2009-01-31

東大には逆評定という本があってだな

そこには数年間のデータをもとに、講義講師リストがならべられている。

講義の得点期待度、単位期待度、おすすめ度やコメントなどが仔細にまとめられたこの本は多くの東大生の愛読書であり、

受講する講座を決めるときにはほぼ必須のものとなる。

なにしろうちの大学は、2年次に学部学科を決定する時にそれまでの成績順に学部を決めていくルールとなっており、

実際人気の学科に入れないからもういちど1年生やります(降年という)という人も居るくらいなのだ。

受験に際して熾烈な競争を繰り広げた後は、まだ大学内部で点数競争をしなければいけないのだ。

本当に腐っておる。などというのは簡単だが現状がこうでありそれを変えるだけの力がない以上は良い成績をとるしかない。

かくして皆は逆評定を片手に慎重に、良い成績を、なるべく楽に取れる講義を選ぶ。

友達の話をしよう。眼を皿のようにして逆評定を読み漁っていた彼は、ある講義へのコメントに目をとめた。

「最後の授業で試験すべて前ばらし」

(前ばらしとは試験の内容を授業中などに前もって教えてもらえることである。端的に言って、参考書片手に模範解答を作ってそれを丸暗記すれば満点がとれる)

単位期待度:A、成績期待度:A」

彼は友達をひきつれてその講義の受講登録をした。しかし来週からその教室に彼らの姿は無かった。

最後の授業で前ばらしがあるのならば、それだけ出席すれば十分だ、そう考えた彼を俺は責めることが出来ない。

楽をしたいと考えこと、それ自体は悪ではない。努力が素晴らしいのはそれがなんらかの(有形にしろ無形にしろ)プラスを生む場合である。

部屋が同様にきれいになるのであれば、手で掃除をしようが掃除機掃除をしようがそこに本質的な差は無いのだと思う。

そして講義最終日がやってきた。今日だけはひとことも聞き洩らさず講義を聞こう、そう思って彼は教室に赴いたそうだ。

教官はいつもと変わらず淡々と授業を行い、冬学期のその講義試験を残すのみとなった。前ばらしなど、なかった。

おかしい。まさか今年から前ばらしがなくなってしまったのか。彼は手当たり次第に先輩にあたり、去年同じ授業を受講していた先輩を発見した。

先輩曰く、去年も前ばらしなど無かったということである。

逆評定は一般の学生から集めたアンケートにより作られる。誰かが嘘をついたのか、あるいはとても古い情報が載ったままになっていたのかそれはわからないが、逆評定に頼りきったシステムの弱さが垣間見られた一件だった。

彼の不幸をメシウマだとは思わない。なぜなら俺も別の講義について逆評定に騙された一人だからだ。まじレポートとか無理。

時代錯誤社(逆評定出版元)さん、応援してるんでちゃんとした情報載せて下さい。これからもよろしくお願いします。

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