はてなキーワード: 楽器とは
この何もしない休日の過ごし方。
暇だ暇だと言ってつまらない放課後を過ごしていたあの頃と同じじゃないか。
それで、社会人になった今同じパターンで生活しているなら、何か始めればいい。
でも。
不安なのは、とにかく使うお金と時間だ。習い事やるとそれなりの金額が出ていく。余裕がない中で習い始めて、もしそれが楽しくなかったり充実しなかったり、嫌な講師にあたったりしたら損じゃないかと想像するとやる気が萎えてくるんだ。
それに俺は本当に何かやりたいと思っているのかな。
どうにかしなきゃとは思っているんだけど。
自分の本音がどうなのかわからない。
誰か教えてくれる人がいればいいな。
やってみたいと本気で思っていないからこそいろんなものに結局手が出ないのではないか。
だって興味があるなら、好きなら多少のお金なんて気にしないだろう。比べられない喜びがあるんだから。
くそう。失敗することにおびえている。
わざわざ一端擬人化した上で、対象を機械に貶める「調律」なんて表現は、最高にエロいじゃないですか。
繊細な響きがいいよね。ケーブルやらなにやらでぐるぐる巻きに拘束された少女、ねじ回し一つで鳴く声が変わる。ああもうたまらん。最高のポルノじゃないか。
ええとこれだけではただの変態なので(いや変態ですが)真面目な話を補足すると。
村西とおるのAVとかで、気持ちよかったら笛を吹いてくださいねー、っていうのがあるんですよ。まあ特殊過ぎてギャグになっちゃってるけど。
女の子を思うままに鳴かせることを楽器の演奏に喩える表現は、ポルノにおいては定番なんだよね。だから、むしろ初音ミクを楽器に機械に還元しようとすればするほど返ってエロくなっちゃうんじゃないかなと。
十年以上ファンをやってるけど、今回はどうかと思った。
技術面だと、ドラムが適当(単純化)しすぎな上に、他の楽器を引っ張っていくような
前のめりなキレがなくなった。もたついてた。明らかに練習不足
ピアノもそう。Art of Lifeを楽譜めくりながら弾いてたときは悲しかった。手もぎこちなかったし。どんだけ練習不足だよ。
Toshiは変なビブラート覚えて、声を伸ばし終わったあとぶった切ったように途切れるし。もっとすーっと消える感じだったのに。
pataは、生演奏でもCDと同じ音出せるくらい安定感のある人だったのに、今日は別人のようにぐだぐだだった。
でも技術なんてどうでもいい。元からある方じゃないし。ロックは魂だから。
その魂が入ってなかった。
なんつーかもう、みんな他人事なんだよな
よっちゃんのやりたいことに付き合うはめになって仕方なく、って感じ。
当のよっちゃんは相変わらずマイペースだし、Pataも練習してこねーし
toshiも心ここにあらずな感じというか、カラオケしてるのと変わらんし。
みんな自分達のライブを「自分」が盛り上げようという気がない。他人事。ファンに
悪いとか、真剣には考えていない。まいっか俺関係ねーしって感じ。
どうにかがんばらなきゃって意気込みを感じた。
セットも昔はもっと金かけてたよ。ドラム浮いてったり。水しぶきあげたり、紙ふぶき使ったり、火使ったり。
すんげー普通のセットだったよね。
だからバンドやってる友達何人も居るけど
そん中でも楽しめてない奴が結構居るってのを知ってるわけで。
やってもいいけど変わらんと思う。
>ジミ・ヘンドリックスのスタジオ盤と、ライブ盤を聴き比べてみるといいかもしれない。
それ耳に頼ってるじゃないっすか。
確かにライブ盤の方が好きな事が多いが
スタジオで弾かせてもらったことはあります。
そこそこ楽しかったけど、それまで。
そりゃ楽器弾くのが楽しいから、演奏していくうちに演奏方法も変わるのは当然でしょう。
同人誌とか買った事無い。
オシリペンペンズは見てて面白いけどね。
とにかくノれないのさー。
吉祥寺ぐらいがちょうどいい気がする。
でも、ま、方面によって方向性が違うのはどこの町も一緒。
駅の中心からはどこも同じようなアクセス度だけど、
飯屋街にいった後に電気街にいこうとするとやっぱり相応に移動しなきゃいけない。
大きな電気屋があって、オタク屋もあって、服やもあって、あれこれちゅうと…難しいかもね。
つか、秋葉でいいじゃん。
隣のお茶の水に足のばせば飯屋、楽器屋あるし、有楽町のほうに足を伸ばせばおしゃれタウンだぞ?
あれか。逆か。
地下街が無いのはどうしてなんだろうね。
こっち育ちなんだけど福岡とかにいってびっくりした。なんだこのアンダーグラウンドワールドは!と思ったよ。
東京が地下街がばらばらなのは地盤が弱いからかな?
23区の殆どは江戸時代に埋立たところだし。掘ると水がでてきちゃうとか?
か、既にそこに住んでたり、権利をもっている人がいて低深度の工事ができなかったとかかもしれん。
平成9年から営業していた川崎ルフロン9Fの紀伊國屋書店が1月31日をもって閉店していた。
オレが生涯でもっとも多くの本に親しんだ場所。オレの貴重な「思考する場」の一つだった。
*はてな「思考する場」とは 時に壮大な妄想にふけったり、記憶のあれこれを整理したりするところ。
主にお風呂場やトイレなどで、作家にとってなくてはならない場所。
だがオレは一昨日(2月18日)まで紀伊國屋が閉店していたことに気づかなかった。
今でも信じられない。
*はてな「一昨日のオレ」 4日ぶりに外に出た
なんでイエローサブマリン(9Fにあるディープな玩具屋)に行ったときに気づかなかった?
そこに紀伊國屋の閉店を告知するかんばんが立っていたはずだ
だがオレは読まなかった
まさかあそこにあんな重要なことが書いてあったなんて・・・。
オレの大好きなライトノベル、「キノの旅」や「しにがみのバラッド」、「とらドラ!」「狼と香辛料」と出会ったのもここだった。
最後に買った本は「狼と香辛料 VI」と「GLITTER」かな?
立ち読みだけじゃなくて買っとけばよかった
約10年か、もっと昔からあった気がするよ
最近、忙しくて、そして嫌なことばかり続いて、部屋にひきこもってばかりだったのがいけなかった・・・。
ひきこもってなかったら、もっと早く閉店に気づいていたのに
もっとながく紀伊國屋にいれたのに・・・
紀伊國屋がなくなったなんて信じられない
そうやって買ってもらった本の数々が本棚からこちらを見ている
川崎駅前もずいぶん変わった。ラゾーナ川崎が駅前を大きく変えた
現在「あなたのウェアハウス」がたっている場所にあった、いつ潰れてもおかしくなかったコジマがあっただけだ
*はてな「川崎のあなたのウェアハウス」とは コジマの跡地に建てられた廃墟ふうの大型ゲームセンター。
子どもは入れない。かんばんの女の子が何気に可愛い。店内は中国!
*はてな 「オレの記憶力」 川崎駅前の錆びてボロボロになったナショナルの乾電池の自販機はいまどこにあるの?
わすれがちだが、ラオックスだってあったんだぜ
現在のウェアハウスの前にある大通りの坂道をまっすぐ行くとそこには桃源郷がある。
そして親子は道をまっすぐ進み川崎温泉(そんなような名前の銭湯)を目指す
オレの記憶の中には陸橋をくだってまっすぐいった先には銭湯がある。
細かい道は忘れたが、とにかくあの坂の先をまっすぐいった先には銭湯がある!
一昨日、親父とケンカした。
ケンカといってもオレが一方的に殴っただけだが…。
オレはおもむろに近くにあった椅子を持ち上げた、そのとき親父は自分に椅子が投げつけられるんだと思ったみたいで
その時の恐怖に歪む親父の表情が頭から離れない・・・。
そんなオレも今月20歳になった
飲んだくれになった親父とはもう全てが合わない
<< 川崎温泉にもいつの間にかたどり着けなくなっていた >>
昔はあんなすごいのじゃなくて
モザイク式のかんばんだった。
モザイクでピンとくるかなぁ?
サイコロみたいのが壁に埋まっていて
まるでルービックキューブの面をそろえるように四角いドットがカクカク動いてかんばんが変化する
「カッ!カッ!カッ!カッ!」
「・・・」
「カッ!カッ!カッ!カッ!」
一定のリズムで、お決まりの音とともに、今日の天気とか競馬情報とかを表示するんだ。
ドットがいくつか欠けててね。そこだけ動かないんだ
エスカレータを下っていくうちにかんばんが角度的に見えにくくなって、緑色とかオレンジ色が目立つんだ
「カッカッカッカッ」というかんばんが変わるときに発する音
いまでも鮮明に思い出せる
<<< 昔の川崎駅前といえば西武百貨店とさいか屋のツートップ >>>
ドリキャスもってなかったけど、買いそうになった。あれ、限定版のパッケージめっちゃでかいんだよなぁ
たぶん今でも売れ残ってると思うわ
紀伊國屋がなくなったおかげで、ますますあのビルに行く理由もなくなった
1Fから4Fのヨドバシにはこれからも行くだろうが、それより上の階はFrancfrancに行くぐらいか・・・
紀伊國屋がなくなったおかげで、ますますあのビルに行く理由もなくなった
オレにとっての今のさいか屋のようにあのビルにも行かなくなっていくだろう
エスカレーターのところにあるキティちゃんのポップコーン製造機で何回つくったことか
オレは塩だが、弟はバターなんだよな
最後にさいか屋におとずれたときにはまだあったキティちゃんのポップコーン製造機ははたしてまだあるのか...
もっとローカルネタになるとヌマヤの屋上のゲームセンターでオレは常連だった
じいちゃんと週に2回以上、遊びにいったよ
アフターバーナーをやりまくった(一回50円)
あれは、なぜか最後までクリアするとコンテニュー用に投入しておいた50円がどっかいっちゃうん・・・だ。
*はてな 「ヌマヤ」とは 今では普通の服屋。当時は玩具屋もあった。じいちゃんと出かけたときの昼飯はいつもヌマヤのラーメンである。
現在のCDショップは、少し前までは大人向けホビーショップで、その昔は普通の玩具屋だった。
子どもだったオレには、そのディープ感がある品揃えには満足できず
もう一つの玩具屋によく行っていたよ
一時期、その玩具屋の前にプラモ屋までできた。すぐになくなって服屋にかわった。
スカイパークという屋外の遊び場もいつの間にかなくなってたなぁ
滑り台付きジャングルジムを何個もひっぱってきてつなげて
よく要塞とかつくったなぁ(はた迷惑なこどもだ!)
はてな 「スカイパーク」とは 正しくはスカイコートであり、現在もしっかりと川崎Be、5Fに存在する遊具施設である。
駅ビルに買い物に来たママさんたちはここに子どもたちをあずけ、買い物や社交にはげむ
今では駅ビルの5Fは文房具屋によるだけ
6Fの有隣堂に寄るためのただの通過点になってしまった。
P.S. 楽器屋はいつまでもそこにあってください。友だちがこの前ハーモニカを買いました。
それほど、川崎駅前周辺はオレの生活の一部、テリトリーだったってわけよ
神さまもしっかりと見ているようだ。東口が廃れる番がやってきたのだ。
オレは記憶を文章にすると、忘れる癖がある。昔の駅前の雰囲気や思い出も、そう遠くない未来に忘れてしまうことだろう
<<<で、昨日、スーパー「しりげや」というのが気になって>>>
「かんなぎ」というマンガが読みたくなったんですね。そいで川崎中の本屋をまわったんですよ(ラゾーナを除く)
*はてな 「しりげや」とは スーパー「しりげや」のテーマも歌えます!
どこにも売ってないっす
そもそもコミックREXのコーナーが見つからない
4巻は売ってるのに!!
これが紀伊國屋だったら話は違った
オレは紀伊國屋書店でのREXの位置は把握している
明日、おとなしく川崎のアニメイトで「かんなぎ」を一巻から買いに行こう。
友だちがバイトしてて行きにくいんだ。
え?ラゾーナには行かないのか?って
オレの親父はラゾーナで働いてるん だ。
とある楽器を習っているんだけど、同じ先生に習っている方から、嫌がらせうけてます。
それが、最初に出会ったときから!!!
初対面からって、どーゆーことさっ!!
思い返してみると、その嫌がらせしてる人は、楽器を習う以前から私の事を知っていたのです。
(私は相手を知らなかった)
だからって、なぜ わ・た・し?
その初対面から3年以上過ぎた、ある日の発表会に楽器にいたずらされました。
そのやり方も実に巧妙。 ・・・どうしたらそんなこと思いつくんですかっ!?
ま、演奏自体はそれほど支障はなかったです。
さて、発覚した後、他の生徒さんほとんどは私の味方でしたが、教えている先生はそのいたずらした人の味方・・・。
さらに、その先生はいたずらした人がそんなことをするはずがないと、完全に思い込んでいる。
なんで、そー思う?
私は何もしていないのに、というか完全に被害者なんですけどー、わたし。
そんなこんなで、怒りおさまらず。。。
この世の中どーなってるの?
やっぱり真面目に生きている人間が馬鹿をみるのがこの世の中の仕組みなのかしら?
そいうことは認めたくありませんってば!
あーあ。。。。
つまらない愚痴を書いてしまいました。
読んでくださった方、すんません&ありがとう
追伸:
怒りをおさめる方法はないかと、ネットサーフィンしまくりました。
あるページに、こんなのがありました
「怒りがおさまらない時は港に行きましょう。」
「いかりを沈めに」
・・・・うーん。あまりにも馬鹿らしくて、少しだけ怒りが沈んだかも。
でもね??
エスカレーター式私立中学校に通う男子のプログラミング独習記。(Scheme/DrScheme)
本来高校受験を目の前に控えているはずなんだけど、怠けの坊ちゃん学校にはそんなものもなく教室の空気は緩んでいる。
3年前になんだかんだで部活動に入りそびれた僕は、際立ってダラダラなカテゴリに属す。
ベタにギターをやってみたり、携帯のオンラインRPGにハマったり、プロフで女の子と会ってみたけどあまりしっくりこない。モバも飽きた。
唯一ハンズで買った財布づくりキットみたいなヤツをきっかけに革を触って何か作ったりするのは続いてる。革の裁断面を磨きまくるコバ磨きをしていると何故だか落ち着く。
僕のことばかり書いてても仕方ないな。で、なんか中学生活で達成したとかそんなの全然ないし、高校生活に胸をときめかせるとかもなくて。
それじゃああんまりだと言う事で、何か新しいことを始めたいなぁと思ってたんだ。
ちょうど親がプログラマーで、(全然パソコンには詳しくないけど)モノをつくるのも好きだし、やってみようって気になった。
昨日親に話してみたら、Structure and Interpretation of Computer Programsっていう本を勧められて、MITっていう大学(?)のサイトで見てみたけど難し過ぎた。
ってそのままお父さんに言ってみたら今度はHow to Design Programsっていうもっと入門編の本を教えてくれて、これ以上簡単な解説書はないからもうこれでわからなかったら諦めろと。
なんだか悔しいし、どうにかしてモノにしたい。早速MITのサイトから100ページ分ぐらいダウンロードしてみた。
親に聞くのもイヤだし、(いつの間にかできるようになってたい)2chもそれ関係のスレはマニアック過ぎて謎過ぎたからここで書いてみる。
書いてることが間違ってたらぜひぜひ教えて欲しいです。
今日は最初の12ページ分。なんかプログラミングって何?とかプログラミングを学ばなきゃいけない理由とかが書いてあった。
プログラミングって、職業的なスキル以上のものになってきてる。
すごく楽しいし、創造性のはけ口になるし、抽象的でふわふわしたアイデアを目に見える形で表現できちゃったりする。
(このアイデアを形にする手段、っていうのはなんかイイなと思った。やっぱりなんかひとりでモノをつくれる人は尊敬できるなぁ。)
プログラミングはクリティカルリーディング、分析的思考、創造的統合(?)、細部へのこだわりを教えてくれる。
(創造的統合って何だろう?creative synthesisっていわれるとイメージはできる気もするけどうまく言葉にできない。
複雑なものをformingするってことだよね。多分...)
さらに何がイイかって、すぐにフィードバックが返ってくるところ。
冒険的、実験的になれるし、自己評価もできる。達成感を味わうっていうのもあるみたい。数学のドリルをするより全然。(確かに目に見える何ができるって励みになりそう)
この本ではプログラミング言語の細かいところとかにはあまり触れずに、デザインプロセスに焦点を当てる。
つまり問題定義からオーガナイズドされたソリューションまでの一連の流れについて語る。
2つのイノベーションがこの本にはあって、以下。
まず一つ目。今までの本は抽象的でクソみたいな定義の提案しかしてこなかった。例えば「デザインはトップからボトムに」とか「構造的にデザインしろ」とか。
この本には明確なステップがあって、読むこと、分析すること、組織化すること、実験すること、システマティックに思考することを学べる。
二つ目は、初心者向けのプログラミング環境であるということ。既存の本は周りにプログラミングのプロがいて、すぐにその人に質問したりできることを前提に書かれていた。
この本はそういった意味の分からない前提は捨てて、独習できるように設計してある。
1. 問題のデータのかたまり(problem dataってなんだ?)を記述する
3. 挙動を図にしてみる(例をつくる)
4. プログラムの型(program templateってなんだ?)やレイアウトをきっちりつくる
5. テンプレートを変形して、完全な定義をつくる
(なんかプロセスとしてはわかりやすいけど、抽象的でプログラミングしたことのない僕には雲をつかむような感じ...
inputデータの記述からどうやってprogram templateが得られるんだろう?1→2がよくわからない)
1. ある数とある数を関係づけること
2. 名前の代わりに値を用いることで、関係を評価する
ってこと。(これもわかったようなわからないような。1はinputとoutputの間の話?2は数値化するってこと?)
最初はトラップやドリブル、パス、シュートの仕方を学んで、次はあるポジションの役割を学んで、戦略を学んで、どの戦略を選ぶかを学んで、時々新しい戦略をつくったりもする。フィットするヤツがない場合はね。
彼らが楽器の技術や書く技術、建築の技術を学んでアイデアを形にするように、プログラマーもプログラムを学んでモノをつくる。
この本ではSchemeというプログラミング言語を使う。開発環境はDrSchemeで行う。
ただこの本はSchemeの解説書ではないから、Schemeの構成概念の6つだけを使う。
function difinition、application、conditional expressions、structure definition、local definition、assignmentsだ。
---
とりあえず1回目はこんな感じ。
まだ全然良く分かってない。ただ親が使ってるのがlispっていうプログラミング言語で、Schemeはその方言みたいなものってことは今調べてわかった。ふーん。
まだ何がわからないっていうか全部わからないので、アドバイスのしようもないとは思いますが、最初はこれやっとけ!とかこのサイト読めとかあったら教えてください。
何かと不器用なことで悩んでいる。
まず、体育。球技がだめ。ボールをうまく扱えない。サッカーも小3で始めたが1年もたなかった。気がついたら感じる劣等感。
バレーでボールが飛んできてもうまく返せない。なぜかボールがまっすぐ上がらない。なぜかサーブが入らない。
サッカーで飛んできたボールをうまくトラップできない。見当違いな方に蹴ったボールが行く。シュートなんてもってのほか。
バスケなんて論外。あんな小さい輪っかに入るわけないっつうの。だいたいドリブルができない。ボールがついてこない。
当然他の種目もダメ。短距離走だけは平均ぐらいあったから何とかなったけど、長距離走なんか下から3番目から5番目くらい。
器械体操系はちょっとできたけど、別にめざましい活躍をするわけでもなく。
あと、カナヅチだった。中二のときは「生物は進化し陸に上がったのになぜわざわざ退化する必要があろうか」などと言っていたなあ。
図工、あるいは美術。
どうやったら絵が描けるのか分からなかった。大してやっていることは変わらないだろうになんであんな作品の質が変わってしまうのだろうか。
裁縫、ミシンなどは必ず残らされていた。終わるの後ろから3番目か5番目くらい。出来も下から3番目から5番目くらい。
先生の注意を反芻してしっかりやろうという意思はあるはずなのに、できない。
思うように手が動かず微妙にずれる、もしくは何かしら注意点とかやり方を忘れてやってしまう。
さらに、気がついたら作業が遅れている。友達と一緒にやっているように見えて、気がついたら二倍くらいの差がつく。
遅い上に雑でしかも回りにやり方聞いて迷惑をかけるという最悪な奴だ。
調理実習は野菜をとってくる、プリントを引っ張り出す、フライパンを洗う、箸を洗う、皿を洗う、そういうことしかしなかった。いや、できなかった。
音楽。これはもうちょっとましだった。小2からピアノを始めていたからだ。1年でやめてしまったが。
しかし、ましだというだけで、別に何もなく。
リコーダーは、指が回らなかったか音がちゃんと出なかった。まあ、それだけならみんなそうだから別に平均くらいなのだが、なぜか「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」を持っていたためにプライドは高く、ちょっとできないだけでずいぶんな劣等感を感じた。
そして、音痴だった。音を外す。歌っていると気がついたら音が外れている。「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」は歌には効果を発揮してくれなかった。リコーダーとか音がはずれるとそれを敏感に感じられたが、歌だと何も感じなかった。
中学に入って吹奏楽部に入って楽器を始め、結構頑張って楽器に関するコンプレックスはできずにすんだが、歌うことにおける音痴は直らなかった。カラオケなんかとんでもない。
授業だけでない。他の場面でもそうだった。
休み時間にするあやとり、折り紙。全然出来ない。あやとりなんかさっぱりだし、折り紙も、まず紙を半分にしっかりできない。裏側の白いのがはみ出る。どうやったらそうならずに折れるのか皆目分からない。
スキー、スケート。家族みんなができるのに自分はできない。中学のときに、4つ下の弟は思う存分滑っているのに自分は全然できなかったという記憶が残っている。
あと、自転車が乗れない。気がついたら乗れないままだ。
プログラミング。中学時代、周りにオタクが多かったんだが、彼らのうち何人かがプログラミングを始めた。自分も始めたが挫折。なぜかエラーが頻出する。周りはそういうこともなく形になっていった。
ゲームも苦手だ。対戦ゲームは最初っからへただし上達も遅い。後から始めた人の方がすぐうまくなるからやる気をなくす。ボードゲーム、カードゲーム、テレビゲーム問わず。
文化祭の準備で木材を切ったり、塗ったりするのも自分はできなかった。あまりに遅いし、あまりにできあがるものの質が悪いからだ。
とりあえず娯楽という娯楽、作業という作業において人より遅く、質が悪かった。
勉強だけはそこまでひどくなかった。
だが、これらのコンプレックスは消えない。何をやっても他人に劣る。
他人(いわゆるステレオタイプとしての一般人)よりできることは、まあ楽器がちょっとできるというだけだろうか。
でも、プレゼンテーションとか演説とかは得意。初対面となかよくなるのは得意。
しかし、人と比べると、当然のようにできることが出来ない上にしゃべることしか能がないのは本当にどうしようもない人間。さらに、病弱だとか家庭環境が悪いだとかのハンディキャップがあるわけではない。
悲しくなってくる。
このような悩みを共有できる人はいないのかねえ。
とりあえず聞いてほしくて増田に書いてみた。
何が悪くてこうなっちゃったんだろう。幼少時にずっと図鑑読んでて絵本も読まず折り紙とかそういうことを全くしなかったからか?
それとも、何事も続かない性格だったからか?
迷惑なことに生徒全員に部活動が義務付けられてた上に、テキトーにだらだら過ごせるようないい加減な部活は一つもなく、毎年コンクールや大会を目指して時期が近づくと朝練やら下校時間引き延ばしての練習やらが行われるような部活動ばかりだった。
運動神経皆無な上、体育会系の厳しい上下関係が大の苦手だったので消去法で吹奏楽に言い訳程度に弦楽器のついたような、名前だけのオーケストラに所属することにした。オケというのもおこがましい20人前後の部員で、なんとか室内管弦楽の規模で活動してるような部活だったが、うちの中学の学区内の端っこになかなか実力のある管弦楽部のある小学校があり、そこからやってきた子達の熱意はそりゃーもうすごいものだった。それのおかげで管弦楽部はそれなりに大会出場なども果たしていたのである。
その中で私と同学年だった一人に、まさに期待の星というようなバイオリン弾きの男の子がいた。背は私より15センチも小さくて、だけど目がキラキラしたかわいらしい美少年だったので、地区では結構な有名人だったようだ。
私は顧問の采配で、学校から貸し出されたバイオリンをぎちぎちと弾くことになった。最初は結構面白がっていたけれどだんだん面倒くさくなっていって、結局お義理で顔を出して弦と弓で不快な摩擦音を発するに過ぎなくなっていった。夏休みの練習もちょろちょろとサボっては顧問の先生や部長に叱られたり文句を言われたりと典型的なダメ部員になっていた。
それでも人数は少ないので大会が近いともなれば総動員される。何を間違ったか人数合わせで第一バイオリンで例の期待の星と組まされて、嫌気が差してたというのもある。彼の自前のバイオリンの艶やかな美しさといったら、そしてそこから奏でられる音色といったら。元から消去法で選んだ部活である、それに食いついてまで努力しようとは思えなかった。
なので冒頭にあるように呼び出されたときも、あー、またお小言か、とうんざりしながら職員室の扉をノックしたのである。
「手紙が来てるよ」
と先生は言った。見れば学区外ではあるが大会での地区は一緒になる中学の名前が、形の整ったきれいな文字で書いてあった。細いボールペンで書かれた端整な文字だった。封筒はシンプルで品の良い、かわいいデザインのものだった。そこでノートや便箋を集めるのが好きな私は、その手紙に少し好感を持ったのだった。
「××中学の管弦学部の子で、文通したいそうだよ。女の子だし楽器もバイオリンの子みたいだから、あなたが返事を書いたらどう?」
・・・確かに、私の学年でこの部活に所属してる女子は私だけだった。
とりあえず返事を書いて投函したら一週間もしないうちに返事が来た。今度は別の便箋だった。やはりセンスのいいデザインの便箋に、変わらずカチッとしたキレイな字で、小学生の頃からバイオリンを弾いてること、それがとても楽しいということ、そろそろ大会が近いから会えるといいね、など丁寧に書いてあった。
私もメールセットを集めるのは好きだったので、こちらの部活の状況や、課題曲はどうしてるか、中学から始めたばかりでまだまだヘタだから笑わないでね、など書いて投函した。また一週間と経たずに返事が来た。また別のかわいらしい便箋で、字は変わることなく端整だった。
部活の様子は?どんな子がいるの?
全国大会で撮った部活のみんなの写真送るね。そっちも送ってくれると嬉しいな。
私が返事を出せば必ず一週間以内に返事が来た。同じデザインの便箋を使うことなんて一度もなかった。
しかし、私のほうは疲れてきてた。元から部活に熱心だったわけじゃない。そんな調子じゃバイオリンの腕なんて上がるはずもなかったし、そのせいで更にやる気が減退するという悪循環の中にいた。三年生に上がってから部長になった期待の星君とは、私が不真面目なせいで諍いが絶えなかったし、手紙を書くのも途切れがちになっていった。
結局、私が一ヶ月に一度の手紙を四苦八苦して書くと、相変わらず丁寧で明るい内容の返事が一週間もせずに舞い込んでくる、そんなことを高校受験直前まで続けて、進学と共に自然消滅した。
ここから先はその数年後の話になる。
久し振りに中学時代の友人数人と会って、あれやこれや喋っていた時のこと。
「ねー、あの子知ってる?」
と、私の文通相手の子の名前があがった。
その高校はオーケストラ部が盛んなことで有名で、我が部の期待の星君もそれを目当てに進学を決めたという。
「あの子、期待の星君にべったりでさー」
「同じ中学の子に聞いたら、中学の頃に地区大会で見かけてからキャーキャー言ってたんだって」
・・・・・・それってつまり。
うわー、と頭を抱えたくなった。きっと文通相手の子は勇気を振り絞って、期待の星君と文通したくて手紙を出したのだ。彼以外にバイオリン弾いてる同学年の人間がいるなんてきっと思ってもいなかったのだ。それが何をまかり間違ったか、その子の好きなバイオリンをいやいや弾いて、その子の好きな男の子と顔をあわせりゃ喧嘩ばっかりして、挙句に丁寧な手紙まで重荷に思うような女が手に取ってしまうとは、夢にも思わなかったに違いない。
あー、部員の写真をほしがってたのもそういうことか・・・期待の星君の写真がほしかったんだろうな・・・。
勿論今となっては確認する術もない。それでも自分は邪魔者だったんだなと思うと胸の内に冷たい風が吹く思いだ。
けどね。
と、一つだけ言い訳しておく。
期待の星だったあいつと文通できても、あいつは字は汚いし、バイオリンのこと以外は何もかも面倒くさがって途中で放り投げるようなヤツだったからきっと三往復も続かなかったと思うよ!
期待外れの相手とだらだら続けるのと、どっちがマシかはわからないけどね。
使ってるスケールの問題じゃね?
普通、西洋はダイアトニックスケール使うから、このイントロみたいな使い方はしない。
西洋風にやりたいなら、この音配置は逆。
この順序でいきたいのだったら洋楽なら、ここは半音下の音をつかうはず。
じゃないと次のコードにいけないからね。
同様にBメロのところは、
ピッチベンドで西洋音楽ではいっちゃいけない所に音を飛ばしている。
あと、微妙に12音階外れた音いれてるのもオリエンタルを感じさせる要因なんじゃないかな。
イントロのこの単純な刻みもDTMなのにわざわざアタックだけずらしてるよ。
ほら貝を吹いたときみたいな音の変化というのかな。
そういう工夫がされてる。