行っててどうして分からんのよ、と。(本来の意味でのFラン大学出身とかならまだしもさー)
http://anond.hatelabo.jp/20110728145323にある
・相対的
・既視感
・盲信
・懐疑的
これらが通じない大卒ってなんなの?
実際このなかの数個が通じなくて会話の中で説明したことあるんだけど大学でなにしてたの?
(抜かしたやつは意味を知りませんでした。中卒なので勘弁してください)
よくわからないけど、カネのない地元がいやで関東に逃げ出せたんだから、結果オーライじゃないの?
逃げ出したくもなくて、カネがないのも嫌なら、カネがまわる産業を作り出せば(観光でも工業でも農業でも中身はなんでもいい)気に入らない誘致は必要ないよね。
原子力発電所とは違うかもしれないけど、まともな産業のない便利な田舎にはラブホテルが並ぶ。景観もクソもあったもんじゃないだろうし、地元の人で気持ちのいい人もあんまり居ないだろう。日本中でそんなの当たり前だと思う。
不便でも発展してる街だってたくさんある。
「福島」(?)が発展しないのは、「カネのない地元がいやで関東に逃げ出す」人たちが文句を言うだけだからじゃないかな。文句は言っても言わなくてもいいけど、変えたいなら変える努力をする。努力せずに変わって欲しいなんて、甘い。(そして、多くの田舎の人は、考えが甘い。甘いから田舎になるのかもしれないけど)
田舎の人が思ってる以上に、都会の人はキビシイ環境で生きてきてるんだよ。常に競争社会に置かれ、教育を受け損ねれば(=高校中退とか)、最底辺で生きていくかアウトローな社会で生きて行くことを強いられる。
イナカモンが、イナカモンと笑われるのは、イナカモンだからだと思うんだけどな。
増田だけどね
確かにね、中卒、高校中退でクリエイティビティのある人はいるよ。
俺も30後半より上だとそういう人は何人も知ってる。
でも、彼らと話すとやっぱり教養があって下手な大学生よりモノ知ってるよ。
で、いまどき20代の子でそういうタイプはキッチリ大学も出てるんだわ。
俺は飲食店と普通のホワイトカラー企業やってるから両方見てる。
現業で中卒高卒のクリエイティビティがある奴が残ってるのはわかる。
結婚する前にうちの金でヨーロッパにある知り合いの店に留学させたり
やっぱり良い成績で帰ってくるよ。
それと、岡本太朗のことを例に挙げてるが
先日ふとしたことで知り合った人と数回会ったが、次はないなと思い、
・知り合ったきっかけ
・スペック
相手:30代前半、SE
・NGな理由
・歩くのが速い
(「灰皿ないのかな?」っていう言葉はあった)
・お酒を飲む時はほとんど食べない
・一緒にいる自分のことを考えているのか分からない
・会話も別に盛り上がるほどではない
「これ食べたい」と、串もの一本だけ指定。
その他は?と尋ねても「うーん、いらないかな」。
結局串焼き4本と野菜のみ。
二軒目、つまみ一切無し。デザートを勧められても「いらないでしょ?」という雰囲気。
「俺はいらないけど、好きなもの頼んでいいよ」と言えないのか??
会話もあまりはずまない。
メールが丁寧だけど、気を遣わなくていいんだよ?やら
女兄弟が全員デキ婚で・・・、とか、家族でいてもなにもしない立場だ、とか
とにかく理解しがたかった。携帯をテーブルの上にずっと出しているし。
時間の縛りは、相手の終電まで。私の乗る駅まで送る?なにそれ??
やはり30すぎて気が利かない男は無理だと思った。
「言えばいいんじゃない?」と周囲は言うけれど、それほどの仲でもないし、
そもそも好みでもなんでもないのでそういった努力はする意味がない。
自分の上から目線ぶりや女王様気質に気付けてよかったとも思う。
出身地は違えど、割と中心部で育ったにも関わらず、兄弟が高卒や高校中退→デキ婚
と聞き、家庭の教育力を疑った。自分の家だって大した家ではないけれど、全然違った。
今回の一件はかなり勉強になった。
http://anond.hatelabo.jp/20101016012817
気持ちはよーくわかる。何故なら俺も躁うつ病だからだ。
とゆーわけで誰かの役に立てばということでこんなことかいてみる。
ちなみに、当方現在リーマン。躁うつ病患者にありがちなことに、高校大学ともに一回中退してる。
鬱レベルは大したことないが、躁レベルはそこそこ高くふと思い立って借金して海外生活を始めるレベル。
①日記をつけよう
躁鬱というのは躁と鬱を行ったり来たりする病気である。
「躁の時はマジ俺ドラゴンボール集めて世界の覇者になれるんじゃねーの?カンボジア辺りにあるんじゃねーの?」
とか思ってリアルにカンボジアに行ってしまうし、ひとたび鬱に入ると
「生きる価値もないゴミムシです、俺を殺して5匹のワラジムシを代わりに生かすべき」とか真剣に考える病気です。
しかし、近年は鬱を抑える薬も躁を抑える薬も出ているので、躁の時には下げる薬を鬱の時には上げる薬をっていう
対症療法で基本的には間違いありません。色んな説があるけれど、個人的に双極性障害(=躁鬱)というのは遺伝的・器質的なもので完治はあんまりないと思った方がいいと思います。母親も祖母も躁鬱でどっちも自殺してるんで、なんとなくそんな気がする。
そーいうわけで、基本的には現状把握こそが何より大事だということを頭に叩き込むべき。
これはどうすればいいかといえば、日記をつけるしかないです。鬱は単純に体調・気分が最悪になるので本人にもすぐわかりますが、スカーっと脳が晴れ渡って万能感に支配される「躁」はまず自分では気づけません。
どこで気づくかといえば、睡眠時間のリズム。人によっては食欲。だから日記は「睡眠25時→7時、食事朝カロリーメイト、昼ラーメン、晩焼き魚定食」みたいに必要事項だけをサクっと記入しておけばオーケイ。もし暇なら睡眠時間と食欲の変化グラフをつければ、あなたの躁鬱の波がはっきりとわかるはず。鬱の時は10時間とか寝てるし、躁になると2時間寝てないみたいにわかりやすい。これで、睡眠時間が減ってきたら下げ、増えてきたら上げる。これが人生の基礎になります。自分がどんな波を持っているのか理解しておいてください。日単位で変わるラピットサイクラーには対応出来ないかもしれないけど。
②警戒すべきは鬱ではなく躁
「死因・躁鬱」ってことはまずないです。躁うつ病患者が死ぬときは、躁で空を飛び回った後垂直落下して自殺するパターンが多い。
というのは、もちろん病態として躁の波が大きければ大きいほど鬱の落下も激しくなる、というのもあるんですが、躁のときに「やらかした」ことを鬱の時に受け止めるハメになり「死ぬしかねぇ」になるパターンが多いです。躁が終わった後借金の請求書の前で自殺を検討した俺が言うんだから間違いない。つーわけで、とにかく鬱はしょーがないものと受け容れて、躁を抑え込むことに全力を費やしましょう。薬を使ってきっちり寝ること、躁の時は全ての判断を保留すること、酒を控えること、適度な運動。とにかくこれしかないです。
③躁をどこで発散するか
躁スイッチがオンになると、マジで全身がムズムズします。会社に辞表を叩きつけてユーラシア大陸横断しようかなぁ、とか真剣に考え始めるわけですよ。これは適宜発散しないとマジやばいです。俺は「持っているものを捨ててどこかへ旅に出てしまう」タイプの躁人間ですが、友人には「買い物フィーバーを起こす、免許もないのにハーレー買った」とか「危うく都内に家を立てるところだった」とか「オーストラリアの炭鉱で露天掘りをしてきた」とか色んなヤツがいます。俺自身も、高校中退→旅に出る、大学中退→旅に出る、と人生で二回やらかし、二回目では借金が200万以上出来ました。なんとか人生立て直して今に至りますが、マジこれはシャレにならない。結局、これを抑え込むには運動くらいしかないです。「酒」ってタイプもいるけど、こっちはオススメしない。マジでアル中一直線なので。他に、「創作活動をする」なんてのもオススメ出来るかもしれません。ジムでガシガシ筋トレするとか画材買いこんで絵を書くとか、小説書くとか漫画書くとかそういう躁の時のための趣味を持っておくのが大事です。
④金銭面でのパートナーを作ろう
躁鬱野郎に金銭管理能力は無いです。誰かに管理してもらわないと、あなたはいつかカネでやらかします。
つーわけで、既婚者・もしくは恋人がいる人はヨメ(ダンナ)に口座の管理をしてもらい、自分の口座には10万以上いれないことにしましょう。基本的にお小遣い制度じゃないと、我々は上手く生きていけません。そして、金遣いの荒さを観測してもらい、向こうの判断で薬を飲むなり病院に行くなりしましょう。俺自身も(躁鬱病患者にありがちなことですが)非常に結婚が早く、二十歳そこそこで結婚して以来全てのカネの管理はヨメにやってもらってます。給料が真っ直ぐヨメの口座に入るようにした方がいいかと。ヨメなんていねーよって人は親ですね。もちろん、「ヨメに使い込まれたらどーするんだ」とかそういう疑問があるのは当然なんですが、そのリスクを勘案に入れても尚やった方がマシです。躁鬱病患者の金遣いの荒さはマジで異常なので。他、薬の管理も俺はヨメにやってもらってます。オーバードーズで胃洗浄はもうイヤですから。
⑤友人にカミングアウトしよう。
早めにやっといたほうがいいです、これ。
というのも、躁が強めの躁鬱病患者は「破天荒な面白い人」と周囲に認定されているパターンが多く、場合によっては一種のホーリー・フールとして変な尊敬を勝ち取っている場合さえあります。(これを中島らも型亢進と呼びます。今作ったけど)この状態は、物凄く病気を悪化させるのでさっさと周囲に打ち明けて「俺こーいう病気やねん、やばそうなら止めてくれ」と言っておきましょう。躁の部分に変なアイデンティティを持ってしまうとえらいことになります、というかなりました。現在俺は会社以外のほぼ全ての人間関係に自分は躁鬱だとカミングアウトしているので、しょっちゅう「躁臭いから薬飲めよ」という忠告をいただきますが、これくらいの状況だと結構躁は抑え込めます。
⑥躁鬱の波を乗りこなそう。
しかし、躁の波は上手く乗りこなせば中々良い結果を生むことがある。これを使いこなして人生なんとかするのが基本です。
躁というのは抑制して乗りこなせば、単なるエネルギーの奔流に過ぎません。ここまでたどり着けば、躁鬱は個性(キリィ!となれます。大学受験のとき、就職活動のときにたまたま躁がかぶっていい結果を出した俺が結果論でほざくけれど、躁のキチガイじみたエネルギーを乗りこなせば、人生は結構這い上がれる。そういう意味で、躁は病気と言うよりは個性と呼んだ方がいい面もあります。とにかく、自分の状況を見極め、適宜調整し上手く生かしましょう。躁鬱病患者のラリった集中力・行動力のいい面だけは美味しくいただける状況に自分を持っていくのを目標にして、前向きに躁鬱ライフを生き抜きましょう。借金はするなよ!
かれは当時26歳、高校中退だそうだ。
ふたつ趣味があるらしい。
暗い非モテかと思うかもしれないが、かなりのカワイイ系イケメンだった。
身長は180ぐらいあった。ファッションもおしゃれで、ブーツを履いていた。
背が低い男が、無理にブーツを履いているのとは違い、とても似合っていた。
だが声が小さかった。というか、全体的に控えめな印象だった。
体の大きさのわりに、存在感が薄かった。
今まで女性と付き合ったことはないらしい。
甘やかされて育ったのかと思っていたが、そうではない。
「作業は単純だったけど、仕事が終わると妙な疲れがあった」と言っていた。いまは無職。
兄が一人いるらしいが、とび職だと言っていた。パチンコ狂いで、貯金はないらしい。
そんなDQNな家庭の子なんて、どんなDQNかと思うかもしれない。
バイトで事務作業を手伝ってもらったが、エクセルなどの使い方もすぐに覚えていた。
家にパソコンはないらしい。しかし、速度は遅いながら、タッチタイピングもできたいた。
公共の施設などに通って、練習したそうだ。
今までやった仕事は、ほとんど工場の単純作業か清掃だったらしい。
年をとってきたので、事務の仕事をしたいと言っていた。
だが高校中退なので、なかなか厳しいのだそうだ。
「けど、しょうがないですね」と、彼は淡々と言った。
今日ずっとマイナビ見てる。そこで思った。うすうす気がついていたけど就職活動て産業だわ。確信した。もしかしてエコ(笑)と同じで就職氷河期(苦笑)って景気対策なんじゃね?政府の陰謀とまでは言わないけどおかげで儲かっている企業があるのは確か。 儲かるのは就職活動サイト、スーツ産業、化粧品産業、靴/バック産業、出版社、電機メーカー、あとはプロバイダとかかな。
あれは人間の不安とコンプレックスをあおって食い物にする商売。たいていの商売はほとんどそうだけど、就職活動ほどうまくカモフラージュしてやってるのってないわ。自分が就職活動する人の気分になってちゃんとマイコミ使ってみたら爆笑するほどおかしかった。
ぜーんぶマイコミさんが懇切丁寧に一から十まで教えてくれますわ。完璧なサポート。あんなによく出来た情報サイトは日本屈指なんじゃないだろうか。
どんな服装が好ましいの?
- 「スーツは32.9%の人がこのくらいの値段で、こんなお店で買っていますよ」
- 「人とはちょっと違うコーディネート♪」
つ【【 【 【 【【限定割引クーポン】】 】 】 】
就活にお役立ちグッズ!情報収集は必須!
なんなの?みんなそんなに何も知らないの?自分のことなのにわかんないの?今までどうやって生きてきたの?全部教えてもらわないといけないの?人がやんなきゃやんないの?人と同じことしたいの?それとも違うことしたいの?安心したいの?なんなの?バカなの?死ぬの?
と率直に思ったことを書いたがまあしょうがないですね。通過儀礼ですもんね。
ていうか本当になんもわかってない人は少ないかもしれん。おかしいとわかっててもやらんと奨学金という多額の借金抱えてるし、親もいつ死ぬかわからんし、まあ一応結婚もしてみたいし、うまくいけば子供もほしいし、そらしょうがないですわ。
ほんで堅実に人生を送るタイプは深く考えすぎずにまわりがやるのと同じようにちゃんとできる人な。
それなりに就職活動でもまれて、それなりに挫折して、大人の階段登るんですわ。
私みたいないらんことばっかり考えるタイプはすんなりそうはいかないんだが、さすがに
そら割り切るしかないわ。勉強が楽しすぎるし大学生活が最高なので院も受ける予定だけど状況に応じてだな。
結論:自己分析の結果
ああちなみに企業が求めてるのは「個性的で」「主体性のある」「コミュニケーション能力の高い」人材だから((((((((笑))))))))))
高校で一年弱留学→(日本の)高校中退→フリーター→メーカーで4年間正社員→引きこもり→大学生
父親はPTA会長を勤めるなど世間体は良かったですが高校中退のアル中で、それを咎める人間は誰であれ暴力的に恫喝し、夜中に母親の首を絞めていた事もありました。
母親は家計を救うために奔走してましたが交通事故にあって一度心肺停止しましたが奇跡的に生き返りました、が金策に奔走する毎日は私が成人した後まで続きました。
母親が心肺停止した時に父親が泣いていたのは、妻の死ではなく借金を返済してくれる人間がいなくなるかもしれない恐怖があったからでした。
父親の遊興費でサラ金と銀行の借金が1000万円を超えていましたが、成人した後の私は任意整理手続を取らせるために父親を裁判所に出頭させました。
家裁と債権回収会社によって元金だけの返済プランを設定してもらいましたが、借金の返済は母親が担当しており、父親が自身の借金を返済した事は一度もありません。
少し歳の離れた兄は機能不全の父親の代わりに私の父親代わりを務め、高校の入学金を払ってくれるなど私の人生を支えてくれましたが、
兄の少年~青年時代の人生は弟である私の父親代わりを務める事で全部潰れてしまいました。もちろんこの間も父親は酒に溺れて遊んでいました。
次第に兄は私に「俺が不幸な人生を送ってきたのに、弟だけが幸せになるのは気に入らない」という考えを持つようになりました。
相変わらず外面はいい家庭ですが、私は家族の誰も心から信用していません。
何度も母親に離婚を勧めましたが、母親はもしかすると、問題のある人間と関わることで自分の存在を確認したがっている人間ではないかと思っているからです。
父親は自分の異常性に未だに気づかず、兄は私の幸せを憎んでいます。母親は苦労している自分に酔いたいメンヘラなのかな、と思っています。
こんな家庭ですが、宜しくお願いします。
どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。
でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。
我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、
誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。
親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。
いつの頃からか登校拒否をするようになった。
何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、
毎日の様にいびられる様になったらしい。
教師からのいじめだな。
そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、
家の責任でもあるので恨み言は書かない。
(まぁ今時の教師にどれだけ覚悟があるか分からないが、教師ってのは人の人生を変えるぐらいの影響力があるって、
どんだけど命かけて教壇に立っているのか、それぐらいは認識して欲しいと思うが。)
その後はお約束のように「不良」というレッテルが貼られお約束の展開になって行った。
俺が中学に行った時にはもう、あいつの弟、って事だけで教師からも
その手のグループからも目を付けられて、そりゃもう肩身の狭い思いをした。
高校中退後の兄貴は、勿論仕事にも就かず、暴走族からその日暮らしのバイト、
金がなくなれば無心、そしてシンナー、と、そんな生活を繰り返していた。
高校を出て東京の大学に入学した俺は、そんな積み木崩しな生活から少し離れられた気がして、
家の状況の事をあまり考えなくなっていた。
大学の間に、兄貴は更正したのか?親父の会社を手伝い始めていた。
それでもまぁ、暴走族時代のまんま、70年代のアメ車を買って来ては改造して乗り回していたらしく、
いわゆるDQN成分は変わっていない感じだったが。。。
俺が帰省すると、「就職なんてしないで一緒に親父の会社手伝えばいいやん」と口癖の様に言っていた。
俺はそんな気は全然なかったんだが。。。
俺はバブル崩壊直後の東京と言う凄まじい環境の中で就職活動をしていた。
携帯だネットだと情報が氾濫している今より氷河期度合いは凄かったと思う。
とにかく思う様に就職が決まらず、焦っていた。
当時発売されたばかりのスーファミのストII大会を夜通し学校でやってそのまま飲み会。
阿呆の様な気晴らし方で毎日をして過ごしていた。
そんで徹夜明けの始発でアパートに帰っていたその日、実家から留守電が入っていた。
「電話して」
母親はいきなり、ごめんね、ごめんねと言い出した。
俺は兄貴が死んだ事を告げられた。
?
意味が分からなかった。
死んだって?
調子に乗って乗り回していた70年代のアメ車。それが老朽化していて、排気ガスが漏れ、
一酸化炭素中毒で死んでしまった。。。そんなバカみたいな死に方だった。
夏休みですぐに飛行機も手配出来ず、翌々日、家に帰り着いたのは通夜の最中だった。
客間が、なんか真っ白な布で張り巡らされていて、見た事ない人たちが走り回っていて、
その部屋の奥の方に祭壇があり、兄貴が眠っていた。
その日はそのまま明け方までそこにいた。
途中、ウトウトした時に、兄貴に呼ばれた。そんな気がして目が覚めた時もあった。
そっから葬式までほとんど覚えていない。
嫌なくらいに暑かった事と、直前に控えていた第一志望の就職先の試験の事だけを考えて、
ここで崩れてたまるかと、唇を血が出る位に噛み締めていた記憶だけはある。
長男は何時までも号泣していた。俺も泣きたかったが、負けてたまるかと、そんな事ばかり考えていた。
ここで見事就職決まれば美談だが、そうはいかない。物語の主人公の様にはいかなかった。
結局、その年の就職には失敗し、就職留年をした俺は1年遅れで地元の小さな会社にようやく就職し働き始めた。
長男はフリーターだった。当時はそんな呼び方もなかったが、バブル景気の
その真っ只中にいながら就職出来ず、フラフラした生活を余儀なくされていた。
実は長男はてんかんを患っていた。クスリで抑えながら、発症しないように、そんな生活を送っていた。
何年間か、発作が起きなければ完治。もし起きてしまえば治療のやり直し。
高校受験大学受験に失敗した長男からすると、高校、大学と順調に進学し、
留年しながらも就職した俺に対してコンプレックスがあったようだ。
実のところ、あまり仲は良くなかった。
というか、俺もどこか毛嫌いしている節があった。
そんな長男が、てんかんの症状も出なくなって、働ける様な体調になった、
遅ればせながら就職をし、「社会人」となり、次男の死以降、それまで落ち着かなかった
俺の家も、なんとなく落ち着き始めていた。
だけど、次男の事故から3年後。
また7月。
ひきこもり状態になっていた長男に対し、情けない奴、とぐらいにしか思っていなかった俺。
親は心配していた。手首に、今でいうリスカのあとがあったらしい。
あいつにそんな度胸はないっしょ、程度に考えていた俺。
ある日の夕方、俺を呼ぶ叫び声の様な親父と母親の声。
慌てて駆け付けた俺が見たのは、首を吊って自殺を図った兄貴の姿だった。
救急車を呼び、意識不明の兄貴と一緒に乗り込み、親より先に病院へ向かう俺。
訳も分からず、スローモーションの様に救急車のカーテンの隙間から見える流れる外の景色を見ていた。
親が来るまで、どれぐらいだったんだろうか、何時間にも感じた。
どうすればよいか分からず、入院の準備の為に看護婦が質問する事にも、
1人だけ取り残された待ち時間の間に一度だけICUに通された。
その時はまだ、長男の顔は人間の顔をしていた。なにか寂しそうに、
半分開いた目が宙を見ていた。
その顔に、何とかなるんじゃないかと、と言うか死ぬとかなんだとか、
そんな事は考えてもいなかった俺。
こんな時は泣けばいいのかなぁとか、漠然と考えていた。
何時間か経った明け方、親父母親揃って、俺達はICUの中に呼ばれた。
その中で見た長男の顔は、さっき1人で見た時の、まだ人間の顔をしていた長男の顔ではなかった。
どす黒く変色して、もう人間の顔ではなかった。
それを見た瞬間に、俺は悟った。
あ、もうダメなんだ。。。
医者からこれ以上の延命をしても回復する見込みがない事を告げられた。
その顔の変貌振りに、悟ってしまった俺は両親に告げた。
もういいよ、もういいよね?
何がいいだろう?何がよかったのだろう?この自分で発した言葉は、
今でも俺を苦しめるときがある。
そこからはテレビドラマを見ている様に、心音?が途切れ途切れになり…
そしてピーーーと言う音。
その瞬間、母親が泣き崩れた。
残されたこの子(俺の事)が可哀想すぎる!
泣き崩れても最初に出た言葉は他の誰でもない、俺に対する言葉だった。
今なら何となく分かる。俺は両親から愛されてると言うことが。
だけど、当時の俺は、もう自分の事だけで精一杯だった。
警察が来て、事情を聴かれ、遺書を探し。。。結局原因は分からなかった。
で、2人の兄貴の死を経験し、これで何か目覚めれば美談なんだが、
さっきも書いたけど俺はもう自分の事だけで精一杯だった。
もうそんな事に頭の中を占領されていた。
2人から取り残された思いがして、その不安に押しつぶされそうになり・・・
いわゆる鬱状態だった。
自分の事しか考えられない俺は、また、実家を離れて東京に戻って職を探そうかとも思った。
とにかく、ここから逃げ出したかった。その事を、ふと母親の前でつぶやくと、母親はその場で泣き出した。
親父からは、今はそんな事を言うなと怒られた。
それからもう、13年。次男の死からは20年近く。
立ち直れたかどうかは分からないが、いつの間にか、普段どおりの生活になり、
普通に生活し・・・そんな日々を過ごし、俺は結婚して3人の子供にも恵まれた。
また、夏が来る。7月が。この季節は、毎年なんか鬱になる。
どうして俺だけが生き残ったのか、そればかりを考えてしまう。
救急車の音、嫌なくらい暑い日に汗が出てスーツやシャツが肌にまとわりつく感覚。
とにかく一瞬意識が飛びそうになる。
もしも兄貴たちが生きていて、そして結婚し子供を作っていたのなら、その家族に語り継いで行ったであろう
俺達兄弟の話は、残念ながら、俺しか知らない話になてしまった。
だから俺は良く子供達に言う。
「真ん中のお兄ちゃんは喧嘩がものすごく強かったんだぞ!」
「一番上のお兄ちゃんは、ピアノとギターが得意だったんだぞ!」
俺たち兄弟の話は、親が死んで俺が死んだらもうそれで終わりだ。
だから、少しでもあいつらがどんな人間だったかを残したいんだ。
で、何にも教訓めいた事もなく悟りを開いた訳でもなく、
今もフラフラ右に左に迷い、突っかかり引っかかりながら俺は生きてる。
決して順風満帆でもなく清く正しくも生きていない。
だけど、やっぱり人間は生きている事が一番の幸せだとだけは思うようになった。
当たり前の様に明日を迎える事ができるのが、最高の幸せだと思う。
そして、自分を幸せにできるのは、やっぱり自分しかいないんだと思う。
どんなに人から施されようが愛されようが、自分を幸せに出来るのは、
自分が幸せだと思える、自分自身の気持ち以外にないと思うんだ。
お前らの中に、もし今の自分の置かれた環境に憤りを感じ、絶望を感じているヤツがいるなら、
死ぬ幸せを選んだ長男の顔は、俺には悲しい顔にしか見えなかったんだ。
誰の為でもなく、自分の為に。
3連休に里帰りした。
母親とは1年ぶりだ(この10年間で5回目くらいだが。)。
母方のおじいちゃん、おばあちゃんとは15年ぶりだった。
嫁さんの弟とは10年ぶりだった。
嫁さんの弟の嫁さんと子供とは初対面だった。
嫁さんのおかあさんも初対面だった。
それとも少しばかり自分の人生をほんのちょっと認められるまで達したんかね(いや、まだまだ認められへんけど)。
高校中退以来、2年ひきこもって家を飛び出してから
あれこれ人生あったけどやっとなんとか世間一般並みの「普通の里帰り」ができたわ。
1枚3千円もする写真を8枚くらい選んで買ったな、買い過ぎやろ。
でも大事に額に飾っといてやー。また帰るからなー。
何となくもう行ってもいいかなと思ったから行った。
おばあちゃん会うなり「うれしくてうれしくて」って泣いてたな。
そりゃ15年ぶりに孫がやってきて、しかも子供まで連れてたら嬉しくないはずやわな。
今まで顔出さんで申し訳なかったけど、それなりにこれから里帰りするから
また今度待っててね。
おじいちゃんはかなり老いたかとおもってたけど昔のまんま頭キレてたな。
20年間上場企業の取締役をやってたんやもんな、全然ぼけてへんかったわ。
一緒にコーヒー作ってた時
「おまえはよーがんばったな。よーがんばった」と言ってくれた。
僕は涙こらえるのに必死やったよ、まだまだ僕はこれからやのにね。
「今たぶんお前は肩に力入りすぎてる状態や。肩の力抜けよ。肩の力抜けよ。」
僕の心を見透かすようにアドバイスくれてありがとう。
毎日が闘いやと思って会社行ってる僕には心に染みたよ、肩の力は抜くわけには
いかないけど、まあなんとかやっていくわ、ありがとう。
嫁さんの弟はひさしぶりやったな。
会ったときは弟くんが17のときやもんな。
大阪来たいゆーから、嫁さんと同棲してた部屋にとめてあげたっけ。
かわいい嫁さんと子役モデルみたいな端正な顔立ちした息子がおって
ほんま幸せそうやった。これからも遊びに行くからよろしくね。
嫁さんのおかあさんはほんまやったら10年前くらいに同棲してたときから
挨拶に行かなあかんかったんやけど、そんなこと気使わせないそぶりで
僕に応対してくれてありがとうございました。
初めて会って初めて話したけど気さくなかんじについ甘えそうになります。
これから年に1回は家に寄りたいと思うので宜しく御願いします。
寂しいけどうちの嫁さんもゆっくり実家で休んだらえーよ。
ゆっくりしーや、子供の世話もよろしく。
失った時間は取り戻せないけど
これから精一杯のことはしていくつもり。
職業適性っていうとこんな感じか。
世話になった仲間の分補正入ってるから、若干その辺は多目に見て。
A 中卒 調理免状持ち 飲食店で16から24まで働くも、先日胃に穴が開きダウン。
現在入院中。店は免職になった。一時はカネがあったので、俺が大学に行くとき100万ポンと貸してくれた恩人。
B 高卒 アパレルの接客を18から22までやるも、店が倒産。
その後は色んな職を転々としている。俺が無職だった時代、家に住ませてくれた恩人。現在Aの面倒を見ている。
C 高校中退 スーパーの鮮魚担当。給料手取り14万。給料遅配発生中。「半年は持たんだろうな」とのこと。Bの家に居候してた仲間。
40万貸してくれた。
D 大卒 地元では三指に入る商業系の国立大学を卒業したが、就職失敗。Bの家に居候してた仲間。
50万貸してくれた。(スロットが二万枚吹いたぜ!という理由で)大学時代、スロットで稼ぎまくっていたため、
その調子で人生イケると思って身を持ち崩した。現在公務員試験を受けつつ求職中。
尚、親は全員(俺も含む)生活保護かその一歩手前レベルを想定すると大体合ってる感じ。
俺も含めて誰一人年金払ってない。Dと俺は猶予申請をしてるけど。
結構笑っちまうな、冷静に並べると。飲食店ったって、俺自身が自分の仕事をやってる以上、そこまで手を回せないだろうし、
東京で店を持つのは予算的に厳しすぎる。あのクソ田舎で初期投資数百万でメシ食うって、現実的にきついよなぁ。
「偉くなって帰って来て、俺らを引き上げろよー」みたいなのが、当時は出来る気がしたんだけど。
どーも、自分が起業には向いてない気がしてならねえ。会計士は取れるんじゃないかと思うけど(これも単なる思い込みかもしれん)
それでこのメンツ食わせられんのか。難しいなぁ、ホント。マンションを棟で買ってプレゼントみたいな案もあるかな、とか思うけど
なんとかして全員を生活に困らんレベルまで恩返ししてやりたい。十代の頃の数十万って、やっぱ大金だったしなぁ。
私、今年を持って25歳になります。
色々回り道もしたけれど、とりあえず文句の無い職に就きました。というか内定しました。
さて幸せになろーかな、と思った時見渡してみたら、マトモな職に就いてるのは俺だけだったでござるの巻。
考えてみれば、俺の友人って高校中退or中卒が多数派だったよ\(^o^)/
故郷に錦を飾れと、周囲から金を借りまくって上京して四年。
「偉くなったら俺たちを引っ張り上げてくれよ」の声をたくさん貰って東京に来て、
大学時代に頑張ってとりあえず返済を終え、文句の無い会社に就職したはいいものの。
家を追い出されて無職やってた俺を勉強させて食わせてくれた友人たちを
さて、とはいえ俺が生きてきた目標は地元の仲間を何とか食わせられる
いわば「雇用を作る側」になることが目的だったのだから、とりあえずなんとかせないかん。
今はムリとしても、35まではなんとかしないと現在大絶賛無職の友人たちが死滅してしまう。
若い頃は体力でなんとかなってた奴らも、最近は「腰を壊して動けねぇ」とか「胃に穴があいちまった」とか
笑えない話ばっかり伝わってくる。気持ちばかりの金を送ったり、現地の相互扶助で今のとこなんとかなってるようだが、
このペースで不況が続いたらあいつら間違いなく死滅してしまう、どうしたもんか。
4人雇ってそれなりに食わせられるだけの雇用創出をするにはどうすりゃいいのか。
俺の年収期待値(というか、平均値)は30で1000程度。手取りを考えればもっと減る。
初期投資だけ出してやって現地で飲食店をやれ、みたいなプランも考えたが
これはどー考えてもよほどの運がない限りムダになる目論見が強い気がしてならない。
調理師(現在胃に穴があいて入院中)がいるが、それでもあのクソ田舎で飲食店は成功率が低すぎる。
となれば、俺自体が稼ぎの中心になって雇用を作る以外に方法はないのかなー、と最近は思う。
在学中にコツコツやってきて、簿記一級はとりあえず持ってるので働きながら公認会計士を取って
事務所を構える案を現在考えているけれど、なんかもう最近のニュースを見るにつけこれもヤバイ気がしてならない。
果たして、どんな目論見があり得るだろうか。現実味のないものでもいいので、なんかアイディアが欲しい。
他に持ってる資格はTOEIC850くらいだけど、これは使える気が全くしねえ・・・。
というか、身体を壊した仲間の相互扶助が指し当たって限界に達してるんだが
強制寮住まいの俺には家を提供することも出来んしこっちもどーしたもんか。
初任給がショッパイから、送金してやるにも食うにはまるで足りない額だし、生活保護なんて降りるんだろうか。
雇う側になるっつーのはホント難しいなぁ・・・。つか、嫁や子どもなら扶養手当が出るのに仲間には出ないっつーのがなぁ。
俺にしてみりゃ家族なんだけどなぁ、家族寮に呼び寄せてやりたい。
堀江ってホント凄いよ、心から尊敬する。なんであんなアイディアが出て来てしかも実行出来るのか。
起業のタネはこの四年血眼で探したけど、俺には何一つ見つけられなかった。投資する金も時間もないのはともかくとして、
せめて案くらいは出来るだろうと思ってたのに。世の中難しいよホントに。
筋トレ始めたのがガリガリ高校中退ヒキコモリニート時代の10年前(17歳)でこれから先
バイト先などでなめられたくない、あわよくばむかつく奴を半殺しにできるような体力を
持っておきたいっていうのが動機でひたすら腕立て伏せしてたら1年で水泳部の部員
くらいの体格になりました。で、ケンカはしませんでしたがいつでもこの拳で一発で床に
転がせるという筋肉の自信が対人関係に良い相乗効果を生み、キレるときは罵詈雑言駆使して
しっかりキレていつでもやったんどボケナスとなったりならなかったりで
とにかく内にこもって言いたいことも言えずにもじもじすることがなくなりました。
小学生のころとか気が弱かったのにね。
今なお筋トレを続けてるのも同じくいつでも半殺しにすんぞボケが、なめんな、という
気合いで毎日毎日命がけでいつ死んでも後悔せんと思って仕事をやってるからでしょうか。
いつでもやったんどっていうのはいつでも死ねる覚悟はできてるってことと同義です。
とにかくなめられるのが嫌いなのでこのいつでも殺し合いに脊髄反射でこたえる覚悟が
あって、しかもその自信は筋トレからきててフェイントでもなんでも拳が一発でも入れば
立っていられる相手などいないと自負するからこそ毎日命かけられるのです。
文章が支離滅裂になっていきていますが、言いたいロジックは威圧感→なめんなおまえ殺すぞボケが感→
変な自信→良い仕事→仕事の結果でる→良い対人関係→たまに対人関係ヒビ入る人いる→
ていうかこのループそろそろ限界みえてきた?→最近ちょっと大人になった みたいなところです。
まあ自分で客観的にみてもなかなかのキティGUYぶりなのですが、筋トレから良い結果が
生まれたことも挙げてみると、ニートからバイトしながら何クソ殺すぞボケナス魂で独学で大学(旧帝大のどっか)に入って
院まで行ったり、女が何人かできたり、なめられなかったり(なめてくるそぶりを1ミリでも見せたら即威圧します)
仕事でも技術なのに営業にかり出されて活躍したりなどがあります。
ぼくにとって筋トレすることは上記のような怨念がつまった行為なんですね。やったんぞ殺すぞなめんな今に見とけや
という怨念の原風景が筋トレにあるんですね。コンチクショウと歯を食いしばって生きてきたからこそこんないびつな
人間になってしまったけど、でも筋トレをすることで自分のアイデンティティ(クソなアイデンティティですが)を
形成して何とか生きて来れたのかもしれません。
筋トレしてるとき何を思い描きながらやってるのかというと拳で人を殴り倒す妄想をしながらバーベルを上げたり下げたり
しています。コンチクショウ、ナニクソ、いつでもやったんぞ、ぶっ殺すぞと心で叫びながら。
かつて毎日が苦痛で情けなくて死にたかった17歳の自分が筋トレをすることでいびつな前向きさを獲得した、
というお話でした。