はてなキーワード: フリーターとは
無関係な他人のどうしようもないこういう系のゴタゴタって超楽しいねーーーー!!!!!グフフ
なんか安全な位置にいながら闘犬ショーを見るような感じで
どっちに転んでもイバラの道ですなあ!
現彼女を選べば出会ったばかりのあの子を思ってことあるごとに「俺の人生もっとよくなるはずだった」とずっと後悔!何かあればそのたびに妻となった彼女に八つ当たり☆「あいつ(出会ったばかりの彼女)と一緒になってたらこんなことには」とずっと後悔☆既に恋愛感情などとうの昔に冷め切った彼女とこれからも妥当でした結婚を続けていかねばならぬ苦しさ☆俺の人生何なんだったんだろう?と死ぬ前に呟く自分の姿を容易に想像してしまい涙が出ちゃう、だって男の子だもん☆
かといって、出会ったばかりのあの子を選べば6年も付き合った現彼女を振った罪悪感が一生消えない!6年も付き合って、非の打ち所もなかった彼女という最良物件を振ったワリには、付き合ってみると案外あの情熱は消えうせてフッツーのしみったれたカップルになっちゃった☆「俺が求めてたのはこんなんじゃなかったのに」と後悔する日々☆ことあるごとに前の彼女と比べて「あいつならこんなことはなかった」と彼女に八つ当たり☆気付けば、振ったときに傷ついて涙した彼女の顔が鮮明に思い起こされてその度に罪悪感と後悔に苛まされる毎日☆
思い切って二股をかけるも、二人ともにバレ、現彼女は目をはらして泣きまくり☆現彼女のご両親は君の両親まで呼び出して大騒ぎ☆うちの愚息が申し訳ないことをと両親涙を流して平謝りー☆出会った彼女からは見損なったといわれ軽蔑の眼差し☆二人から縁を切られて会社でも「二股かけたんだってー」「うそー」「しかも、もうすぐ結婚する予定だったらしいよー」「マジで」「あいつひでーなー」の噂オンパレード☆ついには居た堪れなくなって退社しちゃう☆フリーターへの道☆
きゃー!超得盛りフルコースだね☆
人のゴタゴタってたんのしーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
とうとう就職先がなくなって、今頃正社員になりたいとか言いだした。
で、1か月就職活動やって、応募したのせいぜい20社くらい。
面接10社も行ってない。
で、「どこも決まらない!死にたい…」と。
そうですか。
まあ、こうならないためにも、フリーターはならなくて済むなら、ならない方が良い。
元増田も、落ちたのは縁がなかったと諦めて、もっとたくさん応募するべき。
がんばれ。
落ちに落ちまくっています^^フリーターとかなってみてもいいんだけど、なったら友達と縁が切れそうで。
…お前の友達職業に左右されんのか?随分な縁だな!って思うけど、すごく地に足がついてる人が多くって、だからこそ今「お前も就職活動頑張れよ!」って応援してくれる人が多い。
「フリーターなんてやめとけ!なったら縁切るからな!」派が優勢。
追う夢がないのにフリーターになってもなーと思う自分もいるし、
多分「フリーターのくせにえらそうに!」みたいなことを言う友人も出てくるだろう
(ていうか実際言う人いるしなあ)
将来どうしよう。…どうなっちゃうんだ、私。
もうね、90とか100とかまで生き抜いた人ってどんな人でもえらいと思うよ。
私もうこれは死んだほうが自分のために有益なんじゃないだろうか。
悩んだりする必要ないし。選択肢に死が明るく出てきてる辺り不味い。
あーあ、どーしようー
30までギター手放さないアイツはえらい
毎日ぎゅうぎゅうの満員列車に揺られるお父さん方はえらい
おうちで子育て頑張るお母さんも偉いしバリバリ働く女の人もすごい!
みんなえらいよよく頑張ってるなあ
体育会系は人に合わせるんじゃなく、人を自分たち(体育会系)に合わせようとしているだけだったんだ。
彼らは小さい頃から、所属するスポーツチームのメンバーと群れて過ごしてきたから、そのコミュニティ内の価値観でしか物事を考えられない。彼らの価値観、考え方は一般人のそれとはずれているんだ。
だから、そのコミュニティ内の価値観と外れた行動をする人間を「協調性がない」と言い、腕力と数の原理で自分たちに合わせようとする。
そのような時期において、スポーツクラブのような集団に属し、そのチームメイトと群れを形成して行動していた彼らは、他の子どもからすれば逆らいにくい存在だった。
そのことから、彼ら体育会系は我が物顔で生活をすることができたんだ。
その結果が、体育会系と呼ばれる尊大で傲慢、自分勝手な集団だ。
一般的に体育会系は協調性のある人間だと思われがちだが、実際はそうではないんだ。
彼らの協調性の範囲は、体育会系というコミュニティの中だけに限られたものであり、その範囲から外れるものを協調性が無いと言い矯正、若しくは追放し、勉強もせずに育った自分たちが不利にならぬよう徒党を組んで自分たちに都合の良いコミュニティを造り上げているだけなのである。
考えてもみて欲しい。
そもそも、現代社会で言われている協調性とはどんなものだろうか。
多くの人が成長する過程で知っていく「協調性」は、社会に都合のいいように歪められたものではないだろうか。
先入観を捨てて考えてみてほしい。
日本社会に存在する「会社の飲み会を断りにくい空気」「どんなに理不尽な上司でも絶対服従」というような風習。
このような風習を誰が望んだろう。誰が作り出しただろう。
体育会系である。
体育会系が定めた協調性ならば、体育会系は協調性があると思われるのも当然である。体育会系社会ならば、体育会系が社会に適応し根性があると思われるのも当然である。適応できない者の多くはニートやフリーターになるしかない。
ニートがニートになること、自殺者が自殺すること、これを当人の責任として片付けていいのだろうか。
私のこのような考えを見て、多くの人は「体育会系に苛められていた奴が、社会に適応できないのを社会のせいにして責任転嫁して戯れ言をほざいている。」と考えるだろう。
そして深く思考することなく、「体育会系を批判するのはキモオタニート」という、それこそ体育会系社会により作り出された体育会系優遇思想の典型ともいうべき考え方に囚われたまま、私に対して誹謗中傷を投げかけてくるのだろう。
だが、そのような誹謗中傷をする前に、よく考え直してみて欲しい。
私の考えを、私の考えだと思わずに、自分の考えや、社会の問題として考えてみて欲しい。私の思想を考える上で、私個人のパーソナルな部分に惑わされぬように。
終わり
彼を養う気はないの?
フリーターでも収入あって、あなたが正社員ならボーナスでやっていけると思うけれど。
結局別れることに決めたのならよいけれど、それならきちんと別れてからにした方がよいと思う。
5年以上付き合っている彼、別に不倫じゃないっす。
同性愛とかでもない。
彼はフリーターで経済力はないし、一時期は就職しようと頑張ってたけど
どうやら無理っぽい。なぜなら夢があるから。
いわゆる夢追い人なわけ。
彼の生き方を否定するつもりもないし、頑張ってほしいと思う。
でも、私もこのままずっと独身でいるのはつらい。
賞味期限も切れかけている。
自分には弟がいて、すでに3歳の子供がいる。
両親は定年しているし、やっぱり私も子供が欲しい。
つきあって5年にもなるのに、まともに挿入できない関係なわけです。
(過去の増田に記載済み・・・http://anond.hatelabo.jp/20070823000541)
このままじゃ、できちゃった結婚すら望めないですからね。
親からもお見合いを勧められている。
あとは、結婚相談所の入会もすすめられて、資料も請求済み。
自分としては、それほど乗り気でなないのだけど
こないだ占い師さんに運勢を見てもらったら、今年の2月からはいいらしい。
下手すると、彼とは腐れ縁になるっていわれた。
っていうか、5年もつきあってたら、そろそろ腐れ縁に近いんだけど・・・。
その腐れ縁を解消するためにも、視野を広げろって言われた。
だから、お見合い???
自分では、それがいい選択肢なのかどうかわからない。
彼がいるのに、お見合いなんてしてよいものなのかどうか。
どうですか?
自分がお見合いをしたとして、そのお見合い相手に付き合っている人がいたら・・・。
普通は、引きますよね。
てか、そんなこと相手には言えないか。
付き合って8ヶ月.同棲7ヶ月になる.
俺は大学の授業料免除を取りながら在宅バイトと奨学金で精一杯の生活を.
しかし,どうも羽振りがいい.
気にせず外食も飲みも遊びも金を使いそうなことに全力で取り組んでいる.
生活費はほぼ全部俺がカバーしているからだとしても,単発の派遣バイトでそこまで余裕が持てるものなのかと不安になっていた.
そんな彼女が突如寝ようとしている俺に言ったのだ.
「他人に乳触らしてナニ握って逝かせて金を調達していた」と
あまりにテンパった俺はその場で号泣して,怒りを全て自身への罵倒に変えた末,国道の車道に飛び出そうとした.
深夜でもそれなりにトラックが往々している.アパートの部屋は1階なのでうまく豪快に死ぬ手段を得られなかった.
「そういう行動をしたとしても私達の関係を変えるつもりではない,この気持ちは揺るがない」
と彼女が諭すように言うが聞き取って理解した心地がしない.
最初の発言でさえ,俺用にそれなりの緩和をして伝えたのかもしれないと思えて,疑いが深まるしかない.
裏切られたような気しかしないが,別れたいわけでもない.
そんなことがあって数週間.それなりに落ち着いたはずだったが,
部屋を掃除して出て来た,数冊のはなまるWORKとモモコに面食らった.くさいところに折り目付きでだ.
また,同じようなテンパりが戻って来たような気がして,解決した話だったはずなのに再燃してしまった.
記憶も曖昧な前の話を改めて聞き直す気にもならない.むしろ億劫.
今まで交際関係は俺のフリーダムぶりに自然消滅という一路しか辿ったことがないのだが,
今回ばかりは同棲をしている上か,そうもなりそうにない.
まだ続けるつもりではいるが,この話を改めて俺が受け入れられない限り,毎日蝕まれていくような気がする.
同じ仕打ちを与えるには,俺が精液でも売ればいいのか?
他人への反論としてこれを言うのはどうかと思うぞw
それでもそこで身に着いた技術が役に立つ場所ってのはそれなりにあるわけでね。
それに対して最終的な夢が叶えられないから云々って言っても仕方ないよ。
良い音楽を作りたいんなら専門いって現役ミュージシャンの先生方にギターの弾き方を習うんじゃなくて、人一倍恋愛でも仕事でも経験積んだ方が感性が豊かになるって事でしょ。
こういうのは何となく説得力あるけど実際どうかわからんからなぁ。
デビューした歌手なんかも養成所でボイトレとかはしてるわけだし。踊ってる奴らだって踊りを習っているわけだし。
大体恋愛なんか専門学校行ってても出来るだろ。仕事って「将来の感性を養うために」フリーターみたいなことやるって専門学校行くより意味あるの?
時は大晦日。折からの寒波により、街には雪がちらついている。舞台はとある地方都市の少し外れにあるコンビニ。店内はよく暖房がきいていて、しかし店員以外に人の姿はなく、少しうら寂しい。
この物語の主人公は、大学生の少年である。彼は地方都市に在住する大学生にふさわしく、少しさえない容ぼうをしている。大晦日だというのに、いや、大晦日だからこそバイトをしているのには理由がある。理由といっても至極単純な話で、大晦日に用事がなかったのが彼だけだったというだけのことだ。もう一人の主人公は、フリーターの少女である。ちょっと垢抜けたふうの彼女がよりによってこんな日にバイトに勤しんでいるのも、簡単な理由だ。つまり、金欠なのだった。
大晦日の夜で、雪もちらついているとなれば、必然客の数は少なくなる。客といえばときたま思い出したようにきて肉まんとお茶だけを買っていく、それくらいのものだ。品だしを終えた彼は暇をもてあましていた。正確に言えば細かい仕事はいろいろあるのだけれど、それはまあ後回しでいい。話し相手でもいればいいのだけれど、同じく暇をもてあまして所在なさげに佇んでいる彼女とは挨拶以外の会話はこれまであまりした事がない。
店内放送にまぎれて何か外の方で鈍い金属音がして、あっと発音したのは、二人ほぼ同時だった。思わず顔を見合わせる。
「そういえば、近所に神社ありましたっけ?」
「はい。ここから歩いて15分くらいの所に」
それをきっかけに、二人は、お互いに年末年始の思い出を話す。小学生の頃、大晦日の晩だけは夜更かしをしても怒られなかったこと、初詣をして初日の出を見に行った時のこと。今年の小林幸子の衣装はどうなっているのだろう。その間も外では断続的に除夜の鐘が鳴り続けている。百と八回。数えたわけではないけれど、多分、その回数だけ鳴ったはずだ。時計を見ると、0時を過ぎている。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
そう彼女が言った。かれは「も」を「は」に変えて返す。
「あけましておめでとうございます。今年はよろしくお願いします」
彼女は何かとてもいいことを思いついたかのように「そうだ」と口にした。
「増田さんはこの後何か予定ありますか?」
二人のシフトは午前六時まで。もちろん予定などありはしない。彼がそう伝えると、彼女はこう提案する。
「終わったら初詣に行きませんか?初日の出は見られそうにないけれど」
彼に断る理由はない。
マフラーとコートとロングブーツで完全防備した彼女が出てくるのを待ち、二人並んで神社へと向かう。少し雪が積もり、滑りやすくなっているけれど、彼には手を差し出す勇気は、もちろんない。夜明け前の神社は寒々としていて、それでも何人かが詣でている。二人はそれぞれ賽銭を放り込み、手を合わせる。彼がふと横をみると、賽銭の五円玉とは分不相応に真剣な顔で何かをお願いしている。彼がその内容を尋ねると、彼女はただ一言、
「秘密です」
と笑顔で返した。
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最初1人だとおもっていたのだがどうも様子が変わってきたように思う。
・「あああ」と多い改行でエントリーを終わらせ自殺願望と学歴がないことへの絶望感をうったえる被害者目線の子。
最近はだれかにレスを打つわけでもレスに返答するわけでもなくただのあらしとかしてしまっている。
この子は真性に病んでしまっているようなので心配だ。そして悪い事に症状が悪化しているように感じる。
人の話しにからんでくるが文脈などは関係なしに持論だけ主張する。
はてなを批判するかき込みもこの人格がやっているようにおもう。
学歴君と官僚君ははたして同じ人物だろうか?同じ人格だろうか??
最初は学歴君の理想が官僚君という理想像だけをうみだしたのだとおもっていた。
だがその人物像の乖離が最近ひどい。
とても同じ人物に思えない。
かつて半年以上前に、学歴がないと無意味だと書き込みをした人がいた。
Fラン大だかをでて社会人やめてフリーターやらなにやらをやっていて・・・
学歴が真実だから早稲田慶應東大以外は無意味、だから受けなおすなどと言っていた人だ。
この頃はまだ会話ができた。
待遇があれなのは学歴が原因じゃないよ。なんて反論があったのがよくなかったのだろうか?
いつからか東大以外無意味になって…、京大批判やmixiをあがめる言葉がでだした。
違う人物を引き寄せてしまっただけだろうか。
それともなにがしかの薬で挙動がわかれるのだろうか。
時々狂人プレイをしている増田もまぎれているが、さすがにそこらへんはわかりやすい。
人狼は一匹?二匹?
どうおもうかね増田くん。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1074980.html
# 2008年01月02日 I11 I11 アイロニーも読み解けない痛いニュース(に同調している連中)が痛い。CommentsAdd Star
私の夢は、「一日独裁者」なって苦しむ人を救うこと
苦しむ人救う「一日独裁者」 主婦 柴田十子(宮城県柴田町 52歳)
「独裁者になりたいよ??」テレビでニュースを見ていると、つい叫んでしまう。そんな私が2008年、ついに念願の「一日独裁者」になりました。仕事場をのぞいてみましょう。
「薬害肝炎は一律救済の芽はでてきましたが、原爆症の方々にも同様の措置をとりなさい」「中国残留孤児の方々は誤った国策の犠牲者。裁判なしで、急いで救済しなさい」「おにぎりが食べたいという遺書は哀れすぎる。生活苦から保護を求める人には給付しなさい」「年金記録照合に何年もかかる?フリーターをたくさん雇い手伝ってもらいなさい」「拉致被害者ご家族の辛い思いが長すぎる。独裁者会談をして、私が全員連れ帰る。日本の強制連行の賠償が先だって言われる?じゃ、お金をたくさん用意して」
側近たちは「国庫にゆとりがありません」と抵抗します。でも独裁者はにこり、「友人のビル・ゲイツとイチロー、松坂、トヨタ自動車の渡辺社長に連絡してください。みなさん困っている人の役に立ちたくてうずうずしています」
ごめん、教えて欲しい。これは、どういう皮肉になっているのか、どの立場から何を皮肉っているのか、煽りじゃなくて、僕には読み取れなかったんだ。どういう皮肉なのか、だれでもいいので解説プリーズ
少子化という事態は、人口の減少は消費の減少を意味する。だから政府は個人消費に頼らない経済政策を打つだろう。高所得者優遇を進めることで、個人消費の激減を抑えるようにはするだろうが、貧民の増加に対しては、手は打たないだろう。自己責任原則の過剰さが言われ始めるようになったが、その言葉はすでに10年前から一人歩きを始めている。もう、全てが遅い。失業した人間や給料の低い人間、雇用が不安定な人間は、その人自身の責任とされ、政府による経済政策の失敗、ひいては官僚機構の無謬性と無責任性の維持のために、自己責任原則はこれからも跳梁跋扈し、大企業の正社員たちは自らの幸運に安堵し、生活を維持するために、そうではない人々への同情は、形にはならず、それを訴える声に耳は貸さなくなる。ネットでの叫びは、匿名性の名のもとに、罵倒される。
階級社会の現実というものなのだが、社会は連帯ということが必要とされる。いつしか、それが消えてしまった。大晦日の格闘技興行で、韓国系日本人を破った選手が日本人は強いとか勝利後のマイク芸でしゃべったそうな。それはそれでよい。負けた韓国系日本人は、大ブーイングを浴びるだけのことをしたのだから。あの勝利のローキックに快哉を叫んだ日本人は多いだろう。しかし、日本人は強いという言葉に素直にうなづくくらいしか、社会の連帯がなくなってしまったのかと思うと、悲しい。連帯が消えてしまった国家・社会は崩壊するしかない。崩壊した後に何があるのだろう。どこに自己の帰属を求めればよいのだろう。自己の帰属が会社だった時代が羨ましい。国家が前面に出てこない幸福な時代。もうそういった幸福な時代はやってこない。
連帯も失われ、セーフティネットも形骸化していく中で、若い連中は将来が描けない。描けるのは、高所得を得ることができる人々だけで、それ以外の連中にそれは無理な相談となりつつある。自己責任原則はここでも登場する。将来が描けないのは自業自得だとか、趣味の世界に走って、異性に関心を持たない嘆かわしい連中が増えた、何だと、萌えだぁ? こんなことしているから、少子化になるのだといわんばかりのマスコミによる大合唱。マスコミに勤める人々は、基本的に勝ち組だ。将来テレビがなくなることはない。テレビを持てなくなる人や見られなくなる人が出ても、彼らは安泰だ。現状のビジネスモデルは、若干の変更が加えられて存続するだろう。そういった連中は、ステレオタイプの若者像を過去何年にもわたって報道し、増幅してきた。ネットでの抗議などは蚊ほどにも感じない。炎上と称しているのもあと数年で、炎上対策がなされ、ネットでの抗議などは意味を持たなくなるだろう。
事実ではなくイメージが先行するのは、さして驚くことではない。イメージで社会が、政治が、国家が語られ、事実や正確な統計は省みられない。イメージが100%正確ではないということではない。一部の人々にとっては正確なのだ。その一部の人々の利益は守られるだろう。そしてそこからあぶれている人々は、貧民としてラテンアメリカのような陽気だけど貧困にあえぐという像を押し付けられる。江戸末期に外国人が来て、日本の一般庶民が大変従順で、幸せそうであることに注目している。彼らは武士たちの巧妙な統治によって、従順化させられていた部分が多分にあるだろう。おそらく数十年後にはきっとそうなる。大して面白くもないお笑い番組を年末年始に放送しているのは、愚民化への一歩ではないだろうか。芸人は罪はない、としておこう。一部芸人を除外すれば、多くはフリーターのようなものだ。今年の今頃にはあの人何処に行っただろうとか言っている、某筋肉自慢の高学歴芸人だっているはずだ。それに多くの人は笑い、年末年始を過ごし、貧民化した人々は、また仕事に向かう。明日とも知れない不安定な生活を少しでも支えるために。ああ、忘れていた。年末年始も仕事だという人もいる。そういう人もまた、不安定な生活を支えるために、懸命なのだ。人間らしい生活など、何処に行ったのだ?
19世紀の労働者たちは生活向上のために戦った。社会主義やら共産主義という方向に行ってしまったのはさすがにアレだったが、それでも権利獲得のために戦い、いくつもの権利を勝ち得た。しかし、権利とは勝ち得た後が大変であることを忘れていた。権利が形骸化させられること、これは最も恐れるべき事態だが、21世紀日本ではそれが起こっている。貧困が自己責任化するまであともう少しだ。生活保護も形骸化し、雇用保険も同じく形骸化する。ありとあらゆる国民生活を支える社会制度が、崩壊する。崩壊しても制度は残るし、運用者が要る。すなわち。それらを運用する官僚たちだけが生き残るのだ。そういった、本末転倒な事態まであと少しだ。日本は22世紀には存在しないだろう。21世紀中に国家の態なさず、事実上崩壊するだろう。希望というものなど、もはや何処にもない。絶望しかない。政府が少子化を訴えても、危機感が迫らないのは、政府自身が手を打つ気がないからだ。
将来、世界史史上稀に見る、統治能力を失って自己崩壊した国家の一例として、日本国が挙げられることとなるだろう。若者たちよ見えないか、ブレードランナーのような情景が眼前に広がるのを。最低限の秩序もないが自然状態をかろうじて回避している、夜警国家以下の情景が。
●合格体験記を書く
僕は,今年の春に,高校生に読んでもらうための,合格体験記のようなものを書く機会がありました.高校のときに通っていた塾に,「合格体験記のようなものを書いて,高校生に勉強なり,受験の心構えなりのアドバイスをしてくれないか」といわれて,書くことになったわけです.
僕は,その文章の一部で,はっきりとこう書きました.現在においても,多くの企業は,新卒採用の際には,学歴を大きな判断材料にしている,と.つまり,学歴社会は,世間でいわれているほど崩壊しなくて,高偏差値で有名な大学であればあるほど,得をする可能性が高まるということです.だから,現在でも学歴社会が根強く残っている部分もあるという現状を知った上で,進路を決定したほうがよいと,僕は書いたのです.
●人物本位採用というタテマエ
「学歴不問」「人物本位採用」なんてことをいっている企業も多いようですが,こんなものは,結局のところ建前です.実際には,学歴が大きな判断材料になってしまうのが現状なのです.
もちろん,企業が昔のように大学名だけで選んでいるわけではないというのは確かだとは思います.求める人材像が大きく変わったことは人事担当者も十分に意識されているでしょうが,現実的に学歴に関係なく,その人の資質を見抜くのは至難の業らしいのです.
たとえば,いまは昔と違って,どんな大学の学生でも,希望する企業に応募できるようになっていることが多いです.しかし,実際にはインターネットの就職サイトに登録する学生の数が,数万人単位で,絞り込まざるを得ないらしいのです.面接をやるといっても,数回の面接で,その人を正しく評価するのは困難でしょう.
そうなると,結局は「どこの大学をでたのか」が大きな判断材料になってしまいます.確かに,大学は18歳時点での学力でしかありませんし,偏差値主義教育には批判があるのも確かです.しかし,「学歴で判断してどこが悪い」と考えている人もいますし,冷静になって現実をみると,学歴が企業の採用で重視されているのは事実です.
●学閥も残っている
また,公務員・公団・JR・電力会社・大手建設業など,利益が特権的に守られている企業や組織は,いまだに学閥が根強く残っていますし,今後も変わることはないでしょう.
しかし,やはり塾にとっては,都合が悪かったらしく,学歴に関する部分の記述をふせておきたいということでした.学歴にコンプレックスを持っている方は多いようですから,学歴のことをあれこれいうのは,タブーなのかもしれません.たとえば,塾生の保護者を怒らせてしまえば,確かにマズイかもしれません.
●結局,大人の都合じゃないか
しかし,学歴社会の事実に触れたくないというのは,つまることころ,大人の都合であって,高校生のためにはならないと僕は思うのです.極端な場合だと,学歴が大きな判断材料にされることを知らずに,就職活動をして,結果的に全滅してしまって,やる気を失い,ニートやフリーターになってしまうケースもあるとききます.
まとめ
まずは次のデータを覚えておいてください。
1、 1355万円
2、 1570万円
3、 1427万円
4、 1572万円
5、 1112万円
6、 574万円
世の中は金がすべてだろうか。
金がなければ、電車に乗って会社に向かうこと自体できないし
タネ銭がなければ金儲け自体を進行することが出来ない。
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「カネ」がそんなに悪いのだろうか?といつも思う。
「もったいないよな。これを企業に売り込んで
例えば広告として使ったり、大金持ちの結婚式のイベントとして売り込めば
紛争地域ももっと豊かになるだろうにと思ったりする。
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カネまみれで生きることは確かに美しくしくはないし、
近寄りがたい印象が強い。
平和な社会が見えてくると言う矛盾。
「カネ」という道具は使い方によっては争いにもなるし、
平和の道を作ることができる。
誰もが欲しいくせに、「カネ」というトーンは、
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例えば金持ちは手にしたカネを贅沢に使い、
ビジネスを大きくするためにさらに投資する。
一般の感情からはそんなに儲けたいのか、と思ったりする。
しかし、ある程度の富を手にしたらその富を回転させて
再生産を繰り返すのが理想の姿。
嫌なやつといったイメージ。
送り込む作業をする人間というのは
社会のために生きていることになる。
金儲けがいいとか悪いとかを真剣に考え抜いたとしても、
明日になって買っておいた宝くじがあたったりすれば
嬉しくてしょうがないのが人間の感情。
世の中のほんの一握りの人間にしか微笑んでくれない現実が
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今年ももう終わり。
あと1週間もすれば門松に変わる。
ここ何年かで経済面で大きな事件といえば
ライブドアショックを忘れることができないでしょう。
当事者にとってはまだ終わっていない問題です。
ライブドアの堀江社長もヒューザーの小嶋社長も、つい2??3年前までは
「成功者」として「格差社会」の頂点に君臨していたわけですが、
気まぐれなマスコミからは今は忘れ去られようとしています。
奢れる者は久しからず。
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こう見てみるとここのところメディアを騒がせている
「格差社会」という仕組みも、
実は勝者がずっと勝ちつづけるわけでも
ないことが見えてきます。
格差に怒りを感じてしまうことも事実。
しかし、格差社会というものが今一つピンと
来ないところがあるのも事実。
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この言葉自体や、振りまいている人達に抵抗感を感じてしまうのは、
どうもうまく仕掛けられている、といった感覚。
今は本当に格差社会なのか、という疑問がふつふつと沸いてしまう
のです。
このあたりの分析は「新平等社会」(山田昌弘著)で詳しく解説されていて、
なんでもかんでも小泉改革のせいにしてしまう短絡ぶりに
疑問を投げかけている。
「希望とは努力が報われると思う時に生じる、
絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」
この言葉が紹介されていて
「1990年頃まではほとんどの人が希望を持てる条件が揃っていた」
と書かれていたが実際には努力が報われないことも結構多かった。
とくに企業が安定していた頃は実力よりも
「社内政治」??会社で生き残ることだけしか頭にない人間が
結構威張っていて、それを思えば能力がないくせに権力だけは
昔はよかったというけれど、安定していた昔はそんなに良かったか、
とも思う。
企業奴隷として生きることを強いられた時代。
私も初めて就職した会社を辞めるとき、周囲から「この世の終わり」と
いうような脅しを受けたけれど、今思えばあのまま奴隷人生が
生涯の価値基準にならなくて良かったと思っています。
====================
「格差」の一つの正体には他人の成功に対するねたみもある
のかもしれません。
テレビを見れば自称「セレブ」が信じられないような生活を送り、
自分もいつか、と夢を膨らませる。
「勝ち組」という虚像に対する憧れや絶望感を感じながら日々を
生きさせられている嫌な感じ。
羨ましくも「うまくやりやがって」という、モヤモヤした感情。
====================
ところで最初に見てもらった金額は
ある企業に勤める社員の平均年収。
会社名は何かと言うと
1、テレビ朝日
2、TBS
3、日本テレビ
4、フジテレビ
5、テレビ東京
7、永谷園
(MSNマネー企業概要より)
格差社会を憂いている人達が、社会の最も頂点に存在している皮肉。
普段給料が高いと批判をされている銀行でさえテレビ局には勝てない。
納得できる企業。
それを消費者が支払い、デフレで賃金が押さえられている今でも、
テレビ局には大量のカネが流れ込む。
勝者で居続ける大手マスコミの商売道具であるという一面。
彼らは競争相手が少なく勝ち組の代表。
郵政省からの天下りと談合に守られ、生涯が保障されている人たち。
=====================
しかし、彼らを支援しているのは結局は我々で、
たとえば亀田兄弟。
亀田を持ち上げ、批判し、また持ち上げ
何をやっても思考回路停止のままついてきてくれる
視聴者の皆様のおかげでTV局員の高額報酬が
永遠に約束されております。
職員に代わりまして、わたくしが御礼申し上げます。
====================
何か言い出したらロクなことはない。
「地方の時代」と言う言葉が使われた時代があって、
そう言っている割には自分の会社は東京のど真ん中にあって、
地方の実態なんかにはこれっぽっちも興味のない連中が発信をしていた。
「女の時代」と言う言葉が使われた時代もあって、
そう言っている割にはマスコミ各社の役員に女はどれくらいいたのか。
====================
「格差社会」は多分真実でしょう。
また、「格差」は仕方がないという言葉を、
今の時点で一応成功している企業の経営者なんかが
語っているのを見るとカチンとくるけれど、まあ真実の声でもある。
いちいち振り回されるのもまた腹が立つ。
勝利者が集まる空っぽの洞窟。
は敗北者という「勝者の視点」。
物凄く狭い価値観の中で、勝った負けたと騒いでいる状態。
====================
「格差社会」というキーワードも、観測地点を変えればその通りだったり、
そうじゃなかったりするわけです。
例えば障害者に対する援助の打ち切りは格差の助長だと思うけれど、
というレベルの問題に関しては格差でもなんでもない。
そんなもん知るか。
一方では消費社会をひたすら煽る。
====================
人間味を殺ぎ落としてまでも効率よく収益を上げることが正しい経営、
という価値観に影響を受けた経営者が増えたからかもしれません。
メディアの振りまく「成功イデオロギー」だけしか選択肢が無くなった不幸。
これが格差社会の正体。
====================
―「弱者」というものが、常に「エリート」によって「発見」されるという、
これまた古典的な構図による。
ネットカフェ難民、ニート、年金生活者、在日コリアン……というように、「エリート」同士の
政治闘争に利用できる、明白な「弱者」だけが「発見」されていく。
「エリート」は「弱者」を利用して政治的なライバルを攻撃し、「エリート」内の階段をのぼる。
「弱者」のなかにも、それを見透かして、政治的な「利権」を手にする圧力団体の
ようなものが出てくる。両者は共犯関係にある。―
http://miyajima.ne.jp/index.php?mode=res_view&no=56#nmjp57
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彼らの将来を間接的に奪ってるんじゃないか。
「かわいそうなあなたたち」という視線は絶対に救いにはならない。
「自分は不幸だ」「悪いのは世の中だ」と彼らに煽られても
誰もチャンスも仕事も金も持って来てくれないぜ。
特にあいつらは。
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□石原慎太郎に心ひかれる自分がある。
□オリンピックやサッカー・ワールドカップでは心から日本を応援する。
□中国や韓国はいやだと思うことがある。
これらのコピーの上に「以上の項目が半分以上当てはまる人は下流的である“!」
ある種のバイアスのかかった人達の『商材』であることがなんとなく見えてしまう。
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問題は、以前ほど未来に対しての安心感が
ないまま日々を送らないといけないこと。
もう一つは、一度企業社会のコースを外れてしまうと
なぜ嫌うかというと、そういう決まりだから。
なぜそういう決まりかというと、そういう決まりという決まりだから……………
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「リトル・ミス・サンシャイン」という映画を今年見ました。
出場するために車でニューメキシコから
「エンターテイメント」としての役割を背負った作品が
圧倒的に多い。
そういったファンタジーものとは別に、
現実のつらさを描いたのがこの作品。
しかし生徒は集まらず本人はビンボー。
2種類のうちでは敗け組の方。
成功コンサルタントの裏面を皮肉的に取り上げていて
この映画を見ると「ギクッ!」とする人も多いのでは?
「オレたちはみんな、敗者だ!」
映画の中で誰かが叫ぶ。
アメリカ人がみんな勝っているわけじゃない。
アメリカ人自身が「成功を追いかけ続ける敗者」で
あることをうすうす解っている。
その成功をありがたがる「いいお客サン」である日本人。
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アメリカ型を追いかけるのが難しい理由としては、
日本とアメリカとのマーケットの大きさの違いがあると思います。
抱えるのに加えて、英語圏全ての地球規模で
ビジネスの勝負ができる条件。
日本との環境の差は無視できない。
もしあれだけ大きな市場があれば一発くらい狙ってみたくなるし、
多少のリスクは背負ってもいいかなと思う。
しかし、一発でかく儲ける戦略を取るには
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億万長者を生み出すベンチャービジネスのからくりの一つを見てみると、
株式を上場して上場益の恩恵に浴するという戦略があります。
強引な売り込みを仕掛け、訴訟をいくつか抱えて裁判沙汰に
なってたとしても、株式上場で金が手に入れば
それでOKとする考え。
もちろんその戦略があたればバンバンザイだけれど、
上場できなければ会社は破綻。
いつのまにか今の世の中基準になってしまった。
多くの人が抱えていることは、こんなことをしてまで
金儲けをしなきゃいけないのかよという感情。
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ビジネスの成功者として華やかな世界の人達がよく取り上げられる。
しかし例えば、スナックの経営で儲けている人とか、
絶対にメディアでは取り上げられない。
彼らは「成功の法則」からは外れたところにいる透明人間。
結局のところ、巷に言われている「成功」とはメディアで
成功にも本当は色々あることは知っておいて損はない。
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成功するというのはすばらしいし、
誰もが「勝ち組」になりたいのは正直な気持ち。
しかし、「勝ち」とか「負け」とかはどっちでもいい
勝つこともあれば、負けることもある。
「勝利」を維持するためのノルマと無理な目標設定。
責任だけは日々大きくなるくせに何も決定権を
持たしてもらえない状態が幸福とはいえない。
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この先、我々はもう一つの成功者を
生み出す必要があるんじゃないかと思います。
多分「格差社会」ということに関しては
我々が試されているんでしょう。
冷静でいられるのか。
この世は金が全てか?
ノー。100%ノー。
「カネが全て」だけでは人の感情や行動にも
限界があるという事実。
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格差と言う割には日本社会はかなり「のし上る自由」のある国で、
世襲制度がイギリスとかフランスよりも強くないという現実もあります。
エスタブリッシュメントは『永続性のある権力と威光の階層』を
意味するのですが、イギリスなんかは貴族社会ですから綿々と
この手の権威が継承されてきています。
しかし日本にエスタブリッシュメントと言われる存在はほとんどなくて、
歴史的に見ても「下流の人間」がのし上れる社会でもあります。
ということは弱者が強者にだってなれるということ。
しかし「欧米的なもの」が進んでいて自由である、
という、でたらめばかりを言ってきた連中は、
この手のことには触れようとしない。
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カンボジア型成功でも好きなのを選べばいいのです。
「あがり」を生み出す思想からの脱出を。
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アントニオ猪木の逸話の中で、こんなのがあります。
どうしても敵わない相手に押さえ込まれて、
全く体が動かない状態になった時、
小指の一本でも動かせないかともがいてみた、
という話。
とにかくもがいてみる。
すると小指の先から徐々に動かせるようになっていく。
そして小指が動くようになったら今度は手が動かせないか。
手の次は腕。
そして足、という風に少しずつでも抵抗をしていく。
うまく行かないときは絶望感に襲われてしまうけれど、
小指の先から暴れてみることを考える。
誰もが出来る小さなレジスタンス運動。
結局「勝者」とはこういうことを少しでも考え、
実行できる人だと思う。
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冒頭に見てもらった年収を稼ぐ人達がつくる「社会の常識」が
いつのまにか社会を支配してしまいました。
彼らの生活基準がいつのまにかこの世の幸福になり、
そこから外れたら敗北者。
東京のごく狭い範囲で起こっていることが
しかし、絶望ばかりでもなくて今までよりも
時代が変わっているのも事実。
親が金持ちで、格差の頂点にいる勝者。
絶対に負けない人達。
ところがこんな事実がある。
現在コンビニが全国で4万店。
歯医者が7万店。
つまりスタートして四分の一は消えてなくなる。
社会環境が完全に変わり、今までのやり方が通用しなくなったのも事実。
これまでアウトサイダーだった「オタク」が巨大なマーケットを作り、
今はかつての「負け組」が勝つ時代でもあるというのは本当でしょう。
つまり今年までの負け組が来年には勝ち組にもなれるということ。
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今年の終わり。
この日記を読んでいる方は残りの数日間、
ふと一人になった時、こんなことを考えてみてはどうでしょう
自分にとって金より大事なことは何なのか。
これがこれから先のあなたを成功に導く。
金より大事なもの。
自分の子供。
古本屋でやっと見つけた本。
家族。
大枚をはたいて買った骨董品。
一人になる時間。
いつも通う喫茶店の窓際の席。
成功。
愛車。
クリスマスのこの日。
その何倍も不幸を感じる人間がいる。
元々クリスマスなんて家族と静かに過ごす日なのに、
いつのまにか孤独や不幸が通常よりも
増幅してしまう日になってしまった。
つまらない言葉)の正体は結構こんなことじゃないでしょうか?
他の突出した人間と比べて勝手に不幸を感じたり、
「負け組」を探し出して、勝手に見下しているだけだったりする。
カネ以外のものに対する情熱を持っていれば、
この先の時代はあなたは有望。
今の時代の「成功」はまもなく消え去る。
時代は変わる。
「オレだって」「私だって」という野望が
結構受け入れられるのが、日本社会です。
そのためにはカネよりもまず「情熱」という
革命用の武器を手にする必要がある。
美しい人生を手に入れるために、心に情熱を!
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Gladys Knight and the pips - Neither one of us
http://jp.youtube.com/watch?v=1p57xtVXEAM&feature=related
デヴィッド・サンボーンバージョンも好きだけれど
ボーカルものもやっぱいい。
ドラマチックな盛り上げ方に時代を感じるものの、
いまこれがやれたら結構かっこいい
トレンドばっかり追いかけないで、この路線で勝負すればいいのに。
Dean Martin, Gladys Knight & The Pips
http://jp.youtube.com/watch?v=3thV0XGJlEE&feature=related
グラディスが太った安室ちゃんだった頃の映像
"Memphis Soul Stew" King Curtis & The Kingpins (Live)
http://jp.youtube.com/watch?v=6WHcWu-1iUg&feature=related
ファンク系は司会までラップノリでグルーブしまくっているところが
超かっちょいい。
Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982)
http://jp.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc
ソウルつながりでジャコ。
ドラムのピーター・アースキンの髪の毛が健在な頃で
やってしまった例。
http://jp.youtube.com/watch?v=9wQKl2P7Ql0
最後は東京に戻って
さんまの番組でのデイヴィッド・サンボーン。
「Smile 」はポール・サイモンの曲(サンボーンのライブ盤での曲)
じゃない方のスマイル。(ナット・キング・コールが歌っていた。)
この映像は以前ユーチューブで削除されていたので、
もしかしたらもうなくなっているかも。
(さんま。お前は判って聴いてんのか?)
それでは皆さん、よいクリスマスを。
●合格体験記を書く
僕は,今年の春に,高校生に読んでもらうための,合格体験記のようなものを書く機会がありました.高校のときに通っていた塾に,「合格体験記のようなものを書いて,高校生に勉強なり,受験の心構えなりのアドバイスをしてくれないか」といわれて,書くことになったわけです.
僕は,その文章の一部で,はっきりとこう書きました.現在においても,多くの企業は,新卒採用の際には,学歴を大きな判断材料にしている,と.つまり,学歴社会は,世間でいわれているほど崩壊しなくて,高偏差値で有名な大学であればあるほど,得をする可能性が高まるということです.だから,現在でも学歴社会が根強く残っている部分もあるという現状を知った上で,進路を決定したほうがよいと,僕は書いたのです.
●人物本位採用というタテマエ
「学歴不問」「人物本位採用」なんてことをいっている企業も多いようですが,こんなものは,結局のところ建前です.実際には,学歴が大きな判断材料になってしまうのが現状なのです.
もちろん,企業が昔のように大学名だけで選んでいるわけではないというのは確かだとは思います.求める人材像が大きく変わったことは人事担当者も十分に意識されているでしょうが,現実的に学歴に関係なく,その人の資質を見抜くのは至難の業らしいのです.
たとえば,いまは昔と違って,どんな大学の学生でも,希望する企業に応募できるようになっていることが多いです.しかし,実際にはインターネットの就職サイトに登録する学生の数が,数万人単位で,絞り込まざるを得ないらしいのです.面接をやるといっても,数回の面接で,その人を正しく評価するのは困難でしょう.
そうなると,結局は「どこの大学をでたのか」が大きな判断材料になってしまいます.確かに,大学は18歳時点での学力でしかありませんし,偏差値主義教育には批判があるのも確かです.しかし,「学歴で判断してどこが悪い」と考えている人もいますし,冷静になって現実をみると,学歴が企業の採用で重視されているのは事実です.
●学閥も残っている
また,公務員・公団・JR・電力会社・大手建設業など,利益が特権的に守られている企業や組織は,いまだに学閥が根強く残っていますし,今後も変わることはないでしょう.
しかし,やはり塾にとっては,都合が悪かったらしく,学歴に関する部分の記述をふせておきたいということでした.学歴にコンプレックスを持っている方は多いようですから,学歴のことをあれこれいうのは,タブーなのかもしれません.たとえば,塾生の保護者を怒らせてしまえば,確かにマズイかもしれません.
●結局,大人の都合じゃないか
しかし,学歴社会の事実に触れたくないというのは,つまることころ,大人の都合であって,高校生のためにはならないと僕は思うのです.極端な場合だと,学歴が大きな判断材料にされることを知らずに,就職活動をして,結果的に全滅してしまって,やる気を失い,ニートやフリーターになってしまうケースもあるとききます.
まとめ
おとといの晩(金曜)に地元の居酒屋で結構な量のビールを飲んだ。
流れで「ボーリングいこーぜ!」となってそのままボーリング場へ。
夜が明けてきて酒が抜けてきたところで帰宅、そして就寝。
そのまま半日爆睡してしまった僕は昼過ぎ(土曜)にコタツからおきだして
夕方からの仕事に備えて身支度を始めた。
シャワーを浴びて髪を乾かして着替えて持ち物を用意して。
そしていざ家を出ようとしたところで気づいた。
サ イ フ が な い
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仕事先へは普段は二輪で行くところなんだけどその日はとんでもなく
雨が降っていたので電車でいくつもりだった。
踵を返し、部屋に戻りあたりを探し回るも財布はみつからず、
時間が差し迫っていたので家の中の小銭を回収して電車に乗って仕事場へ。
なんとか仕事を片付けて昨日(昨土曜)の夜中に帰宅。
とりあえず落ち着いて昨日の自分の行動を思い返してみよう。
Q.あなたが最後にサイフを使ったのはどこですか?
A.昨日ボーリング場で帰る直前、知人にアイスを買わされたのが最後
ということはそれ以後。
自分の財布を落としたとはあまり思いたくなかったので(現実逃避)
家に帰ってからの自分の行動をトレースしてサイフを捜索することに。
1.玄関を開ける
2.靴を脱いで階段を上がる
3.自室に入りコタツON
4.寝る
なにもやってなくてコタツ周辺にサイフが無ければアウト!
コタツ周辺をくまなく探したんだけどやっぱりありません。
はぁ…落としたか。とサイフの中身を思い出す。
1.現金1諭吉(もうあきらめている)
2.キャシュカード(ヤバイ)
4.クレジットA社(ヤバイヤバイヤバイ)
5.クレジットB社(ヤバイヤバイヤバイ)
半日ほど現実逃避していたとはいえこれはヤバイ。
個人情報から類推されて使われたりしないからなんとかなるとしても
すかさず、暗記していた口座番号で口座の残金確認を果たす。
なんとか減ってないようで安心。
「もう現実逃避なんてしてらんねー。」てこと
落としているとすると
2.帰宅途中(確立高)
のどちらか。ボーリング場に電話するよりK察に聞いたほうが早いかな
ってことでK察へ電話。
僕「あーすいません。拾得物管理している課につないでいただけますか?」
K「は?・・・・・・・会計課ですか?」
僕「そですそです」
K「会計課は日曜なので出勤している人がいないんです」
僕「なんと!!!!!」
K「とりあえずお名前とサイフの特徴と何が入っていたかを」
僕「ごにょごにょ」
K「じゃぁちょっとみてきてみます。」
(数行で書いたけどこの間ものすごいグダグダで、
電話の向こうでしている会話とかガサゴソ音とか聞こえてくるし、
あげくに別の人が電話にでてきたりするし。
こんなところで管理しているのか…と思い冷や汗)
K「あーもしもし」
僕「ありましたか?(wktk」
K「あーありますねー益田さんのサイフー」
僕「ほ、ほんとですか!」
K「はぁ、ただ名前の入ったキャッシュカードと現金が一万円の黒い皮の財布としか
かかれてないんでねー、うーん。」
僕「あのー中身確認していただけないですか?最悪カードとか止めたいので」
K「あー祭日なんで担当がいないんですー」
僕「!!!!」
K「それでですねー今日は取りに来ていただけないので…」
僕「(さえぎって)とりあえず中身の確認だけでもしていただけないんですか?」
僕「・・・」
僕「土曜に落としたんですが土曜は担当の方がいないんですよね。誰が金庫にいれたんですか?」
K「それは(ごにょごにょ」
僕「確認もできないんでしょうか。」
K「はい!」(ここだけ歯切れがいい)
僕「担当の方に連絡していただくことはできないんでしょうか」
K「出勤してくるまでは無理です」
僕「それはいつになりますか」
僕「!!!!」
K「で火曜日にもう一度電話いただいて現状をもう一度説明していただいて」
僕「はぁ…(引継ぎもないんですか…)」
K「で取りに来てもらうしかないですね」
僕「確認すらできないんですね」
K「はい!」
僕「orz」
で結局カードを止めました。落とした自分が悪い。それにつきる話。
でももうちょっとどうにかK察頑張ってほしいなぁと思った今日この頃。
追記:
とりあえず拾ってくれた人に感謝せねば。
セカンドライフが過疎化しているとネットユーザーから嘲笑されている。
ネットをビジネスの場としてとらえていない企業をネットを娯楽として楽しんでいる層が嘲笑しているような構図が見える。
しかし、過疎化が進もうとセカンドライフへ進出する企業の勢いは日経産業新聞等を読む限り衰えはない。
空疎な空間に企業の金が入ったコンテンツが相変わらず増殖しているのが現状だ。
企業にとっては将来への投資かもしれず、あるいは実験場としてセカンドライフを利用しているだけかもしれない。
セカンドライフ内のコンテンツに閑古鳥が鳴こうとも、参入して各種メディアに社名とともに取り上げられるだけで
十分広告効果でペイできるのかもしれない。
とはいえサービスを立ち上げたら利用して欲しいのは当然だろう。
誰もいない空間の中で、彼らに接触したらVIP待遇を受けるかもしれない。
現実社会ではフリーターやニートに甘んじていても、セカンドライフ内では企業にお客様として
扱ってもらえるだろう。そう考えると、一般参加者が少ない今こそ逆張りでセカンドライフ内の探索に行くのは
費用対効果が高いかもしれない。思わぬ恩恵が拾える可能性だってある。
選ばなければ職はあるもんな。
教授の推薦とかならプログラマでもそんなに酷いことはないと思う。
ただ、合わなくても断れないし、辞めるにもプレッシャーがあるというリスクはある諸刃の剣。
就職活動する気力はそんなにない(何がやりたいとか夢とか希望を熱く持っていない)
しかしフリーターはちょっと…なんていう人にはお勧めの進路と言えよう。
というか自分はそうだ。
給料に関してはわからん。高くないのは確かだけど。
比較する事が無いしこんなのだから欲があんまり無いんでね…。
1万円くらいの買い物をしただけでうはー、奮発しちゃったかな!とか思っちゃうんだ。
そんな自分を会社は目標を立てさせ、それを査定に使うと言ってくる(憂鬱になりながらも設定してるよ)。
しかしさ、みんながみんな上ばっかり見てたらコケるんじゃね?意欲とか上昇志向とかさ。
みんながそれで一番になれるわけでもないんだし(そんなの学生の頃にとっくに学んでいる)
目の前を見て確実に歩みを進める人間もいて悪い事は無いと思うんだけどねー。