はてなキーワード: 鉄砲とは
しかし自分の人生でメインな分野では被害者ごっこしちゃいけません
被害者は防御とか回避の戦術であって何かを築いたり達成したりするには向かない戦法です
なので
自分のど真ん中を被害者アイデンティティで埋めちゃって、結果人生腐らせてます
以上を踏まえまして
・才能が薄い分野
・興味が薄い分野
・報酬が薄い分野
ですね
やや相互に関連しているけどだいたいこんな感じ
例えば
生まれつき足が遅いほうで、
走ることに未練も無くて、
走りきっても達成感や賞金が期待出来ない
こういう場合は好みでかけっこを回避するという選択肢があるわけです
その時に
ただ「やめておきます」なんて芸の無いこと言うよりずっといい言い方は
「私は生まれつき膝の関節の異常で走ると障害が進むの
そんな私にかけっこを強制しようとはなんて無神経な…
と、こうです
こんなの嫌な奴だと思われるでしょうか?
でも足が遅い人間にかけっこを勧める人やそれを見てる人って
本当に無神経だったり、遅いのを見て優越感に浸りたい悪い根性だったりするんですよ
そういうってたいてい軽い気持ちや無意識です
そこを一撃で打ちのめし、怯えさせ、容易に近づけなくするのが「被害者」の構え
あなたの苦手な角度から攻められることが減り、
逆に優位から人に接するチャンスがぐっと増えます
積極的に捨てることにした分野ではどんどん被害者ぶりましょう
人生は全ての分野に注力できるほどの時間もエネルギーも与えられていません
要らない分野は即捨てて被害者ぶる、これは何より重要な激的ライフハックです
おさらいの注意点
・使いすぎない、あらゆる分野で被害者ぶることはしないこと
・ネトウヨしかいないような場では通用しないので使わないこと
結局さ、人間が誰かに「生きろ!」とか「繁栄しろ!」って言われてないんだからさ、
そこら辺に落ちてるゴミを積極的に拾う ことも、
木を植えて緑化を進める ことも、
動物を殺して食べる ことも、
植物を採って食べる ことも、
人間の行いとしては同じって事でいいんだよね?
でも、木を切りすぎると いろんな影響で
「人間にとって困る」環境になっちゃうかもしれないからやめろって言ってるんだよね?
でも、無駄に割り箸作って燃やしても、別に全くの「無」になるわけじゃないじゃない?
人の手で伐採できる量より、圧倒的に多くの植物が1日に、トータルで物凄い量 成長しそうじゃない?
竹なんて、そりゃあもうすごいらしいじゃない?
それにほら、エネルギーって保存するらしいじゃない?
古代には、雷とか火山とかで全く止まらないような大規模な山火事とかが いくらでもありそうじゃない?
人間がひーこら言って一生懸命刈った樹木より圧倒的に大量の植物が、一瞬で灰になったりしてそうじゃない?
大規模な山火事に、消防士が一生懸命 ホースでぴゅ~っと水をかけてるのに全く消えそうにないニュース映像なんかさ、
どうみたってキャンプファイヤーの火を水鉄砲で消そうとしてるような滑稽さがあるじゃない?
大量な核兵器を使えば地球を壊せそうだから、人間の方が強い っていう錯覚から「地球さんを僕らが守らなきゃ!」って、ずいぶんあなた上から目線だけど、
地球壊れたら人間もおしまいなわけで、それはドロー 引き分けじゃない? 別に人間の方が強いわけじゃないじゃない?
結局、みんなが思ってる以上に 人間なんて ちっぽけなゴミクズな気がするじゃない?
そんな、45億年もくるくる回り続けてる地球先輩に 人間ごときが何かできると思うことすらおこがましい気がするじゃない?
青虫が葉っぱかじっちゃったーくらいのもんなんじゃないの?
森林が消滅!とか言ったって、本当に消滅したら E=mc² しちゃうでしょ?
その分、何かになって、その分 どこかの森林が成長するためのCO2として、今まで自分が吸収した分 どこかで大放出してんじゃないの?
あとほら、人間ってわりと賢いじゃない?ハイテクとかしちゃうじゃない?
問題を解決する手段を、本気になればすぐ造り上げるじゃない? 地球の気候が変わったら、それに応じて対策練るでしょ?きっと。
海面が○○メートル上昇!つったって、ほらあんた、すみやかに引っ越そ。ね?いいから引っ越しましょうよ。
ようするにさ、そんな自意識過剰にならないで 適当にやりましょうよ、適当に。 ほっといたってなるようになるでしょ きっと。
っていう、何の根拠も無い、漠然とした感覚がずっとあるけど、 どれひとつとして実証できないし、どこかの数字もあてにならないし
なにより、
そんな事を言ってると、人間に怒られる。
だから僕は完全に無視することにしたんです。
侠 | 警 | 義 | 仁 | 玉 | 仁 | 義 | 警 | 侠 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
砲 | 鉄 | |||||||
漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 |
漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 | 漢 |
鉄 | 砲 | |||||||
侠 | 警 | 義 | 仁 | 玉 | 仁 | 義 | 警 | 侠 |
駒の説明
玉:滅多なことでは動かない大親分。たいていのことは子分にやらせるので自陣に入られるまで全く動かない。自陣に入られると王将と同じ動きをする。
仁:常に隣の義とペアなので、義が死ぬと仁も廃れる。前・左右斜め前に移動できるが横や後ろへ戻るといった卑怯な動きはできない。
義:常に隣の義とペアなので、仁が死ぬと義も廃れる。前・左右斜め前に移動できるが横や後ろへ戻るといった卑怯な動きはできない。
警:汚職警官。玉に弱みを握られて頭が上がらない。桂馬と全く同じずるい動きをする。一定条件で買収することができる。
侠:非常に男らしい鉄砲玉その一。匕首一振で玉を取りにいく。香と同じく無限前進する。
鉄:非常に男らしい鉄砲玉その二。左右斜め前に無限移動できるが退くを知らないので左右斜め後ろには下がれない。
砲:非常に男らしい鉄砲玉その三。前と横に無限に移動できるが退くを知らないので後ろには下がれない。
漢:漢の中の漢。歩と同じく一歩しか前進できないが、度胸と根性で敵の駒が取れるときのみ二歩進むこともできる。だがそうすると相討ちになって死ぬ。
追加ルール
全ての駒は生きて虜囚の辱めを受けず自害するため、敵の駒を取っても持ち駒にできない。
警も捕まったら即殺されるので持ち駒にできない。
そりゃあ
「あの時もうちょっとがんばっていい大学に入ってりゃ良かった」
と後悔するしかない。1996年当時絶望した俺のように。男女関係ねーとかおためごかしは言えねえので女に生まれた我が身をさらに呪え。
で、アドバイスとしてはひたすら数をこなすのが一番だと思う。もうそれだけ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの理論。就職活動って最終的には運みたいなものだから。
「御社が第一志望です」
「志望動機は自分の経験の○○が御社の××で活用できると思いまして」
を繰り返す機械となれ。
後、そういう「就職活動ってくっだらねー」みたいな態度で活動してると態度にでるからそれで落ちるって負のスパイラルもあるので気をつけよう。
これは昔からだなぁ。企業もそれを見越して人を採っているし、最近は「内定取り消し」という荒業が通じるようなので多めにとっておいても問題なさそげだよね。
少なくとも普通に読めば
漫画を描く為のツールをパクって来てる=漁師なら釣り竿や網を、猟師なら鉄砲や罠を、プログラマならパソコンや電気を盗む行為だってわかるだろ。
いや全然わからないのだけど。
漫画にたとえている「仕事の成果物」は有体物? それとも 無体物?
ペン・インク等にたとえてる「成果物を作るための仕事道具」は有体物? それとも 無体物?
構図・話の展開にたとえてる「成果物その物の内容」は有体物? それとも 無体物?
変なたとえしないでここらへんをハッキリさせてほしい。
有体物を盗んだんなら盗まれた方もすぐわかるし簡単に刑事事件にできるはず。
そうじゃないってことはすべて知的財産の類?
ところで、公開されている知的財産物は、所有している有体物みたいに独占することはできない。
表現(著作権)やら審査登録された新規アイデア(特許権)とかごく一部について保護されるだけ。しかもその保護期間すら限定される。
少なくとも普通に読めば
漫画を描く為のツールをパクって来てる=漁師なら釣り竿や網を、猟師なら鉄砲や罠を、プログラマならパソコンや電気を盗む行為だってわかるだろ。
表現(作品)の内容自体をパクる以前に、表現するための道具をパクってるんだから。
そこに全く触れず
構図や物語のプロットについて、世間に公開された著作物(市販品など)を参考にしてもなんら問題はないよ。
間違った方向に潔癖すぎる病気を発症しているらしい。
と言うのは誤読以外の何物でもない。
漫画家で例えるなら、漫画家・アシスタント一同、「読者に良い漫画を届けたい」という理想は一致していたと思う。
でも、そこで使ってるペンが、インクが、紙が、誰の物かなんて、誰一人気にしていなかった。
店先に並んでるペンを拝借してきて、隣の家からインクをこっそりとってきて、それで漫画を描いて、「良い作品描けたな!」と満足してるような状態。
「ここの構図が決まればもっと面白くなるのに!」というシーンでは、躊躇なく他の漫画からトレースしたり、「ここ話の展開がもっとダイナミックなら!」というシーンでは他の小説から話をパクったり、そういうことを平気でやってた。
漫画家にたとえてる時点で、漫画=仕事の成果物 ペン・インク等=成果物を作るための仕事道具 構図・話の展開=成果物その物の内容 と切り分けて考えられる。
ちゃんと読めば、違法、またはそれに近い行為をやりつつ仕事をすること、あるいはそれに疑問を感じない会社に嫌気がさしてたわけで、著作権云々の話ではないことがわかる。最後の一点だけを捉えて著作権の話に展開させるのは、完全な誤読。
ttp://chiraurasouko.blogspot.com/
この弁護人は小沢の息のかかった直属で、 恐らく、石川の保釈請求も出してる。 石川は、保釈で出てきたら自殺を迫って口を封じられる。
257 :名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 20:17:07 ID:/v52IEwy0 »247
つか、今の石川逮捕は「自殺・逃亡の恐れがあるため」と検察が既に先手打ってるから、これで議院で保釈請求とかやると「殺したい」という意志にしか聞こえんよ。
529 :名無しさん@十周年:2010/01/16(土) 23:32:26 ID:/v52IEwy0 »518
「石川は死ぬべき」がその手の人間の共通認識らしいぞ? 「民主党は保釈請求出して石川を自由にすべき」と言ってる奴もいたし、 「昔の秘書は議員を庇って死んだ、石川も出たらどうするべきか理解してるはず」とか言ってた。 山口組から鉄砲玉が派遣されるっぽい。 これは殺されかねんマジで基地
教育の目的が社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校で歴史、理科、国語を教える意味はまったくないだろうね。
まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在の日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子は最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学の教養課程でやりゃーいい。
国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728
理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。
んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)をばっちりと教え込む。課程の全時間をそれに当てる。あー、体育、音楽はあってもいい。家庭科はいらん。あんな包丁の持ち方とかお裁縫とかは家で教えろ。そもそもミシンの使い方なんぞ大部分の人間にとって必要ない。総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。習字もいらない。もう毛筆なんぞ日常的に使う人間はいない。ユーキャンのペン習字でもやらせておけ。コンピュータは数学の実習という形で触れさせる。フィルタリングなんぞ必要ない。
高校入学後は、これに加えて経済、理科(生物学中心)を英語で教え込む。現代の経済学、科学はほとんど西洋で作られたから、わざわざどこぞの教授が自分の研究室の大学院生に編集させたり、ろくな知識もない学歴だけ無駄に高い高校教師が作ったような教科書を読む必要性はない。教える内容も、基礎中の基礎で十分。日経新聞や、日系サイエンスを読んで、とりあえず8割くらいわかる、という程度でOK。
大学では最低1年、望ましいのは2年間ほど教養教育に当てる。ここで初めて各人の選択で、古文やりたいやつは古文やったり、旧石器時代を習いたいやつは習えばいい。哲学やろうが、地政学やろうが自由。それを通過して初めて専門課程に進ませればいい。
今の日本で高校進学率の高さは異常。中学校までの義務教育で、「とりあえず社会で労働者として生きていくのに必要な知識」を与えておいて、そこからはもっと人数を絞り込んでやっていけばいい。明治時代のエリート教育みたいに。たとえば東大の数学科だとしたら、定員は10人もいれば十分。それでも多いくらい。その10人に対して3倍の数の教員が質の高い教育を提供すればいい。大学での教養課程も、「やりたくなければやんなくていいよー。ただし国際社会で恥かくのは君だからねー」でいいじゃん。無理やり必要もない人間に「人間の安全保障」とか教えても意味がない。自己責任でやっていけばいい。
小学校の教員も、最低博士課程を出た人間じゃないとなれないようにする。進級をアメリカの大学並みに厳しくする。必要な知識を身につけていない子供は容赦なく留年させる。勿論能力によって厳密にクラス分け。子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場で労働者として頑張ってね!」でいい。
関係ないけど、修士課程も廃止。日本の修士課程は世界の中でもかなり独特で無意味な制度。博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。
反発が予想されるのは、「楽そうだから」「若い女の子と触れ合えるから」って理由で教職に就いた、理科、社会科、国語科(古文、漢文)、保健体育の教員からだけども、かれらも頑張って労働者として働いていただけばいい。本当に熱意があれば、大学の教養課程で、エリート対象に教えればいい。
こう思ったのは、昔塾で勉強を教えていたときに、あまりに無駄が多いと感じたから。小学生が花崗岩を見分ける能力、名称を覚えることがまったく無意味だ、とは言わないけれども、もっと他に大事なことはいくらでもあるはず。種子島鉄砲伝来と、キリスト教伝来、どっちが先だったか覚えるのは、もうまったく無意味。何の流れも関連性もないだろ。センター試験を見てみても、本当に無意味な問題が多い。
まあ凡人には理解できないかもね。
ふと思ったのですが、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」なのではないでしょうか?
思い出していただきたいのは、麻生政権時代の話です。あの時、私たちはなにかモヤモヤとしたものの中にいたような感覚を感じていたのではないかということです。自分自身に不確定感を感じており、自暴自棄な部分があったり、八方ふさがり感を感じていたり、手応えの無い生を生きている様な感覚を感じていたのではないでしょうか?
つまり、あのまま、自民党政治なり、麻生政権が続いていたとしたら、私たちは、自分たちが溶けてなくなるような感覚に襲われていたのではないかということです。
戦後民主主義というマッカーサーの誘導通り、生きている事にリアリティのない、夢見がちな子供こそが日本人であるということを日本人自身が真面目に実行してしまい、日本人の精神年齢は永遠の12歳に閉じ込められてしまいました。つまり、団塊世代を含めて、子供が多数派になってしまったという現実があると思います。
そして、その結果として、野党が多数派となり、鳩山内閣になったという訳です。
今までは、誰かが(この場合、自民党が)、親のように国民の面倒を見てくれましたから、親に子供が不満をぶつけるように、国民も野党もマスコミも外部からヤジを飛ばしていれば、責任を果たした気分になっていました。しかし、いざ、自分が権力を持ってみると何も出来ていないのが現実としてあります。
鳩山首相というのは、今まで、外部にいた国民や野党やマスコミが……外部にいた人間が、鏡に映った場合にどう見えるかという事の体現者です。彼を無能、正常な精神状態でない、歪んだ笑顔が醜い(そこまで言ってませんね)と責め立てた所で、それは結局、国民自身が自分自身を批判していると言える事が出来るのではないでしょうか。
ですので、結果的にであれ、どうであれ、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」として機能してしまっているというのが実情でしょう。
以前、こんな記事を見ました。
「三国志の中で誰になりたいか?」という記事です。中国では狭義心に富む「関羽」が人気でした。アメリカでは有能で策謀謀略に長けた「曹操」が人気でした。日本では天才軍師の「諸葛孔明」が人気でした。
これが何を表しているかというと、自分の立ちたい立ち位置を表しているのではないでしょうか。
つまり、「トップに立たずに、冴えたアドバイスをする「知恵袋」として活躍したい」というのが日本人の心情な訳です。
これがそのまま、日本人の野党体質に繋がっているのではないかと思います。
例えば、ある社会学者があるジャーナリストをなぜ、実際に著名人をどんどん引き連れて政治工作しないのか?と責め立てる訳です。ジャーナリストは「自分がやりたいことをやりたい」と答えていましたが、要するに、誰も当事者にはなりたくないのです。その社会学者も、孔明的な立ち位置に立ちたくてそんな事を言ったのでしょう。でも、責任は取りたくない訳です。ジャーナリストにしても政治運動の当事者になる事は「やりたい事リスト」の中に入っていない訳です。やはり、孔明的な立ち位置でやっていきたい訳です(その点、勝間女史を悪く言う人がいますが、そういう人達のサバイブ能力は、彼女以下であることは間違いないと思います)。
結局、政治の当事者ではなかった自民党時代の民主党も、国民も、マスコミも、(当事者からすると無責任な)冴えたアドバイスをしたい訳です。何か偉そうな事を言いたい訳です。その欲望が中心にあったのだと思います。
しかし、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」は、日本人をことごとく死地へ向かわせ、容赦なく、当事者にしてしまうでしょう。逃げ切れると考えている団塊世代も例外ではありません。財産に対する猜疑心に否まされ、孤独死してしまう人も多いのではないかと思います。そして、実際、氷河期より就職事情は厳しいですし、経済的な脱出口は見つかっていません。また、ご存じの通り、外交も迷走しています。
多分、日本人がこの通過儀礼を無事乗り切るかは分かりませんが(最悪、中国の植民地だと思っています。もっとも、チベットのように民族浄化されるかも知れませんが)、ある種の諦観と、自身しか当てにならないというサバイブ能力を持たざるを得なくなるでしょう。
レイプ問題を熱く議論するのは結構ですが、現実問題として、全ての男を隔離されている日本より、女性が鉄砲を持ち迷彩服で町中を歩く日本の方がリアリティがあるのではないでしょうか?(現に、アフリカでは似た様な状態の国もあるらしいですし。そして、残念ながら、非常に残念ながら、日本のレイプ発生率は低いのです。いずれにせよ移民は増えると思いますが、容赦なくレイプ発生率もグローバルスタンダードに近づくでしょう)
そして、そして、そして、そんな困難の時代を生きるあなたに、格好の情報があります!
アニメ?もういいよ!という人は読まない方が吉。
知ってるよ。あの衝撃を彼らも感じるのかな?受けるといいね、と答える人もいれば、もうネットで流出しているんだよね。と答える人もいると思う。
それはそれとして、いまさらながら、なぜヱヴァ破が評論家ウケしなかったのだろうか。気がついてみれば、なんてことはない非常に単純な理由だった。評論家は、ショッキングな作品を評価する。それだけ。芸術作品と同じで、(時代的文脈における)事件性が重要。
ただ、今の世間の雰囲気的に、もうショッキングなのはいいよ!という気がしている。
世間の流れが早すぎて、逆に、落ち着ける場所が求められているというか。火を囲んでお年寄りの昔話を聞いているような感覚。どこかで聞いた事があるのにライブ感を感じる語り口。物語本来の機能。
私は私。あなたはあなた。と、興味や属性でどんどん細分化され、砂粒の様にバラバラになってく個。進めば進むほど視界が悪くなる、どこへ向かうか分からない世の中。信じられるものは何もない。自分さえ矮小。
その点、増田やニュー速はテーマが決まっていないから、はぐれた個人、バックボーンを持たない人達、信仰を持たない人々が集まれる心安らげる場所かも。
個人的には、ヱヴァ破のテーマは、テクノロジーと老人達に殺されないためにどう稼いでいくか、の方法論だったと思う。
サービスはコピーできない、最後のコンテンツは人間、とは言うけれども、人間、やはり、生まれた時代に捕らわれるし、侍当人としては鉄砲を持った民兵に刀で立ち向かっていくしか選択肢はないのではないか。
ただし、出来るだけの事をやるために、用意は周到に、作戦は綿密に。
必死であがくほか選択肢が見えない。
殺されると分かっていても全力でダンスするしかない。
では、出来るだけ楽しく踊ろう。多分、それが後悔しない生き方。
http://anond.hatelabo.jp/20091020061931
政治を簡略化したものとして思いつくのが、歴史シミュレーションゲームだ。どのゲームでもだいたい「開発」「施し」「人事」「軍事」「商人」のような行動選択肢がある。日本の現政権は今のところ「施し」、つまり国民の忠誠度を上げることに特化しているように見える。
施しは急いで国民を味方につけるのには最適の選択だが、この手のシミュレーションゲームでは「開発」をチマチマ行うことが長期的に国を強くする基本だ。開墾、治水、商業投資…などなど。(治水、つまりダム工事はホットな話題のひとつではあるが、個々のダムの効果・影響についての議論があまり出てこないところを見ると、パフォーマンスに分類されているように感じる。迷惑な話である)
たぶんKOEIの「三国志」シリーズや「信長の野望」シリーズを念頭においていると思うけど、そうしたシミュレーションゲームって維持費に関する考えに乏しいよね。せいぜい、軍の維持費ぐらいしかない。
つまり、大軍を保有すれば、それだけの軍を維持するための兵糧と金が定期的にかかるという考えはあるが、馬や鉄砲の保管にかかる維持費の概念はない。城壁の耐久度を上げる工事にお金はかかるが、城壁の維持費という概念はない。
都市住民の君主に対する忠誠度は、税率と施しによってほぼ単純に決まる。一度施しをすれば、徴兵をしたりや災害が起こらない限り忠誠度が下がることはない。つまり、忠誠度の維持費という概念がない。(マキャベリがこれを聞いたら憤死すると思う)
こうしたシミュレーションゲームでは基本的には、開発すればするほど、徴税によって得られる兵糧と金は増える。しかも線形的に。そして都市の人口・開発度は予め決められた上限まで上昇するが、その上限を左右するような選択肢は通常存在しない。
これは、単純にこうしたシミュレーションゲームが合戦シミュレーションゲームだからだと思う。
国力・内政に関する項目を極力単純化して、プレイヤーを合戦にフォーカスさせているわけだ。
ところが、もっと俯瞰的なシミュレーションゲームである「シヴィライゼーション」を見ていくと、国力・内政に関する考えがより複雑化されている。
例えば、都市の人口増加速度を増やすために穀物倉庫が必要だ(もちろん維持費がかかる)。また、人口を一定以上に増やすためには都市に水道を敷かないといけない(もちろん維持費がかかる)。
人口が増えれば、税収もあがり、都市の生産力や科学力が向上するが、人口が増えることは、必ずしも良いことではない。
人口が増えると都市で暴動が発生しやすくなる。暴動を抑えるために、都市常設軍を増やして不満を押さえ込む(もちろん維持費がかかる)か、宗教施設(もちろん維持費がかかる)や娯楽施設(もちろん維持費がかかる)を増やさないといけない。人口が増えたら環境汚染も起こる。これを取り除くためには厚生施設(もちろん維持費がかかる)が必要だ。
こういったシミュレーションゲームのリアルさっていうのは、やっぱり欧米のそれに劣るところがあるんじゃないだろうか。外交政策にしたって、KOEIのゲームでは、せいぜい同盟とか政略結婚ぐらいしかない。謀略もあってないようなもの。しかも満寵さんの人材登用能力は異常だ。
つまるところ、増田が想定しているシミュレーションゲームである「三国志」シリーズや「信長の野望」シリーズは、合戦で国士無双の武将や知将が大活躍するゲームだ。
あれ、これって・・・。
そう、「大艦巨砲主義」的なのだ。
「巨大な国力、優れた人材」というドグマに囚われすぎているゲームなのだ。
巨大な国家の維持は難しいし、優れた人材だけで戦争をするわけではないのに、だ。
日本人の政治観は未だに「大艦巨砲主義」だし、維持費に関する視点も乏しい。開発すれば税収は増えると思い込んでいる。
こうした「大艦巨砲主義」シミュレーションキャラクターゲームが日本の政治を拙くさせているのではないか。KOEIにしても、こういう形のゲームにしないと売れないと思っているのだろうけども。
第3者的に文章を読んだ感想を伝えますね。
たとえば、病気が軽いときに、医者に行くと、感染症をもらって帰ることがある。
というのは、成人でもわり起きうる一般的知識ですよね?
増して、抵抗力の弱い小児科ではという主張は間違っていないと思います。
上から下まで読んだときに、奥さんが主張している旦那さんのダメな点で
大きく間違っている所はないんじゃないかとおもいます。
こういう言い方は、非常に申し訳ないのですが、
下手の横好き。という単語が思い浮かびました。
全般的に奥様が主張なされているのは、増田さんが育児がメインと言っている割には、
知識がない、継続性がない(自分で言った掃除をしない)、一貫性がない(病院には電話して連れていくが、幼稚園だとなんか対応が中途半端)。
なんか、旦那さんの方が話し方その物は論理的なのですが、行動に論理性がない(気分で動いている)。奥さんの方は、話し方は悪いのかもしれませんが、行動に論理性がある。
ように、文章からはお見受けしました。
奥さんの思考ロジックがわからないと、仰っていますが、どちらかというと、鉄砲玉のように気分で動いているのは旦那さんの方なのではないでしょうか?
と言う風に感じました。
ぶっちゃけ、ありがた迷惑っていわれてるんじゃないでしょうか?有り難いことは、有り難いんだけど・・・面倒を量産されている(やるんなら、きちんとやってくれ)・・・みたいな。
あくまでも、文章から感じたことですが。
なにかのご参考になれば。
実はメカニカルな動作だけで比較するとコンパクトデジカメの方がはるかに手ぶれを起こしにくいのよ。
一眼レフは確かに保持動作をしっかりせざるを得ないから一見ぶれに強いように見えるんだけど、カメラ内部でミラーが上がったり下がったりしたりシャッターそのものが大きいためにシャッターを切ったときのショックは大きい。
一方コンパクトデジカメはレンズ内にあるシャッターが小さく動くだけなので衝撃そのものは小さい。だから保持さえしっかりすれば一眼じゃ絶対にぶれるラインであるところの1/4秒だとか1/8秒のシャッタースピードでもブレずに撮れたりする。手ぶれ補正機構入りコンパクトデジカメの場合工夫すれば1/2~1/4秒でもイケたりする(ただし被写体が動いちゃったら意味ないけどね)。
逆に考えるんだ。手で保持しなきゃいい。一番マッチョな解決法としては三脚。もしくは台に載せる。要はシャッター切ったときに手で持ってなきゃいい。
地面に置いたまま撮って画面の半分が地面、なんてのもそれはそれで味。横木安良夫のおじちゃんはそれで作品組んでるぞ。
よし分かった。そしたらまずは片手で撮るのをやめよう。そもそも片手で撮るのは広告のポスターだけだ。まず両手で保持する癖を付けるだけで全然違うぜ。
液晶しかないから一眼レフみたいな持ち方をしちゃいけないなんて決まりはない。ざっと構図を決めたらそのまま額をくっつけちゃってもいいんだ。
なに、額をつけるとファンデがついて嫌だ?しょうがねえなあ。
デキる「わたーしにほーんからきましたー」観光客スタイルを身に付けて首からカメラを下げよう。何格好悪い?大丈夫、誰も君のことなんか気にしてない。
問題はここから先だ。首から下げたカメラを両手で持ったらピンと手を伸ばすんだ。そしてそっとシャッターを押す。どうだい、片手で持って撮るよりずっと絵がしっかりしないかい?首と両手で3点支持されるのでカメラがすごく安定するんだ。
だいたい手ぶれがどうしたら起こるかっていうとシャッターを押したときの手のプルプルが収まってないから、ってのが原因の大半。なら実際にシャッターが切れるまでにラグを作ればいいんじゃね?っていう考え方。いまどきの機種だとセルフタイマーを2種(2秒と10秒、みたいな)持ってる機種が多いので2秒セルフタイマーを有効に使おう。
1枚撮ってぶれるなら押しっぱなしで3枚撮れば1枚くらい止まるんじゃね?って考え方。案外馬鹿にできないぞ!
デジイチブームを否定する気はないし自分も散々使ってるからあんま悪く言いたくないんだけど、「コンデジで上手く撮れない」→「よくわかんないけどデジイチ買えば上手くなるんじゃね?」って勢いでデジイチ買っちゃってそのまま箪笥の肥やしにしてレンズカビ放題、てのも結構あるわけよ。そうするとカメラが可哀想じゃね?
物欲の消化に走るのは日本経済を回すという意味でたいへん結構なんだけどさあ、まずは手持ちのコンパクトをもうちょっと使ってあげようよ。さんざん使い倒して不満が出てから一眼買ったっていいんだよ?
俺もそう思っていたが、働き始めて考えが変わった。
武警は蘭州、南京から交代要員がウルムチ入り、軍の配備も異常事態か
1989年天安門事件では首都を護衛する肝腎の部隊が動かず、地方からきた部隊が学生集会に突っ込み、鉄砲を水平に撃った。多くの死体は軍が隠した。
7・5ウルムチ事件では、デモ隊に加わったウィグル人らに軍が水平に発砲し、多くの死傷者がでた。軍は死体を隠した。
あの朝日新聞ですらこの事実を報じた。 http://www.asahi.com/international/update/0712/TKY200907110280.html
BOXUNG NEWS(博訊新聞網の英文版)は、12日付けで「パラシュート部隊が新彊に集結している」と伝えている。河南省、福建省、江蘇省からの部隊、およそ14000名で、これらの地方空港で搭乗が確認されている。軍の移動に民間機を使うことがあるからだ。
また多維新聞網(7月12日)によれば、蘭州からきた武装警察が四日間の夜勤を終え、10日夜、南京からきた武装警察の部隊と交替したという。蘭州部隊はウルムチ市人民広場の第一中学に駐屯していたことを多維新聞記者が目撃した。彼らは街の辻々にたって警戒に当たっていた。