はてなキーワード: 一部の人とは
積極的にコミュニティ求めたい人は、Twitterなんかやんないで、今の自分のまわりのコミュニティに積極的に参加した方がいいと思う。
見てて危ないとか感じるのは、
逆に使ってて便利と感じるのは、遠い人の生活とか考えがわかるってところかなぁ。
というわけで、今から始める人なんかはこんな点見てみると面白いかもしんない。
橋下知事が、大阪府の財政を黒字にしたってニュースになってるんだが、府民はどうして評価してるんだろうね~。
俺も県庁の公務員だから常々疑問に思ってることがあって、府や県って何なのさ?ってことだな。
仮に「大阪府」が大赤字で苦しんでて、大阪府民が皆、裕福に暮らしてるとすれば、どうだろう。
この場合、「大阪府の危機」ってのは、「大阪府庁の危機」に過ぎないんだよな~。
このとおり、「大阪府」と「大阪府庁」は違うのに、「大阪府庁」が黒字になったことで府民が喜んでるのはなぜだろう。
公務員の給料も減らしたけれど、「大阪府民」に行き渡るお金も大きくばっさりと切られているはずなのに。
いわば、橋下知事は「大阪府」に痛みを押しつけ、「大阪府庁」を黒字にしただけ。
ここでさっきの府や県って何なのさ?って疑問に戻るけど、大多数の府(県)民にとって、府(県)庁は何をしてくれるところなのか。
すぐに答えが出てくる人がいたら、すげぇと思う。
俺の実感では、税金を取るだけで、あんまり何もしてないんじゃないかと思ってる。
それは公務員が仕事していないんじゃなくて、一部の人しか府(県)庁の恩恵に蒙っていないってこと。
公共事業をやってる会社、助成金をもらうNPOや文化団体、生活保護を受ける人々にとっては、府(県)庁のお金は大変重要。
それ以外の一般の会社や人々にとっては、府(県)庁は縁がない存在。
もしあなたが府(県)庁に行ったことがなければ、あなたは間違いなく府(県)からそれほど恩恵を受けてないと断言できる。
だから、府(県)知事選挙って、その地域のリーダーじゃなくて、府(県)庁からお金をもらう人々が自分たちのリーダを決めるものになる。
こうやってみると、橋下知事を評価する府民が多いことには納得がいく。
多くの府民にとって、府庁が何をしようと関係ない。むしろ、府庁のスリム化で税金が安くなるなら大歓迎。
痛みを押しつけられたのは、一般の大阪府民じゃなくて、一部の大阪府民にすぎない。
逆にいえば、今までどれだけ一部の府民のために税金が使われてきたかってことだな。
市場に委ねればすべてが良くなるというものではない?
市場は鏡であって、人や組織や行政が行った事を、正直に出力しているだけである。望んだ結果がでなかったからといって、市場が悪いというのはわがままでしかないし、市場に委ねていればばら色の未来が実現するというのも、根拠が無い。鏡をいくら見ても、現実が写るだけでしかない。現実を変えるのは人々の行動であり、人々の行動を引き出す為に、邪魔をしている規制や許認可を外していく必要がある。頑是無い子供でもあるまいし。
市場が望んだ通りの結果を出すように規制や許認可を強化した場合、それでも望みの結果がでなかったら、誰が責任を取るのであろうか。規制や許認可をやった人間は、善意でやったのだから無罪であると主張するつもりであろうか。ならば、私利私欲の為に規制や許認可を使い、天下り先を作ってお手盛りの退職金を貰う為に渡りを繰り返すのと、変わらない。仮に、望んだ通りの結果が出たとしても、常に望んだ通りの結果を出し続けることができるであろうか。規制や許認可は、それによって行動を制限されると同時に、新参者を排除できる参入障壁ともなる。参入障壁のある市場では、市場参加者の私利私欲が優先され、一部の人々の為に国家や社会が利用されるという事になる。
自由放任で規制や許認可の基準がクリアーで平等な市場というのは、責任を市場の参加者全てが取るという事である。能動的に参加した人も居れば、物価の変動によって影響を受ける人も居る。しかし、誰が責任を取るのかという点で、市場主義は、民主主義そのものなのである。
能動的に市場に参加した人達が代議員となって、勝手に物価を動かしていたというのであれば、代議員の資格を許認可で縛り、行動を規制するよりも、国民全員が参加できるようにするべきである。
愚かな事が起きたとしても、それは、愚かな行動が起きるような間抜けな事をやらかした人が居るというだけである。誰かや国家に責任を押し付けるようなモノではないし、他人の金である税金を使って責任を取るふりをしつつ、私利私欲の為の権限を増やそうというのも許されない事である。
選挙で思い通りの結果が出ないから、有権者を許認可で絞り、指示された候補者の名前以外の文字を書いてはならないと規制すれば、投票率・得票率100%の思い通りの選挙が実現できるが、それに意味があるのであろうか。
財政出動で景気が回復しないのは、小渕内閣の時に実験済みである。しかし、財政出動で道路工事やトンネルや橋や箱モノや補助金をばら撒く事で、田舎の選挙区の票が買えるならば、消費税の大部分を負担する都市・一区生活者を切り捨てるというのが今の政権の立場のようである。
「タテマエ重視の世の中は恐ろしい」
別に麻薬やったくらいでそんな大騒ぎする事か?
世界を導く立場のアメリカ大統領でも昔やってたと自分で言ってるんだぜ。
相撲取りに限らず世の中にゃそんな人もいるでしょ。
もちろん、法律は守らなきゃならんとは思う。
だから、「麻薬やりました、すみません」→「罪償う」→「次の日から相撲取る」でいいじゃん。
何を解雇だ除名だって騒いでんの。面白い見世物をしてくれりゃ、強けりゃそれでいいよ。
だいたい、相撲ってそんな神聖なものなの?
モグリ相撲ファンでも、昔は「勝敗」に加えて「預かり」ってのがあったって知ってるよ。
ちょっと解説すると、昔(江戸時代)は相撲取りは有力大名のお抱えだったので、
お家の面目を保つため、負けを行事が預かった事にして、なかった事にしてたのよ。
こんな灰色文化で育まれたのが大相撲なんじゃないの?
そういえば、最近でも張り手が強烈な旭道山に対して協会が自粛要請したこともあったような...
張り手が強い力士はそれを生かせば良いのにね。得意技取り上げてどうするの?
(ただし、旭道山は張り手用に硬いテーピングしててアンフェアとか議論もあった気がしたけど)
結局これもナアナアでここら辺までならOKって感じで解決したんじゃないの?
結論!!!正々堂々とはほど遠い世界ですな。
だったら、相撲を健全化しようという動きのほうが長年の伝統・文化に逆らってるんじゃないの?
マスコミもナンチャラ防止委員会も皆よってたかって日本文化を壊そうとしているわけ。
所詮見世物、横綱が土俵でガッツポーズしたって、面白ければそれでいいじゃん。
回りくどくなったけど、結局、今の日本はタテマエを重視しすぎる。
世の中、大人はタテマエを語らなきゃならないけど、結局はホンネで動いてきたし、これからもそうだと思う。
パレスチナの問題だって、金融業界のトップが巨額のボーナスを得ていた問題だって、
タテマエでは、対話で平和を築いた方が良いし、一連の問題の責任を取る姿勢を取るべきでしょ。
ちっちゃい頃習った、誰にでも平等にチャンスがあるとか糞くらえ。
格差は埋まらない、争いはなくならない、豊かになるためには犠牲が必要、ただイケ。
マスコミが、世論が好きなタテマエの理路整然とした話の裏で、一部の人はアッカンベーをしてますよって話。
http://anond.hatelabo.jp/20090123124446
ご丁寧にレスしていただけるとは思いませんでした。
遊び心は大いに結構、でも、手段が目的にならないようにしてくれよ、といったところ。
と書いたのですが、そこをよく考えてみてください。
手段を手法、目的をテーマと置き換えてみると分かりやすいかもしれません。
私が書いたのは手法としての部分ですが、貴方が言われているのはそこにテーマとして扱うことが混在してしまっています。
テーマとして扱うことを否定などできませんし、それが話題となる、売りとなるというのはなんら問題ありません。
そして
へーこんな作品あるんだ
と思わせるのはテーマとしての部分。
ですが、実在のサイトを出して云々というのはテーマではなく、手法の話。
知っている人にとっては目に付く宣伝文句にはなりやすいでしょうが、そうでない人には意味不明でしかなく、宣伝文句にもなりません。
逆に言うと、その宣伝が通用する場所、対象である時点で「へーこんな作品あるんだ」の範疇から外れる人たちでもあり、キャンペーンの範囲を狭める行為になりかねません。
そして、この手法はそれを誘発させる事柄になりかねないし、実際のところ既にその気配があると言っていいでしょう。
引き合いに出されている「ハヤテのごとく」「絶望先生」(更に挙げるなら「ケロロ軍曹」など)はパロディそのものがテーマないしサブテーマとして作品の売りでもあり、それらが理解でき、楽しめる人である事が前提の人しかターゲットにしていません。
つまり、宣伝と作品の齟齬が小さい上に、元よりターゲットが「分かる人」でしかないですから、そういった宣伝のされかたであっても問題がないわけです。
ですが今回のようなものはただの手法の域を出ないもの。
ニコ動のような広く認知されており、また「動画サイト」として汎用的な単語の置き換え、イメージの置換ができるものと「個人サイト」というあまりにも漠然としたものを同列に考えてはいけません。
名前を聞いて「何それ?」となり、個人サイトと聞いても「何やってるところ?」となりかねないものにどれほどの意味があるのでしょうか。
知っている人だけ楽しんでね、はそれに徹している作品でなければ通用しないのです。
それこそ、上で説明したような貴方が例として挙げた「ハヤテのごとく」や「絶望先生」のように。
それも一つの手でしょうし、作者・出版社としても嬉しいことでしょうが、身も蓋もなく言ってしまえばそれは出版社の仕事です。
貴方が頭を悩ませ、気を揉むことではありません。
面白いよ! とポイントにする部分が全く違います。
少なくとも今回のような例においてはテレビに映った自分の姿を「映った映った! これ俺(の知り合い)、俺(の知り合い)!」と言っている人の域を出ていません。
そういったものを宣伝と呼ぶのならばそれもいいでしょう。
(ブクマコメにある「同人みたい」の一言はまさにそのとおりかもしれません)
さすがにそこまですると売れないってことはわかっていると思いますよ。
とされていますが、そのあたりの切り分けがされていないために、主張のポイントが時にはあちら、時にはこちらと移り変わり、支離滅裂になっています。
読者の立場からのポイント、作者と編集者の立場からのポイント。
一度しっかりと切り分けてからまとめてみましょう。
ですが、これでいけると思われ、万が一その手法が広まってしまった場合、一部の人間にしか通用しないネタを散発的に使い、その対象に話題にしてもらうという安易な宣伝効果を狙った作品が現れる可能性も否定はできないのです。
続けるのならば、その作品の特徴、特色といった域にまで高める必要があるでしょうね。
http://anond.hatelabo.jp/20090123014440
これについて3ヶ月くらい前に書いた(はてな外で)ことがあるんですが、丸ごと転載してみます。
立場的には元増田とは違って作者&編集者(出版社)側に対する視点でのものですが。
スーパーダッシュ文庫から出ているそうだが、なんとも面白いこと(あーやっちまった的な意味で)をしているようだ。
簡単に言うと、ネットに実在する有名サイトの名前などを作品中に登場させているとのこと。
ここまで書けば、あとはタイトルと合わせてなんとなく想像がついただろうが、ライトノベルを扱うBlogやニュース系サイトで話題になった。
当然ながらそれだけで広告効果というのはかなりのものが見込めると思う。
登場している有名サイトというのもニュース系サイトであるあたり、狙っていた部分もありそうだ。
(アキバBlog、かーずSP、カトゆー家断絶、と言えば割とネット歴が長かったりオタクといった属性持ちであれば知っている人は多いだろう)
もしかしたらリアリティを出す(作品に読者を移入させやすくする)ため、というのが元の狙いの一つだったのかもしれない。
しかし、とあるサイトで紹介されていた本編中の一節を見るとやはり頭を捻らざるをえない。(実際に私は読んでいないので、紹介されている一部だけを見て判断するなというお叱りを受けそうではあるが)
例えば、同人誌を作ってコミケデビューして有名になるとか、気の利いたMADを作ってニコ動に投稿して世界を狙うとか。この情報化時代、何が幸いするか判らない。たまたま漫画好きだったことに端を発して日本の宰相に上り詰める人だっているのだ。
確かに読者層の大きなオトモダチの比率は上がっているだろう。
ライトノベルを嗜好の一つに持つ人間にネット環境を持たない人間は少なそうだというのも分かる。
だとしても、結局のところこの作品中で登場させた「サイト名」「MADといった用語」「ニコ動というサービス名」「現総理を取り巻くネット上の反応」は一部方面での認知でしかないというのを作者には(編集者には)分からなかったのだろうか。
自分のすぐそばまでの視界でしかない現実世界のアイテムを登場させてリアリティを演出しようとする手法は諸刃どころか、読者おいてけぼりになりやすいんだけども。
確かに創作活動であるのと同時に商行為なわけだから「売れればいい(売れなければいけない)」とはいえ、さすがにこれはない。
内容はもはや典型とされるようなお決まりのパターンであるようだ。
だからといってこういった形で注目されるものを埋め込むと、自分の作品そのものではなく、その埋め込んだもの一点にしか話題がいかずに終わってしまいかねない。
確かにまずは手にとってもらわなければ読んでもらう(売れる)ことにも、続刊が出ることにも繋がらないだろう。
続刊さえ出てある程度続き、シリーズとして確立してしまえばメディアミックスという次の段階に移る事ができる。
そうすればそれが更に宣伝となって原作の売り上げに繋がる、というパターンにする布石としては「もしかしたら」いいのかもしれない。
しかし、上記のようなことが予想される上に、実際そのとおりになっているらしい状況を見るに、結果的に手にとって貰える率というのはそれほど高くもなくなってしまっているのではないだろうか。
こんな紹介のされかたするくらいだもの。
ちなみに肝心の本の内容はというと、大河とルイズを足して2で割ったような女の子と、お嬢さま属性が追加されたハルヒが主人公を巡って火花を散らし、そこに猫属性を付加された綾波が絡むという話です(ぉぃ
いや、そんな間違ったことは言ってないはず。
アキバBlog、また実名でラノベに登場! そして「あの」サイトも――「迷い猫オーバーラン!」(HarfMoonDiary)
これで「ラノベにウチのサイトが登場したぜいえー!」とか喜んで紹介するようなことが暫く続いた場合、同じ真似をする作品が出てきそうだ。
正確にはそれを狙って指示を出す編集者が、だろうか。
ネットで話題になれば売り上げに結びつきやすい。
それはハルヒが十分すぎるほどに示して見せた。
むしろ当たり屋に近い。
元増田内のリンク先も読みましたが、ただの内輪ネタというのは非常に危険です。
「私小説」ではないわけですから「商品の私物化」は非常に拙い。
恐らくは担当がある程度のところでブレーキをかけるとは思いますが。
遊び心は大いに結構、でも、手段が目的にならないようにしてくれよ、といったところ。
http://anond.hatelabo.jp/20090121104002
(M)だれもが知る通り、我々は重大な危機にある。
(A)私たちが危機のさなかにあるということは、いまやよくわかっている。
(M)わが国は(イラクやアフガニスタンで)戦争状況にあり、敵は憎悪と暴力のネットワークを持っている。
(A)我が国は暴力と憎悪の大規模なネットワークに対する戦争状態にある。
(Y)我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。
(M)経済状況も悪く、その原因は一部の人々の貪欲(どんよく)さと無責任さにあるものの、我々は困難な選択を避け、次世代への準備にも失敗している。
(A)経済はひどく衰弱している。それは一部の者の強欲と無責任の結果だが、私たちが全体として、困難な選択を行って新しい時代に備えることができなかった結果でもある。
(Y)我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。
(M)健康保険制度もカネがかかりすぎ、多くの学校(制度)も失敗した。毎日のように、エネルギーの使い方が地球を危険に陥れている証拠も挙がっている。
(A)医療費は高すぎ、学校は、あまりに多くの人の期待を裏切っている。(石油などを大量消費する)私たちのエネルギーの使用方法が敵を強大にし地球を脅かしていることが、日に日に明らかになっている。
(Y)我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。荒廃している我々の学校はあまりにも多い。さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日増しに増え続けている。
(M)全米で自信が失われ、アメリカの没落は必然で、次の世代は多くを望めない、という恐れがまん延している。
(A)測定はより困難だが同様に深刻なのは、米全土に広がる自信の喪失だ。それは、米国の衰退が不可避で、次の世代は目標を下げなければいけないという、つきまとう恐怖だ。
(Y)予測は困難だが、間違いなく深刻なのは、我々の国土に広がる自信の喪失や、米国の凋落(ちょうらく)は避けがたく、次の世代はうなだれて過ごさなければならないというぬぐいがたい恐怖だ。
(M)今日、私は我々が直面している試練は現実のものだ、と言いたい。
(A)これらの難問は現実のものだ。
(Y)今日、私はあなた方に告げる。我々が直面している試練は本物だ。
(M)試練は数多く、そして深刻なものだ。
(A)深刻で数も多い。
(Y)試練は深刻で数多い。
(M)短期間では解決できない。
(A)短期間で簡単には対処できない。
(Y)試練は容易に、または、短い時間で対処できるものではない。
(M)だが知るべきなのはアメリカはいつか克服するということだ。
(A)しかし、アメリカよ、それは解決できる。
(Y)しかし、米国よ、わかってほしい。これらの試練は対処されるだろう。
(M)この日に我々が集ったのは、恐れではなく、希望を選んだためで、争いの代わりに団結を選んだからだ。
(A)今日、私たちは恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び、ここに集まった。
(Y)この日、我々は、恐怖ではなく希望を、紛争と不一致ではなく目標の共有を選んだため、ここに集った。
(M)この日、我々は実行されない約束やささいな不満を終わらせ、これまで使い果たされ、そして政治を長いこと混乱させてきた独断などをやめる。それを宣言するためにやって来た。
(A)今日、私たちは、長らく我が国の政治の首を絞めてきた、狭量な不満や口約束、非難や古びた教義を終わらせると宣言する。
(Y)この日、我々は、我々の政治をあまりにも長い間阻害してきた、ささいな不満や偽りの約束、非難や言い古された定説を終わらせることを宣言する。
この記事↓だけど、
娘「こっちの記事では「民主党は、審議が尽くされていないとの理由で、補正予算案の採決に抗議し、採決前に退席の方針」ってあるけど、なんで「審議が尽くされていない」と「採決前に退席」しなきゃいけないの?」
===========================
民主党は「自民は審議を尽くして(少数意見聞いて)ないじゃん」だから「採決すること自体に反対」してるわけで、先生の言う通りのことをしてます。普通です。
たとえば遠足はAとBどっちがいいですか、という学級会で、多数派Aが話合いせずに「じゃあ採決とりまーす」って言い出したら少数派B支持者が「それはおかしい」といい「採決すること自体に反対」する、というのと同じ。普通でしょ。その状況で「賛成、はーい」「反対、はーい」って素直に手を挙げてたら馬鹿みたいじゃないですか?
娘「あと、一番わからないのはここの部分、「その場合民主は参院審議入り拒否の方針」」
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娘「おかしいじゃん!! 衆議院では審議が足らないから採決欠席したんでしょ、じゃ参議院でいっぱい審議すればいいでしょ、なんで拒否しちゃうの、そんなの絶対おかしい」
全然おかしくないよ。
それは「衆院の優越」の原則が関係します(木走さん、そこは説明したの?)。参院で審議したら当然採決取ることになるし、そこで衆院と反対の結果が出ると、法案は衆院に差し戻し。そうなったら衆院の2/3の賛成が必要だと法は定めてますが、衆院の2/3を押さえてる与党は参院の審議結果を無視して簡単に再可決してしまえるのです。これじゃ参院で話合う意味がないよ! 参院で審議されなければ廃案だから、法案に反対だと主張するなら野党にはその手段しかない。要するに、国会では話合いする状況じゃなく、もはや番外戦に移行しつつあるってこと。
参院・その後の衆院で「じっくり話合って妥協点を探る」努力を与党がするという保証・信用があれば、野党も参院で審議に入ることができるでしょう。でも今、最初の衆院で話合いに応じる姿勢を見せない相手が後でなら話し合うと約束しても、そんなの信用できるわけないじゃないですか。つーか本気で話合うつもりなら今話し合いましょう、参院じゃなくてここで話し合いできるっしょ?と野党は言ってたわけで、与党はそれを拒否して強行に採決に踏み切ったわけです。「強行採決ということは、自民は『じっくり話合い』する気はないんですね、じゃあウチも(参院では)あなたと話すことは無いです」ということ。話は一貫してるので、これを打開するためには「話合いできる状況」にまでまず戻さなきゃいけません(それをするのが国対という係のおじさんたちで、今は両方のその係の人が、ひそかに一所懸命飛び回って『根回し』してるわけです)。
さらにもう少し言うなら、民主が参院で審議拒否したら与党は『予算が成立しないのは民主が審議拒否するからだ、国会は審議の場なのに仕事しねえ奴最低!ヤレヤレw』と言える。マスコミとか全部味方につけて、「この非常時に国会での審議に応じないとは…云々」と、民主をただただ一方的に悪者に出来る。そんで、自分たちがマトモに話合いしなかったからこうなってる…という部分は、全部スルーで口を拭っていい顔できる。たとえば、最初の学級会で言えば、多数派Aが(自分たちは話合いに応じなかったという事実を一切無視して)先生に「一部の人たちが騒いで決が採れませーん。叱ってくださーい。」って言ってるような状況。まあ、それ普通にズルいよね、と。
というわけで、木走さんは、このあたり丁寧に娘さんに説明してあげてください。
(追記)
勘違いする人がいたらアレなんで一応書いとくけど『違うよ、審議は尽くされてるのであって、民主党が言うのはただのダダこねor現実が見えてないよ』系のレスは、スルーしますよ。つーか別のとこでやってください。木走さんの話がそうであるように、ここで述べてる話もあくまで手続き論的な話として述べているので。
ちょっと前にフォトリーディングの講習会行って、知識人と言われる人達は月100-200冊くらい本を読んでるとか、講習会が終わったら軽めの本、月20冊を目標にとか言われて、年2冊とかしか活字読んでなかった俺はポカーンとしてしまった。
世の中には自分が知らない所で凄く情報が飛び交っているんだなーって言うのがあって、だって周りの大多数の普通の人とかも俺と同じレベルで、ごく一部のモチベの高いビジネスマンとか、本好きの人とかだけがすっごい本読んでるんだろうし、それってこういう講習会とか来なければあんまり気づかなかった事だなぁ、確かに何で毎週あんな新刊がいっぱい出てちゃんとそれ買う人がいるんだろうなんて疑問に思ってた時もあったけなんてボーッと考えてた。
で、これどっかで見たことある光景だなぁと思ったら、新作adultvideoの出荷本数とかも同じだよなーと。あれ、人口の半分の、それもある一定の年齢層しかターゲットにしてないはずなのに、具体的に何本とか出てこないけど、すっごいいっぱい出てる訳だから。
そういえば、友達がwinnyにハマってavを収集してたとき、「俺はネットに出回っている潮吹き動画は全部観たね」なんて豪語してたけど、そういう一部の人達がすっごい量のavを一日に見てるんだろーなーって、そういったエロ知識人ってのは当たり前な知識人より全然表に出てこなくて、時々「○○の昔のAVが発見!!」みたいな時に匿名で表に出てきてはすっと消えるみたいな、何かある意味カッコイイな。
俺?とりあえず1週間で5冊読んだ。
avは10本位かなー。
どっちも中途半端だ。
結局、彼らの言うFairness的な優しさでも平均よりずっと下なんだ。
行動力が伴わないから、いくら内心は優しくて公平なつもりでも、他人に認識出来るものとしては、何もしてない人にしかならない。そのくせ理想だけは馬鹿高いから、他人の行動にケチつけて俺はあいつらとは違う系の妄想ばかりで、近くにいるとそのネガティブさにうんざりする。折角のFairnessも、他人の行動にケチ付けて自分を正当化する言い訳に使われてる。
なのに、たまたまFairness的な意味で優しくない一部の人間を取り上げて、あいつらより俺の方がマシなのに!というゴネ方をする。そんな下の下を見て、それよりマシだから評価しろと言われても出来ませんよ。下の中が、下の下よりマシだからいいだろって、ねえ。しかも発想・視点のネガティブさに再度うんざりですよ。そんな人の悪いところばっかり見てて楽しいの?
そう。
この辺読んで、この手の話題でずっと感じてた違和感が判明した。
http://anond.hatelabo.jp/20090110153450
http://anond.hatelabo.jp/20090110154056
http://anond.hatelabo.jp/20090110155706
結局、彼らの言うFairness的な優しさでも平均よりずっと下なんだ。
行動力が伴わないから、いくら内心は優しくて公平なつもりでも、他人に認識出来るものとしては、何もしてない人にしかならない。そのくせ理想だけは馬鹿高いから、他人の行動にケチつけて俺はあいつらとは違う系の妄想ばかりで、近くにいるとそのネガティブさにうんざりする。折角のFairnessも、他人の行動にケチ付けて自分を正当化する言い訳に使われてる。
なのに、たまたまFairness的な意味で優しくない一部の人間を取り上げて、あいつらより俺の方がマシなのに!というゴネ方をする。そんな下の下を見て、それよりマシだから評価しろと言われても出来ませんよ。下の中が、下の下よりマシだからいいだろって、ねえ。しかも発想・視点のネガティブさに再度うんざりですよ。そんな人の悪いところばっかり見てて楽しいの?
大体、DQNは行動力と積極性があるから、そもそも同じ土俵に立ってないし。同じ程度の行動をしてから文句言ってくださいって感じ。素振り100回!声かけ300回!
ヒトが生きる目的は遺伝子を残す以外に有り得ない、遺伝子を残せなければ敗者なんだといったって、
で君は実際のところ、遺伝子を残すためだけのために、色々な事を犠牲にして、そのことだけに本当に人生を費やせるのかい?
君が女ならば、遺伝子を残すだけの事は容易だろうが、君が男ならばちょっと難しいことになるぞ。まず産んでくれる誰かを見つけてその人に許可をとらなければならないわけだからね。
もともと結婚願望が強かったり、子供を持つことが夢の人間ならばいいだろうが、そんな人だったらわざわざこんな事を書かずにとっくに「やったー、自分の願望とヒトの生きる目的が合致したー」と喜びとっとと家族を持ってハッピーエンド、だろう。
こんな事を苦々しく切々と書いている時点で、要するに君は本当はそんなの信じたくないが、でもヒトが生きる目的はそうとしか思えないという苦しみの中にいる、ってだけなんじゃないのか。そして更に穿った見方をするならその苦しみを、おそらく結婚願望等が無さそうなお前らにもぶちまけてやる、というルサンチマンの塊なんじゃないのか。
それにしても仮にヒトが生きる目的が遺伝子を残すことだとしても、せっかくそう分かったのにそれに従おうとする意味が全く理解できないwなんでそこまで分かって尚、自ら遺伝子の奴隷になろうとするのか?バカみたいじゃないか。
また「敗者」という表現もあやふやだね。勝ち負けなんて概念からして、単なる人間の価値観に過ぎないじゃないか。遺伝子は勝っただの負けただの思うことはないし、そう判別することもないよ。遺伝子を残せなければ敗者っていうのは、既に実は遺伝子なんて関係なく、単なる一部の人間による「子供作れなきゃ負け組」という価値観に則っているだけの話だよ。子孫を作らねば自分の遺伝子は残らないという事実を、価値観の理由付けに使っているだけ。いわば言い訳みたいなもの。子孫を作らねば自分の遺伝子は残らない、というところまでが科学的事実であって、そこからは、どういう価値観の味付けをするかっていう、人間それぞれの解釈の問題に過ぎないよ。それらを一緒くたにしたって意味がないね。「ヒトの生きる目的」なんていうのもそれで、子孫を作らねば自分の遺伝子は残らないからって、「ヒトの生きる目的がそれ」というわけではない。というか「勝ち負け」と同じでそもそも「ヒトの生きる目的」なんていうのが既に曖昧で、人間的解釈に溢れた言葉なんだよね。もっというと「目的」という言葉が。それは、遺伝子を擬人化しすぎているとでも言うべきか。目的もクソもないんだよ。科学的事実はただ科学的事実としてそこに在るだけ。そこに色をつけて解釈をしているのが我々人間。そしてその色の付け方で散々争ってる。
敗者だとしてそれが何なんだろうか?君は要するに「子供を残さなかった奴って敗者だよねw」と他者から言われるのが嫌だから、子孫を残したいといっているに等しいんだよ。別にそれを責める気はない。それはそれで一つの価値観だし他者の視線を全く気にもしないなど、ほとんど不可能に近いからね。でもその事を分かって言っているのかな?もしかして「ヒトの生きる真理」みたいなものを悟った気になっちゃってるんじゃないのかい?
もっと主体性を持って生きたらどうかと思うけどね。
ある機会があって派遣村のボランティアに2日間参加したって人の話を聞くことがあった。と言ってもほんの10分くらいだけども。
実際、俺は派遣村のことなんてネットとかテレビとかからしか情報知らないからさ、興味本位でちょっと質問してみたんだ。
聞いた内容は2chとかでよくされてる批判をそっくり聞いてみた。
こーゆーの
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51415585.html
質問した事を大まかに言うと、
1.実際に派遣村って全員が全員派遣で職を失った人たちだったのか?中にはホームレスだっていたのではないか?たばこを吸っている人が多く、そのたばこにかける金を今まで貯蓄してればこんな所に来なくて住んだのでは?
2.スケジュールの中に映画観賞とかレクレーションとかデモとかばっかりで、村民たちは決して就職しようと何か勉強なり準備なりをしていたわけではないのではないか?(一部の人たちだと思うが、と前置きしつつ。)
3.派遣切りで職を失った人に対して、介護業界やサービス業界などの企業、団体が雇用枠を結構な数募集しているのにほとんど埋まっていないが、村民たちは選んでいるのではないか?甘えではないか?
4.昨日・今日から何か所かの廃校に移動したが、結局食事(3食弁当が東京都から出てるけど)などの世話を行政が行うはめになり、税金が使われている。本当に派遣切りによって住む所もお金もない人は税金でまかなうのはセーフティネットの観点で必要あると思うが、本当に仕事やる気もないし、まったくなにも考えておらず、食事と住む場所が提供されるからといって来ているようなホームレスに税金が使われているのは納得できない。
という4つ。
これに対する回答が
→1
わからない。派遣切りで職が無い人とホームレスの違いは見た目じゃわからないし、そういうことを一人ひとりに聞くようなこともしていない。
そもそも、そこで線を引く意味はない。
→2
確かに映画鑑賞のテントはあったが、それに何が問題が?たばこについても、別にその人がたばこを買ってお金がないのかただ拾っただけなのか、誰かから貰ったのか。それはわかりません。
→3
さきほどから「わからない」としか言ってないが、それもわからないとしか言えない。
だけど、なぜ派遣問題で政治家とかメディアとか、NPO側やボランティアの人など、様々な人の思惑があってこうなっているのに、派遣村の派遣の人たちだけにそんな批判をするのかが理解できない。そんな考え方をしている事自体が問題だと思います。
→4
最初にも言いましたが、元派遣の人とホームレスの線引きをする意味がわかりません。
そういう考え方は改めた方がいいと思いますよ。人間性に問題があると思いますよ。
たったこんな質問で人間性に問題があるって言われる筋合いはないんだけどなー
一応こっちは質問させてもらった立場だし、あっちは俺より立場上偉い人だから「ありがとうございました」って言っておいたけど・・・
俺個人としては、派遣法自体に問題が多いということもわかってるし、政治の責任が一番であるとも思います。
連合とかのそういう古い体質の人たちが利権を守っていることで労働市場が形骸化していて、労働市場の流動性を高めるっていう改革が中途半端な状況で止まっていることにまず一番の問題があると思うし。
そういう根本的な問題がまったく問題にされず、派遣村がスケープゴートになっているのでは?って事が言いたかったんだけど。
4番の問題なんて、経済の基本的な考え方の違いでしょ。
俺は自己責任ってのが結構この社会ではあると思っているネオリベ的な考え方に近いんだけど、あっちはどちらかと言うと平等だとか社会主義的な、マルクス的な考え方だよね。
社会や働くということに対して甘い人たちがこんな偉そうな顔をしていて、それに税金が使われて、そしてそんな人を守る方向に国が動いちゃっている。
ちゃんと真面目に頑張っている人たちが損を見るだけで、すごく不愉快。
そういう経済的な主義とか考え方の違いで人間性に問題があるだなんて言われるのは多少腹立たしい。
来週またこの人に会う機会があるんだけど、なにか反論する言い方とか材料とか話ないかな?
ほとんどの質問「わからない」ではぐらかされて、人間性批判されてちょっとむかついてる。
来週を過ぎたらもう何にも利害関係なくなるし、人間関係気にしなくていいから多少言い方があれでも問題ないし。
とりあえず、池田信夫の話でもしてみようかと思ってるんだけど。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/caa6353a3bf77b62c7782d6bd09446a2