はてなキーワード: 愛読書とは
http://anond.hatelabo.jp/20110816003454
この記事にかかれていることにほぼ完全に同意だ。
というのも僕はブラック(おそらくうちの待遇を世間から見ればそうだろう)企業を経営している。
もちろん、好んでブラックにしているつもりはない。
できる限りみなには定時で帰ってほしいし、僕の愛読書は「残業ゼロの仕事術」だ。
仕事が終わらなければ、それは仕事量のほうが問題であって、それを残業で解決するのは
おかしな話だから、すぐに上司もしくは自分に相談してほしいと言ってある。
もっとみんなにな仕事以外の幸せをみつけて、それを感じてほしいと切に願っている。
だがここでふと考えた。
当然あぶれる。
その分の売上はもちろん後ろ倒し。
期で考えれば、それらは売上にならない。
現状の待遇で赤黒トントンのところで経営している当社としては、おそらく
赤字に転落するだろう。
困るのはだれだろう。もちろん僕も困るが、それは僕がまいた種なので構わない。
ブラック企業なんて根絶されればいいのに、そうならないのは明白な理由がある。
そこに勤める人がいて、そして自らをブラック化していくひとがいるから。
そうしないと生きていけない人がいるから。
ブラック企業の中には一部の経営幹部が私腹を肥やしているがために、ブラックに
なっているところもあると思うけど、実情は、会社を存続させていくために
ブラックにならざるを得ないところが多いと思う。そんなの経営とは呼べないし、
社員のサービス残業分でわずかな利益をあげている企業など、理想論でいえば
「存在意義もないので、潰れてしまえ」と言いたいところだが、そうもいかないのでは
ないか。
ブラック企業を更生させる
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失業率悪化
もしブラックを更生させるとしたら、この問題が解決されなければならないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20101219174222
クリスマスカラーの単行本が世にあふれたころ、たしかわたしは理系の女子大生で、
世はバブルで前髪がとびでた眉毛の太い、肩パット入りスーツきたお姉さんをよそ目に
(実験が毎日深夜に及ぶため家族をまたせたくなくて3万円弱のをようやく借りた)を
往復するしかなくて、
かなりネームバリューのある大学生だからできるわりのいい家庭教師アルバイトさえ
土日のあいた時間しかできなくて、ある意味なんだかサラリーマン生活の前借だった。
その私がノルウェイの森を読んで思ったことは、そうちょくちょく人に親切を施しては
セックスなりふれあいで回収できるほどヒマで金余りな大学生が世にいるんだなという呆れみたいなことでした。
私にも統合失調やっちゃった親友がいたけれど、見舞いにさえいけず、
手紙や電話で連絡しようとしたらその子の親にもう出してくれるなといわれた(病状のためにも、だったかも)。
たぶんそれを押して学業ほっぽりだしてたら?
電車代にも困っていたのに無理だとおもうけれど、もし借金する知恵でもあったら、
今度は自分の親にその子が悪役にされ、それはたしかにそのとおりだったろう。
それにわたしには上野ちづこさんふうにいうと1本あれば便利なチンコはついてなかったからそれを利用した慰め方も(壊し方も)できなかった。
で、私はその後めでたく結婚して生まれた娘も2歳のころから活字中毒で3-4歳からひらがなは完全黙読
(お友達いわく「**ちゃんさいしょは本いっぱい読んでくれたけど最近声ださなくてつまらない」)、
小学校に入る前に薬局の「薬」をみて「たのし!」と読んでいた。
その子が五年生の担任と日記で愛読書を告白しあうにいたる。子供は文庫本の「しゃばけ」シリーズを挙げた。
こともあろうに担任はノルウェイの森をあげた。(この人アメリカ文学かぶれのイケメン50歳なんである)
実家にももちろん文庫版のそれがころがっていて、子供は青い鳥文庫といっしょに夏休みにもらってきた。
母こと私が気づいてすぐとりあげて139ページあたり読むともうこりゃダメだと。
短くはあるけれど直子と何したかそこまで正確?に描かなくてよろしいと絶望。
娘11歳の手に取るやいなやの読書は110ページあたりまでだったらしくてぎりぎりセーフ。
とりあげたついでに最後までよんだけれど、ことさらセックスだけが悪いんじゃない。
とにかくそのあともずっと周囲の人/間が自/殺しまくる話だと理解。
指折り数えていたがキヅキもナオコも遊び/人の先輩もその美/人の彼女も「自/殺した」。まるでよほど喪失をかかえたイケ/メン遊び/人主人公かまたはキヅキがそれほどうらやましいみたいじゃないか、そんな主人公も今頃は、無駄な団/塊ジ/ュニアは給料もらいすぎ、キャ/ンプいってダッ/チオー/ブンでも焦がしておけ、俺たちは車も買えないんだっていわれてるころじゃないか。なにがうらやましかろう。
なんというか、主人公は本質的によい人間なんだろうし、価値観は理解できるけど
今も昔も別にすすんで理解してあげたくない。
自分が完全に無駄な食い扶持であるという立場にきずつかない同世代の男は私をいらいらさせる。
まあ当時他にそういう小説がなかったというならそれはそのまま存在すればいいけれど。
私の旧友は紆余曲折あって結婚してネット書店をはじめていてくれた
(文芸部のワープロうちもできなくて私にまかせていた子だし、今もネットは勉強中だといっていたが)。
生きていてくれてありがとう。
追記 クソhatenaキーワードのせいで白字ネタバレ回避が利かなかった。
読んじゃった人ごめん
小学校の頃の話だ。
僕は、三回転校し三つの小学校を渡った。
僕が出会った中でもDは少し変わった雰囲気のあるヤツだった。
三年生の頃の事だ。
その時の担任は授業中にしょっちゅう脱線する、まあ割りと生徒に人気のある先生だった。
どこから、そんな話題になったかは覚えていないが「クレタ人のパラドクス」の話になった。
例の「『クレタ人は嘘つきだ』とクレタ人が言った」と言うヤツだ。
その頃の僕は「故事ことわざ辞典」が愛読書だったので、「こいつはムジュンというやつだな」くらいのことを思っていたはずだ。
Dは手を上げて
「先生、その話は誰から聞いたの?」と質問にした。
「誰から聞いたとかそういう話じゃないんだよ」と先生は答えたはずだ。
Dは少し間をおいて
「じゃあ、嘘つきは先生だ」と言った。
これはそういう話じゃないんだという顔を先生はしたと思う。今現在の僕もそう思う。
ただ、「嘘つきは先生だ」というシンプルな言葉は今でも覚えている。
そして、ムジュンを感じるような厄介な出来事に遭遇した時に、「嘘つき」はどこに潜んでるかわかったもんじゃないなと考える。
finalventさんの文章を興味深く読ませていただくことがたまにあるな、と考えていて、しかし、ほとんど書いてある事が日本語としてよく分からない、残念ながら(半分以上か)。
大変、失礼のような気もする、しかし、シンプルなエントリーということもあり、読ませていただいてるのにどうかとも思うのだが、いつもは雰囲気で読んだような気になって流していた文章ではあるのだが、今日はちゃんと自分なりに翻訳を試みてみたいと思う。
そういえばと考えてみると人生観を決定づけた一冊の本としての「ソロモンの指環」
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090628/1246181415
(翻訳始め)
つらつらと下らない事(※直前の数エントリーの事)を書いていて、なぜ私はそう考えて(※直前の数エントリーの事)生きてきたのだろうと考えてみると、「ソロモンの指環」という一冊の本に思い至った。
私は人間の性行動(恋愛なども含めて)というものを、動物のそれとして見ている。このヒトという種の特性はなんだろう?というふうに。
もしかするとそんな特性なんて無いのかもしれない。
ただ、種としての行動、特に性行動にはやはり基底となる特性があって、人間存在というのはそういうもの(性行動においてしばしば種として共通の特性を持つもの)なのだと思っている。
私は他者の性行動をおおまかに見る時は、動物の一種として見ている。もちろん、私も含めて人それぞれに違いはあるが、その違いは大したものではない。
私は自然科学少年だったので、津島佑子みたいに、芋虫を飼ったり、植物を育てたり、交配させたりという事を小学校低学年の頃からやっていた。
そして10歳までにはほとんどの生物について生殖に関する知識を得ていた。ただ人間も似たようなものだということは知らなかったので、知った時は驚いた。「うわ、人間やってらんないな、ぐへ」などと思った。
しかし、事実は事実なので、それはそういうものなのだという事にしておき、ローレンツ博士の「ソロモンの指環」などを愛読していた。
(今思うと、ノーベル賞受賞前から読んでいたと思う。)
その後、デズモンド・モリスの「裸のサル—動物学的人間像」なども読んだ。
この手のものは当時流行していた知識で、その流れの上に現れた栗本慎一郎の著作などもよく理解できた。
今にして思うと、ローレンツもモリスも栗本も、偽科学なんだけど。
もしも僕がこの本を中学生くらいで読んでいたら、もっと動物寄りの
人生を選択したのではないだろうか。
(翻訳終わり)
種というか類的な行動は特に性行動の基底にはあるわけで
人それぞれに違うし、ただ、私の違いもその程度の違いというか。
そこはかとなく偽科学
「はっきりしないがなんとなく偽科学」?だろうか。例えばローレンツが書いていた事が一部、後になって間違いだと判明した件などを指しているのだと思われる。
当方、二十九歳。OL。
小学生の頃にアトピーが体中にできて村八分に合い、そこから人間関係向上の為のスキルを磨く努力もせずに大人になってしまった。
コミュニケーションという能力において、著しく不器用。ブームに取り残されたオタクだから(BLとか楽しみ方がわかんないし、萌えるものより燃えるものが読みたい)とにかく話題のひきだしが狭くて浅い。相手が言葉のキャッチボールをしようとグローブとボールを用意してくれてるのに、私はひとりカバディをやって時間を消費させるとか日常茶飯事だし。
大勢の中にいる時の方がずっと孤独で、ひとりでいる時の方がずっと充実してる。
そんなんだから男からも女からも嫌われている。
それはそれで構わないかなぁ…と思って、どうにか暮らしてきたのだけれど、ある時なにかのキッカケで恋人が出来て、お約束のように子どもが出来た。結婚して出産して離婚した。子どもは私が引き取ることにした。
人間、やはり守るものが出来ると考え方とか価値観も変わるらしく、「やっぱり、このままじゃいけないかなぁ…」とじんわりとした危機感に襲われて、手遅れだとは思いつつも人間関係向上をはかろうと努力してみることにした。
が、ネットでよく見る「人間関係をよくするライフハック」とか「人脈をひろげるためのtips」とか読んで勉強するんだけれども、如何せん他人に興味がわかない。そして下心が透けて見えるのか、頑張って実践しても結果に響かない。
仕事も頑張っているけれど、「紙の詰まったコピー機を直すのが得意」くらいじゃ、誰も評価してくれない。
結果ばかりを追い求めてはダメだ。とにかく誠実に対応することだけを心掛けよう…とは、思ってはいるものの、やはり器が小さいのか未熟者なのか、他人と比較しては落ち込んでしまう。
いろいろな技術が進歩して、手先が不器用でも普通に生きていけるのに。人間関係が不器用だと、ちょっとした頼み事をするのにも一苦労だ。事前に台詞を考えて脳内シミュレーションして、良い結果だった場合のお礼の台詞まで考え、悪い結果だった場合の心の準備と、その後の自分の相手への対応まで気にする始末。そうやって何度も何パターンもシミュレーションした挙げ句に、「こんなんなら自分でやった方が早いな」って思って何も頼まないとか。
そんなこんなで、なんとか試行錯誤を重ねている内に、最近ある法則に気付いた。
「男は肌を見せると優しい」
本当に馬鹿みたいに単純にチョロいと思うほどに。
アトピーの傷跡が残っているところもあるので、極端な肌見せは出来ないけれどデコルテはOKだった…っていうかむしろデコルテぐらいしか見せられるところがなかったので、積極的にキャミソールとか着るようにしてみた。首筋がスラッと見えるように束ねていただけの髪もアップにして、ちょっと今風っぽくしたりプラスアルファの工夫も取り入れる。
効果はというと、これまでの試みがアホらしく思えるほどに抜群。頼み事してもいないのに、助けてもらえるようになった。気軽に挨拶を交わし、私もなんとか当たり障りのない話題をふることで会話をつなげられるまでには成長していた。
テレビを見ないので最近の芸人さんとかサッパリだけれど「教えてください」「すごい」「面白い」と言ってれば、表面上は会話が盛り上がってみえる。ただし全っ然、面白くないんだけれど。
ともかく自分は「これでマイナスをゼロにした」つもりでいたのだけれど、残念ながら「男から優しくされる」イコール「女からひんしゅく買う」ってワケで。もうテンプレ通りの展開だよね。Dカップが裏目に出た。
これでプラマイゼロ。ってことは元がマイナスだっただけに、相変わらずのマイナスだ。残念。
OLとして生きていくには同僚からの総スカンだけは、なんとか避けなければならない。個人的に好かれているかどうかは別として、仕事だけは全うに相手してもらわないと娘が養えなくなる。
だから普段は避けている、いわゆる「井戸端会議」に参加するようになった。その場にはいない人間を槍玉にあげて面白可笑しくこき下ろす例のアレ。
本当になんというか、どうでもいい内容のオンパレード。
だって自分の上司がヅラだろうが、どんなハゲ方してようが、どうでもいい。女だってシワやシミ隠しに金と手間を掛けてアンチエイジングに取り組んでいるというのに、なんで男だけあんなに笑いものなんだろう。最近はプチ整形だって広く受け入れられてきたようだし、育毛ぐらい許してあげなよって思う。営業の人がパチンコで仕事をサボっているであろう間に、それを糾弾している自分達は、仕事もせずになんっの生産性もない、こんな話にばかり時間を使ってさ。業務中に会社のPCからブランドもののバッグをセリ落とそうとしているのなんかも私は知ってるから、五十歩百歩だと思う。…と、実は自分も業務中にこの記事を書いてるわけだから、本当にもういろんな意味で、どんぐりの背比べだよね。ごめんなさい。
とにかく大勢の中で生き残ろうとすると、どうしても『自分』が摩耗していく。他人の下世話な噂を聞いたり、たとえ表面上だけだとしても、それに同調するだけで、自分の中の小さな良心が少しずつ死んでいってる気がする。文字通りに「自分を殺している」。
以上、ここまでは普段、思っていたことの愚痴。これを書いてる途中で気がついたんだけれど、やっぱり私にもまだまだ反省点はあるわけで。
どんぐりの背比べってあたり書いてて気づいたんだけれど、「男も女も、みんなくっだらない。バカばっかり!」とか憤慨してた訳だけれど「類は友を呼ぶ」ってことで、私がこんなんだから「そういう連中」しか寄ってこないんだろうね。
今まで、ずーっと天に向かって唾吐いてたってこと?
あーあ、私って本当にくっだらない。いい親になりたいのになぁ。
そこには数年間のデータをもとに、講義や講師のリストがならべられている。
講義の得点期待度、単位期待度、おすすめ度やコメントなどが仔細にまとめられたこの本は多くの東大生の愛読書であり、
受講する講座を決めるときにはほぼ必須のものとなる。
なにしろうちの大学は、2年次に学部学科を決定する時にそれまでの成績順に学部を決めていくルールとなっており、
実際人気の学科に入れないからもういちど1年生やります(降年という)という人も居るくらいなのだ。
受験に際して熾烈な競争を繰り広げた後は、まだ大学内部で点数競争をしなければいけないのだ。
本当に腐っておる。などというのは簡単だが現状がこうでありそれを変えるだけの力がない以上は良い成績をとるしかない。
かくして皆は逆評定を片手に慎重に、良い成績を、なるべく楽に取れる講義を選ぶ。
友達の話をしよう。眼を皿のようにして逆評定を読み漁っていた彼は、ある講義へのコメントに目をとめた。
「最後の授業で試験すべて前ばらし」
(前ばらしとは試験の内容を授業中などに前もって教えてもらえることである。端的に言って、参考書片手に模範解答を作ってそれを丸暗記すれば満点がとれる)
「単位期待度:A、成績期待度:A」
彼は友達をひきつれてその講義の受講登録をした。しかし来週からその教室に彼らの姿は無かった。
最後の授業で前ばらしがあるのならば、それだけ出席すれば十分だ、そう考えた彼を俺は責めることが出来ない。
楽をしたいと考えこと、それ自体は悪ではない。努力が素晴らしいのはそれがなんらかの(有形にしろ無形にしろ)プラスを生む場合である。
部屋が同様にきれいになるのであれば、手で掃除をしようが掃除機で掃除をしようがそこに本質的な差は無いのだと思う。
そして講義最終日がやってきた。今日だけはひとことも聞き洩らさず講義を聞こう、そう思って彼は教室に赴いたそうだ。
教官はいつもと変わらず淡々と授業を行い、冬学期のその講義は試験を残すのみとなった。前ばらしなど、なかった。
おかしい。まさか今年から前ばらしがなくなってしまったのか。彼は手当たり次第に先輩にあたり、去年同じ授業を受講していた先輩を発見した。
先輩曰く、去年も前ばらしなど無かったということである。
逆評定は一般の学生から集めたアンケートにより作られる。誰かが嘘をついたのか、あるいはとても古い情報が載ったままになっていたのかそれはわからないが、逆評定に頼りきったシステムの弱さが垣間見られた一件だった。
なるほど。そういう考えもあるんだなあ。
正直ゲイの自分としてはそんな女性の欲望のために同性愛が選ばれるのって、たまったもんじゃないが…。
まあエロ本として活用したり、良いBLは愛読書になってたりしてるからそこまで強気に言えないけど…。
>あまりにも無関心であるゆえに、結果的に無配慮になっているんだと思うよ
あーそう思うと、「ホモじゃないけど??」ってのが王道になってるのもわかるかも。
こういうのはたしかに達悪いなあ。
それって百合エロ描いてる人は「ビアン推進派活動」、エロ漫画描いてる人は「異性愛推進派活動」ってことなのか?おかしくね?
って正直ウゲってなる。
マジやべぇ。日本終わりすぎ。
誰だかわからない人を形容するとき「どこの誰それ」というじゃない。
でもな、まず面接で「君どこの出身?」って聞いちゃだめなんだ。
意味ワカンネwww
ほら出身地で差別されることがあるから!
なんだソレ!
ま、出身地は部落の問題とかがあるからしょうがないのだろう。
まだそれくらいはわかってあげられる。
一人っ子なのか兄弟いるのかがわかるだけで結構性格の基本的なところわかるだろ?
兄弟の兄なのか末っ子なのか・・・とか。
どんな家庭で育ったのかでそいつのキャラクターがわかるじゃないか。
続柄:父 サラリーマン
続柄:父 会社役員
続柄:父 農業
続柄:父 自由業
続柄:父 公務員
続柄:父 冒険旅行家
どんな家庭で育ったかわかればそれに越したことはない。
でも、ほら母子家庭とかかもしれないからこれも聞いてはだめなんだと!
良家のぼっちゃんだけより好みされないように、親の学歴や収入、家の間取りとかも聞いちゃだめなんだ。
愛読書とかも思想にかかわることだから聞いちゃダメなんだぜwww
なんだそれ。
人となりを知りたくて面接するのに、個人情報なので質問できないとか、
もうね、いったいなんのための面接をするのかわかんねえよ。
そりゃ口利きだけで採用しろっちゅうようなもんだよな。
本人がもってくる情報だけで判断しろとか、
それで雇ったら本人辞めるいうまで辞めさせられないとか。
けだし、ガロアだアーベルだと騒ぐのは、ずいぶんミーハーな心構えであって、 こんな調子で大学生活を送る学生は、「もぐりの数学者」にはなれても、立派 な数学者になれる事は少いのではないかとも思う。私の周囲の人で、立派な数 学者になっている人は、数学者の伝記ではなく、数学そのものに惹かれて数学 の道に入っているようである。高校時代にKleeneのIntroduction to metamathematics を読んで面白かったとか、ブルバキセミナーのセミナリーノー トシリーズが高校時代の愛読書であったとか、大学2回生のとき、某大先生の 大学院生のための集中講義を聞きに行って「こりゃあ面白い」と思ったとか、 物理に進むつもりだったのが、友人につき合って岩沢健吉の「代数函数論」を 読んで、そのまま数学にはまってしまったとか、そういう人が偉くなっているようだ。 考えてみれば、当り前の話だとも言える。
http://www.ritsumei.ac.jp/se/~takayama/MathEssays/galois.html
物心ついたときから俺は根っからの理系人間で、小学生のときから愛読書はSFばっかりだった。
当然宇宙飛行士にはなりたかった。
でも前回の募集のときには俺は学生だったのであきらめた。
今回、宇宙飛行士の募集が始まると聞いて、あらためて考えてみた。
「俺は本当に宇宙飛行士になりたいのか?」
10年、おそらく非常につらい訓練をへて、宇宙に行くのは一週間。
個人的に宇宙飛行士の知り合いはいないが、おそらく休日もあまりとれず、趣味の時間もほとんどとれないだろう。
間違いなくいままでの友達付き合いはできなくなるんだろう。
家族にはアメリカについていってもらわないといけないんだろうし、いろいろと苦労をかけるだろう。
「がんばれば夢はかなうんだ」なんてしらじらしいことばかり一年中いわなくてはならないんだろう。
本当にそこまでしてやることなのか?
もしかして、宇宙飛行士っていうのは女でいうキャビンアテンダントみたいなもんじゃないのか?っていう気もしてきた。
かつてはキャビンアテンダントは、美貌と能力を誇る女性の花形職業だった。
でも実際に飛行機に乗ってみればわかる。
やっていることはそのあたりの店のただのウェイトレスと全然かわらない。
マニュアルにのっているとおりに客に食事をだし、対応をする。
今ではキャビンアテンダントになるのはせいぜい高卒か短大卒くらいだろう。
どんなに美人だって、俺の大卒の女友達の中でキャビンアテンダントを就職先の候補に考えるやつはいなかった。
いまだにキャビンアテンダントがもてはやされるのは日本を含めた数カ国らしいぜ。
宇宙飛行士も同じじゃないのか?
宇宙空間で、与えられた指示書を元に、「きぼう」を組み立てる。
科学知識と英語はキャビンアテンダントよりは必要だが、所詮は指示されて動くだけの仕事ということは同じだ。
決して創造的な仕事ではない。
自分の今やっている仕事の方が創造性という点では上なんじゃないかという気もしてきた。
俺は宇宙飛行士なんか目指さずに、今の仕事を続けた方が後悔しないんじゃないのか?
家庭を犠牲にして、もしかして自分の人生も犠牲にするんじゃないのか?
(そもそも受けたとしても、てめーは受かんねーよ、というのはおいておいてだな、とりあえず。)
それが20年前、高校の文芸部がガリで刷る「部報」であれば、あるいは少数の感受性の高い少女(文学少女を除く)をひきつけたかもしれない。が、21世紀初頭のネットでは、その青さが暴き立てられるだけ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/emptiness/20071112/p1
とにかく甘い物に目がない。
もともとグルメでお取り寄せ好きだったが、ここ数年のデパ地下ブームとスイーツブームで完全に覚醒した。
スイーツ特集が載っている本ならCancamだろうがhanakoだろうがなんでも買ってくる。
1日限定○個、有名パティシェのどうたらな単語の羅列にとことん弱い。
ネットの口コミチェックも欠かさない、それから地図をプリントアウトして、家族の分も大量に買ってくる。
誕生日やら記念日やらなにかにつけておそらく自分が食べたい一心で
一口サイズのおしゃれな細工がしてあるケーキを全種類とか、
これどこから食べればいいんだと迷うような凝ったケーキを買ってくる。
自由ヶ丘のスイーツフォレストなんかは当たり前のようにオープン日に行って並んでいた。
当然銀座やあらゆる地域のデパートやショップのオープン情報も掌握している。
私は甘い物は人並みに好きな程度で、エヴァンが高級チョコレート程度の知識しか持ち合わせてない。
母は洋菓子の類は好きではないし、大学生の弟は果物くらいしか食べない。
だから高級スイーツを買ってきても誰も手をつけないので、買ってきた本人がほとんど一人で平らげてしまっている。
歳を考えろ糖尿になるよと言ってもまったく耳を貸さない。
愛読書は西原理恵子と村上春樹、好きなアーティストはクラムボン、好きな映画はシザーハンズ。
そんな父(51歳)。