はてなキーワード: 明朝とは
辞書編集者の飯間氏が指摘したのは「PCで使用されるようなフォント丸出しの字体を大河ドラマで使うのはどうなの?」ということなのだが、その反応を見るといくつか誤解しているコメントが見られる。
1.「幕末に明朝体って……」→明朝体は当時にもあった。指摘されているのは当時なかった字体(花燃ゆで使用されたのは小塚明朝と言われている)が使われていたということ。
2.「小道具の古書の題字がフォントを打ち出して印刷しただけって…」→そうではない。ドラマのキャプチャー画像と小塚明朝で打ち出した「海防臆測」を見比べれば分かるが、ところどころ異なっている。ハッキリ分かるのは「防」の4画目。小塚明朝を参考にして綻びを入れながら美術が書いたと思われる。ハム速のコメント欄には字体の違いからハッキリ「小塚明朝ではない」という意見もあるが。
どんな字体なら文句でなかった?
PCで使用できるフォントでも当時使用されていたような楷書体だったり康煕字典体があったりするので、それを元に小道具の書物を作れば良かった。
当たり前の事ではあるが、現実はドラマのようには美しく出来てはいないし、努力が必ずしも良い結果に結びつくかどうかは
わからないのも当たり前であり、才能溢れる者の周りにはいくつもの才能はあるが上手く開花できずあぶれた者やそもそも才能すら
持ち合わせていなかったもの、途中で挫折した者達の屍が横たわっているのが現実というものであり、何の才能もない者が突然
誰かに可能性を見出されて、半端な努力で功を成すなどというのは稀有な物語にすぎない。
大抵の人間は何の才能もなく、平々凡々である。あるいは低能のどちらかである。だから大抵の人間はドラマのように「夢を追う」
ような生き方をしても、報われず、そればかりか平々凡々に生きる者や人並みの幸せに並々ならぬ嫉妬心を抱いてしまうばかりで、
不幸になるばかりである。
かといって現実は悲劇の物語よりも残酷であるか、悲劇的であるかといえば、そうではない。
もしそうだと客観的にみえるのであれば、それは大抵は本人の気質の問題(思考の癖や家庭環境、経済状況その他)からくる
様々な問題が絡まって本人をピアノ線で体を軋ませるようにがんじがらめにさせているだけであって、あるいは社会環境が
本人に悲劇の物語をもたらしているだけである。だから悲劇の物語のような「人生」は現実には存在しない。
もし存在していたとしても、それは本人の気質的問題や社会的問題が未解決となって本人を苦しませて、そして悲劇の物語…
ひいては悲劇の人生を本人に歩まざるをえないようにしているだけであって、大抵の人間は平々凡々であるから、悲劇の物語の
主人公になる事すらできない。
では、もし自分が悲劇の物語を歩んでいるとすれば(そう感じているとすれば)、それをどう打開し、より良い人生を歩むように
舵を修正していくかについてであるが、それは悲劇の人生の因子となる事柄を一つ一つ解決してけば良いのである。
本人の気質的問題であれば、心理学的アプローチに頼ってみるもよし、家族や自分ともう一度向き合ってみるもよし、それこそ
モラトリアムや空き時間をどうにか捻出して、自己の内面的性質を今一度認識しているのも有効な手立てと言えるだろう。
社会環境が悲劇の人生の因子であれば、その問題やその類の問題に対して先人がどのようなアプローチでそれらを解決したり、
どう現実を折り合いをつけていったかを学ぶべきであろう。あるいはデモ等を参加、企画する等して社会に対して直接訴えかけて
みるのも問題解決の糸口になるであろう。
そうやって直面している現実的問題と向き合い(何も一度や短期間でそれらに全て向き合う必要はないが)、一つ一つ解決への
アプローチを探っていけば必ず悲劇の物語の人生からは脱却できるであろうし、きっと幸せを手にすることができる。
幸せと一口に言っても種類は様々ではあるが。であるが、本人が幸せと感じればそれは紛れもない幸せである。
自分の幸せと思う感情を、他人の推量によって「それは不幸せだ」と言葉を殴りつけてもいい理由等一つもない。
我々は幸せに生きるべきである。幸福を、いや、楽しさをもっと追究すべきである。そうすればこの国はもっと精神的に豊かに
なるだろうし、その大人の背中を見た子供は、その背中から教科書には載っていない「本当に自分を幸せにする生き方」を
学ぶ事ができるだろう。そうなればこの国の未来は明るい。
いや、明るくないかもしれない。だけれどもその背中を見た子供達は、きっと幸せな未来、社会を築きあげることができるだろう。
だから書を捨て、町へ出よ。町へ出て、現実と人生の楽しさにもっと向き合うべきだ。そして家に帰れば、本を読むのもよし、
インターネットを介し顔も知らない者と交流するもよし、拙いながらも自分の作った料理に舌鼓を打ったり、母や恋人の作る
料理に愛情を感じるもよし。そうして夜になれば、やりきれない者はぽつりぽつりときらめく星空に自分を重ね、涙し、明朝の
空の美しさに明日への希望を見出す、そんな人間的で感情的な生活を、我々人間はもう一度取り戻すべきである。
いや、取り戻すべきなのだ。