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おそらく似たようなエントリーが山ほどあるだろうが書かないとやっていられないので書く。
どハマりしている某ジャンルのコミカライズ第1話が、つい先日雑誌に掲載された。
こんな薄っぺらい話書いてお金もらってんのかよ脚本家。いい商売だな。
おそらく新人さんが公式に絵柄を寄せて描いてくれているのだろうし、スピーカーが出現するシーンは不気味で最高だった。
自分が許せないのはストーリーの拙さで、もう本当に一周回って全人類に読んでほしい。そんでこれを面白いと思う人はどこが面白かったのか教えて?キャラ萌え抜きの物語としての魅力があるとは口が裂けても言えない出来だったと思うし、しかもそのキャラ萌えも特にない。魅力が全くない人々が大好きなキャラクターの名前と容姿で出てきただけ。誰だお前。まじでシナリオ担当の脚本家は自分の無能を恥じろ。たった数ヶ月の制作期間しか与えられなかった楽曲提供のラッパーの方々のほうが、コンテンツ立ち上げから関わってる脚本家よりずっとキャラクターのことを考えてるんじゃないか?
なんかほんとコミカライズに対してたくさん文句あって増田にクソ長文で書いてやるって思ってたけど、いざ書き始めたら虚しさがやばくなってきた。寝るか。
先日雑誌コーナーで雑誌を読んでいたら、通りかかった店員に「たちよみはやめてくださーい」とかなり感じ悪く注意された。
確かによく見てみるとコーナーの上に「立ち読みはご遠慮ください」と書いてあった。でも他のコンビニでは立ち読み禁止なんてあまり見かけないし、立ち読みが防犯に役に立っているという話も聞いたことがあったからなんの疑問もなく俺は立ち読みをしていたわけだ。
俺も悪いが、店によってシステムを統一しておらず、その告知方法にも不備があるコンビニ側も悪いと思う。そして一番悪いのは、そういう状況を全く理解せず感じ悪く注意してくる店員だろう。注意するなら「当店は立ち読みはご遠慮いただいているんですよ、すみません。」とかいろんな言い方があるだろうに、なんで底辺層丸出しのコンビニ店員ごときに感じ悪く注意されないといけないのか意味がわからなかった。
前に北海道のコンビニで店員に注意されて逆上した中国人夫婦が逮捕されていたけど、コンビニ店員やってるような底辺は口の利き方すらまともに出来ないから逆上されて当然な部分があるように思った。社会である程度の地位につくと「注意される」ということがそもそも減る。そんななかで自分より社会的地位が相当低い奴に注意されたらそりゃ逆上することもあるだろうよ。
浅野はこの漫画がすごいに選ばれた作者だし世間では人気があるようだ。
mixiなどでも彼が中高生から絶大な支持を受けている様を観察できた。
自分でもその理由がわからなくてなぜこんなに嫌いなのか不思議だったのだが
先日雑誌で彼の新刊のレビューを読んでその理由がストンとわかった。
その雑誌のレビューには「昔の彼女とヤってしまったような、若者なら誰でも持っている憂鬱さ」
が浅野の漫画に通低してるという趣旨だった。あぁ、僕はこういうファッショナブルな憂鬱さが大嫌いなのだ。
こういう憂鬱さを感じられる若者は彼女をつくることができるという、人格が壊れない程度の安全な範囲で悲劇を消費している。
といっても僕は30で彼女いない暦年齢といった危険な範囲の悲劇を経験しろ、といってるわけではない。
そんな経験ができるのはある意味限られた人間だけだし、不幸なら不幸なほどエラいという認識も好きではない。
「自分には何かが欠落していて、それを埋めるために漫画を描いてる」
と浅野は書いていた。読者も自分の中の欠落したものを埋めるために彼の漫画を読むのだろう。
だがその欠落したものとは、実は欠落したままでも人生にほとんど影響がない。
それは絶対に硫化水素や秋葉原トラック無双にまで至らない、安全装置のつきの欠落にすぎない。
にも関わらず浅野や読者が自分の(爪の垢くらい取るに足らない)欠落へとナルシスティックに"耽溺"している様がたまらなく気持ち悪いのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20070225092633
欲望とは他者なしでは成立しないし、発生すら危ういというのを聞いたことがある。
人に評価されることを追い求めてる人もいるけど、ひとりよがりで済むというのはありえないのではなかろうか。
例えば何かすんごい発見なり発明をして「すげーおれって天才!」と思っても誰にも認められなかったとしよう。
で「おれが満足してるからこれでよし」と思ったとしよう。
で、後日雑誌かなんかで自分のアイデアが発表されてて「あ、実は発見済みだったんだ」とか「おれのアイデア盗みやがって」とか「あ、おれと同じこと考えてる人がいる」
とか思ったとしたら、そこには他者が介在してるわけで、「おれ」一人だけの世界ではないと思う。
「おれは人の評価が気にならない人間だ」ではなく「おれは人の評価が気にならない人間になりたい」という欲望のようなものを感じた。
そもそもここにコメントを残す人たちは多かれ少なかれ他人の評価に反応する人たちだと思う。