はてなキーワード: 工業製品とは
北鮮側は国産であると主張しているが、北鮮の工業力はモーターや軸受けや気密を維持するパイプの引き回しといった工業製品を自作できるレベルではない。
つまり、部品を輸入しなければまともに動かないのだ。
ウランをガスにして同位体の質量差で分離するには、容器を高速で回転させる必要がある。容器のサイズが大きくなればなるほど分離性能は良くなるが、軸出しや軸受けの精度、モーターのトルクが必要になる。
商業目的で運用して採算が取れるようにするには、日本を始めとする先進国の部品を使わなければならないが、採算度外視の軍用であれば洗濯機のモーターやベアリングを流用した程度のそれほど高速に出来ない設備でも、やってやれない事は無い。最初の核爆弾を作る為に使った設備と、同レベル程度にはなる。
機械的にはそれほど高度なモノでなくても作れるわけで、それらの部品は中国から供給されていると考えるのが妥当であろう。中国側は民生用の洗濯機や自転車しか売っていないと答えるであろうが、北鮮にしてみれば、中国は核開発のかけがえのない協力者となっているのである。
ウラン鉱石の入手と、ウランを抽出してガス化するためのフッ酸の入手や取り扱い、六フッ化ウランガスを回転体に供給するパイプの接合部分の気密シールといった問題もあるし、放射性物質とフッ酸を扱う事から、遠隔操作ができるリモート設備も必要になるが、こちらのほうは英雄として人材を使い捨てにできる体制の国家であれば気にしなくても良い。
イランやシリアのウラン濃縮が成功しないのは、ノウハウが足りないせいであるが、それはやっていれば遠からず気がつく。そうなると採算度外視であるがガンバレル型で起爆できるウランを所有できるようになるわけである。
核爆弾を売りつける商売ができるのであれば、どんなに割高であっても、採算が取れるという見込みで行っているのかもしれない。
問題は、北鮮の核開発が、金王朝の世代交代に関わらず継続されるという意思が表明されたという点にある。核開発の協力者である中国を連帯保証人に引き込み、世界に対応を取らざるを得なくさせるという目的であろうが、その対応について北鮮側とそれ以外との間で認識のズレがある。
北鮮側が六者協議における交渉カードを増やす為であったとしても、世界は北鮮と中国をまとめてパブリックエネミーとして認識しているわけで、交渉の時期は終わったという確認を国際世論に対して促した事になる。
六者協議は中国が求めるのであれば行われるであろうが、最後通告の場になる可能性が高い。決裂を確認するにしても、外交的なセレモニーは必要になるからだ。
日本はこれに参加するべきか否かという話がでている。この協定は、EU統合のマーストリヒト条約から、貿易の部分だけを抜き出したようなモノで、関税の撤廃を主目的としている。
自由貿易を標榜する立場からは、絶賛されるべき内容である。しかし、EUの現状を見てわかるように、ドイツとそれ以外の国家の間では、貿易の著しい不均衡が発生している。日本がTPPに参加した場合、日本はEUにおけるドイツの立場になることが予想される。
TPPへの日本の参加に対して、諸国が批判的なのも、弱者連合をつくろうという話だからである。同質の国家が集まって、緩やかな経済自由化を進める事で、経済規模を拡大させ、工業を発展させて、成長をしようという話であり、そこに、日本のような先進工業国が入り込んでくると、市場を根こそぎ持っていかれるという事になりかねない。
産業の促進には、労働法制や知的財産権、資本や物流の安定と信用といった、社会制度に依存する部分が大きく、関税や補助金による保護は、どちらかというと後ろ向きの制度でしかない。それらによる保護は、産業の競争力を減退させ、過保護な環境でしか生き残れない脆弱な産業へと、劣化させてしまう傾向が強い。
間違った制度を改めようにも、しがらみがあってなかなか難しい以上、外圧を利用してというのは、当然考えられる手段である。自国の産業を強くする為に諸外国は必死になって手段を模索しているわけである。
日本の立場としては、いずれ参加しなければならないが、直ちに参加しなければならないという話ではない。TPP参加を前提に、国内の脆弱な産業を鍛えなおした上での参加という話に持っていくべきであろう。
とりあえず、アメリカが工業国として立ち直るには市場が必要であり、現状のTPP参加表明国は、すべて、アメリカ製工業製品の市場になると考えるべきである。アメリカに工場を進出させている所はそこからの輸出が有利になるというわけで、後進国・中進国に進出するよりもマシな投資になる可能性がある。
ただし、工業立国を狙うならば、3年や5年で壊れる製品を関税撤廃をさせた上で代理店を置いて輸入販売させるよりも、20年持つ製品を個人輸入させた方が、インターネット時代にはふさわしいと思われる。前者の考え方は実利を取る考え方で、後者の考え方は名誉をとる考え方とも言える。成長至上主義ならば前者が正しく、成長には限界があるから細く長くが良いというのであれば後者が正しい。どちらも正しいのが難しい点である。
今に始まったことではないが、GR DIGITALがおしゃれアイテムと化していることについて、
頭にくるというか、価値観の違いに圧倒されるというか、まとまりのつかない気持ちがあって解消されない。
「それが一体どういうもので、どういう背景の下に成り立っているのか分かりもしないなんて、物の価値が全くわかってない!」とか言うつもりはない。
所詮は工業製品。カメラの好きな人から支持され、おしゃれだからと買う人がいるのなら、メーカーとして不満はないだろう。
カメラに限った話ではないけれど、機械としてものを捉えないということに私は違和感を覚えてしまう。
こういった、曖昧でもやのかかったような自分の気持ちをことばにできれば、私としてもそれなりに納得もできるのだけど、それが出来ずに増田にだらだらと駄文を連ねてしまうorz
惜しい!
ここでいう工業製品とは何かしらの資源を使って造られたもののことであり、資源とは人類にとって限り有る地球資源のことだ。
という論理、「資源が有限なものに対してのみ、貨幣が支払われるのが正しい」という論理に到達しておきながら
他方、スポーツ選手のギャラや弁護士への相談費用、インストラクターへの代金など
この結論に至ってしまうのは実に惜しい。
「なぜだろうか」の答えは、「スポーツ選手の才能や弁護士やインストラクターの時間もまた、有限資源だから」だ。
イチローやダルビッシュは地球上に唯一無二の存在だ。その意味で彼らの才能は「有限の資源」なのだ。
弁護士やインストラクターにしても、その人数自体は沢山いるかもしれないが、「彼らが持つ時間(可処分時間)」は有限なわけだ。
となると、弁護士の相談費用やインストラクターへの代金もまた、有限の資源を占有する代償といえるわけだ。
経済学にはマクロとミクロしかないから、このような主張が出てくるのであろう。マクロ経済学には、多国間経済という視点もある筈なのだが、時代遅れの頭脳では、国内経済レベルの話しか、頭がついていかないのであろう。
国境の内側だけで経済が閉じている状態であれば、インフレターゲットは成功する。しかし、インフレターゲットは根拠無き値上げの容認である事から、貿易がある状態では、輸入品に国内市場を席捲されるだけとなる。根拠無き値上げができると言われても、他国がそれに従うわけが無く、インフレターゲットを行っている国家の産業は市場における競争において敗北する。
地球上の全ての国家がインフレターゲットをやるのであれば、可能性はあるが、それは机上の空論でしかない。後進国・発展途上国だからといって特別扱いを主張する国家にしてみれば、先進国がインフレターゲットをして国内産業を劣化させ、その隙に乗じて後進国・発展途上国が工業製品を輸出して富を得るのは、国家間の経済のアンバランスを修正する正常な行為であるとすら主張するであろう。
根拠ある値上げを恒常的に行えるようにする事こそが、インフレ政策であり、その為には、技術や新製品の開発が恒常的に行われなければならない。企業はノウハウを持った人材を抱え込まなければならなくなり、雇用が増加する。さらに、新規参入者が常に出てくるという状態を維持しなければならない。新規参入者が出てこないのであれば、技術や製品を更新していくメリットは無く、資本と知的財産権等の既得権益だけでやっていける。そして、そのような環境では、技術や新製品の開発という業務すら、利益に繋がりにくいコスト部門となり、リストラされてしまう。
インフレにしたいと言いながら、デフレになるような法制度を作ってきたという言行不一致が政府のとっている行動である。中央銀行にインフレにしろとせっついても、中央銀行にやれる事は金利を上下させる事だけで、金利が0%に張り付いている状態では、金利を下げる事による景気刺激は不可能となる。これは、デフレを発生させている法制度の改廃によらなければ、景気の回復はありえないということである。
ここで言及されている各分野とその用語には著しい知識の欠如、誤認等があるでご注意ください。
一般的に書籍は有料であり、貨幣を対価として支払わなければ入手することはできない。
しかし巷には図書館というものが存在し、ほとんどの書籍を無料で一定の期間手に入れることが可能である。
つまり情報をタダで入手することができるというわけだ。
弱者のための社会インフラとしてこのようになっているのだが、根底にあるのは情報は無料であるべきということだ。
それを裏付けるようにインターネットでは多くのものが無料、ロハである。
電子出版など情報を売って対価を得ようとする向きもこのほどはあるようだが、由々しきことである。
ここでいう工業製品とは何かしらの資源を使って造られたもののことであり、資源とは人類にとって限り有る地球資源のことだ。
故に精神活動を原料としいくらでも生産可能な書籍などとは違い無闇やたらと資源を大量使用されては困るのだ。
そこでそういうった粗製濫造を防ぐために導入させた制度が貨幣経済である。
貨幣をバロメーターとすることにで人々の人気が高く必要とされている製品とそうではない不人気、不必要な製品を区別できるようになったのだ。
こうして誰もが欲しがるような素晴らしい製品には資源がより多く消費され、
誰も欲しがることのない欠陥製品には無駄な資源が極力投入されないというように限り有る資源が有効活用されるようになった。
現在のところ資源の完璧なリサイクル方法は見つかっておらず際限なく使用していればいずれ枯渇する危険があるからだ。
この貨幣経済の成り立ちについては世界各地でそれぞれ別個に起こったものなのだが、
これはどのような人類社会にあっても無限には存在しない資源をどのように民意を反映しつつ利用していくかを模索し突き詰めた結果であると考えられる。
このように、貨幣を使用するというのは資源の活用方法についての投票行為なのである。
人と人とが接触することによって無限に生まれる情報やそれを記録する活動に対しては、それらがいくら大量に
生産されたとしても材料となる素材がほぼ無限に存在しているため一向に構わず、貨幣による投票を必要としない、つまり無料であるべきなのだ。
現代の市場では書籍に対して価格が設定されているが、これは紙資源の分配、活用使途への投票であり、中身の情報はタダである。
これはインターネットに記載された情報のほとんどや市井の会話を盗み聞きしてもそこに支払い義務が発生しないことからも容易に理解できるであろう。
他方、スポーツ選手のギャラや弁護士への相談費用、インストラクターへの代金など
明らかに地球資源の活用とはなんの関係性も見出せないような事柄にも貨幣は使用されている、これはなぜだろうか。
現代の政治では多くの民主主義を謳う国家で議会制が導入されている、これは国の意思決定について直接国民が判断を下すのではなく、
国民の投票によって信任を得た一部の人間がいわば代理で国家を運営する制度である。
同様に、経済活動についても現代ではそのほとんどが直接の投票ではなく、自らの票を能力の高い人物、組織に付託し権利を移譲する間接的な投票行為が多くを占めている。
先程のギャラや相談費用などは全てこれに該当するというわけだ。
こうしたように人類社会のなかで相対的に影響力が大きく能力が担保されている人物が多くの投票権を得ることでシステムの信頼性が向上しているといえる。
人ひとりの平等を貫き有用な社会活動を通しての投票権利移譲を認めなかった社会主義では資源の運用指針が実際の需要とは大きく違ったものとなり失敗してしまった。
この社会主義の破綻を見てもわかると思うが発達した貨幣経済では貨幣の役割は限り有る資源の使い道を決めるだけに留まらず人類全体の意思決定にまで及んでいる。
これは統一された価値基準である貨幣が本来可視化の難しい相対的な人間の意志や欲望をうまく数値化し社会的評価などをも内包せしめた複雑な投票活動を可能にしたからである。
人間の意思を矢印に見立てるとそれまでおのおのバラバラの方向を指していたように見えた矢印が
貨幣という媒体を得たことによって大まかにではあるが、複数個の矢印により構成されたグループの指す向きや全体の指し示している方向が見えるようになったのだ。
トイレットペーパーは14世紀に中国で最初に生産されたとされている。その当時は皇帝用であった。
便所用につくられた初めての工業製品は1857年にアメリカ合衆国のジョセフ・カエティによってつくられた。カエティの名前はすべての紙に印刷された。
トイレットペーパーやちり紙が普及する前は、裕福な人は羊毛、レース、麻を用いていた。そうでない人は、直接手を用いるか、ぼろ布、かんなくず、草、干し草、石、砂、苔、水、雪、トウモロコシの皮、貝殻などを用いて拭いていた。古代ローマでは海綿を用いていた。日本では、ちゅう木(「ちゅう」は竹かんむりに壽)もしくは糞べらと呼ばれる細長い板を用いていた。
帝政ロシアでは、部下が皇帝が用いるトイレットペーパーに皇帝の刻印を押した。ヘンリー8世の宮廷では、その手で王族の臀部を清潔にする便所担当の廷臣がいた。安全上の理由のため、特に信頼された廷臣のみが選ばれた。また、王と毎日二人っきりになる好機であるため、その影響力を得たいためにこの仕事を望む部下は多かったという。
朝日新聞は取ってないので、よくわかりませんが、文学はありますよね、そういうの。
鳥肌実みたいに、「私には言いたいことなんて、何も無いんです!」というのを、全力でやってみたいというか、「何に使うか、まったくわからないけれど、クオリティ(品質)だけはすごい工業製品」を作りたい、というか。
そういう欲があるのです。
ですが、確かに、新しくもなんとも無いんですね。
伝えたい事は何も無いけれど、パーツ化された過去の作品を、レゴブロックのように組み立てれば、(ある程度までは)作品を作ることができる、という、そういう時代な気がするんです。
それがどういう事なのか、よくわかりませんけどね。
サブカルの事をいっているのか、囲い込みの事をいっているのか、私は頭が良くないので、元増田さんの書いている事が、よくわからないんですね。
囲い込みなら、サブカルだけの話ではないし。
しかも、メインカルチャーの理屈で、日本のサブカルを語っているような気もしますし。でも、それって、どうなのかなあ?
http://anond.hatelabo.jp/20100211171907
そうやって仲間意識を強化するためだけの作品が、世界を小さくしているんだ。中世においてプロテスタントは芸術を抑圧したが、今は消費者がそれを行っている。「自分の文化圏が正しい」という正義でもって。
なんという体たらくだ。文化はここまで堕落してしまった。私の耳にはマンガを文化にした手塚治虫の嘆きが、今も遠くで聞こえているよ。
私は、元増田さんの、こういう文章を読むと、「西洋の理論を、日本の現実に、むりやり押し当てているだけ」に読み取れてしまうのですね。
元増田さんが語っているのは現代日本の事(ですよね?)なんですが、この人の根底にあるのは、西洋の論理のような。
文化を語るときは、正しいとか正しくないとか、そういう尺度ではなくて、歴史や伝統などが必要になってくるのですが、現代日本ではそれについて語ることが難しくなってきているとおもうのです。
元増田さんには、文化には、キリスト教のGodのような正解があって、そこから外れると「堕落だ!」みたいな所があるのでしょうか。
仮に「仲間意識を強化するためだけの作品」だったとしても、宗教のように、それを必要としている人達、それを取り上げたら、もう行き場の無い人達、そういう人達は、どうすればいいのでしょうね。
というか、誰か賢い人に解説してもらいたいですよ。
日本でモノが売れない時代になってきた。
・車が売れない
・大きなテレビが売れない
・でかい家電が売れない
どれもこれも若者の〇〇離れと聞かれるものばかりだ。
これらはもっと安くなれば売れるだろうか?
答えはノーだろう。
これらは僕らの生活を変えてくれる、という希望に乏しいからだ。
昔は車がなければ、女の子を誘えずどこにもいけなかった。
今は電車やバスでも、多少の不便があれどどこかに行けないことはない。
レンタカーを借りても良い。
とにかく車がほしい、所有したいとは思わない。
所有欲よりも先に
車を持つことの負担の高さへの不安が大きい。
だから車を所有することは僕らの生活をより良いものに変えるどころか
たくさんの税金やガソリン台、駐車場代を取られる搾取のイメージが先にくるのだ。
大きなテレビだってそうだ。
むしろテレビもいらない。
NHK代も払わなくてよくなるし、面白くない番組やCMを見せられることもない。
テレビを所有することは、金と時間と部屋のスペースを搾取されていることにほかならない。
そして、趣味趣向が多様化している世の中でテレビの話題が飛び交うのは
ワールドカップくらいか。
僕らがほしいものはなんだろう?
僕らの生活をより良いものに変えてくれるもの。
またはそう予見できるもの。
ワクワクするもの。
さらにその先、僕らはなんで欲しいのだろう? という疑問。
おそらく。
おそらくは、誰かとつながることのできる、触媒としてのモノが欲しいのだろう。
例え自動車という名前・工業製品でも、現代では触媒機能が違うのだ。
触媒としての機能を失ったものは、より触媒に適したものにとって変わるのだろう。
誰かとつながることがより直接的になるようなプロダクト。
それが期待されているようでならない
賃金の上昇は可処分所得の上昇につながり、工業製品の売り上げが期待できると強がっていたが、現地で少し生活すれば、賃金水準の上昇が可処分所得の上昇にならない基本的構造に気がつく筈であり、何も知らない投資家に説明する為の嘘でしかない。
都市戸籍と農村戸籍という二重戸籍制度をとっている中国においては、都市戸籍を取得・維持するには、都市に不動産を所有していなければならず、農村から出てきた農民工・盲流労働者は、身体を壊して田舎に帰るか、大金を掴んで都市戸籍を手に入れ、親や親類を呼び寄せて都市住民になるかの、二者択一しかない。
中国において土地バブルがすさまじい状態になっているのは、都市戸籍を手に入れる一番確実な手法が、不動産の取得であった為である。そして、一番確実に大金を掴む方法も、不動産屋になって土地や建物を転がす事であった。
農民工・盲流労働者の目的は、究極的には、都市戸籍である。都市戸籍さえ手にいれれば、低賃金の工場で働かなくても良い、楽な暮らしが出来ると、盲信しているとも言える。つまり、労働者が団結して賃上げを要求し始めた先には、都市戸籍を取得できるだけの不動産を買える金を寄越せという賃金改善になり、その先は、都市戸籍所有者ならばもっと楽な仕事につける筈だという待遇改善になる。
労働争議が発生して、賃金水準の上昇が予想されるという話に驚き、慌てて実地調査を始めたら、中国での生産は、二重戸籍制度による構造的問題に直面することに、ようやく気がついたという事である。
低賃金だからという話に飛びつき、本人は調べ尽くしたつもりなのだろうけど、大きな見落としのある調査で投資を始めてしまって、時間が経って見落としに気がついた、どうしよう。という、間抜けな話なのである。
この辺は、賃金を低く押さえられるから日本にも移民を入れようという主張に近い。移民も日本で暮らす以上、日本人並みの生活費がかかるし、時が経てば、日本人並みの賃金を要求するようになる。言葉を覚えさせるまでの手間や、成功した親戚にたかろうとして来るであろう祖国で役立たずと判断された家族・親戚といったリスクを考えれば、どう考えても割高になるのだが、そこまで考えが及ばないのである。表面に出てきている数値や条件だけが問題の構成要素で、その中だけで最適解を求めるというのは、学校教育でならば通用するが、不利な条件を隠して交渉を有利に進めようとする現実の世界では、通用しない。
http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html
[2010.6.26]
そんな事言ったら、ソフトウェア工学は、作業員への効率的指示の所に心理学を含んでるし、アルゴリズムは理学だし。
だけど、基本的に、ソフトウェア工学だよ。
スピーカーを設計するのは理学だが、製造するのは工学。そういう話。だが、製造するのに理学が不要かといえば、そらいるだろ。
学問を学問として発展させるのが基本的な理学のスタンスで = 研究
学問を使って工業製品を作る(ための技術の学問)が基本的な工学のスタンス。 = 製造
ただ、あくまでも、工学というからには、物づくりであって、自分の手を汚せない、学問だけの工学を工学と呼ぶのか?というは、微妙だと言いたい。官僚的すぎる。
http://anond.hatelabo.jp/20100204120310
これの増田だけど。
みんな商品・工業製品として完成された配偶者を求めてるわけだから、その方向性をより先鋭化させればいい(そういう方向性で営業努力すればいい)んじゃないかと思う。
結婚自体をもっとシステム化して、そのためのインフラを提供するようなビジネスがいいんじゃないだろうか。
インフラとしてのマーケットを整備し、保険やデリバティブ取引などを導入してリスク分散商品を提供し、流動化と価値評価の客観化を図る。
婚姻届や各種手続きは全て一元化されたwebシステムで行うことを可能にする。
結婚記念日が近づけば自動的にアラートを送り、プレゼントの候補を挙げるようにする。
その他やることはいくらでもある。
ちなみに俺の周りでは婚活関係のサイトとか使ってる奴何人かいるぞ。
俺は必要ないから使ったこと無いけど。
日本政府の捕鯨の一番の目的は何ですか?オーストラリア政府、グリーンピース他か...
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1110803096
本当の目的は…水産資源を守り、日本の食糧資源を確保することにあります。
食糧自給率の低い日本ですが、幸い漁場には恵まれていまして、海からの食糧供給はある程度望みが持てます。
科学的でも論理的でもない捕鯨禁止を看過すれば、他の水産資源も捕鯨問題と同様の事態になりかねず、
今でも自給率で問題がある日本の食糧資源は、さらに他国に頼らざるを得ないことになります。
つまり有事の際、食糧を日本に販売しないという政策を他国に取られれば、内容に関わらず言いなりにならざるを得なくなるわけです。
# 本音で言うと、関係者は捕鯨再開で日本の文化を守る云々という非現実的な夢など見ていません。
外交上、著しく不利になりかねない食糧問題の象徴が捕鯨で、日本政府として絶対に譲れない問題なのです。
国際外交をモラルを持った賢人が集まって決めているような幻想を持たないで頂きたい!(当然、経験者です)
捕鯨問題は日本の高度経済成長を疎ましく思った勢力が、人種差別的な反日キャンペーンを張ったことから持ち上がりました。
別に日本人が野蛮な人種であることを世界にアピールできれば、捕鯨でも何でも良かったわけです。
さらに水産の資源問題で圧力を掛けて畳みかければ、世界トップレベルの技術力を持ち、世界最大の日本の水産市場に大打撃を与えることができるかもしれません。
日本の貿易黒字の増大を憎む人々が、日本経済を脅かそうと放ってきた問題だったわけです。
当然国内の大反発が予想されたのですが…工業製品の輸出で利益を受けている人々が問題を大きくしたがらなかったため、
国内世論が割れ、水産庁は国家が一枚岩となっての効率的な手を打てず、漁業者は一方的に損害を受けました。
200海里経済水域なんて、今では当たり前に思われているかもしれませんが、これも日本を標的とした世界の国家間の取り決めです。
それでなくても、捕鯨問題を持ち出されるだけで、日本としては諸国にODAをばらまかざるを得ないのです。
もし今まで看過すればどうなったでしょう?10年以上前にマグロが制限を掛けられていたはずです。
英語で魚のことをプアミートと呼びます。
他国では、魚が食べられなくても肉を食べればいいや…程度の扱いなのです。
魚を食べる社会の底辺の人々のことなど知ったことではありません…と。
文化的な側面も考えてみて下さい。
ペリーが黒船で来航し、日本に開港を迫った理由は捕鯨基地が欲しかったからですよ。
当時の女性のスカートに鯨の髭が使われていたのです。肉は海に捨てていました。
これにより鯨資源は減少しました。
また、敗戦直後の日本人にタンパク質を提供するために、漁師さん達が命懸けで捕鯨を行ったのです。
歌のサビの一部にもありますが「生きて帰らん、望みは持たじ」です。
ちなみに、捕鯨問題で国内がごたついた際、漁師さん達からは「裏切られた」と水産庁は責められました。
捕鯨問題の最先鋒であるアメリカでは、絶滅の危機にある北極鯨を捕鯨問題から外し、現在でも捕鯨しています。
一方で、資源として増えすぎ、他の水産資源を減らす原因となっているミンク鯨などは、捕鯨が許されていません。
あまりにも不公平で異常である状況にお気付き願います。
捕鯨問題が持ち上がった時点で、減少している鯨資源に関しては、日本政府としては保護の立場を取らざるを得ませんでした。
減少している種類は、保護すべきという立場ですし、領土問題が中国,韓国,ロシアとの間にあるため、
EEZ(経済水域)が事実上設定できない(相互乗り入れ海域)と、資源保護に関して頭を抱えています。
でもですね、こと水産問題に関しては、この国は本気で取り組んでいますよ?ODAの内訳でも見てみればよいです。
さしあたってはマグロですし、次は中国を叩くために、サメのキャンペーンが張られますよ。
FAOも国連も一切活動していない海域、しかも私達が水産資源管理庁の頂点にいる、そういう国で、のうのうとサメの漁獲量が減っているグラフなどが発表されるのです。
日本を支持した大臣の首がすげ替えられ、協力者が失踪する…外交戦の裏側です。
盲目的に他国の宣伝を信じ、自分自身の首を絞めることに荷担しますか?
企業がサビ残するのは仕事が多いからではなく、売上が少ないからだ。(単価が安い)その為、少ない人員で売上を補う為にサビ残させざるおえない。だから、適切な人員を雇用すればサビ残しなくても良い。
~雇用する金はどこから?
政府が出せばいい。今まで政府主導で作ってきた箱物・ゼネコン案件を完全に民間主導にする。そして雇用に関する補助を出す。(雇用に直接関係しなくても、赤字の場合は政府が低金利で貸付。これは確か、亀井大臣がやろうとしている事だと思う)
その代わり法人税を高くして売上に応じて徴収すればいい。
これって実質的に消費税増税してサービス残業の多かった会社に補助金やって雇用させるわけだから、非効率な仕事してた会社にばかり雇用が回るんじゃないの?赤字も税金で補填してたらますますだめ企業ばかりになる。
~食券のようなチケットを配布
食券配った分食費に回す金が減らせるから、結局給付金や振興券と同じように貯蓄に回されるだけでは?
~農業改革
日本は完全自給するための農地自体足りないし、今輸出してる工業製品より比較優位でないなら貧しくなるのは確実。今の4割の自給率でも数%の雇用しかない(しかも多くは兼業)わけで仮に農業生産を数倍にしたところで1割程度。ほとんどの人は農業以外の仕事をしないといけないはず。
>>東京が金融で発展しても日本人一人当たりだとあまり増えないのでは?
そう増えないよ。東京国を作れば東京国民の一人当たりのGDPを800万円とか1000万円にするのは可能って言ってるだけ。
規制緩和して税率を限りなく下げれば日本や海外から脱税とか、利便性を求めたマネーがやってきてそれを鞘抜きできる。
ルクセンブルクってそういう国。そしたら東京国の国民一人当たりのGDPはあがり、東京を除外した日本国の国民一人当たりのGDPは下がるだろう。
そうその通り。何度も言うが労働環境が糞なのは設備投資してそれをすぐバージョンアップで
捨て去っているからだ。近所のコンビニなんてすぐ建って、すぐ倒産してるだろ。工業製品もしかり。
作っては燃やしている。ヨーロッパの物や建物は何百年も変わらない。日本の建物や物は30年で変わる。
国際競争に負けるっていう強迫観念で、作っては捨てるラットレースをしている。
いやヨーロッパも無駄が多い、作っては捨てて燃やしている。しかし日本はそれ以上に激しい。
あとはサービスの質が良過ぎる事。海外のサービスは糞だ、だから労働者は楽。
>>あとインフラとか知識は急になくなるものじゃないから先進国であり続けるのはおかしなことじゃないと思う。
落ちるっていうより、他が追い抜いていくってことな。