2008-11-30

醜聞が期待される秋葉原

秋葉原の週末には、路上テレビカメラを構えた集団や、インタビュー取材をしている風景が珍しくなくなった。萌えアニメゲームで話題になり始めたころから醜聞が期待されているのではないだろうか。夏の無差別殺害事件後がその頂点かもしれない。それでもやはり「行かないことが正解」な街だと認識されているように思う。もしかするとテレビ経由でしか見ない遠方の人だと心理的距離はアフガニスタンと同じなんじゃにないだろうか。

アニメゲームマンガ日本産業として輸出しよう! なんて実はとてつもなく恥ずかしいことで、関係するのは東京のごく一部の人だけで地方には産業として根付くとは思えないし。官僚陰謀論的には大規模建設関係しない二次元産業は興味の埒外なんだろう。どの産業の従事するには技術がいるしね。そうそう従業者が増えるわけではないし、増えてもたいしたことがないし。

だから興味を持たなくていいように、関係できなくていいように、できない自分を守るために、秋葉原には醜聞が必要なんだと思う。それだけじゃなく秋葉原連想させる犯罪は大大的に取り扱われる。

「うちの子はオタクじゃなくて本当によかった」と安心できるように。家族で見られない深夜にテレビを見るのは悪習で、放送が深夜に固まるアニメはその象徴。そんなものを見ているから犯罪を犯し、インターネットは(以下略

あ、でも、ケータイでのインターネットはみんなやってるから大丈夫自分もしてるし。そんな線引き。今の道徳

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