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はてなキーワード: ライトノベルとは

2010-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20100722160453

シナリオライター等、他ジャンルの物書き→ライトノベルに参入して兼業作家に、は多いけど、

ライトノベル作家→(小説以外の)他ジャンルの物書きに参入、は特に兼業作家としてはレアケース。

後者は、どちらかというと、既に売れてたり、実力が証明されている作家ネームバリューや実績を他業界が買う、

ことで実現するコースなので。

兼業ライトノベル作家シナリオライターなんかが多いのは事実ですが、ライトノベル作家が「食えないから副業シナリオライターを!」

ってのは難しいってことです。

http://anond.hatelabo.jp/20100722153036

多くは無いですが「いない」は明らかな言い過ぎでしょうw

例えば、谷川流氏や榊一郎氏を「ライトノベルからの印税を主な収入源として生計を立てている作家」として何の問題もないかと。

http://anond.hatelabo.jp/20100722155218

いやいやいやいやw

兼業農家サラリーマンもやってる農家

兼業作家やってます→作家以外の仕事もしてます

農家きゅうり、もろこし、キャベツ、稲。。。

作家小説シナリオライターライトノベル。。。

ていう意味が分かるだろうと思って横から置き換えてみたのですけど

あれー

http://anond.hatelabo.jp/20100722154910

つまり

ライトノベル作家が「専業」って言う時は

小説ライトノベルしか書いていませんよ」って意味なの?

まっぎらわしいなあ~

わざわざ専業っていう意味がわからない

http://anond.hatelabo.jp/20100722153036

それは作家として「専業」と言ってるだけであって、

ちょっと意味がわからないんだけど

作家として専業

作家として兼業

ってそれぞれどういう状態なん?

俺の知ってる作家さんだと、ライトノベルも書きつ本業ゲーム会社シナリオライターってのが数名いた。

正社員作家はなかなかいないし、安定した生活を求めるとそういうもんになるかと。

別の仕事も持ちながらやってるのが「兼業

作家しかやってないのが「専業」

だと思ってたけど違うのか

ちなみにその俺の好きな作家

大学出て駐車場関連?の会社で何年かサラリーマンしたあと

退職して以後専業で作家活動に入る

みたいにプロフィール書いてあった

まだ6、7冊しか出てないし(と言っても賞とってデビューしたみたいなんだが)、

作品が華々しく評判になったりして無いし、

作家だけで食えてるのか疑問ではあったけど

「専業」というからにはやっててもコンビニアルバイトとかだと思ってたんだけど

ふつう会社勤めしながら書いてても「専業」なのかな

2010-07-06

懐かしいなあ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100706-00000118-yom-soci

 議長に提出した収支報告書に添付されたレシートの識別番号から判明した。議員たちは「官能小説のことは記憶にない」「流行本を読むことは世情を知ることにつながる」などと釈明している。

 福岡県議会は、収支報告に書籍名の記載を義務づけておらず、レシートや領収書を張っているだけのケースが目立つ。

 しかし、大手書店などのレジで発行されたレシートには「ISBN(国際標準図書番号)」と呼ばれる10~13けたの番号が記され、書店ホームページなどから書籍名が特定できる仕組みになっている。

 読売新聞が収支報告書を開示請求し、レシートの番号をもとに調べたところ、政務調査とは無関係とみられる時代小説太極拳の本、ライトノベルと呼ばれる若者向け小説などを4議員が計30冊(計約3万6000円)買っていた。

 このうち、冨原茂昭議員(66)(民主・県政クラブ)と後藤元秀議員(60)(自民党県議団)のレシートには、官能小説が1冊ずつ含まれていた。

 冨原議員が提出した「素人手記ひとつ屋根の下~禁断の記憶」という本のレシートには、「炭坑強制連行」と手書きされ、別の本を買ったかのようになっていた。

 冨原議員は「記憶にないが、何らかの理由で別のレシートが混入したのかもしれない」と説明している。

福岡県民だが、ある時期になるとあちこちから相談を持ちかけられたよ。

「捨ててないレシートがあったら分けて欲しい」って。

当然、何のために使うのかを問いただすほど俺も若くはなかったけどね。

エロDVDのレシートとか入れたら面白い事になるだろうなあ(笑)」と、当人と冗談みたいにネタにした事があったけど、まさか本当にやらかす奴が居るとはね。

仮に今回発覚したケースが俺の時と同じ事情なら、よっぽど相手から嫌われてたんだろうね、その人。

2010-06-08

まおゆう絶版について

ライトノベルというものはそもそもこういう

自己参照文学なのではないかと。

うーむ。

まあ、まおゆうはやりすぎたってことで。

2010-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20100525163011

あー、なるほど?

つまり「ライトノベルしか読んでない人」は現実にいなくて、いろんな行動の中にラノベを読むというのがある

その上でラノベ以外に小説を読んだとしても、読まなかった人は小説を読む以外にまた別のことをしていて、それは小説を読むより有意義かもしれない。

ということ?

2010-05-24

ワナビふたたび。

これは過激になって駄目になった文学に対する激励文。

もしくはあんまりに平和で平凡な日常に対する疑問文。

俺は価値観を揺さぶるようなものが文学だって言ってるけどね、

過激さは別に問題じゃないんだ。

過激だから文学ってわけじゃないんだ。

勿論過激さはありだよ。だけどそれだけを抜き出してどうこうできるわけじゃない。

致命的なのは過激な人たちは人を楽しませようって感覚がないんだ。

いや、とびきり退屈な人だっておなじなんだけどさ。

去年受けた文学講義内容を拝借。

恋空小説なの?

だけどあれは意外なものでもなんでもないんだ。

セックスレイプ妊娠中絶普通のことなんだ。

日常でってわけじゃないよ。物語の中でってこと。

暴力はどんな物語にも出てくる。

それは必要だからだ。もはや手段となってしまったんだ。

あらゆる意味での暴力のないストーリーなんて作れないんじゃない?

とても過激なものにするか、とても洗練されたものにするか。

ああ、だけど言葉定義ってのはあんまりにつかみどころがないね。

どこまでが暴力?脅しが?セックスが?それとも単純な殴る蹴るだけ?

新しいものって何?今更反小説って言っても、ねえ。

筒井康隆も巨船ベラス・レトラスで制限のない前衛小説

糞みたいに退屈で、作者も楽しめないって状況に陥ってることを書いているし。

自由にやらせちゃだめなんだ、きっと。

どこかの誰かの制限が面白くさせるって面は確実にあるんだろうな。

読者が存在するからこそ作者が存在するってこと。

読者の存在を念頭に置かなければ多分面白い物語は書けないんじゃないかな?

前衛は消えた。誰もが素朴なリアリズム純文学だと思っている。

多分そのうち純文学歌舞伎みたいなものになるんだよ。いや、もうなっているのかも。

文字を使った何かはきっと残るんだろうけどね。

それは一体何なんだろう。戯曲文学ライトノベル

誰も否定できないものをやってなにが楽しいんだろう?

誰も理解できないものを書いてだれが楽しむんだろう?

俺はスリップストリームがそうだと考えているんだけど。

だけどそれだってポール・オースターカート・ヴォネガットがずっと前にやっている。

佐藤友哉の後を追っても仕方がない気がするよ。

「現代的」な日本作家は誰かの模倣って状況。

それ自体が何か暗示してるのかな?

この時代の何を描いているのかな?

行き詰るのはまあ、いつものことで。

それでも少しずつ潜っていられるのは素晴らしいことで。

何か書かずにいられなくなってその文章が小説についてってのは、

ちょっとした皮肉だけど。

それは仕方ないこと。

焦ったってどうにもならないし。

そういうことはわかってるんだけどね。

http://anond.hatelabo.jp/20100523235245

まあムカつくだろうなあ。

小難しい文献や用語を引用して、

簡単なことをひたすら長く小難しく書いて、

バカ共に知恵を授けようとしてるのに

批判は多いし敵が増えるばかり。

これがそのまんま、まおゆうの批判になるんでおもしろい。

まおゆう信者の痛いところはこれがわかってないところかな。世間的に面白いと思われてる禁書化物語といった

ライトノベルでさえ一般人には読むに耐えない文章だということが理解できてない。

ひどい文章なのにおもしろいおもしろいと連呼してハードルをあげていくからますます理解されがたい。

2010-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20100523193710

1:読者の想像力をかきたてる

ライトノベル世代の悪癖は、漫画アニメ脳である事だ。

小説とは名ばかりの、台本紛いの台詞の応酬と

ト書きのような説明文。

漫画アニメのように、目で見、耳で聞く動く絵を、

そのまま文章にする事に注力する事は小説目的ではない。

勿論、読者が雲をつかむような場面ばかりではダメだ。(演出上の理由でなければ)

舞台演劇台本ではないのだ。

状況を全てお膳立てして、台詞を並べたてるのではなく

必要最低限の状況説明を徐々に積み上げていけばよい。

積み上げる事で、読者は想像力を膨らませ、

豊かな人であれば漫画アニメ以上の物を作り上げる事が出来るだろう。

時に読者を立ち止まらせ、ページを戻させるのも手法として悪くはない。

無駄で過剰な記述よりも、ずっと効果的でさえある

2:神である事を名乗ってはいけない

書き手は、物語の顛末を知っている。

登場人物の思惑、見る物を全て知っている。

だが、読者はそうではない。

今まで表現してきた文章以上の事は知らないし、文章に書かれた事だけが真となる。

また、一人称(もしくは二人称)で進める場合は、他の登場人物の思惑や見聞きした物を主人公は全て知らないはずだ。

三人称場合は余計に、神の目や耳を駆使しすぎると1の過ちを犯す事となる。

書き手は、読者、そして登場人物の目や耳を意識し、

彼らがその時点で知っている事、知らない事、あるいは隠し、誤解しているであろう事を

詳細に把握しつつ、それを彼らに悟られてはいけない。

3:小説ルールブックやアピール目的履歴書ではない

小説とは、物語や登場人物が書き手が読み手の感性をくすぐり、その興味と意識に潜り込んで初めて生きるものだ。

完全無欠な記述起承転結は、時にその物語をつまらない物にさえする。

書き手は、読者に対して、パズルピースをばらまく事で

読者がそれを手にし、組み立て、最後にひとつの絵になるのだ。

勿論、完成された絵が素晴らしく、読者の納得のいくもので、

その過程も楽しめたのであればよいだろう。

だが、ひとつ、ふたつとはめるべき場所を悩むピースがあればどうだろう?

ひとつ向きを変えるだけで、完成された絵が全く意味の異なるものになる事もあるだろう。

それは手法として実に面白い

また、読者は書き手の人物像に興味を持って、それを求めている訳ではない。

なんらかの思想哲学小説に盛り込み、読者をその思想に引き入れる目的がある場合を除き、

作者や物語目的が明快すぎる小説ほど、つまらないものはないだろう

それは小説などではなく、”アイデア”と呼ばれる、小説の何段階も前の姿だ。

まおゆう本質って松岡修造的熱さでしょ?

読み終わった。

松岡修造「もっと本気出せよ全力になれよ。その先に見えるものはある。必ず!」

・もの凄く端的に言ってしまうと↑こういうお話

・「あの丘の向こう」って↑こういう意味合いでしょ? 違うの?

 正直、この物語の中では外連味程度にしか機能してないと思うし。

・結果的に本気出すのが、生まれついての才能持ちばかりなので、反発沸くのは分かる。でも英雄譚ってそういうものでしょ?

・行動に対して必ず何らかの価値ある結果が出るって羨ましいよね、と訳知り顔の俺がいた。鏡見ろ。

・すごく面白いライトノベル。ここで重要なのはライトノベルであるということ。

 ここまでライト英雄譚は今まで無かった。だから受けるんだと思う。それ以上でもそれ以下でもない。

・長い長いと言われてるけど、ここまで短くできたことにこそ驚くべき。

・多彩な設定破綻と多彩な力業での誤魔化しは驚嘆すべき。超豪腕。誤魔化し方が非常に巧い。

 その豪腕頼りが多彩な破綻を産んだとも言えるので、ただ賞賛するだけなのもどうかと思うけど。

・いろいろ言いたいことはあるけど、総括すると面白かった。

 面白かった理由は「いろいろな言いたいこと」を俺に産んでくれたから。それこそが物語醍醐味だと俺は思う。

2010-05-15

弟が作家になってしまった。

俺たち兄弟は、延々と「デキのいい兄貴に比べて弟は・・・」と言われ続けて育って来た。

そして二人とも病的に本が好きで、作家になることを夢見て生きてきた。

弟は20代の半ば、俺は28。弟は二浪した挙句地方国立というザマで、一族の中で相当爪弾きにされていた。

その一方、俺は大学卒業国家公務員に。民主党天下り規制にヘコんだりとかしてた。

いわゆる「デキるお兄ちゃん」であり続けたと思う。

小、中、高とアマチュア文芸賞やあるいはプロ志望者向きの文芸賞で

賞を取ったり選考に残ったりするのは大抵俺で、弟はほとんどひっかかったことすらなかった。

弟は内向的性格で、しかも怠惰なもんだから大学卒業後は当然のごとく就職に失敗し、

実家にもいにくいものだから俺の家に住み着いて日々ニートやってた。

その弟がライトノベル転向したのはほんの数年前。

そして先日唐突に賞を取り、唐突に売れ始め、ついに年収が俺の一桁上になってしまった…。

かくいう俺は、夢破れた純文学志望のしがないリーマンで、社会的立場こそあるものの

年収でいえば(笑)としか言いようがない。弟の本は順調に売れていて、メディアミックスの気配も見えてきた。

一体どこで勝負がついたのか。

あくまで俺が純文学にこだわり続けたことか。

それとも、さっさと職をみつけてそれなりに充足してきたことか。

弟の成功は心からうれしく思うが、自分人生がとてつもなく色あせて見える昨今。

つい先日まで「働け屑野郎」と罵ってた弟が、「今までのお礼」とポンと車を買ってくれた。

俺もライトノベル書こうかな…。儲かるんだね、ラノベって。

2010-05-11

ワナビ中毒患者

小学校の頃から創作が好きだった。

頭に浮かんだ話を漫画小説にするのが楽しくて、続きや新作を期待するクラスメイトたちに囲まれ、満たされていた毎日。

しかし、中学校に入ると、次第に周りから人が減っていった。

ジャンプサンデーマガジンの連載漫画の話はしても、それ以上の領域はダサいオタク趣味として皆敬遠し始める。

他にも、部活やら定期考査やら、小学校とは大きく日常が変わったというのもあるのだろう。

わざわざアマチュアかそれ以下のものを作る人間取り巻き、もてはやす必要も、暇もない。

思春期を迎え、他人の価値能力を認めるのは自分価値を下げることに繋がると、特に同年代に対して無意識ライバル心を強く持ち始めていたというのもあると思う。

結局、漫画小説が書けるというのは、かけっこで一番早いとか、新幹線の停車駅を全部言えるとか、皆より少し秀でていたり、特殊な技能を持っていることが羨望の対象だっただけ。

小学校の頃はクラスないし、学年や学校や遊び場が僕らの「世界」の全てだったからこそ、ナンバーワン、もしくはオンリーワンでいられただけでしかなかった。

僕らにとっての「世界」が一気に社会というレベルにまで広がり、色々なものをその基準で相対的に見るようになると、一気にその価値暴落した。

中学校でも、最初こそ、小学校時代からの縁で僕が何かを書いているのを見て集まる人がいることに鼻の穴を膨らませていた。

僕は常にみんなの中心にいて、同年代の中の絶対的な勝者、そこらの奴とは違う特別な人間だと優越感に浸っていた。

でも、いつしか周りにいるのが特定の数人だけになっていて、女子には遠巻きに見られ、自分が中心にいるグループと他のみんなとの間に物理的にも隙間があることに気付かされて、激しく動揺した。

ゼロではないとはいえ、自分の周りから人がいなくなったのは凄まじい衝撃だった。

僕の書くものは僕自身であり、その変化は「お前という人間価値は実は大した事がない」と宣告されたようなもの。

以降、隠れて授業中に書く以外、文芸部でだけ活動するようになった僕は、先輩や顧問に褒められることを根拠に、「自分は人とは違う」「自分は優れている」と思うようになったのは、単なる現実逃避だったと今では思う。

分かる人は分かってくれる、分からない低脳なんて無視しろ、僕は才能があるんだと、ことあるごとに自分に言い聞かせていた。

天才と言われる人種はもっと早くからだろうけども、そうでなくとも中学くらいになると、その「才能」より秀でた結果を出す人間が現れる。

それは必ずしもスクールカーストの上位に位置するわけではないだろうけども、少なくとも「才能」によってある種のヒエラルキーの上位に認識される現実が、僕の絶対的な価値観になっていた。

だからこそ「才能」を裏付けるために、小学校の時のような「人気」ではなく「権威」を求めた。

中学三年になるくらいまではそれが先輩と顧問

その人たちに認められるのがすなわち自分の「才能」ゆえだという思いは、市が募集しているジュニア文学賞を取るに至ってピークに達した。

そして、三年生に進級して先輩がいなくなる頃、自分は先々文芸社会的に認められるのが当然の人間だという意識しかなかった。

ネタを探したり、物語を書くために読んだ本のせいで色々と得た雑学のお陰であちこちで博識キャラ認識されたことに気をよくし、哲学書に手を出してみたり、感想校正を求める後輩に偉そうに指摘して批評していたあの頃の思いあがった黒歴史は、今でも時間を遡って殴りつけてやりたいと思えるほど酷い。

そして同時に、オタク趣味も変わらず持っていたため、あとはよくあるワナビ街道まっしぐら

ラノベ世界を知り、自分なら簡単にこの作者たちを追い抜ける、もっと素晴らしいものを書ける、と当然のように思っていた。

小学校からやっていた自分は一日の長どころではないものを持っているのだから、市の文学賞を取ったくらいなのだから、と。

設定を細かく決め、物語を練りに練った自称大作を、高二の頃に自信満々で応募。

「大賞受賞作」の帯とともに書店に並ぶ光景と、「高校生作家」の響きを頭に思い描いていたところに届いたのは、落選の知らせだった。

ふむ、何が拙かったのだろう、ライトノベル自分の書くものはそぐわないのだろうか、もっと大衆向けを意識しなければならないのだろうか、ファンタジー王道のあの作品やSFのあの作品は、などと思いながら二つ目を書いて応募し、また落選

ならばと一般文芸公募に応募し、落選

受験をはさんで数年それを繰り返してことごとく撃沈し、完全に自信を失った。

それでも諦めきれなかったが、どうしようもなく煮詰まっていた僕が次に逃避したのはネットに投稿される二次創作小説だった。

その頃はまっていたアニメ二次創作を書いて投稿すると、知らない人から感想メールが来て、そこに並ぶ褒め言葉に感動。

書くたびに感想メールがくる。

次第にその数が増え、アクセスも増え、いつしか小学校の頃の自分に戻ったように感じていた。

僕が書くものを楽しみに待っている皆がいる。

僕の書くものを褒めてくれる、認めてくれる。

さらに、そのジャンルから本職の作家になった人もいるということが希望と自信になっていった。

まさかの縁で、本職作家さん(ラノベではない)とも知り合えたとき、もはや自分の中ではそのジャンル内での本職デビュー最有力候補の気になっていた。

やはり僕には人に認められるだけの才能があり、その縁で更に素晴らしい才能を持つ人とも知り合う事ができたとまた増長していた。

その頃、二次創作作者の中で中堅キャリアの良作作家という評価を得ていたことから、そろそろ頃合いだと思い、「僕がその実力を認める作家仲間」に声をかけて、また新人賞に応募。

そして見飽きた選評。

受賞した人の出版された作品を読んでみると、自分の応募作がそれらに比べてそこまで劣っているとは思わないし、自分のほうが上だと思うものも珍しくない。

何故落選なのか分からなかった。

知人の本職の先生にも度々話を聞かせてもらって参考にし、応募した仲間うちでも互いに批評推敲を重ねたのに何故なのか。

それで何かがふっと切れた。

今年はどこにも応募していないし、そのつもりもない。

ワナビ熱が冷めてしまったということだろう。

今でも書くことは好きだ。

でも、素人文芸の枠でいきがってるのがせいぜいということなのだと思う。


「僕が認めた二次創作作家仲間」ではない人が、件の先生に声をかけられているらしいという噂を耳にした。

僕と同じように「中堅キャリアの良作作家」と言われていたその人は作家志望ではないはずだった。

そのアニメ好きが高じて趣味二次創作文芸をしているだけで、創作を始めてまだ数年、オリジナルを書いた経験がなく、二次創作の発表作品数も僕より少ないというのは聞いている。

読書もあまりすることがないらしいのに何故なのか全く分からない。

マンツーマンで数時間色々な話をされ、数年中にデビューしろと言われたらしい。

僕はお願いして時間を取ってもらい、軽く話を聞かせてもらっただけである上、そんなことは言われもしなかった。

「才能の差でしょ」と妹に言われたけれど、多分そうなんだろう。

度々思い上がり、叩きのめされ、浮上してまた思い上がり、を繰り返しているだけだった自分には、「天性の才能」なんてただの夢物語だった。

それが本当に誰しもが夢見るだけのものだったならよかったのに。

「才能」という言葉、それが表すもの、僕も欲しかった。

2010-05-01

最近ゲームの元気のなさの理由

まず、愚痴のような物から。

今まで増田にいくつか記事を書いてきたが、書いても(さも引用先の作者が考えたように―それもそれなりに名の通った人だったりする場合もある―)無断引用でパクられるか、ボコボコにされるか、無視されるかで、あまり良いこと無かったな、と思いつつ、なぜまた今、増田で記事を書くのか?ということを考えると、やはり自分の考えを世に問いたい部分があるんだろうな、と自分に対して思う。

もちろん、自分の記事でも、それなりに説得力のある意見もあったのだろうし、全然見当違いの意見もあったのだろうが、もうちょっと手の内を見せない方が良いのかも知れないな、などと思う。実際、ウェブで見れる情報は、プロで書いている人も、ほとんどの人が「今までの意見を整理する」だけで、金を払っても良いような「面白い見識」の割合は少ない(そりゃ、誰でも自分の商売の核心的なアイディアは話さないだろうけど)。

いやいや、金を払っても良いような意見無料で手に入れられること自体がおかしいじゃないか、とは多分その通りで、現状でも厳しいライター諸氏はさらに食いっぱぐれてしまうと思う。もっとも、私の書いた記事がそのまま金になるのか?という点に関しては、自分でも疑問だと非常に思うが、現実的にさも自分が考えたように部分的にパクられて商業活動に利用されるとこちらとしては脱力の限りだ(彼らは、どこかで見た記事を無意識のうちに利用しているという認識かも知れないけど)。

個人的には、勝手に使うのはかまわないけど、せめて、「ちまたは~という意見もある」なり書くのがせめてもの物書きのプライドだと思うのだが。

……と、いったゴタクはどうでもいい話である。

最近ゲームの元気のなさの理由」を考えたい。一部しか書かないけど。

まず、ラノベの話からする。

単純に「ライトノベルとは何か?」と問われた場合、一番簡単な答えの一つに「ライトノベルとはキャラクター小説である」というのがある。

だが、「ほう、なるほど。ではキャラクター小説とは何か?」と説明を求めると、あまり歯切れの良い答えは返ってこない気がする。最近、これに対する単純な回答を一つ思いついた。「”まず、テーマありき”が文学、”まず、キャラクターありき”がキャラクター小説ラノベ)」。

バカ売れしている村上春樹の「1Q84」でも良いのだが、あれがラノベではなく文学と言って通るのは、作品が「まず、テーマありき」で作られていて(例えば、9・11テロ以降の混沌とした世界がうんたらかんたらとか)、そこが作品のコアだからだと思う。

ラノベにもテーマはあるよ」といえば確かにそうなんだが、テーマの重み(重大性や芸術性、事件性)が違うんだろうなと思う。

だから、基本的にラノベは、エンタメ小説寄りである。

具体的には、テーマはむしろ昔からある使い古された物の方が良いし、その予定調和を打ち破るキャラクターの立ち具合が何よりも優先される気がする。

……ええと、何の話をしていたっけかな。

そうか。「最近ゲームの元気のなさの理由」か。

では、結論から書くと、「最近ゲームゲーム性が低いのではないか」というのが理由の一つだと思う。

と言ってしまうと、「うわっ、今さら”ゲーム性”かよ」「じゃあ、ゲーム性って何?」といったお得意の議論の無限ループに入るわけだが(というか、シラけて誰も反応しないほど手垢にまみれた議論であるが)、ラノベの話はその辺の議論を一時停止するために持ち出した。

文学性とは何か?」と考えた場合、「”まず、テーマありき”が文学」と書いたように、「文学的にしか出来ない表現テーマ(強力なメッセージ)を表現するのが(純)文学である」という一つの回答があるなら、「ゲーム性とは何か?」と考えた場合、「ゲーム的にしか出来ない表現テーマ(強力なメッセージ)を表現するのが(純)ゲームである」という回答もまた成り立つのではないか。

「何も言っていないのと同じだ!」という人もいるかも知れないが、要するに言いたいことはこういう事である。

例えば、「(評価の高い)スーパーマリオ1のテーマが、「ジャンプアクションによるアスレチック性」を追求したとするならば、(これまた評価の高い)スーパーマリオ3は、要素を盛り込みすぎて、テーマがぼやけていないか?」といった議論が出来る。

そういう議論の延長で最近ゲームを見ていくと、例えば、「ストーリー……主人公の台詞かなんかでそのゲームテーマを直接文字や声で説明するゲームは果たしてゲーム性が高いのか?」や「盛り込みすぎてテーマがぼやけているゲームが多すぎないか?」、「ここ最近、新しいテーマに挑んだゲームがどれだけあるんだろうか?」という疑問にも繋がる(ちなみに、最後の疑問に対して「ソーシャルゲーム」という回答にむらがざるをえないほど、業界が切羽詰まっているのも実情であろうと思う)。

ゲーム性が高くないゲームは、ゲームというメディアとしての特徴が弱いわけだから、ゲームとしての長所が活かせない。

利益率が低いし、第一売れない。爆死、爆死の連続である。もちろん、「だから最近ゲームクリエーターはなっていない!」といったような話ではなくて、「ゲームビジネスの難易度は確実に上昇している」。ただ、構造的な問題は大きいが、それ以前の問題の作品もまた多い気がする。

確実に言えるのは、「暗黙知」の部分が大きすぎるという点だろう。体系としてノウハウが蓄積されていないのである。そして最初の話にも繋がるが、要するに日本では手の内を見せない人が多いのである(かといって海外天国というわけでもないと思うが)。「堀井雄二」を知っている若者がいないと嘆くなら、彼の偉大さをちゃんと伝えてきたのか、まず自分に疑問を持つべきであろう。

まぁ、そういうことを書きながら私も全部は書かないのである。そんな所だ。

追記:おお、思ったよりボコボコにされてるなあ。だからみんな萎縮するんだろうなあ、と思いつつ。となると、やはり無名の開発者自分の見識を発言しても益はないし、実名出してもあれだけ叩かれるんだから(有名ブロガーとかね)、チキンにどこの誰だか分からない増田に書いても人権はないよなあと思った。というか、特に日本を含めた東アジアでは、誰が話すのかが重要であって、内容はあまり問われないのかも知れない。そもそも日本でどれだけフラットな議論が成り立つのか、という話にもなるけど。

2010-04-29

小説界のコンテンツ不足は本当か?

趣味小説を書いてみたくて、小説作法本を何冊か買ってみた。別に新人賞とかを狙ってるわけじゃなく、同人誌で出せればいいや、程度にしか考えてないんだけど、どの作法本を見ても新人賞意識した本ばかりだった。

もちろん、作品を作るにあたって参考にはなるし、同人とは言え、質の高い物を作りたいとは思うから、新人賞意識していてもそれはそれで構わないのだが。

作法本を読むと、たいてい、小説コンテンツ不足について書いてあったりする。だから新人賞に応募して新人が新しいコンテンツを送りだしてもらいたい、とかなんとか書いてある。激のような文ですな。

本屋に行けば、これでもかってほどライトノベルは列んでいるし、コンテンツ不足は本当なのか?と思ったりするわけだけど、実際、自分が買って読む「小説」は減る一方なのも事実

先日、作法本を書いている出版関係者に会う事が出来たので、その辺の事を聞いてみた。

本屋に行くと小説の作法本がいっぱい置いてありますよね。そんなにコンテンツ不足なんですか?」

「いやいや、そうじゃなくて、小説作法本って売れるんだよ」

……。

あ、そう。そんなからくりだったのけ。

まぁ、書く人も出版社も、売り上げだしてナンボだからな。

2010-03-10

月初の曜日電撃文庫書店に並ぶ日の関係。

http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/20100309/p1

調査対象は2006年4月発売~2010年3月発売の48ヶ月分。データ元はライトノベル電撃文庫スレのゲット報告。表は縦が各月一日の曜日、横が都内電撃組で販売が確認された日(以下「販売」or「販売日」)、各セルが販売日の曜日と確認回数。

5日6日7日8日9日備考
金5---火39日の1回はGW明け(2006年)、1回は3月2010年
---火7-8日の1回はGW明け(2007年
--火2水3-
--水6木1-8日はGW明け(2008年
-水4木1金2-8日の1回はGW明け(2009年
水1木3金3--
木5金2---

電撃文庫の販売日は基本的に5日~8日の間で、土・日・月は販売日になってない。

9日販売も今月含め3回あるけど例外的だと思う。そのうち1回はGW明けだし、今月は前の月が28日までと短い。「月曜から始まり5日(金)販売が難しい事情のある月は9日(火)になる」という感じ?ただ残り1回(2009年6月)の理由が謎。

上表から他のGW明けも除くと、一日の曜日と販売日の関係は以下のようにまとめられる。

  • 火曜→8(火)
  • 水曜→7(火)~8(水)
  • 木曜→7(水)
  • 金曜→6(水)。たまに7(木)~8(金)
  • 土曜→5(水)~7(金)
  • 日曜→5(木)~6(金)
  • 月曜→5(金)。例外的に9(火)

一日の曜日が火曜から月曜に向かうほど販売日が早くなる。

どうしてそうなってるかは出版書店流通中の人が説明すればいいじゃない。すいませんして下さい。

おまけ
0506070809
金5×××火3
×××火7---
××火2水3---
×---水6木1---
---水4木1金2×
水1木3金3××
木5金2×××

土曜~月曜にあたる部分をバッテンにしたもの。

2010-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20100213183824

いわゆるライトノベルとかアニメも押しかけ女房系しかないからね。

 

君がそういう作品しか知らないだけだろう。そういう話が多いのは否定しないが。

有名どころで言っても、ハルヒけいおんもそんな話じゃない。

 

まあ、流れ的に違う話か。

http://anond.hatelabo.jp/20100212061531

いわゆるライトノベルとかアニメも押しかけ女房系しかないからね。

待っていれば美少女が同じクラスにやって来て、隣の席になって、勝手に何かが始まってくれるはずだとか、都合がいいにも程がある。

昔から男は背中で語るとか、全部嘘で都合のいい妄想でしかない。

コミュニケーションスキルが元々高い女と違って、男は孤独に陥りやすい。

現実は突然の告白からいきなり何かが加速したりしないよ

2010-02-11

増田に投稿された切込隊長への怪文書の出典を検索で調べてみた。

http://anond.hatelabo.jp/20100205133048

増田に投稿された怪しい怪文書。この文書は昔、2chに匿名で大量に投稿されたものだそうです。


驚くことに怪文書の中身は次々に山本氏の自称らしきものと、いくつも一致しました。

検索の範囲でひっかかったもので確かかは知りません。文句はリンク先にどうぞ。)


山本 一郎(英登記名 Ralph Yamamoto,NL)

まずralph 

山本一郎twitterアカウントは、つい最近までRalphYumのハンドルを名乗っていました。 

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/kirik

留学 モスクワ大学(1993: ソ)

モスクワ大学留学組(留学つーか逗留に近いけどな)

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/05/post-cc27.html

留学 シカゴ大学

ジャーナリスト神保哲生氏のネット番組社会学者宮台真司氏に

シカゴ大学大学院に行った」と紹介されたとき、肯定も否定もしなかった。

http://fusoshatokiri.seesaa.net/article/3714514.html

企業調査では特に秀でた実績を有す(1997)

パソコン仕事を変えた 私立探偵 山本一郎

http://cmiyc.hp.infoseek.co.jp/src/up0004.jpg

慶応義塾大学時代、中道右派学生自治会委員長を務めていたこと が判明

大学では自治会とかを。 僕が文連の委員長もやっていて。 3年の時委員長になって4年の時に後継者いなくてもう一年やって、 そのあと一回留年して、さらにもう一回、合計3年間委員長やってですね。

http://www.keio-j.com/old/interview/43kirikomi1.html

IQ: 計測不能、190以上(シカゴ大学調べ)

IQは190。攻撃的に童貞を死守している

http://www.fusosha.co.jp/senden/2004/048188.php

偽名でライトノベル出版

いままで別のペンネームラノベ何冊か出してるんだよね。

 で、そっちが売れてシリーズ化したんで、なんかオーダーが来たと。

http://d.hatena.ne.jp/tonbo/20051024

オラクルDELL投資により30億の利益を獲得(個人資産) 

「確か、デルは1株2ドル40セントで買いましたが、その後、グングン株価を上げ、結果的に当初の投資金額の1000倍くらいまで跳ね上がりました。」

http://www.geocities.jp/kirikomi1973/Dell/index.html

結論

本人が自称する経歴と一致がいくつかありますが、怪文書が正しいとも正しくないとも断言できません。ただひとついえるのは、

匿名で悪口をかかれることが多いインターネット世界匿名で美談を広げてもらえるなんて運がいい人だ」ってことでしょうか。


ついでに山本氏が唯一肩書きとして利用してるイレギュラーズアンドパートナーズについても調べてみました。
イレギュラーズアンドパートナーズ社内写真

http://f.hatena.ne.jp/tsubomi_ugetsu/20090930103606

イレギュラーズアンドパートナー株式会社監査役。」

に関しては、本年7月付けで辞任しています。理由は、少なくとも

この2年ほどは実態がなかったから。

http://column.chbox.jp/home/inoemon/archives/blog/main/2006/09/01_110014.html

イレギュラーズアンドパートナーズ社内写真2

http://f.hatena.ne.jp/tsubomi_ugetsu/20090930104514

名乗る肩書きはイレギュラーズアンドパートナーズだけだけど、本当は凄い人らしい。
全て某だけど、凄い人だと信じましょう。

http://fusoshatokiri.seesaa.net/article/12051871.html

2010-02-05

切込隊長の凄まじい経歴

508 :名無しさんお金いっぱい。:2010/02/04(木) 22:27:12 ID:UmutD1lF0

お前ら切込隊長の凄まじい経歴にひれ伏せよ。

2001年9月に謎のハッカー911の混乱に乗じて流出させた山本一郎プロフィールだ。切込本人もガチ情報だと認めている。

なんでもシカゴ大学ベンチャーキャピタルが作ったプロフで、当時はラムズフェルド国務長官危険人物として切込をマークしてたんだとか


山本 一郎(英登記名 Ralph Yamamoto,NL) 最終更新日2001年 02月 04日

生年月日:****年 **月 **日

国籍・本籍地:東京都中央区八重洲日本

職業投資業、投資顧問業、技術評価コンサルタント

種別:A-03 業種コード:3303-2B

学歴慶応義塾高校,慶應義塾大学法学部政治学科(1996)

留学その他:シカゴ大学(1994:米),モナーシュ大学(1995:豪),モスク大学(1993:ソ)

株式公開企業等事業者役員経験:無

資産種別:同族(1),個人営利(3),その他(9)

扶養家族:無

主要取り扱い銀行:***銀行(スイス),**銀行(蘭),****銀行(アイルランド)

職歴等:関連データ参照

経歴特記事項(略記):

筑前竹中家庶流。赤穂藩淡路山本分家。祖父**、四男父**。

始祖父代に武家売役、回船問屋泉屋、蔵問屋泉屋を名乗る。以後、中央区八重洲界隈の地主として現在に至る。

父**は*士*学*業(同族企業)を経営する他、三菱の流れを汲む四社代表取締役を勤める。(1990)

母仲山**。昭和**年度準ミス日本(1990)

国際電気入社。人事部配属(1996)

父**、不動産管理業の失敗が理由で全ての保証人山本*郎に移す。

主な債権者は日*興*銀行、*谷*用*庫(1996)

金利等減免措置適用さる(1996)

同年退社(1996)

起業経験あり(1996)

企業調査では特に秀でた実績を有す(1997)

******・****・***証券(英)傘下****・****社

にて金融商品設計担当取締役就任(1999)

慶応義塾大学時代、中道右派学生自治会委員長を務めていたこと が判明(1999)

米国株売却益により*士*学*業等同族企業債務の過半を返済(2000)

SECより高額納税者登録、重点監視者登録される。

この頃、在米資産の過半が処分される(2001)

IQ: 計測不能、190以上(シカゴ大学調べ)

性格: 生真面目、頑固、議論好き、完璧主義という証言が大半を占める。他に

女性嫌い、大酒飲み、狂人、吝嗇、冷静沈着、など

趣味: 野球鑑賞、ビデオゲーム射撃ギター演奏、学究

補記: 中学、高校時代は数学オタク、嘘つきなど風評芳しからざる学生だったという証言あり。

大学進学後は態度が改まり自治会文化団体連盟の委員長に選出されるなど、

人格成熟化に伴う成長が見られる。

この頃、代議士熊谷弘、大平正芳橋本龍太郎らの子息と親交を結ぶ。

ファンタジー研究会に所属。この頃、偽名でライトノベル出版シリーズ累計400万部を超えるベストセラーになる。

大学時代射撃部、体育会本部を経て自治会委員長に推薦され、主に体制側として手腕を振るう。(1995)

******・****・***証券(英)傘下****・****社においては、

数学に秀で、緻密な仕事ぶりを勤務において評価され、

デリバティブモジュールの作成において顕著な実績を挙げる。

取引先に言い寄られ、ストーカー容疑で二件の被害届を提出している(1999)

司法資格失効(1999)

オラクルDELL投資により30億の利益を獲得(個人資産) (1999)

金融監督デリバティブ査察チームのアドバイス業務を行っていた形跡あり(1999)

この頃、同僚が自殺(2000)

2010-02-01

時の試練に耐える作品、消える作品。ちょっと前のスレイヤーズのアレ

http://anond.hatelabo.jp/20091215072940

外山滋比古の思考の整理学本屋平積みになっていた。家に帰り、久しぶりに件の本を棚から引っ張りだしてパラパラと捲った。その中の一段、時の試練という項目で取り上げられている、当時は天才と持て囃されたけれども時代とともに忘れ去られた島田清次郎と、当時賛否両論であったのに現代は国民作家となった夏目漱石との対比の例を見て、ふと脈絡なくスレイヤーズのことを思い出した。

富士見ファンタジア系、といってもそこまで詳しくないのだけれど、当時見ていて覚えているのは、スレイヤーズ、天地無用、セイバーマリオネットとかだろうか。確かに面白かったし、同じ文脈を持った同年代と出会うと大抵話題に上る。けれども、そこで終わり。懐かしむ以上のものはない気がする、といったら傲慢だろうか。

順調に年を取り、或いは40年後、擁護老人ホームで溜め込んだオタクコンテンツを消費する生活になったとして、何を見るか、何が残っているか、みたいなのを夢想する。もしかしたら、その頃にはアニメをみていないのかもしれない。今でさえもうリアルタイムで追っていない。もしくは、アニメという産業自体が存在しているかどうかも分からない。

近年で言うと、DVD,BDともに一番売れた化物語が数年後どうなっているのかとか。個人的に西尾維新は好きだけれども、数年後は分からない。空の境界などはどうだろうか。こちらもDVDが売れているみたいだけれども。と思ったら、ニコニコ動画のチャージマン研ブームのように、局地的に意外な視点で取り上げられることもある。SFが好きなため、ハルヒは一巻の頃から追っていたが、あそこまでブームになるとは思わなかった。突然話がずれるけど、書痴は何でも読むから書痴なのであって、当然ライトノベルも読む。そこで、当時図書館スレイヤーズと一緒に借りたのが・・・記憶曖昧だが、それが確か島田清次郎の何かだったかも・・・というのを思い出した。いや、出来すぎだから多分記憶違いだろう。

今年も様々なアニメ作品が放映されるけれども、どれだけの作品が残るのか、というのも興味深い。ちなみに、掲示板の質問で、どんなアニメをみたらいいか、という内容のときたまに上がるプラネテスだけれども、あれは正しいと思う・・・みたいな感じで作品は語り継がれていくのかな、とも思ったり。

2010-01-29

諸君、私は本が大好きだ

諸君、私は本が好き

諸君、私は本が大好きだ

小説が好きだ

漫画が好きだ

歴史物が好きだ

推理物が好きだ

純文学が好きだ

恋愛物が好きだ

童話が好きだ

SFが好きだ

翻訳物が好きだ

学術書が好きだ

思想書が好きだ

辞書が好きだ

評論が好きだ

ライトノベルが好きだ

ファンタジーが好きだ

ミステリーが好きだ

ノンフィクションが好きだ

文庫新書コミック文芸書で 雑誌絵本iphone

この世界に在るありとあらゆる物語が大好きだ

昔に一度だけ読んだ本に古書店で出会えた時など、心が躍る

生涯に一度出会えるかどうかと思えるかのような小説を読んだ後など絶頂を覚える

結末が自分の予想をはるかに超えた時などはもう最高だ

傑作が読めたなら、その時に死んでも構わない程だ

他人から薦められた本が望外に面白かった時など、感動を共有できた喜びで胸はいっぱいだ

逆に自分の薦めた本が気に入られた時など、自分が褒められたかのように嬉しい

好きな作家が死んでしまった時などはとてもとても悲しい

その人の新しい作品が読めないなど悲劇以外の何者でもない

一日に一度も本に触れられなければそれだけで屈辱だ

たいして本を読んでいない連中がこれ見よがしに、y田y介の本を絶賛しているのを見ると、あまりの頭の悪さに哀れみを抱く

諸君、私は天国のような読書を望んでいる

諸君、私と同類である読書中毒者(book warm)諸君

君たちは一体何を望んでいる?

さらなる読書を望むか?

情け容赦ない、圧倒的な名作を望むか?

疾風怒濤の筆舌の限りを尽くし、三千世界の脳を焼き尽くす、嵐のような傑作を望むか?

読書(read)!読書(read)!!読書(read)!!!

よろしい ならば読書

我々は満身の誠意をもって物語を追い求める、ページを捲る手だ

だがこの山のような駄作の物語の中を耐え続けた我々にただの傑作ではもはや物足りない!

大傑作を!! 一心不乱の大傑作を!!

我らはわずかに一個大隊 千人に満たぬ読書中毒者に過ぎぬ

だが諸君は一騎当千読書狂だと信じている

ならば我々は諸君と私で、総冊数100万の本棚となる

我々を忘却の彼方へと追いやり、眠りこけている連中を叩き起こそう

髪の毛をつかんで引きずり下ろし眼を開けさせ思い出させよう

連中に読書の味を思い出させてやる

連中に文字による感動の味を思い出させてやる

天と地の狭間には奴らの哲学では思いもよらぬ物語がある事を思い出させてやる

一千人の読書中毒の病的集団で

世界の傑作を読み尽くしてやる

最後の大隊 大隊指揮官より 全読(書中毒)者へ

第一次傑作羅列作戦(project masterpiece) 状況を開始せよ

征くぞ 諸君


ということで、皆様が今まで読んだ本の中で傑作だと思えた作品を教えてください。

2009-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20091219211751

ラノベラノベしたものが書きたいの?

消化した上で超えたい壁として想定しているのが半村良だったり隆慶一郎だったりする。

西尾維新とか奈須きのことかの伝奇ライトノベルを書くにしてもラノベの大半は参考にならないよ。

2009-12-17

家族との対峙

 どんなに個人主義自由主義だといっても、家族関係というのは逃げられない最後の砦のような関係だと思います。

 青少年向けの物語って、特にライトノベルとかそうかなあと思うんですが、両親の存在を消すか薄めるか非現実的にするかしないと、なかなか成立しないんですよね。そもそも、物語は親から離れたところで成立するものだと言っても過言ではないかもしれない。

 親から離れるというのは、もちろん自立を促す要素が多分にある。けれども、それが離れるというよりも逃げるといったほうがいいような場合もあるわけで、その場合は現実逃避という評価になってしまうだろう。

 いやー、『紅』という作品を見たんですが、ヒロイン女の子が、最後に家族と向き合う選択をするんですよね。話の大まかな流れとしては、「家」に縛られたお姫様を奪い去って逃避行、自由な外の世界へ、という感じなんだけど、そういう安易な方向で終わらせなかったのは作品の普遍性というか完成度という点で、成功だったのだろうと思う。

 この前、『シャナ』の話で書いたことですが、シャナの3つの名前は、それぞれが彼女の属する位相の異なる価値に対応していて、シャナミクロ日常価値でもマクロな使命の価値でもなく、かけがえのない個人としての選択をしたのでした。

『紅』のヒロイン紫も、それと同様だったということができます。男の子との幸福だが閉じた関係でもなく、「家」のしきたりという与えられた使命にただ従うのではなく、かけがえのない個人紫としての選択をするわけです。この選択のシーンは、シャナシャナとして戦いに赴くときのシーンと見比べると、まったく世界観の異なる作品同士でありながら、まったく同じことが起こっているのがありありと分かります。というより、セリフの内容と言い方というレベルでさえ、同じなのです。

 どちらも、フレイムヘイズやあるいは「家」のしきたりというあらかじめ与えられた使命がスタートでした。そこから、ミクロ日常幸福経験した上で、改めて個人としての選択をするという構造になっています。物語が発動する部分というのは、この、あらかじめ与えられていた、はめ込まれてしまっていた関係をリセットするという部分に求められるでしょう。そして、ゲームリセットと同じように、再プレイしたときには、前よりも上手に、もっと先のステージまでプレイできます。物語の効能もそれと同じで、前と同じ現実に戻ったように見えながら、実は物語によって経験したことを通して、以前とは少し違ったよりよい優しい関係を築くことができるのです。

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