はてなキーワード: ヘルメットとは
よく言われることだけれど、ロードとかクロスバイクとかを買ったときに、必要な付属品がある。
例えばライトとかだけど、こういうのを買うと本来の自転車の値段より高くなるのが若干曲者。
楽しく自転車を乗るために、必要なものと値段をあげてみる。
絶対に必要なもの以外は、ちょっとずつ欲しいなと思ったら買っていけばよい気がする。
バイク乗りの人にちょっと聞きたいんだけど。
素朴な質問なんだが、どうしてああいう身体を露出しながら時速100km/hも出る乗り物に平気で乗れるの?ちょっと車と接触しただけでぶっ倒れるような乗り物であり、かつぶっ倒れたら即命が危ないような道路状況だということは分かってるよね。
まだ、しっかりフルフェイスのメット被ってライダースーツ着込んでる分には、「ああ危険を認識してるんだなあ」とは思う。けど、薄着でヘタしたらTシャツ短パンみたいな格好でオマケに気休めにもならないハーフフェイスのヘルメットで、死角から車の間をヒラヒラくぐり抜けて前へ行こうとするバイクって、何なの?
車に乗ってれば、道路にゴミや動物の死体が落ちてることもある。車線の範囲内で軽くハンドル動かすことくらいあるよ?普通に。そのときそこにバイクがいたら、正直シャレにならないじゃない?
要するに、バイクから車を見ると「ときどき危険」に見えるかもしれないけれど、車からバイクを見ると「常に危険」に見えるという話。ホント、他人事ながら、見ててハラハラして仕方ない。まあ、どうにかしろっつってもどうしようもないとは思うけどね。
バイク乗りだけどバイクは楽しい。いろいろ走った。遠くへもよく行く。
ただ、知人/家族には勧めない。なんてたって危ない。人がむき出しで100km/hも出して走ってたらそりゃ危ない。
タイヤ二つで自立もできない構造的欠陥をもった乗り物だ。危ないに決まってる。
アスファルトを触ってみてほしい。ダイコンが余裕ですれる。そこに高速で人が転がったらどうなるかわかるっしょ。
去年バイク事故でで知り合いが死んだ。事故から1年昏睡状態が続いた末の死。
ちゃんとしたヘルメットをしていたが頭部へのダメージが大きく、一回も意識を回復することが無かった。
危ないよ。バイクは。
でも俺は乗り続ける。楽しいから。
バイト経験が豊富だという女の子が「そうそう2年位前だったかな?」と言って話し出した。お中元とかお歳暮の時期に、クロネコヤマトで短期で荷捌きをするバイトをやったことがあるそうだ。記憶では2年くらい前、東京の東の方のセンターの中元シーズンのことだそうだ。
クロネコヤマトの荷物というのはベルトコンベアーに載ってセンター内を回るそうだ。その途中で行き先に応じて振り分けをするらしいのだが、ベルトコンベアそのものは長さが限られているので、どうしても途中で"繋ぎ目"が出てくる。
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中元の荷物には瓶詰めのお酒やら、こんな小さい箱使っても金額同じだよ! と突っ込み入るような小箱も混じっているため、繋ぎ目はあまり広く取ることができない。(隙間は数センチ程度と思われる)また動いているベルトコンベア同士のためか密着しておくこともできないようだ。
大量の荷物がこのベルトコンベアの上を通るのだが、中にはコンベアの下に落ちてしまう小さなものもどうしても出てくるらしい。普通はそういうのはコンベアを止めて後でまとめて拾うのだそうだが、季節バイトの男の子はそれを知っていたのか知らなかったのか、落ちた荷物を反射的に拾おうと手を伸ばしたらしい。
コンベア自体はものすごいパワーで回転しているので人間の手など簡単に巻き込む。
直ぐにコンベアは止められたが、その男の子の片方の手(右手だったか左手だったかは不明)は引き抜いたときにはズル剥け上体で粉砕骨折していたらしい。救急車で運ばれたが止む無く肘から先は切断になってしまったそうだ。
話をしてくれた女の子は翌日になってその話を社員から聞いたそうだが、警察が来て事情聴取とか面倒だったものの中元をさばくセンターを止めることはなかったそうだ。
その後は安全管理も徹底されて、靴やヘルメットなどがバイトでも義務着用になったそうだが、つい2年ほど前まで、アルバイトでこんな危険な作業があったことにびっくりした。
郵パック遅配で今年の中元シーズンは大変な騒動になってしまったけど、荷物が腐ったくらいならどうとでも取り返しはつくのだから、目くじら立てるのはよそうと思った。
一瞬の判断のミスや遅れで命に関わる重傷を負ったり、死んでしまったりするからだ。
自分だけが傷つくのはまだいいが、たまに自分のミスのせいで他人が酷い目にあったりする。
その日、俺はビルの工事現場の、下の階の方にいたのだが、いきなり大声が上から降ってきた。
「あぶなああああああああああああああああああああああああああああああい!!!!!!」
咄嗟に右の方に身体を移動させたら、直後、
ばごんッ!
と、自分が一瞬前まで立っていたあたりで凄い音が響いた。
鉄製の足場にへこみを作るほどの大きさのハンマーが転がっていた。
ヘルメットなんかクッキーのように簡単にぶち壊せる代物である。
それが何十メートルという高さから落下してきたのだ。
俺の周りにいた人々が一斉に顔を上に向けて「あぶねぇだろうが!」と怒号を放ち始めた。
ハンマーを落とした人は即座に管理責任者に呼ばれて腹に拳を叩き込まれていた。
ちなみに俺は小便を少量、漏らしてしまったが、これは誰にも言わなかった。
なんか色々と混乱してて何から整理していいのかわからないから、書き出してみることにした。
私は1992年生まれの17歳(大学受験生)で、父が死んだのが1996年で3歳の時。今は2010年だから、14年経ってる。
父に関する記憶は、ほとんど無い。あるとしても、棺が焼却炉に入っていく場面しかもう覚えていない。
17年間生きてきて、母から父については何も教えてくれなかった。「3歳の時に事故で死んだ」くらい。
だから私は周囲の人が「父はこういう人だったんだよ」と言ってくれるのを頼りに、自分なりの父親像を描いていた。
きっと父がいたら、こうしているだろうな、とか。父さえいれば、とか思ってた。
そんなこんなで今日2010年7月、私が家の掃除をしていたら、いつも閉まっているはずの金庫が開いていた。
母が書類を持ってどこかへ急ぎ足へ行ったことから、急いでいて鍵を閉めるのを忘れていたんだと思う。
私は興味本位でその金庫を覗いた。するとそこには、家の契約書?とか保険?の書類とか、そういうのがいっぱいあった。
なんだつまんないと思いながら見ていくと、埃がかぶっている分厚い真っ黒のファイルを見つけた。
すると、父に関する書類がたくさん出てきた。遺産相続、和解契約書、戸籍、新聞の切り抜き、資格の何か免許書?、献血の賞状、弔辞…
見るのが怖いと思いつつ、開けちゃったから見ちゃおうという好奇心から、全部読んだ。
それが間違いだったのかもしれないと今思ってる。
父は××運輸で働いていたらしい。色々な資格の証明書があった。どんだけだよ。
父は献血が好きだったようだった。表彰状があった。126回ってどんだけだよ。
父は学生時代から行動派だったようだ。毎週キャンプとかどんだけだよ。
そこには私が教えてもらった父と、知らない父とがいて、とても面白かった。
生きていればよかったのにって思った。
父の死因が明確に記載されていた書類を見つけた。
「平成8年×月×日、××町にて、ブームを倒して駐車中の40tクローラークレーンのオペレーターが、10tトラックで入荷してきた止水矢板を卸すため、ブームを約33度に上げたうえで、40tクローラークレーンを約7m前進し停車したところ、その反動で主巻ボットンブロックをフットピン部に固定してあった台付ワイヤーが切断し、ボットンブロックが前方にふられて、荷姿の写真を撮影中の故 父の名前 氏に当たり、同氏は午前8時10分頃死亡した。」
はっきり言って、これの意味が全く理解できなかった。でも、次の新聞記事で少し理解した。
「作業を始める前に、クレーンの重さ約三百五十㌔のフックが、近くにいた父の後頭部を直撃、父は脳挫傷で即死した。警察の調べによると、クレーンの運転手が、フックを固定していたワイヤを外さずにアームを上げようとしたため、ワイヤが切れ、反動でフックが振り子のように動いて、約五㍍離れたところで作業報告用の写真撮影をしていた父に当たった。父はヘルメットを着用していたが、フックがぶつかった際、はね飛ばされたという。」
この時昔の記憶が一気に戻ってきた。そういえば小さい頃おばさんが、
「病院に運ばれたけど、目が開いたままで植物状態だったんだって。もう植物状態でもいいから生きてほしいってあの時は思ったよ。朝の5時に出勤して8時に死んだんだって、気の毒にね。」
みたいなことを私に話してくれたのを思い出した。
なんかもう、今まで父のことをそんなに考えていなかったのに、これ読んだ瞬間涙が止まらなかった。よくわからない感情が頭の中を動き回ってた。
少しだけ、クレーンの運転手を憎んだ。あんたさえいなければ父は生きていたのにって、その時は思った。今は思わないようにしてるけど。
戸籍を見つけた。父のものだった。私の名前、母の名前が載っていた。でもそれとは別に、違う人の名前も載っていた。
戸籍によれば、父はバツイチだった。しかも私の5歳年上の長男もいるようだ。
自業自得で自分勝手だと言われれば否定はできないけれど、小さいころから信じていたものが一気に崩れていった気がした。
しかも、年金手帳を見ると、母の名字も今と旧姓とは異なるものが書かれてあった。母の戸籍はなかったけれど、母もバツイチなのかもしれない。
遺産相続の書類には、私の名前と母の名前、長男の名前とその母の名前、そして住所が書かれてあった。
父が働いていた会社のお偉いさんの名前も沢山書いてあった。住所も。
金庫の隅にA4の黄色い紙が、綺麗に折られてた。開いてみたら、赤いペンで絵が描いてあった。
私はすぐにわかった。これは3歳だった私が、人から「父は頭を怪我して死んだんだよ」と伝えられた言葉を頼りに描いた父の絵だった。
あの頃の私は、何を思ってこれを描いたんだろう。
頭から血が流れている父の姿は、どうやって想像したのだろう。
なんかもう、よくわからなくなった。
何をしていいのかわからなくなった。
何をすればいいのかわからなくなった。
私はこれから、どうすればいいですか。
この記事を書いた増田です。
いきなりですが長文すみません。
この間吐き出すだけ吐き出してからずっと椅子に座って、ぼーっとしてました。
今ブクマ見たら凄いことなってて驚きました。ありがとうございます。
色々なことを考えました。殺した相手を復讐するか、血のつながる兄に会いにいくか、もっとたくさんの情報を仕入れるか、
家族とは何か、父とは何か、一番良い死に方とは何か、片親であることは悪いことか、などなど。
自分の中で答えが見えないものを、ただひたすら探し回ってました。答えなんか出る訳なく、殆ど眠らぬまま今を迎えました。
でもブコメを見て考えていくうちに、ほんの少しだけ理解できるようになりました。
一方的に受け取るのは申し訳ないと思ったので、少しですが答えさせて下さい。
■何で増田に書いたのか■
恋人や友達にいきなりこんな話したってどうしていいのかわからなくなるだろうし、
母や親族に直接聞ける話題でも無いし、そうなると人間で話を聞いてくれる人は私の周囲にいません。
Twitterだと連投は嫌がられるし、元々そのようなツールではないし、ブログなんて持ってないし、mixiやってないし、
一番の理由は、身元を知られずに誰かに聞いてほしかったからです。匿名性があるから、私が誰かわからないと思います、多分。
■「普通に」生きればいい■
逆に普通って何ですか?
だってごく一般的な、両親が揃った家庭を普通とするならば、私は3歳から異常なわけで、
異常な私がすることって普通とは言い難いのではないかと思います。
今回の件を水に流して忘れて生きるというのが普通ならば、そもそも水に流そうと思っている時点で人とは違います。
普通に生きることって簡単なようですごく難しいです、今の私にはさっぱりわからない。
多分、世の中から父の存在を消せば、普通になるのかもしれませんが、それは無理なので一生普通には生きられません。
■何故父に不満を持つのかわからない■
私は小さい頃から父の人柄や評判を積み上げてきました。
それはみんないいことばかりだったので、私にとって完璧な父が頭の中にいました。
だから今回離婚歴があると知って、ショックでした。
私の思っていた父とは違う、と思いました。まあ、私が勝手に妄想していただけの自業自得ですが。
街中で父母子が手を繋いで歩いているのを見て、ああいうのが本来の家族であって、父さえいれば私もああだったと思ったこともありました。
でも今回の件で気づいたことは、愛が移動することで、笑顔の場所が変わるということです。
だって離婚する前は、違う人たちにその笑顔を振りまいていた訳です。
そう考えると、なんか、納得いかないというか、すみません上手く表現できないです。
母とはあまり話しません。性格が180度違うのに自己主張が強い為、話す度にぶつかり合います。
私が遅れてきた反抗期というのも少し関係しているかもしれませんが。母の口から父の話を聞いたことはありません。
母は父が死んでから高血圧になり、ちょっとしたことで倒れるようになったそうです。
だからもし私が父の話をしたら、母は具合を悪くするかもしれません。
もうこの話題はタブーなのかなと思って、父に関することは他の人に聞くようになりました。
これ以上仲良くしようとも思わないし、仲悪くしようとも思いません。
■また悩んだら増田に書けばよい■
もう増田に書きません。なぜならここは悩み相談をする場所では無いからです。
なので今回私が一方的に思ったことを吐き出したことに罪悪感を感じています。
不快に感じられた方もいるようで、本当にごめんなさい。
ですがブコメを読んでいくにあたり、少しずつ整理していこうと思うようになりました。
おそらく多くの人はこれを見ないと思いますが、私はどうしてもお礼を伝えたかったのです。
こんな風にしか伝えられませんがお許し下さい。
出遭ってから10年過ぎた今でも旦那が大好き。
私はそこそこ名の知れた企業に勤めていて、結婚前は職場男性からのお誘いも何度か頂いたけど、ずっと
旦那の方がかっこいいと思ってた。
黒く焼けた顔は精悍だし(外線屋です)、昔誘ってくれた同僚らが、今じゃ運動不足で体のラインが崩れていく中、
体重をキープしながら薄く筋肉がついている体はセクシーだと今でも思う。
一日中ヘルメットかぶっていて臭くなった頭の匂いも嫌いじゃない。
旦那の匂いが基本好き。
メットで蒸れてハゲつつあるのを気にしているみたい。
だけど、頑張って仕事してそうなるのなら全然気にしない。むしろ感謝すら覚えてる。
爪の間や手の皺の中に沁み込んだ黒い汚れ、全然落ちなくて、セックスの時に私に触るのを旦那は躊躇する。
ちゃんと爪切って洗ってくれているなら気にしないし、むしろ無骨で力強い感じが好きすぎて困る。
躊躇する細やかさが愛しくてしかたがない。
周囲はスーツだらけで、職業柄おしゃれでスマートな着こなしの男性が多いけど、働く男の色っぽさは
作業着とは比べ物になりません。
偶然仕事中の旦那を見かけた時、高所作業車に乗って作業している姿は震えが来るほどかっこよかった。
旦那のリクエストと栄養価を考えながらお弁当を作ったり、一緒に買い物に行って、
夏は日焼け止めや涼しいアンダーウェア、冬はアウトドアショップに行って特価の防水着なんかを
あれがいい、これはどうか?なんて言いながら選ぶのがとても楽しい。
地震雷で呼び出されるのが大変そうだけど、そうやってみんなの生活の役に立っている仕事なんだと
思うと、すごい仕事してるんだなー、と感心してる。
ライフライン関係の仕事は、私みたいな販売サービス業とは全然違うな、世の中の役に立ってるなって。
「電工にくる嫁なんざしれてる」
確かに私はたかがしれてるレベルの嫁だけど、それでもこの人との未来を描いていて、とても幸せです。
波乱の時代
ttp://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20081009
革命を起こしたいなら、ヘルメットかぶって演説なんてしてないで、(って、最近は見かけないか) 、金融業に入社せよ。そして、自分が社会からの利益移転をほどこしたい層に対して、無謀な貸し付けを行え。ただしそれは、返済不履行になっても没収され得ないような資産への貸し付けでなければいけない。例えば、教育ローンなどである。そうして、返済不履行に追い込み、あとは公的資金の注入で始末する。こうすれば、合法的で、またセカンドベストという意味での国民の理解の上での利益移転が可能になる。これこそ、21世紀以降の無血革命の方法論ではあるまいか。
最近バイトもせず、遊びほうけているわけでもなく引きこもり気味の大学一年春休み。
あんまり家にいるのと、段々息が詰まってくるので本屋に行く事にした。雨なのに。
着いて1時間ほど立ち読みして、狙いの本が無かったのでそのまま店を出た。
鍵を出すのに手間取っていると、後ろから声がする。
「おい」
振り返る。
そこには自分の親父より干支一回り分くらい若そうな30後半のおっさんが立っている。
「おまえだな」
「さっき何したか覚えてんだろ?」
俺は考える、信号無視でもしたか、無理な車線変更でもしたか。
なんでこんな事を考えたかと言ったら大人に高圧的な態度をとられたのが、
現付免許をとって一週間足らずで一時停止の違反で捕まった時以来だったからかもしれない。
相手は続ける
「覚えてねえのかよ、ああ?」
「・・・身に覚えがありません」
「お前さっきここにいた奴だろ? 青い合羽着て」
さっき、というのがどれ位前の事なのかは分からなかった、が俺は紺色の合羽を着てここまで来ていた、紺だって青に類する。
まだ出していなかったが、荷台のボックスの中にそれが入っている。
「お前だろ?」
ここで俺は焦った、本当に何かしでかしたのかもしれない。つーかおっさん殴ってきそう。
こういう時のために護身術習うのかと思った。
だが相手はまだ俺が何かしらの犯人であることの確証を得ていないように感じた。
もし俺が何かしていたとしても、ここではぐらかす手もあるんじゃないかと考えた。
俺がこの間にうろたえていたのが相手の確信に繋がったのか
「お前、俺の娘に何かしたんだろ?警察とも探してんだよ」
「いや、それはないです」
・・・ああ、人違いだったか。そもそも娘に何かってなんだよ?おさわり?露出?強姦?
相手は激昂している、下手な事を言ったら俺が何かされてしまう。
ここでとりあえず合羽を見せる事にした。
「・・・紺ね、あとお前ニット帽被ってただろ」
「いや被ってないです、ヘルメットなら被ってましたけど」
「じゃあちょっと見せてみろ」
ここまでで、もう俺の中で俺は犯人ではない事は確定していて、見ず知らずのおっさんに持ち物検査をされようとしている。
これはおっさんの芝居で俺の財布を狙っているんじゃないかと、そんな考えが頭をよぎった。そもそも平日の16時に大人の男は働いてるもんじゃないのか?
しかしおっさんの顔が怒っている、恐い。怒られ耐性があんまりないんだよ。
鞄の中にタバコとかエロ本とかやましいもの入ってたらどうすんだろ、嫌だな。
とか考えながら財布しか入ってない鞄と原付の荷台に乗っている空のボックスの中、座席の中を見せる。
相手は、人違いだったと認めたかのように見えた。
俺は何故か、おっさんの追っている事件、犯人が気になってしまって
「あの・・・」
と声を掛けてしまった。
「ああ?なんだよ、文句あんの?やんの?」
と身構えるおっさん。
「あ、いや、すいません」
平謝りする俺。でも誤ったおっさんが謝るべきだろう。
そうしておっさんは去って行った。
ドキがムネムネした。
そこでこんな疑問が残った。
何でおっさんは真犯人はニット帽で青合羽だったのに、ニットも合羽も装備して無い俺に突っ込んできたのか。
月曜の日中に娘の敵を探しているおっさんは何者だったのか。
二つとも考えようによってはすぐ答えは出るけれど、真相は謎のまま。
私が小学生の時、ゲームセンターに行くと不良にカツアゲされるので行きませんでした。
ゲームセンターでしかできないゲームもありましたがお小遣いやお年玉で家庭用ゲーム機を買って自分のしたい事ができました。
私が高校生の時、渋谷にはチーマーがあふれていましたので絡まれるのが嫌なのであまり派手な格好で行きませんでしたし、夜間にうろつく事はしませんでした。
渋谷にはあまり立ち寄らず、吉祥寺や下北沢、新宿で遊びました。
私が池袋に勤めていた時、夜間の広場や公園にはギャングがたむろしていたので近寄りませんでした。
池袋で飲んだりもしましたが広場や公園に行く用事は避けました。
私は今、自転車で通勤していますがヘルメットをし、手袋をし、夜間はライトを着け、無理な追い越しや幅寄せしてくる自動車に張り合わず、車道を制限速度以内で走っています。
身軽な格好で車を追い越すスピードを出すと気持ちいいけど、一回事故を起こしただけで死ぬかもしれませんのでしません。
犯罪や事故、怪我を負わないために、自分の行動が制限されはしますがリスク回避を最優先に日々、必要と思う対策を採っています。
まずはできる範囲で対策を取るのが良いのではないでしょうか?
大学生だった頃、ぼくはかなりとんがったやつだったと思う。
とんがるといってもとても格好いいとはいえないとんがりかたで、世界を敵にまわしているような、一人で戦争をしているような、敵意を剥き出しにして斜に構えるような、そんな生意気ながきだった。
自分の好きなものだけに触れて、世の中間違っていると言い張った。
作り出される自分のアイデアが、とても素晴らしいもののように思えて、それだけに夢中になってあれこれと作った。
ハードボイルドの主人公のように両肩で風を切って、ギャングのように何か面白いものはないかと物色しているような、そんなたぶん二十歳ぐらいの自分を思い出すとなにか冷や汗が出るような気がし、その一方で、なかなかに冴えていたなとも思う。一切を閉ざしてしまって、自分だけの世界に閉じこもって、世の中のものをせっせと自分の世界に取り込んでいたような気がする。
ほとんど誰とも話さずに過ごし、たぶん話していてもかなり機械的な反応しかできなかったと思う。その頃のメールの下書きのテキストが残っていて、それを読むと、官僚的というかガチガチな隙のない文章を書いていて、なんだこいつはサイボーグみたいな文章を書くやつだと、なつかしくなって笑ってしまう。
その文章の中にいる二十歳のぼくはいつも完全武装なのだ。
そんなことになってしまったのは大学一年の頃に起こった事故のせいで、ある事件をきっかけにぼくは人間というものが信じられなくなり、社会を敵にまわすようになった。数ヶ月は立ち直れず、それでも本を読んでいるうちにだいぶ立ち直っていき、読書欲に駆られながら読みふけるうちに、復帰していた。
好んで読んだのはハードボイルド。
チャンドラーとか、ジャック・ヒンギスとか、ギャビン・ライアルとか。
ハードボイルドを読む人なら、この手の小説が汚れきった社会を渡り歩く勇気(社会に絶望していたのでそういう勇気を必要としていた)をもたらしたこともわかりやすいと思う。ぼくはあろう事か、ギャングや、探偵や、元軍人や、スパイに社会との渡り合いかたを教わってしまい、いつも鞄のなかには拳銃が入っているようなそんな心地で、復帰していったのだ。
それは今からしてみれば、常時戦場にいるような緊張感で、そんな状態でまともな会話など出来るはずもないし、たぶんしても鋭すぎる態度で、相手を居心地悪くさせてしまっただろううと思う。それでもギャングだが、探偵だか、スパイだか、元軍人気取りのぼくは、そんな完全武装であちこちを歩き回り、あれこれと色々作って、仲間に見せたりしていた。
それは今から見ても、あの頃に作ったものはすごかったと思うほどで、錯覚ではあるのだけど、本当にたったひとりで世界を相手に戦っていたのだと思うし、シャープで甘えがなく、手を切りそうなほどの切れ味あるものたちを作っていたのだと思う。
だから、こう言いたい。
完全武装の時代もそんなに悪い時代じゃなかったって。
その当時にどのように世の中と接していたかと言われて、ふと思い出した言葉がある。
著名なSF小説「ニューロマンサー」の続編「モナリザ・オーバードライブ」の解説にその言葉はあって、それらの作品を評して「鏡に覆われた(ミラーシャーデッド)表層」と言っている。
この感覚。
ガラス越しという言葉があるのだけど、それよりもシャープな感じで、こちらの表情が見えないようにスモークガラスで覆っている感覚。そして、社会もスモークガラスに覆われていて、お互いが冷たく冷淡で、それが日々すれ違っているのだけど、完全に別け隔てられている。
あちこちのバイトを短期でまわって、世の中のいろいろな風景をスパイしながら(そういうつもりだった)、いろいろに世の中の仕組みを知っていくようになった。会話をしなければならないところでは当たり障りのない、そしておそらくかなり素っ気ない会話を交わし、とても冷淡にその体験だけを盗んでいくスパイのように働いていた。
もちろん、その短期バイトをあちこち回ったことが、のちのちまともに社会に出て、効率的な現場のまわしかたみたいなところでとても大きく効いてくることになったのだけれども、誰もが短期なだけにコミュニケーションらしいものは皆無で、煙草を吸いにいってせっかく話す機会があっても、他の誰かがはなしているのを聞いているだけという、なんという非コミュ。
あの当時のぼくはとてもプライドが高く、口を開くにしてもなにか高級な事を言わなければと思っていたように思う。例えばハードボイルドの主人公のようなセリフなど、いま思えば、現場にまったく必要のない言葉以外話したくなかったのであるが、結局の所それは自分の我が儘で、自分の価値観以外のコミュニケーションを仕事場でさえしたくない、もしくはそれをしなくて良いようアンドロイドのように、時間貸しのロボットのように、ただ効率的に現場をまわすにはどう動けばいいか、だけを考えていたように思えてくる。
ボトルネックを事前に発見して、誰も気づかないうちにそれを埋めていく、それで今日の作業は30%ぐらい効率化できたと悦にいる。そんな毎日。それはリアルシュミレーションゲームのように思えていたし、コミュニケーションなどなくとも、出来る遊びではあった(そしてこの経験はのちのち凄まじい威力を誇った)。
しかし、その当時のぼくはやはりゲーム感覚で、いつでもスイッチを切ってさよならできる現場でしかなく、ミラーシャーデッドどころか、液晶パネルの中の駒でしかなかったのかもしれないと思ってしまう。
そんな事をしているうちに、交通誘導の仕事をやってみることにした。
これは簡単に言えば、工事現場に立っている警備員で、たぶんやってみないとわからないが世の中の潤滑油的な仕事である。仮設の信号機でいいのではないかと言われれば、まあ、そうかもなのだけど、ぼくはその辺の議論はどうでもいいし、もう交通誘導をするはずもないので、あんまり関係がない。
で、いきなりやってくるのは、研修。
法定で4日だったかの研修が義務づけられているとかで、ひたすらに、交通誘導がどんな仕事かをたたき込まれる。そこで言われるのは、ひたすらに危機対応、そして、顧客である工事現場の人たちを守るか。酔っぱらい運転で工事現場につっこんでくる車から顧客を守るのが、交通誘導の第一の責務だとか何とか。まあ、ねえ、顧客だからねえ。
そうやって始めてみるしょっぱなに言われた。
「あれさ、お互い遠くに立ってるじゃない。互いに孤独で。8時間とか、12時間とか。そうするとね、話せないから、上手くいかないと不満がたまってどんどん上手くいかなくなるんだ。そうするとたいへんだよ。向こうはぷりぷり怒ってさ」
これはチームワークなのだと、コミュニケーションなのだと、ぼくはあなたのことを信頼していますと伝える事が重要なのだ。あなたが怒らないように、要らぬ誤解を抱かないように、あなたがぼくが心配ないというシグナリングをしなければならないんだって、あの赤く光る棒を振りながら、ずっと伝えなければならないんだと、それはプレッシャーだったのではあるのだけど、それまでの自分とは違うことが価値があるのだということを、思い知らされた事ではある。
交通誘導に業務効率化する要素などなく、どうやってチームワークをよくしていくか以外に改善点はない。そういう意味では完全コミュな仕事であり、ぼくはあんまり自信がなかった。
それが初めての集合で、煙草を吸っていて結構くせがありそうな人に言われた。
ぼくは、どれだけハードボイルドな世界でショートピースが標準か語りたかった。
「香りがいいんです。それでくせになっちゃって」
「どれ、吸わせてよ。うわ、きつ、なにこれ」
その人は笑う。
「缶で吸ってたときもあるんです。あのときは肺に穴が開いたのがわかりました」
ぼくはきっと「ショートピース野郎」と記憶されたことだろう。それでもその瞬間に、ミラーシャーデッドが融けたのを感じた。ぼくの世界に入ってくる人がいた。確かにさりげないのだけれども、それで勇気づけられたのは確かだ。
そういう感じ。
その瞬間に、一緒に仕事をする人々の世界観もわからないとと思って、一瞬にしてぼくのミラーグラスは破壊された。
同じ人と同じ現場になって、その頃はきつい両切り(ショートピース)はやめていて、もうすこし穏健なロングピースになっていたけれども、その人は、仕事が終わってヘルメットを長時間かぶっていたせいで髪型がめちゃくちゃになっていたけれども帽子をかぶって、自転車に乗る。
そういって、現場から明るくたちさる。
あの職場で、いろいろな人々と、その職場を暖かくする事にどれだけ尽くしただろうか。誰もがその底辺で生活しているわけだし、いつの間にか、それは自分の片足だけつっこんだ居場所になりかけていた。世界がガラス越しではなくなったのこの職場だったし、それはなにか守らなければならない暖かいチームワークの場所だった。
底辺などというべからず。
その後の十年近いキャリアを通しても、素晴らしいチームワークだったと断言できるし、この1/5000ぐらいの荒涼とした、無生産な現場は大量に見てるし、基本的に言えるのは底辺ほど効率的で、上層ほど無能であるということだ。のぼるほど無能になっていく。
機能不全とすべての罪は上層にあるのだけど、わかっているか。
ちょっと言い過ぎた。
ぼくが言いたいのは、底辺を経験してすばらしく暖かく機能的で、ここは問題がまったくない、ということなのだ。ここには何の問題もない。すばらしい経験だった。ぼくの非コミュも解けた。
貴族趣味なぼくは結局ほぐされて、そして紹介で別の職場に入ることになる。
本格的な就職に近い形で、人事のトップに笑われる。
「いや、こんな真っ白な履歴書を見るのは初めて」
その履歴書は真っ白だろうか?
数こと話すと人事の最高責任者は頷く。
じゃあ、採用するけど、明日からちゃんときてね。
配属されたのは実務の最精鋭部隊が集まっている部署で、そこで、笑い合いながら、冗談を言いながら、学びながら、いろいろ効率的なオペレーションを学んだ気がする。それで、特別なプロジェクトが立ち上がって、それにたったひとりで派遣されて、その現場監督(ただし、実権はまったくなし。不安にさせるな)で、まったく見知らぬコミュニティーにぶち込まれる。
「山崎まさよしさんに似てますよね、雰囲気だけ」
「あー、そう言われたのは初めてで」
(ブルースは好きなんだけどねえ…)
そうやって、あ、これで大丈夫なんだ、これで上手くいくのだと、そう安心した。
http://anond.hatelabo.jp/20090524153338
さすがに「モヒカンって…社会人としてどうだろう」と思いましたよ、はい。
そこでオレはある方法を考えた。
この真ん中の髪の毛をもっと伸ばしてキッチリとセンターで分ければ普通の「真ん中分け」なんじゃね?
オレって天才!
そうして、オレは真面目なリーマンのフリをして会社に通い始めた。
自分で言うのもなんだけど、オレは人当たりがよくて礼儀正しいし、要領の良いタイプなので仕事を覚えるのも早かった。
就職氷河期だったので同期はいなかったけど、会社の人達は皆オレに優しくしてくれた。
だけど、ほどなくしてオレはその「優しさ」に苦しむ事になった。
みんながオレと会話する時にビミョウに身体を緊張させたり、視線を泳がせていることに気が付くのにそう時間は掛からなかった。
そうさ、オレの頭は変だったんだ。
所詮はモヒカン。ピッチリと真ん中で分けた毛髪は圧倒的に髪の毛の量が不足していた。
サイドの刈り上がった部分を露出させない為には、髪の毛をガッチガッチに固めて頭部全体に均等に分配しなければいけなかった。
そうして作られた、厚さ数ミリのヘルメットのようなカチカチの「髪の毛の膜」に覆われたオレのヘアスタイルは明らかに異常だったのだ。
(あとから聞いた話では、整髪剤の威力が弱まった夕方などには、後頭部にワレメが出来て内部の「見えてはいけない部分」が露出しがちであったという)
会社の人達がオレの事を「何かの病気」か「ヅラ」だと思っているのは間違いなかった。
彼らは明るく振る舞うオレに気を使って指摘できないでいるのだ。
オレは良心の呵責に耐えられなくなっていた。
GW前に職場の親睦会に呼ばれたが、オレは適当な理由で断った。
気のせいか、オレが参加できない事を告げると幹事のオバちゃんはホッとした表情を見せた。
親睦会の当日に用事があるというのもウソではなかった。
ライブが近かったのでスタジオに入る事になっていたのだ。
オレは集合場所の友人宅へ着くなりカバンからダイエースプレーを取り出した。
「スマン、今すぐオレの髪を立ててくれ!」
昼間の髪型のせいで長くなったオレのモヒカンは、もはや一人では立てる事が出来ず「髪の毛を引っぱる係」「ヘアスプレーを噴射する係」「ドライヤーをあてる係」などが必要だった。
バンドメンバーに髪の毛を任せながらオレは事情を話した。
ヤツラは信じられない程の短時間でオレの髪の毛を立ててくれた。
そして友人の車の後部座席に首を90度に曲げて乗り込む。
もちろん行き先は練習スタジオ…ではなく、職場の親睦会の会場だった。
「いままで黙っていて申し訳ありませんでした。オレの頭はモヒカンです!」
何故だかバンドメンバーも「一緒に謝ってやる」とか言い出して、店まで付いて来てしまったので、全身トゲトゲのコスチュームの4人組が居酒屋でサラリーマン相手に謝罪(土下座のモヒカン)という摩訶不思議な光景になってしまったわけだが…
顔を上げるとみんな大爆笑していた。
数日後のライブには職場の人も何人か見にきてくれた。
みんな本当に優しい人達だった。
そのライブの後、オレは刈り上がっていた部分の髪の毛も伸ばし始めた。
そうして数ヶ月後には見た目は「社会人として」まっとうな姿になった。
今でも音楽活動は続けています。
職場の皆さんありがとうございました。(ああ、ついでに、あのとき一緒に謝ってくれたメンバーも、その、まあ、アリガトな)
シャンプーブラシで時々頭マッサージしながら洗うと結構フケも匂いも収まる気がする。
http://allabout.co.jp/fashion/haircare/closeup/CU20071024A/
http://allabout.co.jp/fashion/haircare/closeup/CU20081027A/
女性向けだけど。
不摂生と偏食や暴飲暴食を控えるのも一つの手じゃないか?
ちなみに、男は50代まで頭蓋骨が成長するという研究結果がある
とどこぞの増田が言ってたものだからハイ?と思って調べてみたら「筋トレなどをして男性ホルモン過多になると頭蓋骨が肥大化する」という話がhitしたんだけど。
「論理馬鹿になると頭がでかくなる」って話と照らし合わせてみると電波ちゃんの思い込みと真逆なんじゃないかと思った。
なんでも
↓
頭皮が突っ張る
↓
hageる
という話らしい。
しかし調べてる途中、ハゲズラ板のスレが引っ掛かりまくっている中に例の増田が含まれててワラタ。
あと50代でなおトライアスロンに参加している知り合いも薄い。足とかすっげムキムキなの。
薄毛否定はしないよ。
薄毛でも変に取り繕ってるわけでなくきちんと手入れしてあると色気が有ると思うし。
ロボットのパイロットが髪が目に入りそうな状態でヘルメットをかぶっていたり、あるいはそのヘルメットを脱いでもヘアスタイルがキープされていたり、外骨格スーツで高速飛行してるわりに髪がちょっとなびくていどだったり……
そういう描写は気になるんだけど、けっきょく「アニメだし、まあいいか」で済ませてしまう。これは正しい反応なのだろうか。
そういうハッタリに対する抵抗(もっとリアリティにこだわった作品を作ってやる! とか)もしくは偏愛(それがアニメだ! 様式美だ! とか)を突きつめていくと取り返しがつかなくなっちゃうのかな。
※ちょっと書き直しました。例にあげたのは前二者が絶賛放送中の機動戦士ナントカ00、後者はオープニングムービーがオンラインで公開されていたトリガーハートナントカに関するものです。妙にTBが伸びたなーと思う春休み。
ヘルメットかぶって、覆面して、メガホンや棒を持って、ビラでも配ってたら引くだろう。
でも普段のように入出制限もなく始まる前に席に座ってたら気がつかないような格好だろう?
なら誰が問題なのかは自明だよ。
バンパイアと狼男のせめぎ合いは、何世紀にも渡って狂ったように続いています。この戦争に決着を付けるのがあなたです。
「BiteFight」は、ブラウザを使ったダークなキャラクター育成RPG。修行や人を狩ってキャラクターを育て、憎き敵陣営を叩きつぶすことが目的です。友達を招待することで、同一陣営でのプレイが可能。“一族”を結成し、頑健な城を築くこともできます。
プレイサーバーは13個あるようです。友達と一緒に遊びたいという時には、ユーザー名を伝えてキャラクター作成時に入力してもらうと同一サーバーになります。
栄光と名誉を得るために争う種族は2つ。
アカウント作成前に、所属する種族を選ばなければならない。吸血鬼か狼男かを決める。現在、吸血鬼陣営の方が人数が多いようだ。
誕生したキャラクターはわずかなゴールドしか持たない(初期所持金は50ゴールド)。まずはメニューの「街」にある共同墓地に行き、数時間働くとよいだろう。陰鬱な墓地での過酷な労働は、給料だけでなく経験も与えてくれるはずだ。稼ぎは当然長ければ長いほどいい。私の場合は1時間で40ゴールドほど貰ったことがある。
ただし、労働中は狩りや襲撃などの他の行動は取れなくなるので注意したい。
ゴールドを支払うことで、師範について「訓練」を行うこともできる。これはメニューの「概要」から実行できる。
メニュー内の「襲撃」を選ぶと、うまい獲物である人間を襲撃することができる。ゴールドや戦利品を得ることもできるかもしれない。他には、酒場で冒険の依頼を受けてゴールドを稼ぐこともできる(5を参照)。
ゴールドが貯まってきたら、憎き敵陣営との戦いに備え、装備を購入するとよいだろう。「街」の商人のところでは、ゴールドを使った買い物が行える。
また、「街」にある「市場」では、ユーザー間の取引が行える。運がよければ、「商人」から購入するよりも大分安く手に入ることもあるのだ。
アイテムのイラストの上にカーソルを合わせれば、商人から買う場合のゴールドを確認することができる。賢い買い物を目指すべきだろう。なお、市場での売り物は「フィルター」によって分別して陳列されている。目当ての物を選び、「フィルター」ボタンを押すこと。標準状態では「武器」が画面に表示される。
人狩りに飽きたら、冒険に出てみてもいいだろう。その際は、「街」にある「酒場」で冒険を受けることができる。
ここでは、いわゆる“クエスト”の依頼が、初級・中級・上級の3つのレベルで用意されている。ボタンをクリックした時点で冒険を受けたことになるので注意しろ!
初級であればそれほど難しくはない。受けた依頼をキャンセルすることもできるのでとりあえず試してみろ。
この「BiteFight」で冒険に出るのは、なかなか楽しい。一度試してみることをお勧めする。
ゴールドの他、1回の冒険で1つの経験を得ることができるようだ。
ある程度の行動をとると、スキル(ステータス)の「健康」が失われる。25ポイント以下になると、行動が制限されてしまう。
健康は時間の経過で回復するので、何もせずに待っていれば大丈夫だ。
敵陣営は、あなたが隠れ家で休んでいるときに襲ってくるかもしれない! ゴールドを投資して、「住居」や「壁」、「通り」などのレベルを上げていこう。簡単なヘルプは、画面の下に用意されている。
襲撃の時に手助けしてくれる、ガーゴイルを雇用することもできる。
(著:サー・アンダーグレイブ)
相手が自分と同じ姿形をして、コミュニケーションを取れる存在であるにも関わらず、その相手の命を奪う事に何の躊躇も無いという点で一致しているように感じる。中にはそれが先天的なレベルで定着しているようなのも。
我々現代の日本人でも、命を奪うのに躊躇しない生物はそれなりにある。ゴキブリ、蚊といった害虫全般、家畜など。植物に至っては生物である事すら意識していない場合も多いと思う。しかし、もしそれらが全て人間の姿をしていて、我々と同じように言葉を交わし、知性や感情を持ってたら、それでも我々は躊躇なくそれらの命を奪えるだろうか?その時に我々の中に生まれるためらいを易々と踏み越え、踏みにじる事が出来るからこそ、彼らは「悪」である事が出来るのだと思う。逆に言えば、それほどまでに突き詰める必要に迫られるほどに、日本の漫画の表現は深くなっているんだろう(その是非はさておき)。
上記で挙げたタイプの「悪役」ってのは、説得とか良心に訴えるという手段が全く通用しない。だからこそ暴力を使う(戦う)事でしか止められないわけで、結局のところ「悪の表現の進化・多様化」とは「主人公達が暴力を使う事の正当性の進化・多様化」の裏返しなんだろうな。
今年(1999年)の2月、「卒業旅行」ということで、大学の友達3人と僕の4人で、新潟県の佐渡島に2泊3日の旅行に行った。一応は「卒業旅行」ということになっていたんだけど、卒業するのは僕以外の3人で、その時すでに留年が決まっていた僕にとっては、ただの佐渡島旅行。なんかこう、なんとなくその場の流れで行くことになった。男4人で…。いや、別にスネてるわけじゃないんだけど。「金山掘って、ドカーンとひと山当てるかー!ドンブラコー!ドンブラコー!」とかそういう男っぽい目的は特に無くて、全くただの旅行。
数ある旅行先候補の中から、あのクソ寒い2月という時期にになぜ佐渡島が選ばれたかというと、一緒に行った3人の中の1人、K君のおじさんが、佐渡島でホテルを経営していらっしゃって、おじさんの御好意で「卒業する前に友達を連れて遊びに来なさい。」ということで、ホテルの料金なども特別に安くしてくださって(ホテルに到着して部屋を見て、あんまりにも立派で驚いた。よだれがでちゃった。)、まあそれで、佐渡島旅行ということになった。男4人で…。いや、別にスネてるわけじゃないんだけど。
佐渡島にいる間、特に何をしようっていう目的は無かったんだけど、せっかく佐渡島まで来て、ずっとホテルに缶詰めになってるのもつまんないから、一応佐渡島の「観光名所」と呼ばれている所を、ひととおりまわってみた。
佐渡金山。金山はちょっと楽しみにしてたんだけど、あいにく、愛用のツルハシとヘルメットを持ってくるのを忘れちゃったし、仕方がないから他の3人が金山に入ってる間、1人で外で待っててもよかったんだけど、それじゃあなんとなく薄情な感じだし、とりあえず中に入ってみた。たしか入場料600円くらい取られたと思う。金山に金を取られてしまいました。中に入るとロウ人形が穴を掘ってるんだけど、やっぱつまんないんだよな。「ああ、ロウ人形が穴掘ってるんだなあ」と思った。あたりまえだ。
みそ工場。…まさか佐渡島でみそ工場を見学するとは思わなかった。しかも男4人で…。いや、別にスネてるわけじゃないんだけど。
やっぱりワカメのみそ汁が一番おいしいですね。あと、みそを小さい皿に盛ってつまようじで突っつきながら酒を飲んだら、さびしい気分を味わえて面白いんじゃないか?と夜中に思いついて、実際にためしてみたことがあるんだけど、やっぱり死ぬほどさびしくてゲーゲー吐いてしまった。
ということでみそ工場なんだけど、特別な感想はなかった。「ああ、ここでみそを作ってるんだなあ」と思った。あたりまえだ。連れのS君は、『ここでしか買えない特製みそ』みたいのを買ったんだけど、帰りのフェリー乗り場のお土産屋さんでは、主力商品としてバッチリ売ってた。まあ、観光地のお土産なんてそんなもんだ。
歴史博物館。…ほかに行くとこないのかよって言われそうだけど、その通り。無い。ここも入場料を取るんだけど、さすがにちょっと見る気がしなかったし、車酔いで頭の中がグルグルしてて歴史どころではなかったから外で1人で待ってたんだけど、日本海から吹いてくる風が殺人的に冷たい。煙草に火をつけるのもたいへんだ。車の中で待とうにも、キーを持ってるK君が博物館の中だから、外で待つしかない。入場料払って中に入ってK君にキーをもらってこようかと思ったんだけど、おいおい、それだったらわざわざ車に戻らないで博物館の中にそのままいればいいんじゃないか。なあ、みんな。
佐渡トキ保護センター。朝起きて気がついたらセンターの前におろされていて、オレの感覚的にはその間30秒くらいだったから、(1)あぁ寒い、(2)あぁつらい、(3)あぁ眠い、(4)あぁ帰りたい、(5)あぁ誰かカネ貸してくれ、と切に思った。
センター内にはトキに関するいろいろな資料が展示してあるんだけど、その中に、『ボタンを押せば世界各国のトキの鳴き声が聞けるコーナー』みたいなのがあって、一応全部押してみたんだけど、どこの国のトキの鳴き声も大きな違いがなくて、みんな「グエーッ!」。全然面白くない。センターに入るときに「協力料」っていう名目で、入場料を200円払ったんだけど、お金を取ったからにはちょっとくらいサービスしてほしかったな。ドイツトキのボタンを押したら「グワッヒ!」とか。そのくらいあったっていいじゃないか。
トキなんか保護しないで自然に滅びるのがほんとじゃないかって思ってたから、別に興味もなかったし、一目見れればいいやくらいに思ってたんだけど、実際は一目どころかテレビモニターでしか見れない。トキのオリは保護センターの裏のほうにあって、オリの前にビデオカメラが取り付けてあって、観光客はそのカメラが映したトキを、保護センターの中のモニターで見る。別に生で直接見せてくれたっていいじゃないか。あやしいな。実はもうとっくの昔に死んでるんじゃないか?何年も前に撮ったビデオを流してるだけだったりとか。
あれって実はトキの着ぐるみを着た保護センターの職員なんだって。昼間のパパは、ニッポニアニッポン。あっ、日本代表みたいでちょっとかっこいいかもしれない。
毎朝8時に出勤して、タイムカードを打って、着ぐるみに着替えて「グエーッ!」。疲れて黙ってると無線で「鳴け、鳴け!」って上司に言われて泣く泣く「グエーッ!」。着ぐるみの中にクモかなんかが入っちゃって思わず「ギョエーッ!」。上司が「おお、今日はあいつ、演技に気合が入ってるなあ。」だって。気合じゃなくてクモが入っているんです。
トキが残り1羽になっちゃって、「日本のトキの血を絶やさない為」に中国のトキを呼んで殖やすっていうのは…、ちょっとおかしいぞ。日本のトキの血統を守りたいんだったら、繁殖よりも切腹。ハーフは作らなくていい。
もしも人間とトキの立場が逆になって、オレ1人だけ生き残って、『中国ササキ(メス)』を目の前に連れてこられて、「繁殖しろ!」って言われたら、なんとしても反抗して、最後には自害だ!って思いたいけれど、「ニイハオッ♪繁殖しましょ♪」なんて言われたら、コロッと気が変わったりして…。
あんな情けないキン(トキの名前)のやつは、人間の年齢に直したら100歳を超えてるっていう話だから、どうせあともうちょっとで死んじゃうんだし、費用だってかかるんだから、いっそ焼きトキにして食ってしまおう。その際には『焼きトキ食べれる権』を競売にかけて、景気回復。それか、剥製にしてしまって東京タワーのてっぺんに飾る。色合いもちょうど良さそうだし。「日本のシンボル」的な感じも出るし。で、毎日夜12時に東京タワーの照明が消える時に、「ギョエーッ!」。