はてなキーワード: シンナーとは
どうせ20歳にもなればおちついて、
そんな時に「あたしら全然趣味合わなかったけどなんでか友達だったよねー」って言い合えればそれでいい
違う価値観を体験できている今を大切にするべきだ。
一緒にやらないなら村八分にする、そんな友達づきあいしか出来ない子だっている。
それに比べればはるかにましだ。
なぜ彼女があなたに興味を持ったと思う?
もしかしたら彼女だって中学時代、小学時代は同じように暗かったのかもしれない
高校に来て明るく変わろうとしたのかもしれない
あるいは自分自身に無理させているのかもしれない
あなたのような人をつなぎとめておくことで心の平静を保っているのかもしれない
まあそのへんは憶測だな
共通の趣味を持つ友人なんてのはリアルにそうゴロゴロいるわけないし、
コミケなんかで東京に来てはじめて見つかったりするんじゃないかなと思うよ。
んで俺が言いたいのは何かと言うと、
おじさんとお友達になりませんかと言うことなんだ。
どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。
でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。
我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、
誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。
親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。
いつの頃からか登校拒否をするようになった。
何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、
毎日の様にいびられる様になったらしい。
教師からのいじめだな。
そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、
家の責任でもあるので恨み言は書かない。
(まぁ今時の教師にどれだけ覚悟があるか分からないが、教師ってのは人の人生を変えるぐらいの影響力があるって、
どんだけど命かけて教壇に立っているのか、それぐらいは認識して欲しいと思うが。)
その後はお約束のように「不良」というレッテルが貼られお約束の展開になって行った。
俺が中学に行った時にはもう、あいつの弟、って事だけで教師からも
その手のグループからも目を付けられて、そりゃもう肩身の狭い思いをした。
高校中退後の兄貴は、勿論仕事にも就かず、暴走族からその日暮らしのバイト、
金がなくなれば無心、そしてシンナー、と、そんな生活を繰り返していた。
高校を出て東京の大学に入学した俺は、そんな積み木崩しな生活から少し離れられた気がして、
家の状況の事をあまり考えなくなっていた。
大学の間に、兄貴は更正したのか?親父の会社を手伝い始めていた。
それでもまぁ、暴走族時代のまんま、70年代のアメ車を買って来ては改造して乗り回していたらしく、
いわゆるDQN成分は変わっていない感じだったが。。。
俺が帰省すると、「就職なんてしないで一緒に親父の会社手伝えばいいやん」と口癖の様に言っていた。
俺はそんな気は全然なかったんだが。。。
俺はバブル崩壊直後の東京と言う凄まじい環境の中で就職活動をしていた。
携帯だネットだと情報が氾濫している今より氷河期度合いは凄かったと思う。
とにかく思う様に就職が決まらず、焦っていた。
当時発売されたばかりのスーファミのストII大会を夜通し学校でやってそのまま飲み会。
阿呆の様な気晴らし方で毎日をして過ごしていた。
そんで徹夜明けの始発でアパートに帰っていたその日、実家から留守電が入っていた。
「電話して」
母親はいきなり、ごめんね、ごめんねと言い出した。
俺は兄貴が死んだ事を告げられた。
?
意味が分からなかった。
死んだって?
調子に乗って乗り回していた70年代のアメ車。それが老朽化していて、排気ガスが漏れ、
一酸化炭素中毒で死んでしまった。。。そんなバカみたいな死に方だった。
夏休みですぐに飛行機も手配出来ず、翌々日、家に帰り着いたのは通夜の最中だった。
客間が、なんか真っ白な布で張り巡らされていて、見た事ない人たちが走り回っていて、
その部屋の奥の方に祭壇があり、兄貴が眠っていた。
その日はそのまま明け方までそこにいた。
途中、ウトウトした時に、兄貴に呼ばれた。そんな気がして目が覚めた時もあった。
そっから葬式までほとんど覚えていない。
嫌なくらいに暑かった事と、直前に控えていた第一志望の就職先の試験の事だけを考えて、
ここで崩れてたまるかと、唇を血が出る位に噛み締めていた記憶だけはある。
長男は何時までも号泣していた。俺も泣きたかったが、負けてたまるかと、そんな事ばかり考えていた。
ここで見事就職決まれば美談だが、そうはいかない。物語の主人公の様にはいかなかった。
結局、その年の就職には失敗し、就職留年をした俺は1年遅れで地元の小さな会社にようやく就職し働き始めた。
長男はフリーターだった。当時はそんな呼び方もなかったが、バブル景気の
その真っ只中にいながら就職出来ず、フラフラした生活を余儀なくされていた。
実は長男はてんかんを患っていた。クスリで抑えながら、発症しないように、そんな生活を送っていた。
何年間か、発作が起きなければ完治。もし起きてしまえば治療のやり直し。
高校受験大学受験に失敗した長男からすると、高校、大学と順調に進学し、
留年しながらも就職した俺に対してコンプレックスがあったようだ。
実のところ、あまり仲は良くなかった。
というか、俺もどこか毛嫌いしている節があった。
そんな長男が、てんかんの症状も出なくなって、働ける様な体調になった、
遅ればせながら就職をし、「社会人」となり、次男の死以降、それまで落ち着かなかった
俺の家も、なんとなく落ち着き始めていた。
だけど、次男の事故から3年後。
また7月。
ひきこもり状態になっていた長男に対し、情けない奴、とぐらいにしか思っていなかった俺。
親は心配していた。手首に、今でいうリスカのあとがあったらしい。
あいつにそんな度胸はないっしょ、程度に考えていた俺。
ある日の夕方、俺を呼ぶ叫び声の様な親父と母親の声。
慌てて駆け付けた俺が見たのは、首を吊って自殺を図った兄貴の姿だった。
救急車を呼び、意識不明の兄貴と一緒に乗り込み、親より先に病院へ向かう俺。
訳も分からず、スローモーションの様に救急車のカーテンの隙間から見える流れる外の景色を見ていた。
親が来るまで、どれぐらいだったんだろうか、何時間にも感じた。
どうすればよいか分からず、入院の準備の為に看護婦が質問する事にも、
1人だけ取り残された待ち時間の間に一度だけICUに通された。
その時はまだ、長男の顔は人間の顔をしていた。なにか寂しそうに、
半分開いた目が宙を見ていた。
その顔に、何とかなるんじゃないかと、と言うか死ぬとかなんだとか、
そんな事は考えてもいなかった俺。
こんな時は泣けばいいのかなぁとか、漠然と考えていた。
何時間か経った明け方、親父母親揃って、俺達はICUの中に呼ばれた。
その中で見た長男の顔は、さっき1人で見た時の、まだ人間の顔をしていた長男の顔ではなかった。
どす黒く変色して、もう人間の顔ではなかった。
それを見た瞬間に、俺は悟った。
あ、もうダメなんだ。。。
医者からこれ以上の延命をしても回復する見込みがない事を告げられた。
その顔の変貌振りに、悟ってしまった俺は両親に告げた。
もういいよ、もういいよね?
何がいいだろう?何がよかったのだろう?この自分で発した言葉は、
今でも俺を苦しめるときがある。
そこからはテレビドラマを見ている様に、心音?が途切れ途切れになり…
そしてピーーーと言う音。
その瞬間、母親が泣き崩れた。
残されたこの子(俺の事)が可哀想すぎる!
泣き崩れても最初に出た言葉は他の誰でもない、俺に対する言葉だった。
今なら何となく分かる。俺は両親から愛されてると言うことが。
だけど、当時の俺は、もう自分の事だけで精一杯だった。
警察が来て、事情を聴かれ、遺書を探し。。。結局原因は分からなかった。
で、2人の兄貴の死を経験し、これで何か目覚めれば美談なんだが、
さっきも書いたけど俺はもう自分の事だけで精一杯だった。
もうそんな事に頭の中を占領されていた。
2人から取り残された思いがして、その不安に押しつぶされそうになり・・・
いわゆる鬱状態だった。
自分の事しか考えられない俺は、また、実家を離れて東京に戻って職を探そうかとも思った。
とにかく、ここから逃げ出したかった。その事を、ふと母親の前でつぶやくと、母親はその場で泣き出した。
親父からは、今はそんな事を言うなと怒られた。
それからもう、13年。次男の死からは20年近く。
立ち直れたかどうかは分からないが、いつの間にか、普段どおりの生活になり、
普通に生活し・・・そんな日々を過ごし、俺は結婚して3人の子供にも恵まれた。
また、夏が来る。7月が。この季節は、毎年なんか鬱になる。
どうして俺だけが生き残ったのか、そればかりを考えてしまう。
救急車の音、嫌なくらい暑い日に汗が出てスーツやシャツが肌にまとわりつく感覚。
とにかく一瞬意識が飛びそうになる。
もしも兄貴たちが生きていて、そして結婚し子供を作っていたのなら、その家族に語り継いで行ったであろう
俺達兄弟の話は、残念ながら、俺しか知らない話になてしまった。
だから俺は良く子供達に言う。
「真ん中のお兄ちゃんは喧嘩がものすごく強かったんだぞ!」
「一番上のお兄ちゃんは、ピアノとギターが得意だったんだぞ!」
俺たち兄弟の話は、親が死んで俺が死んだらもうそれで終わりだ。
だから、少しでもあいつらがどんな人間だったかを残したいんだ。
で、何にも教訓めいた事もなく悟りを開いた訳でもなく、
今もフラフラ右に左に迷い、突っかかり引っかかりながら俺は生きてる。
決して順風満帆でもなく清く正しくも生きていない。
だけど、やっぱり人間は生きている事が一番の幸せだとだけは思うようになった。
当たり前の様に明日を迎える事ができるのが、最高の幸せだと思う。
そして、自分を幸せにできるのは、やっぱり自分しかいないんだと思う。
どんなに人から施されようが愛されようが、自分を幸せに出来るのは、
自分が幸せだと思える、自分自身の気持ち以外にないと思うんだ。
お前らの中に、もし今の自分の置かれた環境に憤りを感じ、絶望を感じているヤツがいるなら、
死ぬ幸せを選んだ長男の顔は、俺には悲しい顔にしか見えなかったんだ。
誰の為でもなく、自分の為に。
ネット上のあちらこちらで、「若者の**離れ」がネタになっている。馬鹿馬鹿しいと思いながら、いろんなネタを見ると面白くもある。問題がありそうなものもあれば、なんの問題も無く、ただの淘汰というだけの事もある。まあネタの1つとして楽しんでいたんだけど、つい最近、業務上で問題になりつつある事があって、それが若者の**離れといった表現が適切のような気がしたので書きとめておく。
いちおう検索して、類似の記事が無いか探したけど無かった。けど5年前に「全国的に進む少年のシンナー離れ」という記事があったのでご紹介。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kadokura/rport20051226a.pdf
若者のシンナー離れの何が問題なのかというと、昔はシンナー目当てに、塗装業界に若者が集まっていた。大抵はシンナーにやられて去っていくんだけど、一定数は耐性が強いのかまともになったのかという感じで、まっとうな職人が育っていく。良いのか悪いのかはさておき、常に人は供給されていた。
ところが、若者のシンナー離れにより、業界に若者が入らなくなってしまったのだ。
塗装というのは一見、誰にでもできるような、簡単な作業に思われるのだけど、薬剤の調合、色あわせ、塗膜の調整などなどを、その時の温湿度、日照量に合わせて調整が必要であるし、作業のスピードも適切に行われなければ品質は保たれない。なかなかに難しい仕事である。
又、塗装を行う場所、下地、形状に合わせて適切な塗料を選定する設計も難しい。そもそも塗料というもの自体、実はちょっと難しいモノ、物性である(使わない時は固まってはいけない、使った時に固まらなければならない、物に付く側は物にしっかり付着する必要があるが、大気に晒される側は他の何物も付着しては困る、剥がれては困るけど、剥がしたいときには剥がれないといけない。それら全てを満たしつつ、施工性がよく、色も安定していなければならない。接着剤に似ているようで、要求されるコトはもっと多い)
とにかく、人が寄って来ない業界になってしまったようだ。塗料メーカーなどはちゃんとしたエンジニアが育っているんだろうが、実際に施工する人が激減している。シンナー離れを抜きにしても、有機溶剤が体を蝕むのは間違いないので、人が集まらない。非常に困った状態になっている。
土建屋と運送屋と倉庫と工場が多くて、近所の社会人は作業服を着た中卒高卒だらけで、
みんなタバコ酒が大好きで、改造車を作るためのパーツ屋が近所にいくつもあって、
小学校の帰りにゲームセンターを横切ったらシンナー吸ってラリってる兄ちゃんがいて、
一見まともそうな奥さんはどこかの新興宗教に入信してて、近所付き合いで聖教新聞を取らないといけない世界に育った。
偏差値50に届いてない公立高校に行ったら頭がいいと言われFランク大学に行ったら賢いと言われた。
そこからマーチ駅弁レベルの大学に進学した。近所でアルバイトをしたら四年制大学に行っているというだけで職場で孤立した。
ほんの20年前すら既にそうなんだよ。私が育った環境を想像できないでしょ?
わかるよ。わかるよ。ネクタイの結び方を人に聞いても教えてくれなかったからね。スーツ着てる人がいないんだもの。
だから、私にとっては大学を出てスーツを着て働く世界が既に異国だ。
そのような”国”で当たり前の事が私にとっては異文化コミュニケーションだ。
日本という国の中に、いくつもの見えない国がある状態は変わらない。
変わるのは、見えない国の間を移動できなくなるということだけ。
改行してみた(横
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とあるチャットで仲良くなりある時期は頻繁にスカイプをするようにまでなったネット友達がいた。
まだ相手のことを何も知らないうちは相手のスペック、相手の歴史の断片を相手から聞き、面白かったのだが、
何度もスカイプをするうちに僕は相手に興味がなり、相手に嫌悪感を抱くにいたった。
まずはじめに相手のことを語ろう。
彼女は俺たちに会ったときからブログを始め、私をはじめ、いろいろなそこのチャットの仲間にも、
さらに自身が勤めるバイト先の人にもそのブログを教えて、その人たちへ見られていることを念頭にそのブログを書いている。
そのバイトに受かったというのも私たちが彼女のことを知って後である。
彼女は小説家になりたいらしく、過去にもいくつか作品を書いたことがあるそうだ。
前に私に話したことを何べんも私に聞かせてき、私は辟易する。それに、毎回発言する言葉がほとんど同じである。
山田ボイスのように20種類くらい彼女の発言を録音してボタンにしてそれを使った相手と私がスカイプしたとしてもおそらく気付かないだろう。
それくらい毎回言うことが同じなのである。
「何か面白いことないかな。」「もう終わるの?」「えー」「ふん・・・」彼女は言語障害を抱えているようだった。
彼女は自分を過大評価しており、彼女の作品や彼女自身を認めてくれる人がいい人で、
批判したり、褒めてくれない人は取るに足らないどうでもいい人という二項対立が彼女の脳の中にある。
また、彼女のブログを読めばわかることだが何か彼女におもわしくない出来事が起きたとしても原因は彼女自身にはあるとはつゆにも思わず、
周りの環境のせいであると思っている。
彼女は過去の犯罪に近いような経験も、いい経験、いい思い出だったとして決して反省しようとせず、非を認めない。
スカイプでの話だが、彼女はホームセンターの外に展示されていた商品の机を家まで堂々と持って帰ったことがあるらしい。
僕が今までにほかに万引きとか何か犯罪を犯したことがあるかと問うたら答えたことだ。
ほかにと書いたのは、その時に彼女は過去にシンナーをある時期ずっと吸って酩酊状態を享楽していたこと、
彼女は机を持って帰っていったのだが、彼女は悪いとは思っていないらしい。
罪の意識が無いのだ。彼女に罪の意識が無いと知ったとき私はこの人は本当に病気なんだと思った。
彼女は禁煙をすると私に言った。わたしはどうせまた吸うことになるだろうよと云った。
彼女は絶対に吸わないよといった。しかし案の定彼女は一週間もたたずに禁煙生活をやめてしまった。
彼女はブログに禁煙のメリットはどんどんニコチンの含有量の少ないタバコに変えていくことができることだねと言って自分の禁煙の失敗から目をそらし、今の現状を肯定している。
全てにおいて彼女はこのような態度なのだ。本当に見ていてイライラさせられる。
彼女は普段話す人がいないために私をリハビリとして利用しているというようなことを言っていた。
○○(私の名前)もそうでしょと彼女は言った。そんなわけはない。
彼女は自分の感じていることが他人も同じように感じていると思っている。
彼女が知っているものは他人が知っていると思い込んでいる。彼女の好きなものは他人も好きだと思い込んでいる。
彼女の知っている本が多くあった私の本の書評ブログを見て趣味がいいねといった。
彼女が知っている本が趣味のいい本なのだ。だから彼女は自分と異なる習慣をもつ人が信じられないのだろう。
風呂入るから切るねと言ったら、「きれい好きだね」といった。
私は「普通だ。」と言ったら「うそー?」と信じられないような、あたかも私が異端児化のように言う。
で彼女は概ね個人的なことをみんなにオープンにする性格であるのだが、
その性質は万人に共通するものだと思い込んでいるらしい。
彼女は「今日は何したの。」とか「生きてて何がおもしろい?」と聞いてきたので「言わない。」というと「秘密主義だね。」といった。
このような私の私生活に関する質問をよく彼女はするのだが私は言いたくないと言って彼女には言わないでいると、
何故言わないのか、隠すことではない、普通オープンにするよ私みたいにといった具合に、
彼女は自分の思ってることが万人に共通していると本能的に思っているのだ。
スカイプでも彼女は特に話すことが無いくせにかけてくる。まあ私がバイトでの出来事を聞けば話すのだが
それが終わると彼女は無言になる。おいと言うといまボーっとしていたと言う。
会話をしたことがないと分からないと思うが愚鈍の匂いの立ちこめた空気がこちらまで漂ってくるかのようである。
端的に言うと彼女は馬鹿である。バイトでも店長から「お前は皆に嫌われている。」とか言われるようなことを言っていた。
バイト先での愚痴をいろいろと聞かされた。まあその愚痴の出来事の原因の大部分はおそらく彼女自身にあるのであろうが。
彼女はバイト先で先輩の人の股間を蹴ったり、店長が後ろを向いたら中指をつきだしたりしていたそうだ。
前者はその副店長が後にその日はクリスマスでケーキを上げようと思って通せんぼしていたのだが
彼女はなにかその場の雰囲気に我慢ならなかったらしくそのような行動を取ったということだ。
後者は忘れた。取るに足らない理由だ。被害妄想が甚だしい。それに自身が思っていることは絶対そうだと言って疑わない。
彼女が何かデジカメとPCをつなぐ線が無くなったと言ったときに、
携帯でデジカメ並みの大きさの写真をブログに掲載はどうしてるのと聞いたときに一枚一枚メールに添付していると言った。
私は、ちょうど線がないんならカードリーダーを買えばよいとアドバイスをした。
しかし彼女は「買わない。」と言った。彼女は他人のアドバイスを絶対に聞かない。
そのほかにも私が彼女に対して苛立ちを感じる理由はもっとあるはずなのだが、ここにかけない。
言葉では言い表せないような自分でもよくわからない憎悪を彼女に感じる。
とあるチャットで仲良くなりある時期は頻繁にスカイプをするようにまでなったネット友達がいた。まだ相手のことを何も知らないうちは相手のスペック、相手の歴史の断片を相手から聞き、面白かったのだが、何度もスカイプをするうちに僕は相手に興味がなり、相手に嫌悪感を抱くにいたった。まずはじめに相手のことを語ろう。彼女は鬱病の女だ。彼女は俺たちに会ったときからブログを始め、私をはじめ、いろいろなそこのチャットの仲間にも、さらに自身が勤めるバイト先の人にもそのブログを教えて、その人たちへ見られていることを念頭にそのブログを書いている。そのバイトに受かったというのも私たちが彼女のことを知って後である。彼女は小説家になりたいらしく、過去にもいくつか作品を書いたことがあるそうだ。彼女はスカイプで私にバイトでの出来事を語る。彼女は記憶力が相当悪い。前に私に話したことを何べんも私に聞かせてき、私は辟易する。それに、毎回発言する言葉がほとんど同じである。山田ボイスのように20種類くらい彼女の発言を録音してボタンにしてそれを使った相手と私がスカイプしたとしてもおそらく気付かないだろう。それくらい毎回言うことが同じなのである。「何か面白いことないかな。」「もう終わるの?」「えー」「ふん・・・」彼女は言語障害を抱えているようだった。彼女は自分を過大評価しており、彼女の作品や彼女自身を認めてくれる人がいい人で、批判したり、褒めてくれない人は取るに足らないどうでもいい人という二項対立が彼女の脳の中にある。また、彼女のブログを読めばわかることだが何か彼女におもわしくない出来事が起きたとしても原因は彼女自身にはあるとはつゆにも思わず、周りの環境のせいであると思っている。彼女は過去の犯罪に近いような経験も、いい経験、いい思い出だったとして決して反省しようとせず、非を認めない。スカイプでの話だが、彼女はホームセンターの外に展示されていた商品の机を家まで堂々と持って帰ったことがあるらしい。僕が今までにほかに万引きとか何か犯罪を犯したことがあるかと問うたら答えたことだ。ほかにと書いたのは、その時に彼女は過去にシンナーをある時期ずっと吸って酩酊状態を享楽していたこと、また大麻を吸った経験があるという話を聞いていたからだ。彼女は机を持って帰っていったのだが、彼女は悪いとは思っていないらしい。罪の意識が無いのだ。彼女に罪の意識が無いと知ったとき私はこの人は本当に病気なんだと思った。彼女は禁煙をすると私に言った。わたしはどうせまた吸うことになるだろうよと云った。彼女は絶対に吸わないよといった。しかし案の定彼女は一週間もたたずに禁煙生活をやめてしまった。彼女はブログに禁煙のメリットはどんどんニコチンの含有量の少ないタバコに変えていくことができることだねと言って自分の禁煙の失敗から目をそらし、今の現状を肯定している。全てにおいて彼女はこのような態度なのだ。本当に見ていてイライラさせられる。スカイプも彼女は特に話すことが無いくせにかけてくる。彼女は普段話す人がいないために私をリハビリとして利用しているというようなことを言っていた。○○(私の名前)もそうでしょと彼女は言った。そんなわけはない。彼女は自分の感じていることが他人も同じように感じていると思っている。彼女が知っているものは他人が知っていると思い込んでいる。彼女の好きなものは他人も好きだと思い込んでいる。彼女の知っている本が多くあった私の本の書評ブログを見て趣味がいいねといった。彼女が知っている本が趣味のいい本なのだ。だから彼女は自分と異なる習慣をもつ人が信じられないのだろう。風呂入るから切るねと言ったら、「きれい好きだね」といった。私は「普通だ。」と言ったら「うそー?」と信じられないような、あたかも私が異端児化のように言う。で彼女は概ね個人的なことをみんなにオープンにする性格であるのだが、その性質は万人に共通するものだと思い込んでいるらしい。彼女は「今日は何したの。」とか「生きてて何がおもしろい?」と聞いてきたので「言わない。」というと「秘密主義だね。」といった。このような私の私生活に関する質問をよく彼女はするのだが私は言いたくないと言って彼女には言わないでいると、何故言わないのか、隠すことではない、普通オープンにするよ私みたいにといった具合に、彼女は自分の思ってることが万人に共通していると本能的に思っているのだ。スカイプでも彼女は特に話すことが無いくせにかけてくる。まあ私がバイトでの出来事を聞けば話すのだがそれが終わると彼女は無言になる。おいと言うといまボーっとしていたと言う。会話をしたことがないと分からないと思うが愚鈍の匂いの立ちこめた空気がこちらまで漂ってくるかのようである。端的に言うと彼女は馬鹿である。バイトでも店長から「お前は皆に嫌われている。」とか言われるようなことを言っていた。バイト先での愚痴をいろいろと聞かされた。まあその愚痴の出来事の原因の大部分はおそらく彼女自身にあるのであろうが。彼女はバイト先で先輩の人の股間を蹴ったり、店長が後ろを向いたら中指をつきだしたりしていたそうだ。前者はその副店長が後にその日はクリスマスでケーキを上げようと思って通せんぼしていたのだが彼女はなにかその場の雰囲気に我慢ならなかったらしくそのような行動を取ったということだ。後者は忘れた。取るに足らない理由だ。被害妄想が甚だしい。それに自身が思っていることは絶対そうだと言って疑わない。彼女が何かデジカメとPCをつなぐ線が無くなったと言ったときに、携帯でデジカメ並みの大きさの写真をブログに掲載はどうしてるのと聞いたときに一枚一枚メールに添付していると言った。私は、ちょうど線がないんならカードリーダーを買えばよいとアドバイスをした。しかし彼女は「買わない。」と言った。彼女は他人のアドバイスを絶対に聞かない。そのほかにも私が彼女に対して苛立ちを感じる理由はもっとあるはずなのだが、ここにかけない。言葉では言い表せないような自分でもよくわからない憎悪を彼女に感じる。何か物珍しい動物を見るまなざしを彼女に向け続けていくのだろうと私は思う。こんなに憎悪していても何故か彼女の行く末が気になるのだ。
このあいだ、たまたま客先から直帰で7時頃についたら、妻と娘がコンビニのパンを食っていやがった!
子供の晩飯がコンビニのパンってありえねぇだろうが!もちろん俺の晩飯は会社でコンビニパンだが、娘にそんな晩飯は食わせたくない!心が貧しくて荒んだ寂しい人間に育っちゃうかもしれないじゃないか!思春期に入ったときシンナーとかやっちゃったらどうするんだよ!
そのとき妻は今日は疲れたからとかなんとかいっていたが、その後も気になってちょくちょく子供に「昨日の夜はなに食べたの?」って聞くと「きのうはぱんにじゃむぬってたべたのー」っていってるからそうとうパンとか食わしているにちがいない。くそう、俺が早く帰ってさえいれば、こんなことには絶対ならなかったはずなのに、マジで転職を考えたいが、失敗したときのリスクを考えるとなかなか簡単にはいかず、どうにもならねえ。。。
僕は今までに二回、自殺をくわだてたことがある。
人に知られれば強く非難されるのをまぬがれない、異常性欲を持っているからだ。
一度目はうら寂しい墓地に行き、二度目は田んぼに行き、酔い止め薬を多量に飲んで死のうとした。意識を失ったものの、通りがかりの人に救急車を呼ばれてしまい、二度とも失敗してしまった。
僕が生きていても本当にろくなことにならないと、自分でも思う。大学のとき、男友達を部屋に招いたことがあった。やって来た彼が、白い靴下を履いているのを見て、すぐさま性器が勃起するのを悟り、これは大変なことが起きるという動物的な予感が頭をかすめた。案の定、自室の扉を後ろ手に閉めると、衝動に突き動かされるまま彼に飛びかかった。背後から両手に力をこめて、首を力強く絞めた。彼は、僕が遊んでいると思ったのか抵抗しなかったが、すぐに苦しくなったらしく、両手で僕の手を払いのけようともがき始めた。彼はひ弱な男でもないし、僕の首絞めもそう長くはもたないと知りつつ、彼の首から手が離れる最後の瞬間まで、顔を真っ赤にさせて苦しむ彼の表情をじっくり眺めて快楽に浸った。
僕はこの件で、大学を退学させられた。
一度スイッチが入ると、とても暴走を抑えられるものではない。
自殺サイトには、死にたがっている人間がこうもいるのかと、当初は驚いたものだ。僕もはじめは死ぬつもりで自殺サイトにアクセスしていた。
25歳になるその女の子も、死を求めてアクセスしていた一人である。
山奥まで車で行き、練炭を焚いて一緒に死のうという段取りだった。ひとつだけ僕の示したプランに従わなかったのは、あれだけ白い靴下を履いてくるようにと念を押してきたのに、約束を破ったことだった。カッとして怒りそうになるのをこらえ、自分で用意した白い靴下を、山奥の駐車場に着いたところで彼女に履かせた。
練炭で死ぬといっても、煙が充満すると苦しくなって思わず車のドアを開けようとし、せっかくの自殺が失敗に終わることがよくある。自殺初心者が犯しがちなミスであることを僕は知っていた。だから、手首と足を結束バンドで縛る必要があるのだと説明すると、彼女はおとなしくうなづいて同意した。僕は、後部座席に横たわった彼女の手足を縛り、自分のひざの上に彼女の頭を乗せた。
僕は練炭に火をつける代わりに、ICレコーダーの録音ボタンをONにした。
シンナーを染み込ませたガーゼを彼女の鼻と口に押し当て続けては、すぐには窒息死しない頃合いを見計らってガーゼを離すのをくり返した。できるだけ長い時間、彼女が喘ぎ、泣き叫び、呼吸が思うようにできずに苦悶の表情を浮かべるのを楽しむのだ。
1分12秒 「やめて、やめて、やめて、やめて。なんでこんなことするの!なんでこんなことするんよ!やめて、やめて、やめて、こんなことやめて!もう、やめてって!約束が違うじゃない!」
1分30秒 「お願い、だからやめて、やめて、やめて!お願いやから、やめて!聞いて!だから、信じて!」
2分21秒 「人殺し!」
3分16秒 「すー、ひー、ひゅるるるるるるるるる」
3分50秒 「お願い!ちょっとだけ話聞いて!お願い!」
4分06秒 「なんでこんなことすんの!」
4分56秒 「お願いします!このままの格好でいいから!なんですか!なんですか!なんでこんなことするんですか!」
6分48秒 「ウー、ウー、わかったから!ちょっと待って!」
8分06秒 「アー、ウー、ウーン・・・・・・」
8分15秒 「もっとしっかり声を出さんかい」 (ブラを剥ぎ取り、両方の乳首をつねる)
8分20秒 「殺さないで・・・・・・」
11分34秒 「ウォーッ、ウォーッ、ウォーッ」
12分19秒 「南無妙法蓮・・・・・・南無妙法蓮」
13分46秒 「南無妙法蓮・・・・・・ウーウー」
17分24秒 「ハァ、ハァ、ハァ」
22分03秒 「アッ!」
23分01秒 「ウッ・・・・・・・・・・・・ザーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
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ごめんなさい。元ネタは、2005年の「自殺サイト連続殺人事件」で、一部事実と異なります。
ここでもよく見るけど自分のこと棚に上げてキチガイって言う連中、多いよねえ。昔はPCで依存してたり高学歴のが気色悪いって言われたんだが。例えば団魂の世代に大学生だったの、自衛隊と戦って手や足外してそれが青春だったとかいうのが、自営業に多いんだけど、あんたらのかーちゃんとーちゃんだったりするんじゃないのかい?だったらあんたらも同罪だね。あいつらは人殺して青春です、って戦争でもないのに言ってるんだよ。シンナーとかホームレスみたいなかっこしてね。歴史しらべたらどうだ。正常人ですって免許でもあるのか。一度見せてみろ。ニートだって派遣も一つの病気だよ。学歴あるのに、ちゃんと結婚や職業つかないんだからな。下作って喜ぶなぞ江戸時代の真似してないで、ちゃんと人間としてやることはしておくんだね。こちらみたいなことしないでな(笑)
・マジレスしていいのかな?八神のダブルカフスシャツ&ボンデージパンツって格好は、当時(一瞬だけ)流行ったネオパンクと呼ばれるスタイルが元ネタです
・その気持ちわかる。でもまず「飢狼伝説」のダサさに中坊のおれは腰を抜かしたものだ。SNKの美意識は変だった
・ふれあいの心/駄菓子屋やドライブイン等のゲーム機はインカムの5~7割に相当するレンタル料で問屋が貸し出す仕組みなためインカムの低い田舎には高(くて新し)いゲームは回らない。買うとリスク高いし。いやー指貫グローブはKOF以前に特撮ヒーローが結構つけてたような記憶あるよ。/「記号的オタアイテム」でコーディネートしよう!という企画を考えたことあるんだけど、何らかのチートしないと綺麗に仕上がらない
・言ってることはよくわからんがオタクがバンダナするのはラルフの影響ですよね?/有名プレイヤーが都市名+キャラ名で呼ばれるのは、バーチャだけでなくその時代の格ゲー界全般の慣習だよ。サイキとかスパIIXとか。
・そいうや、格げー好きの友人も指抜きグローブだったな。影響はあったのだろうが、基本的なところは、オタクは他の物に金がかかるからとても1万円を超す衣料品に手を出せないという話で終了。
・kof94-96あたりは50円で3時間くらい連勝して遊べた。 というか、50円で1プレイ出来ること自体田舎だったのかな、最近そんなのみない
・'94まではまだオタファッションの流れ。庵にボンデージパンツを取り入れた時点でヲタが平伏したんだよな。でもその後のメンズナックルみたいなお兄系ってのはKOF的センスをヤンキー還元したものと思ってる
・確かに自分が学生の頃(15年くらい前)、牙狼伝説が流行っててテリーボガードのコスプレみたいなカッコした人がよくいたよ~。本人はカッコいいと思ってるんだろうけど、当時から疑問だった…。
KOFの一部のキャラが壊滅的にダサかった理由、先行者(カプコン、セガ)に追従できない内部事情、キャラゲーと侮蔑されてもキャラ作りの手を緩めない態度、全てが繋がった気がした。
確かにテリー・ボガードはダサかった。壊滅的にダサかった。名前からしてドキュンネームよりヤバイ。だが、どうしたわけか田舎のシンナー吸ってそうなヤンキーにだけは人気があった。都会の身には、土田舎の事情は想像でしかわからない。
だが、上のコメント群で地方のトンでもない事情が垣間見えた。毛沢東の共産化政策が如く、SNKは地方でまず人気を取ることしか突破口がなかったのだ!だから、ヤンキー受けするキャラを作ったわけだ。(後から考えれば、キャラゲーという概念もKOFによって一般化したものだ。)
当時のゲーセン事情は、まさに貧乏ゲーセンと大規模ゲーセンに分かれる時期だった。大規模ゲーセンでなければ、バーチャなんぞは入らなかった。バーチャは確か、めっさ高かった。後にマニアック過ぎて失速したスト3に関して、カプコンの人が”この基盤が・・、このモーションが・・・”と高性能さを誇らしげに語っていた記憶がある。高性能さでは、SNKはまともに追従できるはずもなかった、主力が12.5メガショック!ネオジオであったのだから。
だから、上のコメントにあるように、主戦場であるアミューズメントストアだけでなく、駄菓子屋などでも人気を取れるような仕掛けを作る必要があったわけだ。「SNKの美意識は変だった」と言うよりは、SNKが、土田舎の美意識に一部合わせたと考えるほうが、おそらく正しいだろう。確かに、リョウとか言うスト2のリュウのパチモン(昇龍拳のモーションまで!!)が作られるように、イカれたところはあった。
ファッションについては、さっぱり分からない。元の文章の「指切りグローブ」云々はネタなのだろうと思う。指切りグローブは仮面ライダーの世界にしかあり得ないでしょ。常識的に考えて。
八神庵は格好良かった。マジで。ただし、暴走庵になるまでの初期バージョンの話だ。そういえば、腐女子向けにキャラ作りをおっぱじめたのも、SNKではなかったのか?少なくとも、キャラ作りのベクトルが、セガやカプコンとは全く異なっていたように記憶している。
「kof94-96あたりは50円で3時間くらい連勝」→100連勝越えですか?狩り反対!
最盛期を迎えたのは、くだんのスト3がマニアック過ぎて客がKOFに逃げた時期、KOF96~98辺りにあったように思う。残念なことに、そのころから格ゲーブーム自体も退潮に向かっていた。スト2ダッシュのころは、新ゲーを投入しなくとも客が途絶えることはなかった。そこからだんだん、新ゲーを投入してから半年頃はというように新しいゲームを入れてからの客の入りが減らない期間が短くなっていった。
いつしか、対処法とコンボをある程度覚えていないとどうにもならないことから「覚えゲー」とも呼ばれることになり、「バッタゲー」とも蔑称され、”夏の祭典”であるはずのKOFの新作が出る時期が伸び伸びになっていった。
毎週フリスクを食べていた。
なぜかみんなが食べるそれと一つ違う事は僕の買っていたフリスクはいろんな模様があり、コンバース、ナイキ、シャネルなどいろいろな刻印があった。
苦いけど、ガリガリ噛み砕いて、グレープフルーツジュースで流し込んで1時間すると、えづきが止まらなくなるのが合図で、段々フワッとしてくるのがわかった。僕の体の周りを優しい何かが包み込む。
お金で愛が買えるとは思わないけど、4時間程度の幸福なら2500円で購入できたし、今では考えられないけど、六本木を歩いてるとフリスクを売ってる外人が結構な頻度で声を掛けてきた。
医学的には多幸感というらしい。
僕のフリスクは多幸感があって、毎度幸せを感じた。友達と食べるとあまりの幸せぶりに、ハグしたり、友達で良かったと堅い握手をした。
女の子はみんな可愛く見え、学生時代に虐められたことなんか、狭い学校の中にある村社会なので仕方がないと簡単に納得できた。
一度、わざと嫌な事を考えようと思ってみたが、途中からネガティブな言葉の意味全般が分からなくなり、ネガティブな言葉自体思い出せなくなり、あれ?ネガティブって何だっけってなって、今日を生きる幸せを思い出し涙が出た。そのくらい効果がすごかった。
その頃家で紅葉を育てていた。
紅葉を燃やして大きく肺に吸い込むと、楽しくて気持ちよかった。
多幸感と楽しいは全く違うが、両方を一度に試すとフリスクと紅葉なのに口からヨダレが出るくらい気持ち良かった。
ソファーにめり込んで2時間経ってた事もあった。
例えると、暖かい光がポカポカ差す春先の昼間に公園で好きな人に膝枕してもらってうつらうつらしてると、ヨダレが出そうになるけど、危険度と引き替えに快楽のレートがもっと上がる感じだと思う。
寝入りばなの快感とはよく言ったものだと思う。
彼女は彼氏と一緒にフリスクを食べていたが、このまま田舎に帰れないので家で休憩したいと言っていた。精神を少し病んでいたので、彼女のフリスクを回収し、ゆっくり寝かして家に帰した。
それ以前から気にはしていたので、マメに彼女に連絡を取っていたが、それ以来連絡が取れなくなった。
数ヶ月経ったある日連絡が取れたので、冗談で捕まった?と聞くと本当に捕まったと言う。
彼氏が捕まり、芋づる式で彼女も捕まった。その際に正月の行動を話し、僕の家でフリスクを捨てた事も話したらしく、大人の鬼ごっこの鬼担当は僕の住所と間取りを調べたらしいが、僕は彼女の目の前で食べなかったので、僕は首の皮一枚で助かった。
その後、友達と慌てて部屋を掃除し、大量の紅葉の葉は川に流した。
ある日テレビを見ていてびっくりした。
捕まった彼女と共通の知り合いの切手売りが国営放送のドキュメンタリーに出ていた。
目にモザイク、声は変えられていたが、病的な色白の肌とシンナーで溶けた前歯に特徴があったので、すぐに分かった。
切手売りは僕に幻覚が見える切手を売ってくれたが、僕は購入時には公衆電話から電話していたので足がつかなかった。一度でも携帯電話から電話していたら僕も芋づるだった。
彼は遠い国で何年も何年もおつとめをしてたらしく、最近日本に帰ってきた。
あの一件以来、真面目に仕事をしている。
僕は捕まらす、精神も破綻せず、周りが鬼に捕まる事によって人生の転機が訪れた。
ただツイてただけだ。
悪い事してても破滅しかないからやめた方がいいと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20081202130150はアンパンがシンナー(遊び)の隠語であるという前提があるからこそネタとしての面白さが生きるのに(ry
っていうツッコミを入れるのは野暮だよね。わかってるさ。
でも食パンて。
事前に公表した選考基準以外の基準で選考してはならない http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081030/1225341851
…を読んで色々思ったので書く(※以下の話は当たり前ですがおおむねフィクションです。ああ、増田があって良かった。)
以下はとある地方のとある試験で「事前に公表した選考基準以外の基準で選考した老婆」の話である。
「この茶髪を見てな、このピアスを見てな、不合格にせうと思うたのじゃ。」
ありむーは、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ身だしなみチェックリストを持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程な、事前に公表した選考基準以外の基準で選考すると云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる落第者と中学どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい連中ばかりだぞよ。現に、わしが今、落第にした受験生などはな、中学時代盗みだ暴走だ暴力だしまいには学校でシンナーを売りさばいてと悪事をし放題にしたあげく匙を投げられ、登校しても教室には入らず小部屋に閉じこめられて煙草を吸っても注意もされず一日たりとも勉強もせず、それで『皆出席』『自分の意見をしっかりと述べることができリーダーシップがある』などと調査書に書いてもらった上に、親がヤクザで落第したらどうするとうるさいからご丁寧に調査書の点数まで捏造したと中学教師がほざいておったわ。落第せなんだら、今ではウチの学校でシンナーを売りに励んでいた事であろ。それもよ、この生徒の売るシンナーは安くて品物がとぎれんと云うて、仲間どもが、欠かさず買うていたそうな。わしは、この生徒も見放した大人も、ただ悪いとは思うていぬ。隔離せねば、学校が崩壊するのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、学校が崩壊するじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていた中学校とこの生徒は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
老婆は、大体こんな意味の事を云った。
ありむーは、太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていたのである。
(追記)
※実際に誰がどう、という話ではなく、「調査書の信頼できなさ加減」の話だと了解いただければ。
俺は「グリコ・森永事件」が起きた1984年に中学三年生の春を迎えた。
その年に俺の中学で起きた「ちょっとした事件」に直接関わっていたが、黙って暮らしてきた。「時効成立なので」という訳ではないが、小文をしたためさせてもらう。
俺の住んでいたところはグリコ・森永事件の現場(東は滋賀県、西は兵庫県西宮市)の両端の間に位置し、多感な時期であったこともあり、何か、事件の犯人は近くに住んでいるのではないかと感じていた(そういう噂も内々にもあった)。
俺の行っていた中学は行区内にいわゆる「文教地区」ではないところもある、関西では一般的な「柄が少し悪い」学校だった。
中三の時期、俺の学年は田中(仮名:以下略)がワルで仕切っていた。学年にもう一人、佐藤(仮名:以下略)という、中二からメキメキ、ワルさを極めを力をつけている奴がいた。当然、田中および取り巻き(俺も末端ながらその一人だった)は佐藤のことを「いちびってる」として「そのうち、締めよう」と考えていた。佐藤は仲間とつるむタイプではなく一人で田中グループの人間をシバきまわしたり、「カツアゲ」していた。俺も佐藤に小遣いをむしり取られたことがあった(ちなみに田中には「制度」として上納していた)。
グリコ・森永事件が広域事件として、社会を騒がせていた時期、俺の中学も小さい宇宙の中で、ちょっとした「抗争」が起きようとしいた。
案外、田中は早く動いた。中学の屋上に佐藤を夜に呼び出して、シバキ回して「ヤキをいれよう」ということになった。俺も参加するよう言われた。でも、何か怖くて、その晩はバックれた。後で田中の子分に「小心者」と罵られ暴力を受けることは覚悟していた。
Xデーは訪れた。翌朝、佐藤は中学の校舎の裏側のコンクリの上で、落下死体として発見された。田中の周辺からだいたいのところは聞いた。田中と佐藤で屋上で殴りあいをして、田中は佐藤を組み伏せた。田中側は複数だったかもしれない。
当時、俺の中学ではシンナー、トルエン遊びが流行っていた。田中たちは下になった佐藤に無理やりシンナー、トルエンの混合物を目茶苦茶に吸引させた。田中は容赦ない奴だったので、その前に佐藤の肋骨を数本、踵で体重をかけて、内臓にめり込むよう折っていたし、腕もへし折っていたようだ。
激高した田中とその取り巻きはぐったりした佐藤を校舎の屋上のフェンスから投げ落とした。現場に俺は居合わせてなかったが、田中の「肋骨折り」は以前も目撃したこともあり、怒り狂った田中の凶暴さは知っていたので、佐藤を「落下」させることくらいはやりかねないと思った。
佐藤の落下死体があったことから、朝から警察が来てものものしい雰囲気だった。田中らは逮捕されるだろうと思った。少年院とかに行くだろうし、本人たちもそういった人生を選択していると思った。佐藤が死んだことには、少し「ぞっと」したが、所謂「想定内」であった。
その日の夕刊に警察発表の記事が社会面に載った。一段扱い、小さな記事であった。
とひっそり、単独事故死ということで片付けられていた。
その後、田中とその側近たちは登校しなかったし、先生も佐藤の転落死などなかったように静かに中学義務教育を継続した。
俺は、怖かった。佐藤が殺されたことよりも、何百倍も「転落死」として処理されたことが今でも怖い。丁度、グリコ・森永事件の犯人が捕まらなかったのと同様、国家権力をもってして、外傷を受け複数の骨が折られた死体も「事故死」とする方が都合がいいこともあるのだと、中学三年生のときに知った。
よく殺人で捕まった犯人が累犯として他の犯行も認めたという報道もある。きっと真実もあれば、コントロールされた「事実」もあるのだろうとずっと思っている。
高校に行って、社会人になったが、静かに人生を送るように極力つとめるようにしている。まあ、それが、日本における市民の普通の生き方なのかもしれない。
田中および一番側近の村上(仮名)はその後、任侠の見習いをしているとも聞いたが18歳の時、死んだ。深夜、国道を田中のスピード運転でカーブを曲がり切れず対向車線にはみだして、タクシーと正面衝突。田中と村上、そしてタクシーの運転手さんまで即死だった。田中はアルコールを飲んで運転していた。
先日、実家が引っ越すので荷物を整理して、中学校の卒業アルバムを見つけた。佐藤はもちろん、田中、村上他の写真もなく、彼らは最初から存在していないようにアルバムされていた。
俺も非喫煙者だけど。
それが他の趣味と違う所だよね。
たぶん一番わかりやすい例としては、プラモづくり。
シンナー臭かったり、カラースプレー(?)で周り汚したりする。
それを、町中でやられてごらんない(笑)。
たまったもんじゃないでしょう。
「いや、健康にいいんで」とかいわれて、強制的に黒酢の入った水を飲まされるよーなもん。
とか、唄うの趣味でもいいけど、仕事中ひたすら唄われてたら迷惑でしょ。
個人的には、吸いたい空気を吸える権利くらいは認められるべきだと思う。
救急を取る病院がまだまだ少なかった頃。
地域の基幹病院は県立病院。救急車で30分。救急対応も今ひとつ。
地域に「住民のための」新しい病院への欲求が高まった頃、200床程度の規模でその病院は開院した。
何もない開院したての病院。外来の棚の中は空っぽ。買ったばかりの備品は全てダンボールの中。事務も看護もみんな初対面。場所によっては、誰かが梱包をあけて棚に備品を並べてくれていたりするけれど、どれもビニールがかかったまま。洗面台の水は妙にシンナー臭い。
新しい病院を立ち上げる仕事は楽しい。医師の派遣元にも十分な人手はいないので、みんな交代で出張。
新しい病院。新しい町。医局の引継ぎノートには、新しく作った約束処方、備品のありか、地元に詳しい事務の名前や電場番号、近所のコンビニの場所などが記載されていく。遊びに行くにもどこにいっていいのか分からないから、医局の冷蔵庫には魚肉ソーセージと酒の瓶。毎晩野郎ばっかりの飲み会。
立ち上げ当初は、食事も宿泊も全て病院内。3食病院食は、2週間もすると飽きてくる。もっと身体に悪いものが食べたくなって、医局に周辺の出前リストがそろう頃には、外来にもだんだんと患者さんが増えてくる。
まず集まるのは、「主訴:腰痛」の整形外科の患者さん。理学療法室の常連を徐々に増やして、高血圧の人、咳のひどい人などを外科に紹介して、外来の人数はだんだんと増えていく。
そのうち、軽症の交通外傷の患者さんが救急車でやってくる。病院にも、若い患者さんが増える。もともとの設立の動機は「地元のための」病院。病棟はきれいで、居丈高な公立病院を反面教師に、時間外でも笑顔で診察。
開院2年目。待合室には若い人が増え、活気を帯びてくる。外科、内科とも常勤のドクターが増える。スタッフの数が充実すると、皆もっと高度なことがやりたくなる。
「24時間救急を取ろう」「研修医を育てよう」スタッフが若ければ、気合だけで施設が充実する。病院で行えることはだんだんと高度になって、救急車の数も増えていく。
「あの病院はよくやってくれる」。地域の信頼が集まると、もっと若い患者さんが通院するようになる。
病院は忙しくなる。患者さんの年齢層が変化して、皮膚科や耳鼻科といった、若い患者さんが得意な科も充実してくる。
眼科が入ると、病院の経営は一気に好転する。白内障の手術の得意な眼科医は、内科医3人分の収益を一人で稼ぎ出す。黒字科が増えることで、病院にはもっと大規模な設備が導入される。
「カテ室を作ろう」。開院8年目。常勤できてくれる循環器のドクターも決まり、循環器外来が始まる。患者さんの数はますます増え、救急外来にも救急車の音が毎日鳴り響く。
雲行きが怪しくなるのは10年目頃。10年もすると、町にも高齢者の数は増えてくる。救急外来に来る患者さんも、外傷や脳出血、急性腹症といった年齢層の若い救急患者だけでなく、転倒による大腿骨骨折、近所の老健からの誤嚥性肺炎の紹介といった人が目立つ。
病棟の業務は変わる。夜間に不隠になる患者さんが増え、重症患者のための個室は、いつのまにか不隠部屋に。重症の患者さんは大部屋。徘徊老人は個室。不隠の強い高齢者はなかなか退院しないから、若い患者さんの個室への移動希望はかなわなくなる。
「あの病院はうるさい」「いつも廊下で叫び声が聞こえる」。病院へのクレームが増える。
「四肢抑制」「不隠時セレネース静注」、今までは書かれることのなかった指示が指示簿に当たり前のように記載されるようになった頃、日中のナースルームは不隠の強い高齢者であふれ返り、医者は叫んで暴れる年寄りの相手をしながらカルテを書く。かつてラクテックがぶら下がっていた点滴台には、経管栄養のバッグが目立つ。PNツインもまだ棚に置いてあるけれど、滅菌期限寸前でほこりをかぶったまま。中心静脈栄養なんて、もう半年ぐらい処方してない。
病院が止めを刺されたのは、近所に新しい老健が出来てから。「○○病院がすぐそば」を宣伝文句にして人を集めたその施設は、嘱託の医者が帰る5時以降になると患者をどんどん連れてくる。少しでも熱が上がると、「うちでは見られません」「入院させてください」の一点張り。
もともと「24時間、患者さんを断ることはしません」との宣言を出していた施設。開院して12年、それでも気合で守ってきたそんな宣言は、病院とは縁もゆかりもない業者に美味しく利用される。外来には車椅子に拘束衣で来院する年寄りが増え、以前から通院していた若い人は外来からいなくなる。
夜中によく来る喘息のお姉さんに「今度、午前中の私の外来に来てください」とお願いしたことがある。「私は○○病院にかかっているので、ここはちょっと…」と、マスコミによく出る施設の名前を出された。
市民のための病院。市民に見放された病院。ここはいつのまにか賎民のための病院に変わっていた。
病棟はもはや、行き場のない高齢者でいっぱい。若い人の肺炎や喘息といった病気は外来で何とか診るしかない。病棟業務は連日の転院先探し。患者さんもご家族も、「一生ここにいさせてください」と願う人がほとんど。やっとの思いで転院させても、2週間もすると37度の発熱で救急車で帰ってくる。もう二度と転院に応じるものか、という決意を持って。
手術の症例も減った。病棟ナースにも離職者が相次ぐ頃、引き上げた医師にも後任が決まらなくなり、病院は慢性期疾患を細々と診るだけの施設へと変貌した。
地域の若い人たちはもっと新しい病院へ。
「あの病院に行くと死ぬ」。こんな評判が地元に立つ頃、病院は死に体になった。
間違ったことはしていないつもりだった。より高度な医療サービス。より簡単なアクセス。地域の医療需要に応えつづけた結果、病院は地域から見放された。
より広い需要に応えたい。より高度な医療をしたい。患者さんのための医療をしたい。力をつけようと努力し、進化を続けた結果、「強い」病院にはより弱い立場の患者、慢性疾患の末期の人、行き場のない高齢者が集中するようになった。
90年代に救急外来を一生懸命やっていた民間病院の大半は老人病院化し、急性期疾患を搬送する救急車は、以前は急患を断っていた市立病院や日赤病院に集まるようになった。そして現在、そうした病院すらもだんだんとベッドが回らなくなり、一昔前なら救急車が素通りしていた大学病院にも、寝たきりの高齢者が搬送されるようになっている。
恐竜絶滅寸前の時代。爬虫類全盛期、さまざまな大きさの恐竜が覇を競い合った後、気候の変化とともに体の大きな恐竜しか生き残れなくなった状況。市中病院が高機能化し、救急外来を充実させて「恐竜」化する一方、「恐竜」化した大手市中病院は、進化の果てに絶滅しそう。
その影で数を増やしているのは、小さな哺乳動物。小規模病院。老健業者。元気がなくなる恐竜達を尻目に、誕生したばかりの哺乳類はきれいな施設、専門特化した医療技術を武器にその勢力を増している。
時代は変わる。恐竜が闊歩していた時代は去ったあとは、小型ですばしこい哺乳動物の時代が来る。医療の無駄は減り、効率のいい医療、効率のいい経営が実現できるようになる。
問題なのは「恐竜」クラスの力がないとどうしようもない患者さんはいつの時代にも存在することで、哺乳動物を目指した施設は、最初からそうした人を相手にする意思は無い。
主役の交代は、すでに小児科、産科の領域では確実に進行している。産科のいない市は、もはや珍しくなくなった。
恐竜だって絶滅したくて進化したわけじゃない。医者だって絶滅する恐竜と心中したくはない。結果として哺乳類が生まれ、「食べられない」患者は見捨てられる。
誰かが悪くてこうなったというわけではないと思う。
こういう基準の人ってよくいるんだけどさ、自分の努力がどうこうとか、どうにもできないとかって、見ただけでわかんの?ちゃんと調べてから笑うかどうか決めてんの?って思う。
今まで聞いたことあるケースとしては
(a)難病(まだ日常生活が可能で、見た目では分からない)の薬の副作用でぶくぶくに太ってしまった若い女性
(b)車の中でシンナー(だったかライターのガスだったか)吸ってたら引火して爆発、四肢切断の元ヤンキーの若い男性
ってのがいるんだけど、「デブは自己責任だから笑ってよし」「身体障害者は自分のせいじゃないから笑っちゃダメ」だと(a)のことはゲラゲラ笑ってバカにして、(b)には神妙な顔して丁寧に接したりしちゃうんだよな。
で、詳しい事情聞いたら(a)に謝って大変ですねとかいたわったりして、(b)には「自業自得じゃねーか!バーカ」とか罵ったりしちゃうわけ?
まあこれは極端な例だけどさ、理由や事情なんて見ただけで簡単にわかるもんじゃないのに、よく調べもせず「○○だから」って笑いものにしちゃう奴って「本人が悪いんだから笑ってる俺は悪くない」って言い訳したいだけにしか聞こえないんだよね。
基準を掲げるんなら一人一人笑っていいかどうか完全に調べてから笑え。それが嫌なら誰であっても笑いものにすんなよ。
32 名前: 社長(catv?)[] 投稿日:2007/09/17(月) 20:51:06 ID:+RIFXdgD0
年代別ヨハネの治安変遷。
??89年 初ヨハネ。 危ないとは聞いていたが主にテロによるものと聞いていた。
到着初日に投宿していたホリデーイン・ダウンタウン(今はもちろんない)から
町をくまなく散策するがやばそうな奴らがチラホラと散見されるほかは特に危ない
とは感じなかった。アメリカの大都市のような雰囲気。普通に多種多様の人種が
働いている。しかし夜九時ごろ外出しようとしたらホテルのガードに止められた。
??93年 夜のヒルブロウにドイツ系移民の友人に連れられてヒルブロウを歩く。
夜の10時過ぎだったが結構ヤバイ雰囲気。ガキが道端で焚き火してる。喧嘩してる黒人
やシンナー吸ってるガキをドイツ君がどやしつけると一気に萎縮する。まだ白人の威厳
が残ってる頃。89年に比べれば治安は悪くなっていそうだが昼間ならまだ歩ける。
34 名前: 社長(catv?)[] 投稿日:2007/09/17(月) 20:54:15 ID:+RIFXdgD0
??94年 ヨハネのヒルブロウに住んでるドイツ系移民の友人宅に休暇で3日ほど泊めてもらう。
本人は仕事で日中いないので暇なので一日中ヨハネス市内を散策。外出前に護身ナイフを渡される。
中央駅に近くなるにしたがって黒人密度が増すがやばいというほどではない。駅付近では黒一色に
なり唯一の非黒人が俺だけという状況になる。旧白人専用ホームは凄くきれい。黒人用は怖くて見
に行かなかった。夜は暇なのでまた市内を散策する。表通りはOKだが裏通りはもうやばい感じ。
ごみだと思って道端の毛布を踏んだらグニャっという感覚が。開けてみたら黒人の餓鬼だった。
夜は散発的に銃声が聞こえてきて目が覚める。
??97年 もう昼間でも満足に歩ける状態にはない。市西部のビジネス機能
が残ってるあたりはまだ白人もいるし歩けないわけではない。夜に郊外から
日本人の友人と車で市内進入を試みるがもう肝試し状態になってお互いウワ
の空。中華街で飯食うが窓の外に黒人がぴったりと顔をくっつけてこちらを
うかがっている。飯を味わう状態にない。帰りヒルブロウ地区を通過中に数回
短機関銃のような発射音が聞こえ、歩行者が道に伏せている。どこで発砲されてるか
確かめる余裕もなく猛スピードで通過。女性の夜闇を切り裂くような悲鳴を耳にする。
すっかり動転し、人通りの少ない裏道の信号で信号待ちの度に恐怖で足が震えエンスト
を起こしまくる友人を狂乱状態で怒鳴りつけるくらい俺も節度を失う。
コレがヨハネの見納め。また行こうとは思わない。
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こんなんでワールドカップできんのかね・・・
http://anond.hatelabo.jp/20070715182457
友達はただ漫然と作ればいいって話じゃないぞ。
極端な話、こういう人と友達になるってどうよ?
もし私が仮にこういう連中100人とお友達だとして、うらやましいと思うか?
これは極端な例としても、友達は選ぶべきだと思うぞ。
「友達がいる、いない」とか、数の問題だと思ってる人は多いけど、これは間違い。質の問題だ。
そして、質の良い友達は、一朝一夕にできるわけじゃない。
おまいさんはたまたま、その機会にずっと恵まれなくて、最近やっとツキが回ってきたという事じゃないかと思う。
自分も中学時代友達に恵まれなかったが、DQNだらけの学校だったから、もしそういう連中と深い付き合いだったら、別の意味で自分の人生は変わっていたに違いないと思う。