2009-12-09

反省して、で、結局そのままとかないわ。

なんか、太平洋戦争時の日本ジャーナリズム(個人ではなく、一つの報道機関としての)って

「国のため」が「自分のため」に変わっただけでなーんも変わってないとしか思えない。

ゆとり教育でうっすらならった日本史記述をふと思い出したけど、そこから何も変わってないじゃんとしか思えないよ。

「悪かった、だからトップだけ変えてやっていきます」

責任の取り方の一例としてはアリなのだろうけども、それでその業界内の思想はかわらないよね。

いや、個人個人として変わったとしても、空気嫁文化内だから結局全体的には変わってないのかもね。

あと自分で変わった、といっても、それを誰かがみたとき変わったと思ってもらえなければ、それは変わってないのと一緒だよね。

 

それで今まできちゃったから、人の口に戸はたてられないよなネットにあげられている内容と、

新聞とかTVとかマスコミのいっている内容が違うんだろうね。

 

でも、確かに「そうじゃない!」と思っている人たちが報道機関にいるからこそ、

ネット新聞とかTVとかででていない情報がでてきたりもしているんだろうね。

今のジャーナリズムというかそういう報道機関の姿勢が嫌なら、変えるための動き、何ができるかをほんの少しでいいから考えて、

ほんの少しだけでいいから実行すれば、何かかわるのかもね。

しかし私は自分でいっぱいいっぱいだからと逃げる。

誰かがやってくれるさ、と。

 

ただ救急車呼ぶ時の注意事項のことを思い出す。

倒れた人のまわりに大勢の人がいると、みんな誰かが通報しただろうって思って、誰も通報していないっていう事態が発生する。

だからかならず誰かを指定して救急車を呼んで!といわないといけない。

だから、うん、この考えって危険なんだろうね。

でも私はきっと誰かがやってくれるさ、と思うんだ。

 

まったくもってよろしくない思考だこと!

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん